1. 心の砂地#
  2. 第58回-前編-『金田一さん、事..

「珠世が言っていたことは、本当だよ」。

市川崑『犬神家の一族』特集!

「角川映画」第1作として、76年に公開され大ヒット。

「白いマスクを被った《スケキヨ》」、「湖に刺さった足」、「一族が集い遺言を聞く」。あまりにも印象的なシーンを含んだ本作。

昨年公開されたアニメーション映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』でも大胆にオマージュが捧げられ、数々の作品に影響を与えてきました。

今回のエピソードでは、「なぜ、『犬神家の一族』は面白いのか、その影響」と「どのようにして、本作が出来上がったのか」といったことを「市川崑監督の作家性」 、「角川春樹のプロデュースワーク」を中心にお話ししています。


本編の内容についての批評、感想は後編のエピソードでお届けいたします。


第58回のnoteはこちら!

https://note.com/lnt91/n/n16f0a0b8a24c


◆「犬神家の一族」(76) キャスト、スタッフ

◎キャスト
金田一耕助:石坂浩二
野々宮珠世:島田陽子(松竹)
犬神佐清:あおい輝彦
犬神松子:高峰三枝子
犬神梅子:草笛光子
犬神竹子:三条美紀
犬神佐武:地井武男
犬神佐智:川口恒
犬神幸吉:小林昭二
犬神小夜子:川口晶
はる(那須ホテルの女中):坂口良子
猿蔵:寺田稔
大山神官:大滝秀治
橘警察署長:加藤武


◇スタッフ
監督: 市川崑
脚本: 長田紀生、日高真也、市川崑
原作: 横溝正史『犬神家の一族』
製作: 市川喜一(東宝)
製作総指揮:角川春樹(角川春樹事務所)
音楽: 大野雄二
撮影: 長谷川清
編集: 長田千鶴子(おさだちづこ)


◆参考資料

・春日太一「市川崑と『犬神家の一族』」(15)

・森遊机「完本 市川崑の映画たち」 (15)

・キネマ旬報社「シネアスト 市川崑」(08)

・映画秘宝編集部「市川崑大全」(08)

・中川右介「角川映画 1976-1986 日本を変えた10年」(14)

・伊藤彰彦「最後の角川春樹」(21)


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『お前が言っていたことは、本当だよ!』
一川コン、犬神家の一族特集
ニスギでしょ、急に
昔からめちゃめちゃ得意で
ニスギやってびっくりしたよ、音源流したんやと思った
いい奴だったぜ、あんたの息子は
びっくりするよね、あのシーンね
名前はね、皆さん聞いたことあるかなと思います。
犬神家の一族という映画のことをね。
これは本当に、一川コンが監督した1976年版の犬神家の一族について、今日は喋っていこうということなんですけれども。
なんでこれやるかっていうと、今も公開してると思うんですけど、東映アニメーションのね、映画、
鬼太郎誕生、ゲゲゲの謎という映画がございまして、結構評判良くてね。
僕も見に行ったんですけど、何も情報を入れずに見に行って。
僕、鬼太郎自体は漫画は好きなんだけど、アニメーションの鬼太郎ってほぼ見たことなくて。
そうですね。
見たことあるのは僕唯一、墓場鬼太郎のシリーズ。
ノイタミナでやってたやつですね。
そうそうそう。だけで、他のシリーズって見たことないんですよ。
いや、僕も全く一緒です。
一緒ですか。結構ノイタミナでやった時、わりと評判良かったじゃん。それで見てたってやつ多いと思うんだけど、僕も世代は。
そうね。オープニングのね、電気グルーヴのもかっこよかったし、なんかすごいやっぱ、今見てもアニメ表現としてかっこいいんですよね、あれはね。
ノイタミナがすごくかっこよかった時代の産物だと思いますが。
で、まぁそんなんがあって見に行ったら、びっくりするぐらい犬神家の一族オマージュの連発だったのよ。
そうですね。
で、私この76年版の犬神家の一族っていうのは、フェイバリット映画10本には絶対入るっていうぐらい大好きな映画でして。
で、これもね、映画見出した時に、いろんな、例えば黒沢明の映画とかさ、大洲康二郎の映画とか共有をとして見るやんか。
うんうん。
面白かった。大洲も黒沢も。だけど、勉強として見る中で、面白いっていう感覚ではあって、こう、のめり込む感覚みたいのはやっぱ、どうしても距離があったと思う。
僕が10代から20代前半の時に見てた感覚から言うとね、ぶっちゃけて言うと。
うん、わかります。その、普通に共有をとして見て、面白いなっては思うけど、その好きかどうかっていう感覚で言うとまたちょっと違う。
そうそうそうそう。
例えば、ヒッチコックの映画見てすげえ面白いなって思うけど、なんかのめり込むかっていうとちょっと違うみたいなさ。まあ、その中でものめり込むやつも出てきたりするんだけど。
っていう中で、日本映画いろんな監督見る中で、もうイチカワコンの映画っていうのは、一番オッてなったのよ。
へえ。
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うん。で、まあもう先に言っちゃうと、あ、エヴァンゲリオンってイチカワコンから来てたんだって思ったのよ。
ああ。
例えば監督イチカワコンって民調隊で出るんとかもさ。で、まあすごい直線的な絵と編集の感じ、テンポのスピード感というか、オープニングも見えないスピードでバッバッバッバッって変わっていくみたいなさ。
うんうん。
あの編集は完全にイチカワコンのこの辺の時期のテンポ感なのね。
なるほどね。
そうそう。で、それって本当に僕はエヴァがオリジンだと思ってて、まあその後エヴァがいろんなもんから撮ってきてるっていうもんで、それこそ黒沢の映画見て、あ、ここエヴァだったんだとかさ、血のピシッてこう出る感じとか。
うんうん。
とかさ、なんかいろいろそういう発見はあったんだけど、その中でこのテンポ感っていうので、あ、イチカワコンから来てたんだっていうのをすごい思ったのね。特にこの犬神郷の一族を見たときに。
うーん、なるほどね。
そう。で、僕の世代で言うと、シャフト、シンボー・アキューキ監督への影響ね。
はいはい。それはわかります。
それも、シンボー監督も俺、庵野秀明、エヴァンゲリオンのから来てると思ってたのよ。で、実際そこもあると思うんだけど、もっとこうイチカワコンに近いのよね。シンボー・アキューキ監督の絵作りっていうのは。
なるほど。
で、実際、サヨナラ絶望先生の2期、続サヨナラ絶望先生っていうところでは、第11話黒い十二人の絶望少女っていう回があるんですけども、これはもうイチカワコンオマージュだけで作ってると言っても過言ではない話数でして。
そうですね、確かに。はいはい。
この黒い十二人の女っていう映画もあるんだけど、そこと犬神家の一族を中心に作ってて、もう素晴らしい。イチカワコンオマージュのアニメーション作品としては一番素晴らしい出来だと、僕はいろいろ見た中で思ったんだけど。
なんかそういうところもあって、自分が10代の時好きだったものの大元みたいなのがここにあったんだっていうところで、すごく。で、かつオリジナルが一番面白いっていうね。犬神家の一族の76年版が一番面白いのよ、そう言われてみると。
あー。
すごい衝撃を受けて。
なるほどね。
だから今回改めて見返して比べてみたりとかして、すごいよくできてるし、みんなどこをやるかっていうのさ。エヴァで言うと9話の瞬間心重ねてっていうやつが、有名な足がぶつかさっている犬神家のシーンがエヴァで行われてるっていうのがあるんだけど、直接このシーンを持ってくるってやり方とか。
あとはクレヨンしんちゃんのテレビスペシャル、2002年のスペシャルで、トレジャーハンターミサエ、スウォートム家の一族っていう。これはクレヨンしんちゃんが犬神家の一族の世界に飛んだらこんな感じの世界になるだろうっていう感じで、すごいミックスされてて面白いよね。
なるほどね。これはタイトルからも完全にパロディーとしてやった感じじゃん。
そうそう。ちゃんとドーンって犬神家の一族みたいな感じで、スウォートム家の一族って出て、ちゃんとぽい音楽も流れるっていう。
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あー、なるほどね。
これは黒い十二医の絶望少女でもかなりやってるんだけど、その感じとかが、徹底してギャグ、しかもクレヨンしんちゃん的なギャグにしても面白いっていうのがあったりとかね。
そういうのがあって、だから本当に犬神家の一族パロディって、もうわかりやすくやってるのでこういうのがあるし、あとはトリックの最終作の新作スペシャル3っていうのも、もろ犬神家の一族をやりますよ。
トリックっていう作品自体がほぼイチカワコンのオマージュだけで構成されてると、イチカワコンのオマージュの上で悪ふざけをするっていうもんだから。
それがドラマサイズになるとこうなるよっていうのが、つつみゆき彦の作品だと僕は思っていて、あんまり評価はしてないんですけど。
なるほど。でも解釈の一つではあるんだよね。
そうそう。っていうぐらいいろんなもんに影響を与えてるし、犬神家の一族って去年もNHKでドラマ版やってたりするのね。吉岡秀孝が近代史劇公式やってて。
すごいですね。全然知らなかったですけど。
そうそう。だからオリジナルも定期的に作り直されるし、そのオマージュされてるもんとかもずっと発表以来ずっと出続けてるの。
すごいですね。落語の演目みたいなのを何回も何回も。
一つの古典としてもう完全に確立されてると言ってもいいというね。
なるほどね。
私的にはこのお正月のね、親戚とか集まるときに犬神家の一族を見るっていうのがもうここ数年の私のルーティンとしてなってますんで。
そうなんや。
そうそうそう。いいんですよこの正月にね、犬神家の一族見ると。なんか合うでしょ?この感覚が。
まあこう一族集ってる感じとみたいなことですか。
うん、集ってる感じがね。
まあわからんけどね。
いいなというのがありまして。
まあそういうだから皆さんが見てる作品とかにも多分何かしろ犬神家フレーバーを感じたことはね、今日本に生きてる方ならあるんじゃないのかなということでね。
取り上げてね、いきたいなということでやっていきたいと思っております。
この番組、心のすなじは様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私シャアくんです。
はい、そして私は寺田です。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心のすなじ。
君と二人ずっと歩きたいだけ。
犬神家の一族、76年版っていったのは2006年に市川根監督が亡くなられる直前に全く同じ脚本で作り直してるんだよね。30年後に。
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すごいね、それは。
セルフリメイクっていうので、それが異作となるんですけど。正直デッキは76年版に比べると良くはないんだけど、比べてみることにいろんな批評とかができるかなというものであるんだけど。
そういう2006年版があるんで、オリジナルの76年版って言うんですけど。今回はもう76年版の話だけするんで、それだけ分かっていただきたいなということなんですけど。
この作品が日本でも大ヒットしたんですよ。
そうなんやな。今の時代こういう作品がヒットするのってあんまない気がしますけどね。
そうそう。ちょっと信じ難い感じすると思うんだけど、大ヒットしてまして。その理由として、要素がたぶん3つぐらいあると思っていて。
1つはイチカワコーンという人の作品性。もう1つが、この映画が初めての門川映画。いわゆる門川映画というものの大主作になるんだけど。そこのプロデューサー門川春樹という人物とプロデュースワーク。
あとは作品の内容的にはキャスト人とかの演技とか、そういうのもあるんですけど。プロデュースワークと監督のところに入ってくるんだけど。
あともう1個は横水製紙の原作というものの持っている土着性みたいな部分。この3つとかが全部うまく噛み合って大ヒットした映画と言えるかなと思ってまして。
そのことについてちょっと色々調べてきたんで、その辺りをこの後喋っていきたいなと思うんですけれども。
寺津さん的にはどうでしたかね。今回見てみて。
そうですね。僕は本当に犬神家の一族。まったくスケキオっていうのと、見た目のマスク被ってるのと。
なんとなく知ってるよね、スケキオっていう存在は。
あと足が出て死んでるっていうシーンだけを小学生の頃になんでか知ってて、クラスのふざけ合いみたいなんで知ったみたいなぐらいのレベルかな。
僕ら世代だと前の配信で言ったことあるんだけど、クレヨンしんちゃんのテレビシリーズで、風呂とかプールに行くとしんちゃんが絶対犬神家っていうギャグをやるんだよね。
あーそっかそっか、それがあったから。
そうそうそうそう。
それを友達がやってたんだ。
それをやっぱ当時の友達たちが真似するっていうことが多分起きてる。
だから多分それで知ってるっていうのと、スケキオというね、白いマスクでスケキオっていうので犬神家じゃないんだからみたいなのは。
何かしらそれこそお笑いのネタとかでもあるし、何かしら嘘とかで得てたりもするんじゃないのかなという感じじゃないですかね。
それぐらいの距離感の話やったんですけど。
多分みんなそうだと思います。
実際見てみて、最近ホラーばっか見てたっていうのもあるけど、思ったよりちゃんとミステリーとして楽しめたし、映像としてさ、
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さっきシャークさんもおっしゃってましたけど、静止でカンカンカンって変わっていくところとか、急に白黒でコントラストバキバキみたいな回想シーンとか、
こんな新しいことっていうか挑戦的なこと、今あんまり見ない表現をやってたんやっていう、なんかかっこいいなと思いましたね、映像として。
そうね、かっこいい。面白かったですか?
面白かったですね。面白かったけど、やっぱりこの、それぞれ誰がどういう立ち位置かっていう家計図の関係がちょっとごちゃごちゃにしてくるときがあって。
なるほどね、多いからね。
そうやな、でも普通に面白かったですね。
うん、なるほどね。先に絵として普通にかっこいいなって思ったってことやもんね、やっぱり一番初めに来るところとしては。
そうですね、あとこれいろいろ何回も作り直されてるって話ですけど、これを作り直そうと思わへんの。
空気感とさっき言った映像のかっこよさとか、俳優さんの演技とかが全部本当にかみ合ってる感じがしたから、それに何を変えるのっていう。
この76年の映画が大ヒットしてから、ドラマ版があって、それはよく年あってみたいな感じで、スペシャルドラマとしてやったりとか。
そういう感じでやっていくんだけど、やっぱりこれ以上ではないね。
そうですね。
例えばトリックのオマージュとかだったら、完璧に位置関係が反対だったりするのよ。
ユイゴン城を読むところとか、奥に偉い人がいるやんか。が反対だったりするのよ。
手前に偉い人がいて、そっちから映してるとか。だから逆でやろうとしてみたいってことだけど。
でもやっぱそれするとやっぱダサいのよ、めちゃめちゃ。
なんかそんな気するね。
そうそうそう。だからこう考えてこうしたんだろうけど、普通にダサいなとか。
なんかこれが正解で、違うことをしなあかんっていうのがあるから。
逆張りみたいに失敗するっていうね。
そう。だから違う演出をしたら、全部そこが打足になってるっていう感覚があって。
俺大体全部見たんだけど、オマージュ作品からドラマとかまで。
やっぱりそこがそぎ落とされて、実験的だし、実際これはこういうふうにやってみたらどうかなっていうアイディアも含めて作ったみたいなんだけど。
そこはもうハマってるから。
だからもうこれ以上ほんと出し引きするとこがないから、76年版がやっぱ最初にして試行でやることは間違いないんだよね。
そうですね。あと結構その、次々と死んでいくシーンとか、キク人形とかさ、有名な足のシーンとか。
結構やっぱりこのショッキングな死に方をしてるじゃないですか。
そこがなんかこう下手に過度な演出じゃない感じが。
そこが結構かっこいいなと思った。こんなにえげつない死に方してんのに、なんかそんなババーンみたいな感じじゃないっていう。
まあまあ音は鳴るしリアクションもするんだけど、なんかのいやらしくないねんな。
そうなんかそこがね、だからこんなことなっちゃってますよー感は意外となかった僕の中では。
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足のシーンとかも結構こう、思ってたよりは全然あっさりしてたなと思ったのよ、僕の記憶。
うん、だし正直ちょっとあれって面白いシーンにしてあるんだよね。
あーなるほどね。
うーんっていうところもあったりとか。
まあでも本当に今話してくれてるとかが市川くん作品の特徴でもあるかなと思ってて。
で市川監督っていうのは本当にクールでモダニストっていう人なんですよ。
はいはい。
でなんかまあ市川監督晩年の時のインタビュー集みたいなのがあってその辺とか読むと、
やっぱり若い時は結構エモーショナルなことをやっちゃったと。
作品でもちょっと叫びすぎたみたいなことを言ってて。
やっぱ主張とかそういうことをすごい言っちゃったんだけど、叫びすぎちゃったからそうじゃないもんがいいなみたいな。
遠視で見ていこうと思ったらしくて。
でなんか多分そういうクールとかモダニストって言われるような、すごく現代的なもんを撮っていこうっていう感じの作品っていうのが市川くん作品の特徴なのかなっていうふうに言えると思ってて。
あーなるほどね。確かにこう主観でない感じがするというかね。
そうそうそうすごく客観的。だからいわゆる今の探偵もの、それこそ近大地少年の事件簿とかコナンとか。
でやっぱり推理していってどうのこうのってやるところ、もしくはそこじゃない懸念味、そこに至るまでのアクションとか事件のところのチェイスとかでやっていくっていうんだけど、そうじゃないんだよね。
今回の近大地耕介っていうのは言ったらこうナレーターみたいな感じで、状況を説明しながら推理するんだけど、実際の事件には関わらない立ち位置にいるっていうところがあって。
そうですね。
なんかそのあたりがすごく市川くん監督の作品性でありっていうところはね、本当に捉えてると思います。
で、このクールな感じ、客観的な感じっていうのに、かつ実験的なかっこいい絵っていうところにやっぱり僕もすごいやられてて。
監督はやっぱりありものを撮るみたいな、動かせて、じゃあどうぞって言って動かしたやつを撮るっていう感覚ではなくて、一枚一枚絵を描いてそれを繋ぎ合わせていくみたいな感覚で映画を作ってると。
で、実際市川くん監督のキャリアって、はじめアニメーターからスタートしてるのよ。
えー、アニメーター、珍しいですね。
そうそう。で、コンテとかを作ってみたいな、ディズニーが大好きで、そういうところから始まってるから、だからちょっとアニメーターっぽい映画監督。
絵コンテも描かれるタイプの監督なんだけども、色まで塗ってある、絵コンテに。
っていうぐらい、すべてがデザインされた絵。だからこそすごい、縁起で対象を捉えることができるっていうところがあって。
で、僕のフェイバレットミュージシャンというか、すごく影響を受けた人に、ピッチカート5の小西康春さんって言うんですけど、小西さんへの影響はめっちゃでかいなと思った。市川くん監督の作品って。
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えー、でも全然職業的には違うわけじゃないですか。
うん、けど、この辺の言ったら縁起であり、叫ばないでありみたいな、この辺の感覚ってめちゃめちゃ小西康春っぽいなっていうふうに思ってて。
で、実際小西さんは市川くん監督大ファンで、黒い住人の女、61年の映画を、渋谷系の時代の時って、いわゆるいろんな昔のレコードとかを発掘してきて自分たちの曲の元ネタにしてっていう音楽じゃないですか、渋谷系って大体。
そうですね。
で、例えばピッチカード5の元ネタがこれでとか、フリッパーズギターの元ネタがこれでみたいな感じで、そういう再発掘されたやつがCD化されてみんなそれを買ったりとか、再発のレコードとか、昔のオリジナル版のレコードを買ったりみたいなするのが渋谷系の消費行動みたいな。
そういう再発見、再編集っていうのがオシャレみたいな感じのもんだったんだけど、そういう中で結構映画のサントラ、昔のスパイ映画のサントラとかを結構ネタに使ったりとかで、じゃあこの映画の再上映しましょうみたいな感じで、渋谷系が映画と連動してた時代っていうのが90年代にあるのね。
めっちゃ面白いですね。
で、そんな中で、例えば昔のフランス映画とか、それこそジャンルリクゴダールとかもちろん、そこで再発見されたりみたいなところも音楽文脈ではあったんだけど、そんな中で97年に、映画館借りてここで例えばピチカート5プレゼンツでこの映画を描けますみたいなところで、黒い住人の女を小西さんが描けてるのね。
だからそこはもう本当に、小西さんの中で言ったらルーツ的な元ネタですよみたいな感覚で上映するぐらい好きなものではあるっていうのは一つあって、実際ベリッシマっていうオリジナルラブの田島さんがピチカートにいた時期の傑作アルバムがあるんですけど、田島さんってあの感じやんかって、ソウルシンガー。
やっぱみんな切符の時の、あの感じやんか。で、当時からそういう感じのノリだったんだけど、ベリッシマの時は小西さんが感情込めないで歌ってくれって言ってんだよ。
だからちょっと言ったらガナッタリとかじゃなくて、もっと落ち着いて歌ってくれっていう指示ですごいプラスチックっぽいというか、抑圧されたソウルみたいなものを作ってるのね。
で、すごい今聞くとめっちゃ傑作なんだけど、なんで当時はでもミュージックマガジンとかで、ソウルとしては魂が入ってないみたいな感じで、仏作って魂入れずみたいな感じで黒曜されるみたいな。
伝わりきれなかったって感じな。
そうそうそうとか言われたんだけど、でも今の感覚だとベリッシマの感じってすごいちょうどいいしかっこいいのよ。クラシックなのよ。
なんかその感情込めないで歌う感じみたいな、すごいデザインされたソウルミュージックを作るみたいな感じと、やっぱ今回のこのすごく土着的な横水補正師の原作をすごくモダンにとるっていう、
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いちかごんの犬神家の一族みたいな、すごく僕の中では近い感覚がある。
なるほどね、そっか。でも土着的なものをスタイリッシュにやるっていうのは、パッと考えるとちょっと噛み合わせが悪い感じはするけどそれがうまくハマってるっていう。
まあそのソウルを感情込めないで歌うっていうのも、本当に相反することをやってるんやけども、かっこいいっていう。
そうそうそうそう。昔の日本映画って70年代、特に東映の映画とかってもっとエモーションエモーションなのよ。
はいはい。
やっぱ実力のヤクザモノとかが流行ってるし。
まあそういうイメージありますね。
人気だけなら買いとか。
ええええ。
そうか、黒沢の三船俊郎の映画とか七人の侍とかにしてもさ、やっぱかっこいい。三船の演技がかっこいいとかさ、やっぱその動きとしてすごいしっかりとしたスタジオがあって、当時のカメラマンがいてっていうすごく躍動感のある日本映画っていうのが愛されるみたいな。
特に松竹の静かなオズの映画みたいなのもあるんだけど、なんかそういうのが好きな人からすると、一河君ってこうすごく微妙なもんというか、なんかもっと驚々しくやれやみたいな感じなのか、なんかもっとこう東京の生活みたいな感じだったら松竹みたいな映画撮れやみたいな感じの評価を多分する人も、
僕は結構一河君がいろいろ見た中で好きだったんだけど、日本映画好きだっていう年上の人らからすると、なんかわからんなーみたいな感じのことをよく言われたりとかしてて。
僕からすると、この感覚がめっちゃかっこいいじゃないかっていう感じがすごくあって。でも今僕が言ってる感覚とかは、今の人にはすごくフィットすると思ってて。僕的には今の人にも届くだろうし、届いてほしいなっていうことでね、今回紹介していきたいなとは思ってまして。って感じなんでね、ぜひ見ていただきたいなと思うんですけども。
いちかはこん監督は、1915年三重県にて生まれるという監督でございます。同世代ぐらいで言うと、黒澤明が1910年だったり、木下圭介監督が1912年だったりするんで、その辺の監督と大体同世代って感じですね。
で、92歳で亡くなられるんだけど、生涯現役。で、長編映画だけで70数本あるんですよ。
すごいですね、追い切れないですね、なかなか。
なんで、今日は正直紹介しきれない。なんで、参考資料としてノートに載せとくんで、ちゃんと見たい人はそれ見ていただければなと思います。
で、映画だけじゃなくてドラマを撮ったり、テレビの仕事をしたり短編を撮ったり、CMとかもやってる時期があるんで、本当に仕事が多い人でございます。
で、ほとんど受けてやった仕事。自分が企画して、これがやりたいみたいな作品は本当に少ない。10本もないんちゃうかなぐらい。
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だから、そういう受け負い人だけど、作家性はめっちゃあるみたいな。ちょっと変わった立ち位置の監督なんですね。
幼少期にお父さんがすぐ亡くなられて、ご福屋やってたらしいんだけど、その流れで倒産しちゃったと。
で、家族は親戚間をいろいろ渡り歩いて、関西の方で育ったみたいなんだけど、お母さんと姉が3人いての末っ子として育つと。
ディズニーが好きで、18歳の時に後の東宝のジェオススタジオっていうところのトーキー漫画部、言ったらアニメーション部に入ってアニメを作ってたんだけど、どんどん漫画部が縮小していって、最後はもう閉鎖になっちゃったと。
で、横でやってた劇映画の方の助監督部に転席して、いろんな名監督のところで助監督をやっていたという感じですね。
で、東宝にいたんだけど、戦後の東宝葬儀っていう労働葬儀。戦後いろいろあるやつですね。言ったら右翼と左翼でどういうふうに会社をやっていくんだ、みたいな感じの葬儀があって。
それで、東宝から新東宝っていう会社を作る人たちがいるんだけど、そっちに行って、その辺りら辺で、孔子のパートナーの和田なっとさんっていう。
和田なつじゅうと書いて、なっとさんっていうんだけど、このなっとっていうのは海外の小説家のなんとかなっとっていう人が撮ってるんだよな。
じゃあ、あてじなんですね、これはね。
そうそう、あてじみたいな感じの人と出会ってて。初期の作品とかは、この和田なっとさんがすごいインテリで、東宝にいらっしゃった時は大学の英文科出て、通訳の仕事みたいなのされてたらしいんだけど、シナリオライターとして活躍される感じで。
一河コンも共同の脚本家の名前として、和田なっとっていう名前を使ってたんだけど、後にもパートナーの単独名義みたいな感じで、こうしともに、監督一河コン、脚本和田なっとっていうので、初期の作品とかを作っていったっていう人でございます。
で、一河監督のキャリアの中では、すごいこの和田なっとさんっていう人がめっちゃ重要で、どんどんシナリオ作って、先に本ができるじゃんか。で、これをじゃあどうやって映画化するの?みたいな感じで投げられるみたいな。
和田なっとさんが書いた本を、一河コンがどう映像化していくかっていうコンビやってるんだよね。
そうそうそうそう。その孔子ともにパートナーだからさ、それでこうすぐ鍛えられていったんかなーみたいな感じ。
いろんな人が。
知ってる時間も長いだろうしね。
そうそう。いろんな人が語るし、実際そういうふうに一河コン監督も、やっぱりなっとさんのアイディアっていうのがすごい、自分のキャリアにとっては、みたいな感じで喋られてるんだけど。
新東方に行って、東方に戻って、その後日活に行って、大英に行って、いろんな時期にいろんな作品をどんどん撮っていく、なっとさんとのペアでっていう感じなんだけど。
本当に、一河コン監督のキャリアって、どんな映画も撮ってる。
27:03
すごい都会的なものも撮ってるし、ある時期はすごくコメディを頑張ろうとしてた。コメディをめっちゃやったみたいな時期もあって。
そこは、さっき初めに言ったような、初期作品ですごい思想というか叫びすぎたっていうところから、物事に整体しないで斜めから人生を見つめよう。
そういうふうな勉強をしたほうがいいんじゃない?ってなっとさんが言ったらしいのね。
だからやっぱりお笑いって客観視じゃないですか。そういう角度がないとお笑いが生まれへんやんか。物事に整体したら面白くないやんか。
だからそういうふうな延伸になるための勉強として、すごいコメディをいっぱい作ったっていう時期もあったりとか。
一般的に、第一次黄金期としては、大英時代。56年から64年の大英にいた時期っていうのは、すごい文芸作をどんどんやってると。
で、石原慎太郎、泉京華、三島幸男、谷崎純一郎、島崎東尊、みたいな。だからもう三島幸男の金閣寺とか、そういうのを映画化。もう文芸作をどんどんやっていくっていう時期があって。
この時期がたぶん昔の時代、50年代から60年代の市川根としては一番充実してる作品がいっぱいある時期で。
これも自分の人生だけだったら経験が足りないなって思ったらしいんですよ。
だからまあそういう、いわゆる名作の文学のものを映像化していくと。
そうそうそうそう。で、いろんな作家の人生観っていうのを勉強したいから、いろんな作品。もう、よくも最後も別に、文体もみんな違うわな。
この石原慎太郎と泉京華と三島幸男とかも全然違うわな。谷崎純一郎とかさ。そういうのをいろいろ学んでやってたっていう。
すごいね。なんかもう何でもやってやるっていう感じの。
そうそうそう。だし、この辺の作品全部、原作からアレンジをめっちゃ加えてるんだよね。
ああ、そうなん。
そう。まんまやってなかったりとか。文学を映画にするってやっぱり難しいっていうのって、やっぱりその行間の部分とか、そのいわゆる文体的なものをどう映像にするのかみたいな。
そうやな。
だからやっぱり、一つの映画としてはこういう思想で行くぞって、こういう切り取りでやるぞっていう、多分脚色がやっぱ必要なんだよね。いい映画にするためには。
なるほどね。
でもそこはやっぱり本にする和田納人さんがちょうど天才で、じゃあこういう切り口で行こうみたいな感じの本を書いていくと。それで石角根が演出を加えていくっていう、やっていった時期で。
この辺の時期の映画、特に金閣寺の炎上とかもすごい面白いです。おすすめですね。
そうなんやな。そこら辺の作品ってさ、もはや原作と違ってても、あんまり僕らに対してとってやるから。
わかんないだよ。映画見たらそういう話なんだって思っちゃうけど、原作見るとあれちょっと違うやんってなるかな。この辺の作品見ると全部違うから。
もちろん完全に違う話とか言わないで言うような、原案としてはオリジナルみたいなとこまでは行かへんなんだけど、その解釈というか、やっぱり映画にするならこうだぞっていう思想も感じる感じの切り取り方みたいな感じかな。
30:12
なるほどな。
そういう映画なんで、この辺の時期すごくおすすめです。黒い住人の女もこの時期に、あれはオリジナルなんだけど撮ってる映画で、すごい面白いですね。
で、すごい充実してたんだけど、この市川くんのキャリアとしては、大きなターニングポイントとして東京オリンピックという映画がございます。
これは64年のオリンピックの記録映画、ドキュメンタリー映画として撮るんですね。これは当初黒沢が撮る予定だったんですよ。
この辺りは聞いたことありますね。
いろいろやってたんだけど、途中拘板して、市川くんを頼むということになって、引き受けたという映画なんだけど、今見ると超素晴らしい映画なんですよ、東京オリンピックって。
めっちゃかっこいいし、もう初めからアキラみたいな、バーンバーンって工事してるとこから始まるんや。
ナットさんってシナリオもちゃんと作って、どう作ったらいいかわからないからね。結構劇っぽい感じのナレーションみたいなのもちゃんと入ってて、絵コンテとかもちゃんと切って、こういう映画欲しいなみたいな感じで、実際にそれに合わせていろんな人に撮ってもらったみたいな感じの映画ではあるんだけど。
ただ当時のオリンピック担当大臣の河野一郎という方がいらっしゃるんですけども、「いいと思ったけど、記録映画としてはこんなの良くないんじゃないかな?」みたいなことをポロっと言ったと。
で、実際それが朝日新聞か何かの記者に聞かれたときにポロっと言って、それが大々的に報道されて、記録か芸術かみたいな感じの論争になって、結構見られたんだけど、割と世間的な評価としてはすごい叩かれたっていう。
それは演出が入ってるから記録じゃなくなってるってことで、ってこと?
たとえば走ってるところとかで足のアップとか、顔映ってないやんけみたいなカットとかがあるっていうのもあったと思うんだけど、後々の資料を見ると、単純に河野一郎が好きだった競技、すごいオリンピック担当大臣だからスポーツ好きな人なんだよね。
だから押してた競技とかのカットが短かったりとか、なんかそういうんで単純にちょっと不満に思ったみたいな。
そんな、そんなんかいって感じするけど。
たとび 今となってはね、そうそうそう。河野一郎っていう方がね。このお孫さんもなんか今政治家らしいんですけど、知らないんですけどね。
まあまあ、知ってますけど。
たとび 多分大した政治家ではないと思うんですけど。でも実際、いろいろ盛り上がっちゃったから、会って、市川君と河野さんは会って、和解は全然したらしいんだけど、ただ評価としては、そういうことがすごい叩かれたみたいなのもあって、
たぶんショックだっただろうし、っていうのもあって、なんかほんとこの後からぱったりと映画が撮れない時期っていうのが続きます。市川君としては。
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で、さっき言ってた和田納人さんも、この時期乳がんになっちゃって。その治療を続けながらっていう感じで。で、その辺もあったのか知らないんだけど、もう逆本はやりませんと。
シナリオはもうちょっと書けないっていうことで、もう実際にこの後もずっと和田納人さんはいらっしゃるんですけど、逆本としては、もう本当にこの作品が事実上クレジットされてる最後の作品にはなってますね。
っていう、そっからスランプになって、で、小枯らし文次郎っていうテレビドラマをもう5、6年後かな、もう72年なんで、だからもう本当に65年から70年まで、7年間とかあんまりうまくいかない時期あってから、ドラマっていうかテレビ映画と当時はやってるんですけど、72年に始めるぐらいからちょっとずつ復帰してくるみたいな感じですね。
そう、またちょっと雰囲気違う感じの作品なのかな。
うーん、まあまあ、でももう傑作ですよ、小枯らし文次郎は。
面白いね、ちゃんと。
うん、めちゃめちゃ面白い。だし、実際小枯らし文次郎がすごい時代劇なんだけど、現代的に撮ってるっていうことで、犬神家の一族の企業に繋がるみたいな流れはあるみたいで。
あー、なるほどね。
うーん、っていう、ちょっと東京オリンピック以降、小枯らし文次郎とかでちょっと当てたりはするんだけど、映画作家としてはまだまだ当時はテレビの時代になってきてるんだけど、映画の人たちはやっぱりテレビのことをあんまりよく思ってない。
なるほど、そっか、そこの対立もあるね。
そうそう、っていう対立してる時期だし、だからそっちで評価されてもただの映画が評価されるってわけではないっていうとこなんで、東京オリンピック以降はちょっとこう、スランプからのいろいろあって、まあ映画を撮っていくんだけど、76年に犬神家の一族で再ブレイクっていう感じなんで。
イチカーコンとしても、最期の一作ということです、本作は。
そうか、そう考えると本当にいろんな時期を経ての集大成というか、そういう感じなんですね。
いや、ほんとそうなんですよ。
心の繋じ。
プロデュースワーク、門川春樹というものなんですけども。
うん。
犬神家の一族っていうのは、横溝聖史の推理小説、金田一耕介シリーズの一作となるんですね、今となっては。
で、これが当たったから、5作、金田一耕介シリーズとしてイチカーコンが撮るんだね。
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はじめからシリーズとして作ろうと思ってたわけではないっていう感じなんだけど。
なるほど。
で、金田一耕介っていう役は、今回は一作コーチさんがやってるんだけど、いろんな人が映画とかドラマでやってると。
犬神家の一族以外のシリーズとかもめっちゃあるから、だからすごいいろんな人がやってるのよ、金田一耕介自体は。
だから、バットマンとかスパイダーマンみたいなもんですよ。
なるほどね。一応わかりやすいかもね。
そう、だれだれ版のバットマンみたいな感じで。
だから、ドラマ版だとプレイヤー一光さん、KJのお父さんがやってて、こっちの方が馴染みあるっていう人もいたりとか。
例えば片岡鶴太郎とかもやってるし。
あ、そうなんや。あんまイメージ違うけどな。
まあ、今のそれちょっと片岡鶴太郎の変容って話になるので、ちょっとやりこしんで割愛するんですけど。
まあまあそう。ただ、今回から和装。
この、下金田一っていうのは一川昆盤からっていう感じなんですよね。
そうね。
で、角川春樹の話に戻るんだけど、今回はいわゆる角川映画第一作。角川春樹事務所第一作の映画という感じなんですけど。
角川って今やアニメの会社だと思うんですけど、この現在のエンタメ企業にしたっていうのは、この角川春樹という男の天才ぶりがあったからこそ、今の角川があるって感じなんだよね。
もともとはもう、学術出版社寄りだったらしい。全然エンタメやってなかった。
あ、全然イメージ違いますね。今のイメージ。
そうそう。だからそれはもう角川春樹が、2代目なんだけど、がもうどんどん、それこそこの犬神家の一族とかをちょっと区切りに映画をやったりとか、なんかいろんなものをやっていたっていう中で、今の角川があるんだけど。
で、まず初めに横溝精子作品を続々と文庫化していったよね。70年ぐらいから。で、それまで文庫なってなかったと。
ちょっと信じられへんかもしれないけど、その時って岩波文庫、新潮文庫ぐらいしかなかったよ。文庫っていうものが。
それは少ないですね。
だから文庫っていうものがそんななかったのよ。
なるほどね。
だから他のところで単行本出てるところとかを、文庫にするんでって言って持っていって、角川文庫で出したりみたいな感じで、角川をどんどん強くしていくみたいな。
でもそれをやってったら、いやもう他に、角川に取られてもらうみたいな感じで、みんな高段車文庫も、周泳車文庫も、中古文庫もみたいな感じで、もう76年ぐらいには大体できるんだけど、他の文庫が。
そういうことをやって、ちょっとやっていくと。
他のところから買っていくんじゃなくて、やっぱりオリジナルのさ、自分でも売る、この作家はここの出版社みたいなの欲しいやんか。
はいはいはい。
ここはこれが強いみたいな。
で、角川春樹はこの横溝製紙っていう人をもう、この人をスターにするぞと、うちは。この人の作品でいくぞっていうことでどんどん文庫化していったってことなんだね。
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なるほどね。
で、なんでかっていうと、このミステリーって今はまあ、1ジャンルとしてある程度はあるけど、まだ出版のものとしては全然こう、奥に追い入れられてたもんだったんだけど、それをこう、ど真ん中に持ってくると。何なら他が手を出してないから。
なるほど。まあちょっとそういうビジネス的なちょっと金脈というかね、そういう読みもあった。
そうそうそう、もちろん。そう。で、特に横溝製紙っていうのは、当時のミステリーとかを書いてた人に人気あったのは松本成長だったのよ。
で、松本成長っていうのは、すごく昔の怪奇幻想みたいなものとかとミステリーが近かった時代みたいなもんじゃなくて、人間ドラマとしての普通の人が起こしてしまうミステリーみたいなことを書いていく。社会派ミステリーとしてこう、台頭していった人で。
で、実際に横溝製紙の作品もこう、「得意な環境を舞台に特別な性格の人間を登場させ、物理的なトリックを用い、背筋に鉱炉を当てられたゾッとするような恐怖を醸し出すお化け屋敷のようなもの。」って言ってディスってんのよ。
そうやな。なんか俺はリアルを求めて、リアルを描いてる時みたいなことに対して。
リアルじゃないみたいな。そうそうそうそう。
ヤバい人が出てきて、なんかめちゃめちゃするから、「お化け屋敷や!」みたいなことをディスしてんのよ。
で、逆に角川古木は、「じゃあお化け屋敷、うちはやろう。」って言って横溝製紙をトントン前に出してくるっていう。
いやー、いい話ですね。
うん。で、当時文庫ってまだモノクロ印刷とかだったの。地味だったんだって文庫。
それをもうフルカラーにした。で、作家ごとに色をつけるみたいな感じで。
で、横溝製紙の後に森村誠一さんとかいろんな人を、この人はこのイラストレーター、こういう色にしようみたいな感じで。
横溝製紙はもうお化け屋敷で行こうって感じだった。で、真っ黒で字が緑っていう。
不気味やね。
そうそうそう。っていうね、ちょっと台本に載せておくんで、これもノート見ていただければと思うんだけど。
で、この杉本一文っていうイラストレーターさん。ほんとにおどろおどろしい絵。
どんとやって。っていうので、横溝製紙ブームっていうのは先に作ると。
なるほどね。
っていうので、その中でもっと本を売りたいっていうので、じゃあ映画にしようっていう。ところで、門川が映画を作り出すっていう流れになっていくんだね。
はー、すごいな。そんな横溝にどんどん乗っていけという感じの流れだな。
で、これはもっと2作目の人間の証明からなんだけど、当時の門川のコピー。いねがみ家の一族の段階では使われてないんだけど、読んでから見るか、見てから読むか。
はー、なるほどな。
だから映画の公開と文庫本のフェアを連動させるっていう。
もうセットですよというね。順番だけの問題で。
そうそう。で、本当は先に八幡村っていう作品を松竹とやるつもりだったんだけど、いろいろ脚本家の人が他の作品に取り掛かって時間が全然帰ってこーへんみたいな。文庫のフェアと間に合わへんみたいになって、松竹とはもう辞めますって言って。
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辞めて、で、東方と組むことでいねがみ家を作るっていう。で、うちが作るよっていう感じで作られたっていうのがいねがみ家の一族なわけですね。
で、角川はるきはいねがみ家の一族が当たるっていうのは大体わかってたみたいな。当てにいってこれにしてるっていうのがあって。
へー。
うん。で、なんでかっていうと、近代化が進めば進むほど反比例して人間の精神は土着していくと思ってたと。
はー、なるほど。
で、実際、例えば74年からのオイルショックとか以降、都会に出てた人がUターンで田舎に結構戻ったりとか、そういうところもあって、地方の出版物みたいなのめっちゃ増えたんやって。
昔はだから、都会都会だったのが地方の祭りとか、そういう地方に関しての出版物っていうのがどんどん増えてったりみたいなのがあったりとか、戻った若者とかはエネルギーがあるから地元でこういうふうなことしたいとかで、
ずっと廃れてた祭りとかをもう一回やろうみたいな感じでやり始めたりみたいなのがあった。
なるほどね。
神社とかの参拝数ってもう実際年々増加してってて、だから70年には171万人しかなかったのが、80年には294万人神社に行ってるっていうデータもあって。
うん。
あとは国鉄がディスカバージャパンっていうキャンペーンを70年から76年にやってるんですよ。
はいはい。
これは言ったら、それこそ地方創生とかいう言葉もない時だけど、国鉄、今のJRね、はやっぱり旅行してほしいやんか、そういう地方に。
うんうん。
地方に旅行するのがおしゃれだよみたいなCMみたいなのをどんどんやっていくのよ。
なるほどね。今も結構そういう広告は打たれてるけど、そういうのが走りやすいからね。
そうそうそうそう。で、実際このディスカバージャパンのキャンペーン、市川くんがやっててめっちゃかっこいいんで。
そうか。
ちょっと探してみてみただければっていうのもありますね。こういうとこもちょっと実は絡んでるんだけど。
ディスカバージャパンの一環として遠くを行きたいっていう番組が日テレ系でやってるんだけど、今もやってるんだけど、そういう地方に行く旅番組っていうのも始まったりとか。
あとは出版系でいうとアンノン族っていう、これアンアンとノンノン。アンアンとノンノンでアンノン族なんだけど、女の人が地方に旅行に行くっていうのがおしゃれだよねみたいな感じで。
雑誌の1ページとしてそういう旅行のページっていうのがアンアンとノンノンにそれぞれ載ってて、それで実際結構若い子が旅行行きだしたりみたいなのもあったらしいんですね。
あとはアメリカだったら、73年にエクソシストが公開されるんだけど、そこを頂点とするオカルトブームっていうのがあったらしいんですよね。
そういうのも出版のエージェントを通じて知ってたから、絶対そういうオカルト的なものも日本では来ると思ってたと。
なるほど。
実際そういうふうになっていくんで。
この年、ちなみに76年にはキャリーとかも公開されてるんで、そういうスティーブン・キングの感じとかもアメリカで来るんだけど。
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だからそういうのと全部合致していって、みんな井上家の一族に夢中になったっていう要素もあったという感じでございますね。
なるほどね。そういう到着であり、オカルトというかホラー・ミステリーっぽい雰囲気とか、全部ちゃんと今来てるぞっていうのの総合が井上家やったという。
そうなんですね。
すごい話やな。そんな計算づくやったとは。
そうなんですね。本編の話は後編でやりたいなと思いますので。
はい。
ちょっと今回はここまでというところで、井上家の一族に至るまでということで、本編についてのお話っていうのは後半で話したいなと思っております。
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