はい。
だからそれはそれで興味あるんだけど、今の言霊占いというと、やっぱり誰かそういう椎茸さん的な誰かがオンリーワンなのか、結構そういう方がいるの?
いや、言霊占いはですね、日本語の弟なので、例えば私のマだったら、マはまっすぐのイメージだからこうだよねみたいな言葉とひも付いてるんですよ。
だから誰かのっていうより日本語由来のっていう。
私、じゃあ誰か特定っていう、じゃあ結構前からあるっちゃある?
うん、みたいです。
ちなみにこれ、視聴者の方は当然気になると思いますけど、当然ホーリーマナさんご自身は調べてるんですけど、どうだった?
ちょっと調べてますね。マがまっすぐ、好き嫌いがはっきり、ナが完璧主義と努力か理想が高いでした。
いいじゃないですか。でも確かに当たってる感じしますよね。
だからこれ面白いなと思って、ちょっとリンク貼れたら貼っときたいなと思うので、見てる方。
そうですね、じゃあそれは結構簡単に調べられるんですね。
そうですそうです。
ありがたいですね。じゃあそれ俺もマナに改名したらそういう風になるんですか?
マナに改名したら確かになるかもしれない。
僕ひねくれてるんで、そしたら変えれば。でもそれあれだね、そういう意味では今日のさっきの話だけど、
どれもそんな良くも悪くもない、当然フラットな言葉に、なんか悪いのもあんの?
悪いのは、こういう性格があるから、逆に言ったら身長だから、
まあもちろん両方表裏一体だよね。
気をつけましょうとかはあるけど、悪い意味はないです、基本的に。
一応としてはその名前をこの文字使ってると、なんか幸せに恵まれちゃう。
そういう話は出てこないでしょ。だからいいよね、そういう、
いいことをね、やるものでありたいよね、占いね。不吉なことではちょっと嫌ですよね、人間。
良いことだけ信じてポジティブシンキングでいきたいと思います。
ということで今回も本編に移ってまいりたいと思います。
今回はカイドウ・タケルさんのインタビューの第2回です。
私、前回もチラッとお話ししましたけど、この本読む前に森鴎外のことも北里柴桜のことも全然知らなくて、
北里柴桜はこう、何?
ハショウ風とか血清療法とか、あとペストとか、
そういうことは知ってたけど森鴎外は本当に本書く人としか思ってなかったし、
人間的な魅力も分かる本ってめちゃくちゃ少ないなと思って、後ろの作品の数、
すごいよね、資料ね。
めちゃくちゃびっくりしたんですよ。やっぱ、で、ご本人、医者で、作家で、
そういう歴史のも調べて、本当に勉強家な一面がすごいなと思ったんですけど、
そして作家としても面白く書くとか。
中川さんは実際お会いしてどんな感じでした?インタビュー。
そうですね、でもやっぱり前回もお話したように、思ってる以上にお話の幅が広く深く、
それはこの本編の話だけじゃなくて、相手のことをすごくいい意味でよく見てですね、
相手が何を求めているのかとか、どうしたらリスナー・視聴者が役立つのかとかね、
その辺をすごく気遣いの人でもあるし、さすが、つまりエンタメの最高峰を書くような人なので、
本編の中でも言ってますけど、やっぱりプロの物書きになるためには、
かつて彼が出てた別のインタビューで言っていた話を、僕はこのインタビュー内でもぶつけてるんですけど、
やっぱりプロとしてやっていくためには、何か読み手にとって有益な情報を書くか、
もしくは、やっぱり読んでて本当に楽しくなるものを書くかっていうね、
もちろんその両方があればいいと思うんですけど、そういう意味ではね、この総命局っていうのはね、
まさに深井戸さんが言ってる2つの条件を兼ね備えている、つまりね、
この森鴎外と北里の知られざるいろんなこととか、
当然これ感染症のいろんなことと、その政府がね、どう対応してきたかとかあるので、
当然今のコロナ、これからのことにもつながりますし、
そういう意味では、僕ら一人一人がどうやってね、生きていくかっていう意味では有用な情報でもありますし、
シンプルにエンタメとしてね、やっぱりね、鴎外と北里とはこういうふうに交わってたんだとか、
あとこの中にもね、僕も決して詳しくないです。
全然歴史とか恥ずかしいんですけど、知らないんですけど、
まあいろいろね、歴史に合わせて、例えば福沢彦一とかね、
西郷隆盛、あと明治天皇、後藤新平とかいろいろ、
まあ色鮮やかにね、すごく意気地と書かれていて、
本当にあっという間に読めてですね、こんな分厚いんですけど、
よくもまあ史実を、史実という制限がある中でフィクションを書いたなっていう、
だから本編でもね、その辺どういう感覚で書かれているのかね、
この全4回の中でお話しされていると思いますので、
その辺も含めてね、楽しんでいただけたらなというふうに思います。
なんか立体的に歴史が分かったり引き込まれたりっていうのがいっぱいあると思うので、
ぜひインタビューと本と合わせてお楽しみください。
それでは海藤武さんのインタビュー第2回をお聞きください。
どうして2人を足すんだと言われてしまいました。
やっぱりね、作家と医師を両方ね、されてるっていう方、
まあ他にももちろんいらっしゃるでしょうけど、
やっぱりそこで海藤さんっていうのはどうしても、
僕はこの2人いろいろ出てきたんですけど、
その辺はたまたま結果として、
これぞ海藤武が描くべきして描いたって形になると思うんですけど、
そんなにそこは別に意識してないんですかね。
いやいや、だからさっきも言ったように、
北斗先生がお札に何か書いた方で、
まっけたっぷりで始めて、
で、それがなんかうまく回らなかったから、
ふと見たら鴎外先生がいて、鴎外先生出したら、
あ、うまく噛み合ったなって。
だから雲中で描いた北斗が上がれば僕は沈むみたいになって、
ただ負けん気が強いから、論争とかになってそれをしつこくやっていると感情的に見えますね。
でも多分感情的になったらああいう論争って目も当てられないんで、
ヘビクスっぽいなと思っていても論理的には通ってるみたいな。
まあ、いろんな感じ。
オウガイ作家ってなると、やっぱりこのオウガイがいざ、当然ある意味医療の方をメインでやってて、
作家の方はある意味片手間というかちょっと遊びでやっててみたいな。
でもいざ結構晩年というか後の方から作家業の方にどんどん入っていったら、
意外と専業気味になるとちょっとあんまり発揮できないみたいなくだりがあったと思うんですけど、
いわゆる同じ作家と医師っていうのをやられていて、
かつてもう十数年前のそれこそデビューして初期のインタビューとかを拝見すると、
やっぱり医師が仕事、作家は遊びで、遊びで書いてるからそれはそれでいいっていう風に何度か読んだんですけど、
やっぱり最近のいろんな電子書籍の後書きとか見てると、
医師も当然やってらっしゃると思うんですけど、どちらかというといろんな意味で時間的にも少し作家のシフトしてきてて、
僕はご見受けしたんですけど、そういう意味ではその辺りっていうのは、
加藤さんご自身はどのような感じですか?
僕はやっぱり作家っていうのが仕事と思ったことはなくて、
なぜかというと、やっぱり書いてて楽しいから書いてるっていう。
昔、最初の頃についてくれた編集さんが、
それはまだアマチュアだから、いつか苦しみの中で生み出していかないとダメですよって言われて、
例えて言われたのが、乾いた雑巾を絞って絞り出すようにしていると聞いたので、そんなの嫌だと思いました。
その後そういう経験は?
僕は割と自分でデューティーを決めるんですけど、
作品を仕上げるっていうことに集中しているので、
作品がないのに書こうという努力はあんまりないんですよ。
例えば、奏明曲を書こうって思ったら、
その作品を書くことにはものすごい労力がかかりますけれども、
そもそも書くものはないから、何を書こうっていうふうなことを探したことはないんです。
それは僕は理解が難しいですけど、分かるような分からないようなんですけど、
かつてであれば、頼まれて書く、ある意味フードファイターみたいに評された時もありますけど、
そういうニュアンスと今はまたちょっと違う?
一筆依頼とかを受けて書いた時は、自分の中にあるものを出しますみたいな感じで。
だから、依頼されて書くんじゃなくて、依頼されてこういうのを書けますって言って出す。
出しにあるものを、これどうです?
というか、どうですも言わないでこれにしますって。
さすが。
思えば傲慢なんで。
そうなんですね。
だから、多少パワーが落ちて、これ書きたいんですけど、えーとか言うようなやりとりがあるんですけど、
でも書きたいものがあるんですよ。
書きたいものっていう話、やっぱりまずそこが大事っていうのはあると思うんですけど、
やっぱりこれ見てる方、聞いてる方、小説家になりたいと思っていても、
物書きになりたいっていう人が非常に多いと思うんですけど、
そういう意味では海藻さん自身も元々物書きになりたかったっていうのはあったと思うんですけど、
そういった方たちに向けてちょっと僕自身も伺いたいなと思うんですけど、
さっきの何ででしょう、まず書きたいものがあっても当然大事だと思うんですけど、
やっぱりプロとして物書きでやっていくためには、これも以前何かで拝見したんですけど、
やっぱり2つどちらか書けないと、両方なのかもしれないですけど、
読者にとって有用な情報か、やっぱり読んで楽しいものみたいなものだと思うんですけど、
いずれにしても読者を考えるのは当然大事だと思うんですけど、
読者を向きすぎると、ややもすると自分が書きたいものを書くの根っこから外れるみたいな、
そのバランスって、これはある意味すべての、究極的には作家だけじゃなくて、
自分がやりたいもの、作りたいものとニーズっていうその辺の、
物との歪みとかバランス取るに行く、
僕が外から見ると当然あるはずですけど、
上手く常にマッチさせているイメージがあって、その辺苦しみはやっぱりあるんですか?
それは非常にシンプルな方法になって、
書き上げる時は自分が好きなことを好きなように書いて、自分が楽しむんですよ。
書き上げて届ける時は、多くの人が分かりやすくとか、
あまり負担がかからないように、そこを直していくっていう。
だから料理で言うと、例えば立派なカツを釣り上げるっていうのが、自分が書いている時。
でもカツを一本出されてもお客は困るでしょ?
だからそれを刺身にしたり、ミニエールの素にしたりとか、
調理して食べやすいようにして、そこで書いていくっていう。
だから受け出しはやっぱり無理でしょ?
言葉を素直に受け取らせていただくと、ある意味あえて分かりやすく言いますが、
最初に書いたのを仮に書庫だとすると、書庫は本当にもう書きたいように書いている感じなんですか?
メモが出られないですよ。
それを2項、3項、4項とやっていって。
それは自分の中の2項、3項ですからね。
ゲラの2項、3項じゃないんで。
そういう意味では今の最高の素材もやっぱり料理師だと思うんですけど、
いわゆるその料理人っていうのは、実際に編集者、出版社に出す前は自分自身だと思いますけど、
その後は、やっぱり両方大事だと思うんですけど、
いわゆる第一料理人というか、料理長と、2人とも料理長になるかもしれないですけど、
その辺の重要性とか比率とか、ちょっと抽象的ですけど、どうなんでしょうね。
やっぱり作家さんによってはいろんなイメージがあって、
基本的に自分が料理までかなりやるっていう人もいれば、やっぱり編集者さんってあると思うんですよね。
もちろん作品によると思うんですけど、
この作品、せっかくなんでやったと、どんな感じだったんですか?
編集の方はね、ほら、じっと見てる。
こんな家なんですけど。
それはそうです。
伴奏者ですよね。
だからパートナーというか。
例えばマラソン選手にしても、伴奏する人は助けてくれるわけで、
走ってるのは選手ですから、基本は走ってると。
ただ、この形だとお届けできませんよ、みたいなところを言われて、
ぶっちゃけるとこれは一番枚数でしたね。
多すぎた。
枚数を絞って絞って絞って絞って絞って絞って絞って。
それこそ、制約なかったら何ページになってました?
カイドウ、タケル、自分で出版できたら。
全4巻。
やっぱりポーラースターみたいになったってことですね。
じゃあ4分の1にしたってことですよね、単純に考えると。
そうですね。
ただ、全4巻は本当に自分が好きなようにやるやつで、
さすがに自分でもそれは無理だろうって商業的には全2冊。
それは全2冊ありかなと思ったんですけど、ダメです。
そうなんですね。
これでも今せっかくなんで、泣く泣く削ったところいっぱいあると思いますし、
もともとその意味では4巻とか2巻って見えてたんで、
ここを削ったよっていうのとちょっと意味は違うかもしれませんけど、
それでもせっかくなんで、なんか今日ここでお話できることに。
3冊は実は削りたくなかったんだけど、泣く泣く削ってみたいな。
それはね、奇跡的にこの作品にはないんですよ。
なぜかというと、その部分中打ち論にして、振り回し印象で出したんです。
蘇る天才の北沢千葉さんと、蘇る天才の森永外に全部吹っ込んだんで、
その3冊は実は一緒にやってたんですよ。
ってことですね。
こっちで削って泣いて和食を切ったけれども、
その和食はあっちの方で料理長になってる。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、マーケッターですね。
もう最初に証拠がありきですから。
そうか。やっぱり今日も後で伺おうと思います。
やっぱりその2冊読みたくなりますよね。
それがこっちのイメージになる。
それはね、こっちから入る人も当然いて、