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今、田川市碧金パレットから福岡市の自宅の方に車を走らせております。
時刻は夕方の17時56分でございますね。
道がめちゃくちゃ混んでるんですよね。年末だからなのかなと。
まさに師匠が走り回る師走だからなのかなと思ってるんですけども。
年末感がまだまだ全然足りてないんですけど、おそらくその理由はクリスマスを肌で感じてないからかなと思ってますね。
おそらくテレビを見たり街を練り歩くとクリスマス感があるんだろうなぁと想像しながら。
まあ僕はそういうところにあんまり触れてないので、おそらくクリスマス感を感じられてないんじゃないかなと思ってますけども。
クリスマス感を感じないと年末感を感じられないと。だから僕にとっては年末じゃないってことになるんですけど、どうでもいいんですけど。
いやー、あのね、わからないんです。いろんなことが。もうなんかとにかくわからないんですよ。
で、やっぱりこう、まあありがたいことにコテンラジオをはじめとして、アスコープという番組やったりとか、新型オトナウイルスっていう番組やったりとか、
あと超相対性理論とか、ミンラボもそうか、比較的難しい概念的な話を聞くことがやっぱりここ1,2年でめちゃくちゃ増えてるんですけども。
やっぱりね、分かったような分かってないようなっていうところでどうしても終わっちゃうんですね。
これ分かったかなみたいな。いや分かったと思いますみたいな感じになるんですよ。
多分こういうことだろうと。でもなんかここでいつも思うんですけど、分かったってどういう状態やろうって思うんですね。
僕が一番よく例に出すのが健康第一っていう言葉の意味をさあ自分が分かってるのかっていうところなんですけど。
なんか健康第一って健康が一番大事だよっていうその学面通りの意味で捉えようと思えば捉えることができるんですけども。
なんかこれ本当にピンとくるというか腑に落ちる腹落ちするみたいな意味で言うと健康じゃなくなった時に初めて分かるっていうことであると思うんですね。
もう1回死にかけるぐらいの辛い病気になって入院をしてでバッて戻ってきて健康でご飯食べた時にご飯がうまかったみたいな。
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外を走り回ることができた。空が青かったみたいな。今まで通り仕事ができたみたいな時に、はあ健康って素晴らしい健康第一めっちゃ健康第一って思うわけですよね。
これってそれまでは分かってなかったんですよ本当には。で言葉の意味は理解はしていたけど完全に心で響いてなかったという状態ってあると思うんですね。
これはもういろんなことであると思います。
親は大切にしとけよとかもそうかもしれないし、なんかこう誠実さが結局一番大事なんよみたいな言葉もそうかもしれないし。
急がば回れやもんな結局とかいうのも本当に急がば回れ的な体験をしないとそれって響かないわけですよね。
なんかこういうことってめちゃくちゃあると思っててで概念的に難しいことだったりとかあと実生活で体験できないようなこと柄だとなおさらそうだと思うんですよ。
例えば古典ラジオとかがいい例で歴史上の話を聞いているわけなんですけどもなんか殺し合いが行われたりとか政治とか国をめぐった裏切り行為みたいなものが行われたっていうエピソードを聞いたときに僕は実感できないわけですね。
国を背負って何かをしようとしてそこで裏切られて殺されかけるっていうエピソードってあの僕は体験できないのでストーリーとしてはわかる理解できる流れは読めるんですけど共感レベルでバーンとわかんなかったりするわけですね。
お金がなかった時の時代って実はこうだったんですよ。今お金があるのが当たり前だからこうこうこういう社会で成り立ってますけど実はお金がなかった世界ってこうだったんですよとか。
あれでもいいですよその人権の概念でもいいんですけども実は昔って人権の概念なかったんだよ今は当たり前のように人権があるからわからないと思うけど実はこうこうこういう世界でって言われたときに言われて意味はわかるんですけどその人権がなかった世界ってこうだったんですよ。
今は当たり前のように人権があるからわからないと思うけど実はこうこうこういう世界でって言われたときに言われて意味はわかるんですけどその時代を僕はもう一生経験することができないので分かった風な気になるのは精一杯で分かれないんですよね。
もっと言って分かったかどうかの検証ができないってことですね。
よくこういう分かる分からないの話で言われているので言うと人に説明できたら分かったことになる。
それはもう分かっていると言ってもいいよねっていうことってあると思うんですけども実はこれも共感して腑に落ちてなくても意味さえ分かっていれば実は説明できちゃうんですね。
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だからAくんBくんCくんが同じように説明をできたとしてもその分かっている具合、腑に落ちている具合で言うと全員が平等に分かっているかというとこれはかなり怪しい。
そしてここからがちょっと怖いんですけど、それって測定の仕様がないっていうことなんですよ。腑に落ちている具合を測定する手段がないっていうことなんですよね。
じゃあテストを解けば分かるのかっていうとさっき言ったようにテストは意味さえ分かっていれば解けるしなんだったら僕はよく高校の時のセンター対策で言われたんですけども単語の意味とか内容が何言ってるか分からなくても接続詞だけ読んでおけばとりあえずマークシートで点を取れるみたいな話をされたんですよ。
これ本当にそうだと思ってて〇〇は〇〇である、例えばこここうだからである、まとめて言うと結局のところ〇〇なのであるっていう文章があったときにこの文章で何が言いたいか要点をまとめて書きなさいっていうのがあったとしたらもちろんですけど今の部分って最後の結局のところまとめると〇〇なのであるっていう文章があったとしたら
〇〇なのであるっていうところを書けばいいわけじゃないですか。これって〇〇とか△△とか□□みたいな記号で構成された文章でも実は問題を解けちゃうっていうところがあってだから文の構造さえ理解していればさも理解したかのように振る舞うことができる説明することができるんですよそのもの自体が分かってなくても
分かったって僕が何か言ったとして、じゃあ分かったかどうか説明してって言われて完璧に僕が説明できたとしても僕分かってない可能性あるっていうことですよね。それも自分でも分からないんですよ。分かってると思い込んでるだけで全然分かってない可能性があるんですけどもその分かってる分かってないの指標というか測る方法がないんですよ
っていうのがまずあります。これの延長線上にコミュニケーションっていうのがあると僕は思ってますね。
相手の気持ちとか相手が何が言いたいのかっていうことって結局これだなと思ってるんですよ。つまり要は分かったかどうかって分からないしそもそも分かり合えるわけがないわけです。
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もう一回言うと、そもそも分かり合えるわけがないし分かり合えたかどうか測定する手段がないっていうわけですよね。
なんかそれって向こうの反応を見ることでしか何となく察知する手段ってなくて、僕がAはBでCで結局のところDがEになるんですっていうことを強く伝えたときに
うわー確かにマジそうですねっていう人と多分分かったような気がしますっていう人だったらAさんの方が理解したと思いがちなんですけども
これってAさんがしったかぶりをする人だったり大きいリアクションを取るような人だったら立ったりするわけです。
Bさんはめちゃくちゃ逆に頭が良すぎて完全に分かるっていうことなんて不可能だよねっていうそのいわゆる無知の知的なことを踏まえて分かったつもりかもしれないとか謙虚に言ってる感じもあるし
あとは分かりすぎてその言葉の先に何かもう一個レベルの高い問いが生まれてるから本当に分かったって言っていいのかなって頭の中で反芻してるときの分かったかもしれないっていう言葉の可能性もあるわけですよね
こうなった時に僕は反応を見てこの人が分かっている分かっていないっていうことを判断するっていうことも相当危険だなっていうことになるんですよ
そう思うとですね僕が説明する側じゃなくて説明を受ける側人の話を聞く側になった時にはいはい分かった分かりました理解しましたってもし言っちゃうじゃないですか
そうすると僕に説明をしている側は基本的にはもうそれ以上説明をする時間を許されないってことになりますよね
だってあなたが言いたいことは理解しました完璧ですゴールを切りましたあなたの話はゴールテープを切りましたおめでとうございますっていう言葉じゃないですか
はいはいあなたの話は完全に分かりましたって僕が言う言葉ってあなたのトークゴールテープ切ってますよっていうことを伝えるっていうことだと思うんですけど
相手がもしかしたらまだ伝えられてないのにとかまだしっかり自分の中でも説明しきれてる気がしないのにとか思いながらも相手が分かった完全に分かったありがとうって言われたらもう説明する権利がないわけですよ
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でそれ以上言うとうーんなんて言うんですかねこう相手からすると脱足という構造になるんですよだから要は説明されてる側からすると分かったって言ってるのにさらに説明を上乗せされてきたらうぜえなって思われるかもしれないわけじゃないですか
だからじゃあ説明しましたで向こうから分かったって言われましたでも一応じゃあ分かったとは思いますけど念のため補足をしておくとこうこういう時はこうですよねでこうこういう時は例えててこうですねみたいなことを言う時って向こうからすると分かってるのにも分かったって言ってるのになんでまだずっと喋ってんのみたいなことに思われる可能性があるじゃないですか
そう考えると分かったっていう言葉を不要意に使うのってコミュニケーションをその瞬間に断絶させてしまう可能性があるなっていう危険性に気づいたんですよね
でもじゃあ逆に分からない分からない分かった気にはなっているような気がするけど多分分かっていないいやーどうなんでしょうなるほどなるほどって言ったけどやっぱ分かってないですねっていうのをずっと続けられても相手はこうずっとこう霧の中に向かってパンチをし続けていて何にも当たってない感覚を与えてしまうわけじゃないですか
だからここってめちゃくちゃ難しいなって思ったんですよねだからまあある程度分かったら分かったようにな気になっている状態でも分かったって言うしかないし分かったって言いながら本当に分かりましたっていうその分かり終わったって思うのも
危険なのでずっと本当か俺本当に分かったのか俺って問いを持ててないとダメだし
なんていうか
うわぁちょっと15分ぐらいしゃべりましたけどこれ
僕は頭の中にもんやりとあるから分かりますけどじゃあこれを知らない1年前の僕がこの言葉を聞いたときに僕が言いたいことが分かるかっていうと分からないかもしれないですね
とか考えると僕はちょっと寂しくなるときがありますねなんかこう
僕らはコミュニケーションをとっているときに自分と相手が通じ合っているっていうことを確認する術もない中で確認しているはずだっていう幻想を信じて最後まで分からずに死んでいくしかないっていうことをバッと思ったときにめちゃくちゃ今寂しい気持ちになっています
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分かり合いたいんでしょうねやっぱりね僕は