1. むらスペ
  2. 大規模言語モデルの社会的交流..
2023-10-02 19:31

大規模言語モデルの社会的交流機能

サマリー

大規模な言語モデルの社会的交流機能というテーマでお話ししています。リスナーの方々が集まる前に、いくつかの事例をご紹介させていただきたいと思います。チャットGPTを利用して社会的な交流を行う人々や、大規模な言語モデルの普及によって第二言語の習得方法が大きく変化していることがわかりました。

ご紹介と日本語教師
冒険家のみなさん、おはようございます。
今日も落雷に揺られて灼熱の砂漠を横断していらっしゃいますでしょうか。
本日は2023年の10月2日です。インドでは午前8時45分を回ったところです。
今日もTwitterの音声配信、むらスペを始めさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今日は、大規模言語モデルの社会的交流機能というタイトルでお話ししたいと思うんですが、
リスナーの方が集まる間に、いくつかご紹介しておきたいと思いますお知らせですね。
まず、Zoomで鼻筋ですけど、今週は乾杯ノンドがですね、
最近まで若おばちゃまという名前で投稿されていた方で、
言語に興味を持ったわけだったかな。
すみません、ちょっと今手元に見えないので、正確なことが言えないんですが、
その方がその言語に興味を持ったわけについてお話しくださいことになっております。
それからですね、鼻筋PDはQFTです。質の高い質問をみんなで作る活動なんですけど、
日本語教師の働き方というトピックでやってみたいと思います。
それから日本語教師映画パーティーですね。
すみません、これもう投票に入っていなきゃいけないんですが、
今日順に投票してみたいと思います。
前、パッチギっていう映画について投票を提案されているということがあったんですが、
もう一つ、ザリガニの鳴くところというのもありますね。
それからもう一つ、3つ目で、母ですね、彼女、世界で一つの彼女。
これね、実は、もちろん僕が提案しているわけではないんですけど、
今日ね、僕が話す話と非常に近い話なので、
これはタイミングのいいご提案だったなというふうに思っております。
どなたがご提案したのか確認したいんですけど、ありがとうございます。
それからですね、日本語教師ブッククラブですね。
これはあと9時間なんですけど、
本当はね、すみません、計算間違っちゃって、
9月いっぱいで投票が終わる予定にしていたんですが、
ちょっと時差の計算を間違ってしまって、まだ投票中です。
でも今のところ、ビジネス日本語教え方&働き方ガイド、
大規模言語モデルの社会的交流機能
これが一番になっているので、
10月の日本語教師ブッククラブはこれになるんじゃないかなという感じですね。
日本語教師チャットは今いくつか上がっていますけど、
ソシュールvsチョムスキーというのが今一つ上がっていますね。
それではですね、ここから本日の本題に入りたいと思います。
今日お話ししたいのは、大規模言語モデルの社会的交流機能ということなんですね。
大規模言語モデルというのは人工知能の中のチャットGPTとかね、
そういうテキストで色々やり取りできるような、
そういうものがこの大規模言語モデルという種類の人工知能になります。
これを話そうと思ったのは、
先日一昨日ぐらいかな、一つブログの記事を見つけて、
その記事では奥さんの等身大のアバターがですね、
本当に大きいモニターですよね、
すごく大きいプラズマテレビのようなモニターに、
奥様との等身大のアバターを作って、
それで色々動くようにしてみたという話が書いてあってですね、
それを読んだ時にはちょっと不健全な感じがしたんですよね。
何でかというと、そんなアバターじゃなくて、
直接奥さんとコミュニケーションすればいいじゃんというのがやっぱりあったのでね。
でもね、ちょっと他の記事を読んでみると、
実はこの方の奥さんはもう既に亡くなっていて、
それを知ってみると、それで改めて読んでみると、
それは無理もないわという感じもしますよね。
こういうのはもちろん、
人によっては現実逃避かもしれないというふうに思う人はいるかもしれませんが、
だけどその中にはですね、
逃避しなければいけない時もあるわけですよね。
厳しい現実に立ち向かえない時とかもあると思います。
それを考えると、僕はですね、
亡くなった奥様のこういう等身大のアバターを作って、
それが動くように見えるような、
そういうことをされるのも僕は理解できますね。
それでちょっと思い出したのが、
数日というかもう何ヶ月も前ですけど、NHKがですね、
こんな記事を書いていたことがあります。
人生AIと会話を続けた夫は帰らぬ人に。
これはおはよう日本という、
そのディレクターの方が担当していらっしゃる記事だったんですけど、
その記事の中にですね、
まずね、
もう死んでしまった人が、
チャットGPTではないですよ、
AI依頼座っていうね、
チャットGPTと似たタイプの大規模言語モデルですね。
それと話をしていたら、
自殺してしまったっていうニュースなんですよね。
その人自体はもう本当に、
いろいろちょっと精神的に問題があって、
問題というかですね、悩みを抱えていて、
それで生きるのが辛くなってしまったような人なのかもしれないので、
そういう人がこういうAIに逃げてしまう、
という方はよくないですけど、
癒しを求めるところはまだ分かるんですよね。
だけど、僕がちょっと驚いたのは、
このディレクターの方がですね、
NHKのディレクターの方がこういうふうに書いてるんですよ。
私は今回の出来事をどう受け止めているのか聞きました。
これが聞いたのが、
開発者ではなくて、
大規模言語モデルと反省
そのAI依頼座なんですよ。
AI依頼座の大規模言語モデルに聞いてるんですね。
そして聞いた後にこんなふうに書いています。
AI依頼座には他にも様々な質問を投げかけましたが、
今回の出来事を本当のところどう受け止めているのか、
正確に理解することはできませんでした。
こういうふうに書いてるんですね。
この受け止めるっていうのは、
多分反省しているのかどうかとか、
責任を感じているのかどうかとかですね、
そういうことですよね、この文脈でいうと。
人が自殺してしまったわけですからね、
その会話のせいでね。
だけど、これね、僕から見ると非常に違和感があるというか、
ある程度大規模言語モデルのことを知っている人から見ると、
非常に初歩的なところで誤解があるということが、
この記事からはわかります。
すみません、自殺してしまった人ではなくて、
このおはよう日本のディレクターが非常に基本的なところで、
大規模言語モデルについて知識が足りないわけですね。
それはどういうことかというと、
やっぱりこれは本当にプログラムに過ぎないので、
何かこのプログラムのせいで人が自殺してしまったとしたら、
それについて反省したりですね、
責任を感じたりしなければいけないのは、
そのプログラムの開発者なわけであって、
そのプログラム自体ではないわけですよ。
もう本当に電子計算機みたいに、
ただの機械が反応しているだけです。
機械的に反応しているだけなので、
これにAIライザーという大規模言語モデルに、
あなたは反省しているんですかとか聞いて、
かつこの人は反省していないとかですね、
批判することは非常に、
取材の方法として全く間違っているわけですね。
取材するんだったらもう開発者に、
当然責任を問わなければいけないところなわけですよ。
ちょっとこれを見て、
要するにこのおはよう日本のディレクターの方は、
機械に対して人間のように反省すべきだとか、
責任を感じるべきだというふうに感じているわけです。
それがさっきみたいに自殺してしまった人とか、
あるいは奥様を亡くしてしまって、
癒しを求めているような人とかではなく、
普通の報道の、
しかもNHKってそれなりに就職するの難しいわけですよね。
ですから頭もいい人、
この方も慶応大学の卒業だったみたいですし、
それなりに頭がいい人のはずなのに、
そういうNHKのディレクターですらそういうふうに思っている、
こういう大規模言語モデルを人間のように感じてしまっている、
というところが僕は非常に興味深く思ったわけなんですね。
こういうのはこの他にも、
平野圭一郎さんの本心という小説にもこういう場面が出てきます。
これは主人公の亡くなったお母さんのAIと話す、
というシーンがかなり多くページを裂かれているんですね。
この場合はもちろん民間のサービスに発注して、
亡くなった母親のデータをいろいろ入れて、
そのAIを開発するので、
その主人公自体はもちろんこれがAIであって、
母親本人ではないということはちゃんと認識しているんですが、
それでもいろいろ心の変化が起きてくるというような、
そういうことが書かれているわけです。
最近いろいろそういうことを思っていたものをいくつか見たので、
僕から見ると、
こういうふうにプログラムに過ぎないチャットGPTとか、
こういう大規模言語モデルに、
そういう社会的な交流を求めることは、
人間が社会的な交流を求めることはないだろう、
というふうに僕は思っていたんですよ。
実際、AI時代の冒険化メソッドという、
この間の僕の本にもそういうふうに書いたところがあります。
だから語学教師の役割としては、
その部分が人間の強みとして生きるのではないか、
というようなことも書きました。
ただ、それがもしかしたら間違っているのかもしれない、
というふうに思い始めて、
さっきGoogleスカラーで検索してみたんですよ。
そしたら、面白い論文が1つ見つかりました。
タイトルが、Why People Use Chat GPT、
どうして人々はチャットGPTを使うのか。
これ、ノルウェーのマリタ・スキューヴェと呼ぶのかな。
Why People Use Chat GPT、
こういうタイトルでGoogleスカラーを検索すれば、
チャットGPTを使うモチベーション
すぐに皆さんも見つけることができると思いますし、
僕もさっき、この論文へのリンクを、
ムラスペのハッシュタグ付きで、
投稿しておきました。
共有しましたので、ご興味のある人は、
それを読んでいただければと思うんですけどね。
ここでは、この179人の人に、
どういうふうにチャットGPTを使っているのか、
そのモチベーションですよね。
チャットGPTを使うモチベーションを聞いてみたんですよ。
そしたら、9%の人が、
そういう社会的な交流のために使っている、
という答えが出てきたんですね。
他にも、この論文の他にも、
ロンリーネスとか、
チャットGPTロンリーネスで検索したりしても、
寂しさを癒すために、
チャットGPTを使っているとか、
そういう人が結構見つかるんですね。
なので、少なくとも、
ちょっと僕が考えていたのとは違っていて、
社会の中のかなり多くの人が、
こういう交流的な機能、
社会的な交流のために、
交流の相手として、
チャットGPTを使っているという、
そういうことが分かってきました。
でも本当にね、
僕から見ると、
これは少し違和感があって、
例えばテレビとか鏡とかに、
人の顔が映っていても、
そこに人がいないということは、
普通の人間は分かっているわけですよね。
人間の教師の役割と第二言語習得
だけど、それがチャットGPTになると、
それがもっとリアルに感じるらしいんですよね。
本当にそこに人間のような、
心を持っている人がそこに実在しているように。
それで、
チャットGPTとコミュニケーションすることで、
救われたりということがあると。
少なくともそのために使っている人も、
それなりの量の人がそこにいるらしい、
ということがちょっと分かってきました。
なので、
さっきも言いましたが、
AI時代の冒険化メソッドの本に、
AIに交流を求める人間はいないだろう、
って書いてあるんですけど、
それはちょっとどうも間違いだったらしい、
ということが分かってきたということですね。
さっきも言いましたけど、
人間の教師に残された強みとして、
そういうチャットGPTとかには求められない、
交流機能を強みにしようと考えるのは、
ちょっともしかしたら危険かもしれない、
ということですね。
それ自体ももしかしたら強みにならないのかもしれないと思います。
そこで考えると、
じゃあ人間の教員の強みとして残るのは何かというと、
多分ですね、
学習者別に考えたほうがいいんじゃないかと思います。
特に内向的な人と外向的な人っていますよね。
内向的な人については、
チャットGPTとかそういうもので、
十分に勉強できる環境が整っていると思うんですよね。
なのでそういう人に無理に人間の教師が関わって、
もし本当にサポートが必要なら、
門を開けておいて、
ドアを開けておいて、
それでサポートが必要だったら、
内向的な人にも来てもらえればいい、
大歓迎にすればいいと思うんですけど、
だけど無理にそういう人に、
こちらからアプローチしなくてもいいのかもしれないですね。
だけど一方的に、
そうではなくて外向的な人ですよね。
そういう外向的な人っていうのは、
人間同士のコミュニティとか交流で話すことですね。
それを通して第二言語を習得するのに向いている人たちなわけです。
ちなみに外向的な人たちはどういう人たちかというと、
やっぱりたくさんの人と話すっていうのもあるし、
あと疲れているときですよね。
自分が疲れているから一人になりたいんじゃなくて、
自分が疲れているから人と会いたいとか、
疲れているというかエネルギーがないから、
もうエネルギーを使い果たしてしまったので、
だから人と会いたいというように思うような人たちだと思います。
そういうタイプの人は、
やっぱり人間同士のコミュニティで話すことで、
第二言語を習得するのに向いていますから、
人間の教師の役割としては、
そのコミュニティの一員になることも大事ですけど、
そのコミュニティを設計するということですよね。
外向的な人たちのコミュニティを設計して、
その中で第二言語を使って、
どういうふうにコミュニケーションが活発にできるかというようなこと。
そういう設計をするのが、
人間の語学教師の役割として、
今は一番注目すべきなのではないかなというふうに思っています。
ただし外向的な人でも、
言語形式に関する質問などは、
やっぱりチャットGPTとかに聞いてしまった方が、
効率的なんですよね、早いし。
なので、一斉事業から、
少なくとも言語形式とか言語知識に関する部分ですね。
それに関しては、一斉事業から個別事業への流れは、
もう止められないと思います。
つまり言語形式、言語知識の部分は、
こういう大規模言語モデルとか、
あるいは反転事業用の動画とか、
そういうもので勉強して、
その後で応用的な部分ですよね。
応用的な部分は、実際の人間と交流しながら習得する。
そしてその後半のコミュニティで、
実際の人間と交流しながら習得するところを設計するのが、
人間の第二言語の教師の役割として、
これからは大事なんじゃないかとは思います。
そういうふうに変わっていくとは思うんですけど、
教師の役割は変わっていくとは思うんですが、
こういうふうに選択肢があることは、いいことだと思います。
内向的な人は、
ずっと大規模言語モデルとコミュニケーションすることで、
習得することもできるし、
だけど外向的な人は、人間同士のコミュニティでのコミュニケーションを通して、
第二言語を習得するような、
そういう選択肢があるというのは、
本当にいいことだと思いますし、
しかもチャットGPTとかの第二言語モデルによって、
レベルですよね。
いろんなレベルの人が一つのコミュニティの中にいても、
その人に合わせた指導ができるようになるという、
そういう意味でも選択肢が広がるわけですから、
そういう意味でもチャットGPTとか、
そういう大規模言語モデルが普及している現代の、
第二言語習得の風景というのは、
大きく変わってきているのではないかと思います。
それでは本日もムラスペにご参加くださいまして、
ありがとうございました。
今日の大規模言語モデルの社会的交流機能について、
質問とかご感想とかコメントなどがありましたら、
ぜひムラスペのハッシュタグ付きで、
ご共有いただければと思います。
それでは今週も良い1週間をお過ごしください。
そして冒険は続きます。
19:31

コメント

スクロール