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2022-08-19 13:11

哲学書も行動中心アプローチの時代へ

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昨日読み終わった哲学入門の本が #行動中心アプローチ だったので、今日の音声配信 #むらスペ ではそのことについて話してみました。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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冒険家の皆さん、おはようございます。今日は、哲学書も行動中心アプローチの時代へということで、お話をしてみたいと思います。
これを話そうと思ったのは、Amazonで武器になる哲学というタイトルの本が目に入ったからなんですね。
僕はこれまで哲学というと、あんまり役に立つとか武器になるとか、そういうイメージが全然なかったので、
すいません、これ本当にちゃんと勉強している人には申し訳ないんですけど、あんまりそういう感覚がなかったんですね。
なので、タイトルに惹かれて落ちてしまったという感じですね。
これ、どうして僕があんまり哲学は役に立たないというイメージがあったかというと、
まず、やっぱり大学の頃というのは、僕もよくある人間の一人なので、ちょっと知的ぶりたいとか、そういう時代がやっぱりあったわけですよ。
その時代に、哲学の本で一番有名なのというと、デカルトの方法除雪だと聞いたわけですよ。
一般教養の授業で、やっぱりちょっと出てきたんですよね、哲学のときに。
我思うゆえに我ありというあれですよね。
それで、これが一番哲学で有名なフレーズ、一番有名なフレーズといっても間違いではないと思うんですけど、
その方法除雪を読んでみたら、最初は確かに自分がいるんだから自分が存在するというのは、そこから考えを発展させましょうというのは本当によくわかるんですよ。
だけどそこから話を発展していって、最後の結論として、だから神が存在するという、そういう結論に至っているわけですよね、この本では。
それでそれに、そんなわけないでしょというイメージがすごくあって、結局哲学というのは気上の空論とか、そういう役に立たないという、
少なくとも自分にとっては全然意味がないということをその時にすごく感じました。
周りの偉い人がどんなふうに褒めていても、自分にとっては意味がないという、
そういう印象を抱いてしまったというのはちょっと正直なところですね。
そういう印象があったので、この武器になる哲学というのに逆に惹かれた、今までとは違うというそういう雰囲気があって、ちょっとこれを読んでみたというのが正直あります。
この本のタイトルは武器になる哲学で、それでサブタイトルとして、人生を生き抜くための哲学思想のキーコンセプト50というサブタイトルが付いていますね。
作者は山口周さん、山口あかねかな、あかねじゃなくて山口天根ですかね、グランド1周する2周するという時の周という感じですね。
これ形式としては、印刷した本もありますし、Kindle版もあるし、Audibleもあります。
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KindleもAudibleも読み放題とか聞き放題の対象になっていますので、そういうサービスに参加している人は実質的に無料で読んだり聞いたりすることができるわけですね。
印刷版は1760円なんですけど、実際その価値はあると思います。僕読んでみてね。
今回僕も読み放題なので無料でダウンロードしたんですけど、これ返却しちゃうとマーカー付けたところ、ハイライトしたところが読めなくなっちゃうんですよ。
返却しちゃうとこういう読み放題で。
なので返却しないでお金払ってちゃんと購入しておきたいなというふうに僕は思っています。
今回のタイトルが行動中心アプローチという話です。
一番最初に行動中心アプローチの教科書に似ているところをご紹介しておきたいと思います。
本書では時間軸による目次構成を用いません。
では本書がどのようにして目次を構成しているかというと、それは使用用途別ということになります。
哲学者は様々なコンセプトを残していますが、これらのコンセプトは何について考える際に有効なのかという使用用途によって整理することができます。
ここまで引用ですね。
これは例えば丸ごととか色どりの行動中心アプローチの教科書がトピック別になっていたり、あるいは目次のところにcan doですよね。
行動が書いてあるのにかなり似ていると思います。
ここで目次構成と書いてありましたけど、教科書で言えば目次構成というのがシラバスそのものですよね。
なのでこの本は何について考える際に有効なのかという、そういうシラバスでできていると考えてもいいと思います。
もう一つこの本についての説明が山口さん自身の言葉で語られているんですけど、
この部分が非常に行動中心アプローチっぽいので、ちょっと以下ご紹介しますね。
以下引用です。
本書といわゆる哲学入門とで大きく異なる二つ目の点は、本書で取り上げるコンセプトが哲学史上の重要性よりも筆者という個人にとっての有用性を元に編集されているということです。
ぶっちゃけて言えば筆者にとって使えるか使えないかというだけの評価で編集しているということです。
これで引用終わりですね。
なので哲学入門というと、普通は必ず出てくる一人がカントですよね。
カントは実はこの本では一箇所しか出てこないんですよ。
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それが今引用したところのすぐ次に出てくるので、ちょっとご紹介しますね。
以下引用です。
ここは実は面白いところで、カント自身は良いと悪いの定義を目的にかなうかどうかで判断するべきだと言っているんですね。
例えばここに包丁があるとして、この包丁の良し悪しは包丁の目的である食べ物を切るという観点から判断されるべきだと言っている。
これで引用終わりなんですね。
実際この本でカントを取り上げない理由として、少なくともこの筆者の山口さん、著者の山口さんにとってはカントの哲学はあまり使えないと思っているということですよね。
なのでこの本には入っていない。今の一箇所以外には出てこないということになっています。
実際に行動中心アプローチだったら、どんなキャンドゥがあるのかということが皆さん興味あるんじゃないかと思います。
それがこの本では4つに分けて紹介されています。
ちょっと以下に引用しますね。
著者自身の経験に基づいて、もう少し効率的な側面から哲学思想を学ぶメリットについて述べたいと思います。
理由は大きく次の4つになります。
1.状況を正確に洞察する。
2.批判的思考の壺を学ぶ。
3.アジェンダを定める。
4.二度と悲劇を起こさないために。
これで引用終わりですね。
これをさっきの、もうちょっとキャンドゥっぽく言ってみると、
1番は状況を正確に洞察することができるということになりますね。
2番目は批判的思考ができるということになると思います。
3番目はアジェンダというのは課題だというふうに言っているので、
課題を設定することができるということですね。
特にイノベーションのときにはその課題がうまく設定できれば、
それがイノベーションにつながるからということになります。
4番目は悲劇を防ぐことができるというふうにキャンドゥとして書くことができますね。
これをもうちょっと詳しく、この著者の山口さんご自身の言葉を引用しながらちょっと説明してみたいと思うんですけど、
最初の状況を正確に洞察することができるということですね。
ここはこんなふうに書いています。以下引用です。
自分たちの行動や、
すみません、これは2番目のところですね。2番目の批判的思考ができるところですね。
以下引用です。
自分たちの行動や判断を無意識のうちに想定している暗黙の前提に対して、
意識的に批判・考察してみる知的態度や切り口を得ることができる。
これで引用終わりです。
これは本当にキャンドゥっぽい書き方ですよね。
これが批判的思考ができるということの山口さんのもうちょっと詳しい説明になります。
次のアジェンダのことですけど、ここはちょっと長くなるので、
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少し中略するところも入れながら、少し長めですけど引用しますね。
以下引用です。
アジェンダとは課題のことです。
なぜ課題を定めることが重要かというと、これがイノベーションの起点となるからです。
ちょっと中略します。
そうなると、課題設定の能力が重要だということになるわけですが、
ではどうすれば課題設定能力を高めることができるのか。
またちょっと中略しますね。
結論から言えば、このパラドックスを解く鍵は一つしかありません。
重要なのは、よく言われるような常識を疑うという態度を身につけることではなく、
見送っていい常識と疑うべき常識を見極める選挙眼を持つということです。
これで引用終わりですね。
ここまでの中でもちょっとキャンドゥっぽいことが書いてありますね。
一つは課題設定能力を高めることができると言っていますね。
そのやり方の一つとして、見送っていい常識と疑うべき常識を見極めることができる。
本当にこの辺もすごくキャンドゥっぽい言葉です。
最後の4番目が悲劇を防ぐことができるということなんですけど、
これがちょっと重い話なんですけど、
でもこれはとても大事な話なので、少し長くなりますけど引用してみたいと思いますね。
世界史的な悲劇の主人公は、
ヒトラーでもポルポトでもなく、そのようなリーダーに付き従っていくことを選んだごくごく普通の人々なのです。
そのような人々によってこそ巨大な悪がなされているのだとすれば、
過去の哲学者たちが人類が払った高い授業料の対価として書き残してきたテキストを、
私たちのような普通の人が学ぶことには大きな意味があるのだということはわかってもらえるのではないかと思います。
ちょっと中略します。
これまでに人類が繰り返してきた悲劇を、私たちは今後も繰り返していくことになるのか、
あるいはそこで払った高い授業料を生かし、より高い水準の知性を発揮する人間、
いわばニュータイプとして生きていけるかどうかは、
過去の悲劇をもとにして得られた教訓をどれだけ学び取れるかにかかっていると私は信じています。
これで言い終わりですね。
最後のところにちょっとキャンドゥっぽいところが書いてありますね。
過去の悲劇をもとにして得られた教訓をどれだけ学び取れるか。
ここがどれだけという疑問文があるからちょっとキャンドゥっぽくないですけど、
どれだけを外して書くと、過去の悲劇をもとにして得られた教訓を学び取れる。
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そうするとキャンドゥっぽくなりますよね。
ここはちょっとこれだけ聞いて想像つくと思いますけど、
やっぱりハンナ・アーレントのアイヒマンの話が出てきますよね。
エルサレムのアイヒマンというそういう話です。
これ実際に本当に僕この村スペでも何回も言ってますけど、
まさに今もそういうことが行われているわけですから、
そういうシステムの中に組み込まれている人がそれに気がつくことができるかということが本当にとても大事だと思います。
そういう意味でもこの武器になる哲学、この本を皆さんにも読んでみることをぜひお勧めしたいと思います。
それでは本日も村スペにご参加くださいまして、ありがとうございました。
この武器になる哲学の僕の話につきまして、感想とかありましたら、
ぜひ村スペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。そして冒険は続きます。
13:11

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