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はいみなさんこんばんは、こんにちは。元公立高校理科教諭のちょぼ先生です。ちょぼっとサイエンスのお時間となりました。皆様いかがお過ごしでしょうかということで、いつの間にかですね、桜のほうが満開となりました。
私の住んでいる三重県北部、東海地方ですけども、今が見頃かなといったところですかね。昨日おとといとですね、雨模様でですね
花見というところにちょっとできなかったところが多いと思うんですけども、全国的にね
雨だったのでちょっと花見は難しかったかなと思うんですけども、桜前線ね四国からスタートなんですかね。北上していってですね、5月
ゴルネウィークぐらいから東北とか北海道の方で咲くので、まだまだ楽しめるかなという感じですけども、ここらへんはね
今週末が花見のピークで見頃なのかなという感じですけど、またね雨模様の天気予報なのでどうかなという感じなんですけども
このね花見ね、日本人好きですよね。この花見をですね、レクリエーションとして捉えて初めて行った、花見をレクリエーションとして捉えてやったですね
パイオニアの人物、このパイオニアね、皆さんご存知ですか。これはねあるね
戦国武将が行ったんですけども誰だか知ってますかねということなんですけども
今からクイズ出すので答えてみてください。その戦国武将は誰なのか。小田信長、豊臣秀吉、徳川家康
派手好きといえばね、まあまああの方なのでなんとなくね、答えられるかなと思うんですけども、正解はですね
そうなんです、豊臣秀吉なんですね。豊臣秀吉がですね、花見をレクリエーション化して世に広めて、その後ね
花見というものが日本人のね、風物詩というか、そういったものに定着したのでね、その流れとですね
あと桜ね、まあ秀吉の頃はね、まだソメイヨシロなかったので、なんでこんなね桜全然とかね、この桜というものがですね
ソメイヨシロというものがどういったその名前になったのかというのと、なぜここまで魅了するのかっていうのもね、ちょっとね触れたいと思います
桜なんですけども、昔ね、その平安時代とかは日本人の花と言われたらですね、梅だったんですけども
武士の時代になって、この散り際がね、武士の儚い人生とも似てるということで、桜というものがですね、市民権を得ていって
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日本人の花といえば桜という流れになっていったんですけども、秀吉ですね、2回、2回というかね
とんでもない規模の花見をですね、2回行っているんですね。天下統一をした後になるんですけども
もう勢を尽くした盛大な花見を開催して、その花見というのは吉野山の花見と醍醐寺、京都のですね
醍醐の花見の2つなんですね。1594年、豊臣秀吉はですね、吉野山で大名以下5,000人を集めた大規模な
吉野山の花見を挙行したと。すごいよね、5,000人って。桜を見る会ですよね。桜を見る会のパイオニアでもあるよね、秀吉ね
その後の4年後にですね、1598年には京都の醍醐寺で1,300人を集めた醍醐の花見が開かれた。この2つが有名なんですね
吉野山の花見が行われた理由はですね、派手好きが先もあったように派手好きの秀吉の志向であるとかですね
苦戦を強いられた朝鮮出兵の気晴らしであるというふうに言われておりますね。さらに後継の豊臣秀吉が生まれると
今度はこの豊臣の世が続くようにという願いを込めて豊臣家の権威を世の中に示すために
前代未聞の盛大な醍醐寺、醍醐の花見が開かれたところですね。なので吉野山は朝鮮出兵お疲れさんということで
みんな飲むや!みたいな、5,000人集めた桜を見る会。醍醐寺は規模こそはですね
吉野山よりは少ないんだけど、1,300人を集めたということなんですけども、この醍醐寺の花見はちょっと今ではね
今では普通かもしれないけど、その当時は得意なことがあって、その1,300人ほとんどが女性なんですよ
諸大名の配下の女中臭で、つまり女性ばかりの花見が醍醐寺の花見だったんですね
寝嫌いとかね、そんなのが素晴らしいなという感じなんですけども
醍醐寺の花見の歌会でですね、秀吉はこんな歌を歌っております
恋しくて、今日こそ深雪花盛り、長めに赤地、幾年の春ということでね
あってますかね、読み方。これはですね、変わらぬ桜の美しさに、豊臣家の永遠の春を願ったという意味が込められているんですけども
この花見のわずか2ヶ月後、醍醐の花見ね、秀吉はですね、病に倒れ百姓から天下人にまで登り詰めた壮絶な人生を終えちゃったんですね
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そしてですね、秀吉が永遠の春を願った醍醐の花見の17年後の1615年、有名ですよね
秀吉の意図も虚しくですね、大阪夏の陣において豊臣家はもう滅亡してしまうというちょっとね
悲しい現実があったわけですけども、でもですね、この秀吉のこの催したですね、花見の宴会はですね
やがて花見をですね、日本人のレクリエーションとして定着させていったということなんでございますね、ということなんですね
秀吉のね、花見のところなんですけど、ここからちょっと科学的なお話になるんですが
皆さんが今、桜といえばソメイヨシノなんですけども、このヨシノ山の奈良県、ヨシノ桜と読まれるこのヨシノ山の桜っていうのは
山桜なんですね。ソメイヨシノというものはですね、江戸飛岩と大島桜を掛け合わせてできたようは
作った品種なんですね。その当時はですね、江戸中期から作ったので1750年頃かな
なのでその秀吉が行った花見はですね、江戸飛岩とか大島桜とか、あとは山桜とか
なのでソメイヨシノじゃないんですよね。その江戸中期に生まれて、江戸のですね、ソメイ村っていうところから
江戸飛岩系の桜と大島桜の交配で生まれたやつなんですね。江戸後期からどんどん広めていってですね
明治時代にですね、その昔の江戸時代の大名とか、そういった屋敷とかの木全部切り倒して
ソメイヨシノを植えていったわけなんですよね。この江戸中期から後期にかけてソメイヨシノっていうのは非常に人気で
最初はねヨシノ桜っていう名前で売り出したんですね。ヨシノ桜っていうのはすごい知名度があったから
なのでPRしやすかったし、どんどんどんどんそのヨシノ桜かということでどんどん植えていったんですけども
ある時にですね、明治時代になって上野公園の桜の調査が行われた時にヨシノ桜って言ってるけど
ヨシノ山に生えている山桜とは全然違う種だよということで、これヨシノ桜って言ってるけど
ソメイヨシノ、その頃はソメイヨシノじゃなかったから、ややこしいなということでですね
江戸のソメイ村で作った桜ということで、ソメイヨシノ、ヨシノ桜の一応ね
看板はつけさせてあげるけど、ヨシノ桜と被るから変えてということで江戸のソメイ村で作ったヨシノ桜ということで
ソメイヨシノという名前がついたんですね。以前ですね、2年くらい前かな、桜の話をしているので
またその話も聞いてほしいんですけど、掛け合わせたものなので
寿命自在が短いんですよね、ソメイヨシノね。クローンなので
だいたい生えてるやつは差し木っていう方法でですね、大木からソメイヨシノの枝をくっつけて
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それを大きくしていくんで、遺伝子的には全部一緒なんですよ
だからある病気にかかりやすかったりとか、全く同じ遺伝子を持っているからクローンだから
病気にかかりやすいんだけど同じ病気にね、でもいいことがあって
咲くタイミングが一緒なんですよ。それはクローンだからで同じタイミングに咲くから
東北とかね、北海道とか四国とか場所は違うけど、赤山温度で決まっているから
場所は違うと開花時期違うけど、そこの場所とちとちに生えている桜っていうのは
ちょうど同じ時期に咲くんですよね。それはクローンだから。それがですね、花見しやすいしね
予定も立てやすいし、クローンだからこそ一斉に開くっていうのも
これも魅力なのかなということで、また散っていく様子っていうのも儚さとかね、日本人好きですから
さらにその山桜とか他の桜っていうのは葉っぱができて実ができて花開くっていうのは
だいたいの植物の流れなんだけど、このね、ソメユシの非常に面白いところがあって
花から咲くんですよね。だから邪魔者というか誰も知らないけど、葉っぱとかあるから山桜とかね
なので邪魔というかね、花びらの周りに葉っぱがあるとちょっとなんかねっていう感じだけど
このソメユシのは花だけがポンって咲くので、後から散ってから葉っぱになりますよね。それもね素晴らしいし
掛け合わせた園芸家のですね、夢のような結晶なんですよね、ソメユシのってね。そういったところも面白いかなという感じでですね
ここまで馴染んでるのかなという感じですね。この時期になるとね、ここも桜生えてたんやみたいなね
音になりません?そこに咲くと、この木桜だったんだっていうのがですね、この時期になると新たな再発見もできてなんか面白いかなと思いますのでね
ということでですね、ここらへんはですね、ちょっとね土日の天気が心配ですけども、桜見頃ですのでですね
花見の方まで私も行きたいかなと思っております。ということで今日はこの辺にしたいと思います。それではみなさんさよならバイバイ