1. まなびのはなし
  2. #021 - コンフォートゾーン
2023-07-06 23:24

#021 - コンフォートゾーン

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よく聞くコンフォートゾーンというフレーズについて、改めて、そこはどういう状態を指すものなのか、大人のまなびに関わる二人がそれぞれ考えていること、自分たちにとってのdiscomfort zone(コンフォートゾーンの外)は?といった話をしました。

  • そもそもコンフォートゾーンって?
  • Emiが言語学習の文脈でこの概念について触れる時
  • Tomokoがストーリーテリングのオンラインコースを設計した時に触れた話
  • 慣れ親しんだ道や慣れているやり方から一旦離れて新しい体験・やり方を試してみることの価値
  • コンフォートゾーンの概念を伝える際によく使われる二つの図
  • Tomokoの記憶に残る「コンフォートゾーンの端っこ」にいた時の話
  • 出る時になってコンフォートゾーンにいたことに気づくこともある
  • コンフォートゾーンにいることと、ストレスを感じる・感じない、の話
  • 自分たちのdicomfort zone
  • 定期的な(コンフォートゾーンを出る)チャレンジキャンペーン
  • One armed hug(片腕はハグをし、片腕は相手を支援するために押す)という概念は自分にも、支援したい相手にも役にたつ

エピソードで触れたもの、関連情報

関連エピソード

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このpodcast「#まなびのはなし」では、大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人はemi (⁠ウェブサイト⁠)とtomoko (⁠ウェブサイト⁠)。自己紹介エピソードはこちらです:⁠#001 - 自己紹介

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このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日話したいことは、コンフォートゾーンです。
はい。
コンフォートゾーンとは?
はい。
とは、まあ、なんか、心理的状態を表す単語なんですけれども、
物事がなじみ深く感じられる状態、そこから安全とか安定しているみたいな感覚が得られる、その在り方をコンフォートゾーンと言っていて、
私たちがコントロールができると感じている状態で、自分の環境に対するコントロールがあるということで、不安とかストレスが比較的低い状態というのを指すというふうに定義されていると私は理解しています。
で、このゾーンで最も快適に感じるのは、リスクとか不確定性、両方とも多分あまり気持ちよくないものだと思うんですけれども、
そこから解放されている状態だからコンフォートゾーンというのは心地よいよねっていう話と、そこにずっと留まっていると成長とかが制限されることもあるよねみたいなものなのかなというふうに理解をしています。
この定義よく見るんですけど、前トモコさん空きっぽいってご自身のことをおっしゃっていたので伺いたいんですけど、
この安心安全で楽にコントロールできる状態ってストレスが少ないとは限らないかなという気はするんですけど、どうですか?
コンフォートゾーンがストレスがないわけでもないってことですか?
コンフォートなことに飽きてくるってストレスじゃないですかね。
なるほど、ストレスフリーな場所ではないと思っていて、コンフォートゾーンの定義の中で言われているストレスの原因は、先ほど私が言ってたコントロールができる、
自分が自分の運命を変えられるか否かのパワーがないことがストレスの原因になっているイメージが私の中ではあるんですよね。
なので飽き飽きててそれでストレスを感じ始めているっていうのは確かにストレスであるんですけど、
ただこれって自己考慮感のエピソードでも言ったように、多分その人がどういう気持ちでその飽きに対して感じているかによって、私が感じているストレスとまた違うストレスをコンフォートゾーンの中で感じていらっしゃる人もいるかもなと思ったりします。
比較的ストレスが少ないゾーンなわけですね。
そうですね、どうなんだろうね。確かにいろいろな考え方がありそうで、そのストレスっていうことにフォーカスすると確かにね、人によってストレス何を感じるかがあれだったり、何がコンフォートかコンフォートじゃないかみたいなことが人によって違うかなと思うんですけど、
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あともう一つはさっき言ったその馴染みが深く感じられる心理的状態、馴染みっていうところも、自分がストレスを感じるか感じないかはちょっと置いておいて、パターンに慣れ親しんでいる場所かどうかみたいなところでコンフォートゾーンかどうかっていうのを言うこともできるのかなという気はしますね。
なるほど、で学びの文脈においてはその慣れ親しんだところからあえて出た方が学びが得やすいよっていうことでよく使われることですかね。
そうなのかなとちょっと私も思ってるんですけれども、結構結果論な気もするんですけどね、コンフォートゾーンの外に出たから学びが深まったとか、学びが得られたみたいに言う人もいるのかなとか、私の場合はコンフォートゾーンっていう単語よりはなんか最近よく聞くのは越境みたいなバウンダリーを超えたところに行くことで自分のことを改めて考えるきっかけを得たりとか、
大人としてビジネスパーソンとしての学びを深めましょうみたいなことでその越境する体系をどうデザインするかみたいな、それが少しコンフォートゾーンと近い話なのかなとざっくり思っているんですけれども、えみさんは英語学習の文脈とかでコンフォートゾーンについてとかって考えることってそもそもありますか。
そうですね、セッションの中で学習者の方に直接お伝えすることも結構あります。
どういうことをお伝えするんですか。
コンフォートゾーンというものがあって、そのステージごとにどんな感情が関わっているんだとか、そういう今の定義に近いようなものをモデルを使って見せたりとか、その中のご自身は今どこにいると思うかとかっていう風に考えていただいたりすることがあります。
例えば、長い子と同じ英語教室に通っていて、悪くはないんだけど伸びていない、でも他のところに行くのは怖いとか、日本人ばかりだったら英語が話せるけど外国人がいると話せなくなるとか、そういうことがお話の中で出てきたりすることがあって、もちろんコンフォートゾーンを出ることがわりと推奨されている場面が多いんですけど、
それって心のエネルギーとか準備、その学習者の方が出られる状態かどうかっていうのはすごく大事だと思うので、その辺の条件が揃っているなと感じたら、そういうお話をして、どこに今いるだろうか、自分はどこにいることが多いだろうかみたいなことを考えてもらうことがありますね。
あ、なるほど。興味深いですね。今、えみさんに言われるまでは、さっきの越境とか、結構その大きな環境をガラリと変えるみたいな、コンフォートゾーンの出るみたいなことをちょっと考えながら、この収録に来てたんですけれども、えみさんの話を聞いて、私が一つ関連する体験を、その学びを提供する側としてやった例だと、ストーリーテリングのスキルを教えるオンラインのコースを作ったときに、
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テッドとかね、そういうところで話すようなストーリーテリングをちょっとイメージしていて、ストーリーの作り方もそうですし、伝え方、ステージの上でどうデリバリーするかっていう話をするときに、練習のときは、自分のコンフォートゾーンの2倍ぐらいの大げさぶりで練習をすることをちょっと意識しようみたいなところがあって、
なぜかっていうと、やっぱり慣れっていうのがあって、自分たちのその声帯の幅とか、あとはそのジェスチャーの振りの大きさ、度合いとか、やっぱり我々慣れている居心地の良いレンジっていうのがあって、そのレンジを結構ストレッチしないと本番で使えなくなるんだよねっていうのは、そのコンテンツを一緒に作っていたストーリーテリングのプロの団体の人たちがそういうふうに強調していて、
なので教えるときは、もうこれちょっと恥ずかしい、おかしいんじゃないのっていうぐらい大げさに、例えば子供の絵本を朗読する練習をしてもらって、絶対自分は元々のキャラではこういう声の出し方はしないっていうのを練習してもらうことで、そのコンフォートゾーンを疑似的にストレッチしてもらうことで、本番のスキルをもう少し今よりも高いものにするっていう学びの場を設計したことをちょっと思い出しました。
その恥ずかしさとかね、慣れたやり方をあえて破るみたいなのはね、本当に英語を実際使いながら学んでいくっていうときに、結構英語学習者が抵抗を感じたりするっていうところなんですよね。
だから日常的に細かいレベルでもこのゾーンがいつの間にかできていて、それを破っていくっていうことが必要になるときがありますよね。
ちょっとまたそれと似ているのは、普段通勤とかで歩いている人とかは、たまにルートを変えてみるってやると、いつも歩いている道じゃないところに行ったら急に気づくことがあるみたいな話があるじゃないですか。
そことも少し似ていて、慣れているものを繰り返すようにやっぱりちょびっと変えてみて、ちょっと面倒くさいなとか思ったり、行きたくないなっていう気持ちがあるかもしれないけれども、慣れ親しんだ道を外すことで新しい発見があることもあるよみたいなのと、ちょっと近いかなという気もしますよね。
トリテリングでもやってみて、結局やっぱりやってみたけれども、やっぱり自分はここだみたいな。後でそれで戻るのはね、全然自分のスタイルを選ぶ上でいいと思うんですけど、やっぱり試してみるっていうのは、すごく大人の学びの分野が重要だったなって思い出したりしてました。
日常レベルでいくらでもそういうチャンスっていうのは転がっているんだと思うんですけど、さっき私が言ったコンフォートゾーンモデルっていうのはいくつかあって、大きく分けて2つあると思うんですけど、同心園になっているモデルだと真ん中にコンフォートゾーンがあって、その外側に学びのゾーン。
それを超えてしまうとね、パニックゾーンとかね、危険ゾーンとかって言われることもあるので、あんまりやりすぎるとちょっといっぱいいっぱいになってしまったり、完璧主義がより強調されてしまったりとかね、そういうことになりやすいので、そちらのモデルもあるんですけど、私がよく使うモデルっていうのは、円の左からだんだん大きくなるようなモデルで、コンフォートゾーンが左端のちっちゃい円で、
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次にあるのがね、さきともこさんがおっしゃったような、怖いとかね、恥ずかしいとか、自信がないとか、そういうゾーンなんですけど、そこから学びのゾーンに繋がっていく。ここがストレッチって言われる部分ですよね。
あえて自分で2倍やってみるとか、怖いけどあえてやってみるみたいなね、そういうふうに伸ばすゾーンというふうにも言われていますね。で、そこを超えると成長のゾーンがあるよっていうようなね、そのモデルをよく使って一緒に考えるということをやっていますね。
おもしろいですね。その同心円のやつとの違いは、一回右のほうに慣れたらあんまり左に戻らない。
そうですね。左から右に行くタイプは進んでいって、成長ゾーンに行くんだけれど、これが静止画ではちょっと表現しきれないんですけど、実は成長ゾーンに入った途端にその成長ゾーンってコンフォートゾーンに変わっていくので、
コンフォートゾーンが広がったっていうふうに考えて、次のヘアゾーン、ストレッチゾーンにまた進めていく、そういう考え方ですね。
なるほど。確かに同心円のモデルよりもダイナミックで、かつ常に成長していくっていうグロースマインドセット的なトーンがあっていいですね。初めて知りました、この2つのモデルというか。
私、自分のコンフォートゾーンを変えた時に思うのが、結構大人になってくるとだんだん慣れてくることが多くなるので、あまりコンフォートゾーンを試される経験って少ないなと思ったんですけど、
1つやっぱりあって、生まれて初めて1人で出張でインドに行くことになった時に、結構自分でびっくりするぐらいビビっていて、行く直前。
普段、エミさんもご存知のように結構私は1人で飛行機に乗ることとかも全然やっていたんですけど、やっぱりいわゆる海外旅行に日本人が行くような国にしか行ったことがなくて、
初めて出張が決まった時は、すでに6年ぐらいインドのチームとたくさん仕事をしていて、現地のことももちろん結構知っているつもりだったんですけど、
なんかね、たぶん頭と心が杖があって、いざ1人でインディアに乗って現地に到着するって考えた時に、どうなるんだろうみたいな、いっぱい頭の中でハテナがあって、
すごく久しぶりにコンフォートゾーンを試されているような出張前に思った時があったんですよね。
行ったら行ったで、なんのこっちゃなかったんですけど、なんかすごくやっぱり頭の中に何かが、イメージがすごくあって、なんていうんだろう。
本当に今、なんで、しかも大都市に行くんで、ムンバイとかに行くので、別にそんなに田舎の街に行くわけでもなかったのに、
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1人で女性で出張する時に結婚指輪とかを準備しておいた方がいいのかなとか、何時以降は外は出てはいけないんじゃないかな、すごくイメージパイアスがあって、
すごいね、今話してても恥ずかしいなと思うぐらい、自分の小さなコンフォートゾーンの端っこに飛行機乗る前にずっといたっていう経験があったんですよね。
あれは久しぶりに、大人になったら傾斜の厳しいところ、雪山をスキーで滑るのが子供の時よりも怖くなるっていうのがあるじゃないですか。
いろんなことを頭の中に入れているので、そんな体験だったんですよね。
本当おかしい、なんでなんだろうって、ロジックでうまく説明ができない、当時は。
周りではバンバン、途上国とか国際開発で飛び回ってる同僚とかもいっぱいいたし、
自分もそういう組織に行って、現地の人とたくさん仕事をしたのに、飛行機乗る前まで1週間ぐらいソワソワしてたんですよね。
なるほど、情報を前もって聞いたりしていることが、かえって怖さを呼んでしまうっていうようなことでしょうかね。
そうですね、しかもロジカルに情報をプロセスしてないんですよね。
実際に自分の同僚から通じている情報は、普通に全然何にも心配することないみたいな感じなんですけど、
多分自分の別の部分の情報っていうんですかね。
もちろん正しい情報もあるんですよ、例えば飲み水気をつけましょうみたいな、
14で100年経った情報もあったんですけど、不一様にコンフォートゾーンを意識せざるを得なくなった、
心理的な状態っていうのは、今でもちょっと覚えてますね。
あれか、コンフォートゾーンを離れる直前にソワソワするっていうか、
なんか久々に思って、もっと若い時には大学に留学一人でするとか、
初めて転職する時も今の会社を辞めるなんてとか、いろいろあったと思うんですけど、
多分若い時だったから、30代後半とかになって、
久しぶりにああいうのを感じるって、体験するのが機会が減ってくのかなとか当時思った記憶がある。
なるほどな。そうか、コンフォートゾーンの中にいる時って、
コンフォートであることすら気づいていないっていうことはありますよね。
それを出る時になって初めて、今私が出ようとしているここが快適だったんだって、
初めて気づくっていうところがありますよね。
あとはそのゾーンの中にいる時間が長くなればなるほど、
ゾーンの間にある壁が厚くなって、なんか破りにくくなるっていう面もありそうです。
それはありますね。別にね、破らなきゃいけないわけじゃないと思うんですけど、
破るということにあんまり意欲を感じなくなりそうだなという気はします。
そうですね。やっぱりその破るだけの労力に対するめんどくさいなとか、
怖さ、緊張、不安、そういうようなことがね、
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やっぱり脳は変化を嫌うっていうのはそのあたりだね。
今まで通りでいいんじゃないっていう囁きがね、どうしても行動を妨げるというところでしょうかね。
そうですよね。えみさんはそういう体験とか、
コンフォートゾーンっていうのを聞いたときに、ご自身に対して何か思い出させるエピソードとかありますか。
そうですね。コンフォートゾーンって本当にストレスが少ないですかって伺ったのにつながるんですけど、
私すごく飽きっぽいので、コンフォートなところ飽きちゃうんですよね。
なんで先ほどね、ともこさんがおっしゃった通り、通勤の道を変える。
行きと違う道で帰ったりとか、知らない道で曲がってみるとか、
日常的ですし、大きく住む国を変えるとか、職を変えるとかっていうことができるときはしますし、
そうでないとしても、例えば部屋の中でベッドの向きを変えたり、ソファーの向きを変えたりして、
見える景色を変えたりとかってするように結構しているので、
あんまり自分が慣れてしまわないように暮らしているっていう感じがありますね。
それ重要ですよね。コンフォートゾーンって結局、心理的な状態って言ってたので、
必ずしも置かれている状況じゃないじゃないですか。
だから見方を変えるとか、自分の行動を変えてみることによって、
心理的状態を変えることって、どこにいてもできないことはないかなって確かに思いますね。
そうなんですよね。
あとは割と自分がよそ者であることとか、新人であることとかっていうのが結構好きなので、
いつものコミュニティと違うところに入ってみるとか、割と習慣としてあります。
さっきの壁が厚くなるとか、壁が薄い状態で結構常にスルスルっと
えみさんが横の隣接のところを見に行ったりとかされていて、
壁が築き上がる時間があんまり経たないうちにどんどん動いてらっしゃるんでしょうね。
いわゆるコンフォートゾーンのすぐ外側のね、フィアとか言われる部分をね、
ディスコンフォートゾーンって呼ぶ人もいますけれど、
割とそのディスコンフォートゾーンにいることが好きなんですよね。
なるほど、そういうのありますよね。
私もたぶん、もしかしたら動いてないことがディスコンフォートなのかもしれないなと思ってて、
動くというか視点がダイナミックにカラフルにいろんなものが見えないこと、
景色が同じであり続けることが、たぶん自分にとってはちょっとディスコンフォートになるから、
私はそれを避けるために動き続けてるのかもしれないなという気もあるのかもしれない。
ちょっと似てる部分とちょっと違うなと思った部分は、
私はその変化したり、よどんでない状態が好きなんですけど、
たまに自分で苦手克服キャンペーンとかって目を打っていろんなことするのが好きなので、
あえて同じところでじっと我慢してみようとか、そういうチャレンジを課すこともありますね。
なるほど、苦手克服キャンペーンという概念は共感します。
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たぶん苦手なトピックが違うんだろうなと思っていて、
私はこのコミュニティは苦手かもっていうところにあえて、
自然にさらさら流れていったら立ち止まらなさそうなところにちょっと立ち止まってみるっていうのはやったりしますね、確かに。
キャンペーンってことでもないですけど、
寄り道というか、そういうところにいて自分が何を感じるかとかを通じて、
自分の価値観とかを再確認できるじゃないですか。
だからある意味、自分のためでもあるというか、
予想していた通り、ちょっと疲れるところだったなみたいな思いながらね。
もう大体そうですよね。
行っては見るんだけど、疲れて帰ってきますよね。
だけど本当なんかキャンペーンを打たないと、どんどんそういうところを避けて生活できるじゃないですか。
だからそれは逆にやっぱ私は怖いなと思っていて、
という意味でちょっとたまにお試しキャンペーンで覗きに行く感じですかね。
あえてやることなのでコンフォートじゃないことっていうのはね、
そのくらい自分に言い聞かせないと、なかなかええやっていう気にならないですよね。
そうですね。実際に自分のインドに行った時に、すごい友達もいるし、
何度ももし距離が近かったら遊びに行きたいなと思ったんですけど、
いろんな行き方、街の選び方とかある中で、
私はあそこに定住はできないって思ったんですよね。
1年でもできないっていう結論が出るのは、やっぱり見に行かないとわからなかったことだし、
そういうのをやっぱり確認して、
自分はこういう要素が住む場所には必要なんだな、みたいなのを確認して戻ってくる、
みたいなところは寄り道しないとわからなかったりするかなと思ったりしますね。
そういうのも無駄じゃないですよね。
後でね、意味づけをするっていうか、人間の本能が働くと思うので、
やっぱりあの体験は自分にとってどういう意味があったんだろうというと、
学びがあったなっていう感じに、
あのコミュニティに立ち寄ったのはこういう意味があったなとかね、
そうやって振り返って、ぽくぽく一人でしてるのかな、みたいな気もしますけど。
転んでもただでは起きないって感じですよね。
なんとね、そう。
えみさんと私はちょっと特殊なのかもしれないですけど、
スポーツが結構好きというか、あえてチャレンジキャンペーンをするっていう変わり者の人たちかもしれないけれども、
学習者の方々に学びを届ける人間としてはやっぱりここは意識することってありそうですよね。
そうですよね。
慣れているとその壁が破りやすいっていう面はあるとは思うんですけど、
でもどんなに慣れていてもやっぱりゾーン出るときは不安とかね緊張っていうのはあるものなので、
でもその先にね、なんか面白いことがあるんじゃないかとかね、
ぐったり疲れたとしてもなんか得るものがあるんじゃないかとかね、
そういうふうにしているんだよっていうことがちょっとでも伝わるといいですよね。
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そうですね。
大人の学びの提供をするときに、前職で言っていた概念がワンアンドハグって言って、
ハグするんだけど片腕だけなんですね。
片腕がハグで、片腕は相手をチャレンジするために押すみたいな、
ディスコンフォートにいるところでリーダーとして成長している中で、
その人たちに必要なのはワンアンドハグだって言っていて、
それは今エミさんが言ったことを聞いてて思い出したことですね。
やっぱり相手にとって成長できる、安心する場というか支える相手として近くにいるんだけれども、
必要なときは抱きしめるんだけれども、やっぱりディスコンフォートに行って頑張らなきゃいけないのは本人なので、
その人にやってきて頑張れ、できるようにグッて押すみたいな、
チャレンジがないと結局成長しないっていうのが背景にあったなと思います。
いい言葉ですね。
今日のエピソード、学びを提供する側としてはワンアンドハグのセットに思い出すテーマだなと思ったっていう感じですかね。
コンフォートゾーンは必ず破って出ていきましょうみたいなね、
割と押す側に入力しているものが多くて、
それは確かにそうなんだけれど、一方でやっぱり安心面とかサポートっていうものがないと、
この最適な学びのゾーンにはいられなくてパニックになっちゃうので、
押しつつケアするっていうのはね、
例えば自分一人で自分自身を押し出していくときにも必ず片手ケアしてあげてほしいなと思いますね。
確かに自分自身にも当てはまることですね。
厳しくなりすぎちゃったりするとね、危ないので。
そうですよね。それでコンフォートゾーン出てみて痛い思いをしたら、次からディスコンフォートに行きづらくなりますしね。
やっぱり痛めにあったら出たくないですもんね。
そうですよね。
そんな修行僧みたいな感じでディスコンフォートに行く人ばかりじゃないと思う。
なるほど、大切な話ですね。自分にとっても他の人にとっても。
今回はコンフォートゾーンについて話しました。
紹介した情報や関連する他のエピソードへのリンクはエピソードの情報欄に貼っています。
マナビの話は毎週1回配信予定です。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それではまた次回。
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