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2025-03-25 39:05

【佐伯香那・後編】「社会貢献にビジネス経験はどう活きる?」サイバー/リクルートを経て事業代表になるまでの軌跡(AMOMA natural care代表) #15

▼本日の内容

小学生の原体験「貧困問題のリアルを知った黒柳徹子のテレビ番組」 / 最短で実力をつけるためサイバーエージェントへ / 手段を問わずビジネス創出できるリクルートへ / 会社の0→1を経験するため創業期の医療ベンチャーへ転職 / リクルートで叩き込まれた「見立てる。仕立てる。動かす。」 / 突如なくなったボーダレス・ジャパンの起業家伴走 / 代表不在だったAMOMA / 実は入社2ヶ月でボーダレス・ジャパンを辞めていた / 共同経営は難しい... / 失敗を高速でやることが事業 / 人生のゴールと仕事がつながることで、毎日が変わる

▼本日のゲスト

株式会社ボーダレス・ジャパンAMOMA natural care代表佐伯香那。1983年生まれ。早稲田大学で開発経済学を学ぶ。小学生の頃から社会問題解決に関わりたいと想い続け、大学時代に「社会問題をビジネスで解決する」と決める。大学時代から自ら現場を体感したいと思い、アジアを中心にバックパッカーとして各地をまわる。大学卒業後、サイバーエージェント、リクルート、ベンチャー、起業と、ビジネスをゼロから創りあげ、事業成長させていける力と経験を身につけるために、一貫して新規事業開発・企画に従事。ボーダレス・ジャパンに入社後は、社会起業家の経営伴走を経て、2022年10月よりAMOMA natural careの事業代表として、ミャンマーの小規模農家の貧困問題解決に挑んでいる。

サマリー

このエピソードでは、AMOMAの代表である佐伯香那さんがビジネス経験を活かし、社会貢献に取り組む過程を語ります。彼女の幼少期の経験がソーシャルビジネスへの道を切り開き、サイバーエージェントやリクルートでの経験が成長にどのように寄与したかに深く迫ります。佐伯香那さんは、リクルートやサイバーエージェントでの経験を活かし、ボーダレスでの事業開発に従事し、社会問題解決に向けたビジネスモデルの構築に取り組んでいます。彼女は起業に向けた挑戦と成長の過程で、チームや周囲の人々との協力の重要性を認識し、さらなるスキル向上を目指しています。また、佐伯香那さんは社会貢献に向けたビジネス経験の重要性について語り、自身の起業の経緯やアモーマンの代表としての役割について紹介します。彼女は事業経験から学び、社会問題解決に貢献するための新たなアプローチを模索しています。佐伯香那さんは、ビジネス経験を活かして社会貢献を実現する方法について話し、自身のキャリアを通じて得た考え方を共有しました。

ソーシャルビジネスへの目覚め
始まりました、むにむに。この番組は、40歳を超えてNPOに関わり始めたジュンと、20代のポッドキャストプロデューサーのひとしが、
社会課題解決に取り組む方々から、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントを学ぶポッドキャスト番組です。
認定NPO法人全国子供食堂支援センター、むすびえさんの提供でお送りいたします。
よろしくお願いします。
はい、前回に引き続き、株式会社ボーダレスジャパン、ママ&ベビー向けのハーブ関連商品販売事業、AMOMAの代表、さゆきかなさんをお呼びしております。
いや、前回もすごかったですよね。
あの、そんな理想的な働く環境とかあるんだっていう、そしてなんか本当に楽しそうでしたね。
ボーダレスさんの、田口さんの発信とかは聞いたことは読んだり聞いたりしてたんですけど、
さらにこの中にいる起業家というか事業代表の方の話は新鮮でした。
そう、本読んでね、田口さんの信念はわかるし、すごい人なんだなと思ったけど、
さゆきさんのお話聞いて、それが本当だし、
さらにさゆきさんはコーチングとかね、あの人の生かし方っていうことをやられていて、なんか組織としてね、やっぱそういうポリシー大事にされてるんだなっていうのが。
本当にどんどん生み出そうとされてるんだなって思うんです。
では後半もお呼びしたいと思います。
はい。
はい、ということで後半では、もともと14,15年ビジネスパーソンとしてゴリゴリと経験を積んだ後に代表をやられているので、
そのビジネスパーソンとして何を学んできたのかとか、ソーシャルビジネス始めてからどんなギャップがあったかとかをお伺いしていきたいと思ってるんですけど、
もうあれでしたよね、結構幼少期からソーシャルビジネス取り組もうって思ってたみたいなこと。
いろんなところで答えてらっしゃるのが、小学生の時に教科書か何かですか?
テレビ見たんですよ、たまたまその時。
海外の貧困の子供?
はい、なんかその時に本当にそれは感謝だなと思うんですけど、私の母親がユニセフの神前大使してる福山哲子さんが年に2回ぐらいいろんな国に視察されて、
それのドキュメンタリー番組が。
特番みたいな。
みたいなのがあって、それを録画して見てごらんなさいと。
っていうのが見たのが、たぶんほんと3年生とかそれぐらいだと思うんですけど、そこがきっかけ。
見たことありますよ、確かに。
誰もが見たことあるんじゃないかなっていうあれですけど、僕の印象だと、やっぱりアフリカとかドナージアとかの再貧国の人たちの1日1ドル以下の生活のところにいて、
なんかその実情をね、伝えるみたいなやつですよね。
見ましたけど、よその遠い国のね、そんなこともあるんだなっていうふうに感じる人が多いんじゃないかなと思うんですが。
そうですね、なんかなぜそういうふうに思ったのか、私もちょっとあれですけど、当時やっぱそのテレビを見て、たぶんアフリカのどこかの国だったと思うんですけど、
まさにそのテレビの向こう側に自分と同じぐらいの年齢の子どもたちが、毎日のご飯が食べれないとか、病院行けない、学校行けないとか、当たり前のことができないっていう事実を、リアルを私やっぱその時に初めて知ったんですよね。
もちろん戦争あるとかいろんなことはしてたけど、そこのリアルを知らなくて見て、すごいショックというか、なんかもうほんとに涙止まらなくなって。
テレビ越しに?
見てて、その時何を思ったかっていうと、たまたま私はテレビのこっち側に生まれただけで、もしかしたらあっち側に生まれてたかもしれない。こうやって選べないじゃないですか、子どもって。
でももしかしたら私あっちに生まれてたかもしれないって思ったら、こんなになんか不公平なことってあるのかっていうその行き通りというか、なんかいろんな複雑なことを思ったんですよ、その時ながらに。
こっち側に私はすごく恵まれていて、何不自由なく今生きてるっていうことにはこれはきっと意味があるなと。
って思うと、私はこっちに生まれたからには、いつか大きくなったらテレビの向こう側にいる人が一人でも幸せになれるように何か関わることができないかっていうのをその時に思って、何の仕事かわかんなかったけど、そういうことに携わりたいっていうのをその時に決めたんですよね。
どうしたらいいかわかんないですよ。国連で働けばいいのかしらとかね。 そう、国連すらも知らないぐらい。
そういうふうには思うかもしれない。 そうですよね。
消防さんとか学校の先生とか消防士とかそういうことしか知らないですよね。
だから当時ユニセフの番組だったかまずはでも自分のできることから、自分のお年玉の一部ユニセフに募金するみたいなところから始めて、そこからどうやったら関われるんだろう、何ができるんだろうっていうことを探す、人生の旅じゃないですけど、探し始めたっていう。
ビジネス経験の重要性
それが大学生の就職活動の時まで続いていったんですか。
そうです。
結構あれですよね、ソーシャルなことされてる方ってご自身の現体験で目の前にあるからっていうリアルでわかりますけど、だいぶ遠い世界のことでそこまで自分ごとに思ったんですね。
なんでなんでしょうね。
ご自身は別に貧困過程というわけでもないですよね。
そうですね。幸いにも幸せに育ててもらったのでそういうことはなかったんですけど、ちょっと想像力が豊かすぎたのか。
もっともっとそういう共感力が高い人なんですか。
かもしれない、それもあるかもしれないですね。なんか想像して、もしあの人の立場になったらどういうふうに感じるんだろうなっていうのは、いろんな局面でも、例えばいじめられたお友達とかクラスにいたら、その子の立場になったらどう感じるんだろうっていうことは常にそういう発想で考えてたから、そういう想像をしがちだったのかもしれないです。
感受性が高いんですね。
そこから新卒ではどういう基準で会社を選ぼうとなるんですか。
サイバーエージェントに。
全然違う。
現在のサイバーエージェント、皆さん想像されるかもしれないですけど、同世代かなと思って僕は話すんですが、当時のサイバーエージェントって全然違う会社ですよね。
ライブドア前世紀の時でまだアメブロボなくて、ブログというものが出始めたぐらいのドベンチャーで誰も知らない会社で、藤田社長の藤田も出てなくて大きな恵みの夫って言われてたぐらいの時代でした。
何を基準に選ばれたんですか。
そうですよね。当時本当にそもそも私は貧困問題解決、社会問題解決をしたいのかっていう自問自答してたんですよ。
その時期もあったんですね。
ありました。
その手前で学部とかはそういうの選ばれたんですね。
そうですそうです。最終的にどうやったらできるんだろうって国連の職員とかNPOとかいろんな関わり方があるなってことを自分の中に調べて、
当時は中学生とかぐらいの時は国連の職員になりたいって思ったんですよね。
国連の職員はどうやったらなれるんだろうっていうのをいろいろ調べていったらどうも海外の大学院まで行って、
修士の資格取って、かつ文系で行くなら法律科経済科っていうその専門部への2つしかないなっていうことがわかったんで、
私はどっちかっていうと経済の方が興味があったら経済の開発経済学っていうそっちで行こうと思って逆算して、
じゃあそれが学べるところがどこなんだろうって探して、大学の経済開発経済学、ゼミも開発経済学を選んだんですけど、
それで選んで行ったんですよね。その時でも途中やっぱり、はてとずっとこんな小さい時から、
社会課題解決貧困問題解決をしなければならないと自分に思い込ませてきて本当にやりたいことなのかって。
もう一度、就職の時期に思ったんですか?
そう思って、当時私なんか雑誌フリーペーパー作ってたんですよね。
学生のとき?
そう、サークルで作ってて、その時にゼロから企画を考えたり、誰かに思いとか伝えるってすごく面白いなって思ったんですよ。
さっきの話にも繋がるんですけど、自分が幸せじゃなかったら誰かを幸せにすることって本当にできないなって思って、
たとしたら自分がワクワクすること、自分の好きなことを通じてそれを実現できないかなっていう風に発想変わったら、
あ、国連じゃないなって。
なるほど。さらっと言ったけど、すごい深い自分の気づきを一回立ち止まってみたんですよね。
そうですね。あとはさらに本当の意味での課題解決をして、いわゆるインパクトを出していくってなると、
ビジネスっていう一つやり方があるかもしれないなって自分なりに思って、
じゃあビジネスを使って解決するっていうのは当時ボーダレスやっぱりまだなかったし、
そういうのもソーシャルビジネスなんて来たことなかった。
聞いたことなかったですね。
もうここ最近じゃないですか。
ってなると自分で何かそこに関わる事業を作りたい、作るしかないなってことは作るための経験スキルを身につけたいなから、
あとは当時広告が紙を越えてインターネットが来るみたいな。
そんな時期なんですね。
とはいえまだまだね、普通の広告代理店の方が人気もあったでしょうしね、お給料も良かった時代ですよね。
当時実はマガジンハウスとか行きたい雑誌作りたいっていうものはあったんですけど、
でもこれからグローバルでやっとこうと思うとインターネットオンラインっていうのは一つすごく授業として使えるというか、
ポイントになりそうだなと思ったから、それが実力つけれる、最短で実力つけれる。
あとやっぱり自分が裁量権持って早く事業作りたかったんで、それができる環境がいいな、とにかく成長が早くできるところって探したらサイバーにたまたまであって。
いやでもそうですね、そんなちっちゃい頃からね、海外の貧困の子供に共感して泣いちゃうような人だったら、
AMOMA設立への道
ボランティア精神でね、自分をある種犠牲にしてでもいいことをしよう、そのことを仕事にしようって飛びつく人も多いと思うんですけどね。
一方で自分も幸せじゃなきゃいけないっていうところと、持続可能にちゃんと自分の力でそれを自由を持ってやりたい。
この3つを揃えるようっていうのはだいぶ欲張りな選択ですね。
でも多分自分がそうじゃないと続けられないなと思ったんですよね。
やっぱ長い目で見たときにやり続けるってなったら、やっぱり自分がまず楽しくワクワクしないと頑張れないなって多分シンプルに思った。
最初からそこまで想像して、それも共感力ですかね、想像力ですかね。
わかんないですね。どっちかというと思考的に逆算思考。ゴールこうしたいなってなったらじゃあどう逆算してやっていくかっていう割とそういう発想だったからそういうふうにしてたっていうのはあるんですけど、
そのときはそういうふうにまず入るんだけども、結局私ボーダレスジャパンに入ったら多分38ぐらいだったんですよね。
かなり多分遠回りしてきてて、その間にはやっぱり何度も何度も本当にやりたいことなのか、その社会課題解決とかっていうのは何度もありました。
そうですよね、キャリアを見るとサイバーエージェントに行きます、その後リクルートに行きます、また医療系のベンチャーですかね。
医療系のベンチャー、10人も満たないベンチャー。
だからだいぶあれですよね、武者修行と言いますか、してからのボーダレスジャパンということですけど。
なので、性格的に目の前にあるものを楽しんじゃうんですよ。だからサイバーの新規事業でもリクルート入っていろんな新規事業を携わってもらったんですけど、
とにかく新しいチャレンジ、新しいことができることが面白いんで、はまっちゃうんですよね。
でも一通りやると、あれ私これでも本当にやりたいことはいつまでやってるんだろうって気づいては、ちょっと待てよってやるんですけど、そういうことがあって、
あとはリクルートに入った理由自体もちょっとこの流れで話しちゃうと、インターネットっていうそこではこういうふうにウェブサービス作っていくんだなってことは学べたと。
だけどやっぱりインターネットっていう軸でどういう事業をやるかっていう発想でしかできないんで、私がやりたいのは社会課題があってその問題を解決するための
ハウをビジネスでやりたいってなると、枠が決まっちゃうと本来の解決ができないなって。
リクルートでの経験
手段がね、すごいこの武器使って戦わなきゃいけない様子って言われてたもんね。
でなった時にその目的ありきでビジネスモデルをゼロから考えられるような会社ってどこなんだろうって探したらリクルートがあるってことに気づいて、
ここだったら本当にその目的に合わせていろんなビジネスを作り出したりそれをどう拡大していくかって既に実績もあるし、そこにはきっとノウハウもあるから、
事業開発力だったり戦略だったりインパクト出していくみたいなところを数年に渡ってノウハウをとにかく身につけたいし力もつけたいと思って選んだけどやっぱりそこに行くとそこはそこで面白いから
ぼっとしちゃって数年たってあれみたいな、あれみたいなでも本当本当本当でもやっぱ慣れてくるとずっと人材をやりたいわけじゃないしてワクワクが薄れてきて
再び原点に戻るんですね、次のイローベンチャーも修行的な意味で
またその時ボーダーズの存在は私はまだ知らなくて、やっぱり自分で起業するしかないな、やっぱりそうすると会社自体を大きくしていかないといけないってなる
今までは事業を作るってことはやってきたんだけども会社の経営ってまた別じゃないですか
なんでその会社自体をほぼゼロの状態から大きくしていくっていうフェーズでどういうふうにやっていくのかってことも経験したいなと思って
たまたまご縁もあって司令がそこの事業立ち上げてたんで入って、だからそこは本当に長くいるつもりはなくて入る時にも近い将来自分で事業をやりたいから
本当に2年とかそれぐらいだけどいいですかっていうのそれもいいよって言ってくださったんで、そこで会社をどう大きくしていくかみたいなところを経験したいと思っていた
スタートアップ体験なんですね やっぱりそこで待てよ、当時子供が生まれて
いやこれこのままいったらまた子供が大きくなって何歳になったらとかいろんな理由をつけていつまでたってもやらないぞとこのままいくと40にいってしまう
これはいかんと思って当時コーチングっていうものに出会ってもう一回本当に自分が何したいのかっていうことをやったら結局やっぱり社会問題解決貧困問題解決っていう何も変わらないものが出てきたんですよ
あれがやっぱりもう原点で忘れられなくてやっぱこれ私やらなかったら人生後悔するなっていうのを心から確認ができたから
もう動かないとダメだと思ってボーダレスに入ってボーダレスで起業するつもりで入ったっていうそんな流れでした
ボーダレスでの挑戦
いやもう相当経験とスキルを身につけてきたという印象があるんですけどそこからボーダレスに入った後も実践ってなったらやっぱり試行錯誤っていう感じですよね
そうですねでもなんか遠回りしちゃったなっていうそのもっと早く本当にソーシャルビジネスに関わればよかったなと思う反面今やれてることってやっぱり無駄じゃなくて
サイバーとかリクルートベンチャーでやってきたことのすべてがつながっているだからそれまで本当にそのウェブアプリ作ったり
2B事業やったり2C事業やったりカスタマーサポートもやったり営業やったり商品企業でもとにかくいっぱいいろいろやってきたからこそ今ボーダレスでいろんな事業関わるってなった時に
アプリ作るだったりマーケティングだったり営業いろんなことがやってきたことが活かせるっていうのは本当に遠回りしたけどでも今だからそれができるなっていうのは思いますし
あとは私は本当にリクルートで育ててもらったことがすごく大きかったなって思うんですけど見立てる仕立てる動かすみたいなこの3つを
見立てる仕立てる動かす 仕立てる動かすこれをすごい叩き込まれたことが今の事業開発にもすごく活かせていて
見立てるっていうのはある意味もまず本質的な課題を見抜くっていう話で課題を見抜き間違ったら全部がずれるんで
本当の本質的なところには何があるのかっていうところをひたすら課題の特定みたいなところを訓練してもらいたんですよね
で今度仕立てるはそっから筋のいい仮説を立てるつまりこの課題だとしたらこういうふうにしたらいいんじゃないか
でこれを今度動かすそれは本当に戦略を立てたりビジョンを描いたりメンバーを動かすいろんな意味があるんですけど
それで事業を作っていくみたいなこれを叩き込まれたんですよね
だからこそこれって多分どのポジションだりどの事業でも絶対なんか共通してる必要スキルみたいなだったなって私は思うんで
それが今この年齢になってそれをなんか活かせるようになったのはまあ遠回りしたけど結果良かったかなっていう
僕が就活とかしてた時は割ともうソーシャルビジネスとか社会課題解決がちょっとだけ言われてる時で
でもやっぱ起業するなら一回訓練してからビジネス経験積んでから起業しようっていう派閥と
飛び込んで起業しちゃえよっていうどっちもやっぱりいたので
それはもちろん役に立つことたくさんあるよなって思ったんですが逆にあえて言うと予想外だったこととか
また起業してさらにもう経験積んだと思ってたのに学び直さなきゃいけなかったこととかってありますか
今までやってきたことはもちろん活かせてるけどそれが全然十分だとは思わなくて毎日壁にぶち当たってるし
すっごい悔しいんですよ本当に自分の実力のなさにぶち当たってすごいもうくそー悔しい
それはでも真っ当な悔しさそのインパクト出したいけどやっぱり自分の力が足りないってなった時に
ただやっぱり今になってわかりますけどこれを全て自分の力で全てどうにかしようってこと自体がおこがましいなって思えるようになったというか
変に自分のプライドなんかどうでもいいんだから誰かに聞いたり助けてもらって近道なんだったら絶対そっちの方がいいって思うと
変にカッコつけずもっとみんなにメンバーも含めていろんな人に力を借りるっていうのはすごく大事だなって思うようになると
年齢関係なく常にやっぱりチャレンジし続けることとか学ぶこととか山ほどあるやっぱり自分が学べることって
なんで今ボーダレスでそういうこと20代前半の企業方もいっぱいあるけど年齢関係なく私も相談するし
夜飲みに行ってちょっといろんな事業の話したりとかなんか常にそういう年齢を重ねたとしてもなんかそうありたいなっていうのは今思ってます
キャリアのことを伺っててあれですね最初はボーダレスさんの中でいろんな事業があるからそこの社長さんの経営伴奏みたいなことをされていた
どんなことをされていたんですか
本当にその企業家のタイプとか事業のフェーズとかそれによってつき方を変えるんですけど
例えばまだできたばっかりの事業だったら一緒にその事業戦略みたいなところを一緒に作ったりとか
その上でやっぱり筋を見出すためにやっぱり現場がわかんないときに私もたとえば数十人ユーザーヒアリングして
私なりに戦略こんなのどうみたいなことを一緒に考えるケースもあれば
とある例えば放牧者っていう牛会の企業家がいてその事業をやったときは牛の幸せを考えてミルクとか赤ちゃん産まなくなった牛を引き取って
もう一回放牧、リハビリ、自然放牧してリハビリしてもう一回子供を産める状態にしてその牛の幸せを考えるっていう牧場なんですけど
その牛の幸せがKPIのところなんですよ、僕も安宿のとき夜一緒に飲みました
そうベップにあるっていうそのをやったときとかは最終的にはビジネスモデル的にも全うしたらその牛のお肉を結局お肉として販売するってなると
私飲食店バーって営業かけてお肉販売しに行くみたいなこともやって実際に営業として動く場合もあるし
本当にその事業と起業家に合わせながらとにかく事業は前に進むためのお手伝いをさせていただくみたいなことをやってました
それってねボーダレスの放牧事業、落納事業もあればいろんな多業種にもわたるじゃないですか
そうですね、タンザニアで若年層の女性の雇用を生み出すための生理ナプキンを作ってるタンザニアの事業をついたりとか本当にいろいろある
ヘルスケア事業とかそういうプロダクトの事業とか経営伴走って自分がやってきた
例えばそのヘルスケア事業でこのぐらいスケールできましただからヘルスケア事業に関してスタートアップには経営伴走できますよ
はなんとなくわかるんですよ結構それだけじゃ済まないじゃないですかそれは
難しくないですか
難しいですよやっぱりその例えばタンザニアのその若い子たちの雇用喪失でじゃあその生理ナプキンを彼女たちに作って雇用を生み出してそれをあっちで売っていく
生理ナプキンをタンザニアどう売っていくかみたいな話とかもタンザニアわかんないしとかって
ご自身でも成功体験がある領域ではないし正解もわからないしどうやったら成功するかもわからないことを
見立てを一緒に作っていって一緒になんて言うんですか一緒にこう
やっぱそのさっき言った見立てる仕立てるっていう話と一緒でやっぱり本当にやっぱり今の経営課題がどこにあるかとかその事業課題がどこにあるかって言ったところを
その起業家の話聞きながらこうじゃないかって仮説を立ててて実際にヒアリングしたりやっぱりこうだったのかっていうことをやるのを
やっぱり課題の特定とそこからの仮説を立てていくみたいなことは一緒にやってできるものなら私もユーザーヒアリングに参加したり自分もやるし
これあれですよねいわゆるその経営アドバイスではなくて事業を
開発を一緒にやる
その本当の伴奏なんですよね事業を進めていくためにそれ進めていくためにどうしたらいいかを一緒に進んでいくっていう
起業への道
例えば親の学校とかもリモデルしようってなったらユーザーヒアリングを30人ぐらい私もしてその上で一緒に研修プログラム自体を一緒に作るみたいなことをやるんで手を動かしますアドバイスではないですね
そっから伴奏してた時からじゃあ自分の事業何かプロジェクトの代表になろうってなったのはきっかけがあったんですか
はいきっかけがあってその競伴奏っていう形でやってたんですけど常にボーダレスってより良くしてどうしたらいいかっていう議論していく中で
突如ですね競伴奏はなくそうって話になったんですよ私のポジションなくなったんですよ
今もないんですか
ないです
そうなんですか
短期的にはもしかしたらそれで事業は前に進むかもしれないけど中小企業っていう意味ではそれやっぱり企業家の成長を奪ってたな
だからそれでやっぱり企業家本来は自分で失敗して学んだり自分で判断するってことが大事なのに
場合によってやっぱり私が描いて私が書いた筋でやるってそれやるのは簡単だけどやっぱりだんだん企業家の意思を込める
考えるみたいなところの機会がなくなってそれはやっぱり企業家の成長イコール事業の成長って考えると良くなかった
なるほど
それってほじょりにいらなかったよねみたいなこと
そうですね
何回もこけていっても怪我しても
そうですよね失敗して学ぶじゃないですか
カサブタになって絶対こげるようにはなるんだからと
っていうのが過多すぎたと
なんでそれはやっぱり結果企業家のためにならなかったっていう結論を出したら
もう出したらもう明日から変えようなんですよボーダーリストの場合
早っ
はい
じゃあ仕事なくなる
働いてるし
そう
無しにしようって
こっちの社長のワンソーの面談入れてますしとかの中で
はいタグちゃん無しで
いやもうこれは無しだなって
じゃあどうするってなって
途中いろいろ新卒採用とかもちょっと挟んだんですけど
結果的にこのアモーマンになったのはとあるタイミングで
あれ一回出られたんですかその時
その前一回私ボーダーリスト入って2ヶ月で辞めてて
その前に
その前です
速攻でなんだ
速攻で辞めて外で起業しちゃったんですけど
そのアモーマンになるやつは
カナパン何したいって言われて
カナパン
カナパンって言われてるじゃないですか
言われてるんですけど
ゼロから事業をソーシャルビジネスを立ち上げるか
既存の事業を立て直すというかもっとインパクトを出していく
どっちがいいって言って
なぜアモーマンを選んだのか
いや私やっぱゼロから作りたいです
新規事業やりたいですって言って
分かったっつって
おっしゃっつって
じゃあ考えようかって言って
数日後にやっぱ考えたんだけどつって
やっぱ既存事業伸ばした方がインパクト出るから
やっぱり今そのフェーズじゃないから
既存事業でいくつかあるんだけども
その中であったらどの事業に関わりたいかって言われて
当時アモーマンは実はしばらく代表不在だったんですよ
この事業
もちろん株式会社ボーダーシャッパンの中の一事業なので
名目上は田口が代表になってるんですけど
実質メンバーで事業を運営してたんですよね
でもそろそろやっぱりちゃんとやらないと
メンバーも大変だしっていうので
っていうのと私自身、自分の妊娠出産
ママの悩みみたいなところも
自分の経験も活かせるっていう意味でと
ミャンマーの貧困問題解決すごくリンクするなと思って
アモーマンにしますっていうのは
金曜日の夕方に話したら
じゃあ来週から代表よろしくみたいな感じで
メンバーも来週聞かされるみたいな
で慌てて私福岡に飛んで
まずはちょっと一人もメンバー知らなかったんで
初めましてっていう
その間は伴奏してた事業でもないんですね
全然関わってなくて初めましてっていうので
そこから現場行って
突然翌週から代表になるっていう
起業の失敗と再出発
その時メンバー何人くらい
全部では今同じ30名くらいで
結構いますよね
それはでも自分では起業しようと思ってたとの
ギャップは何か感じたりしなかったんですか
なんでちょっとさっきのところに触れるんですけど
私ボーダレスに入って2ヶ月で辞めてのは
外で起業したんですよね
そうですよね
元々はボーダレスで起業するつもりで
とりあえず入ればいいやと
当時なんかアンダー30で
35歳未満じゃないと起業科学がなくて
38だったんで
オーバーしてたと
オーバーしてるぞと
でもとりあえず入ってしまえば
絶対中でなると思ったんで
バディっていうポジションでとりあえず入って
起業しようと思ったら
入って2週間のタイミングで
元いた会社の同僚から
教育事業立ち上げよう
一緒に立ち上げないか
私自身教育事業立ち上げようと思ってたんで
エンジニア探してその人エンジニアだったんですよね
これは
その人がボーダレスに入ってやることはないから
待ってるしかない
と思ってほぼ話したことなかった
田口鈴木に
初めましてボーダレスやめます
えっみたいな
何言ってんのみたいな感じですよね
でもちょっと起業するんでやめます
2年目じゃ2ヶ月目のものです
起業するんでやめますって言って笑われて
いやまあわかったでも頑張って来いって
送り出してもらって
ちょっと余談になりますけど
当時田口からわかったじゃあ頑張れ
って言われたその次の日に
めちゃくちゃ長いメッセンジが来たんですよ
メッセンジャーに
田口さんから
それが私本当にすごい人だなって
その時思ったんですけど
ほぼだから全然喋ったことない
人ですよ
あの後もう一回考え直してみたんだけれども
それやっぱりまず
共同経営ってすごく難しい
だから1ミリでもやっぱりちょっとずれると
本当に難しいから
もし本当に今すでに
ちょっと1ミリ何か
不安感を感じてるんだったら
明日からでもいいからボーダレスで起業しないか
って言ってくれたんですよね
そんななんか
知らない人にわざわざそんなこと
もう一回考え直してそんなこと送ってきてくるなって
本当になんか
すごい良い人なんだろうって思ったんだけど
いや私決めたしと思ってすいません
ありがとうございますでも起業するって決めたんだよ
決めたんだよって言って
そのシーンを私はちゃんと理解せずに
外で起業したんだけども
結局やっぱり
0.01ミリみたいな
最初その違いっていうところが
共同経営
共同経営がやっぱり
途中からだんだんだんだん
このギャップが広がってきちゃって
そこがね
2人が違うと
メンバーも友達も
事業として全然ぜんぜんはないので
これはちょっと続けていけないな
と思って
私自身は
ちょっと抜けさせてもらうっていうので
事業会社からも
抜けさせてもらって
でその後に
樋口さんのところに行ったんですか
ちょっとしばらくして
いやでもこれは迷惑かけてやめたしちゃんと報告はしなくちゃ
と思ってタクチ鈴木に
すいません起業失敗しました
って言って頭を下げたら笑って
あーっつって
とりあえず明日から戻ってきたら
みたいな
っていうそんな流れで
来たのでなんでその
当時その起業に
失敗したってすっごい
凹んだんですよもう
でも人生終わりぐらいのつもりで
誰にも顔向けできないと思っても
でもそこからしばらくして
ふと考えてみたら
いや誰も私のこと何も気にしてないし
おこがましいなと
自分の人生誰も気にしてない
誰に向かって私は生きてるんだろう
で改めて自分が本当にやりたいことを考えたら
やっぱり社会問題解決
貧困問題解決をやりたいってことは
何一つ一ミリも変わってなくて
ただやり方私は
間違っただけだったなってことに気づいたら
すっと立ち直れて
やり方変えたらいいんだ
やっぱりその時はやっぱり自分で起業したいっていう方が
強かったんですよね
課題解決よりも起業したいっていう
ある意味プライドツール
やってみたいというかあれですね
でも別にそこどうでもいいやと
やっぱりインパクトにつながることの
やり方やればいいってなったら
結果今のアモーマンは
よりインパクト出す方が近道
って思ったら私は今
自分の経験をこっちの方が活かせるなって
ゼロから立ち上げるよりって思ったので
別にゼロから自分で起業する
やり方にこだわらず今の方が
インパクト出せるんだったらそうしようって思えた
ごめんなさい前置きはなかったんですけど
かつ計らずも
コンプリートしたんじゃないかキャリアを
って今
こっからですけどね
ITベンチャーでねとんでもない企業になるところの
創生期も経験し
だからこうやったら繋がっても見えないですけど
でもやっぱり今まで思ったらここに
言ってないだけいろんなこと私いっぱい失敗してきてて
でも
たぶんやらないと気が済まないんですよ
体験して自分で
違ったって体感しないと
気が済まないんでいろんな形で
軌道修正して今にやっとたどり着いた
っていう私はある意味不器用で
社会問題解決への挑戦
すごい遠回りしてきたので
もちろんいろんな
やり方があるしもっと直結で最初からやる
場合もあっていいと思うし私の場合でも
ちょっとそういう風にやってきたっていう
でもね幼少からねそういう課題意識
はっきりしてるんだったらもっと近道
はあったんじゃないかなと思いつつ
ですが
何が最短の道だったのかってなんか
分かんないですよね
ただやっぱ当時は自信がなかったんですよね
やっぱ自分が事業立ち上げ
ってなった時に何者でもないし
何もできないのに
どうやって立ち上げたらいいかのすべすら
分かんなかったから
その確からしさが欲しかったんですよね
自分で立ち上げられるっていう
でも途中で気づいたのはこれいつまで
経っても終わりがないぞ
完璧はないこれ絶対もう100%
でスーパーマンで立ち上げられます
みたいなことにはあ、ならない
なってことに気づいて
っていうのと当時たぶんあったのは
失敗しちゃいけないって思ってたんですよ
失敗しちゃいけないからこそ
確実にやるために力を
つけなければって思ったんですけど
起業して失敗したら
失敗って全然大したこと
なかったなって
逆なんですよね本当はね
失敗を拘束でやることが
事業なのにっていうことが
自分でやらないと分からない
でも失敗が怖くてここまで来ちゃったんですよ
だからもっといっぱい
早く失敗すればよかったって
それは良いと思います
なんか今ソーシャルビジネス興味あるとか
今の会社
勤めてるけどなんかもうちょっと社会に
紐づいてることしたいなみたいなリスナーさんに
なんか伝えるとしたら
もうボーダレスではないでしょう
就職してください
現代だったら
沢木さんが例えば就活する
学生だったらどうします?
そうですねそれボーダレスで
こんだけ早く最短で
経験詰めて自分で事業
作れるみたいなのが揃ってるんだったら
たぶん飛びついて
入ってただろうなっていうのは
思うんですよね
でも本当に正解はない
ないから
それはあると思うんですけど
ただ私が一個体験して気づいたのは
いろんな会社勤めてる方
たぶんそうだと思うんですけど
例えばなかなかこの生活レベル下げれない
年俸を下げれない特に大企業の年賞
維持するってやっぱすごく大変
やっぱそこを
捨てきれない自分もいたわけですよ
その転職する時にやっぱり家族もいて
子供もこれから大きくなるみたいな
ただ例えばその
次に行ったベンチャーとかそれこそ
ストックオプションあるけど年俸半分なるみたいな
な時に
だけど幸福度が全然違ったんですよ
なんかもちろん
多少ちょっと下がったとしても
毎日の充実感
だったりいろんな
いざこでもなければ
自分の力を100%
社会課題解決インパクトに
つなげられる
気持ちよさというか
なんか
それをやったら
今まで気にしてたことなんだったんだろう
って思ったんですよね
お金じゃないなって
シンプルにねもし幸せを買えるなら
買いますよね間違いなく
そうやりがいと毎日の
気持ちが
何も淀んでない
淀んでない
まっすぐやれる
仕事をしてて
私気持ちが淀んでないですわって
言う人がどれだけいるのか
ちょっと単純なだけかもしれないですけど
そこにたどり着いたってこと
まずは
トライアンドエラーというか
関わり方はいろいろあっていいと思うんですよね
がっつり事業で
自分の仕事でやるっていう場合もあれば
まずは副業みたいなことも
あるかもしれないしボランティアから
入るかもしれないそれは別に何でもいいと思っていて
でもまずは一歩
踏み入れてみて少し興味があるんだったら
まずはやってみたら
めちゃくちゃ面白いとか
これはちょっと違うかもとか
気づけることあると思うので
ちっちゃくてもいいからまず一歩
踏み出してみるっていうのは
おすすめかなと思います
おすすめです
ぜひお願いします
キャリアの共有と社会貢献
ということでゲストは株式会社ボーダレスジャパン
ママ&ベビー向けの
ハーブ関連商品販売事業
アモーマの代表細木かなさんでした
2週にわたってありがとうございました
ありがとうございました
ということで2回にわたって
どうでしたか
いやーなんか
そんなキャリア歩みたいなって思って
思いました
でもじゅんさんも割とキャリア積んできて
年代がちょっと近いので
あーそういう
風な選択も
ありだな
してみたかったなって思ってね
やってました
でもだいぶ近いというかゴリゴリのビジネスパーソンやってきて
自分で起業もして
NPOにも関わっているのでじゅんさんもだいぶ広い
いやだってそれこそ多分
何でもできてしまう
どの会社でも活躍できてしまうし
その都度楽しめていた
中から
新しい環境に行くと楽しくてのめり込んじゃうけど
ちょっとすると
ふと我に返って原点回帰すると
あの
3年生の時の
あの思いどこなんだろうとかね
立ち返ってもう自分の人生
ちょっと俯瞰してね描かれていて
で今に至る
今の幸せそうな働き方
これは
羨ましく感じたんじゃないでしょうかね
みなさんね
感じたんでしょうか僕も
ソーシャルビジネスに取り組むって思った時に
頑張って社会のためにとか
ちょっと自分を犠牲にしちゃうような
イメージもあったんですけど
割と真逆というか
自分の幸せをまず第一に考えて
自分がこの環境でやり続けられるのか
っていうのを考えるみたいなことを
徹底してたし多分
borderlessのメンバーにもそういう風に
言って面白かったです
一番印象的だったのはね
大学生の就活の時に考えられていた
そのいいことをしたい
っていうことと
自分が幸せかどうかと
持続可能にそれができるかの
この三方よしを実現しようと
思った、それを逆算思考で
キャリア考えてみたっていう
すごいなぁ
その通りに生きてらっしゃるなぁっていうのが
が今に至って
なんか結実している
そういう事業でそれが叶えられている
現場って本当に数少ないと思うんですけど
それの
中心にいる方だなぁ
って思いました
ということで
外部メディアの紹介
Xのポストなんかも読んでみましょうか
最後に
9月26日にトシヤキヤマさんという方が
社会企業という言葉の先駆者の
話は僕も何かできるかな
を前向きに考えることができる
お話だったら僕は何がしたいんだろう
つぶやいてくれています
これはおそらく万能さんかな
と思います
ぜひハッシュタグ
むにむにひらがなで書いてポストいただけますと
このようにご紹介もさせていただきますので
ぜひお願いいたします
ありがとうございます
それでは来週もよろしくお願いします
さよなら
39:05

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