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2022-07-15 28:55

【632GMV】与えられない時の私は原始脳の言いなりになる

逃げるのは結論である
00:05
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
今月のですね、私と60分対話するという枠がまだいくらか空いているので、
今は割と私なんかは体調がいい季節なので、みんなそうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないんですけれども、
これ話せば何かが解決するという風には歌わないものだし、そういうものではないんですけれども、
昨日タスク管理の本出しますって言いましたが、私の言うこととかですね、書いていることには何となく納得がいかないというお話をいただいても結構だと思います。
そういうのはやりにくいかもしれませんけれども、でも対話の方ができることってあると思うんですよ。他の人聞いてないですからね。
ギリギリ金額のラインが少しお高めかもしれませんが、でも6,000円なので、
タタシバナたかしさんとクロストークっていうのを今月31日にやるんですね。
こちらはもう結構お申し込みいただいてるんですけど、これだって5,000円なんですよ。
あんまりセミナーと値段を変えないようにしているのは、要は1対1のセミナーぐらいに思っておいていただければお題用意していきませんけれども、
お申し込み時にこういうお題を用意しておけって言われればスライドまでは作らないと思うんですけれども、
テーマについて考えてはおきますので、私基本ノープランですけど考えておけというのが依頼であれば考えますので、
そういうのもありかな、これ書いておいた方がいいかな、そういうことがあって、まだ枠埋まりきってはおりませんので、
よろしければチェックしてみてください。時々はといった感じですね。
すっかり最初に何かCMを打ってからこれを喋るという風になってるんですけど、
これはですね、無料だからCMを打つぞという風に考えているというよりはですね、そういう面も全くないわけじゃないんだけど、
それよりはこれを喋っているうちにネタが考えつくというパターンを自分に定着させつつあるというせいなんですね。
ノープランで喋ってるんで、さすがにこう最初の数分の沈黙ということは結構実はあるんですよ。
そこはもう入れてないから、喋るようになったらスタートボタンみたいな感じなんで、この前に立ってるだけの時ってあるんですよ。
そこはもう録音してないから入ってないんですけどね、無駄ですから。
要はCMを打つことで何か喋ることが湧き上がってくるだろうという期待をして喋ってるわけですね。
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だからこのCMがないとですね、この間もっと長い空白になっちゃう気がするんで喋ってるんです。
まあ分からないんですけどね。でもやっぱり浮かんでくるわけですよ、今もそうなんだけど。
与えると同時に与えられるって倉津の系統さんがおっしゃるんですよね。
あれね、そういう風に考えておいてもいいんですけど、
気の全く関係のない分野から与えると同時に与えられるということの意味がですね、何か掴めたような気がしたんですね。
ということは今まで掴めてなかったということになっちゃうんですけどね。
何が与えられるか分からないっていうのが私にとっては大事なポイントだったんですよ。
これは仕事をする際に、これが関係のない分野なんですが、仕事をする際にですね、
仕事は、まさにポッドキャストはそうなんですけど、やるまでは何が得られるかは分からないんですよ。
この姿勢というのかな、この街の体制みたいな感じなんですけど、これが非常に重要でして、
これはですね、こういうこと多いんですけど、
プラザのさんに話を聞いて決定打になったと。
この決定打が僕は打ててない。
何かあれなんですよね、何だろうこれは。
ガビオとかあるじゃないですか、ガビオ。
何かを打ちつけるみたいなので、仮止めがしていっぱいあったんだけど、
プラザのさんのグッドワイブスを、このグッドワイブスを、
昨日のオブジェクト志向なんだけど、聞いて、
打ち、本止めみたいな感じか、固定していくということができたという話が多いなと思うんですね。
この、例えば時間今しかないとかは、タスクシュートで仮止めしてあったずっと考え方だったんですね。
どうやったっていつも現在でやってるなと。
これですね、タスクシュートをやっているユーザーさんがなぜこう考えないのかが僕は不思議でしょうがないんですよね。
いつもやるとき現在時刻入力しているはずなんですよ。
あれを普通にやればですね。
特殊な使い方をした場合は別ですけど、
あれどういうふうにリストを組もうと、ログを大量に取ろうと、何をしようと、
いつも実行は現在時刻の入力なんですよ。
僕あれ、しょっちゅうあれをやっていて、大橋さんですごいなと思ってたんですよ。
何がすごいっていうと、前と全く同じだなっていつも思ってたんですよね。
いつも今ここで行動するっていうのがエクセルで示されるっていう発想は、
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そういうふうに考えてたのかどうかは分からないんですけどね。
でも僕はここでやっぱりちょっとフロイトっぽくなるわけですよね。
無意識では絶対そう思うところがあったはずだって思うんですよ。
私なんかはそれまでそういう発想を持ったことがなかったんで、
過去、現在、未来って普通にその直線が真実じゃないとは思ってましたよ。
相対性理論とか量子力学とか、最新の科学で直線的な時間がコチコチ進行するのが宇宙ですと言ってるのは今時全くないんで、
それを言うとニュートンまで遡ることになってしまうんで、
そんなことはあり得ないとは思ってましたけど、
日生活じゃそうじゃないですか。ちょっと前、今、ちょっと後。
だけどタスクシュートでエクセルで入力してるといつも現在時刻を打つしかないんですよね。
あの辺にすごい思うところがあったんですけど、
それを仕事と結びつけるという発想を持ったからタスクシュートはすごいなと思ったんですが、
その仮止め感がですね、グッドファイブスでコンコンコンって打った感じになっているわけですよ。
与えると同時に与えられるというのもそういうところがあって、それよりもあれですよね。
仕事をすると何が得られるかわかんないというのは、
フリーランスを多分5年もやればみんな実感すると思うんですよね。
誰との仕事がきちっと出るかわかったもんじゃないなっていうのは本当に痛感させられるんですよね。
だから僕はフリーランスである意味プランニングした通りに生きていますという人がいるとすると、
その人はよっぽど凄まじい、何がどう凄まじいのかわからないけど凄まじい能力を持っているに違いないと思うんですよ。
私なんかはまさに出たとこ勝負で、サイコロ振ってみたらこの目が出ましたのとほとんど全く変わらない勢いで、
誰と何をしたことによりどういう結果が生まれたというのが、
全然事前の想定と事後に得たものの感覚がマッチしないんですよね。
マッチした試しがないんですよ。
だから本当のことはわからないというのもそうだし、先のことはわからないというのもそうなんですよね。
ゴリゴさんという方との対談法の中で、
佐々木さんはあまりにも返事が早すぎて、あまりにも決断が早いというふうに書かれてたんですよ。
この人は何も考えずに、はいやりましょうって言ってるんじゃないだろうかというふうに書かれてたんですけど、
だいたいそうなんですよ。
なぜかというと事前に分かりっこないから、何かを検討する気にならないんですよね。
なんかゴリゴさんが何かをやるって言ったら、
基本的にはよっこど嫌だとか、今どうしたって無理だとか、
まさに今コロナにかかりましたみたいな、そうでない限りは即答でやりますになっちゃうんですよ。
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なぜかというと、それをやる結果がどうなるかが、私には1ミリも読めないと思うんですよ。
読めなくはないんですよ。
脳内でわけのわからんシミュレーションをして、
ゴリゴさんとこういうことをやればこういう反響があってこのぐらいのお金になるだろうという読みはできるんですけど、
当たったら無視がないんですよ。
だから当たりもしない読みをしたってしょうがないと思うんで、読まずにやることにしているわけです。
だいたい一つだけ確実に言えるのは、
フリーランスってのは全く何もしないでいると収入はゼロになっていくということだけは確かなんですよ。
それ以外の選択は全部ありだなと思うので、何でもかんでも引き受けるようにしてるんですね。
以前、断る力という本がベストセラーになったことがあったんですけど、
あれはですね、よっぽど仕事が来ている人に限ると思うんですね。
これ以上は受けられないという場合は断るしかないんですけれども、
じゃなきゃフリーランスは断るべきじゃないなと。
私、何となく気分とか何となく感情とか何となくベストセラーに断る力もあったしというので、
ほとんど何の根拠もなく何回かほとんどただ格好をつけるために断ったということがあったんですけど、
非常に後悔したんですね。いいこと何もないなと思ったんですよ。
ので、基本的にはどんな仕事でも断らないというふうにはしています。
ただ、それによっていい結果が生まれるとは限らないんですよね。
何しろわからないんだよね。
そうそう、そのわからないなんですよ。
つまり、与えると同時に与えられるというのは、何がどう与えられるかはわからないんですね。
そして、ここにネックが一つあって、何が与えられるのかわからないというのもそうだけど、
もっと重要なネックがあって、与えるのは怖いというネックがあるんですね。
これが恐れと不安なわけです。
恐れと不安なイリュージョンを作るから、だから与えても何もいいことがなさそうだと。
さっき言った当たりもしない読みを仕出すのはイリュージョンじゃないですか。
当たったってイリュージョンなんですけどね。読みだから。現実じゃないですからね。
ここもなかなか受け入れてもらえないんですけど、
僕はこれ、倉園さんも以前おっしゃったことがあると思うんですけど、
99%正確でもダメだと思うし、僕は100%当たるとしてもダメだと思うんですよ。
頭で考えてることに違いはないんで、現実じゃないですからね。
で、100%当たるってのはおかしいですけどね。
いいか悪いかがわからないということもそうなんですけども、
こういうものが与えられるだろうという予測を我々はしちゃうんですよね、そうは言っても。
この予測が恐れと不安が入り混じるということは間違うようにできているんですよ。
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ただでさえこの予測は難しいというか当たらないんだけれども、
恐れと不安を混じらせた予測というのは基本回避行動を取れっていう話なんで、
贈与に対して、贈与っていう言い方は後で言うけどよくないと思いますけど、
何かをする、依頼に応えるとか、頼まれごとをするとか、あるいは単にサポートするとか何でもいいんですが、
そういうことをするのに際してですね、回避行動を最終的に目標とする判断が正しいというかマッチするはずないじゃないですか。
回避行動を最終目的にするぐらいだったら、与えないのがベストに決まっているわけですね。
つまりこれって読みじゃないんですよ。これを読みだと思っている段階でおかしいんですよね。
回避行動しようと頭はさせているわけだから、それやるなってことなので、できれば逃げ出せって言ってるわけですから、怖いわけですからね。
逃げ出せと言っているのが命令なのに、与えようっていうのは話が全くおかしいじゃないですか。
だから仕事の依頼に応えるとかサポートをするのに対して恐れや不安が入り混じるというのは、その段階で予測が外れるのは当然なんですね。
その予測は予測の意味を全く出していないので、予測する必要がないということなんですよ。
私だいぶ最近ゴブサターしてますが、ゴブサターって変だな。返答体の話してますよね。
返答体というのは要するに逃げるか戦うか死んだふりをするかということで、回避行動を目指しているんですけど、返答体というのは小さいんですね。
脳がそんなに小さいというのはどういう意味かというと、つまり逃げられさえすればいいからなんですよ。
返答体が中等活性化している段階の読みというのは、それは大脳が読んでるんでしょうけれども、全く意味がないんですね。
返答体にしてみれば読ませる必要も読ませる理由も読ませるべきでもないから、そんなことをするなら一目散に逃げるのがベストなんですよ。
そこで読んでるというのは、読むことというのが一応余裕上許されてはいるんですけれども、返答体は読むなと言ってるわけですよ。
この読みが正しかったらおかしいじゃないですか。結論は逃げ出すことにあるわけですから。
こういう矛盾って実によくあるんですよね。そのことを昨日ちょうどですね、今J松崎さんという方と、今日いろんな人の名前出るが、
100日チャレンジというのをやってるんですね。タスクシュート100日チャレンジという。
それの事前交流会2度目のを行ったんですけど、ここでですね、やっぱり何度か登場するのは、もうこれタスクシュートでみんながおっしゃることなんですけど、
記録を取る時間が惜しいという議論があるわけですよ。これがですね、私は回避行動というものを目的とした読みだと思うんですね。
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これ話がタスクシュートを作った大橋さんとか、開発集のJさんとか、誰が聞いてもタスクシュートに深く関わってる人が聞くと変だとは思うはずなんですね。
記録を取るということがこの忙しさから逃れる唯一の方法ですよという話をしているのに、忙しすぎて記録が取れなくなるんですっていう話は、
まさにですね、最終的にそれをやっちゃダメだっていう脳の指令の下でやっている読みなんですよ。
与えると同時に与えられるといった時に、僕らは何が与えられるのかを読もうとするんですね。
なぜならば与えるのが怖いからなんですよ。ここで言うのはタスクシュートクラウドに、タスクシュートクラウドというツールサービスにお金を払うのが怖いとかありますよね。
毎月500円も取られて全く役に立たなかったらどうしよう。この金額がそんなに重大な意味を持つのかどうかは、
この金額がそんなに重大な意味を持つような人がそんなに忙しいのも問題だと思うんですが、
とにかく、ただで金を取られるのはとんでもないからとても怖い。
第二に、時間がもったいない。ここが非常に面白いですよね。
これは時間をどうにか融通するためのツールのはずだったので、このツールを使うことで時間を失うのが恐ろしい。
だから与えるわけにはいかない。自分の時間をね。
そして、でも僕が一番大事だと思うのは、このツールに対して信頼を置くのが恐ろしいということだと思うんですよ。
こいつらの言うことは当てにならないかもしれない。
だからいざという時は脱出できるように、ということはつまりタスクシュートにはまり込まないように気をつけておこう。
でも使ってみようということじゃないですか。こういう無情が起こっちゃうんですよ。
最終的な回避を目指している。それは偏頭体が怖がっている。
偏頭体が怖がっているというのはおかしいですね。
偏頭体が活性化すると我々は怖いという感情を持つようになるんですね。
そういう脳の起床があるから。起床というか流れですね。神経伝達物質の働きなんですよ。
そういう恐怖というものが感情としては彩られていく。
それに合わせた読みというものを始める。これストーリーなんですよね。
イリュージョンでもある。つまりこいつらに金を払ってタスクシュートというものに私がハマったら
私の貴重な人生を捧げて今や一番大事な信頼をこんなツールに置いてしまうことになる。
実に恐ろしいことだから。それはもう最近流行りのカルトス宗教にハマるようなものだから
いざという時はいつでも自分は賢明に逃げられるようにしておいて、でもちょっと使ってみようという立場なんですよ。
これはいざという時はこれを使わないで済むように使ってみようという話になってますよね。
でもそういうものなんですよ。私たちは。
結局この話のどこがいろいろおかしなところがありましたけど
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どこが一番ポイントになるかというと何が得られるかは分かってなきゃダメだと。
それは無理な話なんですよ。
ツールのサービスって何でもそうなんですけれども
PL法みたいな製造物責任法みたいな話があって
結局何が得られるか事前に分かってなきゃいけないってことなんだと思うんですよね。
今の時代ってまさにそういう時代なんですよね。
徹底的に人工化した社会で徹底的に人工化したものならば可能なように一見見えますが
よくこれも倉園さんのお話になる通り人間それ自体は人工物じゃないので
私たちが結局何かを経験して何を受け取ったと感じるかをコントロールを事前にすることはできないんですね。
だからタスクシュートなんかもタスクシュートのようなものですらそうなんですよ。
与えると同時に与えられる何かもあるんだけど
それが何である何でなきゃいけないということを事前に決めることはできない。
そして大概の場合人は何が与えられるのか分からない段階で何かを与えることを恐れますから
ここで恐怖が生まれてしまうんですね。
だから与えると同時に与えられるなどと言われても信用できないというか
信用してはいけないという脳の働きが動くんですよ。
与えるばかりで損をさせられるのではないかと。
この疑いが根強いんですね。
私たちはそういうふうに今もツイッターでも話題になってますが
信じるよりも疑うほうが尊いと。
科学は疑うものだというこういうのが科学だけじゃなくて
生活一般に適用されるべきだというふうに考える人も多いですから
だから与えるというのが奪われるようになってしまうんですよね。
本当は与えるというのはよく言うじゃないですか。
見返りを期待しないと。
だけども期待というのは
つまり見返りが具体的にどういうものであるかを
正確に言わなきゃいけないから無理があるんで
見返りを期待するというのは確かにいい手ではないと思うんですけれども
見返りはあるんですよ。そうは言っても。
ただそれが自分が思い描いた通りのものでないことが多い。
ここに繰り返し言うけど恐怖感があるんですね。
先日ですね。
これが全く関係ない話のように聞こえるんですけど私にも
先日ここら辺坂多いんですよね。
来た方は分かるんですが非常に坂が多いところで
神奈川県西部っていうのは私も来てみてびっくりしたんですけど
おばあさんがちょっと先にあるゴミの収集所に
すっごい大きなゴミ袋を抱えて引きずって
半歩ずつ多分あの坂を降りるには足が不十分だったと思うんですよ。
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不自由って意味じゃないんですよね。
ただうちの子も3歳くらいの時よくステンと転んでたんで
この坂急すぎるんですよね。
なので少しずつ降りてたんですよ。
本当に少しずつ。半歩の半分ずつぐらい。
いつになったか悩みつくだろうぐらいな感じで
さすがに見かねて運びましょうかって言おうと思ったんですけど
僕はこういうことをしない人間なんですね。
しないというかできないんですよ。
何もグッドバイブスを持ち出すような場面でもないんだけど
よくよく考えるとやっぱり怖いんですよね。
そして何が怖いんだろうと思ったんだけど
よくわからないんですよ。
よく言うじゃないですか。
日本社会はそういうのを気持ちよくできる社会じゃないとか
そういうこともあるのかもしれないんだけど
とにかく怖いのは内心の問題なんで
社会の問題とかじゃないんですよ。
ましてこれも余計な情報なんだけど
誰かが見てたわけじゃないんですよ。
でもこの場合私にとっては結構余計な情報ではないんですよね。
誰も見ていないから言うのは簡単だと思ったんですよ。
これも怖いってことですよね。
一応ですね、でもそう言ってみたんですよ。
声かけてみたら断られたんですけど
この時私は与えると同時に与えられるというのを
本当に実感できた気がしたんです。
親切なことをして気持ちがいいとかいう話ぐらいではないんですよ。
そういうのでもいいんだろうけど
もっとずっと違うものが得られる。
そしてそれは多分私だからなんだと思うんですね。
得られるのは。
だから何が得られるかは分からないんですよ。
これが一つ怖い原因だなと思うんですね。
じゃあ何が失われるんだろうというと
時間とかあえて言えば言えないことはないですけど
私の足であればあの坂であの距離を往復してみたところで
3分とかかからないと思うんで
あのおばあさんだと20分はかかるんじゃないかなって感じがしたんで
それでも断るからやっぱり断ったから
やっぱりあのあれなんですよね
歩けなくはなりたくないっていうのはあると思うんで
だから私はあえて運びはしなかったんですけど変わって
ただ得られるものってあるんですよ
これ不思議なんですよね
だって私何も与えてないじゃないですか
代わりに運んだわけではないんですから
結局断られたわけですから
何も与えてないんだけど得られるものがあったんだから
あえてそういう言い方をするならば与えたものはあったんでしょう
で得られたものもあるんですよね
一つ確実に言えるのは怖さが一気に消えるってことなんですよ
怖いのは声かけする前までですから
声かけてしまえば少なくとも怖さはそこから先別の展開があるので
違う種類になりますよね
24:00
声をかけるのが怖いという怖さは声をかけた瞬間になくなるんですよ
イリュージョンなんですよね
こういう体験が得られたとも言えます
これは小さくはないですね
怖いものが怖くなくなるってでかいじゃないですか
例えば私なんかは実家寺ですから
そして墓も洞窟堂もあるんで
おばけとかが怖いと思ったことは一瞬たりともないんですね
出るというふうな認識が私には到底理解できないので
でも怖いと言ってる人はめちゃくちゃ怖がるじゃないですか
あれイリュージョンだと思いますが
怖くなくなったらものすごく違うと思いませんか
おばけというものを信じている人が何らかの理由で怖くなくなったら
なんか大きな違いを生むじゃないですか
結局それは実体のないものですけどね
仮に世の中で言われている通りのものだとしても実体はないですけど
それと同じことが起きるんです
イリュージョンの恐怖感が消えるということは
私はこれが得られただけでも大きいなと思ったんですが
あの時はそれ以上のものが得られたんですよ
それをうまく説明というか全然説明できないんですけど
得られたことは確実なんですね
これは仮に20分失っても全く惜しくはないというレベルのものです
ところが事前にはそうは感じない
さすがに20分は嫌だなと思うところがありました
この辺なんですよ
これとタスクシュートのさっきの話は僕は
繋がっているというか同じだと思うんです
その途端に得られるんだけど
何が得られるのかが事前には決して分からない
私たちは本当のことが分かっていないので
そして先で何が起こるかも分かっていないので
これは明らかにどっちもそうですよね
タスケルにしてもタスクシュートするにしても
事前には事後のことは決して分からないんです
詐欺じゃないかと言われても困るんだけれども
どうしようもないんですよね
分からないものは分からないんですよ
その人次第なんでその人その人なんで
ただ言えるのは
あの時声をかけなければあれは得られていない
回避行動になってしまうので
これが回避行動なんですね
回避しろって言ってるんですよ脳は
理由は本当はいらないんですよ
私がそのおばあさんを手伝うことによって
偽善的だと自分で思うのが怖いのか
20分失うのが怖いのか
その他様々なことが怖いのか
理由は私が怖いという後に
作り出されるものであることは確実だったと
多分この発見が一番得られたもので
私としてはでかかったと思います
怖いからやめておけというのが結論なんですよ
理由はどうでもいいんですよ
タスクシュートも同じなんです
非常に不思議じゃないですか
忙しくなってきたら記録が取れなくなるだろうって
ということはタスクシュートというのは
最も時間がないときには
使い物にならないという話になってるわけですよ
27:00
忙しい人のために作り出されたツールで
しかも忙しいからそれに興味が湧いたのに
最も忙しいときは
これは使わずに取っておくツールになってしまうと
あれですよ
ドラゴンスレイヤーって昔ゲームがありましたけど
いざドラゴンが出たときだけは
包丁で戦うみたいな話になってるわけです
これぐらい何かが転倒するというのは
結論が先にあるからなんですよ
回避せよと
回避するもっと悪しい理由は
後から大脳がデッチ上げてくれるんですが
やってるのは小脳よりも遥かに小さい
本当にクルミみたいな大きさの脳が
結論を最初に持っちゃってるんで
逃げ出せと
それでやるのはダメだという結論を持っちゃってるんで
だから何らかの理由でこいつを沈めない限り
まともな結論は出てくるはずがないということですね
必ず疑わなければいけないのは
おそらく信頼を送るのが怖いという問題と
今のきで言えば時間を失うのが怖いということ
ここをもう決して疑うことをしないならば
もう一つお金もありますね
お金を失うのが怖いと
お金を失うのか時間を失うのか
信頼を送るのが本当に怖いのかということを
考えなかったらですね
きっとこの問題は解けっこないような気がします
結論を出している脳は極めて原始的なんですよ
もうちょっと簡単に言うと
結論を出している脳は
私たちがずいぶん信頼を置いている
偏頭体なんですけど
非常に愚かだってことを忘れちゃいけないんですよ
怖いと言った時には
どんなにその人の頭脳が明晰で優れていて
東大を出てたとしても
結論は原始人のそれと何にも変わらないものになっちゃってるって
いう話なんです
28:55

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