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こんにちは。保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の木曽です。
はい、同じく合同会社黒船の河津です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
特にこのチャンネルでは、現役保育園看護師の僕、千尋先生が日々考えている保育や保健の情報を中心に
保育士さん、保育園看護師さん、小さいお子さんを育ての保護者の方に向けて発信していこうという取り組みで、今頑張っております。
久々に噛まずに言えました。
偉いです。
今回はですね、保育園って結構子どもにとっては第二の家だよねっていう風に言われることが多いんですけど、
ちょっとこの第二の家というワードについてがぼっていけたらなというそんな思いでやっていきたいと思っています。
保育園出身のはずなんですけど、第二の家っていうのは初耳です。
保育園が第二の家って言われることはなんか知ってたけど、
第二の家って何なのっていう話からちょっとよくわかんないというか深く考えたことはない領域かもしれないな。
ちょっとじゃあそんな第二の家について一緒に考えていけたらなと思うのでよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで、そもそも第二の家って言い始めたのは誰なんだろうなって今ちょっと考えたんですけど。
まずそこから。
そう、誰が言ったかはちょっとわかんないんですけど。
知ってる人がいたら教えてほしいですね。
コメントくださいって感じなんですけど、どちらかというと保育園側、要は保育を提供する側の人たちが子どもたちにとって
お家ではないけど第二のお家ぐらい安心して過ごせる場所を提供したいなっていうそんな考えから生まれた言葉なんじゃないかなという気が個人的にはしています。
やっぱりこう保育園って子どもたちにとって本当に家よりも下手すると長い時間過ごしてるんじゃないかっていうお子さんも中にはいらっしゃると思うんです。
物理的な時間としてね。
時間的に、うちの園だと7時15分から8時15分まで、早朝も園長ももし使うってなると最大7時から8時15分まで入れると思うと何時間ですか?
13時間。
12時間、13時間。
言おうと思えば13時間利用が可能なわけですよね。
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1日の半分以上になるんですかね。
だってお家帰って寝る時間を思うと子どもたち本当にお家で過ごす時間ってわずかですよね。
お食事を食べてお風呂に入って寝て起きて朝ごはん食べたら保育園くるぐらい忙しく働かれてるご家庭だと利用するお子さんもいる。
そうなるともうほぼ家ですよねってぐらいな時間やっぱり過ごしてるから第二の家っていう感覚にもなるかなっていうところと、
あとは何というか、自分が働いてる園では家庭的な雰囲気を大切にしていますっていうのを一応保護者の方に伝えていると思うんだけど、
多くの保育園はおそらくそうかなと思うんです。
要は家庭的な雰囲気っていうのがとにかく子どもにとって安心できる環境であるということ。
もちろん保育士とか保育園看護師とか周りの保育者の皆さんは決して親ではないけど、
その子にとって親と同じくらい安心して身を委ねられたりとか、安心して自分の気持ちを表現できたりとか、
そういった物理的な環境だけじゃなく人的環境も整えてあげることで、
その子がお家にいるのと同じくらいリラックスした状態で日々過ごしていけるということが、
トータルそのお子さんの発達にとってすごく大事なんだっていうところを歌っているのかなというふうに感覚的には思っているんですけど。
家庭的保育っていうのはまた別で言葉としてあって。
家庭的保育と第二の家はまた別の話ってこと?
そうだね、多分違うと思うんだけど。
家庭的保育っていうのはどっちかっていうと本当に保育ママ事業みたいな感じで言われているのかなと思うんだけど、
本当にお家の一室使って一人とか二人とか多くても5人ぐらいのお子さんを何時間お預かりして保育を提供するっていう事業が別であって。
より地域密着型な丁寧な小規模一年齢保育っていう感じを家庭的保育っていう言葉で括っていると思うんですけど、
それとは言葉の意味としては違うね。
家庭的な雰囲気で行う保育としての第二の家っていう。
なんか矢腰混乱してくる。
チェロ先生の中では家庭的な雰囲気でない保育ってどんなものだみたいなイメージとかはある?
何というか、カリキュラムがある保育園とか、色々やることがたくさんあるよっていう保育園さんは家庭的な雰囲気の保育とはちょっと違うのかなという気はしていて。
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保育園的保育。
なんだろうね、どちらかというともっと幼児教育に。
教育。
内容が寄っているというか、今最近この保育園と幼稚園のいいとこどり合ったいみたいな子ども園っていうのが色々増えていて。
その子ども園だと保育園的な要素と幼稚園的な要素と両方あるから、色んなカリキュラムがあったりする一方で逆に保育園的なその、
多分家庭的な雰囲気を大事にしている面もあってっていうのを展開しているのかなという予想ではあるんだけど。
ただ一般的な保育園でとか、幼稚園とかはもっとそうだと思うけど、色んなカリキュラムがありますと。
特にこれは幼児グループ3歳、4歳、5歳のお子さんたちに向けてっていうところがほとんどだと思うんだけど。
そういったものを色々準備してやっていますっていうところは、家庭的な雰囲気を売りにしているわけではないのかなっていう印象が。
これができるようになりますとか、これを身につけますが売りになっているみたいなことなのかな。
なるほどね。
なんかどっちかというとそういうものの方が親御さんとしても分かりやすいしね。
めちゃくちゃ分かる。
なんとなく幼児教育っていう括りでなんとなく聞こえもいいし、やることが明確にあって、その効果というか成果が割と目に見えるというか。
なんかやっぱ人間そういうものをすごいね、分かりやすく強化もしやすいと思うから、やらせたいなって思うところもあるのかなという気がするね。
なるほどね。
なんかその第二の家っていう話だけど、今言ってたカリキュラム的なのがその大局にあるものだとしたら、
そもそも家とか家族的な話っていうのはそもそも何?みたいな話。
家って何?みたいな。
いい質問ですね。
いい質問。
これはまさにもう深掘っていくテーマなのかなと思うんだけど、
もちろんその時代とか国とかね、いろんな状況下で変わり得るものだとは思うんだけど、
そもそも家として一番機能すべきところは、とにかく衣食住が安定してるというか安心して提供されているところっていうのが、
物理的にというかね、一番家の大きな枠組みで言うと、そこが一番怖いかなという気はしていて。
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そういった意味で言うと、保育園も衣食住がちゃんと提供されていて、
とにかく子供がそこに安心していられる、何かに脅かされることがなくそこにいられるという空間を提供できるっていうのが、
保育園という空間、家の役割の一つかなと。
安心っていうのが結構キーワードになってる感じなんだね、そこは。
そうだね、安心していられる、要はリラックスした状態でそこにいられるっていうのは、
めちゃめちゃ大事なことだと思っていて、これは看護の話だけど、看護も似たような考えがあって、
要は安楽でいられる状態、患者さんにとってリラックスした状態でいられるっていう風に読み取ってもらって構わないと思うんだけど、
やっぱりその人の回復力というか、自分自身が持ってる自然治癒力的なものも含めて、
やっぱり大事だよねっていう感じがあって、もちろん病院という場がほとんどだと思うんだけど、
なんというかイメージ的に病院ってそんなにすごいリラックスできるわけではないじゃないですか。
そうね、無機質なイメージあるよね。
そうそう、でもなんというか雑多なゴミだらけの場所で仮に具合悪い時にいたら、
リラックスはできないし、なんかこう快適じゃないじゃないですか。
その快適じゃない、安心できないという状態ってすごいストレスだよね、人間。
ストレスを感じてるっていう状態が免疫力を低下させたり、回復力をなんとなく阻害していたりっていう感じがどうしてもあるから、
そういった病院という場所の制約はあるけど、その人にとって安楽な状態でいられる、安楽を保つっていうのが、
患者さんの身の回りの環境を整備することだったり、空気とかね、暑い寒いとかそういったことも含めて調整してあげる。
で、安楽な状態を保ってあげるっていうのが大前提必要なことだと思う。
それは保育も同じで、そのお子さんにとってリラックスした状態でいられる。
もちろん環境的に暑い寒いはもちろんそうだし、
もっと細かいところって音が環境しすぎてないかとか、広すぎないか、あるいは狭すぎないかとかそういったところも関わってくると思うんだけど、
でもやっぱり一番は人と人との関わり、人的な環境っていうのがすごく大事かな、特に保育の現場においては。
環境っていうのも物理的な環境と人、人的な環境と大きく分けるとその2つあると思うんだけど、
なんかその人的な環境が安定してある。
その人との信頼関係をしっかりと結んでいくことができるっていうのが、特に第二の家としての役割として、
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第一だなと思っています。
人的環境か、なんかね物理的環境を整えるっていうのは今、千尋先生が言ってくれた通り気温をどうするとか空気をどうするとか、
そういうある種分かりやすいイメージがするんだけど、
人的環境を安定させるっていうのはどういうものになるかっていうと、
なんか主にこれは乳児、0歳とか1、2歳とかそれくらいのお子さんの話かなと思うんだけど、
特に乳児に絞って話をすると、最初の生まれてからの1年間ってとんでもない体の発達もそうだし、精神的な発達もそうなんだけど、
なんか意味わかんないことが体の中で行われているのがすごいね。
もう毎日毎日日々進化していくような感じなんだけど、
その中で何を一番こう大事にすべきかっていうと、
エリクソンっていう人がね、提唱したその発達段階みたいなのが、
荻山さん、どうぞ。
知らないね。
野菜が!?
え〜、野菜?
おしゃれな野菜?
あー。
ロマネスコ的な?
そう。
あーとか言って。
おしゃれな野菜、ね。
おしゃれの野菜っていうのは何か??
おしゃれな野菜って言ってたの?
拙者が何か言っちゃったって。
そう オシャレな野菜とは?みたいな話になっちゃいそう
タニエレタスとかかな そのオシャレな野菜ことエリクソンの話
そうそうエリクソンっていう方が人の一生の中でこのぐらいの時期はこういう課題があってこれを獲得していくみたいなのがバーっとあるんだけど
なんかあれかちょっとあのマズローの話みたいな感じでこうなんか発散会みたいなのがあるか
マズローはこうピラミッド型の生理的要求が一番下で一番上が自己実現みたいななんかそういう欲求の段階を示しているのがマズローで
エリクソンはどっちかというとその各年齢年代におけるその人が獲得すべき発達の課題と
年齢でそれを分けている
そうだね年齢分けしていてでそれが獲得されなかったあるいは上手いことそういう状況下になかったら
こういう逆の振りもというかこういうものが課題として残るよねみたいなのをいろいろ整理している感じなのか
した人で特に乳児期生まれてから1年間の乳児期は基本的な信頼人間との係りの中で基本的な信頼を獲得していくことが大事だって歌っている時期で
国師に出ます
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それ国師じゃなくて保育士看護師
看護師も看護師も多分出ると思う保育士とかもなんかあったと思う
結構やっぱ重要なのでその発達的な
そうそう基本的な信頼を獲得するっていうことが特にゼロサイズの保育をしている縁では乳児保育ではすごく大切で
これが何というか人との関わりの中でしか育ち得ないというか
生まれてから最初の1年間なんて何とか自分一人でいたら死んじゃうじゃないですか
何もできない
まずはとにかく泣くと何かあるたびに泣いておっぱい飲んでお腹が満たされて安心して寝て
で起きて泣いて抱っこされて落ち着いてみたいなことを繰り返しているうちに泣いたら来てくれる人がいるなとか
泣いていろんな不快をね
シャイと不快と感情があって感情というか感覚があってだんだんそれが細かく細かくなっていく
お腹が空いたら泣くだったところが
ただちょっとお腹空いたくらいじゃ泣かなくなるというか
うんちが出て泣くと
それは不快に当たるってことですね
不快がどんどんいろんな枝端状に広がっていく中で
お腹が満たされるってことは気持ちいいことだなとか
逆にうんちがすっきり出ると気持ちいいなみたいなその回の表現というか
にいろいろ分化していくんだけど
その中でそれらがちゃんとそういうふうに育っていくっていうものの背景に
その子の表現泣いた時の抱っこだったりおっぱいだったりっていうのをちゃんと関わってあげるっていうことが
すごくすごくその時期の発達に大事で
それって主にお母さんがしてきた歴史的にもこれまでもこれからもそうだと思うんだけど
お母さんだったりお父さんだったりあるいはその子の保護者と言われる人が
一対一で対応していくことで培われていく信頼関係みたいなものが
その一番発達の土台にあるという
それが人への基本的な信頼みたいなものがあって
これが正しく育っていないと泣いても無駄だなって思ったら泣くのを諦めるのね赤ちゃんって
それってすごく人間はもう不審に思う気持ちだけが育っていくというか
泣いてもこないみたいな話
泣いて泣き続けてこなかったらもう泣くのやめちゃう
最悪死ぬじゃない
基本的信頼の欠如ってことで
基本的信頼を獲得しえなかった時にその不審というものになっていってしまって
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もうその出だしで不審が募ってしまうと
そこから先育つべき発達の段階がどんどん崩れていってしまうから
要は正しくというと変だけど
人間として培われていくものが育っていかなくなってしまう
保育園では人的環境を整えることでそういうことがないようにしてます
特にゼロサイズの保育をやっているところは
その赤ちゃんが鳴いた時にちゃんと抱っこしてあげる人がいて
お腹空いたら提供できるものがあって
寝てしまったら寝れる環境を作ってあげてというのを
とにかく整えてあげる
なるほどね
その人的環境というのがその子が安心して過ごせるということにつながり
安心して過ごせるということを
家じゃということで第二の家というふうに
表現されてきたのかなという気がする
今の話の中だと保育士さんと子どもとの関係みたいな話が
メインだったかなと思うんだけど
個人的なイメージとしては保育園って
たくさん子ども同士がいて子ども同士が触れ合う場所みたいな
そういう子ども同士の社会みたいな部分が
大事なのかなと思ってたんだけど
そのあたりはどうなのか
もちろん子ども同士同じ年齢のお子さんもそうだし
自分よりも大きい子自分よりも小さい子
そういう異年齢で過ごしている環境というのは
子どもにとってとてもとてもクラスなことだとは思うんだけど
でも今僕が言った話って主に0歳とか1歳ぐらいのお子さんの話で
そこの土台があって初めて
その集団にいるということの意味が生まれているとか
集団にいることのメリットがちゃんと生かされるというか
っていうとこなんだよね
だからある意味0歳1歳の間ってもちろん育休延長したりとかして
お家で過ごす方もたくさんいると思うんだけど
お家の中でお母さんとかお父さんとか
もしかしたらうばとかかもしれないけど
誰かしら信頼できる大人と一緒に過ごしていって
土地買っていく
その土地買われた後に同い年の子どもと遊んだりとか
ちょっとお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶとかっていうところで
どんどんその子の社会性が育っていくフェーズにいけば
必然的にそういう空間というか環境が必要になってくるから
なんとなくほら幼稚園って3歳年少さんからいくイメージがあると思うんだけど
やっぱりそれは年少さん要は3,4歳児
3,4,5歳児っていうところがそういう集団で
社会性を学んでいくために必要な年齢だからというか
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なるほどね
それってさっき話に出てきたエリクソンとかの周りにも出てくる
そういう話は
出てくる出てくるエリクソンの
さっき言ったのは乳児期
要は0歳から1歳が基本的信頼を獲得する場ですよっていうのが
1歳まで1歳未満が乳児期の発達課題で
その後幼児期初期幼児期後期っていうのがあって
幼児期初期だといろんな急に自分でやりたいっていうのが
いわゆるイヤイヤ期とかやりたいやりたい期みたいな時期に
差し掛かってきた時期はそこで自立心
自立性っていうものを獲得していくんだけど
それがうまくいかないと今度いろんな発想を覚えたりとか
違う自分のわがままをただ通すだけとは違うんだけどね
なんというかそういうのを力で押し付けられちゃうと
うまくその自立心が育っていかないという
ある種その幼児期の前初期のところは
Gが芽生えるに近い感じ
ここは基本的信頼を獲得した後は
まず自分というものを正しく理解するところから始まり
要は生まれた瞬間とかまだ0歳の間って
自分とお母さんがほぼ同一視してる
同じものという感覚なんだよね
それがだんだん再分化していって
自分という子であるのを理解して
それを獲得していくのがやりたいやりたい
面白い
その中で自分を肩取っていくというか
自分の輪郭が分かっていく
だんだんだんだんその輪郭を作っていく時期が
大体3歳くらいまでの間に行われて
それが正しくというか
その子なりにちゃんと自分というものを確立できていくと
その後幼児期の後期3歳から6歳ぐらいになって
初めて自分で考えて行動すると
その中で社会性を学んでいく
ごっこ遊びをしたりとか
そういったものを学んでいくっていう時期に入って
だからエリクスのこれを見てもやっぱり
保育目標とか保育の狙いとか
あるいは幼稚園が狙っている3歳以降の
大事なところっていうのと
ちゃんとリンクしてるっていうのが意外と分かる
面白いね
それで言うとだからさっき保育園のイメージ
社会性を身につけるかみたいなのは年齢で言うと
3歳以降の保育園のイメージ
保育の中でもそれを狙って展開していく
それが保育の計画とか目標になっていく
っていうのがそこからの時期
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それももちろんなんというか
家があって初めて
そういう社会に広がっていけるっていう意味では
やっぱり第二の家だなと思うんだけど
無理やり繋げるとだけど
でも第二の家とはいつつ
家とは違う部分っていうのが保育園にはある
っていうことだもんね
そうだね
あくまでも第二の家なんだって別荘とも違う
難しい話だな
家とは違う
家と同じぐらい安心してリラックスして
その子の衣食住が保たれて
人的環境も物理的な環境も
整っているっていうことは
家と同じというか
家にむしろ保育園側が寄せていくというか
お家の役割を保育園でもちゃんとやれるようにしていく
っていうのが一個あるんだけど
それでもやっぱりお家ではないから
そして集団生活の場だから
看護師的な視点でいうと
やっぱり一番は感染症の問題とかね
その子があくまでも元気な状態でいる
ということを前提に保育園は運営しているので
体調不良、お熱、鼻水、咳とかもそうだけど
元気じゃない時っていうのは
本当のお家でしっかりと休んでもらわないと困っちゃうぞ
いくら家といえども
第二の家といえども
体調不良の時は本当のお家で休もうね
っていうのが大きな違いではあるね
っていうのもやっぱ
さっきの安楽の話とちょっとリンクするけど
その子が一番リラックスして一番回復できるのは
やっぱりお家なんですよ
本当のお家
もちろん保育園がリラックスしてくれるというと
とてもありがたいんだけど
その子はリラックスできても
周りの子に移しちゃったらもともともないので
感染対策っていう意味でも
お家でゆっくり休んでねっていう風に
なるほどね
あとは
集団生活の場であって
お家ではないっていうのは
なんとなく保護者の方も
だんだんだんだん線引きが曖昧になってくると
いろいろ保育園側に求めすぎてしまうというか
それはお家ですべきことだよね
本来的に第一の家でやったよね
第一の家ですべきことだったり
本来だったらそういう風にやってる家庭がほとんどだと思うんだけど
それを保育園に嫌をなく求めてしまったりとか
ある種甘えが出てしまうというか
それってどんなものを求められるというか
確かに
わかりやすい例で言うと
保育園でおトイレのトレーニングしてるから
お家ではやらなくてもいいやぐらいな考えになってしまう
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それはやっぱり縁に求めちゃダメなもの
ダメというか求めるべきものではないものなんだ
本来であればトイレってすごい社会的な行動なんだよね
別におむつでしちゃダメなわけじゃないじゃん
その子がいいなら一生おむつでしたって別にいいわけだよ
でもそれをおトイレするっていうのは
それは社会的な行動のひとつであって
体の機能的な発達と違うんだよね
それを保育園で
どっちかというと保育園側が
そろそろ始めましょうかって言ってやることの方が
もしかしたら多いのかもしれないけど
本当だったらその子が興味を持って
おトイレに座ってみたいとか
お家でのお父さんお母さんの姿を見ていて
私もおトイレに使いたいみたいになって
行くのが一番手っ取り早いんだけど
お家で忙しくてなかなかそういう場面も見れなくて
関わる時間も少なくてってなってくると
やっぱりトイレに興味がいかないっていうのもあって
なかなかトレーニングが進まないと
でも本当極端な例を言うと
0、1、2歳の間は保育園利用してたけど
3歳から幼稚園に行きますと転院しますと
幼稚園ってトイレおむつ外れてる子の条件になる場合もあると思うから
急にトイレやりたいっすみたいな感じになって
でも保育園でちょっと頑張ってくださいみたいな
ってなったらそれはちょっともう求めすぎじゃないですか
なるほどね
っていう気持ちになるかな
言い方あれだけどまるっと保育園に丸投げしちゃうみたいなところは
ちょっと求めすぎだよね、違うよね
ちょっと違うというか
親の都合でどこを動くっていうのは
トイレトレーニングに関して言えば
それはちょっと違うかなと思う
あとは保育園で基本的には栄養計算されたお食事を提供してるから
保育園でちゃんと食べてるからお家では適当でいいやになっちゃったりとか
あと体調不良の例で言うと
本来なら保育園と契約を結ぶというか利用開始するときに
体調不良のときはこういうふうに対応してくださいね
はいわかりましたっていうのをちゃんとやり取りしてるはずなんだけど
いろんな事情があってすぐにはいけませんということで
1時間3時間ひたすら1日結局お迎えに来られませんでしたってなったと
他の子にもうつっちゃうかもしれないし
何よりその子が不調でつらいしっていうこともあったりして
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それは親御さんにしか成し得ないその子の対応っていうところを
ある種お仕事の都合がほとんどだと思うから
前例が悪いというわけではないんだけど
何というか当たり前のように保育園がそれを受け入れているわけじゃないんだよっていうのは
まあ分かっておいてもらえた方がいいよね
面白いねさっきまで言ってた意味で
第二の家であるっていうことが言い方だけど
やっぱりあくまでも主は家庭にあって
本来第一の家にあって
我々は第二の家だそうと
逆に第二の家であることを逆手に取るというか
同じ言葉だけど
本来第一の家であるところでやってねってことを
意外と第二の家に求めてきちゃうみたいなケース
どうしてもその線引きがだんだんね
親御さんも保育士たちも慣れてくると曖昧になってきて
逆に保育者側からすると
なんというか
親御さん以上にその子のことわかってる
なんとかちゃんはこうだよねみたいな
だんだんそんな気持ちにもなってきちゃう人もね
中にはいると思うんだけど
それも違うと思うし
あくまでも第二の家の保育士さんなんだ
保育者なんだっていうところを常に意識していないと
なるほどね
すごくば痩せがかかった見方をしてしまったりとか
最近流行りの適切保育につながってしまったりとか
そういったリスクにもなっていくから
明確にこうっていう線引きは難しいけど
でもお家ではないんだっていうところがね
第二の家なんだっていう
意識してないと難しいな
実家じゃないぞっていうね
そうね
かなったらね甘えられるかもしれないけど
そうね
面白い
ていう感じかな
はいというわけで今回は
保育園が第二の家だというところを
ちょっと深掘りしていくような内容から
いろいろと話をしてまいりましたが
いかがでしたでしょうか
第二の家って本当になんか
深く考えてなかったけど
意外とまとえた表現というか
確かに
第一の家ではないけど
本文は家庭にあるけれども
第二の家っていうポジション安心とか
ある種プロが関わる場所として
集団的な報道活動の場所としてみたいな意味で
意外と正しいこと言ってるし
いいなっていうか
そういうマインドで保育の現場で働いてる人たち
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保育者側の人たちっていうのはいるのかなってことが
すごい勉強になったなっていうところですね
結構自分もその
題名聞いたことない側の人間だったけど
だいぶスッと入ってきたし
あと単純にやっぱすごいなと思ったのが
保育園ってそう考えると
家庭的な部分
0から2歳をある種親的なもので見るっていうのは
3歳以降では社会的な部分と
ある種ちょっと別軸になり得るはずのものを
同じ園という施設の中で
同じ職員たちが両方やっているっていうのって
冷静に考えるとめちゃくちゃすげえなっていうのを
そうだね本来機能的には分かれててもおかしくない
そうそうそう
そうなんですよ
小学校と中学校一緒にしてるみたいなもんじゃん
ぐっちゃぐちゃだよね
いやでもそうだね
本当に連続的に見てるというか
でもやっぱり0歳から6歳ってすごい繋がってるから
3歳だから急に社会的なことをやるわけでもないし
明確な境がどっかにあるわけではないよね
そうそうそう
でも本当この6年間で
人生の本当に大事な土台の部分を育ててると思うと
保育士ってすごいんですよ
ということで今後も保育園看護師の僕が
保育だったり保健の情報をこのような感じで
いろいろ深掘りしながら発信していけたらいいなと思ってます
概要欄などにGoogleフォームのURLを書いておきますので
感想だったり質問だったり
ぜひぜひ送っていただけたら嬉しいです
スタンドFMの方はね
レター機能っていうのがどうやらあるらしいので
送ってみてください
よろしくお願いいたします
ということで本日もどうもありがとうございました
ありがとうございました
お疲れ様です