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2023-01-17 11:12

すがりつく日本語教育

今日の音声配信では、弱者に寄り添うのは必要だけど、実は教師の選ばれる立場の弱者なんじゃね?ということを話しました。学習者のマジョリティは教師を必要としていない独習者なんですよね。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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今日、お話ししたいのは、ちょっと変なタイトルなんですけど、「すがりつく日本語教育」ということですね。
これを話そうと思ったのは、「寄り添う」という言葉が結構使われているんですけど、
それにちょっと違和感を感じることが最近多いというか、力関係がだいぶ変わってきているように思うんだけど、
時代感覚にちょっと違和感を感じるようなことがあるということがあるんですね。
皆さんにリアクションを聞いてみたいんですけど、「寄り添う」って、普通は、例えば、医者が患者に寄り添うとか、
あるいは、経営者が労働者に寄り添うとか、あるいは、親が小さい赤ちゃんに寄り添うとか、そういうことがあると思うんですけど、
その反対に、今まで言ったパターン、医者と患者の関係、経営者と労働者の関係、親と赤ちゃんの関係で、
これは、みんな強い方の人が弱い方の人に寄り添うという状況ですよね。
この反対って、皆さん聞いたことありますかね。例えば、患者が医者に寄り添いましょう、患者の皆さん、医者に寄り添って考えましょうとか、
あるいは、労働者の皆さん、経営者に寄り添って考えましょうとか、そういうのを聞いたことがある人いらっしゃいますかね。
もしあったら、ハートのマーク、そういうこと聞いたことないです、というような涙のマークでリアクションをいただけますか。
医者に寄り添う患者、経営者に寄り添う労働者、親に寄り添う赤ちゃん、涙のマークをいただいてますよね。
僕もあんまりこういう表現は聞かないんですよ。
なので、それを考えると、やっぱり寄り添うという言葉には、守護の人が強いもの、相手が弱いものという前提があると思うんですね。
特に学校教育とかでも、すごくこの言葉は使われているんですよね。
教師が学習者に寄り添うべきだ、というようなこともすごく聞かれています。
でも、その前に前置きとして、実際に世界には弱者はたくさんいますよね。
社会的な弱者、それは経済的な弱者もいるし、性的マイノリティーの人が変だというイメージはないですけど、
でも実際にいろんな意味で迫害をされていて、権利がないという意味では、やっぱり弱者ではあるんですよね。
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そういう人たちにマジョリティーの側が優しい気持ちを持ってサポートしようとすることは、とても大切だと思うし、それは社会に必要だと思います。
でも、学びという世界の全体では、もちろん弱者もいるから、弱者に対してそれをサポートしようというのは僕は必要だし、そういう皆さんの優しい気持ちというのは本当に大切だと思います。
だけど、学びという世界全体では、そういう力関係というのは既に大きく変わってしまっていると思うんですよね。
なんですけど、そういうイメージが共有できていないなというふうに思うことが結構あります。
例えば、さっき村スペのハッシュタグ付きでツイートしましたけど、
子どもが教育を選ぶ時代へという本があります。
これは野本京子さんの本で、これについてもちゃんと話そうと思ったんですけど、村スペでまだ話していないと思うんですね。
でも、この本はとてもいい本で、レビューが100個あって、その100個のレビューの平均が5つ星のうちの4.4だから、すごく評価されている本だと思います。
終焉写真賞ですね。
新書なのでそんなに高くもないし、もちろんKindleでも買うことができます。
要するに、いろんな教育を選ぶことができる時代なわけですね。
学校に行かなくても、例えばうちの子どもも中学校に行かなかったんですけど、
普通に試験を受けて、中学卒業程度認定試験が合格しましたし、
選ばれる側だということですよ。
我々教育に関わる人間は選ばれる側にあるということですね。
もちろん有名大学、東京大学とかが学習者を選ぶというのも一つにはありますけど、
おそらくお互い選ぶ権利があるわけですから。
だけどそれが一方的に教育者だけが学習者を選んでいるような時代ではなくて、
教育者の側も選ばれる時代にあるんだということですね。
何回も前にもこの話をしましたけど、
Duoリンゴというそういうアプリがあります。語学学習アプリですね。
これで日本語を勉強している人は1500万人以上いるわけですね。
少なくとも1500万人以上はいます。
これ登録している人の数ではなくてアクティブユーザー数です。
前にははっきりアクティブユーザー数と書いて公表してましたし、Duoリンゴ自身がね。
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実際に中国は禁止されちゃったんですね。
それで中国語のインターフェースでは学習者の数減っているんですよ。
Duoリンゴのね。
なので多分今は中国語圏でまだ勉強しているという人は中国の本土にいない人とかそういう人なんだと思うんですけど、
そういう意味で減ったりしているのでもこれは登録した人の数ではなくてアクティブユーザー数です。
Duoリンゴの1500万人の日本語学習者というのはアクティブユーザー数、
つまり国際交流基金が日本語教育機関調査、つまり学校で勉強している人の数を調査してますけど、
その統計で確か370万人ぐらいでしたよね。
一番新しいやつが。
だからその4分の1ぐらいなわけですよ。
Duoリンゴというたった一つのアプリで勉強している1500万人の日本語学習者のそれに比べると、
学校を選んで学校で勉強しようと思っているのは4分の1ぐらいに過ぎないということです。
つまりそれは学校がなくても学習はできるということですね。
教育者がいなくなっても学習者は学習を継続できるということです。
日本語教師が一人もいなくなったとしても、
この1000万人以上の学習者には何の影響もなくてそのまま学習を継続できる、
そういう状況にあります。
そういう時代なんです今ね。
しかもこれDuoリンゴだけですよ。
Duoリンゴを使っていない人だって何百万人もいるんですから、
学校に行っていないで日本語を勉強している人というのは何千万人もいると思います。
そういう時代に寄り添うという姿勢の人が生き残れるのかというのが僕はすごく心配なんですよね。
寄り添うの対義語、反対の意味ですよね。
それが何かなという風に考えてみたら、
今日のタイトルにしているすがりつくなんですよね。
本当にすごくプライドがないイメージですよね。
プライドがなくて、
今月今夜のこの月、
何だっけ、
すみません、あれ忘れちゃった。
なんとかお宮、
すみません、ちょっと忘れちゃいました。
熱海の方に銅像が建ってますよね。
そういうイメージ。
わかる人は後でコメントいただければと思います。
要するにすがりつくというイメージなわけなんですよ。
寄り添うの反対はすがりつく。
すがりつくになると全然プライドがないイメージだと思いますけど、
でも僕はそれでもいいと思います。
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何でかというと、
僕自身も含めて自分で最近反省することが多いんですけど、
変なプライドがあると学べないとか、
新しい考えを受け付けられないということが本当にたくさんあるんですよね。
すみません、これはね、
俺はそうじゃないとかっていうつもりは全くないです。
俺はそうじゃないからお前ら気をつけろとかそういうのじゃなくて、
自分も含めて本当にそう思っているんですよ。
なので一層のこと、
寄り添うっていうのは立場よりも本当にすがりつく、
そういう立場にあるんだということをもう自覚しながらですね、
ちょっと僕はこの後生きていきたいなというふうに思っております。
ただ寄り添うのがいけないと言っているんじゃないんです。
明らかな弱者というのは最初にも言いましたけど、
明らかな弱者というのは確かにもうたくさん存在しています。
サポートを必要としているわけですよね。
そういう人にマジョリティの側が寄り添うというか、
そういう優しい気持ちを持ってサポートするというのは絶対に必要です。
それはもう僕は否定しません。
だけど弱者じゃない学習者に対しては変なプライドみたいなのは捨てて、
真摯に向き合うことが必要じゃないかなというふうに思っていますね。
というよりも見捨てられる前に自分の立場をわきまえた方がいいんじゃないかというのがね、
それがこの時代の現実的な教育観なのではないかと僕は思っております。
それでは今日はまだ短いんですけど、
本日の僕の言いたいのはここまでになります。
リスナーの皆さんも学習者にすがりついてみたいと思いますでしょうか。
思う方はハートマーク。
それは自分にはできないという方は涙のマークでリアクションいただければと思いますけど。
それでは本日もムラスペにご参加くださいましてありがとうございました。
今日のすがりつく日本語教育についてご感想がある。
ご感想とかコメントあるいは質問とかある方はムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして冒険は続きます。
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