00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
あのですね、昨日、倉園圭造さんがポッドキャストをアップされまして、
ああ、と思ったんですよ。そう思っただけですけどね。
倉園さんは、それこそYouTubeとか動画もそうですし、
音声だけのものも、2人以上ではなさってるんですよ。定期的に。
だけど、1人っていうのはなくて、たぶんそれは目の前に誰もいないのに、
喋るというこの不自然な行動があれなんだと思うんですよね。
でも、昨日アップされていて、ああって思って、
そっかと思って、私もこれ続けようと。
辞めるつもりがあったわけでは、さらさらないんですけどね。
そんなふうに思いました。
これは私は600回も続いてますけれども、
なんというか、ただ続けてるだけじゃないですか。
それこそ、昨日もすでにマイクのお話出ましたけど、
マイクとか使ってすらいませんから。
iPhoneに直撮りですからね。
このポッドキャストやってて、最大の良かった買い物の発見っていうのは、
三脚立てて、その上でiPhoneをマイクのようにして喋るっていう、
このやり方がベストだということが分かった。
これはアフィリエイトで書いてもいいぐらいのネタだなと思うんですよね。
いろんなマイクあるみたいですけれども、
私一つも試してないから分かんないんですが、
iPhone優秀だなと思うんですよ。
それと、手で自分で持ってるとすっごい辛くなるんですよね。
これ最初軽いから気づかなかったんだけど、
40分も持ってると左右何度も持ち替えてももう辛くてしょうがなくなる。
これ多分、喋るときに何か力入れるところと、
手で持つのが関係あるんだろうなと思います。
電話しててすごい疲れてくるような感じになるんですよ。
あれがなくなって、しかも音立たなくなったので、
この三脚はすごい正解だったと思うんですよ。
しかも安かったですしね。
100均で売ってるレベルなんで、これをずっと使ってるんですね。
それよりはマシなもの、情報管理ログさんのところからだったと思うんですよね。
だいたい僕が買い物するときに成功してるのは、
情報管理ログさんなので、
常に僕はあれを見ながら買い物をするみたいな、
あの中で、
Amazonプライムとか先日のような、
のタイミングを見計らって、
03:00
何かちょっとだけ買うという、
極力控えてるんですけどね。
2つ控えてる理由があって、
1つは完全にお金がないからってこと、
もう1つはライフハックは買い物じゃないって、
僕はどこかで一生懸命やってるんですよ。
僕はどこかで一生懸命頑張ろうと思ってるところなんですよね。
これを言うつもりはないんですよ。
はっきり言ってライフハックは買い物なんで。
だけどライフハックは、
買い物で問題を解決すると、
それが何か目利きのショッピングみたいになっちゃうじゃないですか。
多分それでいいでしょうけどね。
そういうこともありまして、
なるべく物は買わないと思っております。
で、話がずれてるんですけれども、
クラゾノさんのポッドキャストの中で、
グッドバイブスという言葉について出てきて、
あれは全く僕もすごく意識してたんだけど、
しゃーないなと思っておりまして、
どういうことかというと、
つまりクラゾノさんの考えを
グッドバイブスという言葉で
一言でまとめて使ってるんですよね。
変数のようにして使ってるんですよ。
だけど本当はそうじゃなかったんですよね、もともと。
だいたいグッドバイブスという言葉は
検索してもクラゾノさんの発明でないことは確かだから、
つまり意味がずれちゃうわけです。
けれどもこれをやらないとですね、
毎回毎回一から緑の本が出まして、
その前のクラゾノさんの考え方とは少し違いましてっていうのを
毎回毎回グッドバイブスを説明するたびに
言わなければならなくなって、
これは現実的には無理なんですよ。
だからこうなるんですよね。
じゃないとクラゾノ教でしか
言いようがなくなってしまうんで、
それはそれでアレだと思うんですよね。
タスクシュートもそうなんですよ。
タスクシュートと言っとけば
済むというのはあるんだけど、
実はこれはツールの名前でして、
元々はExcelでしたって
毎回毎回言うわけにいかないじゃないですか。
タスクシュートでやる時間管理術には
独特のユニークさがあるし、
そのユニークさを含めてタスクシュートと言ってるのか
タスクシュートと指してるのか
その都度のニュアンスでも
流しているんですけれども、
本当はそれはダメなんですよ。
本当はダメなんだけど、
それをやると毎回毎回タスクシュートと言うのは
っていうのをやらなければならなくなりますよね。
それはそれで困るんで、
ライハックとかもそうですよ。
こういうのがですね、
クラゾノさんが先日書き上げ塾という、
これもそうですよね、書き上げ塾は。
前だけれども、
知らない人は知らないですからね。
書き上げ塾という、
私とクラゾノさんでやっている
書き上げるための塾。
これはリアルであるんですけどね。
の中でオブジェクト思考というのは
そういうものだというふうに
説明してくださって
06:01
なるほどなと思ったんですよね。
私はこの言葉の意味がどうしてもよくわからなくてですね、
結構困っていたところが、
時があったんですよ。
今は全然困ってないんだけど。
わからなくても、
差し支えはない言葉なんですが、
なるほどと、
だからつまり、
1から全部説明しなくても済むように
タスクシュートとはこういうもんですと
一回説明しておけば、
あとはタスクシュートというのが
変数Xのように使えるわけですよね。
ライフハックみたいな、
そういうやつですよ。
最近の言葉で言うとですね、
あまりよくないかもしれないですけど
みんなカルトの定義をどうするのかっていうのを
せずに議論を進められますよね。
だから危なっかしい面もあるんだけど、
でもカルトというのは
そもそもってやりだすと
多分そこで意見の一致を見ないんですよ。
それだけでも大変なのに、
そもそも宗教学者でもないのに
そんなことできないじゃないですか。
だから一応わかったものとして取り扱う。
対数Xってまさに
わかったものとして取り扱うところに
価値があるじゃないですか。
Xたす3は5って言って、
Xはわかったものっていう風に
見出しているんですよね。
これだったら別に四角だろうと
さくらんぼだろうといいんだけど、
Xの7乗をルートすると
どうのこうのってなってくると
もうXはわかったものとして取り扱ってないと
わけわかんなくなっていくので、
そういうことなんだと思うんですよ。
てかそういうことなんですよね。
言葉というのは基本的には。
だからグッドバイブスはって言っておけば、
一連のプラソンの3が
緑の本で9年前にっていう
この一連の名前を全部そこに
押し込めることができますと。
で、書き上げ塾では
極力それをやめましょうというか、
ここを極力説明するように
頑張ると文章が良くなりますという、
これもまた非常に大事なことなんだけれども、
僕らは逆へ逆へと流れがちなんですよね。
ここを何とかするっていうのが
文章が上手くなるためには
多分必須のシステムを
作る必要があるんじゃないかなと
思うんですよね。
で、そのシステムは
文章が上手くなるためには
多分必須の姿勢なんだろうと思います。
私もついいつの間にこそ
タスクシュートとか
ライフハックとかGTDとかで
ついやっちゃうんですけれども、
極力ここをやめるようにやっぱり
いつかのタイミングで
努力をしていたんですよ。
それを今は拍車をかけてやってる
みたいな感じなんだけれども、
当然長くなるし本も厚くなるんで、
さらにそこで
という風にやりながら
一定の厚さに
進めるというのが
工夫しどころなんですけれどもね。
そういうことなんだなって
思います。
このすごい人になってくると
もうそれこそオブジェクト思考と
アウトラインだけで
本だっていうことにしちゃってますから。
過剰書きと
ほとんどが説明を要する言葉で
畳まれていると。
本人の中ではこれで
実に合理的に
09:00
理屈の整合性が
取れているということなんだと思うんですけど、
それは本人の頭の中で
整合性が取れましたの証明書であって、
読者にとっては
それでは意味は全くわからないですよね。
だからそれだと
いい文章というよりも
そもそもそれは
果たして文章だろうか
というような風になっちゃうわけですね。
政治分析などということも
そうですよね。
これだけでは
実にいろんな意味を
読者に定義も
いまいちはっきりしない。
私もやっぱり
この番組のやってる時は
フロイト的なとか
それは一体何を意味しているのかというと
古典的な精神分析の
理屈には
というようなニュアンスが
しかも後から喋っている人たちが
それを喋った時には
というのを込めているんですけれども、
はっきり言ってそれは
私が勝手にやっていることであって
本当は毎回毎回
そうじゃないと
不正確になるというか
どうせ不正確なんですけれども
そういうようなことは
さまざまこのポッドキャストでも
もちろんあります。
全てあります。
言葉を扱う上では起こるんだけど
なるべく起こさないようにしましょう
ということは
方向性というか
姿勢としてはあってもいいかなと
そんな話が
書き上げジムで聞いたと。
で私はそのオブジェクト思考派
というのを聞いて
なるほどなと
私はすごくそういう傾向が
たぶん結構小さい頃からあったなと
変数Xを定義しておけば
あとは自在にこれが使えて
しかも自分の言いたいことの中で
このXは何度も出てくるというのが
なんとなく
自然に感覚的に分かるんですよね。
たぶんオブジェクト思考というものを
発明したり
ああいうのが好きだという人は
みんなそれはあると思うんですよ。
その場をいくつか用意しておけば
自分は言いたいことが言えると。
理屈はそうなんだけど
それでは
相手がついてこれるかどうかは
また別の問題だということですね。
でそのオブジェクト思考というので
一つこう
なんですかね
思い出というのかな
いくらも思い出はあるんですよね。
分からずに本を読んでいた思い出が
ふつふつと蘇ってくるわけですよ。
僕なんかね
こういうものに相性よかったんだけど
オブジェクト思考というものが
プログラムっぽい本
あるいはウェブの
何かの本などで説明されていると
全然分からんという風になってたんですよ。
なんか何言ってんだかさっぱり分からないという
この感じというのが
タスクシュートには少なくとも
あるんだろうなと
最近思うように
なってですね
必死にやっているわけですね。
ちなみに
宣伝なんですが
間もなく
12:01
朝出版さんから
なぜか仕事が早く終わらない人のための
図解帳からすく管理術
という本が出ます。
タイトルがね
長い
だからこういうの短くしちゃうんですよね。
こういうのも
オブジェクト思考じゃないでしょうけれども
そういう経験を
実行の一つですよね。
いずれ私超図解とかって言い出すんだろうな
って気がするんですよ。
逆ですからね。
図解帳タスク管理術となってますから
それはいいんだけど
その
この本ではですね
かなり
チャレンジングというか
チャレンジして
ちょっと出版社さんに付き合わせちゃったなという
感じを抱いているんですよ。
どういうことかというと
このさほどさして熱くもない本の中で
タイトルシュートのマニアナの法則を
全部説明してるんですね。
もちろん一つ一つを
精密に説明する余裕はないので
そこを
そこを図解でですね
乗り切ったという
形になってるんですね。
本来私はそういうことを
ほぼ逆にしたくない
全部文章で説明するほうがいいと思っているんですが
これを全部文章で説明すると
多分この2倍くらいの厚さになった上に
読まれなくなることは確実だと思うんですよ。
こうしました。
こうしてみました。
ある意味
張訳みたいな雰囲気になっちゃったなという
のもありますが
反省しないというのもあるし
こうしてみないと
できないこともあると
これはあんまり器用に
できなかったから
かもしれないので
他の人がもっと上手くやってくれると
いいかなと思うんだけど
とにかくこういう本が
私の感覚の中では
なかったんですよ。
要は
みんなここで
僕の考えでは
入口付近のこの辺でつまずくという
ところがあるんですね。
特にGTDにはある。
ここを図解と
わずかな文章で
乗り切り
しかもそこから先は
やりたければ本読んでください
という本になってるわけですよ。
紹介本みたいになってるんだけど
紹介本の割には
実は妙に
よく言う言葉で言うところの
上級者っぽい話が
含まれているわけですね。
私、タスク管理に
上級者も
新入者も下手くれもないと思っているので
タスク管理というのは
そういう難しさを要求してしまったら
もうアウトだという風にも思う。
なぜここでつまずくのか
というところだけを
乗り切っちゃえば
だいたいその一流に後は
取り込んでいけば
なんとかなると思うんですね。
GTDとタスクシュートとマニアナを
わざわざ並べ立てたのは
似たようなところが
もちろんあるわけですよ。
タスク管理ですから。
15:00
一方で見た目は
全く違うように見えるはずなんですよね。
どうしてそういうことが起きているのかも
通しで読むと
なんとなく見えるんじゃないかと
通しで読むとだけじゃなくて
見方の問題も大きいと思って
だから使いにしたわけですよ。
目で見えるようにですね。
こういう風に見えるようになるはずだ
というのが私の中にあるんですよ。
普通の人がGTDをやれば
いずれこんな風になっていくだろう
という形を示しておいて
実はそれマニアナやタスクシュートと
似たところに行き着いているよねと。
最初は全く違って見える。
少なくとも入り口でやることは
全然違うんですよ。
それぞれね。
なんだけれども
いずれ同じようなところに
行き着くことになっておりますと
私3つともやりましたから
いずれ同じようなところに
行き着いた時に
出てくるものはこうなので
だから最初のところで
つまずかなければ
早く、早くと言えばいいのかな
手っ取り早くここに
行き着くことによってですね
何をすればいいのかが
やらないうちからは
ある程度は見えるように
見えるというのを目指したんですね。
だけれども
難しいことはなるべく言いたくない
っていう
ある意味無理のある話を
しかも3つもの方法論が
1冊1個1個の1冊書いても
250ページずつぐらいは言うに行くのに
3つ合わせて
200ページそこそこ
しかも事例付きっていうのは
おかしいんですけれども
だから張約的にやるしかなかった
そういう実験作なんですね。
私は本で全部実験作であるべきだって
思うようなタイプで
大全とかは
分からないですよね。
大全批判をしたいわけじゃない上に
いずれお前も大全書くんじゃないのか
って言われるとあれなんですが
でも私は本で
何て言うんですかね
体型立てちゃダメだっていうのは
これも昔からあるんですよ。
これ私哲学の方面から
少し意識するようになったことで
スピノザっていうんですよね
体型がバッチリきれいに
スピノザの宇宙はこう
みたいなのがきれいにまとまっている
私からすると
ダメな本があるんですよ。
なってそんなことできるわけが
ないじゃないですか。
その辺はカントだったか
カントじゃなかったかもしれませんが
カントじゃなかった気がするんですが
言ったやつですよ。
宇宙が人間の脳で理解できるほど
単純だったら
うんたらかんたらってやつですよ。
そういうことだと思うんですよね。
だからスピノザって
読まれないわけですよ。
その完璧な体型が整いました。
私こういうのは
たとえどれほど簡単なものでも
そんなものを人が喜んで読むわけない
と思っております。
本当に簡単なですね。
そういうことが可能な
そうだなタスク管理でも
可能かなと思うんだけれども
例えばうちの家の
18:00
目高の水槽の
完璧な説明書みたいなのは
まあまあ作れそうじゃないですか。
そんなものを
誰が読むかという話なんですよ。
面白くもなんともないと思うんですよね。
それはその人と
自己満足そのものだと思うんですよ。
スピノザについて
そういうことを言えるほど
お前は何様だってところありますけどね。
もう一つあるんですよ。
カッシーラという人が書いた
人間というですね
人間
どっちがどっちだったか
すぐ分かんなくなっちゃうんですけど
カッシーラという人がいて
岩波で出てると思うんですけど
その12冊ぐらいかな
人間じゃないみたいな
認識哲学とか
シンボル形式の
哲学だったかな
とにかく全出版くらいあって
誰もこれを最後まで読もうという
気にならないじゃんと
一応私読んだんですけどね
途中ですっかりうんざりするんですよね。
ちなみにすっごい面白いけど
トルストイの戦争というのは
第5巻ぐらいはうんざりしますよ。
やっぱり長く書けばいいって
もんじゃないわけですよ。
この多分カッシーラも
すごく体系立てるということに
熱心だった人だったと思うんですね。
大体シンボル形式の哲学ですからね。
で、多分反省したんだと思うんですよ。
その後人間という本を書いた。
反省してるんだと思うんですよね。
反省してたんだと思うんですよ。
反省してたんだと思うんですよ。
反省してたんだと思うんですよ。
反省してたんだと思うんですよ。
反省してた気がしますもん。
中でですね、体調悪兆であるとか書いてましたからね。
これも彼が書いてたのかな?
まあ、そういうことはありますよね。
体調悪兆ですよね。
私はそう思うんですよ。
だから自分単独で書く本は
他の方と一緒に書く場合に
そういうことを言うのはわがままなんで
やめてますけど
自分で書く本は原則200ページは絶対切る
っていう風に心がけてはいるんですね。
自分で書く本は原則200ページは絶対切る
っていう風に心がけてはいるんですね。
飛び出しちゃってるのはありますけど
それはまあ、アクシデントに近くて
絶対200は切ろうと
自分が一応ですね
ここまで物書きとして生きてこれた理由の一つに
これがあると自分は思っているんですね。
これがあると自分は思っているんですね。
誰がビジネス書で200以上読みたいものかと
誰がビジネス書で200以上読みたいものかと
私は思うんですよ。
私は思うんですよ。
哲学者だってこんな10巻とかだと
誰も読んじゃくれないじゃないですか。
誰も読んじゃくれないじゃないですか。
自分が流されて嫌なことは
人にさせるべきじゃないと思うんですよね。
人にさせるべきじゃないと思うんですよね。
だからやっぱり200は切りたい。
何としても200以下に縮めようっていうのは
何としても200以下に縮めようっていうのは
それによって
それによって
本実冊は安くなったり
いろいろあるし
今なんか特に逆流しているじゃないですか。
今なんか特に逆流しているじゃないですか。
対戦シリーズ600ページとかがあると
やっぱり男感があるわけですね。
全てがここにあるのを読めば
昔流行ったんですよ やっぱり
21:02
そういうものって
ニーチェを3日で理解するみたいな
フロイトを3日で理解するとか
ああいうのって読みたくなるじゃないですか
なぜならフロイト読むのは大変そうだと思うから
逆なんですけどね
なぜ逆かというと
つまり300ページなりで
フロイトが1012冊も必要としたのを
300ページなりもっと薄くまとめると
とっても面白くないものになるわけです
だってこれは
グッドバイブスなんかでも
こういう言い方をしようね
グッドバイブスなんかでもそうだと思うんですよね
二言見事で説明してしまうと
どうでもいいようなものになっちゃうじゃないですか
一本足りると
人は存在しているだけで愛であるとか言われても
仮にこれに同意できている人でも
聞いて面白い話だなとは感じないと思うんですよ
やっぱりいろいろいるんですよね
いろいろいるから
特にオリジナルの人はいっぱい書くことになる
フロイトなんかは絶対迷いながら書いてたから
あれは体型だってないんですよ
だからあんなになっちゃってるわけですね
特に彼はそういう人でしたけれども
彼が発見したことっていうのはやっぱり
でかかったわけですよ
当時としてもですね
今では全く誤解されているし
それは一つにはですね
今ではそれが常識になっちゃったから誤解されるんですね
当たり前じゃんというところが根底にあるものだから
フロイトの言った一見おかしなところばかりが目につくわけです
彼も以前の時代には
無意識ってものがほぼ認められていなかったわけですから
無意識って言葉もなかったわけじゃないですけれども
無意識ってのがああいうふうに
作用するのに存在しているのだっていうふうには
全く理解されてなかった
我々そうじゃないじゃないですか
無意識ってものは言葉として普通にあるよねってことになっちゃってますよね
これフロイトの功績なんですよ
その無意識ってものはあるよねってことになった上で
いろいろ書き始めたわけですよね
その発見自体が絶大だったものだから
あとはもう一人の人間がやると
いろんなことをああでもないこうでもないと
考えて書かなきゃなんだって
しかも彼はそれをほとんど残してくれたために
ああなるわけだけど
それは体系じゃないですよね
これは後から体系立てるのは
後の人が後からなりに体系立てていくのは
比較的容易なわけですが
それはその人の頭の中っていうだけの話であって
事実そのものですって話にはならないんですよね
だから体系立てたものって面白いとは思えないわけです
うちの水槽の体系みたいなもので
そんなのがその人の水槽を世話する人だけが知ってればいい話であって
その体系の話だけを外に持ち出されてみても
なんともしようがない
24:00
だから柏は多分全12冊ぐらいの本を1冊に書き直したんですよね
こっちのほうがずっと面白いんですよ
読んでて意味も分かりやすいし
そういうわけで話がどこからどう来たのか
分からなくなりつつあるんですが
200ページを自分は聞き取ろうと
これは自分の方針なんですよね
他の人には関係ないことなんですよ
300ページ面白く読ませるっていうのであれば
というのもそれは全然違う話だし
現に私も大橋さんと書いたスピードハックスは
300ページちょうどぐらいあるんですよね
強調ですからね
そういうので全然違うんだけれど
自分が書くときは体系は立てない
対善にはしない
つまり網羅性を目指さないってことと
対処にしない
これはもう絶対守ろうっていう風に
一応ここ20年近くは守ってやってきたつもりなわけです
時々アクシデンタルに超えてしまうという
結局そのページって最後の最後までわからないところがあって
どうしても入れなきゃならないってこともあるし
レイアウト次第では増えるってこともあるので
その辺はもうしょうがないかなとは思ってるんだけど
自分の方針としてはね
間違っても10万字なんていかないっていうのはあります
ビジネス書を書いてるっていうのがやっぱり意識の中にあって
これが小説とかだったらね
違ってくるし
自己啓発ともなってくると思ったら
違ってくるとも思っているんですよ
だから顔色の本はたまたまうまくいったけれども
もっと厚くなってもおかしくはなかったとは思うんですね
自己啓発に限りなく近いんで
なるべくビジネス書にしたい
ビジネス書と自己啓発は
自己啓発はビジネス書にいっぱいあるじゃないかと言われると
全くその通りなんですが
何て言うんですかね
私はビジネス書というのは
つまりジャンルは問わないと思っております
別に仕事術とか自己啓発とか
ライフハックになるわけじゃなくて
ビジネス書というのはつまり
ビジネスマンが読む
今読んでおきたいと思ったものは全てのような気がしてるんですね
昔加藤陽子さんという方が
菅総理の学術なんとかの時に
ちょっと話題になった方なんですけど
日本が近現代史ですね
戦争に突入していくまでをまとめている
非常に面白い本なんですけど
ああいうのも僕の中ではビジネス書なんですよ
つまり学術書じゃない感じがするんです
学術書よりも詳しくて細かく書いてあったとしても
学術書じゃないと思っているんですよ
つまり僕は学術書は書けないわけですね
出せないというのかな
そういう意味では
なんとか新書から私が出すとかはおかしいと思うんですよね
27:02
それはそういうルートがあって
そういう想定読者がいて
なんだけど私のような人間が書くものではないような気がするんです
私がたとえ真相心理の本を書いたとしても
私が真相心理学入門とか書いたのはおかしいと思うんですよ
やっぱり何かどこかですね
実用には直接使えないとしても
やっぱり実用性のようなものは匂わせておいて
今ビジネスマンはフロイトのことが知りたくなっているんですというのに対応する
これと学術書はどう違うのかと言われると困るんだけれども
そういうもんだと思うんですよね
大学生のための教養の本みたいなのって
別に大学生が読まなくても構わないけど
やっぱり大学生のためについているとですね
図書館とかにありそうな感じになっていくじゃないですか
ビジネス書っていうのはそういう一つのジャンルなんだと思うんですよ
テーマは問わなくてもジャンルなんだと思うんですよね
今ビジネスマンは副業のことが知りたいとか
それってやっぱり副業についての本格的であれ本格的でなくても
副業についての本って最初からあるわけですよね
カフェの開き方みたいな本は昔からあるんだけど
それとは別なんだと思うんですよ
今のビジネス書というジャンルで
副業っていうテーマで本を書いた場合には
そういう感じがあります
隊長になっちゃいけないんだけど
オブジェクト思考で本を書くと
全部が過剰書きで精神不適な方向であるみたいな感じになって
それこそバレットじゃないみたいですけど
バレットが前の方にあってどんどんどんどんってあったら
もはやそれはそれで薄くはなりますけど
読み物にはならないので
そんなことを思いながら
オブジェクト思考というものが一つわかったと
なるべく本を書くときにはここを開くって
まさに開くなんですよね
そこを米印を打っておいて
後でここを読みなさいみたいなのにしないということですね
ちゃんとここで説明すると
それをただ定義上の説明を繰り返すわけにいかないじゃないですか
だからそこはその文脈に合わせて
それなりに面白く説明すると
いったことをやっていかないといけないだろうなと
そうするとただどうしても厚くなるから
これでさらに200ページを切るということを
考えていかないといけないだろうなと
そんなことを考えつつ本を間もなく出るので
これはですね
やっぱりタスク管理というものを
30:01
最近100日チャレンジというのを
NJ松崎さんという方と一緒にやっているんですけど
タスクシュートはすごそうだと
ずっとすごそうだと思っているんだけど
まだ出せないというような
このままじゃないですけどそういうようなコメントをいただきまして
もうすごそうだと思われていてはいけないなと思うんですね
やっぱり
なんていうんだろうな
なんでも同じなんだと僕は思うんだけど
やっぱり永平寺に籠って多起業をするとかではないんですよ
そういうものではないので
気軽に手を出してもらわないと
始まらないわけですね
やっぱり私はマインドマップとか全部そうだと思うんですよ
遊び半分でやるのが正しいと思うんですね
これに出会わないと人生がダメだったみたいな
そういうふうに考えてやるものではないと
だけど世の中にはそれを
マニアックにやる人もいるんだと
それこそ
プラモデルとかってあるじゃないですか
レゴでもいいんですけどね
プラモデル名人みたいな
ああいう世界もあるけど
プラモデルというものは多起業みたいなものかというと
そんなことはないじゃないですか
そういうものでありたいよねっていうことなんですね
タスクシュートというようなものを
私もそういうのに一役買っちゃってる感じはあるので
多起業方面にしちゃった人間かもしれないので
一層今ではそれを逆に逆にと戻していきたいと
思うんですよね
多少はそういうところはあると思うんです
山登りとかでもですね
全くただフラッと入っていたらいけないじゃないですか
よく危険だから
じゃあエベレストに登るような人じゃないと
山登りにしちゃダメですっていうのもおかしいじゃないですか
ほぼそんなことはあり得ないわけだから
タスク管理は危険性はないので
少なくとも命に関わるなってことはないので
そんなに重装備を最初から考える必要も
強い心構えもいらないと思うんですね
そんな話を最初にしたわけじゃないような気がするんですけど
オブジェクト志向というものを
知ったかなっていう
知ったうちには入らないかもしれないけれども
なんとなくイメージがつかめるようになって
これから本の書き方が少し変えられるかなと
そんな風に
ここ最近では思っております