《先月あったバラバラ殺人事件の被害者の身元が判明したと、今日の新聞に載っていた。
"千脇良子 20歳 看護学校生“
それが、私の知っている「チワワちゃん」のことだとは最初は思わなかった。
だいたい私は、「チワワちゃん」の本名すら知らなかったのだ。》
岡崎京子先生の「チワワちゃん」という作品について、今日は喋っていきたいなと思ってるんですけど、
短編集の『チワワちゃん』という作品。
初版は96年の7月に出てるのかな。
角川の「ヤングロゼ」っていう90年から97年にあった雑誌、漫画雑誌ね。
に連載してた作品とかを集めた短編集って感じになっておりますね。
はじめに、ざっくりてらださんに『チワワちゃん』読んでみてどうでしたかっていうのを聞きたいんですけども。
そうですね。面白いんですけど、今回の「チワワちゃん」の入っている短編集って、
基本的にガール・ミーツ・ガールじゃないけど、女の子同士の話じゃないですか、全部。
だから、僕の中では面白い一方で、全く知らない世界の話をずっと見てるっていう感覚が実はあって。
なるほどね。面白いな、それは。
そんなに女の子の友達多いわけではないんで、結構僕の中では面白い一方で、
これがどこまで現実っぽくてファンタジーな要素と、その境目が僕にはあんまりわからないっていうのはあったんですよ。
自分にとってのリアルとして、この漫画で描かれてるようなところがどう受け止めるかっていうことやな。
でも、ポジティブなエネルギーみたいなものはすごく感じたんだけども、
そこにちょっと空虚さもあって、不思議な気持ちにはなりましたね。
連載してから単行本にするときに、岡崎さんって毎回直したり書き足したりしてるのね。
そういうのが全部入った、岡崎さんの手が入った最後の作品集になるのかな、たぶんこれが。
だから、この単行本が出るちょっと前に事故に遭われてるんで、この作業だけはたぶんできてた感じなんだろうと思うんだけど。
連載してて単行本になってないやつとかもあるから、その後どんどん単行本化されていった。
アシスタントの人が書き足してされていったっていうやつもあるんだけど。
言ったら、もうめちゃめちゃ筆が乗ってるときの作品だなと思うし。
もっと何もない感じも入ってるしっていう、いっぺんいっぺんにね。
この短編集自体が結構、岡崎京子オールタイムベスト、みたいな感じの完成度だなって僕は結構思ってて。
そういう意味でもおすすめだし、岡崎さんで一冊ってなると僕は「チワワちゃん」かなーって思ったのもね、しててっていうところなんだけど。
なるほど。でも確かに『リバーズ・エッジ』とか『ヘルタースケルター』と比べると、バイオレンスさみたいなのがかなり薄めかなっていうのもあって。
そこでうってなる人結構多いと思うんですけど、それがないっていうのは確かにいい感じは、初心者向けというかね。
だから例えばカッターナイフで人間切りつけたりとか、人が黒焦げになったりとかはしないからね、直接的に。
『リバーズ・エッジ』はそこ描いてるっていうとこがすごいっていうのもあるんだけど、
ただ「チワワちゃん」の中には裏側にハイパー暴力があるみたいな感じのバランスなのがまたいいっていうか、
特にこの表題作の「チワワちゃん」の感じっていうかね、この空虚な中に何があったんだろうと思いながら裏側にえぐいことがあったんじゃないかみたいな、想像もできるみたいなヒリヒリ感。
そうですね。でもそこに関しては、そこの感情に関してははっきりと僕も見たことがあるものではあるかもしれないですね。
表題作の「チワワちゃん」の感じってことか。
そうですね。表面的には明るくてポジティブな感じなんやけど、そこの裏に実はすごくえぐいものというか、何があったんやろ、得体の知れない何かを感じるっていうことは、やっぱりそういう経験で、そういう人っていうのは見てきたなと思うしね。
時代っていうところと、この空虚な感じ、すごい乾いてる。で、ちょっと人間の色気というか、セクシーさだけあるみたいな感じっていうのが、やっぱり僕は『ソナチネ』ぐらいまでの北野武映画というか、あの空気感のなんかこうヒリヒリした感じあるやんか、あの辺が好きな人からすると絶対好きだろうなってめっちゃ思うよね。
ずっと一定の緊張感があるような感じなんですね。
感じもあるし、この辺の90年代、それこそ時代の空気っていう点で共通はできるんだけど、大体同じぐらいだからさ、『ソナチネ』93年とかだから。
あの感じが好きな人とかにもすごいおすすめだし、っていうところもいろいろ言えるかなと思ってて。
そうですね、確かに。ただ作品自体は本当に全然それぞれの毛色が違う感じもあるし。
全然違う方向、共通してでもこう一個走ってる感はあるやんか。
そうですね。
その感じがめっちゃ絶妙っていうか、そのオムニバス映画みたいな感じがする、僕的には。
そうですね、映画っていう表現はめちゃくちゃわかりますね。
なんかわかるよな。
僕も映画として考えた時に、全然違うジャンルの映画やけど、監督が一緒っていう時の一定の、
でもあの監督の作品やなっていうのがわかる感覚と近いなと思うんですけど、
ただモノローグの使い方とかが結構話によって全然違ったりとかしてて、
そこのやっぱりやり方がどんどん変わっていく感じというか、そこの器用さみたいなのがずっと垣間見える感じもあるよね。
やっぱでもモノローグに関しては、もうこの時も本当にキレッキレっていうか。
すごいみんな真似したかったやろうなって思える瞬間があった、モノローグに関してはね。
僕はこの短編の中で「GIRL OF THE YEAR」っていう短編が好きなんですけど、ミスコンやるやつね。
ここでみんなモノローグから始まって、そういうので締めるみたいな感じの。
言ったら、紡木たくっぽい感じ。
なるほど。
語りかける感じの。《ねえ きっとみんな退屈しているんだよ》から始まるっていう。
紡木たくっぽいし、僕ら世代から言うとめっちゃ矢沢あいっぽいっていう。
その語りかけてる、これ誰なんやろっていう。
これ誰なんやろ問題ね。
読んでいくと、次からはあたしってなるから、この主人公の山田律子さんのモノローグなんだってわかるけど、
この一発目は結構、本当に山田律子のモノローグなんかはわからんところはあるっていう感じとかもすごいよくて。
本当に学園モノのさ、アホみたいな話がすごい展開されていって、暴力っぽいもんとかエグいもんがちょくちょく出てくるんだけど、
このバランス感覚とかも、岡崎京子だなっていう感じ。
めっちゃアホっぽいところはアホっぽいけど、ギョッとするところはギョッとするみたいな。
そうですよね。デフォルメされてない感じがしますね、そういうところ。
あと、やっぱり引用と編集のセンスみたいなのとかって、欄外に書いてるけど、丸尾末広のパロディみたいなのがあったりとか、
冷さんっていうキャラ自体が少女椿のあの子みたいな見た目で書かれてるんだけど、なんかその辺のセンスとか。
あと実際、「大山田健三」っていうさ、小山田圭吾の。
なるほどね、そっかそっか、それはそうね。
アニエス番長とかも言われてるしね。
光和学園っていうところであるんだけど、小山田小沢の中学、オザケンは高校から違うけど、高校は和光高校なんで。
もろそうなんや。
うん、もろそうなんで。
大山田健三が男の子捕まえて、こう吊るしてるみたいなの見ると、どうしても。
実際やったインタビューの。
そうそう。これ、ロッキンオンのインタビュー後に書かれてはいるんで、ちょっとその辺はおおおとは思ってます。
じゃあ、たまたまじゃなくてマジの。
マジで書いたんじゃないかなと僕は思う、その辺はね。
なるほど。
とかっていうのは思ったりはするんですけど。
めっちゃ好きな短編で。
で、この、ヤングロゼっていう雑誌でやってたんだけど、「GIRL OF THE YEAR」、「チワワちゃん」は94年に連続して書かれてる短編なんですよ。
「GIRL OF THE YEAR」を94年の6月に書いて、7月号に「チワワちゃん」書いてんのね。
え、そうなんや。全然雰囲気違うのに。
「GIRL OF THE YEAR」書いた後に、その次の月に「チワワちゃん」載ってたってめっちゃヤバいなっていう、そのクリエイティビティの。
そうやな。
もうキワキワ度というか。
すごい高低さやな。全然別ジャンルのキワキワが連続で出てくるっていうね。
その前に入ってる「夏の思い出」ってやつ、ラブピース&ミラクルがあってからの2発目の短編がその次8月号に書かれてるんで。
ここ連ちゃんで書いてたっていう、「GIRL OF THE YEAR」「チワワちゃん」書いて「夏の思い出」書いてんのよ。
「チワワちゃん」の後に「夏の思い出」だね。
「夏の思い出」書いてんの。
この辺の並び順とかは岡崎先生めっちゃこだわってたらしくて、単行本にするときに。
だからこれがベストの並びにしてるんだけど、書いてある順としてそういうんだと思ったら、その並びで見ると結構見方が変わってくるみたいなところも結構あって。
単行本と逆な感じしますもんね。
「夏の思い出」は本当に言ったらバックインザデイズものなんか。
はいはい、思い出してるわけやもんね。
思い出してるもんなんだけど、そこに対してすごいポジティブやんか、「夏の思い出」っていうのは。
こういうこともあったよね、みたいな。
と、女の子同士のむちゃむちゃな逃避行みたいなものをガツンと肯定してる感じみたいな。
そうですね、一番エネルギーがある話よね。
他の作品についても思うんですけど、自分の性を売ることに対してのエネルギーというか、後ろめたさの無さみたいなものがすごいなあというふうに思うんですよね。
岡崎さんクルーの一番の特徴というか、多分本当に岡崎さんがこういうふうにセックスを捉えるまでは、
ここまでこんな明らかんと、セックスについて書いた女性の作家っていうのは存在してなかったとは思ってて。
そうですよね。今になってさ、それこそランティモスの「哀れなるものたち」とか、性を売ることに対してのテンション感が一緒やなって思って。
何年経ってるんやろ、もう30年近く経ってるわけですけど。
結構確かに「チワワちゃん」全体的に「哀れなるものたち」が好きだった人は好きだと思うね。
結構この「ヤングロゼ」って90年から97年しかやってなかったんだけど、近いところでいうと桜沢エリカさんとかやまだないとさんとかも書いてるんだけど、
岡崎京子先生の憧れの大島弓子先生も、後期の方だけど「グーグーだって猫である」とか書いてたし、これも同じく岡崎京子先生憧れの岩館真理子先生も、
「雲の名前」っていう作品書いてたりとか。みんな骨太な作家とか、しっかりした物語を書いてる作家であるけど、みんな全然違う文脈の人らだから。
そうですね。
大島先生とかは24年組クルーだし、桜沢エリカやまだないととかって、言ったらA5版系とかファッション誌とかそっちの方とかに書いてたりとか。岩館先生はもうガッツリ集英社。「週刊マーガレット」の人だったりするから。
その辺の人がみんな「ヤングロゼ」で、時期はいろいろ違いつつなんだけど書いてた時期があった。ここにも岡崎京子先生も真ん中にドンといたっていうのは、もう当時たぶんやり手の編集者の人がいたんだろうなってことは想像ができるっていうかね。
経路が違う人たちを一気に集めてきた。
そう。集めて書いてたっていうのは、結構すごい雑誌だなと思ってて。あともっと言うと、ウィングス系のCLAMPも書いてるんだよ、この雑誌に。
そうなんですね。イメージが全然違う。
角川で言うと、アスカとかでCLAMPって書いてるから、会社としては全然あるかなって感じなんだけど。でも、CLAMPと岡崎京子と岩館真理子とかが同じ雑誌に書いてたことがあるって、今からすると、「え、そんなことがあったんだ?」って感じがすぐするんだよね。
そうですね。
だし、後の「のだめカンタービレ」の二宮先生も、長編デビューはヤングロゼで、「トレンドの女王ミホ」っていうのを書いてて、タイトルについてる感じなんで。本当にバブリーなものをどんどん書いていくみたいなやつ。
本当に91年から95年とかなんで、正確にはバブルはじけたとこなんだけど、その辺の匂いを残したもので、どんどん書いてたっていう感じの。そういう発掘の場にもなってたしっていうところで。
あんまり語られることなかったし、僕も改めて、《「チワワちゃん」ってどこでやってたんだろう?あ、カドカワで。あ、ヤングロゼっていう雑誌でやってたんだ。》とかで、ちょっと掘って出てきたんで。
なんかこの作品種自体が質高いっていうのは、掲載誌のエネルギーみたいなのもあったんだろうなーみたいなのを結構想像できるところっていうか。そういうところも思ったりしたかな。
ちょっと「チワワちゃん」で話を広げると、2019年に映画化してるんですよ。
そうなんですね。
これ、二宮健監督って、大阪芸大卒の、最近だとれんれん(永瀬廉)が出てた、「真夜中乙女戦争」とか、「とんかつDJアゲ太郎」とかやってる監督で、僕と同い年なんですよ、二宮監督って。
そうなんですか。結構若い方なんですね。
二宮監督の大学の卒業制作で作った、「スラムポリス」っていう映画があったんですよ。2015、6ぐらいかな。それ見たときに、当時若い監督で撮ってる人っていうのがそもそもいなかったからね。
例外的に山戸結希監督っていうのが、ちょい上(89年生)なんだけど出てきて、周りのちっちゃい映画、みんな山戸結希だった時期があるぐらい影響があったんだけど。
その中で、そういう二宮監督っていう人が今度、撮って同い年で何か公開されるらしいっていうので、TOHOとかではかかってなかったけど、やるっていうので見に行きましたから。その人が「チワワちゃん」の後に撮るっていう。
余談なんだけど、「スラムポリス」って今U-NEXTとかで配信されてるので、ぜひ見てほしいんだけど、本当に見たとき衝撃を受けたんやけど、見たことあるものが全部オマージュされてるみたいな。
同い年で好きなもんで、これがかっこいいよねって思ってるもんで、結構二宮監督自体そういうオマージュとかサンプリングが上手い監督なんだけど、その後の作品もね。もう、これ俺らが好きなやつやんみたいなものだけで作られてる映画で。
すごいな。好きなもののバイキング状態。
ちょっと衝撃を受けたんやけど、そういう作家の方が「チワワちゃん」を監督するってなって、2019年やってて。でもこれすごいメンバーなんですよ。玉城ティナ、門脇麦、古川琴音、成田凌、村上虹郎も。
え、すごい。今集めようと思ってもすごいんじゃない?
当時まだみんなね、言ったら5、6年前。撮影もっとちょい前だろうから。だから、来てる俳優たちを集めてさらにやったっていう映画で。で、これね正直傑作なんですよ。映画の「チワワちゃん」。
そうなんですか。でも元が短編なんでちょっとこう伸ばしてやるみたいな。
そうそうそう。でも足してるとこが全部いいのよ。これあんまない。
そうですね、あんま聞かないですね。
足してるとこがよくて。で、あるあるなんかこれ元の漫画がさ、短編集やん。で、「チワワちゃん」の表題作だけ使うんじゃなくて、他の短編からいいとこ使って映画にするんだよ、大体みんな。
(濱口竜介監督の)「ドライブ・マイ・カー」とかね。
そうそう。それなし。「チワワちゃん」の世界だけで膨らましてて、足してるとこ全部いいのよ。
えー、めちゃめちゃ誠実な感じしますね。
そうそうそう。で、現代にしてあって、だからもうEDMとかバンバンかかるみたいな。
当時の俺ら世代の20代のあのチャラい感じと危ない感じみたいな感じの「チワワちゃん」にしてあって、僕は正直。岡崎京子映画の中で一番「チワワちゃん」が出来いいと思ってる。
えー、あ、そんなに?
で、これは具体的にハーモニーコリンの「スプリング・ブレイカーズ」っていう映画。A24の本当に初期作品の中の一つだね。初めの3本か4本の中の一つなはずなんだけど。
それと「チワワちゃん」を合体させて、いろんなものをオマージュ作りながら作ってるって感じなんだけど。
映画版「チワワちゃん」もすごいいいと思うんで、そっから見てみるっていうのもありかもしんない。もしかしたら。
えー、そんなに?
で、やっぱり漫画の良さと映画の良さでは全然違うから、いや解釈違うやんっていう言い方もあるけど、映画としてすごいいい作りにしてあるし、解釈、映画として、
二宮監督が「チワワちゃん」をこうするならこうっていう中で、すごいいいフレーバーで作ってあって。
へー。
うん、おすすめなんですけどね。
あの吉田くんっていうね、「チワワちゃん」の元々の彼氏みたいなのがいるんですけど、漫画の中にも。
はい。
それを成田凌がやってるんやけど。
今、今に置き換えたら確かにそうなる。
そうそうそう、やっぱあの、成田凌のさ、《愛がなんだ」とかの時のさ、あの、俺ら世代の信頼できない、もう顔だけはいいやつみたいなある、やらした時の成田凌ってマジで最高っていうか。
そうですね。
そうそう。
あれほどハマり役はないよね。
で、でも今回は金髪とかにしてもっとこうチャラめの成田凌なのよ。
六本木とかで遊んでたんかなっていう感じの成田凌見れるから。
超最高で。
別角度からの信用できない。
そうそう、っていうのもあるから。
これもね、ちょっとやっぱ「チワワちゃん」の話するのは紹介しとかなあかんなと思ってて。
二宮監督がね、ずっと応援してるんで、ぜひ見ていただきたいなと思いまして。
で、改めてちょっと漫画の方に戻りますけども。
全体通して僕が思ってることとかで言うと、やっぱモノローグ半端ないみたいなところはどうしても一番のミソなんかなと思ってて。
絵の人と言葉の人ってざっくり漫画家っている気がするのね。
すごい人はどっちも持ってる。で、いろんな武器がみんなあるけど。
岡崎先生ってやっぱ絵もすごいけど、僕はこの時期に関しては、やっぱり言葉のセンスの方がちょっと飛び抜けてきてたんだなっていうところはすごく思ったかな。
絵もラフな線だけど、その中で詰まってる弾丸みたいな。
言ったらキレキレな言葉がこのラフな絵と組み合わさっていいみたいな感じ。
で、黒のベタがあって白抜きで言葉がガンってくるやんか。
これ後に羽海野チカとかがさ、「3月のライオン」とかで横でやったりとかするけど。
この黒抜きに白の文字で縦でバッて何行か書かれた時の言葉選手権みたいな。そんな選手権はないんだけど。
やっぱ断トツで岡崎京子が勝つんじゃないかなっていうぐらい、この時のモノローグの説得力がスッて入ってくる感じ。
そうですね。一瞬時が止まって言葉が流れてる感じ。
その静と動みたいなものの使い方がやっぱりすごく上手いと思いますね。
たぶん映画みたいだなとか映像的なものを感じるっていうのは、そこのテンポ感みたいなのがめっちゃ素晴らしいからだと思うんだよね。
グッて止められたみたいな感じがすごいするっていうか。
そうですね。当然、文字とか漫画とかっていう紙のコンテンツって人によって読むテンポ違うと思うけど、そこをかなりコントロールされてる感覚があって。
もちろん文字もすごいし、やっぱり見開きの…。「チョコレートマーブルちゃん」とかね、花畑の見開きが来て。
やっぱり超最高。
間近あって、この街、花畑がなくなってしまってるっていう街の見開きが来るっていうところの、あそこのやっぱ時の止め方というか、すさまじいなって思いますよね。
そう、わかる。お花畑じゃなくなってるところの前に、こうなってるっていうところに気づくときに、二人が目開いて見てるショットみたいな不穏なコマを挟んで見開きでドーンってくるんやけど。
後期岡崎先生にこの顕著な目ガッて開いて無表情になってるみたいなコマ。
うん。
うんって口はなってるけど目ガッて開いてる。
グッと開くやつ。で、目だけのアップとかもあるけどさ、あの感じだよね。
そうなんですよね。
それこそ後の新房昭之監督とかがさ、よくやるやん。アニメで。
目ガッて。
目ガッてやつ。
確かにね。
時間がバシッと止まってるコマみたいな。やっぱ止まってるところ、ブレイクってやっぱさ、センスやん。そこのブレイクするところのセンスが全部かっこいいっていうのはマジであるなー。
うん。
そうですね。
あとちょっとそのタイム感とは違うかもしれないけども、その「チョコレートマーブルちゃん」のさっき言った町のシーンがあった後に、最初こう屋上のところで顔を近いシーンから話してて、どんどんこう同じ3コマのテンポで離れていくっていう屋上のシーンがあるんですけどカメラがちょっとどんどん引いていくっていうところがあって。
うんうんうん。
あそことかもなんかすごいいいなーってやっぱ思いますよね。あれってそういうとても大きい町の中で、でも死んじゃったら女の子が死んじゃったって言われるだけっていうような、なんかこと社会の対比みたいな感じじゃないですか。
分かる分かる分かる。
だからそのカメラが夜引くがめちゃくちゃちゃんとしてるっていう感じ。
うんうんうん。だからいわゆる10代の女の子をテーマにした漫画とかってめっちゃミニマルになりがちやんか。
はいはい。個人の小さな、その個人の世界みたいなね。
うんうん。その学校っていうものをキュッと作って。それはそれで素晴らしいし、岡崎先生もキュッとしたやつはキュッとしたやつで描いてるけど、やっぱ時折この引くカメラがあることが、やっぱ社会がある、この漫画には。
その社会とどうするかっていうことを考えてるっていうのが、俺らの世代ってこの言ったら世界系みたいなさ、もっとめっちゃでかいもんと個人とみたいなもんがデフォルトになってた世界やんか。
うん。はい。
この社会に当たってる感じが僕は多分好きなんだと思うんだよね。僕の世代になかったもんだったから。
街こんな感じですみたいな。
そうですね。
っていう感じが、例えば大友克洋みたいにさ。『童夢』とかでマンションがめっちゃ描いてあって怖いみたいな感じ。
その辺から多分持ってきてると思うんだけど、マンションになってるとか、街がバッっていう。
なんか岡崎京子先生そんなさ、言ったら大友克洋、もっといったら水木しげる、つげ義春みたいな、写実的なやつ描かへんやん。
そうですね。
そうそう。これも、線自体が結構柔らかいやんか。直線で描いてるけど、柔らかい感じに見えるやんか、ちょっと。
冷めたって思うけど、よう見るとちょっとこう、はみ出してる線とかもあるし、みたいな。
この感じがなんかいいんだよね。
うーん、そうですね。だからなんか結構、それこそ2000年代中盤以降とかになると、本当にその写真とかをキャプチャーしたりするような背景とかすごい流行り出すじゃないですか。
浅野いにおと花沢健吾さんとかあたりがやるようなね。
ああいうものじゃない良さ。そういうとちょっと懐古してる感じがあるかもしれんけど、そうじゃない方がキャラクターと同じ線で描かれてる街みたいな。
そういうものの破壊力ってやっぱあるなと思います。
そうね。そういう意味でやっぱ浅野いにおさんとかが描いたような、本当にその街の写真の上で成り立たせるっていうところで、
本当にいやこれは僕らの世界と地続きですよっていう感じの表現。
キャラクターはキャラクターなんだけど、みたいな感じのある種、カウンターであり進化でもあるっていうか。
それはそれで、なんか面白いなって思うところもすごいあるんだけど。
その方が確実に時代の空気はより鮮明に残るっていうのはあるかもしれないしね。
うーん。
どっちもどっちの良さがある。
どっちもどっちの良さがあるけど、この感じで描かれてもすごい良いなってすごい思ったっていうか。
そうですね。で、なんか「チョコレートマーブルちゃん」に関しては、そういう話なんですけど、モノローグがチャラけた歌詞みたいな。
そうそう、途中歌みたいなの入るんだよな、これな。
そうそう。なんかそこのギャップというか、環境が良いなって思いますね。
なんかこれちょっとあのさ、「不思議の国のアリス」とかさ、チェシャ猫とかがなんかよーわからん歌歌ってきたりするやんあれ。で、文章で読むとそのノリわかれへんやん。メロディ聞こえてこへんから。
うんうん。
なんかあの感じっつうか。
うん。そうね、メロディが聞こえてこない歌って感じ。
そうそう。何なんだろうね、メロディが聞こえてこないけどこれ歌だなって思うもんを、文章で読むときのなんかこう、飲み込みづらさというか。
なんか頭に入ってこない感じですね。
頭に入ってこない感じ。あれ実際にメロディがさ、鳴ってないと、鳴ってないやん。メロディ知らんからそれ。
うん。
なんかあの感じ。で、実際あの感じの飲み込みづらさみたいなのにチャレンジしてんのじゃないかなって僕は思ってる。ここに実際にメロディはないんだと思う。
うん。そうですよね。だから、その本当にふざけて書いてる歌詞、別にそれは作られた歌じゃなく、なんかこうノートの端っこに適当に書いてるようなイメージのものなんだろうなっていうね。
そうなんよね。やっぱ確かに。「チョコレートマーブルちゃん」やっぱすごい良いよなぁ。
うん。僕はこれが良かったですね、一番ぐらいで。
うん。確かにね。僕は結構、「GIRL OF THE YEAR」のモノローグにやっぱやられちゃうかな。
。
いや、これ締めモノローグが超かっこよくて。
うん。
うん。いいんだよなぁ。
そうね。すごく雑な括りかもしれないですけど、この「GIRL OF THE YEAR」のドタバタ感みたいなものと矢沢あいとか、ああいう少女漫画と同じものを感じたんで、少女漫画っぽい感じがしましたね。
っぽい、うん。
そうねー。
ブランドとかの固有名詞めちゃめちゃバンバン出しますよね。
出すね。
出しますよね、岡崎京子は。
性とお金、お金とブランドみたいな、そこが結構つながってる感じで、やっぱそこに期待をすごい感じたかな。
わかるわかる。「退屈が大好き」っていう89年に出した単行本があるんだけど、それの後書きで岡崎さんが、《私はオリーブという雑誌が大好きなのですが、この本を見ていると物欲は愛だと思えてくるから不思議です》って書いてるのね。
はいはい。
で、これ89年の段階でそう書いてて、でもなんか岡崎先生って消費最高みたいな感じでも書きつつ、そこに何もないよねっていうもんもすぐ書くやんか。
そうですね。
なんかだから、この感覚がやっぱすごい僕としてはやっぱ人の愛憎というか、めっちゃ好きなものの中にはめっちゃ興味ないがあるみたいな感じ?
その矛盾してることを自覚しながら矛盾を書いていくみたいな感じの人が好きだから、そこに自覚的なのがすごい好きかな。
でも、愛だって言い切る強さと、でもいいよねっていうところはちゃんと見せてるってところの誠実さみたいなのもすごい好き。
そうですね。だから全然一面的ではない。
そうそうそうそう。だからなんかそういう意味では結構、なんかリアルの境目みたいなのにすごい挑戦してる時期でもあるし、そういうことは、昔からずっと持ってた人なんだなみたいなところっていうか。
。
この作品の中でもさ、今自殺したらなんか女子高生が何々を苦にして自殺とか書かれるよみたいなのとかさ。
はいはい。
あとは、「チワワちゃん」という漫画、表題作自体にある「チワワちゃん」って外から見たら、今ニュースで言われてたらこういう子。でも実際はどういう子だったんだろうみたいな。それ誰もわからないみたいなとか。
レッテルと貼られることと実際のリアルみたいなものの間って、こう一個の線じゃないっていうか、結構何枚も何枚も、何層も何層も層がある、本当は人間って。
はいはい。
そこの層をいろいろこう剥がしたりめくったり、そこの層の何層にもなってるっていうものを横から見たりみたいなところをなんか挑戦してる感じみたいなのが、僕は好き、そこが。
ちょっと人間を機械とか、分解しようみたいな感覚でありつつ、根底は愛みたいな。
そうですね。
そうそう。で、愛≒死でもあるし、≒殺したいでもあるみたいな。
そうですね。だから根底は愛やけど、それがこう姿を変えたり角度を変えたときにどう見えるかっていうのをいろんな方向から描いてるっていうことを。
そうそうそう。だからそこが岡崎先生の漫画、こう主観的に訴えてくるもんだと一般的なイメージあるかもしれないし。
すごくこうエモーショナルな感じに思ってる人多い。
多いと思うし、実際、例えばいろんなA5版の漫画の中で、自分のもんだと思って主観的に読んでる読者もいっぱいいると思うのね。
はいはい。
《私のメンター》とか、《私の考えの根底》とか、どう考えるかっていうと岡崎京子の漫画にあてて考えるとか、そういう読み方とかってあると思うんだけど。
実際それはそれで別にいいと思うんだけど、なんでそうできてるかっていうと、やっぱ岡崎先生自体が超客観を持ってるからみたいな。
めっちゃドライな冷えた視線があるからだっていう。
そうですね、確かにね。なんかそこに対しては、なんていうのやろうな、あんまり不誠実に歩み寄ったりすることをするタイプではないと思うし。
それを結構『リバーズ・エッジ』とか、最近この回やるにあたって読み返して感じましたね。あ、こんなにみんな遠い感じやったっけというか。
ああ、そうね。思った以上にいっぱいいろんな人出てくるしね、『リバーズ・エッジ』って。群像劇なんだよね、あれよく見るとね。
そうなんですよね。人が繋がっていく感じもあるねんけど。なんかでも、最後の最後までこの人のことわかるようで全くわからんかったなみたいな感想になるっていうところが。
なんかまさにそういう、誰か一人の人間をこの人はこういうキャラでみたいなことを結論付けることのバカバカしさみたいなことを突きつけられるなって。
やっぱその漫画っていうものって、やっぱ漫画の中で終わらせがちにやっぱどうしてもなるっていうか、紙に印刷された絵なわけやんか。
でもそこで言ったら、今の「考察」みたいなもんって、本当にその中に入って端的して、そこに何があるのかっていうのを見ていくみたいな、面白くない楽しみ方をやっぱしちゃうっていうか。
なんかそこに立ち上がってこないっていうかね。もう作品の中は作品の中。で、何か話すについてもこの作品の中でどう思ったかって言って、作品の中に入ってどう考えるかみたいな感じになっちゃってるのが。
結構立体的。これは漫画だっていうところが、そのキャラクターに対しての愛情っていうか思い入れとか分身みたいなもんとかの気持ちみたいのは載ってるけど、現実に変えそうとしてるもんではあるっていうか。
そうですね。まやかしじゃないというか。すごく思ってるけど、岡崎京子の作品って、なんか読んでて、わかるわーみたいな感覚マジでなくて、それがいいなって思うんですよね。
不容易に誰かにライドさせないというか、共感させないドライさみたいなのがあるなっていう。共感させすぎることって危ないしまやかしでもあると思うんですけど、そういうことがないっていう距離感を一定保ってるのが、ある意味誠実やなと思う。
わかるさー。そうねー。だからやっぱこんだけ、漫画は漫画である。でもなんか、ちょっとこの辺の作品の鋭さは、結構もう3Dっていうか、4DXみたいな立ち上がり方をしてて。だから漫画らしい漫画が好きな人からすると苦手かもしれへんな。
なるほどね。だからあんまり漫画っぽくはないんやね。いわゆる漫画っぽくは。
でもなんか難しいのが、じゃあリアルってなんなんって考えたときに、例えばエッセイ漫画とかドキュメンタリー映画が本当にリアルなんかって言うと別にそこってちょっと違ってくるやんか。
そうですね。
写真撮り込んだらリアルなんかって言ったら、そこで立ち上がるリアルさはあるけど、またリアルにもいろんな本物ってなんなのかっていうか、漫画ってなんなのか、肉体ってなんなのかっていう問題に肉迫していくっていうか。
そうですね。だから情報が多ければいいって話でもないわけですからね、そのリアルさっていうのは。
そうなんだよな。でもやっぱすごい、めっちゃ立ち上がってくる感じがするっていう。この生々しさっていうのは何なんだろうっていうのはすごい思ってて。
やっぱ考えたけど結局はやっぱ僕の中の結論としては言葉の鋭さなんだろうなっていうふうには思ってるんだよね。
なるほど。
岡崎京子のキャラクター造形とかっていうものが僕好きかって言われると、あんまりわからへんなと思うんですよね。そういうとこで言うと。だから、絵が好きで読んでるって感覚、ほんまに岡崎京子に関して僕あんまないかもしれないですね。
なるほどね。
だからやっぱ言葉とかテンポとか、なんかそういうもっとこう外の部分で読んでるなっていう感じがする。
確かに。例えばさ、羽海野チカ先生はさ、全部のキャラにほぼ年表のようなストーリーが全部あるみたいな。そういうふうに作ってる人っているやんか。
はいはい。
で、例えばここの作品で描かれている主人公たち、「チワワちゃん」だったら「チワワちゃん」とかに、その年表が存在するんかって言われると、生まれてから死ぬまでの年表みたいなのは多分ないだろうって感じがする。
そうですね。
ここで描かれた、ある程度の想像とこういう子だったんじゃないんかなっていう考えとか、こう思ってたんだよとかはすごい考えてると思うの。
でも、人間として捉えてない感じはする。
はいはい。
で、それがなんか漫画は漫画だからって言って、ここだけ描きたいからとかさ、もっと手塚治虫みたいなさ、スターシステムじゃないけど劇団員ですみたいな、そういう感じでもない?
そうですね。
弾いてるけど、この弾いた中で私の世界の中で踊ってくださいみたいな。
高橋留美子とかさ、そういう感じでもないっていう感じが。
でもそれを一番近いものを言うと多分現実ですよね。
いやほんとそう。
だって実際に会う人の生まれてから死ぬまで知らないですもんね。
人と接するときの相手の見えなさみたいなところとすごく一緒なんでしょ。
そうそう。だからやっぱりこの「チワワちゃん」という表題作はとんでもない傑作だと思うんだけど、最後にさ、「チワワちゃん」ってどんな子だったかっていうのを聞いていって、ビデオで回していく?
はいはい。
ビデオで撮るっていうところがあるんだけど、なんかでもこういう距離感なんだろうなみたいな。
はいはい。
漫画に対しても。で、多分岡崎京子先生も出会った人々に対してそういう興味の持ち方だったんじゃないかなってすごい思うんだよね。
なるほど。
うん。だから、あだ名しか知らない友達?みたいな距離感。で、基本的にはすれ違っていって、そこでの交わした会話だけがあるみたいな。で、そこでどういう人で?みたいなことは想像するし、知ってたりもするけどみたいな。
なるほどね。
その、手持ちのビデオカメラで撮るような感覚で、こういう特に短編に関してはそういうふうなカメラの当て方っていうか、そういうふうに漫画を描いてった人なんだなと思って。そこの距離感が僕はすごい好きなんだと思う。カメラの距離感というか。