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2022-08-26 22:55

宿題はしなくていい

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今日の音声配信では主にアルフィー・コーンの書籍を中心にご紹介しながら、宿題に効果があるかは大きな疑問があるということと、そういう効果が分からないものに対して無条件に提出することをゴールにした指導を行うのは再考の余地があるということを話ししました。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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今日お話ししたいのは、宿題はしなくていいということなんですね。
これを話そうと思ったのは、実はインドのここって全然夏休みっていうイメージないんですけど、
でも日本だと時期的に夏休みでも、しかも終わりの頃ですよね。それで、夏休みの宿題のサポートがとっても大変というね、
そういう声をすごくツイッターとかで見てしまったからなんですね。
特に日本語を母語としない子どもたちをサポートしている人たちにとっても、まず考えてほしいことがたくさんあると思いました。
それからもう一つは、毎年9月1日が一番子どもの自殺率が高いということで、
その中の一つには、やっぱり宿題のプレッシャーとかも関係しているんじゃないか。
宿題できなかったから、というのもデプレッション、うつとかの原因になっている可能性があると思って、この時期にそれをお話ししてみたいと思いました。
じゃあね、まず皆さんにリアクションで聞いてみたいんですけど、
宿題しなくていいよとかですね、それを自分の子どもとか、あるいは学習者とかにですね、
特にサポートしている、学校で勉強している子どもたちにサポートしているような人たちで、
宿題しなくていいよと言ったことがある人、ハートのマークでリアクションいただけますかね。
ない人は涙のリアクションでお願いしたいと思います。
これについては宿題に価値があるか、ハートのマークの方もいらっしゃる、結構いるじゃないですか、ハートの人結構いますね、ありがとうございます。
これを考えるときに、やっぱり宿題って、まず効果があるのかどうかということですよね。
それを考えなければいけないんですけど、まずそこが本当に一つ大きなところで、
どうやったら子どもたちの宿題を終わらせられるかということで、いろいろ考えている人はたくさんいるみたいなんですけど、
その前に宿題はそもそもやらせるべきなのか、そういう疑問を持っている人が非常に少ないという感じがしましたね、ツイッターとかで見ていて。
まずその疑問に答えるためにとても大切な本があります。 これがさっきツイートでももうご紹介しましたけど、
The Homework Myth 宿題の神話、でもミスっていうのは神話というだけじゃなくて、
迷信とかそういう意味もあります。 宿題に関する迷信という意味の本なんですけど、これはアルフィコンさんという人が書いていて、
ちょっと残念なことに日本語訳がされてないような気がするんですよね。 少なくとも僕は日本語訳を見ていないです、これは。
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でもすごくいいことがあって、この本ね。 何でかというと、今149円で買えるんですよ。
これハードカバーは、ペーパーワックとかは2000いくらだっけ、もうというか10倍以上する値段でしたけど、
なぜか今キンドル版は149円で買えるので、 149円って観光費にちょっと出しただけなので、もし興味がある人はぜひ読んでみたらいいんじゃないかと思います。
まずここでね、どうしてこの本の中でアルフィコンさんが言っていることの最初の方にはですね、
どうして宿題というのがあまり良くないのかということで、5つ書いています。
1つは親にとって非常に重荷になっているということですね。
2番目は子供たちにとってストレスになっているということ。
そして3番目は家族間でそれが衝突の原因になっているということですね。
つまりやりたくない子供に対して親がもう無理やりやらせるとか、やらないと罰を与えるとかご飯抜きにするとか、そういうことが起きてしまうということ。
4つ目が他の活動に充てるべき時間がなくなってしまうということですね。
なくなるというか少なくなってしまうということ。
5番目が学びそのものに対して興味を失ってしまうということですね。
この5つをいろんな論文とかも引用しながら紹介しています。
でもここには書いていないんですけど、僕が個人的に思っているのは、もう1つ6番目の理由としては、やっぱり自立性を奪ってしまうということが非常に大きな問題としてあるんじゃないかなと思います。
この宿題の効果に関しては、ハリス・クーパーという人が論文で効果がありますよということを言っているんですね。
この本の第2章は主にハリス・クーパーを念頭にして、宿題の効果があるという人に対して反論するのがこの本の第2章になっています。
ここではこの本の第2章では主に8個の反論の理由を挙げているんですけど、ここではちょっと説明しやすいことで4つだけご紹介してみたいと思います。
1つは、効果があると言っている研究論文も確かにあることはあるんですけど、だけどそれは相関があることしか言っていない。
つまり因果関係じゃなくて相関関係しかそこは示されていないということですね。
つまり宿題をする子どもと頭のいい子どもの間には相関関係があるけど、それはただ単に頭のいい子どもがもともと宿題をする、そういう傾向があるというだけじゃないかということですね。
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その宿題をした結果頭が良くなった、成績が良くなったかどうかは分からないということです。
それから宿題に関する研究が、要するに成績とテストスコアというものを本物の学びと混同しているということです。
つまり成績が良ければ本当に学力が上がったのか、あるいは学びになっているのか、僕たちの仕事で言えば日本語の習得につながっているのかということですよね。
そこが混同されているということがあります。
中には宿題と全く同じ内容のテストをすぐ直後にやってたりして、そうしたらテストスコアは宿題をやった人の方が上になるだろうけど、
でもそれは本当の学びじゃないよね、というようなことですよね。
あと3つ目にご紹介したいのは、仮に100歩譲って宿題に効果があったとしても、
だけどそれは非常に小さなもので、そんなに大切にするべきではない、するべきものかどうかは疑問かということですね。
4つ目に最後にご紹介したいのは、少なくともハリスクーパーとかの言及している研究とかに関して見ても、小学校に関しては宿題がポジティブな効果がある、肯定的な効果があるという研究は一つもないということを挙げています。
仮に効果があるとしても、それは中学校とか高校の話であって、小学校では少なくともその効果は全くない、それはハリスクーパーの研究でもその証拠は挙げられていないということが、この第2章で主に説明されています。
それからこのハリスクーパーの研究の中には、特に宿題に肯定的な意味がないということを示唆している研究論文が含まれていないという批判もあります。
僕が個人にどう思うかというと、さっきご紹介したように、もしかしたら効果があるかもしれないけど、あったとしても非常に少ない、要するに専門家の間同士でもこういう論争が起きているわけなんですよね。
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宿題って本当に効果があるの、それとも効果がないのということが、いまだに話が決着ついていないというのは事実です。
ここまでは本当にそういう議論があって、結果があるかどうかも怪しい、いろんな研究者の間で宿題には効果があるという人もいるし、ないという人もいる、その決着はついていない、ここまでは言い切ってもいい、断言してもいいと思います。
ですからそういうもののために、そこまで時間とかをかけてやっていいのか、やるべきなのかということは本当に疑問視していいと思います。
間違いなく価値があるというふうに、それが分かることだったら、もちろんみんなもやった方がいいと思うんですけど、宿題というのはやった方がいいのかどうかもよく分からない、そういうものだということですね。
今、僕がどう思っているかというと、これは宿題にもいろいろあるので、役に立つ宿題もあるかもしれないと思っています、宿題の出し方によって。
それは、優秀な教師が時間をかけて一人一人のために準備した教材とか、そういうものだったら効果あるかもしれないけど、一般的な市販されているプリントですよね、宿題プリント、そういうのは全く役に立たないと僕は思っています。
もう断言します、そういうのは役に立たないです。
じゃあ、なんでそういうことがされているかというと、もう端的に言って、学校の先生というのは忙しすぎるんですよ。
だから、はっきり言って僕は学校の先生を批判するつもりはないです。
これはシステムの問題、もう学校の先生が本質的な学びとは何かとか、そういうことを勉強する暇というのは全然ないみたいなんですよね。
昨日も、一昨日だったかな、一昨日かなんかも、フェイスブックで僕の友達になっている学校の校長先生がいるんですよ。
これ、友達限定で共有していたので名前とかは出せませんけど、
だけど、例えば足手翔吾さんの自由進路学習についての本とか、それを自分の学校の先生方に共有したというような話が書いてありました。
つまり、自分の学校の先生方に向けて書いたメール、メッセージか分からないけど、それをフェイスブックの友達限定でこういうメールを書きましたということが書いてあったんですよね。
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その中に、本当に足手翔吾さんの自由進路学習の始め方という、これは結構有名な本ですよね。
こういう本を紹介しているんですけど、それが明らかにその学校の先生方は足手翔吾先生を知らないということが前提になっていて、
読みたい人は来てください、貸しますから、というようなことが書いてあって、本当にちょっとびっくりですよね。
僕みたいな日本の公教育に関わっている人間じゃない人間が、海外では公教育の学校の先生、小中学校の先生、3年間くらいやったことありますけど、
でも、僕みたいな部外者だって知っているような人の、はっきり言ってスター教員ですよね。
メディアとかにも出ている先生方、足手翔吾さんのことをね、そういうことを知らないことが前提になっていて、こういうことを書かれているというので、
本当にこの校長先生の苦労をさせるという感じがしますね。
僕の友人の校長先生はかなりちゃんと分かっている人なので、
なんですけど、周りの先生方っていうのはそうじゃないんだっていうのは、その人の投稿からもちょっと見えてきて、これは大変だなというふうに思いました。
実際のね、特に日本語の先生というか、日本語のサポートを必要としている子どもたちのケアをしている。
つまり、公教育で取り出し授業とかで、日本語のサポートが必要な人をサポートしている。
そういう人たちに僕がお願いしたいのは、それが日本語の習得につながるのかということですよね。
与えられた大量の課題、大量の宿題をこなすことというのは、
それはその人の目の前の学習者の、目の前の子どもの日本語の習得につながりますかということです。
今はもうあれなんですよ、日本語の母語話者同士の子どもですよ。
両親が日本人の子どもでも、その宿題の量が多すぎて、親のサポートが必要と言われているんですよね。
そういう状況なのに、親が日本人じゃなくて、日本語のサポートが必要な子どもに、それをさせる必要があるのかどうか。
その課題をこなしたら、それがその子どもの日本語の習得につながるのかどうかということを、本当に真剣に考えてほしいと思います。
そんなの分かるわけないじゃんとか、そういうふうに投げ出さないで、そこは本当に真剣に考えてほしいと思います。
何でかというと、それは周りの大人が言ってあげる必要があるんですよね。
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子どもというのは、やっぱり先生に言われたことは、もう無条件でやらなきゃいけないというふうに思ってしまうわけです。
しかも学校の先生も、もしかしたらその日本語を母語として育った子どもには効果があると思っているかもしれない宿題かもしれない。
だけど、少なくとも日本語を母語としていない子どもにも効果があるかなんてことは、いちいち多分考えている余裕はないかもしれないわけですよね。
そういうときに、周りの宿題をしなくてもいいんだということを、周りの大人が言ってあげる必要というのはすごくあると思います。
これはとても大事なことだと思いますね。
子ども自身は宿題をしなくていいかもしれないなんて思う、そういう子どもがいればいいですけど、普通の子どもはそうじゃないと思うし、
それから周りの先生方も、そんなことは多分考えたこともない。
そういう本を読んだこともない。今日ご紹介したアルフィ・コーンの本も多分読んだことがない人が大多数。
だって日本語訳もされていないわけだし。
その宿題の効果について、海外ではもういろんな議論が起きていますけど、日本ではそういうのをマスコミに出ることもほとんどないですよね。
なので、もしかしたら宿題には効果がないかもしれないなんていうことを、多分考えたことが一度もない、そういう先生がほとんどだと思うんですよ。
なので、それは本当に今、僕のこの話を聞いてくれている皆さんのうちで、周りにそういうサポートが必要な子どもがいたら、本当に皆さんがそういうふうに言ってあげる必要があると思います。
じゃあどうすればいいかということですね。
宿題、学習プリントって本当に意味がないと思うので、そういうことの代わりに何をすればいいかというと、僕は学習者のタイプ、好き嫌いによって4つの方法やり方を紹介すればいいと思います。
1つは、もう真面目な子ども向けなんですけど、もう本当にただ単に教科書を読むというだけでもいいですね。
読んでわからないところを教えてあげるという、それだけでもいいと思います。
少なくとも、この同じ漢字を書きましょうとか、そういうくだらない学習プリントよりはずっといいと思いますね。
それが1つですね、真面目な子ども用にはね。
あと、2番目としては、もっと社交的な子どもの場合は、友達と日本語を使うということですよね。
友達となるべく話す機会を作るということ、あるいは友達に手紙を書く。
好きな友達ね、たぶんいると思いますから、日本人の友達。
そういう友達に日本語で何か手紙を書かせるということですね。
でも、そういう外交的な友達が多い、子どもならいいんだけどそうじゃない人とか、あるいは日本人の友達もいないような、そういう子どもも多いと思いますから、
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そういうときはコンテンツですよね。
これはCBLL、コンテンツベーストラングレッジラーニングと言われることがありますけど、
これにも2種類あって、1つは映像ですよね。
アニメとかね、本当に年齢に合ったものがいいと思いますけど、
最近スパイファミリーとかなんか人気があるみたいですよね、僕見たことないから分からないですけど。
そういうのに字幕をつけて、それを見せて、それを一つ一つ読ませるとかですね。
あるいは、コンテンツが好きな人の中にも、映像よりも文字ですよね。
文字で入りたい人とかもいるんですよね。
そういう場合は、グレイダーリーディングっていうんだっけ、グレイドリーダーだったかな、英語だとそういうやつですけど、日本語だと多読の本がありますよね。
多読用の本がたくさんありますし、あるいは本当に子供だったら年齢とかに合った絵本とかね、そういうものでもいいと思います。
絵本に出てくるテキストを読むっていうのでもいいと思いますね。
これは僕個人の発想ではなくて、安倍真由美さんという人と神戸千春さんですよね。
その2人が研究論文を書いていて、研究論文のタイトルがですね、
英語自立学習者の学習方法に対する好みの構造と傾向及び学習行動への影響ですね。
こういうタイトルの本で、さっきムラスペのハッシュタグ付きで共有しておきましたので、それに書いてありますけど、
やっぱり今言ったね、真面目な教科書で勉強するタイプの人と、あと社交的な友達と日本語を使うことによって、
こっちの論文は英語なんですけどね。
日本語の文脈に言い換えると、友達とその言語を使うということ。
コンテンツについても、映像でその言語を学ぶということと、それからテキストを中心にコンテンツから学ぶという、
そういう4つのパターンがあるということは、安倍真由美さんと神戸千春さんの論文にもはっきり明記されています。
なので、これは僕の経験からの実は全くその通りです。
冒険化インタビューというのをしばらく前にずっとやっていて、
30人以上の日本語の読習者の方とインタビューして聞いてみたんですけど、
やっぱりここに書いてあることと全く同じことを僕も結論として得ました。
それは僕の本の冒険化メソッドの本にもこの3つのタイプが書いてあります。
僕の場合は、この映像の人とテキストの人たちをまとめてコンテンツ、CBLLのタイプというふうにしているので、
僕は3つ、3タイプというふうに言っているんですけど、
でも基本的にはこの安倍真由美さんと神戸千春さんの研究論文に書いてあることと全く同じことを僕自身も感じています。
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今後の宿題、それでもどうしても宿題を出さないわけにはいかないという学校のシステムとかもあるかもしれないので、
その中で一つ面白そうだなと思っているのは、ケテブレというやつですね。
ケテブレ宿題革命という本があって、これ実は僕まだ読んでいないのでこれから読んでみたいと思うんですけど、
ケテブレというのが何を省略しているかというと、
計画・テスト・分析・練習という、この4つをまとめて、頭文字を並べてケテブレと言っているんですけど、
要するにPDCAのサイクルを子どもたちが自分で回すようにするという、そういうような本だと思います。
なのでこれは今後も、これからはちょっと読んでみたいなというふうに思っております。
それでは今日はもうだいぶ時間も過ぎてしまったのでここまでにしたいと思うんですけど、
リスナーの皆さんも、もし宿題はしなくていいよというふうにアドバイスしてみたいと思いますでしょうか。
そういうふうに思う方はハートのリアクションをいただければと思います。
自分にはまだその勇気はないという方は涙のリアクションをいただければと思いますね。
それでは本日も、ハートのマークをいただきましてありがとうございます。
それでは本日もムラスペにご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日のこの宿題はしなくていいという音声配信に関しまして、感想とかコメントとか質問とかありましたら、
ぜひムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い1日をお過ごしください。
今日の花禁で皆さんにお会いできることを楽しみにしております。
そして冒険は続きます。
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