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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、「札幌の街の形が見えてきた。地図も読み物だから。」の2回目です。
先週から、札幌の古い地図を見ながら話しています。
今読んでいるのは、札幌文庫の別冊、札幌歴史地図、明治編です。
前回は、札幌の街が作られる最初の最初、原野の中に南北の一本道が描かれた地図の話をしました。
今回は、そこからもう少し街並みらしくなった地図を読みます。
最初の地図は、明治2年から3年の頃のものでした。
次に出てきた地図は、明治4年及び5年札幌市街の図というものです。
たった2,3年経ったところの図ですが、現代の札幌を彷彿とさせる図になっています。
札幌の中心部を東西に分ける通りは、創生川通りと呼ばれています。
創生川の両側に南北に向かう道路がある広い通りで、
2021年の東京オリンピックのマラソン競技の舞台となったので、
あ、見た!っていう人が結構いるかもしれません。
この通りの東西に街並みが計画されています。
さらに中心部を南北に分けるのは大通公園ですが、
今回見ている図では日予け地として既に記入されています。
この北側を役所などが立つ官地、南側を民地とし、
民地側で起きることが想定される火災から役所を守るために作られた場所が今の大通公園なのですね。
大通の北側、創生川通りより西に5町ほどの場所に、
本町敷地という広い場所が描かれています。
ここは現在の北海道町の庁舎と旧北海道町の赤レンガがある場所です。
町はきちんと五番の目に区切られています。
この図は町の様子を描いた地図ではなく、都市計画図で札幌のより進んだ原型ということになるでしょう。
面白いことが一つあります。
描かれている範囲は現在の札幌駅のあたりを北原、中島公園のあたりを南原、
創生川の東が2町ほど、西が北海道町裏までの8町ほどなのですが、
その中に多数の川が描かれていることです。
札幌の市街地は豊平川の氾濫源の平地なのですね。
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今でも赤レンガ庁舎の前提には池がありますが、ここは湧水の池なのですね。
水が豊富で人が住むのに適した場所を選んで町づくりをしようとしたことがわかります。
この図を原型として町が形作られますが、明治6年の図は南西の方向に開拓地を定めたより広域の図になり、
明治8年の図はより詳細な市街図となっていきます。
次回は明治6年の広域図について話してみようと思います。
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今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。