1. 名谷教会
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2012-12-30 36:19

2012/12/30:聖日礼拝(旧音源)

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2012/12/30 聖日礼拝(旧音源)

00:00
ご着席ください。
本日の聖書の朗読をしていただきます。
聖書の箇所は、
旧約聖書4編37編1節から9節までです。
旧約聖書の939ページをお開きください。
では、池田姉妹、よろしくお願いいたします。
聖書を拝読いたします。
9編第37編
ダビデによる
悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対して妬みを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
主に信頼して善を行え。
主にすぐ誠実を養え。
主を己の喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主はあなたの義を光のように、あなたの裁きを真昼のように輝かされる。
主の前に静まり大志のんで主を待て。
己の道の栄える者に対して悪意を遂げようとする人に対して腹を立てるな。
怒ることをやめ生きどおりを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行う者は断ち切られる。
しかし死を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
では聖歌体に賛美をしていただきましょう。
賛美していただく曲は聖歌の506番です。
賛美に続きまして、内田牧師より
「たとえ息詰まっても。」と題してメッセージをしていただきます。
聖歌体に賛美をしていただきます。
03:36
聖歌体に賛美をしていただきます。
聖歌体に賛美をしていただきます。
聖歌体に賛美をしていただきます。
聖歌体に賛美をしていただきます。
06:05
皆さんおはようございます。
2012年の最後の礼拝でありますが、
今日もプログラムが祝福されていますことを感謝します。
見言葉の時が与えられています。
今日も聖書を通して神様の御心 を教えていただきたいと思います
一言お祈りをいたします あなたの 御言葉は私の上あごに何と甘い
ことでしょう蜜よりも私の口に 甘いのですあなたの御言葉は私の
足の灯火私の道の光です めきみ 深い天の父なる神様こうしてこの
一年が守られまた支えられて今日 を迎えましたことをありがとうございます
あなたの憐れみによって今日まで 支えられそしてこの礼拝を捧げ
得ます特権を感謝をいたします あなたは変わりないお方であります
どうぞ新しい年にもあなたがこの 礼拝の主としてそれぞれを導き
下さりまたあなたをしたいまた あなたの御言葉に生かされて歩
むものとして下さるようお願いいたします 今日のこの礼拝もいつもと変わ
らない主御自身がこの礼拝の主 としてこのところにいて下さり
皆様とともに歩んで下さることを 信じますまた御言葉に満たされ
またそこに表された主の御愛と そして御守りとを信じてまたそれ
ぞれにお使わし下さいますように お願いいたしますただ今からの
御言葉の時をも神様が祝福して下 さるようにお願いいたしますこの
礼拝にまたこれからの歩みの上 にふさわしい御言葉として主御
自身がお語り下さいますよう語る ものを主の十字架に隠して主御
自身がお語り下さりますように 御言葉だけが心にとどまります
よう委ねて主キリストの皆によって お祈りいたしますアーメンこの
裏話というほどのことでもないん ですけれども毎週の説教の箇所
とタイトルとかどういうものを 語るかというのは本来ならその
一週間の中で次の礼拝にはこういう 御言葉がふさわしいんじゃない
09:06
だろうかこういうメッセージが どうだろうかというのがいいの
かなと思うんですけれどもそれは 許されなくてもう一カ月あるいは
一カ月ちょっとぐらい前に次の 月の四回五回の文を出さないと
いけないんですねですからその 次の月の第二週第三週何にしよう
かというのはもう本当にじっくり 祈って備えてそれを出すそういうこと
は許されないんですねですから マルコの福音書だったら順番に
していますからこことそして今度 はこことということで出してクリスマス
だったらクリスマスの四週五週 五回それをこことこことここということで
まだクリスマスの来ていない前 からそういうのをしたりあるいは
今日の箇所ももう一カ月それより 前に出させていただいたんですね
そのときにもう本当にぱっと祈って そしてもう信じてこれでいいですね
ということで出させていただくん ですねそれでもやはりその不思議
なものでやはりその礼拝そのとき そのときにふさわしいものを神
様は示してくださってそしてもちろん その週が来ましたら次の礼拝を
そのときの御言葉与えられたメッセージ を今度はじっくりと御言葉と取り
組みながら準備させていただく ですからきょうも本来ならまた
マルコの福音書に戻ってという ふうになるはずが二〇一二年の
最後の礼拝ということで導かれた のがこの四編の三十七編の一節
から九節であったわけですねですから 今思い返しますとあのときにこの
ところを示されたんだなそのとき にはそんなに深く考えていなかった
んですけれどもきょうはきょう でこの箇所が神様が示してくだ
さったふさわしいところとして もう一度読み返しているわけですね
三十七章の一節から九節を読んで いただきましたこれにまた同じ
ような箇所が七十三編にもある ようなそんな思いがいたしました
12:04
七十三編もし開けることができ たら開けていただきたいんですけ
れども七十三編の一節から十二 節ですけれどもまことに神はイスラエル
に心の清い人たちに慈しみ深い しかし私自身はこの足がたわみ
そうで私の歩みは滑るばかりだった それは私が誇り高ぶる者を妬み
悪者の栄えるのを見たからである 彼らの死には苦痛がなく彼らの
体は脂ぎっているからだ人々が 苦労するとき彼らはそうではなく
ほかの人のようには打たれない それゆえ高慢が彼らの首飾りと
なり暴虐の着物が彼らを覆っている 彼らの目は死亡でふくらみ心の
思いはあふれ出る彼らはあざきり 悪意をもって語り高いところから
しいたげを告げる彼らはその口を 天に据えその下は地を行きめぐる
それゆえその民はここに帰り豊かな 水は彼らによって飲み干された
こうして彼らは言うどうして神が 知ろうか意図高き方に知識があ
ろうか身を割る者とはこのような ものだ彼らはいつまでも安らか
で富を増している この二〇一二年このことを思う
ときにきょう明日で一つの区切り が来るわけですけれども一年という
のはもちろん一日一日の積み重ね でありましてその一日が三百六十
数日でしょうかそして一週一週 また積み重ねて約五十週ですから
礼拝は日曜ごとにある礼拝とする ならば五十回の礼拝が一年間で
持たれたということですねですから 一年で五十の御言葉を私たちは
いただいてそしてそれによって 私たちはまた支えられ励まされ
送り出されてもちろんそのうちの 幾つ覚えているかということになる
となかなかこれは難しいことですね 語っている本人自体がいつ何を
語ったのかもうすっかり忘れている ようなでも私たちが忘れていて
でも神様の精霊によってその御言葉 はいつも私たちを支えてそして
導いてくださっていることを信じ ますそして一月四週のときもあります
15:03
し五週のときもありますが一月 これを十二回そして春夏秋冬という
のでしょうかそういうところを 神様がともにいて守ってくださった
そういうことを振り返りそして また今ある現実も見てそしてさらに
次の新しい一年に思いを馳せる というそういうようなときが今
来ているということですね全ての 営みにときがあるそういう意味
でもこの一年の終わりのときこの ときは大事なときだろうとその
ように思います この支援の記者 も決して年の背とは限りません
けれども彼が今までの世の中を 見またいろいろな人々を見自分
も見ながらそして今ある現実を 見ているときに何か腹立たしい
一節にありますように腹を立てる な妬みを起こすなあるいは八節
にもありますように怒ることを やめ意気通りを捨てよ腹を立てる
なと語られているように彼自身 はそのように何か腹立たしい意気通り
のようなものをここで覚えてお ったわけですねそれは何かということ
をこの支援から見ていきますと どうも悪を行う者が栄えている
七十三章七十三編の三節でもあります ように悪者の栄えるのを見たというん
ですね不正を行う者に対して妬 みを起こすな不正を行う者たち
が堂々とまかり通っているそういう 現実そういうものを彼は見ている
わけですねそういうときには不正 を行う者に対して妬みさえを起
こすうらやましいなとなぜあの ようにして悪を行う者が栄え不正
を行う者が裁きを得ないでそして 堂々とまかり通っているそういう
現実を彼は見ているわけですね 七節にもあります悪意を遂げよう
とする人に対して腹を立てるな 悪意を遂げようとする人々が栄えている
18:06
その現実は七十三編にもありました 彼らはあざけり悪意を持って語り
高いところからしいたげを告げる 彼らはその口を天に据えその下
は地を行き巡るそういう現実に 彼は目をとめたときに本当はいけない
ことなんですけれども生身の人間 として腹立たしいあるいは妬み
さえを起こすそして生きどおり が湧いてくるというようなそういう
ところを彼は示されてそして神 様からの見告げとして悪を行う
者に対して現実はそうであっても 腹を立てるな不正を行う者がまかり
通っていても決して妬みを起こ しなそして怒ることをやめ生き
どおりを捨てよ腹を立てるなという これが神様からの一つの示しとして
彼はその声を聞いたわけですね そうではなくてあなたのすべき
ことは三節以降もずっと書いて ますが主に信頼して善を行え地
に住み誠実を養え主を己の喜び とせよ主はあなたの心の願いを
叶えてくださるそして今日の中心 聖句として挙げましたあなたの
道を主に委ねよ主に信頼せよ主 が成し遂げてくださるですから
ここでも神様は私たちを励まし そしてまた新しい愛とまた力を
与えてそして進んでいくように 励ましを与えてくださっている
ですから決してこの現実がいつ までも続くものではない二節に
ありましたように彼らは草のように たちまちしおれ青草のように枯
れるのだそういう現実もいつまでも 続くものではない神様のそういう
時が来たらたちまちにしてしおれ ますし青草のように枯れてしまう
やはりそこに神様の栄光が表される 時が来るそれまで絶え忍びなさい
主の前に沈まって絶え忍んで主 を待て私たちが生きていく上で
21:02
必ずこの行き詰まりの時が来る 今日のテーマとしてたとえ行き
詰まってもということが挙がって いますけれども行き詰まりを覚え
ないほうがいいんでしょうけれども 神様のそういう御心として行き
詰まりを覚えるそういう時が来 たときに私たちの頼みとするもの
それは御言葉にありましたように 主に信頼する神のみを頼ってそして
そこに委ねてそうするならば主 が成し遂げてくださる主の御心
がそこになるのだということを 信じなさいということであります
これはもちろん日々私たちがその ようにしているものであろうと思
うんですけれどももう一度ここで 改めてあなたの道を主に委ねよう
主に信頼する主が成し遂げてくださる そういう聖書には励ましの言葉
神様私たちを支えてくださるそういう お言葉がこの聖書の中にたくさん
散りばめてられているそんなことを 思うわけですね私たちが御言葉
とともに歩ませていただけるということ の本当に幸いを思うわけですね
三十七篇のあなたの道を主に委ね よう主に信頼せよ主が成し遂げ
てくださるこの御言葉を私たちは 今日しっかりと覚えておきたい
と思うんですね主を待ち望む者 彼らは知を受け継ごう主に信頼
し主のみを待ち望む者がその知を 受け継ぐこの恵みに預かることが
できる私たちが行き詰まりということ だけではなくて例えば心が慣れて
しまうときあるいはどうしていい かわからないときいろいろな状況
のときが来ますそのときに御言葉 によって私たちは支えられそして
また導かれるということを知った ものとしては本当に幸いであります
多くの人たちはそういうときに 何を宛にし何に信頼しどこに希望
があるのかわからないでいる人 が多くいますが御言葉によって
私たちは導かれるということ本当に 幸いであろうかと思うんですね
24:01
あるいは賛美をすることによって そしてその賛美から神様の慰め
励ましそして支えられてまた送り 出していただけるですから賛美
は本当に祈りでありそして自分の 心の内を表している賛美という
のは誰かが書いたわけですよね そのときの思いを歌にしてそして
神様に捧げる歌として書いたわけ ですがいつしか多くの人がそれを
共有しているそれはやはり私も この歌特にこの歌詞の中に私の
思いもそこに映し出されている 誰が作ったのかどういう人がこれを
書いたのかは知らないけれども アーメンアーメンと私もそうです
私もそのとおりですとそこに 共感を覚えてそして世界中の多く
の人たちがそれを口ずさんでいる 神聖歌の四百四十一番の望みは
うせというそういう賛美もあります これもおそらく行き詰まった人
がそのとき神様に示されたそういう 思いを歌っているんだと思うん
ですね 望みはうせせんかたつきて 心弱り思いしおれ再び立ち上がる
力なきときにも神を信じよ神を 信じよそして賛美たてよこの人
も望みがうせもうどうしようもない ようなそういうところに来たとき
も神を信ずるその信仰によって 立ち上がれとそのように励まされた
というそういう賛美であります 私たちは多くの御言葉によって
今日まで支えられてきましたし またこれからも御言葉によって
神様の励ましまた慰めをいただける ものでありますですから聖書を
常に読みまた自分のうちに蓄えて この御言葉とともに歩んでいける
ものとしたいと思うんです 居座 屋書の四十一章の十節十三節も
そのような編み言葉であります 恐れるな私はあなたとともにいる
たじろぐな私があなたの神だから 私はあなたを強めあなたを助け
27:04
私の義の右の手であなたを守る あなたの神主である私があなたの
右の手を固く握り恐れるな私が あなたを助けると言っているの
だから 今日はたくさんの御言葉 を引用させていただいております
一年の五十回のうちそういうメッセージ もいいかなと思うんですね本当は
そうなのかもしれない私のような ものが私の言葉で自分の思いつき
で語るよりも御言葉そのものが 皆さんに語り皆様御言葉そのもの
から神様のメッセージをとって いただきたい私がある修養会という
一つの生会キャンプのようなところ で一人の姉妹が明かしなさった
そのことが今も印象に残っているん ですがその方がまだ救われてまだ
間もないころだったでしょうか その教会の牧師が礼拝の中でメッセージ
を語られたわけですが今までと 全く聞いたことのないような本当に
メッセージであったというんですね 全て主によって疲れた人主によって
いる人は私のところに来なさい 私があなた方を休ませてあげましょう
それが中心制御であったわけですね そしてその牧師は二言三言を語る
と全て疲れた人主によっている ものは私のところに来なさい私
があなた方を休ませてあげます そのように神様は言ってくださった
そして二言三言を語ったと全て 主によって私のところに来なさい
私があなた方を休ませてあげよう これが神様が皆さんに与えておられる
メッセージですいいですか皆さん 全て主によって苦労しているもの
は私のところに来なさい もうほぼ三十分でしょうか四十分
でしょうかもうずっとそのこと をお語りなさったというんですね
ですからその姉妹にとってはその 説教すなわち御言葉がもういつも
いつも今でも生涯残っています というそういう証でありました
私も余計なものは余計なことは 語らない方がいいんだろうなと
そのようにも思わされています こういう御言葉もあります私たちは
四方八方から苦しめられますが 急することはありません途方に
暮れていますが行き詰まることは ありません迫害されていますが見
捨てられることはありません倒 されますが滅びませんここにも
四方八方から苦しめられる急する 行き詰まるそんなときが必ずある
30:03
今までもあったおそらくこれからも あるでしょうしかし行き詰まる
ことはありません見捨てられる ことはありません倒されますが
滅びることはありませんこれが 神様の約束であるということ
そんなことを言うわけですね そればかりではなく患難さえも
喜んでいます患難を喜べるでしょうか 困難を喜べるでしょうか今日も
朝の教会学校でもいつも喜び絶 えず祈り全てのことに感謝しなさい
患難さえも喜びそしてその患難 が忍耐を生み出し忍耐が練られた
瀕世を生み出し練られた瀕世が 希望を生み出すと知っているから
この希望は失望に終わることが ありませんなぜなら私たちに与え
られた精霊によって神の愛が私たち の心に注がれているからですあなた
方のあった試練は皆人の知らない ものではありません神は真実な
方ですからあなた方を耐えられない ほどの試練に合わせることはなさい
ませんむしろ耐えられるように 試練とともに脱出の道も備えて
くださいます私たちが試練困難 患難そして行き詰まりそしてスランプ
どうしようか悩むときそんなとき も私たちはまず御言葉と向き合う
もちろん神に相対するそれは祈り であったりときには御言葉であったり
するわけですけれども聖書の中に そのような神様の約束あるいは
御思いそして私たちを支えてそして 生かしてくださるというその思い
が御言葉にあふれているということ をもう一度覚えたいと思うんですね
この一年の終わりにあたって私たち が今の現実を見ることは大事な
ことですここから目を背けることは 許されませんそしてその現実に
また神様も同じように向き合って くださってそして御言葉を通して
一人にふさわしいその道を備え また送り出してくださる私たちは
きょうそういうときであろうと思 うんですねこの一年を振り返る
ともにそしてまた今置かれている 現実を静かに向き合いそしてまた
33:03
神様が示してくださる新しい年 への決して二〇一三年ということ
ではなくてその先も五年先も十 年先もそのような大いなるビジョン
を神様が見させてくださってそして そこに向かっていけばいい過去
を振り返ることは大事ですけれども それは余り時間をかけなくていい
と思うんですねもっともっと大事な ことは今でありそしてこれから
先の過去は一つの反省材料として 備えられたものでありますけれども
そのことをまた神様が益に変えて また新しい歩みのための糧にして
くださるそしてこれからのまた 一年とそれに続く日々が神様が
どのようにしてくださるのかという 期待を持ってまたそこに私たちの
これからが備えられているということ を信じて歩んでいきたいと思います
あなたの道を主に委ねよ主に信頼 せよ主が成し遂げてくださる主
を待ち望む者彼らは地を受け継 ごうこの御言葉を持ってメッセージ
を終わらせていただきますお祈り します
天の神様今日もたくさんの御言葉 をいただきましたこれらは聖書
の神様の御言葉のほんの一部ですけ れどもそれだけでもいかに神が
私たちを愛しまた恵みそして私たち の行き詰まりや困難や試練も神様
の御愛として備えてまたそこから 新たなる道を歩めるようにと導
いてくださっていることを覚え ますこの一年間あなたが私たち
と共にいてくださったことを改めて 覚えて感謝しまた皆をあがめます
そしてまたこれからの歩みをも 変わらずにあなたは伴っていて
くださることを信じます周りの ことは変わることは常であります
が変わらないあなたのみを信じ 拝してこれからもあなたに礼拝
を捧げまたあなたの変わらない その御言葉を支えとしてこれから
も歩んでいけるように今日集いました お一人お一人の上にあなたのお
導きが豊かにありますようにまた 今日来れなかった兄弟姉妹方の
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うちにもあなたが届いてくださいます ようにお願いいたします一切を
御手に委ねて主キリストのお名前 によってお祈りいたしますアーメン
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