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おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、フォークランド諸島あまり知られていない英語地域というトピックです。
英語といえばですね、アメリカ、アメリカ合衆国からイギリスと出ます。他にはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドと出ると思うんですね。
こういうふうに英語を母語として話している、使用している国なり地域なりを上げていくと、皆さんどれくらい上げられますかね。
端的に言えば英語留学に行ける国と言いますかね。第一言語として母語として英語を用いている人が大多数であるというような国ですね。
これそんなに上がらないのではないかと思うんですね。先ほど触れてないもので言えば、アイルランドっていうのが出ますかね。
他にはということなんですが、実はこれですね、数十あるんですね。
国と言わずに地域って言っているのがポイントで、国なんだけども何々行、例えばイギリス行である都道であるとか、いわゆる島、島しょ部が多いですけどね。
そういったものも1というふうにカウントするのであれば、実は数十の英語母語とする地域というのはあるんですね。
意外と上がってこないと思うんですけれども、このようにあまり知られていない英語地域というのがたくさんあるわけなんですけれども、
1つ今回紹介したいのはですね、フォークランド諸島というところですね。
これ皆さんどこにあるかわかりますでしょうか。
フォークランドアイランドですね。
フォークランド諸島というふうに言っていますが、これはですね、南米アルゼンチンの大西洋岸、つまり東側に向かってですね、
480キロぐらい沖合に浮かぶ島ですね、諸島なわけですけれども、これイギリス領ということなんですね。
これ現代史としては非常に重要な事件が40年ほど前にありまして、1982年フォークランド紛争と呼ばれる事件です。
これはですね、歴史的に領有権を主張するアルゼンチンが、この年にですね、軍事的侵入を試みたと。
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イギリス領なわけですね、国際法上はイギリス領ということになっているんですが、古くからアルゼンチンがですね、最寄りの国でもありますし、
領有権を主張してきたということがあり、この年にですね、軍を送ったということなんですね。
当時のイギリスの首相は、例の鉄の女サッチャーです。
サッチャー首相がですね、このアルゼンチンと国交断絶した上で、大艦隊を持ってですね、報復に出かけたということなんですね。
そしてアルゼンチン軍を一掃したということです。
これはですね、大英帝国が衰退してですね、久しいギリスの敗国意識をくすぐったという意味でですね、
イギリス人は当時は喜んだわけで、西側諸国もですね、大体イギリスを支持したということになるんですけれども、
ちょっと時代錯誤的だったという評価もあって、その後はですね、世論は必ずしもこれはイギリスにとっても良い事件ではなかったではないかという評価もあります。
両側にですね、数百年の使者が出たという意味でも、かなり動機な紛争だったわけです。
歴史的にはですね、じゃあなぜこのようなアルゼンチンにほど近い諸島、大西洋の島々ですね、もちろん南半球です。
ここにイギリス領があるのかということになりますね。
現在、この諸島はですね、地理的に言うとウエストフォークランドというのと、イーストフォークランドという2つの大きい島があって、ここが人が住んでいるメインなんですが、
ここにですね、イギリス系の住民が2000人くらい住んでいるということなんですが、この歴史を遡るとどうなるかというとですね、
まずは1690年ですね、今から300年以上前ですが1690年に、まずイギリスの船長、ジョン・ストロングがですね、上陸したという記録が残っています。
この島の前フォークランドというのは、ストロング船長がですね、ヴァイカウント・フォークランド、貴族の名前にちなんで名付けたということが言われています。
ただですね、その後1765年なんですけれども、最初に居住地をこの島にですね、建設したというのはフランス人たちだったんですね。
イギリス人も居住地を建設しましたが、それから1年遅れたということになります。
その後ですね、今度は1767年にスペインがですね、フランスの居住地を購入して、イギリスの居住地も追い払ったということになって、スペインがですね、実質的に支配するというか占拠する島になったんですが、
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イギリス人もですね、諦めてはいないで1811年、今度はスペイン人たちを追い出すということになったと。
これ非常にいろんな西洋の列強が入り込んでですね、この島を取り合っていたということになります。
その後1816年にアルゼンチンがスペインから独立を果たします。
そして1820年にはですね、フォークランド諸島の領有権をこのアルゼンチンが宣言したわけですね。
その後は1831年、これアメリカの軍艦が今度やってきてですね、イーストフォークランドのアルゼンチン人の居住地を攻撃したと。
さらにそこにですね、付け込む形で1833年イギリス軍も介入し、アルゼンチンの居住者たちを追い払ったというような目まぐるしい展開ですね。
そして1841年、イギリスはフォークランド諸島総督を任命し、そして1885年までに2つの島にですね、1800人ほどのイギリス人社会を作り上げた。
それがそのまま今まで続いているということですね。
正式には1892年にイギリス植民地となっています。
こうしてですね、イギリス人が今直接繋がる形で定住したのはですね、ここ1世紀半、古く遡っても2世紀ぐらいの、それぐらいの歴史だということですね。
このような事情でイギリス植民地となって、イギリス人、英語を喋るイギリス人が入ってきて入職したということなんですが、
この大まかな歴史をわかっても、そこで話されているですね、いわゆるフォークランドなまりの英語については、どこが起源なのかというのはよくわかっていないですね。
言語学的にいろいろ比べてみるとですね、例えばローティックな発音ではなくてノンローティックな発音ですね。
つまりRが母音の後のRというのが発音されない。スター、フォー、カーのような、いわゆるイギリスの典型的な標準英語に見られるRのない発音であるということなんですけれども。
他にですね、どうもオーストラリア英語であるとかニュージーランド英語と幾分似通った特徴を持っていることはわかっているんですね。
これが何でかはよくわからない。かなりお互い遠く離れた島でお互いに深い接触があったとは思いにくいんですけれども、
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ただですね、一つ事実として羊毛狩りの労働者ですね。羊毛といえばオーストラリアニュージーランドが浮かぶと思うんですけれども、
どうやらですね、この南太平洋、そして南太西洋にかけてこのオーストラリアニュージーランドフォークランド諸島の間を、この羊毛狩りの労働者がですね往復していたという事実は報告されているんですね。
おそらくその辺が接点となって、方言混合の結果としてですね、互いに何となく似ている変種になってきているんではないかということですね。
間には何千キロという大海原が広がっているわけですが、どうも往復していた。これは驚きの事実ではないでしょうか。それではまた。