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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。
我が家の年少さんの末っ子なんですが、幼稚園には幼稚園バスで行って帰ってきてるんですね。
いつも行きも帰りも幼稚園バスなんですけど、今日だけは長女を学校に送らないといけなかったので、時間的にもその帰りに末っ子を送った方が流れ的にスムーズやなと思って、
行きのバスをキャンセルして送っていったんですよ。
私としてはね、バスに乗るよりもママに送ってもらった方が嬉しいんじゃないかって勝手に、本当に勝手に思ってたんですけど、
全然そんなことなかったらしくて、
なんで今日はバスに乗れへんのやっていうね、クレームが運転中も後ろの席のチャイルドシートからね、もうガンガンに言われてて、なんでなの?みたいな。
バスが楽しみやったのに、みたいなことをね、ずっと言われておりました。
そうやったん?と思ってたんですが、
我が家長女が本当にバスも嫌、行きのバスも帰りのバスも嫌、預かり保育も嫌、とにかく早くママに送ってほしいし、ママに迎えてほしいしっていう子だったんですよ。
だからその時の印象が強すぎて、子供ってバスよりもママに送ってもらう方が嬉しいんやなってことを勝手に思ってたんですけども、
それは長女に限るっていう感じだったみたいで、少なくとも末っ子はバスがめちゃくちゃ好きだってことが今回わかったんですね。
確かに、保育園から今回の幼稚園に転園する時も、あのバスに乗れるっていうことをモチベーションに、環境はね変わって不安だけど、あのバスに乗れるからっていうことで頑張って幼稚園に行ってたところもあったんですよ。
ただ、なんか幼稚園バスという存在が末っ子にとってそこまで大きな価値をね、持っているものだと私もちょっと想像以上だったのでびっくり、そして送って行ってごめんなさいっていう気持ちになってました。
でも帰りはバス乗って帰ってきてもらうし、明日のバス乗って行ってもらおうという気持ちです。
はい、今日のテーマなんですが、今日のテーマは仲間という言葉についてお話をしたいなと思います。
これはですね、この末っ子、年少さんの末っ子との会話とか、やりとりの中で私が感じたこと、気づいたことをシェアできたらなと思うんですけど、
結論から言うと、小さい頃からの言葉の擦り込みってやっぱり大きいよなっていうことなんですね。
何があったかというと、めちゃくちゃ細かい話で伝わるかなって思ってるんですが、
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私と末っ子で2人でお風呂に入っていて、私が髪の毛を洗っている間に末っ子がお風呂のおもちゃで遊んでたんですよ。
我が家はお風呂のおもちゃの中の一つで、スポンジのブロックみたいなものがあって、テトリスのパーツみたいなものがスポンジになっていて、
それが浴室の壁にくっついたりとか、お風呂のところにくっつくようになっているやつで、
それをブロックみたいに、本当にテトリスみたいにして遊ぶものがあるんですけど、
それがだいたい3,4種類の形のものと、3,4色ぐらいの色で分けられているっていうような感じ。
合計20ピースあるかないかぐらいのものなんですけど、それで末っ子がそれを並べて遊んでたんですよね。
その中でアルファベットの大文字Lの形のものを集めていて、色はそれぞれ色々だったんですけど、
Lの形のものばっかりを集めてたんですよ。
その時に私が、同じ形の仲間やなって言ったんですよね。
それ私何にも考えずに、本当に頭洗いながら、泡のまま片目だけ開けてパッて見て、
Lが並んでるから仲間やなみたいな、本当に何も思わず言ったんですよ。
言ったんですけど、その後もう一回目閉じて頭洗いながら、仲間やなって今びっくりするぐらいスムーズに自分の口から言葉として出てきたけれども、
同じ形やから仲間やなっていうのって本当にこれ、なんかちっちゃい頃から何の問題もなく、問題視することもなく、
私が使い古してきた言葉だなってことに気づいたんですよね。
で、なんかこう算数の問題とかにもあった気がするんですよ。
同じ色で仲間分けしましょうとか、同じ形で仲間分けしましょうとかね。
なんかそんな感じで使われていたし、
なんかこの仲間っていう言葉はいいとか悪いとか全く何にも考えずにめちゃくちゃ簡単に使っていたし、使われていたし聞いてきた言葉だったな、ちっちゃい頃からって思ったんですよね。
だからこそ何にも考えずにめちゃくちゃスムーズに同じ形やから仲間やなって出たんだと思うんです。
でもこれ言葉遊びみたいなもんですけど、よくよく考えたら同じ言葉は仲間ってことは、
同じ形は仲間ってことは、言い換えれば違う形は仲間じゃないってことになるよなって思ったんですよね。
これはたかがスポンジのブロックの話ですけど、
でもこれが結局人間関係とかそういうところにもちょっとずつちょっとずつ子供たちの中にそういう言葉が擦り込まれていって、
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自分と違うからあの人は仲間じゃないとか、
そういう考え方につながっていくような気がするなと思ったんです。
どうしてもその日本っていう国は同じがいいみたいなところっていまだにまだまだ根強く残っていると思うし、
そこが今はこうねなんか多様性とかもすごく言われてきているから同じじゃなくてもいいんだよって頭で思ってるんだけれども、
やっぱりちっちゃい時から擦り込まれてきた同じがいい同じが仲間みたいな感覚って
頭でわかっててもなかなか心がついていかなかったりだとか、
実際にこの我が家の不登校の話とかもそうです。
不登校の話とか発達障害ちょっとグレーかもみたいな話とかもそうですけど、
実際に自分がその立場になったかもしれないとか自分の家族がそうかもしれないみたいな時って、
頭でわかっているんだけどなかなか自分の本当の意味で腑に落ちないみたいなことはすごく起きるんじゃないかなと思うんですよね。
なんでそれ起きるかっていうとやっぱりちっちゃい時から同じがいいってされてきたり同じが仲間っていう直接的にではなかったとしても間接的にね、
このブロックの話とかめちゃくちゃ間接的ですよね。
でもその間接的に同じが仲間同じがいい。
違うっていうのは仲間外れだとか違うっていうのは仲間外れを超えて敵みたいな風に捉えてしまっている。
でもそれは自分が悪いわけでもなければ教育が悪いわけでもなければ本当に誰が悪いわけではないんだけれども、
でもそういう擦り込みが自分自身にあるんじゃないかってことを知っておくことだけでもかなり大きいんじゃないかなと思うんですよね。
でもそれを思ったのと同時にこれ頭洗いだからどんだけどこまで一人で言っとんねんって感じなんですけど、
それを思いながらでも今仲間って言っちゃったな仲間って言ったら変な捉え方子供がしないかなとかって思いすぎちゃうと気にしすぎてしまうと、
どんな言葉も発することができなくなっちゃうなと思ったんですよ。
これ言ったらこう受け取るんじゃないかなとかこんな言葉使ったらダメなんじゃないかなとかって思うと本当に何も言えなくなる。
何の会話もできなくなるからそこは別にもしかすると今回は誤解して受け取るかもしれないけれども、
別にそれが最初で最後のその言葉との出会いなわけではないし、
もしそういうね何か言葉で受け取り方、仲間っていう言葉の受け取り方だったり定義とかっていうのがなんかちょっと違和感あるなって思ったら、
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そこは何度でも後からフォローできたりとか話したりとかできると思うんですよ。
なんか気にしすぎて何も言えなくなって子供との会話とか対話がなくなるっていうのがなんか本当に本末転倒だなと思うから、
なんかそこは何でしょうね対話を通して子供とのどんなにちっちゃくてもね、子供との会話を通じて色々そこは子供の考えも聞きながら言葉っていうのを扱っていければいいのかなって思ってました。
本当にねシャンプーしながら一人でどこまでも行って、もう気がついた頃にはねもうそういう子はいなかったですよね。
もう上がるみたいな感じでパパのところに行ってましたけど。
だからそこを知っておく。自分自身もそうやってもしかすると、
小さい頃とか幼少期だったり幼少期じゃなくても学生時代とか若い頃とか大人になってからもそうかもしれないけれども、何かこう言葉を誰かからもらった時に傷ついたり嫌な気持ちになったりとかそこに対する何かしらの思いが生まれることとかもあると思うんですよ。
でもそれってもしかするとその定義、言葉の定義が相手と違ったかもしれないし、なんかそんな感じで擦り込まれている、あんまり居心地の良くない言葉とかもあるかもしれないし、
っていうのをね思うと本当に言葉って奥深いなと思ってこれ以上話すと本当に宇宙に行ってしまいそうなのでこの辺で終わりにしようかなと思うんですけど、やっぱり言葉面白いなと思ってました。
ちょっと余談なんですが、最近読んだ本で斉藤隆さんという方が書かれている子供の語彙力を伸ばすのは親の務めですっていう本があるんですけど、
それを1ヶ月ぐらい前に読んだから余計に言葉に対していろいろ考えることも私自身あったのかなと思ってたんですけど、
気になれる方はぜひぜひこの言葉の話語彙力のことを書かれているので読んでみていただけたらなと思うんですけど、
斉藤隆さんという方は子供向けの本も書かれていて、これボットキャストの中でもしかしたら何度か紹介しているかもしれないんですけど、
友達ってなんだろうっていう本を書かれていて、その他にも子供向けの本って書かれてるんですけど、
これが小中学生向けなのかな?
それを我が家の長女がすごく好んで読んでいて、線とかめちゃくちゃ引いたりとか、それをまとめてメモに書いたりとかするぐらい、
本当にちょっと崇拝している方なんですね。
斉藤隆さんという方は大学の教授されている、本当に写真だけ見たら優しそうなおじさまという感じなんですけど、
最近の長女の推しなんですね。
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一番の推しは、ゆーちゃみっていう白ギャル、長女が言うには令和の白ギャルって呼ばれてるらしいんですけど、
ゆーちゃみさんと斉藤隆さんが長女の推しでね。
私も長女の推しってことで、本があったらちょこちょこ読んだりしてるんですけど、
ゆーちゃみと斉藤隆さんって振り幅広すぎやろって思うんですけど、
この本面白かったので、ぜひぜひ読んでもらえたらね。
気になられる方は読んでみられたらいいんじゃないかなと思います。
はい、ということで、今日のテーマは仲間という言葉についてお話をしました。
言葉ってすごく奥が深くって、いろいろね一言で表されることでも、
それに対してどんな定義を持っているかとか、
それを小さい頃から聞いてたら、それに対しての刷り込みがあるかもしれないとか、
いろいろ本当に奥が深いんじゃないかなと思うんですね。
今回は仲間という言葉について、私が感じたこと、気づいたことをシェアさせていただきました。
はい、ということで最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
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ということで、今日も素敵な一日になることを願っております。