始まりました、むにむに。この番組は、40歳を超えてNPOに関わり始めたジュンと、20代のポッドキャストプロデューサーのひとしが、
社会課題解決に取り組む方々から、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントを学ぶポッドキャスト番組です。
認定NPO法人全国子供食堂支援センター、むすびえさんの提供でお送りいたします。
よろしくお願いします。
はい、前回に引き続き、株式会社ボーダレスジャパン、ママ&ベビー向けのハーブ関連商品販売事業、AMOMAの代表、さゆきかなさんをお呼びしております。
いや、前回もすごかったですよね。
あの、そんな理想的な働く環境とかあるんだっていう、そしてなんか本当に楽しそうでしたね。
ボーダレスさんの、田口さんの発信とかは聞いたことは読んだり聞いたりしてたんですけど、
さらにこの中にいる起業家というか事業代表の方の話は新鮮でした。
そう、本読んでね、田口さんの信念はわかるし、すごい人なんだなと思ったけど、
さゆきさんのお話聞いて、それが本当だし、
さらにさゆきさんはコーチングとかね、あの人の生かし方っていうことをやられていて、なんか組織としてね、やっぱそういうポリシー大事にされてるんだなっていうのが。
本当にどんどん生み出そうとされてるんだなって思うんです。
では後半もお呼びしたいと思います。
はい。
はい、ということで後半では、もともと14,15年ビジネスパーソンとしてゴリゴリと経験を積んだ後に代表をやられているので、
そのビジネスパーソンとして何を学んできたのかとか、ソーシャルビジネス始めてからどんなギャップがあったかとかをお伺いしていきたいと思ってるんですけど、
もうあれでしたよね、結構幼少期からソーシャルビジネス取り組もうって思ってたみたいなこと。
いろんなところで答えてらっしゃるのが、小学生の時に教科書か何かですか?
テレビ見たんですよ、たまたまその時。
海外の貧困の子供?
はい、なんかその時に本当にそれは感謝だなと思うんですけど、私の母親がユニセフの神前大使してる福山哲子さんが年に2回ぐらいいろんな国に視察されて、
それのドキュメンタリー番組が。
特番みたいな。
みたいなのがあって、それを録画して見てごらんなさいと。
っていうのが見たのが、たぶんほんと3年生とかそれぐらいだと思うんですけど、そこがきっかけ。
見たことありますよ、確かに。
誰もが見たことあるんじゃないかなっていうあれですけど、僕の印象だと、やっぱりアフリカとかドナージアとかの再貧国の人たちの1日1ドル以下の生活のところにいて、
なんかその実情をね、伝えるみたいなやつですよね。
見ましたけど、よその遠い国のね、そんなこともあるんだなっていうふうに感じる人が多いんじゃないかなと思うんですが。
そうですね、なんかなぜそういうふうに思ったのか、私もちょっとあれですけど、当時やっぱそのテレビを見て、たぶんアフリカのどこかの国だったと思うんですけど、
まさにそのテレビの向こう側に自分と同じぐらいの年齢の子どもたちが、毎日のご飯が食べれないとか、病院行けない、学校行けないとか、当たり前のことができないっていう事実を、リアルを私やっぱその時に初めて知ったんですよね。
もちろん戦争あるとかいろんなことはしてたけど、そこのリアルを知らなくて見て、すごいショックというか、なんかもうほんとに涙止まらなくなって。
テレビ越しに?
見てて、その時何を思ったかっていうと、たまたま私はテレビのこっち側に生まれただけで、もしかしたらあっち側に生まれてたかもしれない。こうやって選べないじゃないですか、子どもって。
でももしかしたら私あっちに生まれてたかもしれないって思ったら、こんなになんか不公平なことってあるのかっていうその行き通りというか、なんかいろんな複雑なことを思ったんですよ、その時ながらに。
こっち側に私はすごく恵まれていて、何不自由なく今生きてるっていうことにはこれはきっと意味があるなと。
って思うと、私はこっちに生まれたからには、いつか大きくなったらテレビの向こう側にいる人が一人でも幸せになれるように何か関わることができないかっていうのをその時に思って、何の仕事かわかんなかったけど、そういうことに携わりたいっていうのをその時に決めたんですよね。
どうしたらいいかわかんないですよ。国連で働けばいいのかしらとかね。 そう、国連すらも知らないぐらい。
そういうふうには思うかもしれない。 そうですよね。
消防さんとか学校の先生とか消防士とかそういうことしか知らないですよね。
だから当時ユニセフの番組だったかまずはでも自分のできることから、自分のお年玉の一部ユニセフに募金するみたいなところから始めて、そこからどうやったら関われるんだろう、何ができるんだろうっていうことを探す、人生の旅じゃないですけど、探し始めたっていう。
それが大学生の就職活動の時まで続いていったんですか。
そうです。
結構あれですよね、ソーシャルなことされてる方ってご自身の現体験で目の前にあるからっていうリアルでわかりますけど、だいぶ遠い世界のことでそこまで自分ごとに思ったんですね。
なんでなんでしょうね。
ご自身は別に貧困過程というわけでもないですよね。
そうですね。幸いにも幸せに育ててもらったのでそういうことはなかったんですけど、ちょっと想像力が豊かすぎたのか。
もっともっとそういう共感力が高い人なんですか。
かもしれない、それもあるかもしれないですね。なんか想像して、もしあの人の立場になったらどういうふうに感じるんだろうなっていうのは、いろんな局面でも、例えばいじめられたお友達とかクラスにいたら、その子の立場になったらどう感じるんだろうっていうことは常にそういう発想で考えてたから、そういう想像をしがちだったのかもしれないです。
感受性が高いんですね。
そこから新卒ではどういう基準で会社を選ぼうとなるんですか。
サイバーエージェントに。
全然違う。
現在のサイバーエージェント、皆さん想像されるかもしれないですけど、同世代かなと思って僕は話すんですが、当時のサイバーエージェントって全然違う会社ですよね。
ライブドア前世紀の時でまだアメブロボなくて、ブログというものが出始めたぐらいのドベンチャーで誰も知らない会社で、藤田社長の藤田も出てなくて大きな恵みの夫って言われてたぐらいの時代でした。
何を基準に選ばれたんですか。
そうですよね。当時本当にそもそも私は貧困問題解決、社会問題解決をしたいのかっていう自問自答してたんですよ。
その時期もあったんですね。
ありました。
その手前で学部とかはそういうの選ばれたんですね。
そうですそうです。最終的にどうやったらできるんだろうって国連の職員とかNPOとかいろんな関わり方があるなってことを自分の中に調べて、
当時は中学生とかぐらいの時は国連の職員になりたいって思ったんですよね。
国連の職員はどうやったらなれるんだろうっていうのをいろいろ調べていったらどうも海外の大学院まで行って、
修士の資格取って、かつ文系で行くなら法律科経済科っていうその専門部への2つしかないなっていうことがわかったんで、
私はどっちかっていうと経済の方が興味があったら経済の開発経済学っていうそっちで行こうと思って逆算して、
じゃあそれが学べるところがどこなんだろうって探して、大学の経済開発経済学、ゼミも開発経済学を選んだんですけど、
それで選んで行ったんですよね。その時でも途中やっぱり、はてとずっとこんな小さい時から、
社会課題解決貧困問題解決をしなければならないと自分に思い込ませてきて本当にやりたいことなのかって。
もう一度、就職の時期に思ったんですか?
そう思って、当時私なんか雑誌フリーペーパー作ってたんですよね。
学生のとき?
そう、サークルで作ってて、その時にゼロから企画を考えたり、誰かに思いとか伝えるってすごく面白いなって思ったんですよ。
さっきの話にも繋がるんですけど、自分が幸せじゃなかったら誰かを幸せにすることって本当にできないなって思って、
たとしたら自分がワクワクすること、自分の好きなことを通じてそれを実現できないかなっていう風に発想変わったら、
あ、国連じゃないなって。
なるほど。さらっと言ったけど、すごい深い自分の気づきを一回立ち止まってみたんですよね。
そうですね。あとはさらに本当の意味での課題解決をして、いわゆるインパクトを出していくってなると、
ビジネスっていう一つやり方があるかもしれないなって自分なりに思って、
じゃあビジネスを使って解決するっていうのは当時ボーダレスやっぱりまだなかったし、
そういうのもソーシャルビジネスなんて来たことなかった。
聞いたことなかったですね。
もうここ最近じゃないですか。
ってなると自分で何かそこに関わる事業を作りたい、作るしかないなってことは作るための経験スキルを身につけたいなから、
あとは当時広告が紙を越えてインターネットが来るみたいな。
そんな時期なんですね。
とはいえまだまだね、普通の広告代理店の方が人気もあったでしょうしね、お給料も良かった時代ですよね。
当時実はマガジンハウスとか行きたい雑誌作りたいっていうものはあったんですけど、
でもこれからグローバルでやっとこうと思うとインターネットオンラインっていうのは一つすごく授業として使えるというか、
ポイントになりそうだなと思ったから、それが実力つけれる、最短で実力つけれる。
あとやっぱり自分が裁量権持って早く事業作りたかったんで、それができる環境がいいな、とにかく成長が早くできるところって探したらサイバーにたまたまであって。
いやでもそうですね、そんなちっちゃい頃からね、海外の貧困の子供に共感して泣いちゃうような人だったら、
いやもう相当経験とスキルを身につけてきたという印象があるんですけどそこからボーダレスに入った後も実践ってなったらやっぱり試行錯誤っていう感じですよね
そうですねでもなんか遠回りしちゃったなっていうそのもっと早く本当にソーシャルビジネスに関わればよかったなと思う反面今やれてることってやっぱり無駄じゃなくて
サイバーとかリクルートベンチャーでやってきたことのすべてがつながっているだからそれまで本当にそのウェブアプリ作ったり
2B事業やったり2C事業やったりカスタマーサポートもやったり営業やったり商品企業でもとにかくいっぱいいろいろやってきたからこそ今ボーダレスでいろんな事業関わるってなった時に
アプリ作るだったりマーケティングだったり営業いろんなことがやってきたことが活かせるっていうのは本当に遠回りしたけどでも今だからそれができるなっていうのは思いますし
あとは私は本当にリクルートで育ててもらったことがすごく大きかったなって思うんですけど見立てる仕立てる動かすみたいなこの3つを
見立てる仕立てる動かす 仕立てる動かすこれをすごい叩き込まれたことが今の事業開発にもすごく活かせていて
見立てるっていうのはある意味もまず本質的な課題を見抜くっていう話で課題を見抜き間違ったら全部がずれるんで
本当の本質的なところには何があるのかっていうところをひたすら課題の特定みたいなところを訓練してもらいたんですよね
で今度仕立てるはそっから筋のいい仮説を立てるつまりこの課題だとしたらこういうふうにしたらいいんじゃないか
でこれを今度動かすそれは本当に戦略を立てたりビジョンを描いたりメンバーを動かすいろんな意味があるんですけど
それで事業を作っていくみたいなこれを叩き込まれたんですよね
だからこそこれって多分どのポジションだりどの事業でも絶対なんか共通してる必要スキルみたいなだったなって私は思うんで
それが今この年齢になってそれをなんか活かせるようになったのはまあ遠回りしたけど結果良かったかなっていう
僕が就活とかしてた時は割ともうソーシャルビジネスとか社会課題解決がちょっとだけ言われてる時で
でもやっぱ起業するなら一回訓練してからビジネス経験積んでから起業しようっていう派閥と
飛び込んで起業しちゃえよっていうどっちもやっぱりいたので
それはもちろん役に立つことたくさんあるよなって思ったんですが逆にあえて言うと予想外だったこととか
また起業してさらにもう経験積んだと思ってたのに学び直さなきゃいけなかったこととかってありますか
今までやってきたことはもちろん活かせてるけどそれが全然十分だとは思わなくて毎日壁にぶち当たってるし
すっごい悔しいんですよ本当に自分の実力のなさにぶち当たってすごいもうくそー悔しい
それはでも真っ当な悔しさそのインパクト出したいけどやっぱり自分の力が足りないってなった時に
ただやっぱり今になってわかりますけどこれを全て自分の力で全てどうにかしようってこと自体がおこがましいなって思えるようになったというか
変に自分のプライドなんかどうでもいいんだから誰かに聞いたり助けてもらって近道なんだったら絶対そっちの方がいいって思うと
変にカッコつけずもっとみんなにメンバーも含めていろんな人に力を借りるっていうのはすごく大事だなって思うようになると
年齢関係なく常にやっぱりチャレンジし続けることとか学ぶこととか山ほどあるやっぱり自分が学べることって
なんで今ボーダレスでそういうこと20代前半の企業方もいっぱいあるけど年齢関係なく私も相談するし
夜飲みに行ってちょっといろんな事業の話したりとかなんか常にそういう年齢を重ねたとしてもなんかそうありたいなっていうのは今思ってます
キャリアのことを伺っててあれですね最初はボーダレスさんの中でいろんな事業があるからそこの社長さんの経営伴奏みたいなことをされていた
どんなことをされていたんですか
本当にその企業家のタイプとか事業のフェーズとかそれによってつき方を変えるんですけど
例えばまだできたばっかりの事業だったら一緒にその事業戦略みたいなところを一緒に作ったりとか
その上でやっぱり筋を見出すためにやっぱり現場がわかんないときに私もたとえば数十人ユーザーヒアリングして
私なりに戦略こんなのどうみたいなことを一緒に考えるケースもあれば
とある例えば放牧者っていう牛会の企業家がいてその事業をやったときは牛の幸せを考えてミルクとか赤ちゃん産まなくなった牛を引き取って
もう一回放牧、リハビリ、自然放牧してリハビリしてもう一回子供を産める状態にしてその牛の幸せを考えるっていう牧場なんですけど
その牛の幸せがKPIのところなんですよ、僕も安宿のとき夜一緒に飲みました
そうベップにあるっていうそのをやったときとかは最終的にはビジネスモデル的にも全うしたらその牛のお肉を結局お肉として販売するってなると
私飲食店バーって営業かけてお肉販売しに行くみたいなこともやって実際に営業として動く場合もあるし
本当にその事業と起業家に合わせながらとにかく事業は前に進むためのお手伝いをさせていただくみたいなことをやってました
それってねボーダレスの放牧事業、落納事業もあればいろんな多業種にもわたるじゃないですか
そうですね、タンザニアで若年層の女性の雇用を生み出すための生理ナプキンを作ってるタンザニアの事業をついたりとか本当にいろいろある
ヘルスケア事業とかそういうプロダクトの事業とか経営伴走って自分がやってきた
例えばそのヘルスケア事業でこのぐらいスケールできましただからヘルスケア事業に関してスタートアップには経営伴走できますよ
はなんとなくわかるんですよ結構それだけじゃ済まないじゃないですかそれは
難しくないですか
難しいですよやっぱりその例えばタンザニアのその若い子たちの雇用喪失でじゃあその生理ナプキンを彼女たちに作って雇用を生み出してそれをあっちで売っていく
生理ナプキンをタンザニアどう売っていくかみたいな話とかもタンザニアわかんないしとかって
ご自身でも成功体験がある領域ではないし正解もわからないしどうやったら成功するかもわからないことを
見立てを一緒に作っていって一緒になんて言うんですか一緒にこう
やっぱそのさっき言った見立てる仕立てるっていう話と一緒でやっぱり本当にやっぱり今の経営課題がどこにあるかとかその事業課題がどこにあるかって言ったところを
その起業家の話聞きながらこうじゃないかって仮説を立ててて実際にヒアリングしたりやっぱりこうだったのかっていうことをやるのを
やっぱり課題の特定とそこからの仮説を立てていくみたいなことは一緒にやってできるものなら私もユーザーヒアリングに参加したり自分もやるし
これあれですよねいわゆるその経営アドバイスではなくて事業を
開発を一緒にやる
その本当の伴奏なんですよね事業を進めていくためにそれ進めていくためにどうしたらいいかを一緒に進んでいくっていう