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2024-01-09 19:21

良書紹介【自分の小さな「箱」から脱出する方法】

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#自分の小さな箱から脱出する方法 #書籍紹介 #スピリチュアル #我と汝 #哲学 #人間関係
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こんにちは、カズです。
すみません、前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、
久しぶりに音声を録って配信していきたいなと思います。
今日は初めての試みですけども、本の紹介をしたいかなと思います。
おすすめ本の紹介ですね。
すごく良い本なので、スピリチュアルな本ではないんですけど、紹介したなと思った本が、
【自分の小さな箱から脱出する方法】っていうタイトルの本です。
これ、スピリチュアル本ではなくて、一応ジャンル的には自己啓発本になると思うんですけど、
人間関係の本なんですけども、めちゃくちゃ良い本だと思います。
すごく良い本だなと思って感動したので、母親に1冊買ってあげてプレゼントしたら、
母親もすごい喜んでくれてですね、職場に5冊買って周りの人に配ったっていう感じの、
そういうパワーのある本なんですけども、どんな本かっていう説明がちょっと難しい本なんですけど、
要はエゴについての本です。
タイトルのね、【自分の小さな箱から脱出する方法】っていうタイトルなんですけど、
この自分の小さな箱ですね、箱っていう、エゴのことなんですよね、この箱っていうのが。
僕はエゴの状態にあることをエゴってるとかね、今エゴってたなみたいなね、エゴってるっていうことがあるんですけど、
僕がエゴっているっていうことを箱に入っているっていう風に表現していて、形容していて、
人間は愛か恐れのどちらかだみたいなね、
モチベーションは愛か恐れのどちらかなんだよ、二者卓一なんだよっていう音声を以前も取ったと思うんですけど、
真実はその愛か恐れしかないんですけども、恐れっていうのがエゴのことですよね、エゴってるってことですよね。
この本でいうとそれが箱に入っている、箱に入っているのが恐れの状態、逆に愛の状態の時は箱の外に出ているっていう風に表現されています。
繰り返し言うんですけど、この本は別にスピリチュアル本ではないので、
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現実的な、常識的な世界観から、でもこの愛と恐れの話にまで踏み込んで書かれている、結構稀有な本でして、
読んでいるとすごく面白いと思います。
どんな感じの本かっていうと小説です。小説仕立てになっていて、主人公の男の社員の人がいるんですよね。
個人としての成績はすごく優秀な人なんですけど、でも自分の優秀さのせいでというかね、
自分が優秀なんだけど周りの他の社員のことをすごい見下して、お荷物でのろまな奴らだくらい思っている、
そういう主人公、トムがですね、ある日上司から呼び出されて、なんか出世の話なのかなと思って言ったら、
実は君には問題があるって言われて、その会社のですね、箱の理論に関するレクチャーを受けるっていう、そういう話になっています。
その時、この主人公トムが言われたのがですね、君には問題があるんだ。
君自身はその問題に気づいていないんだっていうことも言われます。
君は自分が自覚しているよりもずっと多くのダメージを実は会社に与えているんだよっていうことを言われます。
そこでこの主人公のトムはですね、すごく面食らうわけですね。
自分はすごく優秀な社員で会社に貢献して、実際個人としての業績も高いのに、なんでそんなことを言われるんだみたいにね、思うわけなんですよ。
自分はすごく優秀な社員だっていう、そういう自己認識を持っているトムに対して、君には問題があるっていう、上司のバドっていう上司がレクチャーするんですけど、
そのトムに対してですね、イグナーツ・ゼンメル・ヴァイスの話から始めるんですよね。
このイグナーツ・ゼンメル・ヴァイスっていうのは、1800年代のハンガリーのお医者さんの名前ですね。
酸化病棟のお医者さんです。
君はそのイグナーツ・ゼンメル・ヴァイスっていう名前を聞いたことがあるかいっていう風に最初切り込むわけなんですね。
このイグナーツ・ゼンメル・ヴァイスさんのエピソードも結構ドラマティックで面白いんで、紹介したいなと思って簡単に言いたいんですけど、
1800年代のハンガリーの酸化病棟のお医者さん。
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ウィーン総合病院に勤めていたそうなんですけど、
その当時、三軸熱っていうのがすごいめちゃくちゃ流行ってたらしいです。
三軸熱っていうのは、出産後に子宮とか三胞とかに細菌が感染して、それで炎症を起こして感染しちゃうっていう感染症のことなんですけど、
ウィーン総合病院では三軸熱が猛威を振るってたらしいです。
どのくらいかっていうと、ゼンメル・ヴァイスさんが勤めていた第一病棟の三軸熱による妊婦さんの死亡率が1割にも上ったそうです。
つまり、出産を控えて、出産のためにその病院に入院している妊婦さんの住人に1人が三軸熱にかかって亡くなっていたという状態だったらしいです。
1800年代の当時は三軸熱っていうのは出産の宿命みたいに思われていたらしいですね。細菌とかの概念がなかった時代です。
でもゼンメル・ヴァイスさんはここで奇妙なことに気づくんですね。
というのも、ゼンメル・ヴァイスさんが勤めていた第一病棟の三軸熱による死亡率は10%程度だったんだけど、それに対して隣り合っている第二病棟っていうのがあって、その第二病棟での死亡率は1%から2%くらいだったらしいんですよね。
つまり第一病棟と比べて5分の1とか10分の1とかくらいの死亡率だったらしいです。
ここにすごいゼンメル・ヴァイスさんはなんでだろうなって思うわけなんですよ。
2つの病棟は場所は隣り合わせだし病院の作りもほぼ同じなんですよ。
でもこれだけ死亡率に開きがあると。
これはなんでなんだって思って。
ゼンメル・ヴァイスさんはここで徹底的に解明してやると意気込んで、徹底的に死体解剖の研究をやり始めるわけです。
当時はウィーン総合病院というのは研究病院であったので、研究のために死体解剖をやっていたらしいんですよね。
ゼンメル・ヴァイスさんは三軸熱の死亡の謎を解明するために、意気込んでどんどん死体解剖の研究に精を出して調べていったんですけど、
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なぜかですね、不思議なことにゼンメル・ヴァイスさんが熱心に死体研究をすればするほど、三軸熱での死亡率はどんどんどんどん増えていってしまったんですね。
これでなんでなのかなってゼンメル・ヴァイスさんは思うんですよ。
第一病棟の死亡率は10%、第二病棟の死亡率は1、2%だったらしいです。
ここでゼンメル・ヴァイスさんは気づくんですね。
この第一病棟と第二病棟の唯一の違いは何なのかって言ったら、第一病棟で手伝っていたのが医師と医学生だった。
この医者とか医学生たちは死体解剖をやってたんです。
でも第二病棟の方は助産師さんだったらしいんですね。
なのでこっちは死体を取り扱って研究とかを行ってなかったらしいんですよ。
ゼンメル・ヴァイスさん自身もですね、彼が熱心に解剖研究をやればやるほど三軸熱での死亡率は増えていったと。
ここでゼンメル・ヴァイスさんは気づくわけなんですよね。
三軸熱の原因っていうのは実は医師自らの手によって運ばれているんじゃないのかっていうことに思い至るわけです。
死体を解剖してその不潔な手とか手術の器具ですね、メスとかね、そういったものも当時は使い回しだったんですよね。
消毒するっていう概念がなかった頃の時代なんで。
当たり前のようにそれで不潔な手や手術道具でもって人の体を切ったり何だりしてたわけなんですよ。
ここでゼンメル・ヴァイスさんは気づくわけなんです。
もしかしたらその三軸熱の原因は医者が運んでるんじゃないかっていう、
医者自らの手によって運ばれているんじゃないのかっていうことに思い至るわけなんですね。
それでその理論を検証すべく、医者たちに塩素と石灰で徹底的に手洗いをさせたんですよ。
すると立ちどころに死亡率はすぐに1%まで落ちたそうです。
これまでほぼほぼ仮説が証明されたということですね。
病気を運んでいたのは医者だった、自分自身だったっていう、こういう残酷な結論にゼンメル・ヴァイスさんは気づくわけです。
この後にゼンメル・ヴァイスさんは悲しげに言ったそうなんですね。
私のせいでどれくらいの患者が寿命を全うできずに墓に入らなければならなかったのか、まるで検討もつかない。
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自分たちが知らず知らずのうちに細菌感染を拡大させて妊婦さんたちを三軸熱に追いやっていたということですね。
引き起こさせていたということですね。
これがイグナツゼンメル・ヴァイスさんのエピソードでした。
箱の理論の話に戻るんですけど、
主人公のトムに対して、個人の成績は優秀なんだけど周りの社員のことを見下している社員、主人公トムに対してこのイグナツゼンメル・ヴァイスさんの話を上司は投げかけてですね、
組織の中でも同じような細菌がいるんだっていう話をするんです。
組織、組織体会社の中にも同じような細菌がいる。
その細菌がリーダーシップを台無しにして人間関係の問題を次々と引き起こしているんだということを言うわけなんです。
その組織の中にすくう細菌、それが箱なんですよ。
箱、つまりエゴなんですよね。
この話、最近の話からわかる通り、エゴってめちゃくちゃ感染するんですよね。
箱の話で言うと、箱に入っている人と関わると、関わった人が箱に押しやられるみたいなことが起こるわけなんですよ。
つまりどんどん感染していくみたいなことですね。
これすごく感覚的にわかるんじゃないのかなと思うんですけど、
エゴっている状態っていうのは、どんどんと他人をエゴっている状態にしていくっていうことなんですよね。
最初の方にもちょっと言ったんですけど、
愛か恐れか、その2つの状態のことをすごくわかりやすく、具体的なケーススタディを通して状況分析して、
愛か恐れの愛であることの人間関係での重要性みたいなものをわかりやすく解説している本になります。
この本の書かれ方ですと、愛か恐れの2種類の状態の書かれ方は、
人は2種類の見方で他人を見ているんだっていうことが書かれています。
それは人かものかなんですね。
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つまり、我々は人のことを2者卓一、どちらかの見方で必ず見ているっていう前提になっています。
それが人として見るか、ものとして見るかなんですよ。
これ結構言い方が衝撃的なんで、
でも言われたら、確かにそうだなって反省することになると思いますね。
人として見ている時っていうのは、自分自身と全く同じ人間なんだっていうことです。目の前の人も。
自分に感情や欲求やニーズがあるのと全く同じように当然にそのような存在として、
自分と変わらぬ欲求やニーズを持った存在として目の前の人を見るっていうことです。
それが人として見るっていうことですね。
その見方に対して、もう一個ね、ものとして見るっていう。
その見方、目の前の人をものとして見るっていうのはどういうことかっていうと、
他人を自分のニーズを満たすための道具としての評価基準で見るみたいなことなんですよね。
自分のニーズ、要はエゴのことなんですけど、
自分が大事であって、その自分にどれだけ貢献するのかっていう役割としての物差しで他人を測るみたいな、他人を見るっていう。
それが人をものとして見るっていうことです。
これが要は僕が言うエゴってるっていうことなんですけども。
そんなような、ここまで話して、ちょっと気になってきたのは読みたいなと思っていただけたらすごい嬉しいんですけど。
どうかわからないんですけどね、こんな解説で。
この箱の本、箱に入っているのか、それとも箱の外に出ているか。
この本ではそういう表現ですね。
スピリチュアルでは愛か恐れかなんですけど、その2つの状態が理論的支柱になっているというか、そういう感じなんですけど。
この人として見るか、物として見るかっていうのは、この本のバックボーンとなる理論、考え方、哲学がありまして、それは哲学者のマルティム・ブーバーっていう人の我と汝の哲学っていうのがあります。
このブーバーの哲学のね、我と汝っていう関係性が愛の状態、人を人として正しくアルガモンに見ている状態が我・汝の関係。
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対して我・それっていう、我とそれっていう見方ですね。
それが人を物として見るっていう、そういう見方。
世界にはこの2つの在り方が存在するんだっていうことを説いたのがマルティム・ブーバーの哲学なんですけど、その哲学を応用してというか、下敷きにして書かれている本です。
っていうことでした。
自分の小さな箱から脱出する方法ですね。
気になった方はぜひ一度読んでいただきたいなと思います。
エゴについてなかなか詳しくなれるというか、本当にこういうやつだよねみたいな。
面白い本だと思うんで、もし気になった方はすごく了承だと思うので、ぜひ一度読んでほしいなと思います。
ちょっと思ったより長くなってしまったかなと思うんですけど、これで今回は終わりたいと思います。
どうもお聞きくださりありがとうございました。
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