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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、「札幌村の話 地図も読み物だから」の4回目です。
前回は、明治の初期の札幌中心部の地図を見ながら、札幌とその周辺をどのように開拓しようとしていたのかに思いをはせました。
今読んでいる札幌文庫別冊の札幌歴史地図には、その次に、現在の札幌市エリア全体の明治初頭の入植状況をまとめた図があります。
札幌の中心部のエリアは、当時は札幌区と呼ばれていて、特別な都市開発地域として計画されていたようです。
その周りには全国各地から開拓に入った人々の開拓地があり、それぞれ村という単位でまとまって暮らしていたのでした。
それらのほとんどの村の名前は、今も地域名として残っていますが、今は残っているような残っていないような形になっているのが札幌村です。
札幌村は札幌中心部の北東の地域になります。
今は東区の中心部になっている辺りです。
札幌の中心部のように当時の政策として都市計画されたところと違って、当時の開拓地の地図は誰の土地かを明記することが目的になっていました。
明治15年の札幌県石狩野国・札幌郡・札幌村・岡玉村全図という地図は、
豊平川から分かれて流れる福祉湖川に沿った場所が細かく地割りされ、そこから離れたところは直線で区切られて、より大きな地割りとして所有者が描かれています。
これは川沿いから開拓が進んでいったことを示していると思います。
川から見て奥になる西側の地域は開拓計画があるという感じなんですね。
それで、その川沿いの地域を札幌村の中でも元村と呼び、福祉湖川側で、より北の地域を札幌新村と呼んでいたようなのです。
もう一つ、札幌郡・篠野村・福岡県私族移民地図という明治16年の地図は、さらに北の篠野地区が描かれていますが、そこには地割りされた土地に番号が振られ、地図の上下に番号と面積・所有者が一覧されています。
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今で言えば統計図みたいなものでしょうか。
地図の名称からこの地域は、はるばる福岡県から来た人々が開拓したということがわかるわけですね。
どんな人が開拓に来たのか想像するのが楽しくなる図だと思います。
札幌村はその名称が札幌だったこともあって、札幌市に合併した後は地域名としてはあまり用いられなくなりました。
札幌中心部に札幌という名前を付けたのは、この札幌村が先に開拓されていたからだと思われ、そういう意味では札幌という地名の発祥は東区篠古川の流域ということになるのでしょうね。
そんなことを考えながら古い地図を見ていると、そのうち現在のこの辺りを歩いてみようという気持ちになるんです。
次回は、札幌歴史地図明治編の流れに沿って豊平川の東側の地域の地図を見ていこうと思います。
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今日もワクワクスリーでありますように。千葉直樹でした。ではまた。