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2021-05-14 19:41

【GMV 376】ノープラン、ノーゴール

3分先でもなるべく想定しない
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、今日はですね、もう間違いなく早く切り上げるぞってのがあります。
えーと、今日は奥さんが出かけなきゃなんなくて、えー、切り上げる時間は決まっているんですよ。
だから、えー、話に落ちがつこうがつく前が切り上げるので、まあこれで切り上がるだろうと。
考えてみるとですね、えー、ここのところの私のは、ここ、ここまでのも大体そうでしたが、落ちのない回はいっぱいあるので、
えーと、時間が来るか落ちがつくかどっちかで切ればいいなと思うようになったんですけど、
えーと、なかなかやっぱり落ちが全くつかないのにいきなり唐突に終わるのって難しいなというのを今のところ感じております。
で、えーとですね、うーん、落ちの話ではなくて、えー、ノープランっていうことについてちょっとお話ししたいんですね。
まあ、あの、プラザの計算さんとやっている書き上げ塾っていうのはノープランライティングって言ってですね、
えー、プランがないし、えー、私の感覚ではアウトラインもないし、えー、レビューもないから、ノープラン、ノーレビュー、ノーアウトラインなんですよ。
で、私これでいこうと今決めてるんですね、書くこと以外も全部。
えー、ノープラン、ノーレビュー、ノーアウトライン。
まあ、できるだけ、あの、ものによるけどノーゴールってのもあるんですけど、
ノーゴールってなんかあの、えーと、ゴールが認められませんでしたみたいな、あの、えーと、なんていうのかな、
まあそういう感じがしちゃうので、サッカーのですね、ノーゴールみたいな感じがするんで、なんかちょっとニュアンス変わるんだけど、
まあこういう感じなんですよね。
で、えー、それではどこにも行き着けないという不思議な話が出るんですが、
人間以外の動物は全て絶対こうなんですよ。
なぜなら彼らにはこれができないからですよね、ノーゴールは描くの難しいし、
えー、プランは論外で、えー、レビューも論外で、えー、アウトラインも論外ですね、
だから、あれでもどこにでも行き着けているわけなので、こう、
彼らがそれでどこにも行き着けないのであれば、僕らはそもそも生まれてないですよね。
つまり、えーと、このアウトラインとかゴールを描いていけば、
どこかに思い、行き着けるという証拠はどこにもないような気がします。
で、えーと、まあそれは良いんですが、
あの、趣味なんで私の感じではもはやそこらへんはですね、趣味の領域なんで、
それは良いんですけれども、えー、書き上げ塾というのでもですね、
えーと、書き上がっているんですよ。
だから、あの、本出てますから、えーと、
よろしければチェックしていただければと思うんですけど、
Good Vibes e-booksというレベルで本は出てます。
で、えーと、結構長い期間書き上がらなかった方の本も書き上がるの、書き上がったんですよ。
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だから私はすごくこう、この、えー、プランとかアウトラインというものを一切立てないというやり方、非常に良いなと思ってます。
で、あの、書くことがまあ私の場合一番長期に関わることだから、
ノープランというのがはっきり出るのはここなんですけど、
私あの、今本2冊書いてるんですけど、いずれもノープランのアウトラインなんですよ。
あの、編集さんには提出してますよ、アウトラインを。
これはあの、提出しろって言われる以上しますけれども、
えーと、それは提出用に作ったものであって、私が書くためにはそれは使わないんですよ。
で、それじゃ同じにならないんじゃないかって話も出ると思うんですけど、
同じにするのはそんなに難しいことではないです。
さすがにこう数十冊書いてくればですね、
えーと、提出したものとの長尻を後から合わせるなどというのは大した問題ではないんですよ。
そうした、そうしない方がベターじゃないかと私の中では思うけど、
ここはもう商業的な要求なので、どっちでもいいかなというレベルではありますね。
で、このノープランというのは、例えばこのまさに、
ポトキャストはノープランですけれども、
えーと、さっき早めに切り上げるって話をしたじゃないですか。
これができるのがタスクシュートっていう風に私は思ってるんですね。
ポトキャストの場合はやっぱりブツ切りにしたのを全部後で合体するというのは非常に大変なのでやんないですけれども、
タスクシュートというのは、別にですね、
ここに何分なければ何かができないと考える理由はないツールだと思うんですね、本来。
だからノープランでいけるんですよ。
これは非常に大事なことで、なんか非常にここがですね、逆に考えられているようなんですけれども、
そもそもノープランでいけるんですよ。
途中からの仕事中の依頼に即対応するという、
GOOD VIBESのその依頼には即座に対応するというのもできるんですよ。
これができるということは、プランがなくてもいけるということです。
だって急な依頼にはプランとかはないわけですから、
そのプランを事前に組めるとなれば、それは急な依頼でもなんでもないですよね。
だから急な依頼というのに即対応できるというのもタスクシュートだと私は思うんですね。
これが面白いことにですね、昨日ある方と打ち合わせをしていて、
ちょっとディスカッションになったんですけど、
急な依頼というものはとってもダメだと。
その方がおっしゃるのは不葬式になるんだって言うんですよね。
お葬式というものはすごくおぞましいと。
なぜなら人はプランでは死なないから、そりゃそうですよね。
そういうふうにもうそろそろだろうかみたいな、
うちのまさにおばあちゃんはそうだったんですけども、
でもそうじゃないケースも多々あるわけじゃないですか。
それに事前に分かっているくらいなら回避しますよね。
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だからプランでは人は亡くならないから突発的にそれは起こり、
大変自分のプランが破壊されると。
なるほどと思ったんですけど、
これはいかにもジゾイド的だなとも思いましたけれども、
そうじゃないだろうというのもあるんですけど、
そこは一旦置いといてですね。
でも私は祖母が亡くなった時の、
頻繁に定期的にコロナが前までは病院とか行ってたんですが、
タスク習得で行けると僕は思うんですよね、基本的にそれは。
祖母のお見舞いに行くというのは、
どれほど突発的であってもタスク習得で対応十分可能だと。
なぜならばそれに追加すればいいわけですよ。
そしてそこにあったやつは全部、
1回や2回スキップしてもいいものは削除して、
ダメなものは先の日程に全部ずらせばいいわけですよね。
非常に容易にできるようになっていて、
なんでこれが突発に対応できないんだろうという感じを抱くんですね。
そもそもそういうふうにして、
そういうタスク習得的にずっと見ていくと、
突発などというものはないとみなすべきか、
さまなければ全部突発だとみなすべきかのどっちかなんじゃないかと思うんですよ。
事前にオートメーションみたいになっていて、
そのタイミングでこれを絶対やるという固定的にするほど、
やるのは難しくなりますよね。
例えばこのポッドキャストもそうですけど、
7時59分にスタートできなければもうダメだ、死んでしまうということになったら、
死んでしまうしかないわけですよ。
今日できるようになったのはどう考えても8時過ぎなんで。
結局何分は確保しなければいけないということを、
あまりにも必須でもなんでもないのに必須であるかのように捉え始めると、
これができなくなるわけですよね。
20分確保できないならやらないということになって、
私はその発想が多分長期の計画にとって一番無用でかつ邪魔なものなんではないのかと思います。
3分でも5分でも思う以上に進むことってありますんで、
3分後に何が起こるということは結局固定的には決まってないわけですから、
考えずにスタートしてしまえばいいわけですね。
これはマインドフルネス的でもあるし、グッドワイブス的でもありますけど考えずに進めるというのは、
私にとってそれは昔は難しかったわけですよ。
だけどタスクシュートで容易になったと自分の中では思うんですね。
ここに3分あるというふうになったら即やってしまえばいいわけです。
3分はできるわけですからね。
3分経ったらやめればいい。
ここが集中力が乱されるとかいろんなことをおっしゃるんですけど、
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多分僕はそれはやってないからだとしか思えないんですよ。
やってみればこの長さは事前に測れるような何かじゃないということがすぐさに分かるはずなんですよ。
3分で何もできないこともあるし、異様に進むこともあるんですよ。
だからいちいち全部やってみないとこの3分が何を意味するのかはやり終わるまでは絶対分からないと思うんですね。
それがタスクシュートというものを使っていると分かるんですよ。
3分というものを人は知らないと思うんですね。
カップラーメンを作る時間という以外の定義を持ってないような気がするんです。
この3分で何ができるかは3分前には分からないんですね。
このこともまたよくクラゾの圭三さんがおっしゃるところのあれですね。
本当のことは分からない。
わずか3分のことが分からないのに30分のことが分かるわけがないし、まして3ヶ月のことは分からないですよね。
そういうふうに考えていけば未来の計画というのはだんだん重視しなくなるんじゃないかと思うんですね。
立てるのは趣味なんで全然構わないと思うんですけど、人の趣味に口出しするところじゃないですよね。
昔私チバラッテマリンズの前身のロッテオリオンズという球団を応援していて、
完全に悪趣味だと友達にバカにされてたんですけど、
趣味の領域なんでめちゃくちゃ弱くてめちゃくちゃ人気がない球団にこだわって応援し続けるというのも趣味の領域なんで、
その領域なんだと僕は長期計画というものや未来計画というものは楽しみでやるものだろうと今は思っているんですね。
何度かこの番組では言いましたけど、去年の9月だかの連休とか8月のお休みとか、
完全にオリンピック仕様だったけどオリンピックなかったんですからね。
計画というのはそういうことになり得る。国家レベルで立ててもそういうことにはなり得るし、
実は頻繁になっているのを僕らはまざまざと見続けているんだけれども、
どうしてもしょうがないんですけどそこには利害が絡んでますし、
格好の材料でもありますからどうしてもああいう時にいかに相手が無能であるかを証明するための絶好の材料にされちゃうんですけど、
どんなに有能な人でもできないことだと思うんですよね。
俺ならできるっていう風に言っておくことが大事だっていうのはシチュエーションによっては確かにそうだと思うんですよね。
そう言っておかないと政権交代なんて起きやしませんもんね。
だけれども多分できないんですよね。
それはよく諦めだっていう話を聞くのが僕はいよいよ不思議で、
諦めだということはですね、できる人もいるしかつてできたこともいっぱいあったけど現在は無能だから諦めてますっていうニュアンスになるじゃないですか。
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それは全くそうじゃないような気がするんですよ。
3分のことすらわからないのは諦めとかじゃないんですよね。
わからないはずなんですよ。
わかるようにできてないので。
わかるようにできてちゃ困ると思うんですよね。
わかるようにできてるってことは、つまり僕らの未来は予知されるってことになりますよね。
こうなったら、今日はそんな話を詳細にやってる暇は確かにないんでしませんけど、
もし僕らの未来がそんなにこと細かに予知されるようになったらですね、
差別問題とか今よりはるかに過酷になるし、
そこからその問題を、課題を人類を克服するのに今の30倍ぐらい大変な目に遭うんじゃないかと思うんですけどね、私は。
現在の技術でもそうかもわからないけれども、
昔の技術でも十分危険なことって起こり得たわけじゃないですか。
差別等々では。
非常に未来予知的な何かを示唆していましたよね。
こういう遺伝子を持っている人間はこういうことをするとか、そういうことを言い出すじゃないですか。
それが的確に当たるようになる世の中ってめちゃくちゃ恐ろしいと思いますね。
だからそういうのはわかっちゃ困るんだと思うんですよ。
わかるべきだという観点の方がなぜか極めていつも強いんですけれども、
わかるべきではないと思うんですけどね。
とはいえ、何がわかろうとですね、わからないことってやっぱりありまして、
一つ一番わからないのが自分のことなんですよね。
自分がこの3分で何ができるかってわからないんですよ。
これは大変いいことだと僕は思うんですけれども、
ありえないことができることが時々発生するわけです。
それも割と頻繁に発生ということはですね、
つまり自分の能力がすごい高いとか言うんではなくて、
自分の能力については自分じゃわからないということだと思うんですね。
ありえないことが起こるということは、
そういうことはありえないと思っているってことですよね。
だけれどもあり得るんですね。
何度もそのことを体験してもやっぱりよくわかっていなくて、
多分これは3分とか1分とか13分とかについての固定観念があるからで、
それって要するに帯状の時間でもあるし、
未来の想定でもあるし、みんなこの言葉大変好きなんですけれども、
まず間違うし、間違うべきなんだと思います。
それをですね、多分、
これもこのPodcastでよく言いますけれども、
頭ではわかっていると言うんではだめで、
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体で体感するレベルに入ればですね、
即座に未来想定というものをやめると思いますね。
私がやめたからですね。
これやめるのはすごく何度も言う通り簡単なんで、
これをやめない方が努力を要するはずなのです。
だからこの努力をしているということは、
想定には重要な意義があるという確信めいたものがあるはずで、
それがなくなってもこれだけの、あれだけの努力を払うはずはなかったと思うんですよ。
大変な努力でしたから、
ちょっとした未来を想定するだけでも本当に大変な努力を払っていたので、
やめるのは一瞬でできます。
難しいことはしていないですからね。
難しいのは未来の予知の方で、はるかに難しい。
この辺で番組を切ることになるわけですけれども、
今日もそうだったし、昨日もそうだったし、一昨日もそうだったんですけれども、
今ゴミ出す、間もなく出しに行かなきゃならないんだけど、
当番というやつで熱湯を片付けるとか、いろいろあるわけですよ。
カラス対策なんですね。
このカラスも想定できないわけですよね。
ある程度は想定できますよ。今の時期子育てするからゴミ取りに激しく来るんだそうです。
ということは想定されているけど、いつ来るか完璧にわかるわけじゃないんで、
見張っている方もいらっしゃったりするわけですよね。
これが結構、地域の微妙な問題を作り出すわけですよ。
こういうところでも、多くの話を聞いていると、話聞くんですよ。
私もゴミ出しに行きながらついでに。
つくづくですね、恐れと不安って猛威を振るうし、イリュージョンってすごいなと思うし、
そして未来の想定なんだなと、想定しよう、想定しようって言うわけなんですよ。
カラスの動向とかね、誰それさんが早くゴミを出してしまうとか、
全部想定するわけですよね。
会社に行く人は早く出さなきゃならないけど、早く出すとカラスが狙う時間が長くなるわけじゃないですか。
こういうイリュージョンも恐れと不安ですよね。
恐れと不安はゴミが散乱する恐れと不安ですね。
イリュージョンがあって想定をすると。
何にも起きてないんですよ、実際には。
何にも起きてないんだけど、ものすごいいろんなことが脳内を駆け巡っているわけです。
話聞いている私の方に伝わってくることを見ていると。
本当にですね、タスクシュートを使おうとはさすがに言えませんが、
平均年齢が70歳を超えているって感じですからね。
私たちは現実を無視するのがある意味好きだなと思います。
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これはもしかすると楽しんでやっているのかもしれない。
そうすると趣味の領域だから水さすのもどうなのか感じもするんですけど、
非常に独特のやり方でイリュージョンというのが形成されるわけですよね。
どこかに悪者みたいなのも作り出されますよね。
例えば会社に行くから早く出す。
それは悪いことじゃないですけどね。
そういう想定があって、そういうイリュージョン。
何にも起きてないんですよ、実際には。
網の中にきちんと収まっていて、カラスもそこにはいない。
散乱もしていない。
でもそれは去年とか一昨年とか、もっと私が引っ越してくる前に
そういうことがあったんだと思うんですよ。
そもそもその網をかけるようになったんだって。
その後のいきさつみたいなんでね。
そういうことが起こります。
起こるんで、僕はですね、これをやめるだけでも
随分、あんまり時間のことはどうでもいいと思うんですけど
時間も浮くし、苦労も浮くし、辛労も浮くしと思うんですけどね。
ただ、ここでこういうイリュージョンをもてあそぶという楽しみというのが
あるのかもしれないっていうのだけはあります。
そこに未来予測って実は醍醐味があるのかもしれないなと思うことも
最近、ここのところのその騒動で感じなくはない。
私はあんまりやりたくなくなってるけれども、
それはもともとやりたくなかったけれども
そういうこともあるのかなというのをちょっと思いました。
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