00:01
田中優子
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今回はね、この間ね、雑談会で、中受やるぞっていう、中受をポッドキャストでテーマとして扱いたいっていう話をしたんですけど、
2024年、今年はですね、中学受験について考えていきます。
発足会ですこれは。何から始めようかってことなんだけれども、
やっぱさ、こういう、まずは自分たちの振り返りみたいなところから始めるべきなんじゃないかなって思うんです。
私、中受やってないです。中学受験、私自身はやってない。で、陽子ちゃんはやった。やったと。中高一貫校に行った。私立に行ったと。
私はさらに中学受験やってないんだけど、私立中高一貫校に高校から入りましたっていう感じなんですね。
で、そこからこう、自分が何を感じてるかみたいな、その中学受験に対するスタンスみたいなものも、私から見えること、陽子ちゃんから見えること。
自分がこういう子だったから、こういう特性があったとか、こういう経験をしてきたから、中学受験に対してこう思ってるとか、
あるいは、中学受験だけじゃないけど、勉強とか受験とか、学校選びとか、そういうのって、どうやって自分が歩んできたかみたいなことってさ、
キャリアを考えるにあたっても、やっぱり自分の振り返りみたいな話ってあると思うのね。この先のことを考えるにあたって。
みたいな感じで、自分の子供のことを考えるにあたり、まず自らの振り返りをしてみてはどうかということで、今回それをしたいなというふうに思います。
じゃあちょっとね、まず中中経験者の陽子ちゃんについて、私聞きたいなと思うんだけど、小学校は公立。陽子ちゃんは出身は福岡県です。福岡県の北九州市です。
地方だけど都会だよね。一応100万人都市だよね。多分切ってる。今はもう切ってるんじゃないかなって。当時は100万人いて、デパートとかもある、地方都市。都会ってことでもないけど、地方都市っていう感じ。
岡澤陽子
新幹線止まるし。
田中優子
そうそう、新幹線止まるし。
岡澤陽子
で、私たちの世代は子供の数も多かったじゃん。段階ジュニア的な感じで、小学校の時とかも一学年、うち田舎だけど、一学年4クラスだった。
03:13
田中優子
中学入ると5クラスだったかな、みたいな感じだったんだけど、陽子ちゃんは北九州の公立小学校に行ってたんだけど、そこから私立中学って周りはどうだった?
岡澤陽子
全然クラスに、学年に2,3人みたいな。クラスに1人いるかいないかみたいな感じ、中学受験する人とかって。全然いなくて、私は4人、兄弟2番目なんだけど、うち4人ともみんなそこの私立に行ってんね。私立中学受験をして。
田中優子
同じ学校にね。
岡澤陽子
姉が先に受験をして入ってたんだけど、中学受験させようとしたのは、まずは最初は親の意図だと思うんだけど、じゃあうちの親がなんで中学受験をさせようと思ったかっていうと、
一つは北九州でさ、結構ヤンキーが多い地域だったわけ。そのまま学校の公立中学に行くとなかなかに荒れていて、っていうところでの、そこのまま行ったら危ないんじゃないかっていう。
田中優子
危ないんじゃないかって言ってもね。
岡澤陽子
まともな人もいるんですよ。
田中優子
そりゃそうだよ。大多数はそこに行くんだから。
岡澤陽子
まともな人もいるんだけど、まあでもちょっと大丈夫かなって思ったっていうのが一つ。で、あともう一つは、うちカトリック系のミッション系の中高に行ったんだけど、そこ敷地内に修道院もあって、シスターもいて聖書の時間もあって、挨拶はご機嫌ようという学校なんだけど、
母親がカトリックで、教会関係のつながりとかすごいあるんだよね。だからその学校に関しての情報も母親はよく多分持ってたんだと思うんだよ。
田中優子
お母さんも九州の人?もともと?
岡澤陽子
そうそう。
田中優子
地元の人?北九州の人?
岡澤陽子
北九州。
田中優子
お母さんも中高とか私立なの?
岡澤陽子
うちは両親とも公立中学校、県立高校、で国立だ。全部こう、公立で行ってる。
田中優子
けどまあ、まあ言ったら高学歴なお両親。で、お父さんお医者さんだからね。
まあだからいいとこのお嬢さんですよ。
岡澤陽子
ふたりとも九大ですよ。九大の同級生。
田中優子
同級生なんだ。
岡澤陽子
そう、高校大学の同級生。
田中優子
お母さん理学部って?
理学部。
理系でね。リケジョですよ。
岡澤陽子
リケジョですよ。当時の。
田中優子
ねえ。1940年代生まれでしょ?
06:01
岡澤陽子
そうそう、昭和23年くらいじゃない?48年生まれ。
田中優子
48年生まれ、段階の世代に女性で九州大学の理学部で、でも専業主婦なんだよね。
岡澤陽子
今はね。
田中優子
最初ちょっと働いたんだっけ?
働いた。
岡澤陽子
あ、そっかそっか。
働いたんだけど
いわゆる九州男子
うちの父が
家に帰った時に
奥さんがいないのが嫌だと
言うので
出張もない仕事に変わり
子供ができたタイミングで
仕事を辞めて選挙者になった
田中優子
結構お母さんは
岡澤陽子
教育には熱心だったんだよね
多分そうそう
その辺のエネルギーをね
教育に向けたんだと思うんだよ
頭のいい人だし
あと知的好奇心が
旺盛だから多分その辺
結構意識が高くて
いろいろ
調べたりとか
自分もカトリックで
ミッション系の学校の
神父さんとかさ
そういう人たちも知ってるし
いろいろ聞く中で
いいなと思ったんじゃない
そこの学校に行かせたいと思ったんだと思う
だとやっぱり
選択肢もない
中学校受験するにしても
選択肢がなくて
多分2つとか北九州の
あの辺で通える?
2つ3つぐらい
特に女の子で
男の子で寮に入る
とかだったら
あったかもしれないけど
選択肢もない中でだと
ミッション系の学校
って思ったんだ
で
中学受験する方向に
親が持って行って
私自身は
それが嫌だとか
なんで自分は
受験しないといけないんだ
周りは受験してないのにとか
田中優子
あんまり思わなかったんだよね
岡澤陽子
それはさ、お姉さんがそうだったから?
それもあるし
最初に塾に行った時に
別に塾が嫌じゃないと思ったのと
田中優子
何年生の時?塾行き始めたのは
岡澤陽子
4年の終わりとかだった
4年の終わりぐらいで
で学校の勉強が
割とできてた
から塾に行って
でもさ、学校の勉強と塾の勉強
ちょっと違うじゃない?
だから初めてのことが
伝えあって
今でも覚えてるのは
最初に塾行った時に
知らないことがいっぱいあったんだけど
それが嫌だったの
自分ができないことがあるとか
分からないことがあるのが嫌で
帰ってきて
その足で
参考書か何かを書いたい
みたいな感じで買いに行って
で、目の前に
時計をガンって置いて
時間測ってやってた
すごい
クイズじゃないけど
09:01
岡澤陽子
クリアするみたいな
田中優子
そういうノリ
岡澤陽子
そういうノリ
で、それで
やってたから
田中優子
その塾はもう中学受験のための塾なの?
岡澤陽子
中学受験のための塾
そうで
親がよく見てるなと思うのは
姉と
私で行った塾が違って
姉のは
Z階系の
だけど
リアルもあるみたいなところの塾で
何て言うかな
ペース
そんなに
押さずに
レベルは高いんだけど
個人のペースを見ながら
しくしくとやっていくみたいな感じで
私が行った塾は
もうちょっと甘々せちゃったけど
今の二次農研系列だと思うんだけど
結構体育会系で
それこそ当時
宿題はするとさ
デコピーみたいな感じの
塾
でも
先生が圧が強くて
でも授業すごい面白いみたいな
感じで
そこに私は行って
性格を見てたと思うんだけど
田中優子
そもそも
私立の中学校
中高一貫校
そこが
ヤンキーが多い地域で
公立に行かせることに不安があったから
私立に行かせたっていうパターンだ
という話だけど
学校に行く目的って
そういう部分もあるけど
さらに上の
大学受験
っていうことを意識して
行かせるっていうパターンもあるわけじゃん
例えば
女の子だからとかが
あるかどうかわからないけど
医者のお家だし
将来
いい大学になってほしいとかね
あるいは
わかんないけど
二人とも高学歴
ご両親も高学歴だから
いい大学に行ってほしい
みたいな
そういうことのために
大学受験を見据えて
中高一貫校に入れるっていうお家も
岡澤陽子
多いと思うんだよ
うちの親は
明確に聞いたことはないけど
そこまで考えてなかったんじゃないかな
って気がする
私が行った中高の
学習率って
小学校からのね
小中高とあって
高校の
すごい成績トップの子は
東大に毎年
一人二人ぐらいは出るけど
その中大勢行くわけではないし
短大に行く人もいるし
結構すごい
幅が広かったんだよね
田中優子
超進学校だとかそういうのじゃないんだ
岡澤陽子
お嬢様学校ではあるって感じ
どっちかっていうとお嬢様学校で
中学も男女別学で
12:01
岡澤陽子
私の年から
高校は女子校だったの
私の年から男子も入るようになって
今は完全に教学になってる
学校なんだけど
どっちかっていうとお嬢様学校的な感じで
すごい進学校って感じも
なかったから
あんまり大学進学を見据えて
大学というよりは
教育内容とか
考え方
みたいなところに
母親が共感をしたっていうのが
大きいんじゃないかな
と思う
田中優子
塾に行き始めて
私立に行くんだなって時に
学校選び的なものは
お母さんがここの学校で
お姉さんも行ってるし
自分的には
選んだって感じじゃなくて
岡澤陽子
もうここ行くんだみたいな
そういう子しか受けてないし
そこにあまり
選択があるという意識もなかった
実際入ってみて
合わないなって思って
何回か私はこの学校は
合わないから辞めたいと思う
みたいなことを
田中優子
言ったことがある
岡澤陽子
すごい
シスターとかが
うるさいわけ
拘束も厳しいし
例えばね
男女別学で
建物が
男子校舎と女子校舎と
向かい合ってあります
女子校舎の教室のベランダの
お迎えに男子校舎があるわけ
ベランダに出てると
その次の授業とかで
そんなにベランダに出て
男子の校舎を見て
はしたない
だったらベランダこっち側に
作らないみたいな
見るも何もベランダに出てただけです
みなさんみたいな感じで
だけどすっごい花瓶に
女の子は
田中優子
とか
岡澤陽子
はしたないみたいな感じで
いうのがすごく
田中優子
うるさい学校だった
岡澤陽子
なので
別に
男女校舎やんちゃらというよりは
理不尽な考えを
言ってくることが
ちょっと耐えられなかった
っていうか
迷える個室時間
田中優子
満載で
岡澤陽子
やだった
卒業して一回も戻ったことがない
中高
中高
だけど良かったなと思う点は
6年間だから
カリキュラム
ユニークだし
最初の1年とか
田中優子
英語教育も
岡澤陽子
いわゆる
公立中学校のテキストとかでは全然なくて
フォニクスって
発音から徹底的に
15:01
岡澤陽子
やったりとか
すごいユニークだったから
私が留学
なしで
今ではそんなにできるわけじゃないけど
そこそこ英語ができるのは学校のおかげだと思う
そういう意味では
カリキュラムとしては良かったんだろうなと思う
田中優子
小学校の時の話
少し戻ると
塾に行くよりも前に
習い事とか
家庭学習も含めて
学校以外の
勉強やら
習い事みたいなのって
どういうことをやってた?
岡澤陽子
塾的なものは
なかったし
苦悶も
言ってなかったし
うちの親は
苦悶は意味ないみたいな感じの
考え方で
家庭学習的なものを
やってたのかな
あまりこの過去は覚えてないけど
だけど
すっごい遡って
幼児教育みたいなレベルで行くと
うちの母は
教育熱心だった
ブロックとかを
手作りで
作って
色分けしたブロックとかを
手作りで作って
田中優子
形を作ったりとか
岡澤陽子
そういうのとかをやったり
してた
母親が自分でプリントを作って
だから幼児教育的なものは
結構母親が
熱心だったんじゃないかな
なるほどね
勉強みたいな感覚ではなかったけど
習い事は
ピアノとか
バレエとか
やったりしてたけど
ピアピアは
中学高校までやったのかな
バレエは
すごい好きで
唯一
この47年の人生の中で
習い事で
唯一やめたくないって
親に訴えたんだけど
田中優子
やめさせられたっていう
岡澤陽子
それなんで?塾に行くため?
違う違う
送り迎えが大変だった
うち4人兄弟で
送り迎えが
親の負担がちょっと
苦しいっていうのと
あと発表会とか
準備とかも結構大変
岡澤陽子
でも後から聞くと
父親が
やめてくれって言ったんだって
なんで?
母親がバレエの
送り迎えとか
発表会とかで
田中優子
時間取られるから
家のこととか自分のことを
なるほどね
岡澤陽子
時代です
時代だね
田中優子
そう
岡澤陽子
だから唯一
やだったのはそれくらいかな
やめたくないって言ったのは
それくらいで
18:01
岡澤陽子
塾で
塾が始まったから
やめた習い事は
例えば
書道とか近所の書道とか
そういうのはあるかもしれないけど
特に大きく
変わった感じはしない
うーん
田中優子
そっか
岡澤陽子
生活が
田中優子
塾にその4年生の終わりくらいから
行き始めて
週何回くらい行ってた?
岡澤陽子
覚えてないんだけどね
何教科で受けたかも覚えてないんだけど
週3?
田中優子
ぐらいは行ってたんじゃないかな
塾のテンションとしてはさ
もちろん中学受験塾で
わかんないけどさ
すごいこうね
サフィックスとかさ
そういうテンションの
何巻目指すぞ
四夜大塾はちまき巻いて
よく
私あんまり行ったことないからわかんないけど
そういうイメージあるけど
そういうテンションはある塾だったの?
岡澤陽子
割とそうじゃないかな
ちょっと厚めだった
でも別に元旦から合宿やりますみたいな
そんな感じでもなかったけど
でも結構厚い
感じではあって
で
私はなんかね
塾が面白かったんだよね
社会の先生とか
すごい面白かったし
国語の先生の小話とかも
すごい面白かったし
社会の先生が好きで
バレンタインチョコ持ってたり
田中優子
そういう系の好きね
混ぜてたからね
岡澤陽子
混ぜてたから
塾の先生の話とか
かっこいいとか
面白いとか
田中優子
大事だよね
子供だからね
大事だよ
岡澤陽子
みたいなノリで
行ってたから
あんまり苦痛という感覚は
なかったかな
で
塾そんなに覚えてないんだけど
でもさ
今のサピとかもそうだけど
学力でクラス編成される
学力でクラス編成される
されてたの当時も
田中優子
何クラスぐらいなの?
覚えてない
岡澤陽子
結構大きい塾?
そこそこ大きくて
一番上にいたんだけど
その一番上から
落ちちゃう子とかもいるわけ
そしたら
その一番上から落ちた子が
休み時間とかに
遊びに来た時とかに
すっごいずば抜けて
頭が良い男の子がいたんだけど
中にいたんだけど
その男の子が
お前クラス落ちたくせに来んなよ
田中優子
今聞く問題と同じじゃないですか
今聞く問題と同じじゃないですか
クラス分けするとそうなるの?
クラス分けするとそうなるの?
岡澤陽子
それで
言うの言って
私すごい
しかもそれを
21:01
岡澤陽子
先生その場にいたのに
注意しなかった
それがすごいおかしいと思って
それがすごいおかしいと思って
私がその男の子に怒ったわけ
私がその男の子に怒ったわけ
何言ってんの
田中優子
ようこちゃんぽいね
小学生の頃からね
岡澤陽子
小学生の頃から
それで
私が怒ったら
塾の先生がようやく
塾の先生がようやく
ちょっとたしなめるっていうか
注意をして
その時に
塾だから
当たり前っちゃ当たり前なんだけど
勉強ができる子に関しては
勉強ができる子に関しては
何やっても若干許されるっていうか
特別扱いっていうか
特別扱いっていうか
塾のパフォーマンスを生み出すからさ
塾のパフォーマンスを生み出すからさ
その年のね
でもかといって
何言っても許されるわけじゃないっていうか
田中優子
人としてさ
そうね
岡澤陽子
みたいなところで
小6から行きどうかって言ったんだけど
大人はこういう考え方をするんだ
大人はこういう考え方をするんだ
強烈に思った小6
強烈に思った小6
そうそう
当時からそういうのはね
田中優子
あるよね
でもさ
超進学校だったわけじゃないっていうことだから
そんなに受験自体も
まあ横ちゃんの成績が良かったっていうのもあるんだろうけど
そんなに
普通に塾に通って勉強してたら
合格できる感じ?
合格できる感じ?
岡澤陽子
そんな感じだと思う
そんななんか
狂気な感じでは全然なかったし
地方でね
東京の今みたいな状況では全然ないから
東京の今みたいな状況では全然ないから
性格もあるけど
私は全然苦痛じゃなかった
むしろ面白かったし
田中優子
むしろ面白かったし
なるほどね
高風はさ
かなりカソリック系の
なんていうか
厳しめな
男子見るだけではしたないみたいな
そういう学校だった
勉強はどうだったの?
なんかさっきのね
英語はずっと
英語は良かった
まあね普通の公立中学行ってないから
どんな感じかとか比較できないかもしれない
まあでも自分の子供は
あでも公立じゃないか中学
私立だね
なんかどうなんだろう
その
カリキュラム的にやっぱり
中高一環だと前倒しでやったりとか
岡澤陽子
やるやるだから高2でほとんど終わるんだよね
基本的に高2で
全部終わらせて
高3は受験勉強みたいな感じになるから
高3は受験勉強みたいな感じになるから
まあ早い?
うんうんうん
高校受験がないから
中からもう先取りが始まるっていうか
そうだよね
なんかそういう意味では
なんか
24:01
岡澤陽子
受験
の期間は結構
受験に専念できるっていう良さは
あったと思うし
あとその
なんていうか6年間って長いじゃん
小学校みたいなもんだから
中3とかも
結構ゆっくりゆったり
過ごせるっていうか
そういうところはすごい良かった
かなと思う
なんかその
3年でしかも受験があるから
みたいな感じになると
結構細切れ感がある
気がするんだけど
6年あってその6年の中で
どうデザインするか
っていうのは
結構余裕があるなっていうのは
すごい思って
そういう意味で私は中高一環は
田中優子
いいなって思った
洋子ちゃんのところはさ
お姉さんお医者さんじゃん
岡澤陽子
弟もお医者さんだよね
でも弟はね大学変わったんだよ
あそうなんだ
弟は現役では
東大の工学部に行った
工学部
東大の理事に行って
でも大学の
1年の終わりぐらいに
2年の初めかな
それぐらいの時に
やっぱり医者になりたい
で大学受験し直して
で熊谷の医学部に行った
田中優子
洋子ちゃんさ
医者になろうとか全く困らなかったの
岡澤陽子
ちらんと考えたんだけど
姉も医学部だったし
周りも
お医者さんの家庭が多い学校だったんだよね
田中優子
ありがちありがち
岡澤陽子
すごいお医者さん多くて
周りも医者志望が多くて
こんなに
いっぱい医者志望がいるんだったら
医者にならなくてもいいかなって思った
そうなの?
田中優子
っていう選び方
でも文系でしょ
岡澤陽子
数学得意だったのに
でも理系には行かなかった
理系の学部で興味があるとしたら
医学部だけだけど
働い者が多いから
じゃあいいわと思って
田中優子
勉強は真面目にやってたの?
岡澤陽子
中高
まあまあ
ずっと一番だったんだ
中学の時はそうでもなかった
中学の時は
中の上とか上の下ぐらいだったと思うんだけど
上の下ぐらいかな
だけどそこから
どんどん上がっていって
田中優子
それなんで上がっていったんだろう
岡澤陽子
なんでだろうね
塾とかも行ってなかったんだけど
多分中学は塾行ってないけど
高校は行ってた?
高校は行ってた
中3の終わりぐらいから
だいたい一番
だいたい一番か二番
上位三番ぐらいには入る
みたいな感じになった気がする
田中優子
結構幅広いって言ってたけど
東大行く子もいれば
27:01
田中優子
短大の子もいるし
みたいな幅広いところ
学校の進学指導っていうのは
どんな感じだったの?
岡澤陽子
あんまり
あんまり
進学指導みたいなこと
すごいしてもらった記憶はないね
でもさ
田中優子
ひとつ橋を受ける
東京へ行くとか
学年にもちろん
東京に行く人もね
いるんだろうけど
でもマジョリティではないでしょ
岡澤陽子
マジョリティじゃない
しかも文系に行くと
学校は社会一つしかしないから
東大・京大を受けたい人は
自分でもう一つやる
みたいな感じだった
途中まではもちろん
全部やっていくんだけど
高2か高3ぐらいで
文系は社会一つだけだったから
そこまでやったことを含めて
予備校も使いながら
もう一個は自分でやる
みたいな感じで
私は
社会に行くのがやだったから
東大・京大は
選択肢から外れて
ひとつ橋みたいな感じ
の選び方をしたけど
京大を受けた子は
田中優子
自分でもう一個しかやってない
岡澤陽子
そんなにすごい新学校
って感じもない
でも理系は医学部受けてる子は
田中優子
すごく多い
なるほど
学校の勉強自体は
めっちゃ勉強したつもりはないけど
学校の授業
成績は良かったし
受験勉強は
何を中心に
自分では
あんまり学校は頼りにならない
岡澤陽子
予備校系は
行ってたし
でもなんかね
わからないのかな
だから
例えば数学が得意
だなっていう
自覚があって
数学もさ
いろいろあるじゃん
それすらも覚えてないけど
単元がさ
いろいろあるじゃん
その中で苦手なものが
二つぐらいある
だけど私は数学が得意
だからこの二つ
苦手なのがあるっていうのは
許せないわけ
なので例えばこの
この苦手なものを
得意にします
みたいな感じで
やるっていう
クリアしていく
田中優子
みたいな感じ
でもすごい自分で
課題設定っていうか
目標設定して
自分でちゃんと何をやるべきか決めて
それを実行する
別に学校が言ったわけでもなく
多分そこまで来ると
親がなんとか関係ないと思うんだけど
30:01
田中優子
自分で
岡澤陽子
やってたってことだよね
田中優子
だからそれは親からしたらさ
手のかからない
優秀な子ども
みんなそうなんじゃない?
岡澤陽子
どうなんだろうね
田中優子
優秀なって
4人いて4人ともちゃんとしてるって
岡澤陽子
すごい
田中優子
親からしたらね
4人いたらさ
ハズレ地がいてもおかしくないじゃん
岡澤陽子
だいたいそうなんだよね
だからそれは
親もよかった
っていう
デビューみたいだよ
やっぱほら
一人ちょっとハズレ地がいたりすると
田中優子
すごい強烈なコンプレックスを
抱いたりとかするじゃない?
お姉さんこうだからとかっていう
そのプレッシャー?
みたいな
そういうのも
あんまり感じることもなくというか
十分
それぞれみんな優秀だったっていうか
岡澤陽子
そうですね
でももちろんそのレベルの中で
うちは姉は
めちゃめちゃ真面目で
私はそんなに真面目じゃなかったから
なんか容量の良さで
行くみたいな感じだったから
なんか
お姉さんは
ちゃんとしてるなと思って
っていうのとかは
いろいろ思ってたりはしたけど
でも大きな目で見れば
みんなそこそこできてた感じじゃない?
田中優子
なんかさ
勉強関係でさ
めっちゃしんどかったとかさ
岡澤陽子
なんか
田中優子
中高時代
小中高で
苦労したとか
辛かったとか
そういうのは
そういう時期とか要素とかはなかった?
勉強で
順調だったんだね
岡澤陽子
あんま記憶にないか
でも
それこそ覚えてないけど
小一ぐらいの時に
計算ができてなくて
母親が焦って
すごい計算をやらせてたらしいよ
田中優子
計算って
小一ってことは足し算引き算
岡澤陽子
そうそうそうそう
これはやばいみたいな
っていうのは
あったみたいだけど
そうだね
あんまり困ったとか
ないかもしれない
田中優子
あんま参考にならないな
そんな家のほとんどいない
ほとんどいない
でもさ
自分が苦労してないわけじゃん
まあ言えば
自分の子供を
岡澤陽子
見るとさ
田中優子
そうはいかないわけじゃん
岡澤陽子
うちの子たちがこれまた
二人とも勉強嫌いでね
勉強嫌いだし
一人はちょっと多分学習障害的なところもあるから
真面目なんだけど
33:01
岡澤陽子
やっぱりなかなか
うまくできないし
ほんと真逆だよね
でもなんかね
しょうがないよね
個性っていうか
そうそうだから
なんでわかんないんだとか
っていうよりは
もちろん
わかるために教えたり
サポートはするんだけど
でもやっぱりそれぞれの
個性が
特性があるし
だからなんか
しょうがない
田中優子
でもさ
その
高学歴の親
からしてみるとさ
子供を自分を
基準にするっていうのはあると思うんだよね
陽子ちゃんはそうやってさ
この子にはこの子の特性があるしとか
受け入れてるといえば
受け入れてるんだと思うんだけど
そこをさ受け入れられない人とか
岡澤陽子
いると思うんだよね
田中優子
全国多いと思う
そこさ一切ジレンマはなかった?
岡澤陽子
うーん
なくはなかったけど
なくはなかったけど
岡澤陽子
しょうがない
かなっていう感じは
あって
なんかその
特にその
お兄ちゃんの方はずっと保育園の頃から
保育園の先生からも
ちょっと疑った方がいいです
とか
保育園の先生からも言われてみたいな
助走がずっとあるから
あの
まあ割と
まあまあ
そういうもんっていうか
感じの受け入れがあって
逆に娘の方は
嘘もつくし
容量もいいし
ズル賢いから
勉強嫌いだけど
地頭は悪くない
っていうか地頭はいいと思ってたんだけど
あの
塾の入塾テストに
ことごと受からなかったっけ?
でその時に
田中優子
ちょっとびっくりしたっていうか
岡澤陽子
で
そんなレベルだと思わなかったから
なんだけど
でもいろいろ話を
聞いてみると
その子はその子でまたユニークで
あの
さっきさ、私はできないこと
があるのが嫌で
テスト受けたら
それは低い点より高い点の方が
いいよね
みたいな
当たり前?みたいな感じで思ったんだけど
そういうふうに当たり前に思わない子もいるんだな
っていうか
田中優子
だから別に
岡澤陽子
高い点取りたいとも思わないし
なんかテスト時間を
マックス使って
1回終わったら見直しして
とかっていう風に思わないっていうか
そうだから
そうだから
面倒くさいから
36:01
岡澤陽子
記述は書かないとかうちの娘
田中優子
そうか
岡澤陽子
時間を社会の
白地図を色塗りしてるとか
田中優子
あー
岡澤陽子
そうだけど本人の中で
そういう高い
いい点取りたいみたいな感覚が
ない?
から
そういう感覚の人もいるんだな
っていうか
田中優子
そういう感じ
なるほどね
岡澤陽子
私は割とその辺は
抵抗がなかったけど
でもそれは夫の方が抵抗があったと思う
言わない抵抗があるんじゃない?
田中優子
やっぱ
岡澤陽子
理解できない
田中優子
まあね
能力面っていうのはさ
ある程度能力っていうか
そういう才能というか
そういう部分はある程度
こうなんだなって
学習態度みたいなものは
なんか
気持ちの問題だろうみたいな
そういう
これは強制できるんじゃないかみたいな
まだ子供だからだ
とか
これはこういう風に導いてあげれば
変えられるんじゃないかって
思う
可能性っていうのもあるな
期待
期待だと思う
能力はさ
自分でもあると思うんだけどね
やればできる子なんですみたいな
あると思うんだけど
多分それ以上に態度の部分の方が
なんか
能力さっきも言ったみたいにさ
頭悪くない
やればできる
なのにやらないみたいな
部分ってなんか強制できると
親としては思っちゃって
その期待で
子供に無理やりっていうか
なんかわかんないけど
こじれるみたいな
そのリスクみたいなのも
その
感じるなと思って
そういうのを
自分の子供がどうかっていうのは
まだ分かるような分からないような感じなんだけど
そういう可能性もあるよなって
それ単に
まだ幼いだけなのか
幼さっていうのもあるわけじゃん
ちゃんと見直ししないみたいなのとか
岡澤陽子
で
田中優子
それがどれだけ
重要なことかとかって
まあ多分
ちっちゃい頃は
分かんないかもしれないとかね
岡澤陽子
でもなんかその
娘の例でいくと
その
ほんとさ
なんか
やればできると思って
やらせようとしたんだけど
ほんとさ
2歳児かみたいな感じで
ひっくり返ってするわけよ
だから
こんなね
こんなになってまで強制しても
何も多分身につかないし
なんか嫌な
記憶しか残んないし
であればやめた方がいいんじゃない
っていうので
39:01
岡澤陽子
と思うし
であとはお兄ちゃんの方は真面目に取り組むんだけど
なかなか結果が出ないっていう
そういうところなんだけど
だけどそれも
お兄ちゃんとよく言ってたのは
彼は水泳が得意だったから
その
小一で
コナミに行ってて
コナミってさ何球何球ってこう浮かってて
1球になるとベストスイマン
みたいになるんだけど
すごい早いタイミングでベストスイマンに彼はなったのね
小一のすごい早いタイミングで
田中優子
小一で?すごいね
岡澤陽子
すごい早かったんだ
でその
同じ期間を水泳習ってても
あなたよりも
すごい遅いタイミングで
ベストスイマンになる子もいるし
慣れない子だっている
あなたは小一のこのタイミングで
ベストスイマンになるでしょ
勉強も同じだと思う
得意な子もいれば
ちょっと時間がかかる子もいる
水泳と同じだよ
みんな同じタイミングじゃないじゃん
あと
苦手な子もいるじゃん
同じ同じ
だからその
勉強って一つのカテゴリーだと思うんだよね
それが全てじゃなくて
だから
得意不得意が他のと同じように
ある
だけど生きていく上で
最低限のことは知ってないと
なかなか生き抜けないから
最低限のことくらいは
頑張ろう
そういう考え方
田中優子
なるほど
なるほどね
本当に
自分の子供を
見る目も
親としての思いと
客観性だったり
フェアな気持ち
みたいなのを
持たなきゃいけないなっていうのは
日々思うんだけど
大丈夫かな
できるかなみたいな
ドキドキする
難しいよね
洋子ちゃんは超優秀だったっていうことが
岡澤陽子
小中高までね
大学から落ちこぼれるんだけど
田中優子
大学はまた
岡澤陽子
違うからね
大学は一気に難しくなって
田中優子
大学なんて
落ちこぼれるも
何も
落ちこぼれるとか
そういう感覚さえないっていうか
大学はね
大学の話をするわけじゃないんだけどさ
まあまあ
とにかく優秀だったってことが
優秀だったので
次回は
私はまた
洋子ちゃんとは違う
違う
と思うんで
次回お話したいと思います
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