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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
スタイフ仲間のnaoさんが、いよいよご自分でも配信を始められました。
で、そこでですね、やはり今までいろんなSNSとかブログとか、そういったところで文章ですよね、テキストで自分の意見とかを発表したことはあったけれども、
音声配信というのはちょっとね、全然なんか違うということをおっしゃっていました。
で、この差は何なんだろうっていうことが、先に音声配信とかをやっている人たち、またよかったら教えてくださいっておっしゃっていて、
私はね、教えるっていうには、逆に私はnaoさんと違って、SNSはもうもっぱら人の発信を見るためだけにアカウントを持っていて、
あとは、コミュニティとのやりとり、コミュニケーションをとるためのツールとしてのみ使っていたので、
X、インスタグラム、フェイスブック、一応アカウントは全部持っているんですけれど、全く自分の意見を発表する場としては使ったことがないんですよね。
で、ブログも自分のためには一度もやったことが今まではなかったんですよね。
あくまでも会社のホームページ上で会社のためにブログを書いたりとか、そういったことはね、いつも割とやってきたんですけれど、
自分の発信活動っていうことは、実はこのスタンドFMが初めてだったんですよね。
なので、その文章とスタイフがどう違うかっていう、スタイフというか、音声配信で自分の意見を述べるっていうことが、ややね、文章よりも身を削られる部分があり、
で、またその受け取り手がどういうふうにそれを受け取ったかっていうことがとても気になるっていうことをおっしゃっていたんですよね。
で、そうかなるほどなぁと思って、あまり深く考えずに、発信という行為そのものが初めてだったので、逆に私の場合はハードルがあまりなかったというか、
文章をずっと、不特定多数の人に読んでもらう形でね、発信していて、そこから音声に行ったっていうのとは違うのでね、いきなり音声から始めているので、そこの音声配信におけるハードルの高さみたいなものは、あまり意識はしてないんですよね。
でも、私自身がこの音声配信を始めたことで、すごく自覚したことがあって、私っていうのはすごくね、ものを考えている時に言語で自分の思考を組み立てているタイプの人間だったんだなっていうことが改めてすごくよく理解できたんですよね。
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これってね、つまりいろいろものを考えている時に言語でね、言葉で自分の思考を整理したり、考えをまとめたりしているっていう意味なんですよ。これってみんなそうじゃないの?って思うと思うんですけれど、意外にね、そうでもない気がするんですね。
例えば私の夫は、別にちゃんと聡明な人なんですけれど、中学中退しているとはいえね、ちゃんと人としてのEQ、IQはちゃんとある人だと思うんで、ただ多分ね、この人は言語で自分の思考を組み立てているタイプの人ではないんですよ。
おそらくね、感情とか感覚とかそういったところで、彼なりにいろんなものを感じたり考えたりしているんですけれど、私のように言語でものを組み立てているわけではないので、言葉っていうのは難しくてですね、こうやって自分の中で思考をまとめたり考えたりするのも言語を使っているんですけれど、
当然これは他人と意思疎通をするために使うツールでもあるわけですよね、言語っていうのはね。言葉、共通で使える言葉がない限り、他人とより直接的な意思交換というのはできないわけですよね。
だからそういった意味ではね、言語でものを考えないタイプの人とコミュニケーションを取る時っていうのはすごく難しいんですよね。そんなに言葉が上手じゃないし、表現力も持ってないんですよ。これは彼らが頭が悪いからではないんですよね。この人たちはあまり言語で思考を組み立ててないっていうだけなんですよ。
また他にもね、すごい親しい人で、今絵を描くというかね、絵描きっていうよりはデザイナーですよね。グラフィックとかそういったことをやっている知人がいて、その人なんかもう完全に映像とかビジュアルでものを見ているところがあるんですよ。
だからすごく寡黙で、あんまりね、だから言語的な人じゃやっぱりないんですよね。すごくこの人も頭が良い人で、たまにねポツッポツッとすごい鋭いことを言ったりはするんですけれど、まああのベラベラベラベラとね、自分の言葉でいろんなことを巧みに喋って表現したりっていうタイプじゃ全然ないんですよね。
だから必ずしもみんながみんな言語でものを考えているわけでもなかったりするんですけれど、ただ言語的じゃない人であってもやはり言語はコミュニケーションのツールとして誰もが使うわけなのでね、やっぱり言葉で考えている部分っていうのは当然大なり小なりみんなあると思うんですよね。
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で、すごい難しいんですけれど、だから言葉で表現するっていうのは多分ねインプット、いろんな情報を自分の中に組み込みますよね。それをいろいろ思考しながら考えて考えて消化して、こういうある種の結論に到達するっていう流れを
だいたい言語で思考しながら、例え方がわかりやすいかな。例えばですね、今日の中村さんのボイシーを例えにします。中村さんはとある芸能人のスキャンダルをニュースで知り、そのニュースをインプットしただけでは終わらないわけですよね。
このニュースをインプットした途端にブワーといろんな思考が巡り、ここからダンカイジュニア世代がいかに価値観がね、この2,30年前から世の中が変わってきて、2,30年前にはこういった行為も許されるというか、多めに見られていたのが今ではもう許されなくなった。
ゆえにもうダンカイジュニアの時代は終わったっていうね、そこまで一気にこの一人の芸能人のスキャンダルから一気にここまで思考が駆け巡って、自分の中で一つの論理っていうんですかね、一つのアイディアが浮かび、結論まで持っていってるんですよね。
こういうふうにそれを中村さんはこれはもちろん言葉で思考して言葉で表現してるんですよね。最終これはだから頭の中でワーッといろいろ浮かんできた考えをまず言葉に出して、頭を多分整理されているために喋っている部分があると思うんですよね。
だからよくよく考えて喋られている時もあるし、こういう感じでワーッと一つのニュースからインスパイアされて、ガーッといろんな考えを喋りながら頭を整理しているっていう部分もあると思うんですよね。
一方ですね、文章を書くっていう行為は言葉で発するよりももう少し精度が高いっていうのかな、何段階もインプットした情報を精査していき、そぎ落としたり加えたりしながら手をかけて仕上げていく行為な気がするんですよね。
言葉に表している時は割と一時情報でパーッと浮かんできたことを真っ先に喋っているところがあって、でも文章に落とし込むとなるとね、喋ったことをそのまま文章にすると、例えば私よく一応自分のスタイフの文章を、喋った音声を文字起こしでした文があるとしますよね。
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この文字起こししたのってすごい読みづらいし、これをコピーして、例えばチャットGPTとかに掘り込んで、これをもうちょっと体裁よく文章で読みやすいものにしてくださいとかっていうふうにお願いしたりすると、すごいね、やっぱりチャットGPTに文句言われるんですよね。
読みづらいし、最初の主題からどんどん話が逸脱していってて、最終的には3つも4つもテーマが分かれていると。だからどのテーマを一番あなたが大事にしていて言いたいことなのかを絞ってくださいとかね、そういったことを言ってきたりとかされたりするんですよね。
なので、文章っていうのはやっぱりもっとね、構成力とかいろいろ必要なんですけれど、喋っている文には意外にね、この聞いている側も、例えば私がいろんな話をしていて、脱線しょっちゅうしていると思うんですよね。最初、例えばこのAというテーマで話しているのに気づくとBやCに飛んでいって、下手したらもうFとか、なんかXとか全然違うところ飛んでいったりしてるんですけど、意外に
ワーッと言葉っていうのが流れていっているので、意外に聞けるんだと思うんですよね。ただですね、発信している側からすると、ものすごく自分のまだ頭の中からバーッと出てきたアイディアとか、まだ答えがまとまっていない、結論が出ていないこととかも、一旦言葉に出して整理するために喋っているところがあるので、
すごいね、自分のまだ思考の中から生まれたばかりのもののような感じがするんですよね。文章っていうのはその生まれたばかりの考えとかをもう少し遂行して、まとめて、編集して、最終形態でちゃんとテキストになっているっていうところがあると思うんで、
言葉はね、もっと本能的に瞬発的に出てきているので、だからなんとなくなんかまずいことを言ってないだろうかとか、本当に自分の言ったことが、ちゃんと自分が本当に思っていること、自分が伝えたいと思っていることが果たしてちゃんと言葉としてしっかり伝えきれてるんだろうかっていうふうに思うのかなって思いました。
自分で言ってでもね、すごい難しいというか、ちゃんと意味が通じるように言えてるのかどうか自信がなくなってきましたね。
えっとね、これ難しい問題ですよね。つまりですね、この喋ってるのは会話に似ていて、ドライブなんですよね。ドライブ感が大事というか、
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導き出される結論とか、どこにこれが着地するのかっていう結論ね、結論がどこに行くのかっていう結論そのものよりも、どこに向かっているのかがわからない。
でもスリリングっていうね、どこに向かっているのか、どこに到着するのかわからないなりに、
そこにたどり着くまでの経過を楽しむものっていう感じで、逆に文章も似てるんですけども、文章はもっと緻密に、ふんわりと適当に行き先を決めずに出かけていくっていうのは多分難しいんじゃないかなと思うんですよ。
この言い方がわかりやすいですね。多分ね、こういう音声配信および会話とか、だからこの発声する言語ね、喋るっていうことに関すると結論とか関係なく、だから行き先を決めずに車に乗って出かけていくのもそれなりに楽しいというものだという気がします。
一方、文章、テキストの場合は、やはりここに、ここに行くんだと、例えば三宮のどこどこに行くんだっていうことは決めて、道もちゃんとどの道順で行くのが一番わかりやすいかとか早いかとか、
言うことをちゃんとわかって、そこに目的地に向かっていくっていうことをしないとダメなものなのかなっていうふうに思うんですよね。だから、求められるスキルもちょっと微妙に違う気がしますね。文章がめっちゃ上手い人が音声配信が面白いとも限らないし、逆もそうですよね。
音声配信がすごく面白いからと言って、文章がすごい上手いかっていうのも微妙に違う可能性もありますよね。中村さんが音声配信もなぜ面白いかっていうと、必ずしもすごくハッと驚かされるほどの結論にたどり着くかどうかは全くわからないんですけれど、中村さんがただ行き先も決めずに、でもなんかね、
なんかこう、なんか引っかかるんだよとかね、なんかこっちの、今日はこっちの方角に何か面白いことがある気がするから、ちょっとこっち行ってみていい?っていう感じで、ふんわりと、明確に行き先を決めずに、ふんわりと行き先をぼんやり、方角だけで例えば決める。
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今日はちょっと北の方行ってみたら、なんか面白いことがある気がするんだって言って、なんとなくぼんやりと出かけていくと、その道中の話がめっちゃ面白いみたいな、そんな感じになるんですよね。
で、こういうね、思考のいろんな遊びというか、だからさっき言った一つの芸能人スキャンダルからいろんな思考を巡らせて、最終的にはもう社会病理にまでまとめていくっていうね、こういう考えっていうのはわーっとね、いっぱい流れてはね、消えていきってこと多分されてると思うんですよ。
でもその中でこれだっていうものが、おそらく書籍にまとめるぐらいの練れたものになっていくのかなーって思ったりするんですよね。だからその中村さんの音声配信は、本業は本を書く人だと思うんですけれど、同じくね、中村さんが書く本と同じように面白いのは、でも面白さの種類は全然違うはずなんですよね。
中村さんの思考が一体どこに向かうのか、どこにこの人が着目するのか、何をこの人が問題意識を持つのかっていうところがすごいユニークだし、他の人と違うし、またその最初に着目したポイントが最終的にどういうふうに変態していくのかっていうのも、誰にも分からないから面白いんだと思うんですよね。
ちょっとね、うまくまとめられないんですけど、だから音声配信は、全然直さんの質問への答えになってない気がするんですけれど、ドライブ感が大事なのが音声配信。
構成力とか編集力が大事なのがライティングというかテキストでの発信になるのかなっていう感じがしますね。だからなんとなく自分が目的とかゴールがないのにずっと喋り続けるっていうことにやや自信がない場合は、すごい不安になるのかなっていう感じがしました。
いろんな方の音声配信、パーソナリティさんの聞いたりしていて、いろんなタイプの人でもいると思うんですよね。中村さんみたいにわーっといろんな思考を言語にして、わーっと喋るっていうことをしている人もいるし、最初にある程度アウトライン決めて、
今日はこのことについて喋って、最終こことこことここっていうチャプターがあって、結論ここっていうのはちゃんと言おうっていうのを決めて喋っている人、あとは割とカッチリと原稿を書いて、それに基づいてそれを読み上げるっていう形の配信をしている人もいらっしゃると思うんですよね。
いろんな形があって、どれが答えっていうこともないし、それぞれの思考の在り方にも関係していると思うんですけれど、話を途中私が言いかけてたことに戻すと、今音声配信でもされている人は、みんながみんな言語で物を考えている人が多いと思います。
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多いというか、ほとんどそういう人しかいないんじゃないですかね。さっき言ったみたいに、ビジュアルで物を組み立てている人とか、例えば理数系の人なんか数式とかで考えている可能性ありますよね。
私の母親みたいな音楽家なんかも、おそらく言語であんまり物を考えている感じはしませんね。もっと感覚的な感じで物を捉えている気がします。私の夫もそうです。
なのでね、言語的な人たちばかりがこの音声配信をしているし、もちろんテキストでいろいろ文章を書いている人ももちろん言語的な人なんですけれども、アウトプットの仕方がまず全然違うっていうことかな。
目的なくドライブを楽しめるっていうのが音声配信。目的地をしっかり決めて、ちゃんとナビっていうか道順とかもしっかり決めて、行かないとダメっていうのが文章っていう感じですかね。
なおさん、うまく答えられなくてごめんなさい。でもなんとなくだから、ちゃんと道順を決めて、目的地にちゃんと着くっていうことをいつもされてきた人にしてみたら、音声配信っていうのはなんとなくぼんやりしてて分かりにくいし、なおかつそれがちゃんと本当に人に伝わっているのか、自信がないっていうのはなんとなく分かる気はします。
すいません。答えにうまくならなかったんですけれど、音声配信ってそんなもんかなって思った話をしてみました。ごめんなさい。ごきげんよう。