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2022-09-08 40:32

第13回『どうして男はそうなんだろうか』

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2022年8月に発売された、『どうして男はそうなんだろうか会議』(編:清田隆之,澁谷 知美)特集!
パーソナリティの二人がそれぞれ「刺さった」内容を共有しながら、自分の考え方やエピソードをお話ししています。
『どうして男はそうなんだろうか会議』(編:清田隆之,澁谷 知美)
概要:【「非モテ」の苦しみ、マウント合戦、男のカラダ、男性優位社会…。どうして男はそうなんだろう?男性の「被害者性」と「加害者性」が同時に語られている今、6人のゲストと語り合い、男たちの「現在」と「これから」を考える。】
どうして男はそうなんだろうか会議: いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと | 澁谷 知美, 清田 隆之

『心の砂地』で清田隆之さんの本を取り上げるのは三回目となりますので、よろしければ過去回アーカイブもお聞きくださいませ。
※前々回は『さよなら、俺たち』(名著!)を。
※前回は『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』を取り上げています。
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2022 Special Thanks:おひるねむこ@ohirunemuco
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確か『さよなら、俺たち』を特集した時(2年前ですね)は自分のことをどう話せばいいのか?と収録ギリギリまで悩み(抵抗感があり)、変なテンションで収録したことを憶えています。「doing」「being」の話は自分にとって、意識が革命的に変わったものであったようで、内面と向き合う、ということが少しずつできるようになってきた。…かもしれない、と思いました。【鮫編集後記】

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この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。 はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。 ということで本日も始まります。心の砂地。
今回は清田孝之さんと渋谷智美さんの共編著、
どうして男はそうなんだろうか会議、という本を取り上げてお話をしていきたいと思っております。 はい。心の砂地は第24回20年の8月の配信で清田さんの著作
さよなら俺たちを取り上げています。 で、22年の2月、今年の2月にもですね89回、過去回として心の砂地シャープでも配信しておりますけれども
こちらも清田さんの著作ですけれども、地盤マラシでもブユーデンでもない一般男性の話という作品を取り上げております。
そこで語られていることと、僕たちがこれから話すことでベースとして
考えている清田さんが書いている理論というか、考え方についてちょっと説明しておきたいなと思うんですけれども、
さよなら俺たち、ジェンダーに関わるエッセイ集なんだけども、ここで一番僕たちが感銘を受けたというか、
こう考えればいいんだねっていうところが一致しているのが、ドゥイングとビーングっていうことを分けて考えようっていうことですね。
ドゥイングっていうのは結果や実績、役割や能力。ビーングっていうのは自分が何を考え、何を感じ、どんなことを思いながら生きているのかということですね。
することとか、自分自身の内面とかを考えるときに、それぞれ分けて考えてみると結構いろんなことが判断できる。
いろんなことが整理がついてくるっていうところがあって、特にビーング的な部分っていうのが、僕たちで言うと、今回も考えるところで言うと、男性性っていうところを考えるときに、
ビーングっていう部分が考えること、ビーングを語ることっていう能力がなかなかないんじゃないのかな。
そこをもうちょっと見つめ直さないといけないんじゃないのかなっていうところが、一つのベースとなる出発点というところであるかなっていうのがあるね。
これまでちょっとないがしろにしちゃっていた部分とですね。
で、自慢話でも無優伝でもない一般男性の話という著作は、
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具体的にそれぞれいろんな男性たちが、ビーング的なことをどう討論するのか、どう話すのかっていうことを具体的に記録していった本って言ってもいいかなと思ってるんだけど。
そうですね、インタビューというか、記録ですね、本当にたくさん。
具体的にいろんな人の話が出てるので、具体的なエピソードからいろんな問題、なぜかつながっている、共通している問題みたいな話っていうのが浮かび上がってくるっていうところがあったりとかしていて、
その辺をね、いろいろ考えたり、悩んだりしながらお話ししてるっていう感じが私たちではあるんですけれども。
今回は渋谷智美さんというですね、現在東京経済大学全学共通教育センター教授である研究者の方って言っていいんですかね。
そうですね、想定で問題ないと思います。
ジェンダー及び男性のセクシャリティの歴史っていうのを研究する方と共編著っていう感じで、
こっちらもですね、言ったら対談形式っていう感じで進んでいく本になっておりますね。
で、清田さん渋谷さんと将後とのゲストっていう感じでお話をしていくっていう感じなんですけども。
清田さんの著作以外にも僕たちジェンダーに関わる本っていうのは取り上げてきていて、
その中で竹田佐徹さんのマチズムを削り取れを取り上げたことがあるんですけれども、
今回には竹田佐徹さんもそのゲストとして参加っていう感じでお話に参加されてて、それが記録されてるって感じですね。
そうですね。
で、他にもみんな基本的には研究をやってる人っていうのが多いのかなっていう方々に、
それぞれ自分の研究されてる分野と、清田さんと渋谷さんでお話ししていって、考えていくっていう感じの本になっているかなと思います。
そうですね。男性学とかジェンダー系の記事を読んだことがある方だったら一度は名前聞いたことあるような、
そうそうたる方々がね、順繰りにお話ししていくっていう形の本ですね。
なので、はじめに言うと語り口としては交互なので、対談形式なので、非常に読みやすい本になってるんじゃないのかなと思います。
そうですね。
あとやっぱりずっと本読んできてる清田さんが、やっぱり自分自身の経験とかと絡めて話されることが多いから、
そういった意味でも、自分自身と清田さんが重なる部分があって、質問に対する回答が返ってくるっていうような感じで、
自分と照らし合わせて考えられる部分が多いから、そういった意味でもあんま置いてきぼりにはなりにくいかなと思いますね。
うん。いや今回思ったけど清田さんって、自分の本とか、あと桃山翔治清田さんがね、主催っていうかまたやられてる団体というか、
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っていうところのポッドキャストとかでもそうなんだけど、すごいその自分の話をセキララにしてくれるやんか。
いやほんまにそうなんですよ。僕この本読んで改めて、やっぱその前半の清田さんと渋谷さんがメインに喋られているところも本当にすごいですよね。
自己開示が。
いやすごいよな。ここまで言ってくれるのっていうのが、なんか毎回思うんだけど、今回も聞いたことない話?
どっかではされてる。俺が読んだことないだけかもしれへんけど、されてるっていうのがあって、いやすごいなーと思って。
なんかそこが清田さんの信頼できるところっていうところに、僕としては思っていて、ここまで言ってくれてる人がいるんだったら、読み進められるなーっていう感じがして。
いやそれは本当にそうですよね。カッコつけてないっていうのはすごく信頼できるところですよね。それが一番最初にあるっていうのも含めて、本当にいい本だなと思いますね。
そうねーっていうところが良かったりするし、あとお気持ち的な部分で言うと、読んだ後の、これでジェンダーに関わる本、心のすなじで特集して5冊ぐらいになるのかな?
うん、ぐらいですね。結構いきましたね。
勉強することで、ある種フェミニズムだとか、ジェンダーに関わる勉強したっていう自負みたいなのが、また一つ自分の武器みたいな感覚になってしまって、逆にそこで追われてたようなマッチョ性みたいなのに回収してしまうことがある恐れみたいなことを僕は前話したことがあるんだけど。
そういう知識を持ってるぞということでまたマウントを取ってしまうっていうね。
っていうことがあったりして、そこは気をつけたいなと思うんだけども、そうも思えないぐらい毎回大きく男性性の問題点みたいなのが出てくるんだけど、具体的に上がってくるエピソードであったり、細かな問題点っていうのが全然やっぱ違うわけ。毎回本読むたびに。
うーん、そうだね。
だからそのたびに、毎回喰らうっていうか。
そうやなー、なんか特に今回は本当にいろんなジャンルの専門の方々が来てるから、読んでさ、新しい知識を得たっていうよりも、「ああ、もっと勉強しなきゃ!」っていう気分になったかな、特に今回は。
うーん、これなんでこんな喰らうんだろう。
うーん、まあ語り手の人たちがやっぱり多いっていうのもあるやろうし、それに正直言ってここに来られてる方、それこそ武田沙鉄さんの本とかは特集したりし読んでるけど、読んでない方の本の著者の方もたくさんいるわけで、でも渋谷さんとかはちゃんとそういう方々の本読んだ上で語られてるのもあって、ちょっと読んでから読み直したいなっていう気分にもなるしね。
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そうだね、だからメインで語られてることの話。まあ言ったらこういうことをされてて、改めてどう思いますかっていう話が展開されるので、そのメインで書かれてる本とか活動っていうのもちょっと勉強したいなっていう本でもあるよね。
そうそう、だからなんかより知識を得たっていうよりは世界が広がって読む本が増えたって感じがしますね。
そうだね。まあでもそれは今あることだから、今ってやっぱみんな余裕ない人が多いから、おっきい問題があると、いやもう全部いいやんみたいなこと言う人多いなと思うんやけど、しんどいからもう受け合わんとこうやっていう判断になる人が多いと思うのね。
もうシャットアウトってこと。
そういうこと多いなって思ってて、同世代でも上の人でも下の人でも。でも俺やっぱそこ諦めたくないから、こういうエピソードを収録して言ってるわけで、めちゃめちゃ喰らったけど、諦めないようにやっていきたいなというお気持ちにも喰らった中の一つの何かとしては思ったかな。
あーそうね、確かにな。スパッとさ、もう気にせんでやったらええねんみたいなさ、そういうのに飲まれたくないよね。
飲まれたくない。
ちゃんとくよくよしてちゃんとウジウジして考えたいというか、やっぱそういう作業って必要やからね。
今俺が喰らってることっていうのは、しんどいけどちゃんと向かっていけるもんだっていう、そういう肯定はしてくれてるようには感じて読んでね。
そうですね。
だからそういう人のために書いてくれてるっていうところもあると思うから、まあショックではあるやん。自分が当てはまる問題点みたいなことを読むっていう行為って、僕の中ではちょっとまだダメージがある感覚、ショックな感覚っていうのはあるとは思うんだけど、
まあでも、そのショックを与えるためだけではないから。なぜならそれがいろんなことにつながってるし、いろんな加害を生んでしまってるかもしれない。
自分が有意な立場にいるかもしれないっていうことを言葉にして伝えてくれてるってことやからっていうふうに、整理して考えるために言ってくれてるからという感じで、なんとかって感じであるんだけど。
まあ、お気持ち的な部分であるとそんなことを思ったかな。
ちょっとそれぞれの章のところで、具体的にここでこう思ったっていうところを、僕とてらたちさんでそれぞれ紹介していってっていう感じで進めていきたいなと思います。
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僕はやっぱり、第1章、第2章っていうところが特に刺さったっていう感じだったんだけど。
第1章、清人さんと渋谷さんの対談っていうところなんだけど、男子バキバキ能からの脱却。自分の体はこういうものを喜ぶを知ろうっていう章なんですけど。
すごいがてんがいったところっていうのが、自分の体をケアしないのがいいって男性的に思ってるっていう話があって。
ああ、確かにそうやなっていう、なんかこう、何か貫かれた感じが一つしたんだけど。
まあその感覚は僕も正直かなりあるかな。
自分の言ったら見た目とか身体っていうことに意識があんまいってない状態で読んでたんだけど、ここを読んだときに、あ、まさしくさ、自分の身体ってことをそんなに意識してない自分みたいなところにこう読みながらぶつかったみたいなところがあって。
これまでメンタルでは考えてたけど、フィジカルの問題としてね。
ああ、そうそうそう。で、そうやなって。で、改めて考えると、フィジカルとして自分の体をケアするみたいなことってすごい薄いなっていうのは思ってて。
それはね、まあ僕もほんまにそうやし、なんかその自分の体の不調とかにすごく鈍感にどんどんなるべくしなっていってるというかさ。
で、なんか思ったのは、やっぱ鈍感であれっていうことがいい、素晴らしい、かっこいいみたいな擦り込みみたいなんてあるなーって思ってて。
うーん、あるね。なんなんやろ。
それこそ、男の子は泣くなみたいな言葉でもあるとは思うんだけど、僕が思ってたのはシングルドラマンっていう映画で。
はいはいはい。
まあいろんなハラスメント的な問題があると僕は見ながら思ったんやけど、長谷正美さんがね、出てるんですけど。
いろんな、まあ言ったらシンゴジラと同じような感じで、現代にウルトラマンとか異星人が出てきたらみたいな感じなんだけど。
なんかその中でこう忙しすぎて、長谷正美さんがプロに入れないっていうのがあるんだよね。
で、その匂いを嗅ぐみたいなシーンもあったりとか、結構いろんな、うわーって思うところがあったんだけど。
なんでわざわざこういうことするんだろうって思ってたわけ。
あー、そうね。
で、フェティッシュ的ななんか、ある種こう、圧を与える的なやり方としてやりたいんかな、嫌だなーって思ってたんだけど。
これが、演出の意図としてどうかは分からへんけど、多分これって、めっちゃやってる人は風呂とか入らへんみたいな。
身体に無頓着であるぐらい頑張ってるんが、かっこいいみたいな価値観から、こういう演出をしたんやなって思ってんか。
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あー、なるほどね。
うん。
まあ、一種のその威嚇みたいなものとして、風呂に入る暇もないほど頑張ってるぞっていう。
なんでかな、威嚇なんかな、ちょっとそこはまた分かんないんだけど、そこまでかは分かんないんだけど。
そんぐらいこう、多分没頭してることみたいな。まあだからそれこそ、ケアしないまでにやってる。
身体を気にするって言ったら、周りを気にしないぐらいやってるっていうことが、いいよねみたいな感じの思想みたいなのが多分ベースにあって、こういう演出をしちゃったんだろうなっていうことに気づいたんよね。
あー。
なんやろうね、でもなんかそういうのってさ、社会人になってからって言うよりもっと学生ぐらいからさ、ほんまにすり込まれた感覚あるよね。
うん、あるあるある。
寝ずに何かやり続けるとかもそうじゃない?一睡もしてないっていうこととかもそうやし。
うん。
なんかそういったもの、自分の命削ってますとか、身体をケアせずに、そういうことをせずに、一個のことに打ち込んでますっていうことがかっこいいっていうことが、なんかこう歪み歪んで、ケアしないことイコールかっこいいみたいなことになっちゃってるんかな。
その話をすると、自己犠牲みたいなところいいよねみたいな話も乗っかってきたりとかするとは思うんだけど。
あー、そうやな。
まあまあ、なんかそんなことも思ったりもしてて。まあでも、それって全然、いやそれはケアした方がいいよねっていう話ではあるなと思うし。
でも、この本で語られてるようなところで言うと、たぶんそういった自分を見つめるっていうこと自体が、ある種ちょっと怖いみたいなところはあるんじゃないのかなっていうふうには僕は読んでて取っていて。
自分の身体を見つめるっていうことの恐れみたいな。で、僕個人としては、前もココロンスタジオでお話ししたことがあるんだけども、自分の身体に対してすごいコンプレックスがあるのね。
これ清人さんも、女性的な本当は可愛らしいものが好きだけど、なかなかそれが…みたいな話をされてたけど、そこに近くて。
僕は、親父が教育に介入してくる、教育をしなかった父だったので、母と姉2人というのが自分の育つ家庭っていうのにはいたっていう感じだったんだけど、そこの影響っていうのもあって、やっぱり女性的なものをすごい好きだったんだよね。
それはこそ少女漫画にしろ、いろんなものにしろっていうものが好きだったし、クイアな文化というかっていうものとかもすごい好きだったんだよね、歳を重ねるにつれて。
で、なんかそういったところに出てくる男性っていうのの身体っていうもの、絵だったら描かれているものっていうのと、自分の身体っていうのがすごくかけ離れてるなーって思ってて。
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そういったところに出てくる男性の身体っていうのは、なんかもっと細くてスラッとしていてて、自分のフォルムとしてはすごくゴツゴツとしていて、太くて短くてっていう感じの、本当に反対側の身体みたいなのが出てくるのが多いなと思ってて。
で、そういうものが好きだからこそ、自分の身体ではこれが好きっていうこととか、それを例えば纏うこととか、好きだって表明するっていうことが許されないことだと思ってたんだよね。
あー、なんか、うーん、そうだなー。
実際、まあそういう人がより目立って見えるってことなのかもしれんけど、好きな人らもちょっとそういう雰囲気の人らが多いから、なんかよりちょっと自分との乖離を感じてしまう部分が、なんか僕の中でもあるかな。
なんか言ったら、そういうカルチャー的なパーティーであるとか、そういうものがクラシックとされてるイベントとかに行ったりすると、やっぱそういう、ある種高度的に、そういうフォルムの服であったりとか、化粧であったりとか、髪型であったりとか、まあ身体的にそういったところをちゃんと纏ってくる人みたいなのが結構、目立って見えるんだよね。
まあ、目立って見えるっていうのがあるんかな。
で、やっぱそうなると、あ、この人はこういったことが好きっていうのもちゃんと申し語的に許されてるけど、僕も同じくらい好きだと思うけど許されてないなーみたいなことがすごい強烈なコンプレックスみたいなのがあって、うーん。
細いスキンにジーンズ履きたいけど、ああ、俺の身体では許されないフォルムになっちゃうなー、だから履けないなーとかもあったし、なんか無理やり痩せて、痩せてたみたいなこともあったんだけど。
でもなんかそこで改めて、そこで嫌なのって、自分の理想のしてるものとある自分の、とのすごい乖離っていうか、自分の身体を見つめるっていうことが怖かったんだと思うのね。
ああ、そう。
うーん。
異なる、憧れとは異なる自分の体と向き合うっていうのがね。
そうそうそう。なんかだからそこは、そこで受け止める術みたいなのを持ってばよかったし、別に好きなようにやってもよかったなーとは思うんだけど、なんかそういう恐怖感あったなーっていうことを思い出したりもしてたし。
うーん。そういう時って、なんかあと笑われるんちゃうかとかそういうのがあったかなー。
ああ、そうそうそう。
恥をかきたくないっていうね。
うん。そこが第2章に、未達の感覚っていう言葉が出てくるんやけど、これは西井さんっていう方がお話しされてて、えーと何て言ったっけ、ひもて研究会みたいなのやってあるやんな。
うん、っていうのをされてる方ですね、西井さんは。
僕らのひもて研究会っていうのをやってる西井さんが、未達の感覚っていうのを言ってくれてるんだけど、そこともすごい繋がるところがあって、この未達の感覚っていうのは、抽象的にイメージされた1人前の人間に達してないっていう感覚の話なんだよね。
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うん。
いわゆるその、ひもての男性みたいなのといろいろお話し、合授会的にお話しするみたいな会をやっておられるんだけども、なんかそういう中でこう、自分たちが1人前の人間じゃないからダメなんだとか、1人前の人間に達してないんだっていう感覚をすごい共通してみんな持ってるっていう話があって。
うん。それによって自分を責めているっていう人ですね。
で、そこの責めが自分以外じゃなくて、例えば女性とか子供とか、弱い立場の人に反転して攻撃的になってしまうとか、そういったことがあったりもするっていうところもあったりすると思うんだけど、この未達の感覚っていうのも、ちょっとこれは解釈を変えてしまってるけども、
僕はそういう身体としてこう、ある種1人前に許された身体みたいなのを多分持っていて、そこに達してないから強烈にコンプレックスを感じてるみたいなのがすごくあったと思う。
あー、そうなのか。
うーん。
なるほど。まあそういう感覚。だからその、タイプが違うなーとかっていう感覚もあるかもしれんけど、それとは別で、なんかこう達していないっていう感じなんだよな。
うーん、そうそうそう。
完成されてないというかさ、劣っているみたいなことか、まあ嫌な言い方をすると。
だから僕はここに、で言ったらステージに立たないと始まらへんやんか。
うん。
だからそこのステージにも立ってないから僕には発言する権利がないし、そのところにも立場にもないみたいなところで、結構いろんなことを抑えて、それが添加して満たされている男性とかに対して攻撃的になったりみたいなこともあったなーっていうのを思ったりもしてる。
うーん。
だから、見た目だけやんけみたいなことも言ったこともあるし。
あー、なるほどね。
いまだにたぶんちょっとその辺は剥がせきれへんとこみたいなのはあるかなー。
うーん、なんかでもほんと身体的なことってほんとに難しいよね、そこは。
だってさ、その自分がさ、得られなかったもの、生まれ持ってるものをさ、もう当たり前のように持って生きてる人もいるわけじゃないですか。
当然その自分自身の見た目とかにケアしてるとかっていうことは当然あるとは思うんですけど、なんかそこってやっぱ嫉妬せざるを得ないやん。
そういう人がさ、自分の隣にずっと居続けたりとかしたら、どれだけ自分がほんとに、その嫉妬とかなしにその人と接することができるのかっていうのって、徐々にしか難しい気がするな。
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てらだがそう考えてくれて非常にありがたいんやけど、し、個人が持つコンプレックスとしては大きな問題だと思うんだけど、でもこれ、今回の本でも繰り返し出てて当てはまると思って、超怖いんが、
俺は実際に笑われたり、他人に具体的に言われたことはないの。それを。
あー、なるほど。
だから、勝手にそう思われるんちゃうかとか、そう言われるだろうとか、そう言ってるっていう被害妄想的に、そういったコンプレックスを勝手にこじらせてんの。
あー、なるほどね。
そこに気づいてしんどかったなぁ。
なるほどな。
いやそれはね、すごく僕が過去話したことある友達とかでも、そういう感覚になっちゃってる人っていうのは確かにいたわ。
なんかそういう風なコンプレックスがあって、やっぱそういうことを他人から言われるんやって言ったら、いや言われたことはないねんけど、そういう気がするとか、そういう視線を感じるとか、やっぱりそういう風に自分の中でこう、自分自身を責めさえいなんでしまうというか。
被害妄想気味になっちゃうっていうのはね。
ゼロではないかもしれへんねんかね。
うん。
そういうニュアンスじゃないけど僕が受け取ったとか、ちょっとあったかもしれへんけど、でも多くの場合は別に具体的に言われて刺さったみたいな経験はないので、そういったことだったんだろうなと思ったりとかもするし、新たな発見で言うとそういうとこかな。
あのさ、渋谷さんがさ、日本の法刑っていう本を出してるんだよね。
うん。はいはい。
で、それってその、いわゆる法刑がカッコ悪いみたいな、80年代ぐらいにタカスクリニックとかを中心とした広告とかで作られていったそういう話。
もう1個あって土着的な恥ずかしさみたいな話っていうのと、2つあるみたいな話ではあるんだけど。
っていうのがあって、なんかそれって、で、実際に女性に法刑をどう思うかってアンケート取ったら、別に気にせえへんっていう答えがほとんどっていう話が出てくるやんか。
で、なんかそれってだから言ったら、今回この本でもいくらでも出てくる、勝手な女性像みたいなのを作って、そこに対して怯えたり、攻撃的になったりみたいな話があって。
いやでもね、やっぱそういうメディアの罪、そういうの話出てくるんだけど、メディアの罪って本当に重いよね。
そこはね。
僕、高校生以降ぐらいからかな、ずっと塩顔って言われるものが流行ってて、色白であっさりした顔の男性っていうのが人気屋っていうブームじゃないですか、まあ今もそれだと思うんだけど。
で、僕どっちかっていうと肌は黒くて、顔が濃い方やから、だからもう基本僕の顔のことみんな嫌いなんやろうなって思ってる時期あったもん。
27:07
そうなんなー。
まあもちろん人気はないかもしれんけど、でもその全員が全員そう思ってるわけじゃないじゃないですか。
なんやけど、そういう世間のメディアからそう言われてるから、ああじゃあ自分全然ダメやわって思ってもって、なんかこうひねくれてしまうとかね。
それが転化して攻撃的になったりとかいうことも、もしかしたらあるかもしれんし、人によっては。
ただ、それがどういうふうにそれが醸造されてきたのか、で、どうそう思ってしまうのかっていうことをこの本とかでは色々語ってくれてるので、
その辺は読んでそれぞれ考えてみると、どうすればいいのかっていうのはなんとなくは見えてくるかもしれへんなとは思っている。
まあでもやっぱりみんな何かしらそういうコンプレックスとかはあるやろうから、
今まあこういう話聞いておーって思った人は、ぜひ読んでいただきたいですね。
Cさんの章。
心のすなじ。
心のすなじ。
寺田さん、響いたところを教えていただけますでしょうか。
はい。僕が響いたところは、
第4章の男性が乱用しがちな構造的な優位とは、その優位を利用しない手立てを考えようというゲストとして平山涼さんという方が来てるところなんですけれども、
この平山さんが語られてるところは僕はもう本来に、ああなるほどとか、ああそういうことかみたいな、もう響きまくったんですけど、
特に僕がその構造的な優位っていうところで、僕も本来に無自覚やったなっていうのは、
男性自身っていうのが構造的に持ってる自分の優位性、構造的に優位にあるものがその優位を利用して何が悪いんですかっていう価値観を持ってるっていうところなんですよね。
ほんまに無自覚にほんまにそうやわと思ってて、例えば、強者に立った時に自分はそこまで上がるのに努力をしてるねんから、
その時に生まれるこの優位性っていうものは、当然努力の対価として行使していいでしょって無意識のうちに思っちゃってるかもって思ってる。
おー、なるほどねー。
で、自分が今、例えば下の立場でやって苦しいと、上から圧力がかけられる、不当な圧力がかけられて苦しかったとしても、
自分が上に上がったらその圧力をかけられる側の立場に回れるから、その、なんていう、おかしな優位性が構造上あるってことを指摘しないまま進んじゃうっていうね。
男性優位社会ってのはそういうのだっていうふうにおっしゃられてて、まさにそういう通りだなと思ったし、
しかもそれが、例えばそのある自分自身が弱者から強者に回ることができるような立場だったらいいけれども、
30:06
男性女性っていうのは、男性優位社会では女性っていうのは優位に上がることができないわけじゃないですか。
そういう時に自分はその構造上で得てる優位性やのに、女性側に圧力をかけることに何の違和感も持ってないっていうところが、
僕もほんまにそうしちゃうかもっていうのであって、例として挙げられているところとしては、
もうちょっと家のことを男性側にやってほしいっていうふうに女性が主張した場合に、
だったら俺と同じくらい稼いでこいよ、みたいなことを言うっていうのは、男性優位社会においては男性の方がより稼ぎやすい立場なわけじゃないですか。
そういった優位性があるにもかかわらず、その優位性を利用して何が悪いっていう考えがあるから、
明らかの不平等なのにそういう主張をしてしまうっていうことなんですよね。
そうねー。ここさ、後半でさ、データで、
労働時間っていうのは、県とかによってそれぞれ平均の労働時間みたいのは違うんだけど、
男性が働いてる時間って言うのはそれぞれ違うけど、家事育児の時間に使った男性の時間っていうのはほぼほぼ一緒っていうさ、
すごいグロテスクなデータが後半出てくるんだけど、すごいショックだったな、これ。
で、何やってるかっていうと、みんなスマホとかでいろいろ見てるっていう、その時間。
だから結局時間できても、家事しないじゃんっていう。
そうそうそうそう。っていうのがあって、ほんとそれってそういう、言ったらジェンダーロール的なものの乱用やんか。
うんうん。
っていうところが、やっぱ具体的なデータっていう、その後出てきたから、余計、ああーってなったかなー。
そうだなー。まあちょっとさっきの話に立ち替えるんですけど、その就職にしても大学とかにしても努力はしてるじゃないですか。
うん。
僕らも。だから、その構造上優位になってるだけやったとしても、自分が努力して得た優位やと思ってしまってるなって思ったんですよ。
うーん、そうだねー。
うん。男性がまあやっぱりその自分の優位性に無自覚なのって、優位であるからゆえにっていうところなんですよね、そこが。
うーん。
だから、えっちょっと待って、それ本当に、自分、この優位性によって得られたものじゃなく100%自分の努力で得たものって言える?っていうのを、自分に問い続けたいなっていうのをすごく思いましたね。
気づきにくい構造っていうかさ、まあその構造自体に気づくことってすごい難しいんだろうね、今、生きてると。
言われないとわからないし、しかもまあこれだけ男性社会って言われてる中で、周りが男性ばっかりやったらより気づかないだろうし。
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うーん。
なんかその根本的な部分っていうのを、なんかすごく自覚させられた。
うーん。
だなーと思いましたね、ここについては。
なるほど。
平井さんが語られているところで、もう一個気になったところとして、ハイブリッドな男性性っていう単語が出てくるんですね。
これがどういうものかっていうと、男性学の中で使われるようになった言葉らしいんですけれども、
例えば男性が家事・育児をする時間が生まれるようになってきたら、それが表面上はやっぱりこの男性が変わったように見える。
良い方向に変わったように見えるんだけれども、それってようやくこのフラットになった状態になっただけじゃないですか。
うーん、そうだね。
すごくポジティブな評価を得られるけど、ようやくそのフラットに働きもするし、家事・育児もするっていう状態になっただけなんですね。
うーん。
で、一方女性の方っていうのは、ずっとその家事・育児っていうのを主にさせられている人たちが、
じゃあ仕事もより半分はやるってなったときに、「え、家大丈夫なの?」とか言って逆にネガティブな評価をされてしまう。
同じ方向に向かっているのに全然平等じゃないんですよね。
っていう中で、そういう男性の方はポジティブな評価を得られるから、それを目くらましにして、なんかいろんなこと、そういった問題とかをうやむやにされてしまう。
いや頑張ってんじゃんっていうことで、ようやくフラットに戻ってるだけやのに、いやめちゃめちゃ頑張ってるっていうので、こう評価されてしまうっていうことが問題になってるんですけど、
僕はこれは本当にそうだなっていうふうに、僕の中で驚きっていうか、特に共感した部分なんですけど、
うーん、今暮らしてる中で料理とかは、特に今暮らしてるパートナーが忙しいっていうこともあって、ほぼほぼ僕が今やってる状態なんですけど、
なんかそういったことを清田さんがこの本の中で言うと、それがまたバウント取りとかになるっていう話をされてるんですけど、そういったことに使いたくないんですよ絶対に。
うーん、それによってようやくフラットになるわけなので。
で、なんかそういった話を一回職場でした時に、話の流れで僕が料理を主にやってるっていうのを言った時に、
同じ職場にいる40代ぐらいの女性の方が、別の男性の社員、僕の同期の人に、もっと料理した方がいいよみたいなことを強く言ったんですよね。
だから僕自身はそれでマウント取りに使いたくなかったんですけど、他社によってこのマウントが取られてしまって。
で、それでその子は確かに料理とか全然しないんですけど、実家暮らしで自分の給料のほとんどを家に入れてるんですよ。
で、家族もそれに満足してるから、別にその無理に料理する必要はないんですよね。
なんですけど、行動でマウントを取られてしまうっていうのは、なんかやっぱこの男性化・家事をすることによるこの課題評価というか、
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このハイブリッドな男性性で語られているような、すごいポジティブな変化に移ってしまってるなーって思ったんですよね、社会的に。
もちろん素晴らしいことだし、必要なことなんだけど、
これよく単純にそれだけやってるからOKみたいな感じに転化しちゃったりとかさ、言う人も出たりするっていうのもあるだろうし、そこをすごく評価することによって。
たぶんやりすぎかなぐらいやってようやくフラットだと思うんですよ。
で、なんかその話から繋がってなんですけど、第6章で竹田さてつさんが、例えばある人の家に行ったときに、
家の中で、まあ例えば夫婦の方がいたとして、男性が夫側が妻にちょっと上からな物言いとかをしてると。
まあ旗から見るとよくないけど、その二人にとってはそれが合意の取れた形になってるって言ったときにどうすればいいかみたいな話をしていて、
その中で二人がいいなら全然いいけれども、それがスタンダードじゃないからねっていうのは忘れちゃいけないっていうようなことをおっしゃってて、
ほんまにそうやなと思うんですよ。
そうだね。
僕の会社の動機は合意取れてるわけで、無理に料理する必要ないんですよ。
ただ、男が外で稼いで、家のことは女の人がやるっていうのがスタンダードになっちゃいけないだけっていうのをやっぱ忘れちゃいけないんですよね。
ただいろんな生き方ができるようになればいいっていうところを、なんかやっぱそれも忘れちゃいけないなってすごい思ったんですよね。
そうだね。
なんかこの中でも、そこでさ、ちょっと待って、これ良くないみたいな感じで、
その話をするって、もうその場を壊してしまうことになってしまうから、できないよねっていう話も出てきて。
そこは僕めっちゃ好きなんですけど。
でも実際、例えばこういう本を読んだりとかして、そうだ頑張ろうとか思うけど、もちろん社会はみんながこの本を読んでくれてるわけではなくて、
本当は読んでほしいんだけどね。
そういうことって、今まで僕もジェンダーの本とか読んできて、すごい直面すんのね。
うーん、そうやな。
うん、言いたいけど、ここを壊してしまうことになるからみたいな。
まあでも、そういうさ、スタンダードではないよっていう、そういったふうにも思えるってことは、まあ一つの、なんていうか、
諸星術じゃないけど、一つの態度としてこういうことはできるよなとは思わせてくれたかな。
そうやな。だから僕はその場では言えなかったけど、いや別に僕がスタンダードなわけじゃないし、君がスタンダードなわけでもないから、
お互いのパートナーとかが満足してるんやったら、別に良くないっていうのを言えるなら良かったんやけど、
そこまで頭がまだ回ってなかったね。
うーん、なんかすごいね。
というところは読ましたね。
いろんなことがね、語られている本ではあるんですけれども、まあ章ごとに、触れてない章でもね、
いろんなお話がありますので、それぞれ本とか出されたりとか活動されてる人がゲストというか出られているので、
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この本を出発点として、いろんな興味のあることをちょっともうちょっと読んでみようかなとか、勉強してみようかなとか、
話し聞いてみようかなっていうところとかにもこう、繋がってくるような本になってるんじゃないのかなとも思いましたね。
そうですね。
ぜひともね、出たばっかりなんで、いろんな書店で買えると思いますので、手に取ってみてください。
ぜひともよろしくお願いします。
ツイッターでの投稿はハッシュタグKOKASUNAです。よろしくお願いします。
ツイートしていただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
また本編で出てきた固有名詞などはノートにはご収録ありますので、そちらもご覧ください。
ノートのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。
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