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2024-06-10 09:45

本との出会い:学校の図書室

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皆さん、本との出会いというのはどんな感じでしたでしょうかね。人によっていろいろあるんだと思いますけれども。
今ちょっとね、手元のパソコンで調べてたんですけれども、私の場合ですね、図書館が近くにないですね。
小さい時ですね、幼稚園の年中年長、小学校3年までの5年間は、私は東京都世田谷区というところに住んでいたわけなんですけれども。
世田谷区はとてもいっぱいあるんですよね。世田谷区はでかい区ですからね。人口80万人ぐらいいましたでしょうかね。
そこら辺の県よりも大きいぐらいの多い人口いますし、たくさんあるんですけれども、私の住んでた神馬というあたりは見事に何もないですね。
そうすると思い出しましたけど、たぶん一番近かった図書館が下馬図書館。神馬と下馬というとですね、地名的に近いような雰囲気が出てますけれども、
全然遠いっていうことでもないですけど、だいぶ距離ありまして、めったに行かなかったですね。とりわけ小学1年生とか行くにはだいぶ遠い、学外ですね。
ということがありまして、もっぱらだからたぶん学校の図書室で絵本を書いてましたね。
当時台本版というものがありまして、今はすっかり見なくなりましたけれども、みんな台形の木の板を持ってるんですよね。
これを借りた本のところに置くわけです。そうすると、借りた本、誰が借りたかわからないのか、借りた本の場所、ここには本がありましたよというのを木でもって代替されてわかるわけですね。
そういう仕組みがあって、それから懐かしの図書カードといいますかね、借りた本に自分の名前を書いたりというのを当時はしてましたね。
これはもう今やってる図書館は絶対ないと思います。図書館の自由宣言というのがあるので、それに基づいてですね、基本的にはそういうことはないはずなんですけれども。
当時はまだありましたね。だからあれですよ。
耳を澄ませだっていう映画がありましたですよね。あの映画なんかは、主人公の築島雫っていう女の子が、何だっけ、天沢くんとかいったかな、天沢誠二じゃないですかね。
図書館で借りる本、自分がちょっといいかなと思って借りた本に、必ず天沢誠二の名前が前にあると。
私と同じような趣味で、私よりも前に借りているこいつはどういうやつなんだっていうところから、炎からお声の物語が始まっていくというようなお話でしたけれども。
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あれね、図書館協会から文句きたんですよね。何でかっていうと、そういうのって要は天沢誠二という人がどういう本を読んでいたのかっていう個人情報が丸バレになるわけじゃないですか。
まあ個人情報の話もね、いずれちょっとするといいかなと思いますけれども、天沢誠二とか神田大輔とかね、名前だけでは個人情報にはならないわけですよ。
それは単に個人を識別する情報なので、名前出さずに生きていくことって人間できませんからね。
名前がなければ給料ももらえませんし、税金も払えませんからね。
一方ですね、それにいろんなものがくっついてくるところが個人情報になるわけですね。
なお別に氏名がなくたって個人情報は個人情報なわけですよ。
例えばマイナンバーっていうのもマイナンバー単体のですね、あれ10桁でしたっけ、12桁か、12桁の番号だと別にそれは単なる数字の裏列でしかないわけですけれども、そこにいろいろな情報が結びついてくるわけですね。
この番号の人の所得、この番号の人の病歴、病気の歴史、経歴ですね。
で、そういうふうに結びついてきたときにはそれは全部個人情報ですよ。
なので、図書館においてすごく大事なのは思想信条の自由を守るということで、この人がどういう本を読んでいたかっていうところを探るとですね、そういう人の思想信条が浮かび上がるわけです。
実際にその戦前の特攻と警察とかはですね、そういうふうにして思想調査をしていたっていう話もあるわけですよ。
こいつは左翼の共産主義者じゃないかっていうのを探るためにはですね、共産党宣言とか読んでないかって調べればいいわけですね。
そういうことをするっていうのは思想信条の自由に反するということで、図書館はそういうことはしないっていうふうに謳ってるんですね。
だから、どの人が何を書いたかっていう情報は一切抹消されるわけです。
これはね、だから今時のAmazonとかとは全然違う発想ですよね。
全て履歴は残るじゃないですか。残った履歴からむしろですね、あなたにこういう本がお勧めですよっていうふうに進めてくる場合もありますよね。
それが当たり前になってますけれども、そういうことは図書館には一切ないわけです。
どうなんでしょうね、今の人ってこういうのを見て、機能としてそういうのがあったほうがいいっていう人もひょっとしたらいるかもしれないですよね。
何とも判断は難しいところですね。ただ図書館の考え方にもやっぱり一理はあるというか、私はだいぶそっちのほうが良いんじゃないかなと思いますけれども、
逆に私たちは普段ですね、購入履歴とか図書館じゃないですね、図書の購入履歴、閲覧履歴などをプラットフォーマーに渡すことによって
さまざまな対価を得ていると。多くの場合はそれを認識していないことが問題ですね。
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売り渡しているっていうことになるわけなんですけれども、しかもそれはやりたくなければやらないっていう手段もなくはないわけですが、そもそもアマゾンを使わなきゃいいしね。
だけどそういうふうにはなっていないし、ほとんどの人が理解していないっていう状況が問題ですね。
話ずれましたけれども、設定図書室っていうのが小学校にあって、本を借りてました。
これでもどういうきっかけなのかって全然覚えてないですけどね。
多分学校で奨励されてたと思いますよ。
というのもはっきり記憶にあるのは、小学2年生の時にはですね、私が通っていた三原寺小学校では、2年1組のクラスではですね、
後ろに営業マンの成績グラフみたいなのがあってですね、読んだ冊数に応じて丸いシールを貼っていくっていう。
私、毎日3冊ペースで読破してたので、ものすごい数、グラフが伸びるんですよね。
ってことは、その本を読むこと、図書室で本を借りることを奨励してたってことですよね。
それに合わせて、私なんかは多分得意になって本を読んでたんでしょうね。
何でか知らないけど別に、中身はほとんど覚えてなくて、ただ本を読む冊数を重ねるっていうところに何かね、快感を得ていたんでしょうね。
私思うんですけれども、最近、最近なのかな、動詞の名詞化がすごく多いなと思うんですよ。
例えば、学びがあるとかですね、気づきがあるとか言うじゃないですか。
別にあれって学んだとか気づいたでも良さそうですよね。
だけどどうしてああいう言い方をするのかなと思って、私の考えなんですけれども、勝手にね。
そうだっていう話じゃないですよ。別に何ら学術的効果はないんですが。
学びとか気づきっていうふうに名詞にすると、数が勘定できるんですよね。数字化できる。
だからやっぱりこの世の中って本当に数値化してですね、そこにKPIとかを設けるっていうことが大変皆さんお好きで、そういうのに適した形で言語も変わってきてるんじゃないかなっていうふうにこの間思いついたんですよ。
これちょっと人に話したくなったんで今話してるんですけど。
気づきの数も10個とかですね、20個。
一つのウェビナー、セミナーに行って、気づきが5個あったとかっていうふうに勘定できるわけですよね。
そういうことなのかなと。
っていうような時代っていうのは、しかし昔からそうなんですよね。
私も算数化石で本を読んでたってことは正直あって、中身覚えてないし、中身はいつだって覚えてないですけれども。
あと何でしょうね。
手当たり次第に借りてたわけですよ。読みやすそうなやつをね。
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今は思えばそれにも効果はあったと思うんですね。
私結構語彙力ってまあまあ多い方だと思いますし、それもそういった培ったものがあるんじゃないかなというふうには考えて感じてますね。
いずれにしてもそうやって、図書室で本を借りるっていうのがベースでしたね。
図書室にも漫画は置いてあったんですよね。
学習漫画がごく一部だけあって、それはいつもね、生徒の間ではすごく人気がありましたですね。
その辺の話をね、次回からまた聞いてみましょうね。
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