さっきシャークさんもおっしゃってましたけど、静止でカンカンカンって変わっていくところとか、急に白黒でコントラストバキバキみたいな回想シーンとか、
こんな新しいことっていうか挑戦的なこと、今あんまり見ない表現をやってたんやっていう、なんかかっこいいなと思いましたね、映像として。
そうね、かっこいい。面白かったですか?
面白かったですね。面白かったけど、やっぱりこの、それぞれ誰がどういう立ち位置かっていう家計図の関係がちょっとごちゃごちゃにしてくるときがあって。
なるほどね、多いからね。
そうやな、でも普通に面白かったですね。
うん、なるほどね。先に絵として普通にかっこいいなって思ったってことやもんね、やっぱり一番初めに来るところとしては。
そうですね、あとこれいろいろ何回も作り直されてるって話ですけど、これを作り直そうと思わへんの。
空気感とさっき言った映像のかっこよさとか、俳優さんの演技とかが全部本当にかみ合ってる感じがしたから、それに何を変えるのっていう。
この76年の映画が大ヒットしてから、ドラマ版があって、それはよく年あってみたいな感じで、スペシャルドラマとしてやったりとか。
そういう感じでやっていくんだけど、やっぱりこれ以上ではないね。
そうですね。
例えばトリックのオマージュとかだったら、完璧に位置関係が反対だったりするのよ。
ユイゴン城を読むところとか、奥に偉い人がいるやんか。が反対だったりするのよ。
手前に偉い人がいて、そっちから映してるとか。だから逆でやろうとしてみたいってことだけど。
でもやっぱそれするとやっぱダサいのよ、めちゃめちゃ。
なんかそんな気するね。
そうそうそう。だからこう考えてこうしたんだろうけど、普通にダサいなとか。
なんかこれが正解で、違うことをしなあかんっていうのがあるから。
逆張りみたいに失敗するっていうね。
そう。だから違う演出をしたら、全部そこが打足になってるっていう感覚があって。
俺大体全部見たんだけど、オマージュ作品からドラマとかまで。
やっぱりそこがそぎ落とされて、実験的だし、実際これはこういうふうにやってみたらどうかなっていうアイディアも含めて作ったみたいなんだけど。
そこはもうハマってるから。
だからもうこれ以上ほんと出し引きするとこがないから、76年版がやっぱ最初にして試行でやることは間違いないんだよね。
そうですね。あと結構その、次々と死んでいくシーンとか、キク人形とかさ、有名な足のシーンとか。
結構やっぱりこのショッキングな死に方をしてるじゃないですか。
そこがなんかこう下手に過度な演出じゃない感じが。
そこが結構かっこいいなと思った。こんなにえげつない死に方してんのに、なんかそんなババーンみたいな感じじゃないっていう。
まあまあ音は鳴るしリアクションもするんだけど、なんかのいやらしくないねんな。
そうなんかそこがね、だからこんなことなっちゃってますよー感は意外となかった僕の中では。
足のシーンとかも結構こう、思ってたよりは全然あっさりしてたなと思ったのよ、僕の記憶。
うん、だし正直ちょっとあれって面白いシーンにしてあるんだよね。
あーなるほどね。
うーんっていうところもあったりとか。
まあでも本当に今話してくれてるとかが市川くん作品の特徴でもあるかなと思ってて。
で市川監督っていうのは本当にクールでモダニストっていう人なんですよ。
はいはい。
でなんかまあ市川監督晩年の時のインタビュー集みたいなのがあってその辺とか読むと、
やっぱり若い時は結構エモーショナルなことをやっちゃったと。
作品でもちょっと叫びすぎたみたいなことを言ってて。
やっぱ主張とかそういうことをすごい言っちゃったんだけど、叫びすぎちゃったからそうじゃないもんがいいなみたいな。
遠視で見ていこうと思ったらしくて。
でなんか多分そういうクールとかモダニストって言われるような、すごく現代的なもんを撮っていこうっていう感じの作品っていうのが市川くん作品の特徴なのかなっていうふうに言えると思ってて。
あーなるほどね。確かにこう主観でない感じがするというかね。
そうそうそうすごく客観的。だからいわゆる今の探偵もの、それこそ近大地少年の事件簿とかコナンとか。
でやっぱり推理していってどうのこうのってやるところ、もしくはそこじゃない懸念味、そこに至るまでのアクションとか事件のところのチェイスとかでやっていくっていうんだけど、そうじゃないんだよね。
今回の近大地耕介っていうのは言ったらこうナレーターみたいな感じで、状況を説明しながら推理するんだけど、実際の事件には関わらない立ち位置にいるっていうところがあって。
そうですね。
なんかそのあたりがすごく市川くん監督の作品性でありっていうところはね、本当に捉えてると思います。
で、このクールな感じ、客観的な感じっていうのに、かつ実験的なかっこいい絵っていうところにやっぱり僕もすごいやられてて。
監督はやっぱりありものを撮るみたいな、動かせて、じゃあどうぞって言って動かしたやつを撮るっていう感覚ではなくて、一枚一枚絵を描いてそれを繋ぎ合わせていくみたいな感覚で映画を作ってると。
で、実際市川くん監督のキャリアって、はじめアニメーターからスタートしてるのよ。
えー、アニメーター、珍しいですね。
そうそう。で、コンテとかを作ってみたいな、ディズニーが大好きで、そういうところから始まってるから、だからちょっとアニメーターっぽい映画監督。
絵コンテも描かれるタイプの監督なんだけども、色まで塗ってある、絵コンテに。
っていうぐらい、すべてがデザインされた絵。だからこそすごい、縁起で対象を捉えることができるっていうところがあって。
で、僕のフェイバレットミュージシャンというか、すごく影響を受けた人に、ピッチカート5の小西康春さんって言うんですけど、小西さんへの影響はめっちゃでかいなと思った。市川くん監督の作品って。
すごい都会的なものも撮ってるし、ある時期はすごくコメディを頑張ろうとしてた。コメディをめっちゃやったみたいな時期もあって。
そこは、さっき初めに言ったような、初期作品ですごい思想というか叫びすぎたっていうところから、物事に整体しないで斜めから人生を見つめよう。
そういうふうな勉強をしたほうがいいんじゃない?ってなっとさんが言ったらしいのね。
だからやっぱりお笑いって客観視じゃないですか。そういう角度がないとお笑いが生まれへんやんか。物事に整体したら面白くないやんか。
だからそういうふうな延伸になるための勉強として、すごいコメディをいっぱい作ったっていう時期もあったりとか。
一般的に、第一次黄金期としては、大英時代。56年から64年の大英にいた時期っていうのは、すごい文芸作をどんどんやってると。
で、石原慎太郎、泉京華、三島幸男、谷崎純一郎、島崎東尊、みたいな。だからもう三島幸男の金閣寺とか、そういうのを映画化。もう文芸作をどんどんやっていくっていう時期があって。
この時期がたぶん昔の時代、50年代から60年代の市川根としては一番充実してる作品がいっぱいある時期で。
これも自分の人生だけだったら経験が足りないなって思ったらしいんですよ。
だからまあそういう、いわゆる名作の文学のものを映像化していくと。
そうそうそうそう。で、いろんな作家の人生観っていうのを勉強したいから、いろんな作品。もう、よくも最後も別に、文体もみんな違うわな。
この石原慎太郎と泉京華と三島幸男とかも全然違うわな。谷崎純一郎とかさ。そういうのをいろいろ学んでやってたっていう。
すごいね。なんかもう何でもやってやるっていう感じの。
そうそうそう。だし、この辺の作品全部、原作からアレンジをめっちゃ加えてるんだよね。
ああ、そうなん。
そう。まんまやってなかったりとか。文学を映画にするってやっぱり難しいっていうのって、やっぱりその行間の部分とか、そのいわゆる文体的なものをどう映像にするのかみたいな。
そうやな。
だからやっぱり、一つの映画としてはこういう思想で行くぞって、こういう切り取りでやるぞっていう、多分脚色がやっぱ必要なんだよね。いい映画にするためには。
なるほどね。
でもそこはやっぱり本にする和田納人さんがちょうど天才で、じゃあこういう切り口で行こうみたいな感じの本を書いていくと。それで石角根が演出を加えていくっていう、やっていった時期で。
この辺の時期の映画、特に金閣寺の炎上とかもすごい面白いです。おすすめですね。
そうなんやな。そこら辺の作品ってさ、もはや原作と違ってても、あんまり僕らに対してとってやるから。
わかんないだよ。映画見たらそういう話なんだって思っちゃうけど、原作見るとあれちょっと違うやんってなるかな。この辺の作品見ると全部違うから。
もちろん完全に違う話とか言わないで言うような、原案としてはオリジナルみたいなとこまでは行かへんなんだけど、その解釈というか、やっぱり映画にするならこうだぞっていう思想も感じる感じの切り取り方みたいな感じかな。
なるほどね。
で、なんでかっていうと、このミステリーって今はまあ、1ジャンルとしてある程度はあるけど、まだ出版のものとしては全然こう、奥に追い入れられてたもんだったんだけど、それをこう、ど真ん中に持ってくると。何なら他が手を出してないから。
なるほど。まあちょっとそういうビジネス的なちょっと金脈というかね、そういう読みもあった。
そうそうそう、もちろん。そう。で、特に横溝製紙っていうのは、当時のミステリーとかを書いてた人に人気あったのは松本成長だったのよ。
で、松本成長っていうのは、すごく昔の怪奇幻想みたいなものとかとミステリーが近かった時代みたいなもんじゃなくて、人間ドラマとしての普通の人が起こしてしまうミステリーみたいなことを書いていく。社会派ミステリーとしてこう、台頭していった人で。
で、実際に横溝製紙の作品もこう、「得意な環境を舞台に特別な性格の人間を登場させ、物理的なトリックを用い、背筋に鉱炉を当てられたゾッとするような恐怖を醸し出すお化け屋敷のようなもの。」って言ってディスってんのよ。
そうやな。なんか俺はリアルを求めて、リアルを描いてる時みたいなことに対して。
リアルじゃないみたいな。そうそうそうそう。
ヤバい人が出てきて、なんかめちゃめちゃするから、「お化け屋敷や!」みたいなことをディスしてんのよ。
で、逆に角川古木は、「じゃあお化け屋敷、うちはやろう。」って言って横溝製紙をトントン前に出してくるっていう。
いやー、いい話ですね。
うん。で、当時文庫ってまだモノクロ印刷とかだったの。地味だったんだって文庫。
それをもうフルカラーにした。で、作家ごとに色をつけるみたいな感じで。
で、横溝製紙の後に森村誠一さんとかいろんな人を、この人はこのイラストレーター、こういう色にしようみたいな感じで。
横溝製紙はもうお化け屋敷で行こうって感じだった。で、真っ黒で字が緑っていう。
不気味やね。
そうそうそう。っていうね、ちょっと台本に載せておくんで、これもノート見ていただければと思うんだけど。
で、この杉本一文っていうイラストレーターさん。ほんとにおどろおどろしい絵。
どんとやって。っていうので、横溝製紙ブームっていうのは先に作ると。
なるほどね。
っていうので、その中でもっと本を売りたいっていうので、じゃあ映画にしようっていう。ところで、門川が映画を作り出すっていう流れになっていくんだね。
はー、すごいな。そんな横溝にどんどん乗っていけという感じの流れだな。
で、これはもっと2作目の人間の証明からなんだけど、当時の門川のコピー。いねがみ家の一族の段階では使われてないんだけど、読んでから見るか、見てから読むか。
はー、なるほどな。
だから映画の公開と文庫本のフェアを連動させるっていう。
もうセットですよというね。順番だけの問題で。
そうそう。で、本当は先に八幡村っていう作品を松竹とやるつもりだったんだけど、いろいろ脚本家の人が他の作品に取り掛かって時間が全然帰ってこーへんみたいな。文庫のフェアと間に合わへんみたいになって、松竹とはもう辞めますって言って。
辞めて、で、東方と組むことでいねがみ家を作るっていう。で、うちが作るよっていう感じで作られたっていうのがいねがみ家の一族なわけですね。
で、角川はるきはいねがみ家の一族が当たるっていうのは大体わかってたみたいな。当てにいってこれにしてるっていうのがあって。
へー。
うん。で、なんでかっていうと、近代化が進めば進むほど反比例して人間の精神は土着していくと思ってたと。
はー、なるほど。
で、実際、例えば74年からのオイルショックとか以降、都会に出てた人がUターンで田舎に結構戻ったりとか、そういうところもあって、地方の出版物みたいなのめっちゃ増えたんやって。
昔はだから、都会都会だったのが地方の祭りとか、そういう地方に関しての出版物っていうのがどんどん増えてったりみたいなのがあったりとか、戻った若者とかはエネルギーがあるから地元でこういうふうなことしたいとかで、
ずっと廃れてた祭りとかをもう一回やろうみたいな感じでやり始めたりみたいなのがあった。
なるほどね。
神社とかの参拝数ってもう実際年々増加してってて、だから70年には171万人しかなかったのが、80年には294万人神社に行ってるっていうデータもあって。
うん。
あとは国鉄がディスカバージャパンっていうキャンペーンを70年から76年にやってるんですよ。
はいはい。
これは言ったら、それこそ地方創生とかいう言葉もない時だけど、国鉄、今のJRね、はやっぱり旅行してほしいやんか、そういう地方に。
うんうん。
地方に旅行するのがおしゃれだよみたいなCMみたいなのをどんどんやっていくのよ。
なるほどね。今も結構そういう広告は打たれてるけど、そういうのが走りやすいからね。
そうそうそうそう。で、実際このディスカバージャパンのキャンペーン、市川くんがやっててめっちゃかっこいいんで。
そうか。
ちょっと探してみてみただければっていうのもありますね。こういうとこもちょっと実は絡んでるんだけど。
ディスカバージャパンの一環として遠くを行きたいっていう番組が日テレ系でやってるんだけど、今もやってるんだけど、そういう地方に行く旅番組っていうのも始まったりとか。
あとは出版系でいうとアンノン族っていう、これアンアンとノンノン。アンアンとノンノンでアンノン族なんだけど、女の人が地方に旅行に行くっていうのがおしゃれだよねみたいな感じで。
雑誌の1ページとしてそういう旅行のページっていうのがアンアンとノンノンにそれぞれ載ってて、それで実際結構若い子が旅行行きだしたりみたいなのもあったらしいんですね。
あとはアメリカだったら、73年にエクソシストが公開されるんだけど、そこを頂点とするオカルトブームっていうのがあったらしいんですよね。
そういうのも出版のエージェントを通じて知ってたから、絶対そういうオカルト的なものも日本では来ると思ってたと。
なるほど。
実際そういうふうになっていくんで。
この年、ちなみに76年にはキャリーとかも公開されてるんで、そういうスティーブン・キングの感じとかもアメリカで来るんだけど。