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2022-11-05 04:34

#364 【史】札幌の開拓を進める計画/地図も読み物だから(3)

地図も読み物だから!(笑)

第3回です。

札幌の古い地図を見ながら語っていきます。

明治のはじめに札幌のまちづくりが計画されたころの地図の続きを、現代との接点を交えながら話しています。

興味がない人にはまったく面白くないと思うので、スキップしちゃってくださいね。

にゃおの考える現代の基礎的なリテラシーは、ITをきちんと使えることが含まれます。そのためにどのような問題があり、どう解決していったらよいか考えてみるPodcastです。

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をご覧ください。

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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、「札幌の開拓を進める計画。地図も読み物だから。」の3回目です。
前回は、明治時代の人々が札幌の中心部の街づくりをどのように計画していたのかが表現された地図を読みました。
今回は、もう少し広い範囲が描かれた地図を読んでみます。
読んでいくのは、「北海道札幌の図」という明治6年の地図です。
この地図は、上を北として描かれていますが、札幌の街の五番の目が少し右に傾いているので、
方位や距離を正確に測って作られたもののようです。
大通公園となる清家地の北に、今の北海道町となる場所が描かれています。
これは現在のエリアよりも広く計画されていて、北は今の函館本線の辺りまで取られています。
その北側、今は北海道大学がある辺りには、菜園と書かれ、農地としての利用を考えていたようですね。
その菜園の西には、開楽園と書かれた場所があります。
ここは今でも開楽園緑地として残っていて、何もないところから計画された公園としては、日本最古のものになるようです。
明治天皇が巡航された時に休憩所とされた清家亭という建物が今でも残っています。
菜園の東には運送局と倉庫があり、創生川を運河として利用する計画だったことが伺えます。
さらに東、今の札幌ビール園がある辺りには牧場があります。
大取公園の南側にも五番の目の町が広がっていますが、その南西の端に本願寺があります。
本願寺は明治3年に設置されているので、この地図が作られた時にはすでにあり、今は新州太谷派札幌別院となっています。
この本願寺の南西に五番の目とはちょっと違う町割りが描かれています。
ここは山花村となりました。
ここの町割りは屯田兵の入職地によくある形になっていて、明治9年に東北地方からの元子族が入職したそうです。
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その他に丸山村、平岸村と思われる場所が描かれています。
面白いのは国道5号線や平岸街道、石山通りが割ときっちり描かれていて、この時代から主要道路だったらしいことです。
開拓は道路がなければ始まらないし、地図の重要な使命は交通路を明記することなのだなぁと改めて感じることができます。
そして札幌中心部と周辺の村との位置関係から、当時の人々の距離感も垣間見ることができます。
次回は札幌の中心部とは別の場所である札幌村の地図を見ていこうと思います。
読書と編集では、ITを特別なものではなく常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
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今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。
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