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2020-04-28 21:14

#59 その② ゲスト: コンポーザー/DJ tommy、Dreamcast/アーティスト 吉本綱彦

コンポーザー/DJ tommy、Dreamcast/アーティスト 吉本綱彦をゲストに迎えました!一緒に主宰しているp/amについて話をしています。
00:08
前回に引き続きまして、コンポーザー、DJのトミー君と、Dreamcastのツナをお迎えしております。
お願いします。
なんか話しすぎたね。ごめんね。
全然、喋ってもらいたくて、呼んでるから。
いやでも、なんかすごいよくツナのことわかった。取説、ツナの取説、なんか聞けたわ。
歪んでいったんですよ。
いやでも、すごい良い流れだね。中3の新物旅行にそこまで思い入れある人間があんまりいないと思うから、俺個人的には。
あれはもう本当に人生の天気だと思って。
いやいや、すごいね、それね、ストーリーがさ。
なんかセンスさえあれば認められるんだって思っちゃったんだよね、そこで。
そこの瞬間でね。
違った。
今、美術部入ったところで話終わってたんですけど。
美術部入って、大学行こう、大学のためにやろうかなと思ったら、
まず美術部で、大学のために美術をするんだったら、大学なんか行かない方がいいよって言われて、自分のアートを作れって。
なるほどね。
グラフィックデザインをするなみたいな。
グラフィックデザインとか、あと入試用のデッサンとかを学ぼうとするな。
まず自分のクリエイションができるようになってから、そういうのを考えなさいって言われて。
それで油絵とか描いてて。
一緒のタイミングに入ってきたのが中村加穂。
ミリちゃんのね。
中村加穂も、そのとき水素学部だったんだけど、確か。
入ってきて、美術部に。
そういう似たような人がいるから、そのときも頑張れたから。
なるほどね。いい先生だね、でも。
確かに。
みんななんかとりあえず、アートの、なんていうの。
あれ、イベント、イベントじゃない、なんていうの。
展覧会。
展覧会ね、ギャラリーというか。
高校生の展覧会みたいな、全大阪の。
大阪の、それに向けて描くんだけど、一回もその元々の美術部の枠に殴り込めなくて、展示できずに終わったんです。
03:02
自由にやってたんだ、だいぶ。
大学入ってグラフィックデザイン学部入ったんだけど、またその大学でもグラフィックデザインなんか練習したら誰でもできるから、感性を磨くためにまずアートっぽいって。
最初のカテゴリー分けはあれなんだ、見せかけなんだね。
本質的にはどこ行っても、アート磨きなさいと同じ教えを受ける。
アート磨きなさいと。
気づいたら、もうだから、その俺、もともとデジタルなものは苦手でフィジカルなもののほうが得意だから、
もういろんなものを描けるようになってきたっていうか、描くほうが早くなってきたって言ってたから、技術として。
だからグラフィックデザインとしてのスキルを全然やらずに普通に絵ばっか描いてたら、気づいたらグラフィックデザイナーになるのやめたみたいになってて、
そのままペインター的な感じ、ちょっとファインアートチックなペイント作品でやる感じになってたかな。
そういう経緯ですね、今のスタイルになっていったのは。
そこで今のスタイルが出始めるというか入り口になるわけね。
今の絵の感じになるね。
高校も大学も技術を教えてくれなかったから、テンスを磨けと。
教わってね。
多分やる人はちゃんと技術もどっかしらでちゃんとやってたんだろうけど、
俺はもう普通にやりたくなかったから。
技術磨くことってやらされないと俺やんないんだよね。
自分のものを作ることしかしてこなかったから。
気づいたらひどいことになってましたね。
これ就職できねえわみたいな。
ツナの身の回りにいる人とかも面白い人多いし、
生課題ですか、京都の大学で知り合った人とか。
バレーボーイズとかもそうだよね。
バレーボーイズと中村カホさんが同級生とか、同じ大学中。
中村カホは高校も大学も一緒っていう。
それもすごいよね。
同じ部活なわけじゃん。
喋ってることも時間も長いだろうし。
06:00
すごいよな。
周りに面白い人は常にいたかもね。
そこの巻き込まれていく感じとか、巻き込んでいくすごさみたいなのが、
俺は旗からツナのこと見てて、すごいなって思うんだよね。
単純に友達として。
確かに確かに。
東京でそのツナに初めて会った時に、
多分ね、20歳とかだったんだけど、
その時は会ったっていうか、同じ空間にいたみたいな感じなんだけど。
当時、渋谷のクラブでね、ワイトしてて。
で、ツナとかいるんだけど、
でも同じ世代とか本当に僕とツナぐらいなんですよ。
大体。
30代のパーティーで。
他はそう、他の人は結構レジェンドレベルな人とかが、
結構オリバーにいるところに、
この若い2人だけいるみたいな感じの時が結構あって、
やっぱなんかね、周りにいる人はなんかね、
すごいセンスがね、光ってる人ばっかりだな気がするわ。
面白いとこに行きたいんだろうね。
伝わるよそれはもう本当。
すごい目立ってた気がする、当時も。
面白いな。
ツナはさ、今はアーティストとドリームキャストのさ、
音楽のほうの活動2つあるけど、
日によってモード変えながら、
両方本気でやってるわけでしょ?
うん。
まあモードなんだろう。
音楽は最初DJから始めたんだけど、
絵を描いて評画を、レッスンをくれるのってすごいラグがあるから、
それが結構不安になってくるのよね。
誰にもわからない自分しか好きじゃないものを作ってるんじゃないかなみたいな。
自分のセンスを確かめるためにDJを始めたみたいなのがある。
なるほどね。これ良くないですかみたいな。
自分が今気になってることが間違ってないってことを知りたくてみたいな。
その流れでどんどんプレイヤー意識が芽生えていったっていうか音楽に。
なるほどね。
DJ始めたときぐらいはどういうの聴いてたの?
DJ始めたときは大学3年生ぐらいかな。
早いな。
そのときはヌジャベスがめっちゃ好きで。
めっちゃいいもんね。
09:00
あとそっからの入りでピートロック行ったんだけど、
ピートロックよりINIのほうがいいなみたいな。
90's聴いてたからだから。
色々好きなもの探してたんだねその時期は。
90'sHIPHOPを聴いてて。
そのときにDJのサークルみたいなのがあったんだよ。自習サークルみたいな。
でパーティーを組んでて。
パーティー組んで年に2,3回やるみたいな感じだったんだけど、
いい時間にHIPHOPだと、部長がハウスだったから、
ハウスマナーなのよ。
だからいい時間にHIPHOP、お前どうせHIPHOPだろみたいな感じ入れてもらえなくて、
それがなんかHIPHOPダメなのDJみたいなその時は思った。
そっから入っていったのが、でもHIPHOPダメだからってハウスに変えるのは俺負けた気するからと思って、
アプストラクトHIPHOPとかに行って、
でベースミュージックの方に行って、
でダブステップの一番メインでダブステップやってる感じになって行ってみたいな。
めちゃくちゃしっかりこういろんなジャンルを回ってんのね。
一応ハウスとかもやったし、
あんま好きじゃなくて、
なんかどっちかというとなんかパキッと分かりやすいものの方が多分好きで、
分かりにくいものはもう家で絵描いてる時わけ分からなくなってるから、
カラッとしたものをやりたいなって。
言ってもダブステップもね、ハードなやつもあるしね。
分かんないかもしれない、どうなのか分かんないけど、
多分俺乗れるやつ、乗り方任せますみたいなのが好き。
ハウスってなんか乗り方決められてる感があって、
そういう乗り方決められたまま踊りたい時もあるけど、
もっと変に乗りたい時の方が自分は多いから。
なるほどな。
DJはさ、もちろんツナもやってるんだけど、
トミーもかなりガッツリやってるじゃん。
その辺なんかDJ始めようとした経緯とかって、
さっきギターを始めたって言ってたけど、
ギターをやり始めてから、
DJとかトラックモノに注目し始めた。
あのね、もともとはずっと、
12:01
もうマイケル・ジャクソンなのよ、ちっちゃい頃から。
この根っこの方は、
ウン・ウォーカーっていう映画があると思うんだけど、
それがずっと家で流れてて、
僕がちっちゃい頃から何もかわからずずっと見てたんだけど、
ウサギのシーンが、着ぐるみのシーンがあるんだよ。
多分見たことあるとわかると思うんだけど。
スピード・デーモンって曲があって、
それがすごい好きで、
ただ、かっこいいってなんだろうっていうのをわからず見てて、
なんかいいなぐらいの。
で、それをずっとちっちゃい頃、多分繰り返し見てて、
で、なんかね、小学生上がってきた時とかに、
自然となんか自分の中の感覚でなんかいい、
なんか好きじゃない、好きみたいなのが、
少しずつね、芽生えて、はっきり自分で意識できるようになって、
で、その時に流れてたのが、
うち4人兄弟で、僕、背っこなんだけど。
あ、そうなんだ。
そうそうそう。で、姉とかがさ、TLCとかが大好きで。
おー。
そう、あのー、当時ね、めちゃくちゃ流行ってたと思うんだけど、
その90年代R&Bがうちで結構流れてたから、
なんかそれがね、あのね、やっぱり最初、なんかいいなっていう始まりで、
A最高。
そうそう。
そうだね。
なんか、中学校でギター、うちの父親がね、
ストーンズオタクだから、ギターはずっとうちにあった。
あ、そうなんだ。なるほどね。
そう、ストーンズオタク。
うちの親父もストーンズオタク。
あ、そこへ共通してんの、2人。
あ、そこから始まってんだな、たぶん。
根っこが。
そこから始まって、根っこいっちゃったな。そこから始まってんな、たぶん。
そう、だから。
ライブビデオ流れてた。
あー、もう流れてた。流れてた。
何そのストーンズあるある話。
いや、そう、ストーンズオタクお父さんいるあるある。
家でずっと流れてた。あとイカテもめっちゃ流れてた。
私もよくわからない。
そう。
オカマかと思ってたもん。
なんかもう髪も長くて。
うん。
なんか衝撃的な、なんかどういうのかも全くわからない。
男か女かわからない人だと思ってた。
うん。
ミック・ジャガーのことを。
そうだね、全然こうなってた。
この時期から聞いててよくわかってなかったな、その時は。
いや、全然よくわかってなかった。
カーステからクラッシュとかかかってもよくわかってなかった。
お父さんの影響で。
そうだね。
そうそう、だからギターがいいにあったから。
で、うちの兄もギター弾けたんだよね、ちょっとね。
はいはいはい。
で、なんかギターいいなみたいな。
ちょっと思ってて。
ギターやるけど、でも聴いてるのはもう本当にね、もう全部なんか、
もう中学校上がる頃に、その、ペズってさ、日本のジャズのバンド。
そう、あれがね、たぶん小学校、高学年ぐらいで流行ってて、
なんかそれが、なんかすごい刺さったの。小6か中1ぐらいの時にね。
15:00
で、それを聞いて、なんか、うわ、ジャズって言うんだ、これ最高だなみたいになって。
で、Mフロー行って。
そこで。
で、Mフロー行ったのよ。日本語ヒップホップ最高じゃないみたいになって、自分の中で。
早いな。
で、その時ぐらいに、ちょうどその、チャーベさんとか、
あの、キヴィソノ・グラフィコっていう、その日本のね、バンド、
まあそのアーティストがいるんですけど、
その、スキャフルキングとかさ、ハイスタとか、
その、エアジャム世代の、その横野世代と、
そのちょっと後輩の世代の、あのバンドシーンにどっぷりハマるのよ。
この中1、2ぐらい。
そこがたぶん一緒なんだよね。
そう、そっからたぶんツナと一緒なんだよね。
なるほどね。
そう、そこが、さっきなんかその共通の先輩が、なんか被ってるみたいな話を、
最初したと思うけど、
結局、そう、今のその先輩たちっていうのが、その、当時僕たちが聴いてた、
その共通のその、アーティストなのよ。
ほぼほぼその、そこら辺の人たちなの、みんなね。
そうそうそう。で、そこの、そう、チャーベさんとか。
で、そこにこう、ドーピングパンダとかさ、リリムサウンター。
はい。
で、リリムサウンター。
リリムサウンターの人たちね。
そう、そう、ニューレコーズっていうのがあった。
ニューレコーズの。
うん。
そうそうそうそう。
そうそう、そこら辺もね、同じなんだけど、
ニューレコーズってインディーのシーンがあって、当時。
エスカレーターレコーズとかね。
ほうほうほう。
そう、何個か、そういうレベルがあって。
うん。
でも、その当時そのレベルをも、めっちゃ追いかけて聴いてて。
へー。
で、結局その人たちが、その、その人たちがリスペクトしてるアーティストを、
さらに遡ると、あのー、R&Bとかブラックミュージックとかに、
はい。
回帰するんだよ。
うん。
で、そこに自分も掘っていって、
うん。
で、さらにその、そこの、そのアーティストたちが、R&Bのシンガーたちが好き。
うん。
現代のソウルシンガーとか。
うん。
どんどんどんどんこう、根っこにね、こう掘っていったっていう感じかな。
うん。
で、そしたらなんか、僕も同じ高校上がる頃には、
なんか、ネオソウルとかボサノバとか、
はいはい。
なんか、スカとか、なんかそういう、そういうなんかワールドミュージックとかも、結構もう、
へー。
なんだろう、MDとか、そうそうそうそう、聴いてたりとかしてたから、
うん。
まあ、話は会わなくて、高校で。
そう、周りにはそういう人いないだろうね。
いやいやいやいやいや、もうほんとになんか、ギターも、もうそのさ、高校上がるときみんなKOMでギターやるじゃん。
うん。
で、なんか、ケリキャスストラップみたいな感じになってる。
なんか、僕はもうクラシックギター最高ってなってた。
はいはいはい。
なんか、ボサノバの弾き方のクラシックギター最高みたいな。
すごいなー。
なってたから、なんかもう全然、そうそう全然、なんかね、こう話はできなくて。
うん。
ただもうなんか、そうそう、やっぱ兄弟の影響とかもあってさ、4人それぞれ違うのが好きだから。
うん。
ジャズ、ロック、ヒップホップとか。
18:00
で、ばーってたくさんほんとに、ほんとそれこそTSUTAYAだよね。
TSUTAYAで、うちの兄がTSUTAYAでほんとずっと毎週、週4ぐらいで毎週なんだけど。
はいはい。
そう、毎週その毎回このバイト上がりにね、無料で3枚買う。
はいはいはい。
当時のTSUTAYA。
当時のTSUTAYAね。
そう。で、練馬で最大のその店舗で働いてたから、うちの兄が。
もういろんなのが毎回バイト上がりに来て、で、パソコンに入ってリッピングしてみたいな。
で、それを僕はもう毎週ずっと聞いて、自分でプレイリスト作ったの。ジャンル分けして。
いいな、うん。
なんかシチュエーション別とかに混ぜて、朝聞くやつみたいな。
今Spotifyがやってることじゃん。
お昼頃に聞く。
すごい。
あ、そうそうそうそう。お昼頃聞きたい曲たちみたいな。
っていうのをブワーってもう何十個もプレイリスト作って、もう1個ずつ聞いていった時期があって、そこでだいぶね、今の感覚は形成されたね。
でもプレイリスト作ってる時点でDJっぽさというかさ、DJの要素あるよね。
うん。
かもしんない、そっから始まってるかもしんないね。
プレイリストってDJのあれだよね、もう入り口みたいな。
あーそうだよね。
そうだねそうだね。
そう、だから毎年夏とか、2008年夏とか、なんかCDに焼いて。
サマージャムのリード。
いや、そう2009年夏とか毎年ね、夏CDを焼いて、車で横行くとき聞くみたいな。
わかる。横行くとき。
やってたよね。
なんかみんなが好きそうなやつとかも考えながら。
やってた。
いや、あれってDJだよね、確かに。
そうだよね。
みんな好きそうなやつも入れようみたいなとか。
そう、なんかちょっとここでオード一個挟んでみたいな、次超マイナーの似てるような雰囲気の曲入れてみたいな。
ここでオレンジレンジ入れとくかみたいな。
みんなわかるやつね、ちょこっと入れつつね。
そうそうそうそう。そこからのバランス感覚、今のバランス感覚が形成されてる。
タイミングでもうちょっとで海に近づくから、サザンに行くとか。
そうそう、海見えたらもう夏メロだから全部。
おそらくこのタイミングで。
海見えてからは夏メロ。そうそうそうそう。
海見えてからパフィーとサザン。
ピークタイムって予想するんだよね。
そうそう、予想する。
いいなあ。
やってたやってた。それが多分今に結構繋がってると思う。
DJ自分で今やってても、ジャンル特にあんまり考えてない。結構ヒップホップ多いけどね。
だけどイベントとか時間帯ごととかにすごい考えるの毎回。順番とか。
場を作ることですかね。
面白いなあ。
21:00
ちょっと一旦また次に行っていいですか。
お願いします。
もちろん。
21:14

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