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2024-10-19 1:27:51

071. 【公開収録アーカイブ】 夜の部: Baku Hashimoto

WebGL 総本山 + normalize.fm あわせて13周年感謝祭で公開収録を行ったアーカイブです。

夜の部のゲストは @_baku89 さんです。

サマリー

このポッドキャストエピソードでは、橋本バクが自身の制作活動やノーマライズFMでの反響について話します。また、映像制作業界の課題やウェブデザインの表現についても述べます。今回のエピソードでは、コピーライティングやUXライティングの現状についての考察が展開され、WebGLにおけるクリエイティブな表現や文化についてのディスカッションがあります。橋本はウェブ技術とメディアの特異性について語り、特にWebGLの特性を探求することの重要性を強調します。また、ウェブアーティストやクリエイティブユニットについての考察も紹介されます。 このポッドキャストエピソードでは、ウェブ業界におけるインタラクティブメディアの変遷や技術の進化について話され、フラッシュ技術が消失した後のクリエイターたちの道筋に焦点が当てられます。著名なクリエイターの影響や個人のキャリアの進化についての議論も展開されています。 このエピソードでは、橋本が技術や作品への批評の重要性について触れ、深い体験を取り戻したいという願望を共有します。また、WebGLのキュレーションや作品に対する価値判断の必要性についても言及されています。ポッドキャストを通じて、自己の意見や批評の重要性、ウェブデザインの美学的側面について深掘りされるほか、デザイン界における批判や交流の場、マーケティングとの関連についても議論されます。 このエピソードでは、ウェブ広告の変遷やブランド構築の必要性について探求し、特に感性に訴える広告の重要性に焦点が当てられます。さらに、メディアアートとテクノロジーアートのアーカイブ問題とそれに伴う議論についても述べられます。

トークの準備
午前の部も午後の部もそうだったんですけど、別に何か事前に話そうって特に決めて、ここに臨んでいるわけではないので、何の話をしましょうかね。
さっき、ちょっと何の話をしないかだけ決めて。 あ、そうそうですね。
AI話絶対しないみたいな。 AIの話はまあ。
あと、写真の話ももういいかな。 そうですね、そうですね。
いや、それほんとその通りだと思います。 俺、ほっとくとすぐ写真の話するから。
僕、すぐAIの話しがちなんで。話しやすいのをちょっと一回封じてみて。 封じてみてね、なるほど。
ではその上で、なんか最近作ってるものの話とかですか?
いや、別にそれを今見せても、別にお仕事お見せしましょうかになっちゃうんで、何から話そうか全然わかんない。
何話しましょうかね。結構俺、先に言い訳しちゃうと、結構バクさんの言ってることを瞬時に理解できない時っていうのがあって。
そのポッドキャスト前回出ていただいた時の音源とか、3回ぐらい聞き返した時に、
ここって多分こういうこと聞いてたんだなって、なんか時間差で分かったりとかして、その場でパッとレスポンス返せないみたいなことが反省点としてあったんですよ、前回の収録の時に。
結構なんか僕自身そのウェブ業界の人ではない。完全にあの映像作家って肩書きでやらせてもらってるし、もうやってることも閉じ上げといて映像寄りなんで。
ノーマライズFMの反響
なんかお互いに結構わかんないジャーコンとか語彙を使い勝ちっていう。それがなんか、こう、芸人のクジラ的な意味ですごい好きなんです。伝わんないバスズリ、明治実践みたいななんか。
だからなんか全然逆に気にしないで、ジャーコンを使いまくってくれた方が僕は、なんか喰らって嬉しいみたいな。
そうか。結構俺はなんか、あのすごい前回のそのバクさん出てくれた収録は、俺結構好きでやっぱ自分でも何回か聞き直したりしてるんですけど。
なんかね、その一般市民代表みたいな感じで俺がいて、なんかすごいバクさんのそのいろんな話が身に染みて面白いなって思って、やっぱ何回も聞いちゃうんですけど。
なんか結構あんまりその普段ノーマライズFMとか聞いてくださらない僕の周りの友達とか知り合いが聞いてくださって、その流れで他の回を聞いてくれるっていう流れがあって。
それこそ先月ぐらいに出た中田拓真さんってメディアアーティストの方とか。
あと西尾雄太さんって漫画家さんの方に聞いていただいたりとか。
だからそういうなんか反響があったのは。
そうですね。結構反響ありましたよね、直後。公開した直後とか。
ノーマライズFM好きとして嬉しいです。
ノーマライズFMの中でも多分一番聞かれてんじゃないかなと思いますよ。3時間半もあんのに。
なんか結構ノーマライズFM前回出た後に、結局前回の話で主な中心的な話題って、
制作活動の現状
ウェブっていうものをいかにして工芸的な世界から、アートとまではいかないけれどもデザインヒストリーとして残っていくものにするためにどうアーカイブをしていくかみたいな話って途中で出たと思うんですよ。
なんかその文脈を踏まえて結構、僕が2010年代前半とかにちょっと追っていたインタラクティブアート、インタラクティブ広告みたいなものとかをドメインギゲしてるやつを、
これ見よがしにツイートしたらその作者にブロックされるみたいな。
事件ありましたね。
清水寛太さんっていう方に。
なんだっけな。こういうツイートをするのはクソダサい。
クソダサい。
で結構強めな言葉を。
俺ちょっと心配な目で見てましたよ。あれ正直。
ノーマライズFMのせいで。
ちょっと心配な目で見てましたよ。
ビーフが。ビーフって言っても向こうから一方的だと思うんですけど。
答えた方が面白い。
俺ちょっと心配してたんだよ。大丈夫かなと思って。
だれかが無理にやって大人げない罵り合いをしてるのを旗から見るのってすごい楽しいわけじゃないですか。
そのためには自分はむしろ犠牲になってもいいみたいな。
そのビーフに参加することで楽しいエンターテイメントができるんだろうみたいな。
でもちょっとなんかわかんないけど。
ノーマライズFM出ていただいたこと自体は俺めっちゃ良かったなと思ってて。
その後の反響とかもなんか俺が見える範囲では見てて。
なんかいいなーって思ったし。
あの回があったことでちょっとなんか俺の中でもノーマライズFMを行儀良く、
ラジオ全とした、行儀の良い番組としてやらなきゃいけないなっていう制約がちょっと緩くなっちゃって。
よりなんか適当になっちゃいましたね。あの回以降。
いや、それで僕はいいなとは思います。
なんか緩い感じでやるのがいいのかなーって。
でなんか時間も別に、それまで結構1時間半ぐらいで切るっていう感じでやってたけど、
なんかもうテンション高い時は長く撮っちゃってもいいやみたいな感じになってきて。
ちなみにあのここでいろいろちら見せしている案件は結構、
あの雰囲気NDA的にダメなやつとかたくさんあって。
だからあんまり人に言わないでほしい。
そうそうそうですね。
この場だからこそ見れるっていうスペシャルコンテンツですもんね。
これとか絶対見せちゃダメなやつが上の方に出てるんですけど。
これはなんかNOW的な意味でってことですか?
うーん、この曲まだそもそも世の中に出てない。
それは危ないやつですね。それはだいぶ危ないですね。
そう、だからなんかそういうのも見せていかないと6000円に見合わないかなって。
いやいやいやそんなことはないですよ。
この頭文字でアーティストさせてほしいんですけど。
いやでもなんかそんな見せてくれたらなんか俺は嬉しいけど大丈夫なんですか?
意外と怒られなくないですか?
まあまあ俺も怒られたことはないけどさ。
結局その特に音楽系の案件なんて海外とかだとちゃんとコントラクトやりますけども、
国内の案件なんかも全部雑。
だからなんか雰囲気、作ってるトラックさえ表に出さなければ
なんか作ってる最中のメイキングとかを匂わせてもいいみたいな。
えーそうなんだ。
最近は結構その仕事する時のその契約書の方に
それをやらせてくださいっていうのを積極的に設けるようになった。
あーなるほど。
作ったそのミュージックビデオとか作る中で作ったツール群とかもオープンソースにしてもいいし、
ただその際にトラックだけは中に入れない形でリート幅上げてならオッケーですよみたいな。
なんかまあそういう意味ではウェブとかも
なんかあの実績を公開していいんだがいけないんだがみたいなのはありますけど、
そういうの先にこっちから言っちゃうっていうのはいいですよね。
そうですね。それで別にそんなことってないと思う。
その人のそのSNS仕草がよほどダサくない限りは別に企業にとってマイナスなことってないから。
そうですね。まあよほどダサいことをやっぱ恐れちゃうんでしょうけどね。
企業はそう言うか。
だって既にそれってもう世の中にURLとして公開されてるものじゃないですか。
そうですね。
そこにこう自分が作りましたよっていう情報が付帯するのってそんな悪いことじゃないっていうか。
誰かが作ったっていう記名性を少しぼかすことでブランドとしての個々な感じを醸したいとかだったら、
まあそうですね。
実際どういうパターンが多いんですか。その自分の名前を言っちゃダメって言われてて。
いやーあれなんでなのか俺よくわかんないんだよな。
政府系とか。
なんでダメなんすかね。なんか代理店の顔を立てなきゃいけないとかそういうことなんかなーって勝手に思ってますけど。
なんでなんすかね。
なんでなんですか。
なんでなんすかね。みんな誰か知ってる人いませんか。
なんでなんだろうね。
なんでなんすかよ。
知らない。
俺結構だからあんまり案件の話しないけどそれはやっぱり特にオープンにしていいよっていう話が出ない限りはしないから。
なんかその案件自分が仕事でやったことの話ができない状態で自分自身の制作者としてのアイデンティティを語るって結構ハードじゃないですか。
ハードですね。
完全にどちらかというとドクサスさんの立ち位置って、実際にそのWebGLを使った案件をこなされている一実装者としてのドクサスさんじゃなくて、どちらかというともうキュレーターってか、編集者としてのドクサスさん。
なんかそこを一本でやっていけてるんで結構ハードだなって。
いやハードですね。ハードだと思います。
実際でもそんなにやってるかやってないわけではないですね。
でもなんか絶対これ自分がやったって言いたいんですけどみたいなこともあんまりないかもな。
言っていいんだったらそれは自慢じゃないけど、やりましたよって表明できるならした方がいいけど。
そうですね。ほんとコマーシャルな案件に関して、コマーシャルっていうのはちゃんとした予算があって、ある程度の対価が得られるような案件って言ってますけど、
コマーシャルな案件ほどあんまり人に言いたくないみたいな、ちょっとした野暮さっていうのが常につきまとっているから、
この中でも結構あんまり作った後に積極的に人に言いたくないやつとかすごいパイロットとかして、これとかですけど、全然面白くないんですよね。
なるほど。そっか。難しいとこだな。
普通にその映像ディレクターとして、撮影監督がいて照明さんがいて、これをの人がいてみたいな、ちゃんとした座組でちゃんとした現場でやる案件って、
言葉でのディレクションっていうのが中心になっちゃう分、ニュアンスの言語っていうのはうまく伝えられなくて、結局なんか本当は自分でジグとかいろんなものから作りたいんだけども、どうしてもディレクションワーク前としちゃう。
日本の映像業界っぽい本マナで終わってしまうみたいなのが結構苦しくて、その意味でやっぱずっと一人で作るっていうことがそこに対する癒しになってるみたいな。
これ全然ウェブの話じゃないですか。
全然いいですよ。全然大丈夫です。ウェブの話しろっていう番組では別にないから、そこは大丈夫なんですけど。
でもウェブもやっぱなんか似たようなとこじゃないですけど、なんか日本の企業の普通のウェブサイトっぽいなーっていうトーンとかってやっぱあるような気がするし。
それ結構個人的に気になってますね。表現としてのグラフィックはものすごく美しいし、インタラクションもめちゃめちゃ気持ちいいんだけども、そこに流し込まれてる文言がキモすぎる問題ってどう皆さん対処されてるのかな。
いや、どうなんでしょうね。
結構今のウェブGLでかなりカッティングエッジなことされてるようなプロダクションが、そういうスキルをフル活用して作るようなページだとしたがって言うと、デザインコンサルとか、あとクリエイティブエージェンシーとか、ちょっとランニングページかっこつけたい系の企業が中心じゃないですか。
そのあのこう、なんだろう、世の中に遊び心を歌うみたいなトーテムみたいな、あのスピリチュアルなシャゼとか、これを動かすのって、逆にそれだけウェブGLを使ったカッコいいグラフィック表現をやってる人たちのポリシー的に嫌じゃないのかなっていうのをずっと。
どうだろうね。みんな渋い顔してやってる可能性もまあ。
あれ本気ですっげえいいこと言ってんなーみたいな感じで。
いやそれは多分、いやって思ってないんじゃないかな。どうなんだろう。
山田さんとかが会社に戻れなくなって、ある意味そういうところがあるのかなって勝手に想像してるんですけど。あります。
あります。
ありますとのこと。
あるよね。
まあそこはだからあれだよね。その、仕事人として割り切るってことでしょ。文言は読んでない。
読んでない。
まあそうだよな。
そうですね。なんかあの文言のスピリチュアルさの存在によって、ウェブ全体のアティチュードとしてのカッコよさにゼロが欠かさるっていうのが。
そうね。でもなんかそれって結構英語圏だったら、例えばAppleとかが似たようなことやってるのかもしんないけどどうなんすかね。
Appleは中身ありますよね、ちゃんと。あ、18メガピクセルなんだみたいな。
そうか。確かにそうかも。そうっすね。確かにな。そっか。あれやっぱ日本特有なんすかね。あの漢字。
あのスピリチュアルさって不思議。いやスピリチュアルって思っても僕だけかもしんない。むしろ。
うーん、いやでも言い得て別に何か間違ってはいないというか。
コピーライティングの考察
ああ、なんか他の方も思ってるっていうのを若干確認。
いや思ってると思いますよね。思ってる気がする。で俺も結構やっぱ見ないふりしちゃうというか。何も考えないようにしちゃうというか。
あのコピーライディングほんとやめたほうがいいですよ。
そうですね。いやでも多分あれがなんかその、彼らそのクライアントのターゲットにはやっぱ響きやすいっていう何かそのABテスト的な何か色々な積み重ねがあって、あそこに収束してしまってるってことなんじゃないですかね。
そうっすね。いやなんか結構自分はそういうこうテック系の業界で流行ってるバズワードに対して、まずバカにするところから悪意が入っちゃうんで。
あとになってちゃんとコンビビアリティってこんな良い意味だったんだっていうのを知るまで撤回するみたいなことも結構あって。最初はもうコンビビアリティはうわーっていう感じから入るみたいな。
はいはい。
その癖をちょっといい加減やめたほうがいいなっていう。
なるほどね。でも俺結構そうだなぁ、どこだろう、なんか全く全然違う話かもしんないんですけど。
例えばうちの嫁とかが朝テレビをつけてるわけですよ。で、俺はほとんど自分ではテレビ見たくて見るってことはないんですけど。
ちょっとうちは結構10個以上上なんですね。年が離れてるんですよ。だから言ったら昭和世代に近いというか、より年上なんでテレビに依存してるそのメンタリティーが依存してる率が高いんですよ、俺よりも。
だから朝起きたら大体テレビついてて、みんな見たことあるかどうかわかんないですけど、8時9時10時台の世田谷自然食品の健康サプリみたいなののCMが延々と流れてるあの風景、本当に大丈夫かって思うんですよ。
だけどなんかすっげーキモいなって思うんだけど多分あれはグリコサミン何ミリグラム配合とかってやってるあれは多分正解だからああいう風になっちゃってる。
そのあれを見てる人に届くようなUXライティングをしてるみたいな。
すっげー気持ち悪いんですよ、俺が見てると。
多分僕らから見てそういうコピーライティングっていうのは疑似科学っぽく映るしなんか気持ち悪いなと思うけども、多分僕らの世代には僕らの世代なりのなんか予期してないところから刺さってしまう。
けど下の世代から見るとスピリチュアルに映るであろう悲惨くさく映るであろうコピーライティングっていうのがおそらくあるわけじゃないですか。
それをなんか予期したいっていう。
コンビビアリティは結構危なっかしい。
WebGLの表現について
コンビビアリティ。
コンビビアリティはよくわかんないっす。
いや、割といい言葉。
いや、けど言ってる人が苦手なんで。
まあまあまあ。
そうですね。
ビッグデータみたいな言葉が流行るときも大体その言ってる人たちがちょっとキモいっていうか。
意外とその、イヴァン・イリーチっていう人が言い出しちゃっただけでも意外とそれ自体はめちゃめちゃいい言葉だし。
ある意味そのディセントライズドなそのWeb3的なものをすごい言い得てるようなタイムだったりとかするんで。
まあいいや、こういう。
なんか結構、あと個人的にちょっと話聞きたいなって思ったのが、僕最近ちゃんとWebサイトを久しぶりに作ったんですよ。
あのグループ井野さんのやつ。
こんなやつも作ったんですけど。
これWeb総本山で取り上げてください。
いやあのね、言い訳していいですか。
はい。
これ紹介するの相当ムズいですよ。
だから俺なんかね、途中まで書いたんだけど、こんな中途半端なことしか書けない記事出してもしょうがないと思って諦めました。
これCanvas APIだったからダメとかじゃないんですか。
いやじゃあないですね。
そういうことじゃないです。
そういうことではないですけど。
これ俺言語化できないわと思っちゃって。
WebGL総本山って、あれなるべく客観的な視点で、
自分の史上はなるべくあんまり入れずに、
起こっている出来事を、わからない人が読んでもわかるようになんか翻訳しているようなイメージなんですけど、
これ翻訳できなかったんですよ。
俺の中で。
どう翻訳していいかわかんなくて。
まあ確かに実装自体はかなりへぼいんですよ。
いやいやそんなことはないですけど。
Webオーディを使いこなせなくて、ミュートのタイミングをミスると音が流れないとか。
あとスマホめっちゃ熱くなるのは、この歌詞ごとにCanvasが5,60個ぐらい交互に使われているんで、
それをうまく最適化できなかったとか、いろんな至らない点はたくさんあって。
これ、俺の力では言語化できんと思って諦めちゃいましたね。
なんかこれすごい作っている時に、すごいノーマライズFM出て、
清水寛太さんとのビーフがあった後だったのもあって、
なんかいい加減なんかこういう言葉じゃなくて、作っているもので何かしちゃうとできないかなっていうのを考えた時に、
やっぱそのWebGLのシーンっていうのは、前もちょっと話したかもしれないですけども、
デモシーンだったりとか、ディレクターとかフラッシュみたいな、それぞれのインタラクティブなものが動くようなサンドボックス環境の中で育まれた文明っていうものが、
生まれては消え、生まれては消え、で多分今40名ぐらいになってるわけじゃないですか。
その中である意味その健忘的っていうか、みんなスキーゾキッツなんで、
なんか忘れることをゼトするみたいなところがあった中で、
なんかこう、とにかくリッチなもの、とにかくスペクタクルなものを作ろうみたいな方向にやっぱWebGLも位置かけてたなっていう感覚があったんですよ。
WebGLがHTML5以降のインタラクティブ表現って、いかにフォトリアルにするかとか、いかに16ミリセカナの中で、
本来は計算資源のめちゃめちゃかかるようなブラなのかいろんな処理をするかみたいな、
なんかそれに対して、もっとこう、例えば漫画の中でもめちゃくちゃ上手い漫画家さんがいる一方でガロ系の漫画があるみたいな感じで、
音楽でもすごいなんて言うんですかね、オバルプロセスみたいな超高解像度の音楽がある一方で、つかむミュージックがあるみたいな感じで、
なんかその上手さ、自己誠意みたいなもの、WebGLの中で業界の中で合意されているようなそういう価値観に対して、
なんか上手くこう、いいも悪いも言えないようなチープなものを作りたいみたいなのがすごいあったんですよ。
全部ジャリにするとか、このCSSトランジッションとかをイーズアウトとかじゃなくてステップスとかにして、
カクカクにしちゃうとか、なんかそれがなんかWebGL的な上手さ、リッチさっていう文法の中ですごい切磋琢磨されているプロフェッションの方から見て、
どう映るのかなっていうのを、なんか試験指摘にちょっと伺ってみたかったっていう願いがあって、
なんかそれで言うと言葉にならないっていうか、基本的に言って下手に映りました。
いや、逆ですかね。なんか俺はちょっとなんだろうな、なんか逆に言うとそのすごい技巧的なこととか、
めちゃくちゃこう宣伝された実装とか自分ではできない、どっちかっていうとできないと思ってるんで、
そっち側の立場というよりは、なんかもう普通に一視聴者的な感じで見てるというか、
なんか一応WebGLの専門家とは名乗ってはいつつも、とはいえ別にバッキバキに尖ってる人たちみたいなことができるわけではないから、
なんか普通に、普通に見ちゃって普通になんかすげーなーと思っちゃったし、なんだろうな、なんか。
もう少しボロクソ言ってもらっていいんですか。
このサイトを見て、何か言葉に出すの結構難しいと思うんだけどな。
そうですよね。
いや俺は難しいと思っちゃった。結局そのコンテンツの内容はもちろんそうなんですけど。
フォントファミリーとかセリフがいらっしゃるんですよ。
クリエイティブ文化の探求
いや俺はなんだろうな、別に言えることないなって思っちゃって。
何ですかね、なんかもっと紹介、いやこれ紹介しなきゃっていう気持ちはあったんですよ。
だけどなんか書いてても、何言っても野暮になっちゃうような気がして。
今から書けませんか。
いや今から書けませんか、まあ書けなくはないけど。
いやだって何書いていいかわかんないもんな。
独卒さんなりの語彙で、このウェブサイトっていうのをどう解説するか。
それはおけなしてもらってむしろ全然。
いやでもすっごい真面目に書いちゃう気がするな。
すっごい真面目に書いちゃう気がする。
ここをオフスクリーンキャンバスにしなかったのは悪種だみたいなことを。
あーなるほど。
言ってほしいんですよね。
いやーでもそれはね、書けないかなちょっと気持ち的に。
さっきウェブジエル総本山は比較的自分が褒められるものしかウェブサイトに載せないって話されたじゃないですか。
そのネガの部分だけを凝縮した。
いやそれは何ていうのかな。
理解できた上で、いやダメだ。
その理解できたからこそこれが良いか悪いかダメかどうかが判断できるって話になるんですけど。
これはなんか俺正直理解ができなかったんですよね。
その良いも悪いもないっていうか。
いや多分このやっぱ絵のテイストとかもあると思うんですけど、
その技術的な部分でも結構なんかどう言及したらいいかなっていうのが上手くできなかったんですよね。
そうですね。
俺の中でね。
個人的にやっぱウェブJL自体は2015年ぐらいとかから触ってはいて、
最初にやっぱ3JSとか出てきた時に、いわゆるカットアウトみたいなステージモデルの中でアドチャイルドとかいろんなオブジェクトを足してっていうモデルが
オープンJLっていう命令的な状態を持ったAPIの中でできるようになったっていうのに対してやっぱりすげー興奮したことがあったんですよ。
アクションスクリプト3と同じような、ミスター・ドゥーブ自体がフラッシャーだったっていう前紙もあると思うんですけども、
なんかそれでやっぱできるようなことっていうのをすごい縮り回した時期っていうのがすごいあったんですよね。
Nikeのウェブサイトとか作ったりとかした時も、なんかこうシェーダーでディザイン。
僕結構ディザを使いがちなのは手癖なんですけども、ディザを使って無限スクロールのページを作って、
それを指で触るとドムがぐんにゃりするとか、あとサウンドクラウドとかのウィジェットとかもタームオブユースには反するんだけども、
ぐにゃぐにゃさせるみたいな。
そういういかにウェブ自由でできることの極限までいくかっていうのにすごい頑張った時期っていうのがあったんですけども、
やっぱ見れなくなっちゃう問題ってまた蒸し返しちゃうんですけども、
なんかすごいスペクタクルな方向、リッチな方向じゃないいろんなウェブ表現のベクトルが、それこそ漫画だったりだとか音楽と同じようにあってもいいんじゃないか。
みんながみんなオペラ歌手的な歌の上手さっていうのを目指す必要はないみたいな。
ダミ声の世界もあってもいいと思うしみたいな。
そういう文化ってどういうふうに今後WebGLとかそういうWebカルチャーの中で起きてくるのかなっていうのが個人的に結構気になってるし、
むしろノーマライズFMとかWebGL総本山とかをウォッチしてらっしゃるような方々に惑わせたいというか。
とにかくここのリッチさっていうのを目指していたらとにかく最高峰っていうのが見えていて、
アワーズだったりとかFWAとかに選ばれる世界っていうのはあるんだけども、
そうじゃない制度追求の仕方っていうのがあってほしいなっていう自分なりの問題提起としてこれを作ったんですよね。
そしたらわりとWeb系のアワードは端にも棒にも引っかかんない感じで。
出すには出したんですか?
いや出してない。
出してないんじゃない?
D&ADしか出してないですね。
清水寛太さんが審査員されてるっていう理由だけで出したんです。
落ちたんですけど。
落ちちゃったのか、そっか。
なるほど。
いやどうすかね。
でも、いやわかんないけど、結構ノーマライズFMリスナーはそっち寄りの方というか、
ウェブ技術の探求
スペクタクルなものじゃない、なんかもっと違うところに潜っていきたい人が多いような気がしますけどね。
だからダブステップブロステップみたいな方向ではないにせよ、
すごいこうウェルメイドでコーネリアス的なチャンクインまとめ巻き方をしているものを多分施行されているところに、
僕はクセナティスを指したいみたいな、なんて言えばいいんですかね。
いやわかりますわかります。
それなんかちょっと気になるのは、その精神って多分別にウェブに限らずいろんなところとかに多分その気持ち、そういうような気持ちって、
バクさん結構持たれるタイプなのかなと思うんですけど。
そうですね、だから多分全部のいろんな、特にデジタル技術ってある意味メタメディアなわけじゃないですか。
アラン系的に言ってしまえば何にでも化けられる、擬態できる、いわゆるポケモンでいうメタモンみたいな。
だけどそのそのメタモンが変身する先っていうのが既存のポケモンしかいないのってすごいもったいないなと思うんですよ。
分かりやすいわ。
だから結構その何かメタメディアとしてのコンピューターっていうものの特性を、そのコンピューターが登場する以前のいろんなメディアに擬態するために使うって、
なんか僕はある意味それでシミュレーションとかイリュージョンっていう風に多分言われたりするんですけども、
なんかもったいないなって思うっていうか。
WebGLはWebGL、あるいはラスターディスプレイはラスターディスプレイ、特有のそのマティエール、その質感、物理特性、メディア固有性みたいなものがあるはずで、
なんかそれを何かに擬態するために写真のようなCGを描くとか、
なんかこう溶皮紙みたいな印刷物をウェブページ上でミミックスするみたいな、そういう方向じゃない、
WebGLはWebGLなりのマティエールっていうものを追求するみたいなので、
クリエイティブユニットの活動
だからすごい個人的にずっと気になってるんですよ。
ZFightingとかすごい面白いじゃないですか。
まあまあ確かにそうですね。
あれをバキバキバキバキみたいな、
それ自体がもうWebGLっていうメディアのメディア固有性っていうか、質感なんですよっていう風に開き直るみたいな表現っていうのをもっと見たい。
っていうのはすごいWebのアウトサイダーとしてすごい思っちゃう。
多分実際にそれをちゃんとした仕事の中でやる分には、多分いろんな方々の理解とか必要だと思うし、できないのはすごいわかるんですけども。
だから多分同じようなことが映像業界、外側から見た独撮さんからも多分あると思うんですけども、
さっきのミュージックビデオとか、もっとやれることあるんじゃないの?みたいなこと多分思うはずなんですけど。
いや別にそんなことは思わんけど。
モンタージュ技法でいいのかよ、みたいなことを思ったりとか。
それは今の映像業界のワークフロー上、しゃあないんだっていう風に僕は納得してるし、スタッフの方に感謝もしてるんですけども。
それと同じような目線っていうのをアウトサイダーとしてWeb業界に向けてしまうっていう、だらしない目線を。
いやーでも難しいですよね。そういうことを考えていたとして、そういうことができる場所が結局ないというか。
お金に結びつかないような活動として、個人でやることしかできないケースが多いような気がするんで。
だからそういう意味ではさっきのサイトとかは、案件にそういう思想がちゃんとマッチしてあれが出来上がってるから、珍しいパターンのような気がしますけどね。
しかもあれ自体がAC部っていうアニメーション、これもクリエイティブユニットなんですけど。
クリエイティブユニットが作られた作品っていうものをセッション的に決め、僕の方がインタラクティブ化するっていうワークフローでやったんですけども。
アプリの名前、なんかKindleをパクりたいですって言ったら、一瞬であたしさんからKindleフィンがいいみたいなことを3分で返ってくるみたいなセッションっていうのがあって。
実際それっていうのは、AC部っていう存在が、我々はこういうシミュラークルっぽい、ぐちゃっとした謎作画しかできませんよっていうパブリックイメージを確立してるから、多分それができると思うんですよ。
なんかそういうこう、もうそういう上手いとかじゃない方向でしか我々できませんっていうインタラクティブとかウェブシーンにおけるクリエイティブユニットみたいな、クリエイティブブティックみたいなのが出てきたら面白いなと思うんですよね。
ヘボコンとか多分そうだと思うし、テクノ手芸部とかジャルデンっていう人たちとかが、電子工作の世界、メーカーズムーブメントの中ではユニットとしていたりするんですけども、ある意味、いわゆるメーカーの人みたいな、いかに電子工作でもって高度なことをやるかっていう方向じゃない、
アーティストの多様性
なんかこう、彼女らしさみたいなものをすごい評判されて活動されてるんですよ。なんかそういうもののウェブGL版がめっちゃ出てほしいなってすごい思う。
いや、いないかもしんないですね。なんか世界的に見てもほとんどいないかもしんないな。なんかそういうとこまで行っちゃってる頭おかしい人。いないかもしんないですね。
僕、ジャルデンテクノ手芸部は普通にめちゃめちゃ自術力があった上で、いわゆるメーカーズ的なアティチュードってあるわけじゃないですか。だいたいこういう質感、こういう質材のものが好きで、こういうイベントに顔を出す、こういうファッションの人たちみたいな。
その美的なセットみたいなものに対して違うアティチュードを指すっていう活動をされてる方で、それぞれの持ってるスキル自体はすごいしっかりされたものだし、僕もすごい彼女らの本買ってめっちゃ勉強してるぐらいなんですけども。
なんかそれが結構、多分なんていうんですかね。割と結構これ自分の仮説なんですけども、スキルとセンスとアティチュードっていう三層構造があるっていう話をいちいちなんか自分の中で考えていて、要はそのスキルってものは同じセンスの持ち主同士の中であれば比較可能なんですよ。こっちのがスキルがあるね。
だけども、違うセンスの持ち主同士では、その違うセンスのもとを切磋琢磨したスキルをお互い比較可能じゃなくなる。それと同じことがアティチュードとセンスって関係性においても言えると思ってるんですよ。
だからセンス、同じアティチュードの中で多様なセンスっていうのは共存しているけども、アティチュードそのものが変わってしまったときにセンスって比較可能じゃなくなって、上手いとか下手とか良いとか悪いとか以前に何も言えなくなって黙っちゃうっていう瞬間があると思うんですよ。
個人的にセンスってものに対して、あんまりこれが良いセンスで、これはキッチで、これはアバンギャルドだ、みたいな価値判断をあんまりしたくはないとは思うんですけども、このセンスとかアティチュードってものがすごく多元的な世界なんだよって認識すること自体は、センスを高めていく上での第一歩かなって思ってることもある。
っていうことを書いてたら、最近千葉雅也がそんな本を出して、ほらってすごい嬉しかったんですけど。
その意味でやっぱウェブっていうものに対して、スカムミュージックみたいな人たちとか、あるいはノイズミュージックみたいな人とか、いろんな人たちがいてほしいな。
だからウェブだけをやってる人でっていうのは確かにいない、あんまりいないかもしれないですね。いや俺が知らないだけかもしれないけど、なんかウェブに限定しなければ、株式会社闇とか、ああいうなんかちょっと変わったことやってて、ウェブもちょっと変わってるとかっていう人はいるような気がするけど、あんまりでもウェブだけをやっててっていう人はいないかもしれないですね、確かに。
そうですね。結構個人的にやっぱ最近面白いなと思ってるアーティストとかが、年代関係なく個人的に出ていて、彼女らはウェブアーティストみたいなふうに自分を名乗ってたりとかするんですけども、それはなんか前お話ししたネットアートの文脈とはまたちょっと違うんですけども、
いわゆるこのユーワンソンっていう韓国のアーティスト、95年生まれなんですけども、要はちょっとこれ配信の人には伝わらないと思うんですけども、ユーワンソンのウェブサイト見てもらったらわかると思うんですけども、いわゆるそのウェブGLとかゴリゴリ使ってるものの、そういうリッチさそういう上手さではないアティチュードの持ち主だと思うんですよ。
けどなんか彼女の作品を見ることで、インターフェースとは、そういえばスマホって光る板だったなっていう、僕らがウェブっていうものを見るときに透明化していた枠っていうものに気づくきっかけになるっていう意味では、すごい彼女の作品ってスペキュレイティブだと思うんですよ。
そういうアティチュードの人がワーって増えて、そうですねそうですね。そうですねってしか本当に言いようがなくて。
なんか俺は結構そういうことをやりたいなって自分では思いつつもやっぱりできないというか、憧れの対象として見ちゃいますね、やっぱどっか。
なんか結構、そういう、なんだろうな、現代アートみたいなものの中にこういうことをやっている方々ってたくさんいて、なんかあんまりウェブっていう文脈で言わないっていうか。
さっそくドメンギレ問題を。
ドメンギレ問題そうですね。なんかウェブっていう文脈というよりは、なんか現代アートみたいな言い方になっちゃってることが多いような気がするから。
なんかそのこう、完全にハイブローなミュージアムとかで、リゾームとかみたいなミュージアムで展示されるような美術作品としてのウェブ作品と、あとギリギリこれは案件になるなっていうウェブサイトのミドルブローなところってまだ目指せるような気はする。
そうですね。なんか目指せるような気はする。それで、しかもそういう人ってやっぱ多分いないから、すごくなんかバリを発揮できる余地があるというか。
そうですね。
そういう気はするなあ、なんか。
なんか前のそのノーバライズエフェルムの第1回に出たときも、その萩原俊也さんの話を。
はいはい。
羽田祥平さんと萩原俊也さんっていう2人組で、トランスブックスっていう東京の人望所かどっかのイベント。
どっか。
忘れました。どっかのイベントで、こう本っていうものをいろんなアーティストが解釈して手売りするっていうイベントが、2020年ぐらいコロナ前まで行われていて、そのウェブサイトが毎回なんかすごい面白かったんですよ。
なるほど。
ちょっと今配信の方には見えてないと思うんですけども、こんな感じで、なぜかシークバーがあって、それを見てる誰かのマウスカーソルの跡みたいなものがあって。
はいはいはい。
これはもうシーク可能で、あとこれはなんだろう。
こういうアイフレームが死ぬことたくさんあるみたいなウェブサイトとか。
まあディリディリ読めるには読めるみたいな。
なんかそこのこう、なんなんじゃこれっていうのをあんまりこう、見る人を置いてけぼりにしないんだけども、
ユーザーフレンドリーとか、くたばれみたいな気持ちでやっぱ作ってらっしゃる感じってすごい僕はちょっとストリートだなって思うときもあるし、かっこいいなって思うんですよ。
かっこいいですよね。それは俺も思いますね。
なんかそれやっぱなんだろうなウェブという土壌がなんかそれを許してくれないというか、やっぱ案件だとそういうことやっちゃいけない空気っていうのが多分まだあるような気はするなあ。
なんかこうとりあえずその結構僕はノーマライズエフェルムとか出るときに、割とこうまずは編集っていうものをしてくださってありがとうございますっていう感謝の気持ち。
こういうディレクションサイトって本当にやってる方があまりの反応のなさにモチベーションを失っちゃって、自然とクロースしちゃうっていう。
でそのクロースするときになっていきなり同僚者の人がわーって集まって、こうサプライズイベント。
今までありがとうホワイトスクリーンみたいな感じでこうイベントやったりとかする。
それだったらもう公開するたびにそのリアクションちゃんと取っていけばよかったってすごい思うし。
だからその意味でまずこのノーマライズエフェルムみたいなのにすごいなんとか自分みたいなクソみたいなしゃべりでもなんか協力したいっていうのはなんかそういったものに対する感謝の気持ちをやってらっしゃる最中にちゃんと表明したいっていうのはあると思うんですけど。
ウェブ業界の変遷
すごく狙いがあるとしたら、なんていうんですかね、そのウェブ業界っていうものの外側から見たウェブシーンっていうものを無責任になんかこう、なんだろう、刺したいみたいな。
でもそうやってなんかウェブに興味を持ってくれるのはなぜなんですか。やっぱウェブは好きではあるんですか。
もともとすごいそのコンピューターっていうものにぶち上がってたあのナードな男の子だったんですけども。
だからなんか自分の中でその僕のおじいちゃんが小6の頃におじいちゃんの友達からクラック版のフォトショップ10を譲り受けてきたCD-ROMにちゃんとプリントして。
で、やっぱそれを使って、自分なりのグラフィックのその部活のバドブのユニフォームみたいなクソダサい炎みたいなグラフィックをレイヤースタイルとかで作ってた。
あれと、同時期になんか5,6年生にもわかる優しいJavaScriptっていうサイトがあったんですよ。もうわかる。優しい。
なんかそれをこう勉強し始めた時期が結構自分の中で一緒だったんですよね。
だから完全にそのグラフィック、資格表彰としてのグラフィック作りともう少しそのロジカルなコンピューターの部分っていうのをあんまり瞬別する感覚っていうのがなくて。
だからなんかすごい5,6年生にもわかんなったら僕5,6年生だからわかるやと思って勉強し始めたJavaScriptとグラフィックの世界っていうのが自分の中でずっと繋がってたんだけども、どうやら業界を見るとそうじゃない。
かたや映像とかグラフィックデザイン業界、かたやどちらかというとそのウェブとかあとはメディアとみたいなふうに分かれてたんだけども、
なんかそこにちょうど僕が高校生半ばぐらいの頃にウェブ表現とそういう僕が好きだった映像表現、グラフィック表現っていうのがすごい交差したところにインタラクティブ業界っていうのが生まれたん、爆誕したんですよ。
毎年そのTIAA、東京インタラクティブアドアワードみたいなアワードがあって、そこですごい中村優吾さんの作品だったりとか、パスキューロの作品とか、パーティーの作品とかいろんなものがヒューチャーされていて、
なんかそこだったら自分がちょうど5,6年生の頃にやっていたクラック版PhotoshopでやっていたこととJavaScriptのコピペでやっていたことっていうのがうまく繋がるんじゃないかっていう夢が広がりんぐ状態だったんですよ。
なるほど、なるほど。
けどなんか気づいたらやっぱフラッシュっていうものがなくなって、そういうインタラクティブアードっていう業界の中で培われた職人的な技芸っていうものはいろんな分野に分散していくわけじゃないですか、ディアスポラとして。
クリエイターたちの進化
現場系、ライブ演出系の人もいるし、インスタレーション系の人もいるし、これ多分その中で一番経済的に成功したのが多分コンサルなんですよね。
コンサルと事業立案方面の。
ザ・ギルドとかもまさにそうだと思うんですけども、深津さんとかフラディクトじゃないですか。フラッシュにアディクティブだったわけですよね。フラッシュ中毒者だったわけですよね。
どちらかと言うと今の彼っていうのはどちらかというと、なんていうんですかね、エヴァンジェリストであり、発信者であり、フラッシュアディクティブのフラッシュ中毒ジャンキーではないわけじゃないですか。
そこに対してすごい自分は、あんなに憧れてたのになんなんだよっていう一方的な期待っていう。
そういう背景があったら確かにね、今日話してきたような思いがあるんですよっていうのも分かるような気はするな。
なるほど。俺結構自分自身はウェブに入ってきたの本当に遅い30後半とか35くらいとかかなくらいにウェブに来てるから、なんかそういう憧れみたいなものとか別になくって。
もっとフラットに見えてたってことですよね。
一般ユーザーとしてインターネットという、インターネット、ヤフーでインターネットにアクセスみたいな。
なんかヤフーに行ってる時点でもうインターネットなんですけど、家はヤフーからインターネットに行くんだみたいな感じの間違った解釈を普通に受け入れられるような一般ユーザーだったから。
そうですね。
なんかあんまりそういう思いみたいなのあんまないかも、俺の場合は。
たぶんそのグラフィックデザイン文化と広告秘書の文化と、あとはそのコンピュテーショナルアートの文化っていういろんな親っていうものをルーツに持ちながら生まれてきたのが僕の中ではウェブでリッチなことをしこたま頑張ります業界だったんですよ。
なんか割とそう僕にとってそのウェブっていうものがちゃんと僕がすごい90年代のミュージックビデオ、MTVとかのミュージックビデオとか見て、わーってなると同じようになんかカルチャーであってほしかったっていう。
だからすごいなんか個人的にその山田圭太さんのアカウント名も記事区もP5ホリックなわけじゃないですか。
それって完全に深津さんと掃除系なわけですよね。フラッシュアディキティとか、P5にホリック、中毒。だからどっちもある意味そういう職人的にその資格表彰を乳首に回すことに対して、ノージェルが出ていたっていうルーツを持ってる2人が今後どういう進化を遂げていくのかっていうのを見届けたいっていう気持ちがすごいあるんですよ。
多分山田さんも山田さんで、もしかしたら何年関連かっていう業界用語があるんですけども。何年関連かっていう、僕は知らないんですけども、かんぱち沿いにあったラーメン屋さんかなんかのチェーンかなんかの社長が、そのフランチャイズの手腕とかがすごいやっぱ、90年代とかで時代の一世を風靡したみたいな。
マネーの虎とか出て。いろんなメディアに出るようになったそのラーメン屋さんの社長が、何を話すかなと思ったら、ラーメンの話しないで、どちらかというと経営の話をずっとしていたことに対してラーメンファンとして失望したみたいなことを、この前出たウェブデザイニングっていう雑誌の中で、ユーゴップさん、中村ユーゴさんが解説していて、ある意味何年関連かするっていうのは一つの上がりの手段じゃないですか。
要はそのクラフトマンシップっていうものはある意味、何て言えばいいんですかね。常に劣位に置かれてきたわけですよね。その知識、エピステーメン、その知識っていうものに対して、テクネ、その技術っていうものは常に劣位に置かれてきて、やっぱそういうプロセッシングとかフラッシュとかで、面白い気持ちいいものを作り回そうとしてきた人たちがやってきたことっていうのは、ある意味その工芸的な世界であり、テクネであり、要は知識とか。
知識とか、そういうエピステーメンみたいなものに対しては立ち打ちできないものにあったわけじゃないですか。そこから知識側にアセンションするためには、やっぱ何年か何年かするしかないっていう。
だから作ってるものそのもので、これすごいうまく作られてるでしょっていう方向じゃなくて、この人が語ること、この人が注目してるものには価値があるに違いないっていうポジションを築いて、その中でうまく発信者になったりとかコンサルティングができるようになるっていうのが、たぶん一番効率がいい。
あるいは完全なウェブで言う作風者さんっていう、元エイドDCCでドットバイドットで今フォアトウェバーって会社いらっしゃるようなスーパーハッカーになるか。それに対して、ほとんどの工芸的な職人であり続ける方法っていうのをすごい模索したいっていうのがすごい。
なるほどねー、なるほど。いや俺結構聞いてて今思っちゃったんですけど、俺何転寒伝化してるなって思いましたけどね。
どうなんですかね。
いや技術の話あんましてないっすもんね、なんか普段。
それは危ない傾向ですね。
その、なんかツイッター上で俺WebGLの話とかあんまりしてないっすもんね。
なんかその、なんて言えばいいんですかね。
ある時期から作ってるものの話、なんて言えばいいんですかね。その、その人が完全に自立したアイコンとして一人歩き始める瞬間っていうのが多分あると思うんですよ。
実際この人が何を作ってるか、どういうふうにその人の作ったものでぶちのめされるかっていうのは関係なく、その人自身がもう一つの業界におけるセレブリティーとして自立しちゃって、
おそらくこの人が作ったものだからカッチョインに違いないっていうふうに思考停止しちゃう瞬間っていうのが多分あると思っていて。
そこの分水量を超えてないうちは僕はまだいいかなって思ってるんですよ。
まあそこまでは行ってないか。俺そんな別に大したあれじゃないから。そこまでは行ってない気がします。
いやこれ例えばマナベ・ダイトさんとかだったらまあまさにそんな感じするというか。
それはマナベさんに対して批判ですか?
いや批判じゃないですよ。批判じゃないけど、例えばですよ。これ本当すごいミミッチ話しますけど、
例えばマナベ・ダイトさんが出ているとかあのポストしているポッドキャストっていうのがあったら、もうそれだけでみんなめっちゃ聞くじゃないですか。
まあそうですね。
で、やっぱ別にノーマライズFMなんて知ってる人しか聞いてないわけですよ。
言ってしまえば。だからそこの差はやっぱり俺は感じる側というか、批判するというよりもあまりにも巨大すぎることに、
なんか、まあ悪い感情まではいかないけどちょっと虚無になるというか、
どんなにいいもの作ってもどうせ叶わねえなみたいな諦めがすごい襲ってきて。
なんか僕結構マナベさんは、それこそのメディアートとかの系譜で言うと、
藤畑正樹さんだったりだとか江戸幸一郎さんとか八谷さんとかいろんな方々がいらっしゃるわけですけども、
結構マナベさんがやってらっしゃることは、エンジニアとしてすごいディークで誠実な方なんだなっていうのは。
そうですね。いやそれが本当そうだと思います。作者さんよりというか、
なんて言ったらいいんだろう、手を動かすことをやめてないというか。
あとは単純にカルチャーに対するちゃんと造形があるから、
こういう文脈の作品をこういう角度でこういうスタンスで差し込んだら、
シーンをザバッと言わせられるだろうっていう中核はすごいある方だなとは思うんですけど。
未来の展望
そうですね。
それこそブレインフィーダーって、レーベルののさちシングっていうアーティストとコラボレーションするタイミングとか、
あとまあ数年前に作られたスカイアープッシャーとの未熟ビデオとかも、
上手いところ狙うなってすごい思ったんですよ。
もしかしたらこの数年内にマックスクーパーの未熟ビデオとかやりそうだなと思ってるんで、
僕は先にやりたいと思って。
この前マックスクーパーに対して、未熟ビデオ作らせてくださいっていう提案書を書いたりとかしたんですけども、
マックスクーパーっていう結構ジェネラティブアート系のいろんなアーティストが、
未熟ビデオを作られてるヨシソゼオカさんとか、レイブンクボックっていう方々とか。
けど、おっしゃってることはすごいわかるっていうか、
多分マナビさんとかライゾマティクスがされていることをちゃんとメディアートとして、
あるいは技術的なレイヤーでこんなすごいことやってるのかって理解できる方ってほとんどいらっしゃらないと思うんですよ。
まあそうかもしれないですね。
紅白とかでパフュームの絵がワイヤフレームになって別画面にそのままトランジションするっていうのを、
あれパフュームすごって思うんですけども。
すでに作り込んであるポーズに対してパフューム側が合わせていくっていう意味で、
パフュームすごって思ったりするんですけど。
あとはこののさちシングのコールドステアースとかも、ある意味そのドローンを演者の周りに飛ばして、
そのドローンから映ってるカメラでフォトグラメトリー、いわばその3Dスキャンみたいなことをして、
それを使ってなんか面白いミュージックビデオできないかっていうのが多分おそらく技術的な興味として彼らはあったと思うんですよ。
それを最終的にミュージックビデオっていう映像作品として気持ちいいものにしたのは、やっぱりタクコム監督。
これは実際その映像の方の監督はタクコムって方なんですけども、タクコム監督の手腕だと思うんですよ、僕は個人的に。
じゃあそれって結局、マダベさんの、いわばアート&テックみたいなバズワードがおそらくあって、
で、その中でマダベさんがやってることにはおそらく何かすごいことに違いない。
なんとなく雰囲気で見てる方々が、なんとなくそのワイヤーフレームとかポイントクラウドの洪水を見て、
批評の重要性
これは未来っていう雑な見方をしてらっしゃる方がおそらくほとんどだと思うんですよ。
なんかそれに対して僕はすごいマダベさんのアンサーが聞きたいっていうか。
そっか、なるほど。
ムロ強い人がちゃんとわかってる?みたいなすごい思うっていうか。
そうっすね。いや、どうですかね。
ほとんどの人わかってないやろうが、ほんとその通りだとは思うし、
我々技術のことに関してはそういう見方で見れるけど、
例えばそうじゃないもの、例えば何だろうな、なんか料理とかお菓子作りとかそういうものに対してはそういう解像度を持ってないわけで、
こんなの別にスーパーで売ってる100円のチョコと変わらんやろうと思ってゴディバのチョコレートいつも食ってますけど、
送っていただいたゴディバのチョコレートとか見て、
これで何百円です、何千円ですっていうやつを、
100円のチョコレートと味の違いもわからずにパクパク食ったりしますけど。
ある意味それもう完全に記号商品なわけじゃないですか。
そうですね。
おそらくそこにはブランドっていうのがすでに確立されていて、
ゴディバのチョコだからうまいに違いないっていう。
うまいに違いない。
ラーメンハゲ的な意味でいう情報を送ってるわけじゃないですか。
なんかそれに対して僕はやっぱ味を取り戻したいんですよ。
なるほどね、なるほど。
それは完全に別に室強氏にそのリテラシーを求めるのは、
彼は彼で別に文外館、理科大の方だったと思うんですけども、
文外館だと思うんで求めないですけども、
少なくとも同僚の方には情報じゃなくて味を食ってほしい。
この人が作ったからさぞかし美味しいに違いないっていう、
記号商品をしてほしくないっていう願いがすごいあるっていうか。
作品に対する価値判断の必要性
その意味でやっぱ僕が作る作品とかも、
なんか微妙なものたくさんあるんですよ。
なんかそれに対して、すごいディスってくれる人がたくさんいたらいいなっていう。
さっきのハプニング、グループイノーのミュージックビートとかもそうですし。
多分でも、あんま否定的なことちゃんと真っ直ぐ言ってくれる人は少なさそうな気がしちゃうけどな、やっぱどうしても。
一応これ作ってる過程で山田さんに見せたことがあったんですよね。
そしたら、これ全部アンチエリアスを切ってるんですけども、
アンチエリアスを切った関係でフォントのレンダラーがおかしくなって、
今すぐ読むっていう文字が、ベクターがバグったっていうバグ報告をいただいて、
すごい細かいとこ見てくださるな。
気づいてたけど、まあいいやって思ってたんだけど。
なるほど。
なんかこう、そういう感じで、もっとこう、
バータNDAっておかえりなんですけども、
本当は見せちゃいけないものを作ってるプロセスでお互いに見せ合いながら、
くったくのない意見をお互い言い合うっていう、
別にそこでディスったとしても人格否定じゃない。
あくまで作品に対する否定であって、
そこに対してむしろいいディスをしてくれたら、その人への信頼って深まるわけじゃないですか。
なんかそういう仲間みたいなのが、もっと、
映像だと僕はすごいボロクスディスってくれる友達っていうのがたくさんいるんですけども、
webでも欲しい。
これ見て、これが良くないってことがあったら、すごい書いて欲しいんですよ。
ファプニッツのグループに。
わかったわ。なんか、なぜそういうふうに言ってるのかはわかりました。
なんかその、スマホは熱くなるんだけどとかね、本当にもっと書いて欲しいんです。
なるほどね。なんで、マゾなのかなと思ったけど、ちゃんと分かりました?文脈が。
多分マゾですね。
多分マゾなのかもしれないけど。
なんで言って欲しいのかなって思ってたけど、なんかわかったわ。
言ってる意味はわかりました。
確かに、フラットに言い合える業界があったらそれはいいですもんね。
理想的というか、もっとそうなっててくれたらいいなっていう感覚もわかった気がします。
だから独卒さんの、キュレーターとしての独卒さんのスタンスって、
とにかく作ったものの作品としての価値判断をしないってことがすごい徹底されてると思うんですよ。
あくまでWebGLって技術のエヴァンジェリストとしてフラットに見る。
私、本当は自分の中で、これはあんま載せる意味ねえなってさっきおっしゃってたようにあると思うんですけども、
それはそもそも、そのこと自体を別に表明しないことで無価するっていうスタンスじゃないですか。
に対して、たぶん独卒さんがされていることっていうのは、
もっとフラットな、とにかく情報量を集める年間を作っているようなもので、
それに対してそのキュレーションされてたものに対して、
もう少しゴリゴリに価値判断っていうものをかませながら、
これは最高、こういう風な文脈が紡げるねっていう、
より一歩、主観のこもったお気持ち表明みたいな、
キュレーションしてくれる担い手っていうのがいてもいいなって。
いてもいいですね。いてもいい。
なんか、これはちょっと敵を作るというか、
なんか変な受け取られ方することがあるかもしれなくて怖いですけど、
やっぱ、ウェブのキュレーション系ってみんななんかキラキラふわふわ、
スマートかっこいいみたいなイメージしかなくて、
なんか変なこと言ったり、
それこそなんかダメ出しばっかりしているって多分ないですもんね。
そうですね。
いや、俺結構なんかWebGL総本山では、
まあなるべくフラットに見た方がいいとは言いつつも、
いや、これ多分動かす必要なかったものを動かしてるなとかって、
本当に思っちゃったら書いちゃうこともあるんですよ。
このハンバーガーメニューは動きすぎなみたいな。
そんなんじゃないけど、なんだろうな、
なんかこれは正直なくても良かったかもしれないなとちょっと思いましたぐらいのことは言うことがあるから。
そういうことも言ってった方がいいんですかね。
価値判断とおっしゃると適応を作るけども、
もっと機械的に何か測定できるようなもので、
案に自分の価値観をほのめかすっていう批評の仕方も多分あると思っていて、
だから今あるWebGL総本山で紹介されたページを全部スクレーピングして、
CSSトランジションのデュレーションが長い順に並び替えるとかめっちゃ面白いと思うんですよ。
そうやってとにかく余計なアニメーションをしているウェブサイトから並んでいくって感じじゃないですか。
なんかそういう見せ方の礎おそらく今作ってらっしゃる。
そうかな、そうかな。
どうですかね。
でもなんか俺は結構、例えばめっちゃカーソルのところに、
なんていうんですか、あいうのくっついてくるやつ、ゴーストっていうのかな。
なんかカーソルのところにアイコンみたいなのが追従してくるようなウェブサイトって結構あって、
それがやったら遅い。
なんかもうなかなかついてこない。
自己持続感ない。
そうそう、動いたあと1秒ぐらいかけてニューンってゆっくりついてくるみたいなやつとか見たときに、
しかもそれがわざわざ3Dモデルがくっついてくるみたいになってると、
なんだこれみたいなふうにやっぱ思っちゃうわけですよ。
このなんだこれっていうのを書いてほしい。
だからそれを批判的に書くことはもちろんできるんだけども、
いや、俺が分かってない、読み取れてない何かがあるのかもって思っちゃうんですよ、いつも。
けどそれって1回なんじゃこれっていうリストして出すことによって自分の無知を新たな誰かからして伝えるっていうプロセスを通してるしか。
それもまあそうですね。
まずそこはポロって言っちゃって、
何言ってんのっていうメンションをもらうことによって学ぶっていうこうメンション法的な世界観でもあるんじゃないですか。
いやそれもありかもしんないですね、そうですね。
結構なんかWGLDっていうサイトありますけど、
あれは俺そんな感じだったんですよ。
要はその何も分かってない。
JavaScriptもろくに知らない。
WGLでちょっと人のシェーダーコピペしてきて何か3Dモデル出た。
なんで陰影ついてるかシェーダー読めないから分かんないぐらいの感じで書き始めてるんですよ、あのサイトって。
だからそういうくらいの頃から書き始めちゃってるから、
割と初期の頃ってまさかりがいろんなところから飛んできたんですよ。
でもそれが俺すっごい気持ちよくて。
いいですね。
直せるやんと思って。
俺の理解が正しくなっていくわけですよ。
まさかり投げてもらえれば投げてもらえるほど。
それで結局、おそらく自分には分かんないけども、
何かここには別のコンテクストがあるに違いないと思って、
そういう発信を辞聴していたら得られなかった知見なわけじゃないですか。
そうそうそう、そういうことです。
そういったやっぱりだんだん年齢を減るとともに心理的安全性というのは低まっていくものなんですか?
いやー分かんないっすね。
でも俺は結構まさかりは嬉しくなっちゃうタイプっすね。
僕も最近いろんな方からまさかりをいただいて。
優しく教えてくれる人がいても迷惑にはもちろん感じないと思うんですけど、
エアリプで何これ間違ってんだけどみたいなことを言ってくれてるやつを見つけた時の方が興奮しますね。
ちなみに僕が最近いただいたまさかりはこれですね。
藤畑雅史さんについて適当なことを書いたら、
藤畑雅史さんの教え子の方から、かつ僕の今協力研究員で在籍させていただいてる組織の遠い同僚の方からリスをちゃんといただく。
めっちゃ嬉しい。
人によらないか、どっちがいいんですかね。
でもやっぱり昔の方が怖いもの知らずというか、はっちゃけてたかも、もうちょっと。
なんで辞めちゃったんですか。
何だろうね。
でもなんか、最近はあんまり、
分かんないことを分かんないまま言っちゃいけないっていう時政は働いてるかもな。
それでデマみたいなものを流しちゃったりとかしたら、すすがにアレらしい。
やっぱフォロワー数とか当時100何人とかだったりとかして、全然なんか俺の言葉なんて誰も聞いて、今でもそうだとは思いますけど、
なんかそういうのもあったからヘッチャラだったのかもしれないですね。
なんかそうして個人的にやっぱ言いたいのは、
割とそういう強い偏りを持った、すごいバイアスを持ったキュレーションっていうものが、
WebGL総本山っていう資料価値の高いリストの上にもしかしたら成り立つんじゃないかっていう可能性の話なんですよね。
なるほどね。
だからこっから何か筋を通して誰かが批評を書いてくれたら面白いな。
多分僕が今こうやって話してるのもある意味、そういう意味でのお気持ち表明であり、批評だと思うんですけども。
ユーザーの反応の重要性
自分はもう少しあの子をカタログ、そのWebGL作品のカタログを見た時に、
スカブミュージックがないなっていうのがやっぱすごい気になる人間だったんで。
ノイズミュージックがないなみたいな。
多分そういうこうまた別なオルタナティブな見方をしてくれる方っていうのが、
できることならWebGLシーンの中からポツポツと生まれてほしいなっていう。
いや、マジでね、WebGL総本山についていいも悪いも言ってくれる人なんかいないですよ、本当に。
だから俺は多分それ見つけたら、その内容どうこうよりも言及してくれたことだけでもう喜んじゃいますね。
そうですね。
ディスられたいぞまでは別に思わないけど、ディスられたいとまでは別に思わない。
自分の自然な気持ちとして普段からディスられたいっていう気持ちがあるかって言われると別にそれはないけど、
でもディスられてても別にあんま嫌な気しないかもしれない。
ディスられたいっていう意味でのまずじゃなくて、いいディスられ方、質の高い悪意を受けたいっていう。
批評の重要性
だから本当にフワちゃんみたいな精度の低い悪意は本当に嫌だなって思うんですけど。
ただの人身攻撃でしかない。
なんかそこで、けどどうなんだろう。
別のポッドキャストでも言ってた話なんですけども、
そこで的を浮いたディスだからこそより一層地ずつくっていう瞬間もあるから。
でも何でもそうかもしれないけども、批判であっても何も言われないよりはいいし。
そうですよね。
それがちゃんと中身の伴った質の高いディスに、いわゆるまさかりみたいなものであればより嬉しいし。
そうですね。
だから一番残念なのはやっぱり雲の上の人になっちゃうのが残念かもな。
誰も何も言ってくれなくなっちゃう。
そういう気配は感じてますか?
いや感じてますよ。感じてます。
自分で別におごりにならないように気をつけてはいますけど、
なんかもうドクサスさん、ドクサスさんみたいな、雲の上の存在として常に認知されているように感じることはあるから。
じゃあドクサスさんにとってのそういう存在に僕がなったとして、まさかりをシュンって投げ続ける人間になったとして、
なんかブロックしたりとかしないでいてもらえるか?
いやーしないと思う。なんか変な絡み方してきたらそれはね、ダメかもしんないけど。
なんか割と自分はそこを勝手な使命感で引き受けちゃうんですよ。
多分この人はもうこの人を譲ってくれるような人っていうのが周りにいなくなって、
ケインになっちゃってることにおそらくこの人は悩んでいるに違いないっていう勝手な想定を立てて、
なるほど。
まさかりを投げたら結構ブロックされる。
いや俺もブロックしないよ絶対。
ウェブデザインと美学
そうですね。
しないと思うな。俺嬉しくなっちゃうかもしんないから。
いやそれこそこの会場に来て、誰とは言わないですけど、この会場にいらっしゃる方の中でも、本人忘れてらっしゃるかもしれないですけど、
まさかり投げてくれた方いらっしゃいますし、それは俺すごい感謝してるし。
どなたですか?
それは言わないですけど。
言えないですか?
それは言わないですけど、やっぱなんかね、本当に無知だったんで、シェーダーコピペして、なんか影ついたな。
なんで影つくかわかんないけど、影ついたからとりあえずこれで解説記事書いちゃおうみたいな感じに書いて、
いやこれなんか言ってること間違ってますよって。
なんか技術的な意味での誤りとか、歴史的な認識の違いっていうものはもう客観的な状況証拠っていうものがあるから批判できるじゃないですか。
もっと美的なものに対する可視判断をディスり合える関係性っていうのが自分の中ですごい嬉しいというか、貴重っていうか。
難しいなあ、どうしたらいいんですかね。
それ本当にそうだなとは思うけど、どうしたらいいんだろうなあ。
すごいクローズな場でもいいし、あるいはやっぱりポッドキャストのいいところって、今のところはサーチャブルじゃないっていうか、検索可能じゃないじゃないですか。
だから見に行こうと思えば気に受けるんだけども、それはブロードキャストされないっていう中間的なメディア。
だからこその、ついたての向こう越しに、なんかひそひそとちゃんとお互いにディスり合ってる集団がいるなっていう存在を匂わせるのって、やっぱポッドキャストのある意味アドバンテージだなって思うんですよ。
なんかそういう会があってもいいなって結構思う。
僕の作ったものとかに対して、これはなんかスカブっぽさを醸してるかもしれないけども、本当にただ出来なさをごまかしてるだけだぜ、みたいなことをちゃんと。
いや言えねえな、そんなこと思ったりもしないもんだ別に。
どうなんですかね。
いや思わないけどな別に。
ディザだけども、ディザがちょっとずれてるのって解釈としてどうなの?
いや思わねえなあそこは。
あのドット絵警察いるじゃないですか。
いますね。
ドット絵なのにすごいサブピクセルで動いてるのは何なの?みたいな。
それに対してやっぱりディスる人がいるように。
なんかウェブって確かにあんまりそういうことを言い合う場所とか言い合ってる人たちとかいないよね。
なんでなんだろうな。警察いないですよねあんまり。
みんな見てるのか。
警察はいらないですけど、なんかもっと美的なものに対して、なかなか主観的でお気持ちを言いづらいようなものに対して、
例えばこのZインデックス間違ってるよとかそれは客観的なものだから、
ただのケアラスミスとしてしていると思うんですけども、
ポートフォリオサイト一つ作るにしても、この作家に対して今ある作品じゃなくて将来載る作品に渡って掲載できるような器としてのウェブサイトを作るのに、
どういうアティチュードでデザインというものと向き合えばいいかって、
それってすごい美学的な興味だと思うんですよ。
だからよく映像系のウェブサイトのポートフォリオを見たときに、16対9でサムネイルが全部固定されているってことは、
この先に渡ってこのプロダクションは16対9の映像だけを作っていくってあなたは仮定しているのねってデザイナーに対して思うみたいな。
とか、トランジションしたときにどういう風にしてトランジションするかとか、
あとホバーしたときに作品のタイトルがサムネイルの上に載る形式にしちゃうか、そうじゃない方式にするかって、
すごいポートフォリオの持ち主っていうのは言語的なものをすごく重視してるっていう風に見せたいのかなとか、
そういうものってすごいデザインとしての精度の高さとはまた別の思想的な部分、
アティチュードみたいな部分ですごい試され続けている分野だと思うんですよ。
だからそういう話とかすごい僕はしてみたい。
いいっすね。そういう番組誰かやってくれないですかね。
山田さんホストでやればいい。
できそうですよね。
まあでも全部そうだな全部悪口になりそうだからちょっと。
いや悪口悪口なんだけど。
なんか誠実な悪口だと思うから。
いやまあまあそうですね。
だしその悪口を言われてる当人がちゃんとその場にいるっていうのがその条件ですね。
ここにいない人に対して悪口言うのはなんかかわいそう。
って言ってもさっきいろいろデザインコンサルファームの社税に対して悪口言っちゃったんですけど。
悪口そうだねそうですね。
でもなんかすごい建設的というかそういうことがもっともっといろんなところで起こった方がきっといろんな反応が起きるというか。
そうですね。
進んでいくんでしょうねきっとね。
たぶんそういうものがあってビーフみたいなものがあったりとかいろんなものがあってもまれてもまれてようやくウェブっていうものがそれこそポスターコレクションとかって前も話しましたけどアーカイブの対象になってるわけじゃないですか。
でその銀座グラフィックギャラリーとかに七日一行とかの往年のポスターとかコレクションされているものを2000年代生まれのアーティストが引用して展示をするみたいなそういうなんか文化的な時代を超えたコラボレーションっていうのもやっぱそれはグラフィックデザインってものが150年以上ちゃんと文化としてアーカイブされてそこに対して批評っていうのもなされて。
なんか連綿とそういう歴史が続いてきてるからこそできることじゃないですか。だからなんかウェブが僕はそうなってもいい時期かなって僕は思っていて。
これなんか本当前話したことにまた戻っちゃうけど、本当にそうしていくべきだなとは思うけど、どうしたらいいんだろうなっていう感じなんですけどね。
多分そこに対して独卒さんはそういう価値判断をせずにフラットに見るっていうところが多分売りだと思うんですけども、なんかそこからもっと広げたいっていうか。
あと個人的に独卒さん自身の内心をすごい聞きたいですよ。どういう風に映ってんのか。だから多分自分はデザインわかんないからとか、自分はアーティストとかクリエイターじゃないからっていうのを多分過去の回でもすごいたくさん言われてると思うんですけども、そんな関係なく聞きたいですってすごい思うんですよ。
でもなんかそのウェブジェル総本山10周年。なんかもう10年続けたから辞めてもいいんじゃないかなって本当に思ったりすることってあるんですよ。でも辞めるぐらいだったらそういう感じに生まれ変わっても面白いかもしれないですけどね。一層のこと。
マーケティングとの関連
そうですね。でも分けたほうがいいのかな。分けたほうがいいかもしれないですね。
広告とかでもあったんですよね。広告批評っていう最後の編集長川尻さんって方がされていて、2010年代のどこかで配管になったと思うんですけども。ただ単なる業界の事例集じゃなくて、ちゃんとそこに批評があったような印象があるんですよね。
それの他ウェブ版っていうのが出てきてもいいと思うし、最近やっぱこの前のノーマライズFMでちょっとディスっちゃった、ビジネスの話ばっかりになっちゃったウェブデザイニングっていう雑誌がリブートして、もっと元々のウェブカルチャーっていうものをちゃんと文化的な視点で編集していた時代のバイブスに若干戻った感じがあるんですよ。
そこでハプにこれとかも載せていただいたんですけども、そういうムーブメントっていうのがある中で、結局もうデザイン志向とかそういうビジネスと結びつけたいみたいな人とかも、またカルチャーとしての工芸としてのウェブっていうのを取り戻そうよみたいな動きっていうのをなんだか個人的には感じていて。
そこになんかうまく乗っかる形でノーマライズFMだったりとかそういうものがうまくハブとして機能していったらいいなって思うんですよ。
いや俺もなんか同じもの感じてますね。なんかその、カイコじゃないけども。まさにウェブデザイニングの話とか。ちょっとこれ言っちゃって大丈夫かわかんないからあれなんですけど、ウェブデザイニング関係の取材をちょっとこの間受けたんですよ。
たぶんこの後どっかで記事化されるかもしれないですけど。
10月号とかかな。
10月号とかでなるかもしれないですけど。その中でやっぱりその編集に携わっている人たちの話を聞いたときに、やっぱりマーケティングこそがウェブに求められる情報だった時代には、それをやっぱりコンテンツにするしかなかったかもしれないけども。
今やっぱりそことはまた違うステージにウェブが来ている中でどうあるべきかを考えながら雑誌を作ってるんですよみたいな話をされていて。
まあそうなのかもなーって思って。で俺その時に、あのバクさんと同じことを思ってました。この間ディスってたなーと思って。でしかも俺そのインタビューの時にバクさんの名前出しちゃったから。
だからその編集の方が、あそっか杉本さんとバクさんが喋ったポッドキャストがあるのかと思って聞いたら、ディスってるっていう。
だけど本当に4月号だとちゃんとステートメント載ってました。編集長が。
なんか本当にね、やっぱり変わってるんだなって。変えていかなきゃいけないっていう。本人たちもそう思って。なんとなくふんわりやってるんじゃなくて、ちゃんと変わっていこうとしてあの形になってんだなっていうのがすごいわかったし。
そうですよね。
いやすごいなんか、やっぱいろいろ考えて、まあ当たり前なんですけどね。いろいろ考えて作ってるんだなーって本当に感心したというか。じゃなきゃなんか俺なんかに別に取材することねーよなって思っちゃうし。
ある意味そのウェブデザイニングがマーケティング雑誌化している暗黒時代において、独卒さんは粛々とその工芸的なウェブ作品っていうものを淡々とアーカイブし続けたわけですけど、やっぱそこはすごい志として伝わってる気がするんですよね。これとかすごいですよね。この辺とか。このロゴになった時期やばいですね。
ノーコードとかすごい嫌いな言葉なんで。嫌ですよね。あ、そうですね。ここ、こっから、あ、ここでもうだいぶ集客とか書いちゃってる。
でももっと遡ると、やっぱかっこいい時代、それこそエチソニモの二人がピング画像についてのインタビュー。ピングのインタビューをなんか書いてるみたいな。なんかよくわかんない記事とか普通に載せたりとか。なんかその感じが僕は高校生の頃とかすごい憧れしさで。
ウェブ広告の進化
いや本当なんか変わってきてると思う。なんかやっぱ扱ってる内容が全然変わってきてますよね。やっぱ最近のやつは。そうですね。だからやっぱウェブ自体が、まあ多分先にまずウェブ自体が次のステージに行くべきだっていう空気を作って、そこに後追いで、それに合わせて雑誌の方が変わっていってるんだと思いますけど。
多分でもみんな、どうですかね。大なり小なりみんなやっぱ感じてるんじゃないのかなと思ってはいるんですけどね。俺自身は。
多分その広告っていうもの自体が社用になったこととすごい密接に絡んでるような気もしていて。もともとやっぱウェブ広告っていうのは沈丼屋の世界だったじゃないですか。いかにバナー広告とか、あるいはヤフーのトップページをジャックして、どーんってなんかこう、GMをクリック紹介みたいな感じのを出すかみたいな。
沈丼屋的な世界からもう少し感性消費っていうか、まあそれはテレビとか屋外広告の時代には80年代から起きていたような、感性に訴えるブランドってものを作っていく。もっと寄り添った広告、ただ目立とうとするだけじゃない広告っていうのを作っていかなくちゃいけないんだっていうのが多分ウェブの中であって。
そこからだんだんだんだん広告っていうものだけじゃなくて、もうブランドそのものを立案の時点から関わっていかなくちゃいけないんだっていうふうになったときに、だんだんだんだん広告だった人たちっていうのが、どちらかというとコンサルに近くなってくる。事業立案にすごいどんどん近い方向になって、最後一体化しちゃって、その中で取り残されたフラッシャー的な魂を持った人たちがひたすら職人的な技芸でハリエーションを起こしていったものがちゃんと文化として、
今流行してるっていう感じがすごいするっていうか。僕は結構これからやっぱ、文外観ウェブのアウトサイダーの人間としてすごい見ていきたいなと思ってるんだ。そういう人たちが形作っていく、何て言いますか、オーバーチルって言ってもいいぐらいの自己目的的なウェブデザインのハリエーションの歴史っていうのが何か意味なのなってすごく思ってます。
そうですね。あとはそれがちゃんと何か残せればいいんですけどね。そうですね。残していければ。
前もそういうウェブ作品とかインタラクティブ作品をアーカイブしてるミュージアムとして、間違えてワンミュージアムとかって僕言っちゃったと思うんですけども、正確にはリゾームっていう、たぶんニューヨークにあるギャラリーが、ギャラリーっていうかレジデンスというかオーガニゼーションがあって。
だからそこが割とそのウェブ作品をOSごと、確かダンプしてエミュレーションできるようにしてるみたいな。なんかそういった活動されてたりとか。結局この辺の問題ってそもそもビデオアートとかテクノロジーアートとかメディアートって出てきた時代から結構アーカイブって問題になってる話ではあるんで。
スクスナムジンパイクのやつとかもそうですよね。福岡のフランカンどうやって集める。 あんなんどうやって保存したらいいんですかね、ほんとにね。
結構その辺の話も実はメディアートの世界でちゃんと理論になってるし、それ自体をテーマにした展示っていうのもあるんですよね。メディアートのリネ転生っていう。
昔YCAMでやっていた展示なんですけども、このウェブサイトとか見るとめちゃめちゃ面白いんですよ。いろんな人たちのこうちょっとしたインタビューとか載っていて。
テクノロジーアートっていうのはどういうふうにしてアーカイブしていくのか。それ自体をちゃんと保全するっていう方向もあるし、それ自体がその当時に受けたであろうスペクタクルさ、
その凄さっていうものをある意味リストレーションじゃなくてリンカネーション、リネ転生っていう言葉で、要は今風にその当時やっていたテクノロジーアートっていうのを今風に解釈して作り直す、再解釈するっていうのも一つの保存方法なんじゃないかっていうようなことを言ってる人たちもいたりして。
クリエイティブなインタラクション
いやいや違うみたいな。その当時の見え方、その当時のメディアムのままで保全しなくちゃいけないみたいな。これなんか少なくとも、そういうこう文化的アーカイブとしてテクノロジーアートっていうものを彼らが見ていて、それについてケンケンカクカク議論しているっていうその状況自体はめっちゃ建設的だなって思うんですよ。
そういう状況にウェブはまだ至ってないとは思うんで。
そうだからしていくしかないんですよ。なんか昔ジョン前田っていうその、多分ご存知かもしれないですけども、クリエイティブコーディングの師匠みたいな人が作った時計のウェブサイト、時計のちょっとしたスケッチがあるんですけども、いろんな方法で時間をコーディング的に出すみたいな。それをウェブ版に移植している人とかやっぱりいたりするんですよね。
だけどもそれを見て改めて見た時にリフレッシュレートが当時よりも90年代当時よりも高まりすぎちゃってて、ぬるぬる動くなとか、72dpiで見せたのに、CRTモニターで見せたのに、レティーナで見るとちょっとなんか違うな、当時受けた印象と違うなみたいな。それも含めてすごい面白いと思うんですよ。それをやること自体は。
まあそうっすね。こういう話もっとしたいですよね。なんかあんまりこういう話題をね。まあでも俺はまだある方なのかもな。なんかノーマライズFMとかやってるから人よりは喋ってる方なのかもしんないけど。
これですね。12 o'clockって。 いやなんかこういうのとか知らなかったら知らないまんま一生過ごしちゃうから、こうやってなんか話してる中で見たり聞いたりできるってすごい嬉しいし、もっとこういう話したいなーって思っちゃうけど。
割と多分そういうものに対して意気地引き的にいろんなことを知ってらっしゃる方っていると思うんですよ。それとある意味北千住デザインさんとかもある意味自身が最後のフラッシャーみたいなことをプロフィールに地域開発したみたいに、ある意味その前世の記憶を持っているみたいな。そう。
そういった方々とドクサスさんがこうヒュージョンするっていうのをこれから見たいな。 ほんと俺無知だから、逆に知らないから面白い話ができるのかもしれない。それは本当にそうだと思います。そこに対して思い出がありすぎる人間がそれやっちゃうと、偏りが出ちゃうんですよ。それはそれで。
たぶんドクサスさんのご指名ってどちらかというと、価値判断せずに全部を広大なカタログにして平地するってところにあると思って。なんかそのドクサスさんの目線で、ゼロ年代とか10年代、あるいは90年代のインタラクティブアート、KFっていうものを、なんかスッとこう見通してほしいなっていう。
いやー難しいなー。難しいっすね。 割といい時短なんじゃないですかね。 いやー難しいと思うなー。なんかそんな大層なことはできないって思っちゃうけど、まあでもなんかノーマルズFMとかはやっぱり続けていきたいなと思ってるんで、いろんな方と話して、その中で自然とそういう面白い話が出てきたり、
それこそなんか多少批判的な内容であったとしても、それがちゃんとシーンを送った指摘なのであれば、そういうものも含めて業界全体の底上げというか、また違った形の、そのバクさんが見たいなって思ってるようなウェブの世界観みたいな、世界観って言うとちょっと違うかもしれないけど、そういう界隈も育ったりするのかもしれないし。
前雑というか、こうなってほしいっていうよりは、こうじゃなくなってってほしいって、みんなこう、納豆サッカーみたいなのをやってる、小学生のサッカーは納豆状態なんじゃないですか。ボールの周りに。それをひたすら積力として、ばらしたいみたいな。
そうね。でも同じような思想で見てる人とか、あるいは中にいてそういう思想を持って活動してる人たちも、たぶんいないわけじゃないと思うんで。
そうですね。あと彼らはすごいクールなんで、そんな僕みたいなことを言わずに黙々と変なもの作ってますね。てしがわらさんとか汽車戦士さんはそうですけど。
まあそうですね。
僕はちょっとそれを口に出しちゃうんで。
なるほど。難しいな。俺もうちょっと何か貢献できたらいいなって思うけど。自分の肩身にあったことしかたぶんできないから。
そうですね。ご自身のペースで。
そうですね。10年続けてこれたんで、もうしばらく続けようかなと思いますけど。
おめでとうございますとかも言ってませんでしたね。
いやまあまあそれは別に。でも10年続けてこれたのは本当に皆さんのおかげもあるんで。ありがたいなと私は思ってますけどね。
そのみんなから言ってくれってことじゃなくて、自分自身はやっぱ何の、なんか本当にフィードバック全然ないんですけど。
WebGL総本山とかやってても。でもやっぱそれでもなんか見られてるんだなって、どこかで感じられる程度の弱いフィードバックはたぶん日々あって、それのおかげで続けてこれたっていうのはあるんで。
本当にね、この場も含めて皆さんいつも気にかけていただいてありがとうございますって思ってますけどね。
さんに拍手というか。
ありがとうございます。
01:27:51

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