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  2. 日常会話で噛まない理由
2024-04-02 10:23

日常会話で噛まない理由

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丸原の話で回り道が長くなりますけど、結局丸原の本質って何かっていうことをね、考えていたわけですよ。
今までの成り立ちから考えると、本来別に日本語に点とか丸とかなくて、おそらくは中国語、漢文を読むために作り出されたもので、
なおかつ明治ぐらいになってから日本語の文章にも積極的に使われるようにどうやらなったらしいもので、
これって何かっていうと、読みやすさを追求するとそうなるってことですよね。
言うまでもないですけれども、我々話し言葉でしゃべるときって、点とか丸とか言ってないじゃないですか。
私、昨日ご飯食べたんだけど、点、あのレストランっておいしいんだよね、丸とか言わないですよね。
つまり、丸原って話し言葉と書き言葉の乖離、違うっていうことを示している一つのシンボルみたいになっているかなって思ったんですよね。
丸原の朝日新聞の記事なんかには、例えば漫画の吹き出しには丸ないよねと。ないですよね、あんまね。
LINEのやりとりも丸ないよねと。そうなんですよ。
LINEなんかはなるべく短い文字数でやりとりしたほうがいいから、丸ないほうがいいですよね。
多分それで言うと、もうショートメッセージとかやってた頃から、SMSとかね、ドコモメールみたいなやつ、センター問い合わせをやってた頃から丸とかあんまつけてないと思うんですよ。
だって1GBじゃないけど、1バイトでも食うの嫌じゃないですか。文字数なんか少ないほうがいいし。
そうやって考えるとですね、もともとコミュニケーションをテキストではない形でやるっていうことに、今のテキストコミュニケーションは近づいてるんじゃないかと。
LINEとかショートメッセージとかSNSみたいなのの文字っていうのは話し言葉に近づいてるんじゃないかっていうのが私の仮説です。適当なね。
でも当たってないかな。だから昔の手紙、全力、早々、背景、敬遇とかね、書いてた頃の手紙っていうのは、これまさに全然話し言葉とはかけ離れたような文章で日本語を書いてたわけじゃないですか。
それは点も丸も必要ですよね。だからその点とか丸とかを見る機会っていうのが、言ってみれば小説の文章とか、そういうものでしかなかったわけですから。
それはやっぱり話し言葉とは違いますよね。近づける努力をしたっていうふうに言っても、それはまあまあ違うものじゃないですか。
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実際に村上春樹さんの小説みたいなことをしゃべる人っているかもしれないけど、ああいうことではないですよ。
もちろん点とか丸とかついてる文章っていうのは、ああこれって文章なんだなと、書き言葉なんだなっていうのを認識させるようなところがある。
これがおそらく我々の普段の何気ないコミュニケーション、LINEのやり取りって極めて会話に近い、話し言葉に近いじゃないですか。
それなんか使われてくるのが気持ち悪いっていうことなんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
これは逆に見ても面白くて、話し下手な人とか会話下手な人とかっていますよね。
これも本当に原因聞くと様々って感じがするんで一概には言えないんですけど、一つ言えることあって、今比較的少なからの人が私から見るとですね、書き言葉を読み上げるっていうことが話すことだと思ってるんですよね。
だから例えば雑談ができないっていう話を聞くことがあるんですよ。私本当に雑談ができなくて苦手でみたいな。
なんでって僕は思っちゃって、雑談ができないってことはこれまで生まれたこの方感じることもないですから。
だから感じることもないだけだと何の言語化もできていないので、じゃあ何が違うのかなと考えるわけですけれども。
多分話すっていうことを重く捉えすぎ、手紙書くような感じで話さなきゃいけないっていうことをどこかで考えてるんじゃないかって思いますね。
そうするとそれはやっぱりうまくしゃべれなくなる。
アナウンサーさんが原稿を読み上げるみたいな感覚でどこかしゃべってる、それはもちろん極端な例ですけども、どこかそういう何かね、引っかかりがあるんじゃないかなと。
自分でこうやって音声番組とかやってみたら思いますけれども、しゃべるっていうこと自体はそんなに別に難しくない。
誰でもできる。
うまくしゃべろうとか思ったらそこが一つのハードルができちゃいますけれども、ただしゃべるだけでもできないっていう人はあんまりいないと思うんですよ。
もちろんここでは様々な障害の話とか疾病の話とか全然別として捉えてますよ。
ただね、例えば喫音の人っていますよね。ちょっと言葉がうまく出てこない人。
が、じゃあ会話ベタかって言うと別に全然そんなことないですよ。
芸人さんでもね、喫音の芸人さんがいるっていうのはこの間話題になってましたよね。
インタレスティングたけし、略してインタケさんね。
いやあの、達者にしゃべってるわけです。
だから別にそういうことじゃないんですよ。
じゃなくて、やっぱりアナウンサーさんなんかはプロ中のプロだけどそれでも噛むってことがあるでしょ。
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だけどね、我々普段の日常生活で噛んでますか?
まあゼロじゃないけど、家族と喋ったり友達と喋ったりしてるときにひどい噛み方をすることってあんまないと思うんですよ。
なぜか、これは明らかで書き言葉を読んでないからですよ。
だから自分の頭に今思い浮かべたことを喋るときっていうのは、今私たちってこのじゃあ唇のどの部分を上げてあって発音するのかとか、口の開き方どうするのかなって何も考えてませんよね。
慣れてるから。体を動かすのと同じで、よし走るぞって思ったときにどの足から、よし左足をまず上げてってやんないでしょ。
それはもう慣れきってるから、昔からやってきたことだから体得してるんですよね。何も考えずにできるわけです。オートパイロットですよ。
だけどそうじゃないもの。ここに書いてある文章を読めっていうのはそうじゃないんですよ。
別に自分が話したいことじゃないから、自分の脳からの指令で口を動かしてるわけじゃないので、違うわけです。噛むんですよね。
芝居とかも噛む、セリフを閉じるとかっていうのも、言わなきゃいけないセリフが決まっているからで、別に普段私たちの話をするときにそんなことを言い間違いはあるでしょうけど、
台本落としるみたいなことはないじゃないですか。これが大きいポイントだと思うんですよね。
雑談が苦手だっていう人に聞くと、多くの場合、例えば話すことがないとか、知識がないとか、うまく話を合わせられないみたいなことになるんですけれども、
これはやっぱり脳みその中で書き言葉を読もうとしているところがあるんじゃないですか。そうじゃないんですよね、会話ってね。別に知らないことでも話って合わせられるんですよね。
私、例えばクラシック音楽のこととか全然知りません。中学校の教科書に書いてあるぐらいのことしかわかんないんですけども。
なるほどねとかって、誰でも言えることはいくらでも言えるわけじゃないですか。ああ、そうなんですねみたいなね。
あいづちもいろんな打ち方できるでしょ。これって、退屈しているっていう意味で、さっき走るっていう例を出しましたけど、まさにあんな感じで、すごい運動とかスポーツね。
あと音楽とかにすごい似てると思いますね。歌うってこととか。歌うことも音痴の人とかいますけれども、問題は音痴であるか否かっていうことではなくて、歌うか歌わないかなんですよね。
別に下手だろうが音程が外れていようが楽しく歌えていればそれでいいわけじゃないですか。別に点数競うもんじゃないですかね、あれは。むしろ外れているほうが貴重性があるぐらいの感じでありますよね。
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話とかもそうなんですよね。話すことが大事なんであって、何を話すかって別にどうでもいいんですよ。どうでもいいって言っちゃったな。
でもそうだと思いますよ。そこが人を会話、ベタと会話上手に分けているんだと思いますね。
私は会話は結構得意な方だと思いますけれども、何とも思ってないからですよ、それは。
相手を満足させなきゃいけないとか、ここではこういうふうに話さなきゃいけないとかっていうことをですね、私は取り立てて考えてない。
緊張しないって話も前にしたのかもしれないなと思いますけど、それも同じことで、結局私はあまり相手に対する思いやりがないんですよ。
本当にでも思いますね。会話ベタだって言ってる人はおしなべて真面目な人ばっかりです。
真面目な性格だからこんなふうに話していてはダメなんじゃないかっていうふうに思っちゃって準備をしようとして、
結局は書き言葉を脳みその中でいっぱい作ることによってドツボにはまっているっていうふうに私には見えますね。
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