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2024-10-28 1:53:35

072. 実行マンと準備マン

@smmrsin さん(5ive Inc. 代表)をお迎えして、新卒時代のお話、人の役に立つということの原体験、ウェブ制作との最初の接点は Flash から始まった話、福岡でのコミュニティとの関わりの話、独立してフリーランスとなってから起業するに至るまでの話、従業員の数を増やしたいと考えるその背景と難しさ、スクールで教えるということについての話、人生の最高のゴールとはなにかについて、歳を重ねてきたなかで口にする言葉が変わってきたと感じる話、すごく準備や思考のサイクルに気を配ってしまうことについてなどお話しました。


* 新卒で入った印刷業界

* 社内 SE のような仕事をしていた経緯

* 人の役に立って表彰もされた話

* システム担当として出向した話

* 出向から戻って感じた東京との違い

* コミュニティを通じてつながりが広がった話

* Flash 案件などを手掛けた独立当初

* 法人化するに至った思い

* メンバーの数を増やしたい意図

* 人を増やすということの難しさ

* 専門学校の講師とスクール講師

* WebGL スクールの運営や考え方について

* 専門学校の講師を務めることになった経緯

* 最高のゴールはあるのかという話

* 歳をとって変わってきたことの話

* シミュレーションをたくさん重ねてしまう話

* 5ive Inc.


## show notes


* 社内風土や B面ラジオ

* 福岡ならではのローカルなお話

* スクール主宰講師とデザイン専門学校講師について

* チーム作り、人材育成、教育など(自分が主役ではない世界線で思うこと)


サマリー

本エピソードには、株式会社ファイブの下村代表が登場し、福岡での活動や印刷業界からウェブ業界への転身についてお話しされています。また、社内SEとしての経験や業務改善に取り組んだ背景についても詳しく語られています。工場でのアナログな作業とその改善についての実体験が共有され、プログラミングを通じて得られた効率化が人々に喜ばれるプロセスが強調され、仕事の面白さと重要性が伝えられています。 フリーランスとしての経験やその後の独立に至る過程についても触れられ、特に福岡に戻った後のコミュニティ形成やフリーランスとしての挑戦、最終的な法人化の決断が焦点となっています。ポッドキャストでは、実行マンと準備マンという役割について対話され、法人設立の重要性や信頼関係に関する議論が行われています。また、社会的価値観の多様性や人材の拡大の必要性についても探求されています。 実行マンと準備マンの対比を通じて、ビジネスにおける人の集まり方や組織の成長について深く掘り下げられ、成功するための適切なブランディングと戦略の重要性が強調されています。実行力を持つ人と準備を重視する人の違いについても探られ、教育現場における教師と生徒の関係やウェブ教育における実践的なアプローチが取り上げられています。 実行マンと準備マンの違いを考えつつ、組織作りやチームの継承について議論され、特に準備の重要性や計画的なアプローチが業務に与える影響が掘り下げられています。事業継承における文化やマインドの重要性についても語られ、長く働くチーム作りのビジョンが示されています。また、株式会社Viveのエンジニア募集や社内の様子が紹介されており、リスナーに向けたメッセージが伝えられています。

ファイブの下村代表の紹介
始まりました。normalize.fmの今日は第72回になります。
先日、公開収録のイベントをやってたんですけども、そのイベントの準備もあったんで、こうやって普通な感じで撮るのすごい久々なんで、ちょっと今回緊張もしてるんですけども、今日も元気に撮っていきたいと思います。
今日のゲストはですね、多分ウェブの界隈だったら皆さんご存知の会社の関係者の方なんじゃないかなと思うんですけども、本日のゲストは株式会社ファイブの代表されてます下村さんに、今日はゲストに来ていただきました。下村さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっとね、今日が初対面なので、2人ともちょっと緊張してるんですけども、さっきちょっと話したら、どうやら学年が一緒っていうことらしいんで、ザックバラにね、いろんなお話聞いていけたらいいかなと思っておりますので、早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあ下村さん早速なんですけど、まずはちょっと簡単に自己紹介からお願いできますでしょうか。
はい、株式会社ファイブの下村と申します。エンジニアをやっておりまして、拠点は福岡になります。
今日は福岡から収録させていただいてます。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
いやもうあの、俺ずっとゲストに呼びたかったんですけど、接点が全然ないじゃないですか、なんかこう、地理的にもちょっと離れてるっていうのもあるんで、東京の会社さんとかだと、なんか勉強会でたまたま、あ、そうだったんですねみたいな感じで出会うことってあると思うんですけど、やっぱちょっと福岡だとなかなかそういうことがないんで、
接点がなくてね、なんかタイミングを見計らってたらちょっとのびのびになっちゃってこんな遅くなっちゃったみたいな感じなんですけど。
いえいえとんでもないです。もうめちゃくちゃ光栄ですね。
ノーマライズFM結構リスナーだけは多いっていう感じで、いろんな人聞いてくださってるんでありがたいなと思うんですけど、下村さんは本当にいつか呼びたいなと思っていたんで。
いやー嬉しい、ありがたいですね本当に。
いやなんかあの、実際あの、今全部もう活動自体も職場も全部福岡って感じですよね。なんか東京都行ったり来たりってよりかはもう完全に拠点福岡でっていう感じですか。
そうですね、あの出張があれば東京に行くってことはあるんですけども、あの二拠点生活とかでは一切ないので、ずっと基本は福岡にいるという形ですね。
それはもう企業もずっと福岡でやられてそのままっていうことですよねきっと。
そうですね、うちは会社にしてから丸5年経って今6年目ぐらいのタイミングなんですけど、あの福岡でずっとやってますね。
それはなんか理由はあるんですか、その地元的な感じなんですか福岡が。
僕地元は広島出身で、高校生までが広島で住んでまして、大学から福岡の大学に来るってことで、18の時から福岡に来たんですね。
そのまま大学卒業後も福岡の企業に就職するってことになったので、しばらくその子からずっと福岡なんですけど、
仕事の関係で一度だけ東京に2年ほど行ってた時期がありまして、その時に初めてウェブ業界に入ったっていう感じですね。
なるほど、じゃあ最初は全然ウェブとか開発とかではない、異業種で社会人スタートみたいな感じなんですか。
最初入ったのは印刷会社で、印刷会社の中でも社内SEみたいな形で、業務改善とか今で言うDXみたいなことを当時はもっとアナログでというか、
現場見に行って、ここなんか改善できそうだなとか、そういったところがまだまだ人の手でやってるアナログな部分がすごくあって、
そこをシステム化したら効率よくなるんじゃないかみたいなことを散々やってましたね。
なるほど、それは社内業務、それがサービスの会社っていう感じなのか、社内の業務としてやってたのかというとどっちなんですか。
それが社内の業務改善みたいな感じで、印刷会社なんで、印刷機以外にも中閉じとか無線閉じとかの閉じ機だったりとか、
その後の封入機って言って、ビニールのフィルムに包まれて、カタログだったりとか、個人情報が載ってる印刷されたシートとか、
印刷業界での経験
いろんなのが封入されてポストに届くみたいなのって皆さんあると思うんですけど、
ああいう封入物とかも作ったりする会社だったんですね。
その中で社内SEみたいな形で、いろんな現場とかいろんな部署に行って、
何か困りごとないですかとか、無駄になってる作業、人力で無駄にやっちゃってるとか、手書きで書いてる書類だったりとか、
そういうのを一個一個システム化するとか、ボタン一つ押せばエクセルから出力されるとか、
そういったのをひたすら作って、何分何時間業務改善しましたとか、月間とか年間でいくと、
このくらいの削減になりましたみたいなのをひたすらやってる、
そういう部署というか、上司と2人だけでやるようなチームだったんですけど、
その中で結構揉まれたって感じですね。だから最初はデザインとかウェブとか全然やってなくて、そんな感じでしたね。
なるほど、すごいですね、社内でそういう仕事、どういう生きさせでそういう風になったのか想像が難しいんですけど。
最初はデザイナーに僕もなりたくて、大学生の時にですね、
ただ行ってた大学が工学部の電子情報工学科っていうコンピューターとか、電子情報回路みたいなのを専攻してやってたので、
全然畑が違ってて、でも大学でそっちの方の勉強はあんまり向いてなかったりとか、
面白さを見出せなかったんですよね。興味があって行ったんですけど、やってみるとちょっと違ったなってところがあって。
大学生の途中から広告業界とか、クリエイター、デザイナーみたいなところがすごいかっこいいなっていうのがあって、
わかりやすく憧れから入って、CM作ったりとか、アイデアを表現に変えてかっこいいみたいな。
そういったのがあったんですけど、面接受けても全然美大とかでもないし、ポートフォリオを持ってるわけでもなかったから全然ダメで。
近い業界とかも含めていろいろ受けてる中で、印刷会社さんに一社内定いただいて入ることができたんですけど、
その時も企画職で応募してたんですけど、ある日電話がかかってきて、作業担当の方からですね、
企画職は埋まっちゃってるからちょっと無理だけど、社内SEみたいなシステム職だったら空きあるよって言われて、どうするって言われて、
これはどうしようと思って、システム系にあんまり行きたくないから就活してたんだけどなって思ったんですけど、
一旦入ってみてそこからまた動けばいいかなとか、何かまたチャンスがあるんじゃないかと思って、入ることに意味があるなと思って、
ぜひお願いしますっていう形で入らせてもらったんですよね。
っていう経緯があったので、はっきりと新卒で入ったんですけど、やることが決まってるとかじゃなくて、
何でもやみたいな感じのチームに配属されたってところがあって、割とふわふわしてたんですけど、
その中で社内でシステムにできそうなものとかをどんどん見つけて、プログラム自分で書いて、
みんなが早く帰れるように、残業を少しでも減らせるようにみたいな形でサポートしていくっていうのがだんだん型ができてきて、
それをひたすら開発してやっていくみたいな感じだったんですけど。
なんかすごいですね。すごいな、なるほど。
それすごいですね。ちょっと自分の話急にしちゃうんですけど、私も全く開発とは関係のない業種で、
社内SE的な感じの立ち位置で動いてたこともあるんで、それも別にやってくれって言われたわけじゃないんだけども、
なんかこのExcelほんと、なんでこんなみんな使ってんだろうと思って、
なんかマクロ書いて、このほうが楽ですよみたいな感じで渡したら、
なんかちょっとこれもやってくれ、あれもやってくれみたいな感じで。
まさにそれですね。
それでなんか俺もいつの間にか社内SEみたいな感じになってたんですけど、
最初からそれで入れるってなんかすごい珍しいケースのような気がしますけど、
その会社のそういうことをやっていくっていう流れができてたっていうのがなんかすごいですね。
そうですね。僕が入ったときにまた部署みたいなのはなくてチームもなかったので、
配属が決まったときに同期のみんな営業職だったりとかDTPとか企画職みたいな感じで、
それぞれ何十人もいるような部署に配属されていくんですけど、
僕だけなんかまだ決まってないからみたいな感じでライブチューブラリーだったんですけど、
なんかある日呼ばれて、こういうことできるみたいな形でちょっとずつ始まったって感じなんですけど、
一個社内の大きなプロジェクトがあって、
なんかこう生産性を上げるための改善プロジェクトみたいなのがあって、
印刷会社なんでバリバリの工場なんですよね。
基調さんたちがでかい機械とか輪転機とか回して、
機械が極力止まらないように稼働率を上げていくみたいなことを日々やっていて、
その中でプロジェクトっていうのがトヨタの改善方式を真似して、
トヨタ式の改善ってOS活動とかあるんですよね。
その辺を取り入れて、印刷機の場合だったらどういうふうに改善していったら生産性が上がるかみたいなことを数年かけてやっているプロジェクトがあって、
ある日それにお前このプロジェクトに出て議事録取れって言われて、
ひたすらそこで会議されている内容を議事録取ったりとかしてたんですけど、
そのあたりで改善とは何ぞやみたいなこととか、
他のみんなが、基調さんたちが何に困って何で機械を止めてしまっているのかみたいなことをひたすら話し合って、
その原因が何なのかとか、一回止まったらそれを計測して再起動するまで何分かかるかみたいなことを測ってたりとか、
いろんなことを改善活動としてやられてたんですよね。
最初は議事録取るだけだったんですけど、
だんだんそこからアナログだけじゃなくて、
システム的にできないみたいなことがどんどんアイデアとして出るようになってきて、
その辺をそういうプログラムを書いてみますみたいなことでサポートしていたんですけど、
僕自身も最初はプログラミング全然できなくて、
プログラミングの学びと成長
工学部に入ってたんですけど、
プログラミングの授業から全部逃げてたので全く書けない状態だったんですよね。
会社に入ってから一冊本渡されて、
明日からプログラム書いてねみたいなふうに言われて、参考書ポンと渡されて、
自分プログラムできませんって言ったんですけど、その時の上司にですね。
でもできないと給料ないよっていう形で、これはやらねばみたいな。
上司の方にちょっと教えてもらいながらも、
基本は独学で学んでやっていくみたいな感じだったんで、
一日朝会社に来て会議とかに呼ばれる以外はひたすら参考書を見ながら
身を見真似て書いてみるみたいな感じで、
エラーが当然出てるから、そのエラーをどうやって潰していいかなとか、
先輩に聞いたりとかっていうのでやっていってたんですけど、
3ヶ月ぐらいするとですね、なんとなくプログラムっぽいのが書けるようになってきて、
簡単にマクロ組んでExcel上のボタンを押したら何か帳表が出力されるとか、
自動計算されるみたいなことができるようになってきたので、
そのあたりからシステム的なサポートのプログラムを書いたりとか、
いわゆる機関システムに付随するサブプログラムとか
サブツールみたいなのを開発していくっていうのをやってましたね。
なるほど、すごいですね。
それ最初はVBAとかああいうものからやり始めたイメージですか?
そうですね。最初はVBAからして、すぐアクセスっていって、
マイクロソフトのアプリケーション、赤いアプリケーションがあるんですけど、
わかりますわかります。データベースアプリですよね。
そうですね。簡単なデータベースを作って、その中に溜め込んだりとか、
出力もできるので、紙に印刷とかっていうのができるので、
調表案件をそこで出したりとかいうのをやってましたね。
えー、じゃあもうなんかわかんないですけど、
結構それが今の下村さんの土台になっているというか、
スタート地点みたいな感じなんですね。
そうですね。デザインとかウェブに触れるのはまだだいぶ先なんですけど、
仕事の範囲にとしては、誰かの役に立つものをプログラムで作るみたいなところとか、
何が無駄なのかとか、何が改善できそうなのかみたいな、
その改善の種を探すみたいなところは、最初のその1年目の時に結構仕込まれたって感じで、
そういう目線で場内とか社内を見て回るみたいな癖がついてました。
なるほど、いや面白いっすね。
いやそれ、面白いな。面白いっすね、なるほど。
そうか、いやいいっすね、なんかそういう感じでこう、
なんかすごい話聞いてて、いろんなものの根っこの部分がそこで培われたというか、
プログラムを書くっていう技術的な部分もそうだし、
物事の捉え方というか、
例えば人に喜んでもらうことの嬉しさとか、
工場作業の改善体験
そういうのもきっとそこら辺がスタートなんだろうなっていうのが聞いててすごい感じましたね。
そうなんですよ。なんか一番思い出したら嬉しかったのが、
工場で勤めてる方たちがまだまだすごくアナログな作り方をしてたので、
機械からいろんな印刷物が出てきて、結束バンドでガチャンとくるんで、
それを山かごに積んでいくみたいな作業があるんですよね。
それ人の手でよいしょよいしょと積んでいくんですけど、
積まれたものが木パレットか青パレットって言われる、
フォークリフトで運ぶための土台みたいなのがあって、
そこにどんどん積んでいくんですけど、
ある程度積まれたらフォークリフトでブイーンと別の倉庫に運んでいって、
次の工程の材料になっていくみたいなこととか、
出荷されて配布されるみたいなことになるんですけど、
その時に山札って言って、
このパレットには何の物件の何のパンフレットが何部載ってますよみたいなことを、
紙でペタッと貼って、それを管理するんですけど、
それを全部手書きでやってたんですよ。
ありがちだな。
パレット1個1個が単独ではなくて、
100個口のうちの40個目とか41パレット目みたいな感じで、
大量のものを何百万部で刷っていくので、
管理しないといけないんですよね。
だからその人の手で、最初に山札100枚になって100枚書いて、
100分の1、100分の2、100分の3みたいな感じで、
ダーッと用意しておいて、それを1枚ずつ貼っていくみたいなことをやってたんですよね。
そんなのやってられないじゃないですか。
1日100枚残りじゃなく、出荷されていくので。
なのでそれをもう手で書くと間違えるし、
汚いのでパパッと書いちゃうと読めなかったりもするから、
そこを自動的に紙が出るようにしましょうみたいなことになって、
僕が担当させてもらって作ったんですよね。
そこの部署用のやつなんですけど。
そうすると、できましたってなって、
そこの基調さん、女性の方だったんで、年配の方だったんですけど、
使い方とか教えて、ここに正番って言って番号打ち込んでボタンを押すと、
データベースからその物件情報を取ってきて、
それが10万部なのか100万部なのかっていう部数と、
あとパレットの1台の中に何個告知が載ってるのかみたいなの打ち込めば、
あとは自動的に100枚紙が出てきますので、
それを上から順番に1枚ずつ貼っててください。
もう手書きで書く必要は一切ないのでっていうので説明して運用始まったんですけど、
やっぱり書く時間が減るから、単純に早く書いてるようになるんですよね、
分かりやすくと。
工場ってやっぱりシフト勤務なので、6時半とか5時とかでシフトが変わるんですけど、
そのシフトを引き継いだ後に手書きで書いたりとか雑誌もやってたりとかするんですよね。
それがしなくてよくなったので、ミスも減るし早く書いてるようになったっていうので
すごい喜んでもらえたのがあって、
その時にすごい自分でプログラミングして人の役に立ってるっていうのがまず、
目の前の女性の基調さんが喜んでくれたってことと、
それが会社としても表彰されて、他の部署にも全部横展開しようみたいなこともあるし、
分かりやすく成果が出やすかったっていうか、
人からも会社からも評価されたってところが結構大きくて、気持ちいいというか。
こういうことをすると役に立てるし、みんなが効率よく仕事できるんだみたいなことが体験できたので、
そこの経験はすごく大きかったなって感じがしますね。
社内での役割と評価
いや、めっちゃいいっすね。
私も物流の倉庫で働いてたことがあって、その頃思い出しました。
パレットに積んでとか、こういう感じで積んでいくとこんぐらい積めるからってことはパレット何枚で何個だねみたいなやつとかは、
確かに物流の現場とかではすっごいやるし、紙貼ったりラップ巻いたりとかなんかするから、
しますよね。
そこでやっぱり人の手が開在すればするほどミスりやすくなるんで、
やっぱそこは改善したくなるポイントではあると思うっていうのも聞いてて分かったし、
あとは何ですかね、要は2Bの仕事ではなくて、社内の話なんで直接お客さんではないんだけども、
喜んでくれるクライアントが目の前にいる感じの良さありますよね。
もうダイレクトに目の前の方が、これめちゃくちゃ楽になったよ、またこういうの頼むよみたいな感じですよね。
それめっちゃいいですよね。多分なんか大きなサービスを開発しているでかいチームの中の一員とかだと、
やっぱりなかなかエンドユーザーがどう喜んでくれてるかとかって開発してても実感しにくかったりするっていうのはあると思うんですけど、
結構なんかウェブサイト制作はどっちかっていうとお客さんの顔見えやすい仕事かなとも思いますけど、
多分それよりももっとダイレクトに伝わってきたんでしょうね、きっと当時の下村さんには。
ウェブ業界への移行
本当そうですね。まだエンドユーザーとか、仕事をして何か納品して、
その先のお客さんに喜んでもらうみたいなのがまだ新人だったってこともあって、全然イメージできてなくて当時はですね。
そんな遠い人たちのことを考えられるほど視野広くできてなかったので、
単純にその一緒に動いてる人とか一緒にやってる人たち、目の前の人たちっていうところしかまだその時は見えてなかったんですけど、
後にウェブサイトとかって作るとなると、かなりエンドユーザーって遠いじゃないですか。
いろんな人たちがいらっしゃるから、そこの一番近いところを早めに体験できたっていうのは仕事が面白いなと思ったきっかけでもありますね。
いやすごいな、いいっすね。でもその流れを聞いてると、結局ウェブにつながっていくのはもうだいぶ後っていう感じなんですか?
そうですね、僕ウェブの業界入ったのが24の時かな。
2年ぐらいしてからですね、新人で入って、2年ぐらいしてから東京に行くっていうチャンスがあって、その会社の中でですね。
グループ会社でグラフィックとか広告を作ってる会社があったんですけれども、
そこが大阪と東京の2拠点で事務所を持ってて、人手が足りないっていうことで、何か若手で元気のあるやつが欲しいみたいなことと、
あと当時、僕は24の時だから17年ぐらい前ですかね、ウェブサイトを作るのに結構システム的な絡みが必要になってきたりとか、
っていうのがかなり出てきてて、そこのグループ会社のデザインの会社はデザイナーとかコピーライターとかディレクターとかブランナーみたいな方がたくさんいらっしゃったんですけど、
システム的なエンジニアは一切いなくて、当時のグラフィック会社にはそういったシステム的なところはシステム会社も別で入るって感じで、
社内にはいらっしゃらなかったんですよね。でもそうも言ってられない状況がちらほら出てきたぞっていうのと、人手が足りないっていうことで、
本社の印刷会社の方にシステムできるやつで若手でいい子いないかみたいな話が出たっぽくて、
僕と同期のもう一人の男の子のその子もシステムができる子がいたんですけど、その二人が東京行くってなって、
2年間ほど出向という形で活かせていただきました。
なるほど、一応別会社にっていう感じだったんですか、それは。
そうですね、グループ内の別会社でグラフィックの会社があって、そこに転席というか出向という形で、2年間ほどお世話になるという形だったんですけど。
なるほど、じゃあそこで結構普通に、当時と今じゃだいぶ違うと思いますけど、ウェブ製作みたいなことをやり始めたっていう感じになるんですか。
デザインの出の字も全くわからないし、ウェブサイトも当然ですけど作ったこともなかったので、
HTMLも知らない状態でいました。だからCシャープとかの言語は書けるけど、HTMLとかCSSとかわからんみたいな感じだったので、ちょっと大丈夫かなと思ったんですけど、
東京に行ってからはフラッシュ全盛期の時代だったので、ひたすらスペシャルサイトを作ってフラッシュで作るみたいなことばっかりやってましたね。
そうなんだ、じゃあ結構フラッシャーって呼ばれてる人たちに近い感じというか、今でいうフロントエンドエンジニアっていうよりはフラッシュ触る人みたいな感じだったイメージですか。
そうですそうです。僕はフラッシュの方が性に合ってたので、フラッシュばっかり作るって感じで、デザインは社内のウェブデザイナーたちが作ってて、それをフラッシュに組み込んで実装するっていう形だったんですけど。
なるほど、フラッシュ。そうか、結構やっぱノーマライズUFMのゲストフラッシャーだった率が異常に高いんですけど。
そうですね。
下村さんもそうだったんですね。
そうですね。僕が入った時はフラッシュ8の時だったかな。アクションスクリプト3がちょうど出始めて、ビットマップが結構触れたりとか、結構劇的に進化していってる最中だったんですよね。
AS2からAS3に移行するかしないかぐらいだったので、その時の上司とか同僚からも、今からフラッシュやるんだったらアクションスクリプト3で書くのを覚えてほしいって言われて、そっちを勉強していったって感じですね。
そっか、なるほど、じゃあ。そっか、バリバリのフラッシュ世代なのか、なるほど。
出遅れておりますけどね。本当のフラッシュの方たちはタイムラインにスクリプトを書いたりとか、アナログとデジタルを合わせながらいろんな表現されてたと思うんですけど、それの過渡期の途中から参加させてもらったっていう感じですかね。
なるほど、でもきっとそこでやっぱりよりウェブに興味を持ったというか、そっからまた変わっていくんですよね、きっと、方向性というか。
そうですね。システム寄りのところよりはウェブサイトの表現だったりとか、フラッシュで何できるみたいなところをどんどん突き詰めていくっていう、そういう風潮があったのと、
同じ会社の中で同僚の同じ世代の子たちがかなり東京のウェブ政策の人々とつながっているので、その子にいろいろ紹介してもらったりとか、いろんなイベントとかに連れてってもらったりとか、飲み会にも参加させてもらったりとかもあって、いろんな方とつながることができて、今でもそのつながりでお仕事させてもらったりとか、
東京行った時には一緒に飲みに行ったりとかもさせてもらってるんですけど、そこのつながりがかなり今でも生きてるんですよね。
うーん、なるほど。すごいな。すいません、下村さんの若かりし頃の経歴とか全然知らなかったんで。
いえいえいえ。
いや、なんかそんな感じだったんだ、なるほど。すごいな、なるほど。
結構私はノーマライズFMとかでもちょいちょい喋ってるんですけど、ウェブ業界に入ってきたのすごい遅いので、そのぐらいの頃はちょうどフォークリフト乗ってたと思いますね、そのぐらいの時代の時は。
いえいえいえ。
倉庫でガムテープ貼ってましたね、たぶん。
いやいや、僕たちも2サーズ会社働いてたときは工場応援っていうのがあって、一日のシフトっていうか定時の時間の中で、1時間ぐらいは工場に応援に行くっていうのが決められてたんですよね、全社に。
へー、なるほど。
だからもうひたすら段ボール作ってガムテープで止めて、なんか詰めていくとか、なんか紙をひたすら積むとか、フォークリフトの運転まではできないんですけど、貴重さんたちが運んできた紙を機械の中にセットしていくとか、そういうの全然肉体労働めちゃくちゃやってましたので。
いやーなんか面白いな、なんかちょっとシンパシーで感じる部分がありますね。
僕も過去のノーマライズM聞いてて、なんか自分のイメージとかなり近いなって思ってました。
そうですね。
いやなんか倉庫のあの雰囲気とか、たぶん感じたことない人にはちょっと伝わりにくいかもしれないけど、なんかやっぱ黙々とやる感じですよね、きっとね。
そうですね。しかもなんかこう生産してるっていうのが目に見えて、機械に大量の紙が入っていって、もう大量の印刷物が出てきてて、出てきたものからどんどこどんどこ運んでいって出荷されていくみたいなのを見ると、
なんかこれが1時間30分とか止まったらもう大変なことだみたいなことなので、やっぱりいかに機械を止めずにとか、段取りが命とか、なんかそういったところは目に見えて学んだというか、いかにこう止めずにひたすらさばいていくかとか、何がボトルネックになってるのかみたいなところが結構気になるんですよね、今で。
なるほど。じゃあ、なんかいろんな側面で今に生きてそうですね、なんかその頃の経験が。
全然ストレートにこのウェブ業界に入れてないので、結構回り道しながらいろんなものを見させてもらったっていう感じですね。
福岡でのコミュニティ形成
じゃあその出向された期間がウェブとの最初の接点だったっていうところだと思うんですけど、結局その起業されるとかそのフリーランスになるみたいなところまではどういう感じで繋がっていくんですか、そこは。
そうですね。出向が2年間って時間が決まってたので、2年東京で行って福岡にその後帰ってきたんですけども、なんか福岡に帰ってくると東京みたいになんか同居だったりとか、制作系の人たちとなかなかこう繋がりが持てなかったんですよ、帰ってきたばっかり。
自分の職種もちょっと変わってウェブ系の仕事をやるっていう立ち位置で戻ってきたので、社内にいるウェブデザイナーとか、ディレクターたちとしか触れ合うことがなくて、勉強会もやっぱり福岡って少なかったし、なんかそういったコミュニティがなかなか当時の国は見つけられなくて、なんか悶々としてたんですよね。
東京のときはやっぱりちょっと顔を出したりとかちょっと出かければすぐいろんな人たちと出会えて、雑誌に載ってるような有名な方とか、あのサイトを作った会社さんの人たちと話ができるみたいなところがすごく近くて、それに比べて帰ってきたときに誰もいないみたいな感じになったんですよね。
やっぱり焦るわけですよ。なかなか地方に戻ってきて刺激も少ないし、やっぱり時間もゆっくり流れるなって感覚もあったので、なんか自分こんなままでいいんだろうかみたいなのすごくあって、なのでいろんな人と会いに行かねばならないっていうのがあって、当時はそのブログとかをみんな個人ブログをやってる時代だったので、
そのブログの中で福岡で制作とかウェブとかデザインをやってる人たちで集まりませんかみたいなことを記事に書いて出してたんですよね。
ツイッターは多分確かあったと思いますけど、まだそんなにSNSが今ほどは一般化されてなくて、でも制作系の人たちは割とやってたなって印象だったんですけど、デザイナーたちはですね。
そこで記事書いて、コメントになんか面白そうなんで参加させてくださいとか、自分も福岡でグラフィックやってますとかっていう方たちがコメントくれて、30人ぐらいあったんですよね。
結構集まりましたね。
結構集まりましたよね。
居酒屋かどこか予約して2,30人で飲めるっていうところで大飲み会したんですけど、そこに会社勤めの方もいればフリーランスの方もいれば自分より年下の人も年上の方もいろんな方が来てくれたり、映像系の方もいらっしゃったりとか、
建築とか設計やってるウェブとかとはちょっと隣の隣ぐらいの業界の方たちも来てくださって、みんなでワーって飲んでると、たくさんいるじゃんってなったんですよね。
社内だけのやりとりよりもやっぱり刺激的だし、みんなそのときに自分はこんなデザインしてるとか、こんなの作ってるんだよっていうのを持ってくるわけですよね。
ポートホリオだったりとか。そういうのを見てると、すごい自分よりも年下だったりとか、若い人たちがもう独立してやってるみたいなところもあって、やっぱりフリーランスの人たちが生き生きしてるなみたいなところがすごくあったんですよ。
フリーランスの模索
フリーランスの方たちとその後すごく仲良くなって、同世代がちょこちょこ飲みに行ったりとか、情報公開したりとかしていくうちに、だんだん会社で今のままでできる仕事と、自分一人でどんな仕事ができるんだろうみたいなことを想像するようになっちゃって、チャレンジしてみたいみたいな気持ちにどうしてもなって。
一度上司に相談したっていう感じですね。
そっか、なるほどな。焦りもあったのかもしれないけど、情熱が止められなかったというか、やってみたい欲求に突き動かされてって感じだったんですね。
そうですね。負けてられないっていう気持ちと、やってみたいっていう気持ちですね。
なるほど、わかるような気がする。当時、今って結構フリーランスっていう生き方が認められてるかどうかは別として、結構一般的にはなってきてると思うんですけど、きっと多分下村さんが独立される頃ってまだ今みたいな感じではない頃ですよね、きっと。
そうですね。フリーランス、やっぱり心配は心配ですし、今ほどフリーランスに風向けがいいというか、フィーチャーされてるわけでもなかったから、選ばれた人だけがやってるみたいな、そういう印象もありましたね。
そうですよね。すごい腕で本当に名前だけで食っていけるような人たちがたくさんいて、逆に言うと誰でもやれる感じの空気感ではなかったというか、そういう時代だったかもしれないですよね、当時はね。
そうですね。それがやっぱりかっこよくて、いいなって。
そうですよね。なんか、俺も一応ウェブ業界の人間ではなかったですけど、ブログ全盛期みたいなのは一応肌で同じぐらいの世代なんで、同じものを多分見てきていて、当時は今でいうXとかみたいなものはなかったけども、確かにブログのコメント欄とかでみんなコミュニケーションしてましたよね。
してました。
確かにな。それなんか俺も覚えてるというか、そういう時期あったなってちょっと懐かしく思うけど。
でもやっぱ、東京に勉強会集中してる時代でもあると思うんで、なんか難しそうですよね、そこら辺は、コミュニティ作ったりするのは。
そうですね。ただ一度知り合ってしまうと、その方たちからまたいろんなジバの情報が入ってくるようになったので、福岡でも結構老舗のコミュニティとか勉強会とかウェブ系でも何個かあって、結構な人数がしかも集まってるっていうのも耳にしたことがあって。
自分がやっぱり知らなかっただけなんだなとか、探しきれてなかったなっていうところすごくあったんですけど、しっかりそこにグッと入っていくと知り合えたりとか、その存在が身に入るようになるとか、そういったところがあるなと思いましたね。
なるほどな、なるほど。
そういう流れで、そのまま独立に至るっていう感じですか、そのまま。
そうですね、ちょっと悶々とした時期がちょっとあったんですけど、会社員やりながら、フリーランスいいな、いいな、どうしよう、でもなかなか勇気も出ないな、みたいなのも当然ありましたし。
独立したのが29の時だったかな。
なので帰ってきて、2、3年は会社にちゃんと貢献したっていうか、行かせてもらったっていう恩義もあるし、そこにしっかり恩返ししたいなっていうところがあったんですけど、3年ぐらいにしたときに、もう辞めて30になる前に独立したい。
っていうのがあったので、キリもいいっていうところもあって、会社に正式に辞めますっていうことを伝えて、フリーランスとしてやっていくっていうふうになりましたね。
法人化の決断
フリーランスで独立してからは割と順風満帆というか、いろんなことももちろんあったと思うんですけど、そんな浮き沈みなくやってこられたような感じなんですか。
これは言える範囲でもちろん全然構わないですけど。
そうですね、フリーランスいきなりなったっていうよりは、実はちょっとオフレコというか会社員やりながらちょっとだけフリーランスしてたんですよね。
今でいう副業みたいな形ですね。
副業は当然ダメなので、ちょっと見つかって怒られたこともありましたし、反省文とか書かされたり。
どうするんだお前は、みたいな呼び出されてですね。
どのくらい副業してたのかとか、いろいろ諮問委員会じゃないですけどあって、めっちゃ偉い人たちに怒られたんですけど、すいませんって謝って。
なので、ちょっとだけ仕事してたっていうのもあるから、全くゼロからってことはなかったんですけど。
でも、全職のお客さんとか仕事をフリーランスになって受けるってことは一切本当にやってなくて、
全く持ち出しゼロでフリーランスになってから、ご依頼いただく内容をひたすらこなしていったっていう感じなんですけど。
それすごいですね。なんか事前にブランディングみたいなのできてたわけじゃないのに、割と仕事がちゃんとあったってすごいですね。
そうですね。最初はやっぱり東京の人たちからお衆議仕事で、下村くん独立するんだって、みたいなこととか、こちらからご連絡したりとかもあるんですけれども、挨拶で。
フラッシュ案件でこういう実装あるからちょっと手伝ってって言われることが最初は多くて、それを最初の独立して半年ぐらいはやってたっていう感じですね。
なるほど、そうか。フラッシュで人手が全然足りてないみたいな感じのとこもあったから、ちょっと俺はわかんないですけど。
そうなんですよね。フラッシュやってる人たちはたくさんいらっしゃったんですけど、当時もですね。ただそれ以上に仕事がたくさんあって。
そうですよね。
自分の身の丈にあったレベルのフラッシュ案件とかをお手伝いさせてもらってたっていう感じなんですけど。
なるほど、じゃあもうそっからはずっとウェブに関わってきてるって感じですか。
そうです。ずっとウェブです。
すごいな、なるほど。
じゃあフリーランスの期間を経て、最終的には起業されると思うんですけど、結構フリーランスの時期も長かったんですか、期間的には。
フリーランスは多分7年ぐらいやったんだろうな。
そうですよね。起業して6年目とかってことは。
そうですね。
フリーランスの時期の方がやや長いぐらいの感じなのかな。
そうですね、まだ長いですね、フリーランスの方が。
なるほど、そこで起業に至るとこにもまたドラマがあったんですか。どういう行き立ちがあったのか知ってわかんないですけど。
そうですね、7年ぐらいやってると他の方もそういう判断する機会って多分あるんじゃないかなと思うんですけど、
法人にするかフリーランスをこのまま続けるかみたいなのって、7年限らずか2年目3年目とかでも早い方はあるかもしれないんですけど、
一度は絶対考えますよね、この先どうしようかなみたいなことです。
あると思います。
収入の面もそうですし、自分のブランディング的にもどうしようかなとか。
僕の場合はフリーランスやってたときにシェアオフィスにずっと入ってたんですけど、
そのシェアオフィスの中で一緒にお仕事よく知ったフリーランスのウェブのデザイナーさんがいて、
その方と2人で1人アルバイトを雇ってたんですよ、接班で。
このままの仕事を手伝ってもらったりとか、ちょっとした雑務とかをやってもらうのに、
アシスタントが欲しいねってなって、一緒にやる仕事も結構多かったので、
じゃあ一緒に1人雇いましょうよみたいな話になったときに、
ちょうどアルバイトに来てくれてた子が、今も会社にいて頑張ってくれてるんですけども、
一緒に雇うことになって、仕事をいろいろやってたんですよね。
その子が、今僕も先生、講師やってるんですけども、
福岡デザイン専門学校という専門学校の卒業生で、
卒業後にまだ進路が決まってないということで、
バイトで来てみたら、インターネットの方に声をかけて来てもらったんですけど、
その子がすごい良くて、勤も当然合うし、すごい仕事もできて、
部分未経験だったんですけど、一緒に教えながら勉強しますということで、
ついてきてくれて、その子と1年ぐらい一緒にバイトというか、
手伝ってもらうという形でやってて、2人目を雇うというタイミングが出てくるんですよ、その先に。
そこも福岡デザイン専門学校の僕が教えてた子だったんですけど、
そのあたりから人を雇うということが、すごく責任感も含めて大きな要素になってきて、
このままフリーランスで人を雇い続けられるのか、みたいなところに気持ちが行って、
2人目の子を本格的に正式に雇い入れるとなったときに、
フリーランスのままだとちょっとダメだと思って、
その子の親御さんとかを想像したときに、専門学校を卒業して、
あんた就職どうするのって自分の子供に話したときに、
フリーランスの先生のところに行こうかと思ってるみたいな話をしたとしたら、
絶対親としては大丈夫ってなりますよね。
法人というか会社じゃないの?みたいな。
フリーランスってどういうこと?みたいな。
注入安定してなさそうだなとか、大丈夫かなっていうのはやっぱり思いますから、
これは容易に想像もできることですので、申し訳ないなっていうのと、
やっぱり人を雇って一緒に仕事していくのであれば、
しっかりした体制を作る必要があるなってところで、
これはフリーランスを続けるかどうかじゃなくても、
法人にするしかない、みたいなことで。
一緒に仕事をしたいなと思った子たちと、
長く仕事をするにはどうしたらいいかみたいなことを考えて、
それがやっぱり決定題になって、
この子たちと一緒に仕事をちょっとやりたいなっていう思いがあったので、
法人に早くしたほうがいいなと思って、それで決断しましたね。
そっか、なるほどな。
なんか結構ちょっと違う話が若干入ってきちゃうんですけど、
私、その御社の2人がやられている5のB面ラジオっていう、
ポッドキャスト番組というか、
Xのスペースの録音をそのままポッドキャストとしても聞けるようにしてくださってる形だと思うんですけど、
法人としての信頼
あれのアーカイブを実はちょっと聞いてて、
ありがとうございます。
そういうような話もたぶんされてた回があったと思うんですけど、
経営者目線でお話聞くとやっぱりちょっとまた違って聞こえるなというか、
確かになって思います。
私も一応法人の代表ではあるんですけど、
私は別にフリーランスの頃も今もずっと定期的に毎月お支払いする形の契約で誰かと雇うみたいな形のことって一切してこなかったし、
コスト的にも大変だし精神的にも大変なイメージがあるんで、ずっと私は一人でやってきちゃったんですけど、
とはいえでも、たぶん誰かもし雇わなきゃなってなったら、きっとたぶん同じこと考えるし、
やっぱり法人、お父さんお母さんは絶対安心しますよ。
わかりやすく一つクリアできると思ったんですよね。
法人にするっていうだけで、
信用とか信頼とかも含めてだし、
本気度も違うのかなと思うんですよね。
こっちの本気度がちゃんと伝わるっていうか。
間違いないですね。なんかしらべさんとかがその登場人物の中にいらっしゃるんですよね。
そうですね。しらべ君が僕が最初に雇った子で、
やっぱりしらべ君がすごく良かったんですよ。
一緒にやってて楽しいし、すごく合ってたんですよ、相性的にも。
やっぱり人を雇うっていうか、
その子と一緒に長い時間過ごすとか、一緒にご飯食べるとか、
一緒に徹夜するみたいなことも当時はやってましたけど、
なんかそれがやりたいなと思える子とそうじゃない子がやっぱりいると思うんですよね。
人材の拡大と価値観の分裂
僕だけじゃなくて、相手の方もこの人についていくのちょっとっていうパターンもあるでしょうし、
もちろんあり得ますよね。
大変そうだから助けてあげたいみたいな気持ちも多分あると思うんですよね。
お互いがそうなってるなら、やっぱり相性がいいってことだと思うんですけど、
縁があってですね。
それは長く続けたいなって思うんですよね。
なるほどなあ、なるほどなあ。
いやなんか、これ本当は下村さんを悪く言うつもりで言うんじゃないんですけど、
B面ラジオ聞いてると、下村さんって実行マン実行マンって言われてて、
で、なんか俺その実行マンっていうあだ名とかも、
素直に受け止めると、めっちゃガツガツ明るくいつも元気いっぱいみたいな感じのキャラなのかなって俺思ってたし、
そのXとか、SNSの顔写真のアイコンとか拝見しても、
なんかこの人多分太陽系の人だな、
すごい明るいバーって周りを照らしてくるタイプの明るい人なのかなって思ってたんですけど、
なんか今日話してるとなんか、別にそこまでドバーって明るいオーラが出てる感じでもなくて、
なんか優しいお兄さんというか、
たぶんしらべさんから見ると本当にちょっと年の離れた兄弟じゃないけど、
そういう温度感で接することができたんでしょうね、きっとね、たぶん。
これ想像ですけど。
そうですね。あんまり本人からそういう直接的なことはなかなか恥ずかしさもあって聞けなかったりとか言わなかったりもあるんですけど、
でも本当にずっとついてきてくれて一緒にやれてるってところが、僕も自信になりましたね。
めっちゃいいな、なるほど。
結構、最近だと割と人材募集的なこととかも結構やられてると思うんですけど、
少数制でやってきたけど、やっぱり事業の拡大に伴ってやっぱり人が足りない状況が生まれつつあるみたいな感じなんですか、今って。
そうですね。今、メンバーでいくと僕入れて7人なんですけど、
10人以上の規模に早く持っていきたいっていうのは目標としてはあります。
なんで人を増やしたいのかっていうところなんですけど、
体制を大きくしたいっていうことよりも、今の社内のメンバーの分裂っていうか、
いろんな価値観がある中での分裂みたいなのを期待していて、
今だとまだですね、一枚岩になりやすい人数と規模感なので、一枚岩なんですよ。
いい意味でいくとちゃんとまとまれてるし、同じ方向向いて一緒に頑張ろうってできるんですよね。
ただ、その状態を一番ベストとするのではなくて、
もっと別の考えでいくと、こっちの考え方でいくと作るものこう変わるよねとか、
こうした方がいいんじゃないみたいなことを言って、
選択肢を増やすような提案だったりとか考えだったりとか、
そういうことを選択できるようになりたいっていうのがあって。
なるほど。
そのためにはですね、物理的に人数が少ないんですよ、今の人数だと。
全く違う考えで認め合わなくなると、それで分断になってしまって、
もう別れちゃうと思うんですけど、同じ目標だったりとか価値観に対して、
右のほうから攻めようと左側のほうから攻めようみたいな方法を分裂していって、
自由を無人にできるみたいなので、結構理想的だなと思ってるんですね、僕の中で。
それを議論したりとか、今回でいくとこっちのほうがいいねみたいな話をどんどんしていきたいんですけど、
今だと分裂するにも分裂しきれないんですよね。
はい、なるほど。
なので、とりあえず10人目指すんですけど、もうちょっと本当は増やしたくて、
社内に割と3チームぐらいあるような状態が理想的かなと思ってるんですね、今見えてる中では。
そこまでいって、じゃあ俺らって何作るんだっけとか何が目的なんだっけみたいなところに向き合っていきたいなっていうところがあって。
選択肢の重要性とリニューアル
面白いな、なんか面白いですね。今の話めっちゃ面白いな。
多分そういうふうにお考えになられる、下村さんなりの理由が多分あって、
そういうことって結構社内でシェアしたりしてるんですか、それとも今この場だからとっさに喋ってくれた感じなのか、どういうイメージなんですか。
めちゃくちゃ喋ってるかというとそうでもないですけど、全く喋ってないってことはなくて、
人を増やそうっていうのをちょうど1年前ぐらいから明文化して社内のみんなにも伝えてるんですけど、
なんで増やすかみたいな話は当然共有してますし、増やしてどうしたらいいのかみたいなところも共有はできてますね。
なるほど、いやすっごい面白いな、なんかいいっすね。
あえてそもそも選択肢が生まれない状況が良くないっていうことですよね、きっと。
そうですね。
要約すると一言で言うなら。
そういう発想に至ったプロセスがすごい気になりますね。
そのこと自体は、なるほどな、確かにそういう側面もあるなってすごい納得はできるんですけど、
企業をしてから5年6年という期間の中で、今なぜその決断に、そういうことをやっていかなきゃっていうふうになったのか、
その過程がすごい気になりますね。
思いの過程というか、なぜそう考えたのかみたいなところが。
そもそも答えが一つと誰が決めたみたいなところの考え方があって、
うちもサイトとかにも載せてるんですけど、最適解を探す、求めていくみたいなことは文字として、文言として載せてるんですけども、
最適解って一つじゃないって思ってるんですよ。
なるほど。
例えばこのAさんの会社の、今のこの2020年の状況だと最適なものでこうじゃないですかっていうのがあるかもしれないけれども、
それがじゃあ来年だったらどうなるかっていうのはまた変わるじゃないですか。
はい。
で、何か正解が一つだけって定義しちゃうと、結構辛さと無理さがどんどん出てくるなってところがあるんですけど、
何かその時その時で答えがどんどん変わって、変数みたいな感じで、定数じゃなくて変数っていうんですかね。
何かそういう考え方のほうが、何かたくさんいろいろ考えれるなっていう。
何かそれをすることによって、何かお客さんともっと深い話がいろいろできるなとか、
社内の中でも可能性の話とか、いろんな手が打てるんじゃないかとか、選択肢がやっぱり増えるほうが、何かお客さんに似合う答えを見つけやすいよなっていうのがあるんですよね。
なるほどな。いや難しいな。何かこの話めっちゃ面白いんだけど、うまく広げられないっていうか。
もちろんその、この議論っていうかこの話題自体も多分答えって一つじゃなくて、何かその人により組織によりチームによりいろんな正解が多分あってよくて。
例えば何か、例えば何だろうな、何か地蔵さんとか地蔵デザインさんとかの場合だったら、
もうみんなで集まるイベント参加したくない人は別に参加しなくてもいいじゃないみたいな。
そこはもう開き直ってるというか、割り切って個々を尊重しながらみんなで楽しくやってる。
で、それは多分地蔵さんの中のカルチャーとしては全然正解というか成り立ってて。
でも多分そうじゃなくて、みんなで家族のようにみんなで協力してやることが自分たちの正解っていう組織もきっとあって。
で、何かそういう中で今下村さんが目指してるところってあんまり何か聞いたことないというか、
結果そういうふうになっちゃってるというか、なってる会社さん他にもあるのかもしれないですけど、
あんまり何か聞いたことないなーっていう感じがして、すごい面白いですね。
おっしゃってることはすごいわかります。
だからなんか、すごいみんなが同じ方向を向いてガッてやることのエネルギーっていうのももちろんあるんでしょうけど、
ただもっとこうじゃない、もっとこうじゃないって、何か同じゴールに向かって道はたくさん無数に伸びてるというか、
そこを探していくイメージですよね。
そうですね。何やっても正解だと思っていて、何か一つだけじゃないって考えると、
あの手この手がいろいろ考えられるなって思うんですけど、
何かそこに結構感情みたいなあやふやなものの要素が結構重要で、
仕事の場合に行くと、例えばウェブサイトをリニューアルしたいですってお客さんが言われて、
そこのコーポレートサイトをどういうふうにリニューアルしていくかみたいな話をされるときに、
当然ヒアリングしたりとかいろいろするじゃないですか。
そこの会社さんと散々いろいろ話した中で、何かこの会社ってどうなったらこのリニューアルが成功って思うんだろうなとか、
ただ変わることが目的ではなくて、変わった後にどういう現象が起こったら、
効果が得られたら満足ですかっていうことは必ず聞くようにしてるんですよね。
そうしないとそのリニューアルの目的が何なのかっていうのはブレてきちゃってよく分からなくなるんですよね。
サイトは変わってとにかく確かに新しくなったけど、何か違うみたいなことってあるんですよね、言われることがですね。
それはやっぱり目的が多分ずれちゃってて、リニューアルすることが目的になってしまってるパターンだと思うんですよね。
ただリニューアル後に何を得たかったのかみたいなところをしっかり話がしたかないと、
サイトが変わったけど別に良さのサイトでも良かったんじゃないかとか、
ロゴだけすり替えたら他社になっちゃうみたいなことがないかっていうのは、僕たちもすごく注意しながら作るんですよね。
なので、相手に対して選択肢を何個も持つみたいなところを結構意識して話をしてるんですけども、
一緒に似合うものが何なのかを探していったりとか、
これじゃなかったんですね、これじゃなかったらどうしましょうかみたいな、
こっちですかねみたいな話とかをどんどんつなげていきたいなと思うんですよね。
なるほどな。
なるほど、なんかすごいちょっと分かってきました。
結構私とかはシェーダーとか書いたりして、
ウェブ上の割とグラフィカルなものとかを作るような仕事をしていることが多いんですけど、
そういう仕事も持っている引き出しの数がすごい大事で、
大量に引き出し持っていれば、これとこれを開けてこれとこれを組み合わせれば、
多分お客さんが言っている作りたいものになるなとかっていうのが、
その引き出しの数の多さで結構できるかできないかが分かれてくるような感じがあって、
やっぱりその、今本当に下村さんがおっしゃった通りのことを繰り返すようになっちゃいますけど、
そのお客さんが本当にしたいことって何だっけっていうのをいろんな角度から考えて、
いろんな引き出しの要素から持ってきて、
これがベストなんじゃないかっていうことをいろんな選択肢の中から多分チョイスしていく。
そのチョイスする作業はこっちが主導権を握るだけじゃなくて、
お客さんにも話を聞きながら見せながらやっていくような、そんなイメージですよね、きっと。
なので、これが正解です、あなたの会社のリニューアルはこうです、みたいなことで当たってればそれはすごいことなんですけど、
そこよりも一緒に悩んで、一緒にどうしようかなみたいなことを話しながら、
ビジネスの挑戦
一緒に右往左往するところまで一緒に含めてやりたいっていうのもあって、探り合ってたいんですよね。
リニューアルって一つの手法なんですけど、どうやったほうがよかったのかな、みたいな。
結局答え合わせなんてできないから、作ったものが最終的にはアウトプットになるんですけど。
そっか、なるほどな。だから出ちゃった後じゃもう出る前に選択肢をたくさん取りたいからこそ、
社内にたくさん人がいてほしいっていう、そういうフェーズってことですね。
そういうフェーズです、おっしゃる通りですね。
なるほど、面白いですね。
チャレンジしてる最中っていうのと、人はなかなか増えないんですね。
そうですね。難しいですよね。
本当に人は運ですよね。本当にそう思います。
そうですね。
法人にするときにもっと簡単に増えると思ってました。
そうですね。
もっとどんどん成長するんだろうなって勝手にめちゃくちゃ無責任に思ってましたけど、
人はかなり意図的に決断していろいろしていかないと、人は集まらないし、
放っておいても増えないっていうところはすごく反省と、
自分に足りないものがいろいろあるっていうのを突きつけられた感じもありますね。
情報の価値
分かります。分かりますっていうのはちょっと語弊があるんですけど、
やっぱり成功している組織を見ると、やっぱ入りたいなって思うような情報をちゃんと出してるというか、
憧れの対象になるように自分たちをちゃんとブランディングしたり、
それだけの実績を公開したりっていうことを地道にちゃんとやってますよね。
そうですね。
ちゃんとやってて、だからこそ優秀な人たちが集まってくるし、だからこそどんどん事業が大きくなっていくしっていう、
必ずしも大きくなることがそのままイコールいいことではない場合もあると思うんですけど、
ただやっぱ成長していく組織とか、よく名前聞くなっていうような組織って、
やっぱちゃんと自分たちのやってることを戦略的に出しているというか、
そういうのはあるんだろうなっていうのは思いますね。
イベントを例えば主催してとか協賛してとかしてみたりとか、
代表だったりチーフだったりが外のイベントで話をしたりとか、
やっぱそういう小さいことなんですけど一個一個は。
でもそういうことをやっていくことがいろんな巡り巡って、
その会社の認知につながっていくというか、
そういうのやっぱあるなって思うし、
だからB面ラジオ俺すごいいいなって思って聞いてますけどね。
ありがとうございます。
やっぱり選ばれる理由っていうのをしっかり作ってる会社こそ本当に選ばれてるなっていうか、
人も集まるし仕事も集まるし、
お客さんもここの会社にお願いしたい作ってほしいって思うと思うんですよね。
やっぱそれを意図的にかなり頑張ってしっかり作らないと、
作り込まないとやっぱ選ばれる理由にはならないんだなって、
なんとなくやってても理由にはならないんだっていうところをかなり実感してるっていうところがありますね。
難しいですね。難しいだろうなって思いますけど。
足りないんだって思いますね、まだまだ。もっとやらねばっていう。
そうですね。面白いって言っちゃいけないのかもしれないけど、
面白いというか、そういう苦しみがあるっていうことは話としてすごい面白いなと思ってて。
なるほどな。だから本当にやっぱり御社もあれなんですね。
まだまだいろいろやっていくぞっていう感じの時期ってことですね。
そうなんです。全然完成された会社ではなくて、まだまだ未完成で、
今からどんどんどんどんやっていかないとっていう感じはありますね。
すごいっすね。
いや多分設立、多分俺の法人も今7期目とかなんで大体同じぐらいなんですけど、
でも俺ずっと一人でのんきにやってるだけだから、大変さのレベルが違うなと思ってすごいなって思っちゃいますけどね。
なんかドクターズさんはもう人を雇うつもりはないっていうお話は何度かされてると思うんですけど、
なんかずっとそんな感じですか?途中考えたこともあったんですか?
いやないですね。ないっす。
なんか俺一人でやれる範囲の仕事しか多分できないと思うんですよ。
でなんかこう、例えばなんだろうな、なんか地域貢献、社会貢献だったり、
世の中を良くしていくみたいなこととか、他者に対してモチベーションが向いている動機があれば、
その場合によっては人を雇わなきゃいけないステージに来たんだなとかっていうことを受け入れられると思うんですけど、
自然にそういう選択を取れるようになっていくと思うんですけど、
俺結構なんか自分に向いてるから、ベクトルが。
すっごい狭いことしか考えてないんですよ、割と。
だからなんかあんまりこう、ガンガン人雇って大きくしてみたいなことよりは、
自分ができることの範囲に収まってることが嬉しくなっちゃって、
あんまり人雇ったりとかできないですね。
なんかやっぱり自分で全部コントロールしたくなる。
だから弱虫なんだと思うんですよ。
自分で全部やりたくなっちゃう欲に勝てない。勝てないですね。
弱虫ではないと思いますけど、なんかそこらは素直にそこの気持ちがやっぱり一番自分の中で大事なんだろうなっていう感じがしますね。
そうですね。雇えないことはたぶんないです。
雇えないことはないんですけど、やっぱできないな。できないっすね。
自分がかわいいというか、自分が一番の状態を崩したくないというか、
すごいわがままなんじゃないかなって思っちゃうんですけど、自分では。
ただなんかその代わり反面WebGLスクールみたいな、
ああいう活動があるおかげで他社との接点が生まれ、
仕事以外の他社との接点が生まれたりしてるんで、
それでバランス取れちゃってるっていうのもあるかもしれないですよね。
なるほど。
スクール関係のお仕事でいくと、僕も専門学校でWebを教えてたりもするので、
教える立場同士ということで、ちょっとお話聞きたいなと思ってたんですけど。
いいですね。
ドクサスさんってもう教えてる年数でいくとどのくらいになるんですか?
今年やったWebGLスクールが11期目だったんです。
11期。
だから最低でも11年ぐらいはWebGLを教えるという活動はしているって感じですよね。
なるほど。
変わってきてますか?年々教えることとか。
授業の内容は。
授業の内容は全然違いますね、最初と今では。
ちょっとずつ変えてってるっていうのもあるし、
やっぱり最初の1,2年は自分でもいろいろな誤りがあったというか、
多分そこをみんなが求めてたわけじゃないところにリソースを割きすぎてしまってたとか、
そういうことはやってくうちに見えてくる部分はあって、日々変えていったっていう感じではあると思うんですけど、
ただなんかやっぱWebGLスクールに関しては一番思うのは、こんなに続くと思ってなかったなっていうのが一番大きいですかね、個人の感想というか思い入れでいうと。
なんかWebGLあっという間に飽きられちゃうというか、誰も使わなくなっちゃうかなって思ってたから、
自分はすごい好きだけど、やってみた感じ難しすぎるし、すぐにこうされていっちゃうんじゃないかなって心のどっかで思ってたんですよね。
だからまあ難しいからスクールをやってるわけなんですけど、でもどっかで難しいからやっぱ無理なんじゃないかなっていう感覚があったんですよね、なんとなく自分の中に。
ただやっぱなんか今になって思うと、年々需要が増えていって10年ぐらいやっぱ経ってるって感じなんで、実は今なのかもなってそのWebGLの再生期って今なのかもなっていう感じもします。
そうですね、温まってきた感じはありますよね。
そうですね、そうですね。そういう感じはあるかな。
じゃあ生徒の数も年々増えてるっていうことなんですか?
たぶんグラフにしたら右肩上がりだったと思うんですけど、ただ今たぶんもうてっぺんに着いたかなっていう感じがしますね。
これ以上は伸びなさそう、もうこれぐらいがマックスでずっと推移するんじゃないかなっていう感じはします。
なんかこうやっぱりWebGLが話題に上りまくってるタイミングにスクールが重なるとっていうのもあるんですよね。
なんかこうWebGL使ったこんな案件がすっごいバズってるみたいな状況だとやっぱりWebGLスクールの需要も伸びると思うんですよ、瞬間的に。
そうですよね、そうですよね。
そういう若干の触れ幅はたぶんあって、そういうのも踏まえてたぶん今がマックスぐらいまで来てるんじゃないかなって思うんですけど、
ただなんかやっぱ肯定差ありますね、結構。
でもどうだろう、たぶん全体で見たら上がってってると思うんですけどね、右肩上がりな感じ。
そうですよね、なんかWebGLスクールで課題だったりとか皆さん作ったものをちょっとツイッターに出したりとかされてますっていうね、
なんかああいうの見る機会も増えてるし年々。
そこでデモで作られてるもののクオリティとか表現みたいなのがより複雑化されていっていて、
やっぱレベルが11年もやってると当然ですけど、スクール全体のレベルが底上げされてるんだろうなっていうのと。
それはもしかしたらあるかもしれないですね。
だからなんかもう1回ある程度自分でやるだけやってみて、なんか初級から中級のぐらいまでは行ったけど、
もう一歩上行くにはどうしたらいいかわかんないみたいな感じの方が最近多分多いんだと思うんですよ、割合が。
学び直し生みたいな感じですよね、おそらく。
そうですそうです。だからこうなんか全く何も知らない状態から初めてWebGLっていう人もちろん中にはいらっしゃるんですけど、
割合としてはそういう方よりはどちらかというと、とりあえず一旦本読んでやってみたりとかはしていて、
でもやっぱもうちょっと目指したいなっていう人が受けてくれてたりとかすると、
多分そういう人たちが作る課題の成果って多分めっちゃいいものができやすいから、
そういうのが多分SNSでみんなが目にしやすいのかなと思いますけどね。
授業されてて僕一個聞きたかったのが、生徒さんのスキルのばらつきって当然あると思うんですよね。
もう全く触ったことないっていう人から結構案件で何個かやりましたって方から、
教育と成長
どんな方がいらっしゃるのかなと思うんですけど、その中で授業していくって結構難しいじゃないですか。
難しいですね。
よく言うのがどのレベルに合わせるのかみたいな、下の子をふくい上げるような形で進行するのか、
物足りないって言ってる強者たちに向けてバシバシやっていくのかみたいなところがあると思うんですけど、
方針みたいなのってあるんですか。
難しい質問ですね。
方針みたいなのはあるようなないような感じで、
本当に下村さんがおっしゃる通りで、ばらつきがすごいんですよ。
特にWebGLってどちらかというと専門知識を要するやつなんで、
ちょっとかじってるだけでもすっごいアドバンテージが大きかったりするんですよね。
なので本当にばらつきは特に多いと思うんですけど、
とはいえ、別立てのカリキュラムにして、
例えば中級者以上向けのWebGLスクールみたいなふうに、
全く別の道筋をもう一個作るほどの規模ではないから、
どうしても一つのカリキュラムの中で、
そういうばらつきのある中でうまくやっていくしかないのかなっていう感じがあって。
基本は私は下に合わせるというか、できない人の視点から始めるのが基本で、
じゃあちょっとわかってる人たちはそれじゃあちょっと物足りないなってなると思うんですよ。
知ってることしか出てこないやんってなると思うんで、
そこはどうやってカバーしてるかで言うと、
その配信の中で雑談で答えていくことによって、
本来のカリキュラム以上の内容になるようにしてる節はありません。
喋ってることは基本の基本で、
本当に初心者、初学者向けのことを喋ってるんだけども、
ちょっとやっぱりわかってる人たちは質問の質も違うんです。
今の話ってちょっとこれ、今ちょっと話題から離れちゃうかもしれないですけど、
今の話ってもしかしてこういうことなんですかみたいな、
ちょっと中級者以上の人だからこその質問とかが出てきたときに、
そこでがっつり答えちゃいますね、俺の場合は。
だからその上級者中級者の人たちが一緒に見てて退屈にならないように、
今からする説明は、
もしかすると今日初めてWebGLやってる人たちには全くちんぷんかんぷんかもしれないけど、
教育現場の実行と準備
せっかく質問してくれた方がいるんで今から説明しますってバーって説明したりするんですよね。
多分そういう感じでうまく包括しているというか、
いろんなスキルセットの人たちが全員何かしら持って帰っていただけるようにしてるって感じかもしれないです。
個別の質問とかそこでしか聞けない話がドクターさんから直接応答をもらえるっていうのは、
それはやっぱり価値ですよね、中級者以上の方にも。
そうかなと思ってて、
要はチャットみたいな感じで配信聞きながらリアルタイムに質問できるっていう風にしてるんですけど、
それとは別にディスコードを使って、スラックみたいなチャットツールを使って、
スクールはもう無限サポート付きって毎年言ってるんですけど、
そのディスコードサーバーとか閉じたりしないんでずっと残ってるんですよね。
だから質問したければ未来英語をいつでも質問していいですよって言いながらやるんですけど、
だから何かこう、カリキュラムの内容自体で物足りないなってなっちゃう人も、
もう自分のステージに合わせた質問を投げかけてきてくれれば、
自分がわかることだったら答えますよっていう風にしていて、
そういう意味で何かうまくいってんのかもしれないし、
中にはね、何かそういうやり方気に食わんっていう人も中にいるのかもしれないんですけど、
私側から見てる感じでは、何か割とうまくいってんのかなっていう気はしてはいるんですけどね。
スクールだけじゃなくて、そういったサポートが充実してるっていうのとか、
いつでも聞けるとか、そういうのいいですね。
そうですね。やっぱみんな遠慮しちゃうっていうのはあると思うんですよ。
質問って結構難しいですからね。
自分が何がわかってないかっていうことをちゃんと整理して、
これがわかりませんって聞くのって、そもそも難しいですからね。
だから、何か今のってこういうことですかって質問が飛んできたら、
いったん講義が止まって、そっから答える時間に入っちゃったりとかすることもあるんですけど、
そういう意味ではね、すっごい何かぐずぐずになっちゃうこともあるんですよ。
時間が伸び伸びになっちゃって。
時間がね、足りなくなりますよね。
そうなんですよ。そういうことはあるんですけど、
でもそれしか今のところはないのかなと思ってるんですけどね。
例えば、めっちゃ受講料を高くしてマンツーマンでやるとかっていうやり方も、
選択肢としてはできなくはないんですけど、
やっぱそういうふうにするよりは、
比較的安い授業料で受けられることの価値のほうが高いかなって思ってるから。
なるべく、全くわからんぞっていう人たちに向けたカリキュラムをやりながらも、
できるだけ広い範囲をカバーできるような、そこはもう運用でカバーするというか、
っていう感じですね。
なんか私のやり方としては。
へー、なるほど、なるほど。
だからなんか専門学校とかの授業とはちょっと違うかもしれないですね、やっぱり。
そうですね。
僕の場合も、専門学校の先生たちにウェブを教えるってなったときに、
ウェブの授業って週に2日あって、そのうちの1日を僕が担当してるんですよね。
授業は4コマあって、朝の9時半から夕方の4時半まであるんですけど、
1日ウェブをじっくりやってもらうっていう形にしてるんですけど、
僕の授業の方ではどちらかというと、実装とかコーディングとか的な話を中心に
先生たちが教えてるんですよね。
なのでコードを書けるようになる、JSのコードが書いてあることを読めるようになる
みたいなところを重きを置いてるというか、CSSレイヤードを組めるようになるみたいな感じですね。
基本的なところを教えていってるんですけど、やっぱり本当はそこまでは当たり前で、
その習得した技術を使って何作るってところに本当は踏み込みたいんですよね。
はい、そうですね。
ただ、その基礎的なところを教えて、コードが分かるようになるとか、
組めるようになるっていうところまでで、だいたい終わっちゃうんですよね、そこで。
間に合わないというか、もう1年欲しいみたいなところはあって、
そこがちょっと悩んでるところもあって、どうしようかなみたいな感じなんですよね。
いや、分かるなあ、その感じ。
そうなんですよね、そこはどうしても実行者とか生徒さん頼みになっちゃうというか、
やりたいことがまずあって、そのためにウェブというものを道具として使おうとしてる人って、
技術だけ教えてあげれば勝手に作りたいものを作っていくんですけど、
実装の重要性
そうじゃないパターンの場合って、やっぱり教えたら教えただけになっちゃうというか、
いろいろ一通り教わったけど、でも何か作るって言っても何も思い浮かばないなあみたいな人たちは難しいですよね、本当に。
なので、一応私の中でWebGL Schoolとかで、
そういう同じような悩みの中でやってる対策というか、そういうことも踏まえてやってることで言うと、
毎回課題を出す。1回の講義が終わった後に、じゃあ今日こういうことをやったんで、こういうテクニックを使って何か作ってみてくださいみたいな課題を出すとか、
あとは今まさに募集している、年末にやってるGLSLのスクールっていうのもありまして、
こっちはシェーダーを中心に教えるような感じの内容で、ちょっとWebGL Schoolとは内容が違うんですけど、
そっちの方では発表会的なことをやるようにしていて、やっぱ作品作るっていうゴールを先に見せちゃう。
発表会やるからねって先に言っちゃって、
もうこれ作品作ってくださいねっていうゴールをこっちが先に指し示してあげて始める。
そうすると多分受けてる間も、何か作んなきゃいけないんだよなぁと思いながら聞いてると違うんじゃないかなと思って、
それでやるようにしてるんですけど、でもやっぱ全員が出せる感じではないですよ。
強制にはできないなと思ってて、
社会人向けのスクールっていう形なんで、
強制はやっぱ難しいかなって思っているので、強制にはしてないんですけど、
気持ちとしては絶対やれって思ってるんですけど、
そっちの方が得られる経験値がとんでもないから、絶対やったほうがいいぞって思ってはいるけど、
強制はやっぱできないから。
めっちゃやるべきだよっていうことだけ言います。
そのほうがいいよって。
やることに意味がありますからね。
やっぱり手を動かして作るってことは諦めないでほしいですよね。
そうですね。
難しいと思います。やっぱり時間が限られている中で、
教えて終わっちゃう、それ嫌だなってこっちが仮に講師側が思ったとしても、
やっぱり講師だけが解決できる問題じゃないから、
なるべく手は差し伸べるけども、掴み返してくれないと一緒にはできないですからね。
だからなんか、ディスコードとかでいつでも質問していいんですよとか、
なるべくたくさん手は差し伸べるんだけども、
それに答えてもらえるかどうかはやっぱり相手次第なんで、
人間関係の価値
そこはやっぱり難しいなとは思いますね。
なるほど。
でも、下村さんが講師をやられてるのは、
自分が卒業してるっていう縁があってみたいな感じなんですか、専門学校は。
専門学校さんは全然関係がなくて、僕も卒業生とかでも全くなく、
ただ、専門学校で先生をしてる上級の先生たちの中に
CR方が何名かいらっしゃって、
僕の前職の先生が退任されるタイミングで、
新しいウェブの先生を入れようということで探されてたみたいで、
たまたま僕のに声がかかったって感じなんですけど、
多分前の先生が結構年配の先生だったみたいで、
なので次入れるなら若い先生入れて、
新しいウェブの作り方とかそういうのを教えてもらおうみたいなことで、
わりと若手の先生を入れるっていうのは決まってたみたいなんですよね。
なるほど、じゃあ下村さんが教えることに興味があるとかっていうことが
スタートではないって感じなんですね。
そうですね、最初は教えることとか教育自体にそんなに興味があったりとか、
いつか教えたいみたいなことが起こしたんだと狙ってたみたいなこともなかったんですけど、
声がかかってから改めて人に教えるとか、
新しい若手を育成していくみたいなことがすごく大事だなっていうのは、
今は従順感じてるんですけど、
当時はなかなかそこの価値とかまだ見えだすじゃなくて、
でも面白そうだからやろうみたいなこととか、
若い子たち20歳前後なんですよね、専門学校なので。
そのくらいの世代の子たちと知り合えるタイミングっていうのが
フリーランスしててもなかなかなくて、
同世代かちょっと上の世代の先輩たちと知り合ったり、
つながりつくったりっていうのはかなりあったんですけど、
なかなか下の世代ってなるとあんまりなくて、
どこにいるんだろう、みんなみたいな。
若手のウェブのデザイナーとかエンジニアたちって
どこにいるんだろうなって思ってたんですけど、
でも学校に出会いになれば確かにつながれるなみたいなのがありましたね。
なるほど、本当そうなんですよね。
瀬ってない?
ないんですよ、普通に仕事してるとなかなかないんですよね。
本当にそうだよな。
そうやってやっぱりジェネレーションギャップって生まれていくんだなって思いますけど、
まさにまさに。
だから結構私もスクールの活動だったりとか、
あとはイベントを企画するときに巻き込むようにするというか、
違う世代の人たちを巻き込むようにするとか、
そうやって自分から取りに行かないと全然世代間ギャップって埋められないというか、
ふんわり過ごしてると気づかないうちにどんどん年取っていっちゃって、
周りに置いてかれてることに気づかないままっていうのもあるなって思うから、
いいっすよね。
じゃあ結果的にすごい良かったんですね、その講師をやられてるっていうのは。
そうですね、やってみてめちゃくちゃ良かったなと思ってますね、本当に。
それは出会い的なところもそうだし、リクルート的な意味もあるんですよね。
確かに確かに。
中の会社のメンバーって今半分以上が専門学校の卒業生で構成されてるので、
優秀な面白い子がいたら一番に出会えるというか話ができるというところが結構大きいんですよね。
それ以外にもたくさんいる、大人数で集まってワイワイするみたいなのが、
僕は昔からすごく好きで、親族で集まってご飯食べるとかそういうのも昔から大好きだったんですよね。
だから人がいるところに出会いするっていうのは、自分の心身の健康ともに良くて、
その中で新しい人と出会って話したりとか、一緒に仕事をしたりとか、
プライベートでご飯食べたり、山登ったりとか、そういうのがどんどんできるっていうのはすごく嬉しいことで、
そういう場に出ていける一つの場としても専門学校の中で出入りさせてもらって、
いろんな生徒たちと話ができたりとか、先生たちと話ができるっていうのもやっぱり面白いなと思いますね。
うーん、なるほどなあ、なるほど。
今日いろんな話聞いてきましたけど、やっぱり、
なんか下村さんは、そうっすね。
やっぱ人と人との間のそういうやりとり、大事なんだろうなってお話聞いてて思いました。
いやまだ、今はファイブさんはまだ少人数かもしれないけども、
やっぱり人と人が触れ合っていく中で起こっていくいろんな作用が下村さんにとっては大事なんだろうなって。
なんか俺とやっぱりちょっと違うというか、俺はそこをちょっと逆にシャットアウトしちゃうから。
分かるんすけどね、気持ちは、その人と何か、やっぱ自分一人では限界があるし、
なんかイベントとかやるといろんな人集まってきてくれたり、お話してくれたりすると、
すげえいいなって思ったりはするし、
たぶんそういう感情ゼロ、もし俺が仮にそれ感情ゼロだったら、こういうノーマライズFMとかもたぶんできないと思うんですよね。
なんか人との接点持ちたくないわけじゃないんですけど、
なんか仕事とかになると、いきなり壁バンって置いちゃうから。
うん、なんかそこを壁を作らずにやれてるのすごいなって思っちゃうなあ。
なるほどなあ。なんかこう、ちょっと急に唐突な質問になっちゃいますけど、
下村さんの中での最高のゴールは何なんですか?
それまだちょっとまだモヤモヤしてるのか、
それとも、俺はこういうふうなゴールがあって、そのための過程として今なんだっていう感じなのか?
組織作りの目的
最高のゴール、いや見つけられてないですね。
難しいですよね。
難しいですね。
まあ難しいです。なんか私もあるかって言われると、ないというか。
自分個人の内側でのすごい哲学的な感じの自分の中のゴールみたいなのは、
思いみたいなのは柱みたいなのはあるけども、
なんかその対外的な見え方としてこうなることがゴールみたいなのは、やっぱ私もうまく思い描けないというか。
うーん、なんかお金いっぱい稼げたらいいなあぐらいしか、
なんか対外的な見え方としてはそれぐらいしか思わないですけど。
そうですね。なんかゴールっていうところは全然見えてなくて、
多分変わっていくんだろうなあと思うんですよね。
一旦決めたとしても。
そうですね。
どんどん変わっていくだろうなあっていうのはあるんですけど。
でも今チーム作りとか組織作りみたいなところをすごく社内の中でもみんなで一生懸命やっていて。
で、なんかこのチームを継承していくみたいなことができれば一つゴールだなあと思うんですよ。
ああ、なるほど。
僕がずっとこれをやっていくっていうことはあんまり大事にはしてなくて、
うーん、今の社員のメンバーの誰かに引き継いでもらって、
これが続いていく、この僕らが大事にして今作っているものとか、
お客さんと一緒にやっていることを良しとして引き継いでもらって、
次もっと良くするみたいなことを一緒に考えてくれる人が現れたらいいなあっていう感じですかね。
実行マンの役割
うーん、なるほど。めっちゃいいっすね。
なんか検証していくみたいなところに憧れはちょっとありますね。
そうですね。
紡いでいくみたいな。
分かります。やっぱり教えている中でそういう感情も湧くことあるし。
そうですね。
やっぱりそうですよね。
そういう視点がないことがダメとか、あることが一番いいとかっていうことが言いたいわけじゃないんですけど、
ただその俗人的な感じじゃなくて、カルチャー自体が社会を回していくっていう状態に対する憧れはすごい分かりますね。
やっぱ誰かがいないと回らない。それはそれでダメではないし、
例えばすごいスーパースターみたいな人がいて、その人がとにかく人を驚かせるようなものを、
年をとってもどんどんどんどん新しく自分自身をアップデートしていくっていうことは、
すごいそれはそれで魅力があるし、見てて楽しいんですけど、
でもなんか組織がもう一つの生き物みたいにどんどん姿を変えながら成長していくって、
それはそれでなんかすごい夢あるというか。
そうですね。想像していない形に変化していくとか、
それは楽しみだな。
なんか本当やっぱ一貫してますよね。今はもっと人を増やして選択肢を増やしていきたいんだっていうのも、
なんかやっぱそこにつながってる感じしますもんね、今のお話に。
そうですね。
いやーなんかすごいっすね。同い年じゃないみたいな感じするわ。
いやいやいや、全然そんなことなくて、なんかいろいろあの手この手考えながらって感じなんですけど。
いやすごいな、だって本当実行マンって呼ばれてるのすごいと思いますよ、社内で。
本当にちゃんとやってるんだろうなっていう気がします。
なんか社内の人たちからそう呼ばれるって相当だぞって。
そうですね。なんかやりたいこととかもいくつか具体的にはあって、
なんかでも、なんていうんですかね。
だいぶ僕も考え方とかその伝え方っていうのは変えてきてるっていうところもあって変わらざるを得ない部分もあるんですけど、
なんか30代前半の時とかと多分今では伝え方とかも変わってるし、
喋ってる言葉自体も結構変わってるなと思うんですよね。
あんまり多分言わなくなってきてるってところも実感としてはあって。
前は喋る言葉とかなるべく言霊だと思ってるので、
なるべくできるかできないか置いといて言った方がいいし、伝えた方がいいし、
自分はこう思ってるみたいなことをどんどん言う方だったんですよね。
だからある種わかりやすさもあったと思うんですけど、
今言う責任みたいなこととか、今どういう言葉でどう伝えたらいいのかみたいなことを
いっぺんグッと飲み込むっていうか考えてから喋るっていう風に訓練してるというか
練習してるっていうところもあるので、
なんかあんまり喋らなくなったなっていう気持ちはちょっとあるんですよね。
言葉がポンポン出てこなかったりとか、うーんって悩みながらほろりとずつずつ出すみたいな感じなんですけど、
歯切れが弱い悪い喋り方をちょっとしてるみたいな。
なるほど。
ただそれを必要だと思ってやっていて、
どのタイミングで誰にどういう風に伝えたら一番理想的な伝わり方するかなとか、
一番改善ができるのかみたいなところでいくと、
何でもかんでも言えばいいってもんじゃないなっていうところが出てきてるので、
うーん、実行マンっていじられるの結構好きで、僕も聞きながら笑っちゃうんですよね。
準備の重要性
はいはいはい。
歩いて通勤してるんですけど、会社から言えば。
はい。
そのときにノーバラゼフもいろんなラジオとかポテキャスも聞いてるんですけど、
なんか不意に自分の話とかになるとちょっと笑っちゃいますよね、やっぱりね。
うーん。
そうですね。
でもなんかちょっと今お話伺ってて思ったんですけど、
下村さんが例えば今は自分はこうするべきなんじゃないかなみたいなふうに思って行動を変えていく。
そのきっかけとなるようなインプットっていうんですか、
例えば人によったら本を読むとか、人と話すとかいろいろ人によってあると思うんですけど、
その自分の考え方が変わっていく契機ってどういうインプットからそういう感情が生まれてくるんですか。
そうですね、僕本はほとんど読まなくて、雑誌とかはすごい好きで読んだりするんですけど、
小説だったりとか、
本みたいなものは、書籍みたいなものはほとんど読まなくて、読む癖もついてないし、
あんまり読もうっていうモチベーションにはならなかったりするんですよね。
文章を読むってことはほとんどしてきてないと思います。
じゃあなんでその思いが沸き上がって、何がきっかけになって思いが沸き上がってくるんですか。
そうですよね、なんだろうな。
他人を見てて感じるとかそういうことなんですかね。
例えばあとは家族、自分の家族とか環境が変わったことで考え方が影響を受けるとか、いろいろあると思うんですけど。
やっぱり人と話してる中でちょっとずつ影響と、
その人の考え方の一部を吸収してるというか、取り入れてるってところはあるのかなと思いますけど。
なんかすごいな。
インプットっていうインプットじゃないんですけど、頭の中でシビレーションを常にしてるみたいなのがずっとありますね。
そっかそっか、なるほど。
俺もあんまり啓発本的なものとかビジネス書みたいなの全然読まないですよ。
俺も全然読まないから、そこはねわかるんですけど。
でもだとしたら、今組織はこうしなきゃいけないなとか、
なんか今日いろいろな話聞いてきたのも、
なんかすっごいこう深く考えて行動されてるなっていうイメージが持ったので、今日の話聞いてて。
なんかそれって、そういう事故の成長みたいなのって一体どこから出てくるのかなと思ったんですけど。
なんか不思議ですね。
なんでしょうね。
割と僕を習ってきてないっていうか、自分の中で野良でやってきてるっていう自負あるんですよね。
例えば学校とか何かに習ったりとか、お師匠さんがいないみたいなところもあったり、
なんかこう自分の体感と野生の感だけでやってきてるっていう感じですね。
たぶん自分の中でバースサイクル多いかもしれないですよね。
そういう意味では。
自分の中でこうかなーかなーって考えてる時間が相対的に長い可能性はあるかもしれない。
ずっと考えてますね、確かに。
なるほど。
この言い方いいかどうかはちょっとわかんないですけど、
要は天才派だというか、周りから見るとナチュラルにできちゃってるように見えるけど、
自分自身の中ですっごいこう、実はサイクルを回していて、
努力はナチュラルにできちゃってて、周りはそれに気づかないけど、
常に努力し続けちゃってるタイプの人っていると思うんですけど、
なんかそういう感じなのかもしれないですね。
そういう感じなんですよね。
なんか天才派だみたいなのはほぼ言われたことないんですけど、
自分の中で何百回と人との会話のシミュレーションだったりとか、
例えば今日打ち合わせがありますとか、会社の中で定例があるので、
そこでみんなと何話そうかなとかっていう風になった時に、
あの子からこういう話題振られるかもなとか、こういう話になるかもとか、
自分がこういう喋ったら周りの人はどういう反応するかなみたいなのは、
なんかめちゃくちゃシミュレーションしてるかもですね。
それはナチュラルにやったら結構その通りに、
シミュレーションした通りの受け答えとか返答が来ると、
なんかスッとスムーズに対応できるとかはありますね。
なるほど。なんかちょっとわかった気がします。
俺も結構そんな感じだもんな。
なんかあの、やっぱ俺物流やってたっていうのも似てるなと思ったんですけど、
準備8割はマジでそうじゃないですか。
まさに段取りいい話。
マジでそうじゃないですか。
準備ミスったら全てが終わるっていうか、段取り8割で、
あとの2割は現場でどうにかするんですけど、
やっぱなんか何やるにしても準備満なんですよ。
準備満。いいですね、準備満。
めちゃくちゃ準備して、
そもそも自分が思い描いてる通りにまっすぐ進まないって思ってるから、
その絶対何か予期せぬことが起こる前提で、
前提で自分の余力を2割、3割確保した段取りを組むんですよ。
わかる、わかる。
そのリカバリーも含めて段取り。
そうです。
何事もなく終わったら終わったで、それはいいことだからいいんだけど、
何か起こっても大丈夫なように、
自分の力のバッファーをちゃんと取っといた状態で見積もっていくっていうか、
何事に対してもそうなんですよ。
例えばそれこそどっかに今日お出かけしますよとかっていうんだったら、
もうそれで起こりうるいろいろな想定を頭の中でめぐらしといて、
ただそれ別に周りには言わないけども、
事前に全部調べておくんですよ。
ここの道はここをこう行けばこういうふうに繋がっているとかっていうのは、
自分の頭の中にだけは入れておいて、
なんていうかひけらかしはしないけども、
自分はめっちゃ準備をしているっていう感じだから、
なんかわかる気がしますね。
わかります、わかります。
一通り考えておくみたいな、
使うかどうかわかんないけど、
一旦考えておくみたいなのは確かにありますね。
そう、だからスクールのカリキュラムとかもなるべく何回も考えて、
話す内容とかはあんまりイメージ固めすぎちゃうと逆に
応用効かなくなっちゃうので、
そこはどうにでも振る舞える程度に、
ただシミュレーションだけはたくさん回しておくみたいな感じで、
多分そういうところは何となくわかります。
すごく似てると思いました。
原稿とか用意しないんですね、
しゃべる原稿とかは。
それ用意しちゃうともう棒読みになっちゃって、
そのまましゃべるだけになっちゃうから、
面白くないですね、聞いている方も。
そうですね。
だから話す内容ざっくりだけ決めて、
あとはもう出たとこ勝負って感じで。
出たとこ勝負、そうですね。
出たとこ勝負できるぐらい回しておくんですよね、自分の中で。
そう、そう。
失敗のイメージもたくさんつけておいて。
わかる。
本当にそんな感じですね。
いや、わかりました、べっちゃ。
ありがとうございます、見つけていただいて。
なるほど、そっか。
そっか、だからまあ、そうっすね。
多分今本当にそうやっていろんなこと自分の中で考えながら、
周りのメンバーのことも考えながら、
そうやってファイブさんという組織がちょっとずつこう、
日々変化してってるんでしょうね、きっとね。
そうですね、ちょっとずつですけど、
変化はしててほしいし、したいなと思いますし。
いや、いいっすね。
事業継承と文化の重要性
なんかその、事業を継承するっていうことだけじゃなくて、
なんかそのカルチャーとかマインドとかいろんなものがやっぱりつながって、
どんどん先に進んでいくっていうそのビジョンがすごい見えました、今日。
本当ですか。
今、社内向けには、みんなと長く働くっていうところをキーワードにしてるんですよね。
あまり外に出してない言葉なんですけど、
社内向けには結構言っている言葉で、
みんなに丁寧迎えてほしいなって思うんですよね。
このチームのままでいうと。
それはめちゃくちゃでかい夢ですね、それ確かに。
よく職人肩木の世界とかだと、
見習いで入って修行して、すぐ独立して、
ずっとその場にいるやつはダメなやつだみたいな、
そういうのあるじゃないですか、陶芸だったりとか、
そういう職人の世界だと。
僕は逆に卒業しないでほしいと思っていて、
ずっとやろうよ、長くやったり、丁寧までやろうよみたいな。
そういう気持ちなんですよね。
難しいことはもちろんあるんでしょうけど、
感情としてそういう気持ちがあるっていうことは、
全然悪いことじゃないと思うし、
そういうメンバーに巡り合いたいっていう、
一番根っこの部分にはそういうメンバーに巡り合いたいという気持ちが
ずっとあるべきだと思うんで。
B面ラジオ聞いてても、
すごい組織の話とかしてくれてるし、
伝わってくる部分はあるんですけど、
代表の正村さんの目線ではこう思ってるとか、
こういうふうに見えてるっていうのが、
今日すごいいろいろ聞けたから。
ありがとうございます。
すごいいい回になったなって思ってます。
B面ラジオは読んでくれないんですよ、全然。
なんかでも読まなきゃっていう話してましたよね、この間も。
あれね、番組内だけで言ってる言葉で、
全然読んでくれないんですよね。
最初から出たいって言ってるんですけど、
まだちょっと、もうちょっと待ってください。
でも逆に俺は先に読んだろって思ったのはありました。
ありがとうございます。
B面ラジオに出るよりも先に一回ノーマライズFMで
話してもらおうかなっていうのをちょっと思って。
ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しい。
今日もですね、かなり長時間にわたって話してきまして、
世代が近いっていうのもあるし、
多分なんかちょっと似てるタイプなのかなっていうところも結構あったので、
なんか盛り上がってね、いっぱい喋っちゃったんですけども、
ずっと喋り続けるわけにはいかないので、
今日はこのあたりで一旦区切りたいと思います。
株式会社Viveのエンジニア募集
じゃあ下村さんの方からお知らせなどございましたら最後お願いします。
弊社株式会社Viveではですね、今絶賛エンジニアを募集しております。
外部のデザイナーさんや社内のデザイナーと
たくさんいろんなギミックに
演出にいろんなこだわったタイプを作ってますので、
ぜひそれを一緒にやれるエンジニアさんを募集してます。
その他にもオープンポジションということで、
募集してる職種がなかったとしても、
もし弊社に興味があったりとか、
自分のスキルを活かせそうってもし思えたらですね、
あっても構いませんので、ぜひサイトから問い合わせてください。
ぜひよろしくお願いします。
ありがとうございます。
ViveのB面ラジオもぜひ皆さん聞いていただけると、
社内の様子というか、
どんな人たちがどんな感じで仕事されてるのかとかね、
聞いてみるとわかると思うんで、
今日はでもちょっとまた違った側面からいろんな話ができたんじゃないかなと思うんで、
いや楽しかったです。
本当にあっという間なんだなと、
今までのゲストの方たちもおっしゃってましたけど。
いや本当にそうなんですよね。
なんか聞く、なんか例えば2時間聞かなきゃとかって思うと、
そんな長く聞けるかって思うんですけど、
喋る方は結構なんかあっという間ですよね。
そうですね、ちょっとまだ足りないですもんね。
いやなんか毎回本当そうなんですけどね。
いや今日も本当になんか、
すごい下村さんという人のこともよくわかったし、
なんか組織としてどういうところをやっぱり目指してるのかとか、
そういう部分もすごい聞けたんで、
本当にいい収録になったんじゃないかなと思いました。
じゃああとはいつものノーマライズFMのいつものお知らせですね。
ノーマライズFMではシャープノーマライズFMというハッシュタグで、
皆さまからのご意見ご感想などお待ちしております。
気軽に感想などつぶやいていただけると嬉しいです。
最近全然感想がいっぱいあるので、
ぜひ皆さんの感想をつぶやいていただけると嬉しいです。
じゃあ今日はこれで終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございました。
01:53:35

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