面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、 第74回の本日は、ロギング仕事術、課題に気づく、タスクが片付く、成果が上がる、について語ります。
はい、よろしくお願いします。 はい、お願いします。
今回はクラシタのターンというか、クラシタの本なんですけども、 書いた本を自分で紹介する回ということなのですが、
どうなんですかね。一応簡単に、僕の方から本の中身について紹介し、 その後、本に書かなかったことなどをお話しできたらいいなと、今のところ考えています。
そうですね。著者ならではのこぼれ話というか、 その思いとか、書いてないことが聞けたら、きっと一番面白いですよね。
僕、これまで書いた本の中ではあまり意識しなかったんですけど、 この本では実用的な本にしようということと、
ワンメッセージというか、ワンアイディアというか、複雑なことをたくさん伝えるというよりは、 たった一つのことをわかってもらおうということをテーマに書いてますので、
例えばこの本の内容だけで1時間喋れるかというと結構怪しいものがあって、 多分自分、僕じゃない人が書いたやったら、多分僕語りするのは取り上げないんじゃないかと思うんですけども、
えーと、何章だっけかな。5章だてとプラスクイックガイドの形に。 そうか、5章もあったのか、そういうので言うと。
えーと、5章プラスクイックガイドの形になってまして、 最初は3章だてぐらいのイメージで書いてたんですけど、
ちょっと分けた方がいいかなという部分が分かれているとございまして、 第1章が仕事とともに進めるロギング仕事術ということで、
ほぼこの章でコンセプトはもうまとまっていると思います。 ロギング仕事術っていうのは一体どんなもので、どんなメリットがあるのかということを解説するのが第1章。
第2章がその実際にロギング仕事術をどう進めていくのかというのを、 作業記録とデイリータスクリスト的なものの2方向から紹介するというのが第2章の役割で、
第3章がそうしてログを取ることっていうのは大切だけど、 実は記録そのものが大切というよりも、書くことを通して考えることが大切だよっていう話が第3章で、
第4章はおまけというんじゃないですけど、 第2章で挙げた作業記録とかデイリータスクリスト以外のログに分類できるようなものを紹介し、
第5章でそうしてログから考えるということをやっていこうということが最後に提示されて、最後がクイックガイドとして全体のまとめでもあるんですけど、
6つの指針というのが列挙されているという構成になってまして、 全体的にロギング仕事術ということ、もっと言うとログを取るということについて語っている本。
ログを取るといいことあるよねっていうことが一冊通して書かれている本でございまして、
ポイントというかな、タイトルからあるより仕事術なんですよね、この本って。
内容的にはノート系の本と近しい、ノート術系の本と近しいものが含まれているんですけど、ノート術の本じゃないですね。
仕事術の本ということがちょっとこれはわかってほしくて。
たしかにそうですね、極論全部ノート術だけど仕事術ですね。
そうですね、両方含まれているんですけど主眼が仕事術というところにあるっていうのがポイントで、
この本に対する感想でノート術として目新しいものがないというようなことが書かれてたんですけど、
ノート術の本じゃなくて、それは勘弁していただけたらなと。
仕事術の本って仕事をすることが第一義であって、ノートの技法がどうかっていうのは二次的な話だと僕は思うんですよ。
ある意味全然目新しくないノートの書き方であっても、仕事で成果が出せるんであればそれに勝るものはないですよね。
だからノート術の本じゃなくて仕事術の本っていうのがこの本を読むときに押さえてもらいたいというところが主のポイントの一つ目。
で、もう一個はノートとかメモの本ですけど、ロギングという進行形にしているところを注目していただきたいなっていうのが第二のポイントで、
これはたしか打ち合わせキャストとかでもよく言ったんですけども、記録を取るということはよく言われてますが、
仕事をしつつ同時並行として記録を取っていこうということを言っている本は結構少なくて、
それを言っているところが一つこの本の特徴ですし、それはデジタル時代、ホワイトワーカーがデジタルツールを使って仕事をする時代だからこそできるようになっているという点で、
結構現代的な仕事術の話ではないかなと思っているのが2点目ですね。
まず聞いて思ったのが、このノート術として新しいことがなかったという感想を見ることができたということは、ちゃんといろんな広く届くようになった、広く届いた。
そうですね、確かに。
そういうネガティブな感想が出てくるということは一定程度売れた証というか、いい感じの証だなとも思えるので。
そしてその何か筋違いというか、どうでもいい批判になっていない批判?
まあ、寿司屋でラーメン出てきいんかって怒られているような感じなんですけど、僕からしたら。
まあでも多分なんだけど、それで言うと寿司屋に行って、寿司屋の看板がラーメン屋に見間違えられるかもしれない看板だったというニュアンスはわからなくはない。
ただ、どこにもノートって書いてないんですよね。
教室にもどこにもノートって書いてないんで、新しいノート術を期待して読まれた私をがっかりするかもしれませんが、仕事術としては僕は非常にベーシックで、むしろ仕事術ってベーシックであるべきだと思うので、そういう本として位置づけるというのと、
あと仕事術って話にも関係するんですけど、このノート術っていうのはある種のメソッドというかテクニックじゃないですか、ノートの書き方についてですよね。
ロギング仕事術は仕事の進め方について書いてるわけですね。つまりワークフローについて言及している本なんですよ。
で、たとえばノート術があったとしても、そのノート術を日常にどう入れるかっていう話がないと成立しないじゃないですか、基本的にノウハウっていうのはね。
この本はむしろ仕事をしながらやりましょうっていうワークフローをまず言ってるわけですね。
主題がね。
で、その中でこういうノートの書き方もありますよと言ってるんで、主客が仕事のワークフローが主で、具体的な記録の方法っていうのが主従が従の方なんですね。
下の階層にあるので、ノート術というよりはそのワークスタイルとして呼んでいただければ、まあ良いかなというところで。
もう1個思いついてしまった例え話なんですけど言っていいですか。
どうぞ。
えっとね、ノートというのはラーメンに対比できるなと思って。
ノートはラーメンに対比できる。
で、ラーメンを食いたいと思う人はね、街中華に行く人とラーメン専門店に行く人がおりまして。
なるほど、なるほど。
ちょっとどっちがどっちっていうのは分からないんだけど、街中華に行ってラーメンを食ったら、こんなのはラーメンじゃないっていうみたいな、なんかそういうパターンに近しいものがあるのかなっていう。
なるほどね、確かに。
なんか守備範囲が広すぎてしまって、ノートという言葉を聞いたら、さらにロギング仕事術という言葉でまずノートが想像できてしまうんですよね。
しますね、間違いなく。
で、そうするともうノート術の本だと思ってしまい、それは街中華に行ってラーメンが置いてあると近いのかなっていう。
あーそうか、寿司と中華ほどは離れてなくて、中華屋さんとラーメン専門店ぐらいの距離が離れてるってことか、なるほど。
ぐらいの解像度で見ている人が圧倒的に多いんじゃないか。
なるほどね。
さらに言うと、俺たちの父親の世代だと多分ラーメン屋って言ったら街中華なんですよね。
そうだね、確かに。
で、俺たちより年下の人にラーメン屋と街中華という言葉で区別されてしまったじゃないですか。
確かに。
そういうノートという言葉にそういう解像度の荒さというか、逆に言えばいかに万人に知られているかというのがあるんじゃないのかなと。
まあ確かにね。だからノートというものの知名度が広いから解釈の余地もそれぞれ広がってしまうというのがあって、ミスマッチっていうのは起こるんじゃないかなとは確かに思いますね。
で、ノート術の本じゃないっていうのは言い訳として言ってるわけじゃなくて、さっきも言ったように手法とかメソッドとかが斬新だったり新しければいいっていう考え方って、僕はちょっとマニアックすぎな感じがするんですよね。
で、その鮮度ある情報を保守するっていうその情報を摂取からしたら新しいものの方が目新しくて楽しいですけど、その功能ってまだ確かめられてないわけじゃないですか。その新しいメソッドっていうのは誰もほとんどやってないわけで。
逆に当たり前の方法っていうのは、ある試練を、時の試練をくぐり抜けてきている方法なわけじゃないですか。だとしたら身につけるべきはまずそっちだろうなっていうその当たり前のことを、つまりこの本に書き換えていこうといわゆるライフハックをやってる人にとったらほとんど当たり前のことですけど、
でも、それが届いてない人たちがいて、そういう人たちに斬新な方法としてじゃなくて、むしろ当たり前の技能としてそういうノウハウを伝えられたらいいなという思いが僕の中にはありました。
おだしょー なんかあれですね。やっぱり、例えば大学とかでも最初にやることって最先端にはほど遠いことで、数学なんて数百年前にニュートンが考えたことからようやく毛が生えた程度に進むぐらいな話で。
その初期の初期を抑えましょうという意味で、ロギング仕事っていうのがある意味始めやすいんではないかなと思って、基本なんでね。結局結構いろんな人に話を聞いても似た形でこれをやってるんで、そういう当たり前から始めていくのは悪いことではないだろうと。
おだしょー 何か英語学習の本について読んだときに、英語の試験問題っていうのが点数に差をつけなければならないから、どんどん文法的にマニアックな問題になっていってしまって、日常的に使えるかどうかよりも非常にクイズっぽくなっていくっていうような話を読んだんですけど、ノウハウについても同じことが言えるなと思って。
いろんなノウハウが新しく出てきてるのは良いんですけど、根本で見たら大筋、やってること一緒やなっていう感じがするんですよね。
そこはあれですよね。人間が1万年前から大きくは変わっていないんで、50年100年で変わるはずはないというか。
この場合で言うと記録っていう記憶を補助装置を使いながら注意をコントロールして仕事しましょうっていうものの根っこの部分は全部一緒で、現れる表面部分が時代とかツールの人気とかによって変わってくるっていうだけの話であって、
だから当たり前と思えるような根本的なものを初心者に向けて提示するっていうのが一番リーチがしっかりしたものになるんではないかなと思って、この本では新規性とか斬新さっていうのを歌わずに自分たちにとって当たり前の話をまず書いたっていうところがあります。
さっきも言ったようにライフハック的なものをいろんなものをこれまでくぐり抜けてきましたけど、やっぱり何かしらの形で全部ログなしは記録っていうのを使っているんですよね。記録を使わないライフハックっていうのは多分ないんじゃないかなというぐらいにリストを作ったりとかノートを書いたりとかっていうことをしていると。
だからいろんなGTDとかマニュアルとかタスクシュートとかいろいろあるわけですけど、そういうものの中にある共通点っていう話で言うと、僕の回で言うと一つ前の普通の相談っていう話をしましたけど、
その普通の相談の一番根源、普通の相談ゼロって呼ばれてたものがそのライフハックで考えると記録を取ることなんですね。つまりライフハックゼロってログなんじゃないかなと。
おー。
で、そのログの形がある記録、ある目的に特化していったらある一つの手法になる。
まあGTDだってログですよね。
そうそう、ログを取ってそのログをできるだけリフレッシュしていきましょうっていうやり方やし、タスクシュートの場合は1日のログから次の自分の取りそうな行動をもう一回パターン化していきましょうみたいな感じでログを利用しているわけで。
だからリスト作りとかノート書きっていうのは全部ログの利用ということで、だから立ち会われる形が違ってもライフハックの原点って全部ログじゃないかなと勝手な仮説を立ててるんですね。
で、言ったらその根源としてのログっていうのがあって、それぞれの開発者とか主催者が自分が好むようにそのログを特化したものがメソッドだとしたら
ロギング仕事術はそのスタート地点になるもの。このロギング仕事術から始めてその人なりにカスタマイズしていくとその人のメソッドシステムになっていく。
そのスタート地点としてのロギング仕事術に位置付けられるんではないかなというようなことを本の中では書いてないんですけど、そんなことを思いながら書いておりました。
メソッドの入り口になるわけですね。いろいろあらゆるライフハックの入り口。
で、もっと言ったら最初に続けていくとあなたのメソッドになっていくということですね。
そこに関係しますけど、それが第一のテーマ。開かれた、改造できるメソッドとして示すっていうのがこの本の裏テーマで、
もう一個が考えることを取り戻すというのが第二テーマ。本書の後半でも書かれてますけど、正直記録っていうのは考えるためにつけるんであって、考えることが主題と。
記録はその補佐でしかないから記録が取れなかろうが、消えてしまおうが、書くときに何かちょっとでも考えていたらもう記録を取るということは一つ効果を発揮してるんだよということを言ってるのもノート系の本では珍しい主張じゃないですかねきっと。
そうですね、特にコンピューターで万能な記録というわけではないんだけど、人類が本来できなかったと思われていることが記録できるようになってしまったがゆえに、残しておくと何かすごいことが起こるんじゃないかっていう思いはこの20年ぐらいでより強まっているような気がして。
それは間違いではないんだけど、20年分の記録をどう使うかっていうと、自分で検索してとかじゃなくて、ベクトル変換してAIに使ってもらうというような使い方でしか使えないと思うよね、その大量の情報は。だから人間がただ使うという意味だけで言えばそこまで薬気にならなくてもいい。
さっき言ったけどやっぱり仕事術の本なんで、すごい綺麗なノートを作ったけど仕事あんまりできませんでした。本末転倒なので。そこの主軸をずらさないようにすると。で、仕事をするってどういうことかっていう定義は難しいですけど、やっぱ考えることじゃないかなとは僕は思いますね。つまり作業と仕事を分けるものがあるとしたら思考だっていうことなんですけど。
作業はね、割といろんな人間が無意識に使ってしまいそうな言葉で、自分は個人的にだから使いたくない言葉で、作業をしていては何もできないじゃんっていうか。
基本的に作業とか作業観とかっていう、大体ちょっとネガティブなリファレンスで言われますけど、あんまり頭を使わずに手だけで、体だけでとか習慣だけでできるようなことで、もちろんそれも業務とか事務作業とかっていうのはそういうもので進めた方がいいとは思うんですけど、価値を生むっていう行為はやっぱり頭を使う。それに対処について考える。
本やったら本の中について、何を書くかについて考えることとともに、本を書くとはどういうことかっていう、その仕事の意義みたいなことも考えることによって自分がどんな本を書くかも変わっていく。だからいろんなレイヤー、低いところから高いところまで何か変化を与えるものっていうのは基本的に考えることだと。
僕、カタリスト聞いてる人は言うまでもないですけど、人間の単体の考える力って非常に弱いと。限られていると。そこで外部足場みたいなものを使うことで思考力っていうのが拡張していくという言い方ができると思うんですけど、それを自分の仕事の場においてもやると。
ただ言われたことをこなすだけじゃなくて、仕事についてとか自分がやったことについて考えるっていうことを入れていくと、その経験を例えば5年とか3年とか5年続けた後と、例えば何も考えずに作業してた5年間ではやっぱりあんまり煽る言い方はあれですけど、差は生まれてくるんじゃないかなとはちょっと思いますね。
難しいというか怖いのが、5年でめちゃめちゃ変わることは確信しているしそうだと思うんですけれども、明日変わるかって言われたら変わるわけないじゃないですか。
もちろんそうですね。
で、明後日変わるかって言ったら変わるわけないじゃないですか。
もちろんそうです。
1ヶ月ぐらいなら変わるかもしれんけど、実感できてないじゃないですか。
そうですね。
そこがやっぱりね、この誠実な仕事術の難しさというか。
そうですね。でもね、この本にはちゃんとありまして。
仕事の成長っていう意味では、今日記録取ることって何も変わらない。
何も変わらないというのは大げさでほとんど変わらないですけど、注意の舵を取るという役割がありまして、これはね、かなりでかいんですね。
そっか、あれは短期的というか目の前の成果がありますね。
今日1日仕事進めるのに記録っていうホームベースを作ることで、脱線するかもしれないけど戻ってくるっていう非常にリアルで瞬間的な効能もちゃんと示しまして。
それを続けているうちに何か記録溜まってきてっていうような流れで入っていただければいいんじゃないかなという感じ。
思い出したんですけど、最近ね、脱線対策を考えるようになってきて。
脱線対策を、なるほど。
それはね、ロギング仕事術によって生まれたことなんですよね。
逆に言うと、それまでは考えてなかった?
多分それで言うとですね、やっぱ考えるの意識が高まった。
はい、なるほど。
すぐ何か他のことしちゃうなーが、ロギングによって、これはこういう時にこうなりがちだから、
少なくとも例えばなんですけど、朝一番にインターネットにつながる系の行為をするのはやめようって、
頭ではもちろんわかっていたんですけど、解像度が上がって行動として変えるように意識ができるようになって、
例えばなんだろうな、エゴサーチみたいなやつをするとですね、ツイッターで。
ついやっぱ余計なことをするんですよね。
っていうのを少なくとも、例えば午後にすることで防げるんじゃないのか。
脱線してもその影響を小さくできるみたいな。
うん、すごく簡単なことなんだけれども、自分のことになるとね、なんか習慣がそれを邪魔してくるんですよね。
まあでしょうね、そう思います。
なんとなく見てたから、なんとなくそれは続けていて。
で、たまに8時に仕事を始めたのにもう9時になってるじゃんって思っているんだけれども、
それはね、前まではね、やっぱね、作業記録に残ってなかったんですよ。
ああ、そうだね、多分作業じゃないからね、それは。
うん、そうそうそうそう。
とかも含めて、やっぱね、全てを正直に書くことから考えることができるというのを身にしみて実感できている。
これはね、それ本当にあると思って。
語りかけるように書きなさいっていうのは、そういう思考を起こしやすくする一つのエッセンスというかコツというか。
よく言いますけど、他人に対しては適切なアドバイスできるせいに、自分に対しては点でダメっていうのが人間の性質なんですけど、
語りかけるっていうか作業記録を文章的に書くと、その他人へのアドバイスが出てくるようになるんですね。
その語りの中で。
あれかな、やっぱり文章によって一つメタな視点になれるというか、書くことで。
だからその分析的な視点がよりクリアに起動しやすくなる点は、その文章の形で書くとより起こりやすいと思いますね。
うーん、そう、あの、それはね、自分も同じような文脈ですごく考えて、よく考えていることで、あの、過剰書きだとダメなんですよね、そこが。
うん、それはそう。
で、その作業記録をアウトラインに書いていて、アウトラインに文章を書いていたんですけど、自分はね、やっぱね、アウトラインで書くとね、その文章なんだけど、心の中で文章じゃないんですよね。
なるほど。
うまく言えないけど。
わかるわかるわかる。
で、それをその平文で書けるようにしたっていうのかな。そうすることによって変わったっていうのもすごくある気がする。
そう、それだけのことで、そういう外部環境で人間のその行為とか思考が変わってくるというのが面白いところですね、これ。
うん、なんかあるかな、いい例えとかがあるといいですよね、そういうのとかも。
そうね、これ難しいね、確かに。
素直に、あーでもあれだな、まずフリーライティングをするようになったな、意識的に。
あー、それはいいことですね。
文章としてフリーライティングを書く。前はアウトラインで書こうとしていたら、どうもやっぱ感覚的に気持ちよくなかったみたいで、やらんくなってたんですよね。
今日何しよっかなっていうことを書くと、めんどくさいこともそのまま進められる。
なるほど。
とかもそうですね、フリーライティングをしながら書くからっていうのか。
だからやっぱり何にしろ、例えば今日のやることにしろ、文章の形で書こうとすると解像度が上がってくるので、解像度が上がった結果めんどくさくなることもありますけど、大抵のことって解像度が上がるとできるようになるんですね。
うん、そう、不思議ですよね。不思議じゃないのか。
人間のイメージと実態がずれて、あるいはめんどくさいケースが働きやすいのかな、イメージの中でもわからんけど、とりあえずある程度文章化するとできるようになる。
違うな、文章化してると多分シミュレーションが働いてるんだよな、行為のシミュレーションが働いてるから多分やりやすくなる。
やっているとイコールになるのかな、脳内で。
うん、そんな感じだと思う。そういうことだと思うわ、きっと。
だからまあやるかになるんかな。
一回自分の中でデモンストレーションしてるから行為着手しやすくなる。だから文章で書くのはちょっと面倒なんだね。ちょっとやってるから、きっと。
ああ、そっか。そもそもで言うと文章慣れてないとそんなの書きたくないですよね。
でもやっぱりその書きたくなさは逆にそこには効能があるということの裏返しなんじゃないかなとは思いますね。
うん。
まあとりあえずそうやって、作業の内容でもそうですし、自分がこの仕事をしている意義とか、この仕事をそもそもすべきなのかとか、とりあえず考えるという行為をできるだけ増やしていくようにする。
僕の中でのイメージですけど、これは日本企業の働き方で言うとちょっと反逆的というか、自分の考えを持たない方が楽に働ける場面も多いかと思うので。
そういう意味では、ある意味ちょっと働きにくさが生まれるかもしれないけど、それを踏まえてなおやっぱり人間の行為の中で考えるということを剥奪されるというのはあまりよろしくないと思うので、
なるべく考えていきましょうということを謳った本でもあります。
あの、意地悪な質問というか、悲観的な質問かもしれないんですけど、考えたくない人というのは、私の体感では過半数だと思うんですよね、人類の。
まあそうだかもしれない。
なんか考えずに、何も考えずに仕事をできている方が楽で楽しくて。
それは間違いない。
そうやって何とか生きていけるようにしたいと思っているという人が多数派ではないかというふうに思っていて、そういう人には諦めるべきなのか、何か方法を考えるべきなのか。
まあだから何か方法を考えるために考えなきゃならないですよね。
でもその人は考えようとしないですよね、なかなか。
例えば上司が部下に働いてしまう論として考えるならば。
まあ、そうやな。
当人が考えたくないと言うんであれば、これはどうしてもないですよね。
ただ、例えば楽に仕事をしていたいという状況があったとして、でもそれを許してくれる環境があるかどうかですよね、まず。
一般的にはこれからどんどんないことになっていくと思われる。
そうなると環境の変化の中でいかに楽に働けるかは考えないと始まらないわけで。
だから、どうしても自発的に考えたくない、エネルギーの問題からしたくないという人はもうノーアイディアというかどうしようもないですけど、
サボりたいとか言うんやったらサボるために考えることが必要だというのは受け入れてもらわなければならないなと思います。
そうかそうですね。
あとあれだな、それで思ったのが、上司が多分苦戦するのは考えたくないじゃなくて、
やっぱ考えるということが何をすればいいのかわからんという人たちにどう考えさせるかの方が多くの人が悩んでいそうだなっていうのを自分で聞いておきながら思いました。
そういうのって空の状態で考えさせようとするから無理なんであって。
よく考えろしか言わないっていうやつですよね。
行動記録を取りましょうっていうところからしか始まらないと僕は思いますけどね、やっぱりそれって。
例えば新入社員の研修で、今日毎日何をしたかをきちんと書きなさい。
できればロギングで言ってほしいけど、仕事をしながら記録をしましょうっていう方がいいと思うけど。
そこに書いてあることを1日終わって読み返したら多分そこから何か考えられるようになると思うよ。
それは考えることについて教えなくても大丈夫ですかね。
大学生を卒業してるんであれば大丈夫と言いたいけど、言えないんであれば、
例えば上司が自分の作業記録を見せて、こういう記録について僕はこういうことを考えたっていうことを示すのはありだと思うけど。
今あとそれで思ったのが見せてもらった作業ログに対してこれはどういうことをやったの、どう思ったのって聞けば考えられますかね。
だから何も材料がない、つまりさっき言った外部足場がない状況で考えろって言われてもそれは多分普通に無理なことになって。
考えるための素材としてまずその記録を取りましょう。
記録を取るっていうのはよく言ってますけど、最初に注意を向けることなんで、そこからやっぱり注意の向け方も変わってくるでしょうし。
注意を向けられないから記録を残せないんですよね。確かにそれで言うと。
結局それだと頭の中に何もないから考えられないと。
これ別に変なことじゃなくて、セミナーとかやって最後に質問ありますかって言っても誰も手を挙げないじゃないですか、ほとんど。
あれと一緒なんですよね。
自分の中で聞きたいこととか注意を向けてないから突然質問されてもそれは分からない、質問できない。質問できないって言ってもそれ考えられてないっていうことなんで、そこは。
だから考える前段階として注意の向け方と考えるための素材を集めるっていうところからいかないとやっぱり無理じゃないかなとはちょっと思います。
例えばブックカタリストの話を聞いて考えるということを考える場合に、聞いている内容を自分の言葉でメモるというのはやっぱり考えるきっかけになるのかな。
だから最初は全然慣れてない人はまず僕らが言った言葉を書き留めるがまず第一ですよね。
で、その後に自分の何に書き直してみるか。だからリライトしてみる。
そこでその変化の中で考えるっていう方が目が出てくると思うね。
あれこれって分からんなっていうことが分かるかもしれない。
で、やっぱりその慣れてない人がいきなり自分の言葉でやろうとすると外部足場の段が足りないというかいきなり3段目みたいな感じになるから
まずはそのままの書き起こしから始めてその後にっていう段階を踏んでいくのが良いんじゃないかなと思うけど。
作業記録で言っても自分が何をしたか書くことが第一弾としてあってそれに関して自分はどう思ったか。
どう思ったかってやっぱり難しいですよね。
簡単ではないと思う。だから何を求めている。だからもっと効率よくできたんじゃないかなっていうような観点を持てたらそこからどんどん自分の問いが広がっていくけど。
最初は難しいと思うけど。だからやっぱり他人を見せてもらうのが一番いいと思うんだけど日本ってそんなことあんまりしないから。
業務日誌とかもフォーマットに従って埋めるだけであってその人が何を考えたかって現場で何を考えたかってあんまり出てこないものが多いから
その技能が伝達されないところはあると思うんですけども。
何を考えたかは一般的には残さないですね。報告書に関しても残さないですね。
昔はだからそのいわゆる現場主義というか先輩に付きっきりになってっていうような仕事の、つまり職人弟子スタイルみたいなので
考えが口に出されなくても何かを考えている姿っていうところから学ぶみたいなことがあったかもしれないけど
現在のOJTってその動作とか操作だけを教えてその思考っていうのをあんまりというか全く教えないことが多いから
それで考えろって言われても無理芸ですよねきっと。
考えるの第一歩がやっぱ書くことでただ書けと言われても何を書いたらいいかわからんからやったことを書きましょう。
あるいはやろうとしていることを書くのどちらか。
その両方がいいですねやっぱ。
本来は両方できたほうがいいけど多分これ好みがあって計画好きな人もいれば日記が好きな人もいて両方好きな人は別に両方から始めたり
どっか好きなところ始めればやっぱり思考って広がっていくと思うよね本音も書いたけど
日記を書いたら明日どうしようかっていうことを多分イメージすると思うし
行動記録これからこれをやろうとしたらコートを変えたらそれが結果記録になっていくっていう変換が起こると思うから
でそのいう変換を起こすためにもできれば実際はログっていうのはあんまりデータベース的に記録しない方が良い
書いたものの書くことによって変質していっていいようなもの
まあだからテキストファイルとかに書いた方が個人的にはいいと思うけど
そうですねそのよく記録の入門として簡単なものとしてあのね使ったお金とか記録しとくといいかもしれないよとかって
よく思ってたりしたんですけどもうちょっとかけた方がいいですねそれで言うならばやはり
買い物リストだけじゃなくて何が欲しくて何とかの店に行って探したけどなかったからこれを買ったみたいなのが残ってた方がいいかなやっぱり
まあやっぱり理想的にはそうですよねジュース130円ではあんまりですよね
金銭的なログにはなるけど自分の思考とか行為のログにはなかなかなりない
大きい買い物についてはさっき言った文章の形で残していくともうちょっとなんかいろいろ考えることが増えていくんじゃないかなという気はしますが
まあ行動の記録だからお金を使ったというのも過剰書きで書かないっていうことかそれで言うならば言葉としては
そこを改善したいと思ってるんだったら別にただ出勤の記録があればいいっていう場合は別に過剰書きでもそれこそ表計算ソフトでも十分だと思うけど
だからお金の使い方を考えたいなっていう時は文章の方がいい
なんか毎日お金がたまらんけど俺は何が問題なんだろうって考えるのであればやっぱり金額数字の合計を出すことと同時に何を思ってお金を使ったのかを書いておくべきか
自分が何を欲して買っているのかっていうのを考えるきっかけとして文章として残していくとやっぱり分析先ほど言った分析的視点が起こりやすくなるから
そこから行動の変容が多分出てくると思いますね
だから注意を向けることができれば注意を払うことができるようになるはずで
ではあと自分は何に注意を向けたいのかっていうところが分かればいいという話で
この今セクション2つ目考えることを取り戻すという話をしてるんですけど
その先に繋がるのが自分のことを知ろうというのが第三の裏テーマで
僕は最近セルフスタディーズという言葉をよく使ってるんですけど
自分について知らない人が多いというか
名前とか青年合併という話じゃなくて
性質とか傾向として自分がどういう人間であるかどういう好みを持っているのか
何に関心があるのか何が嫌いなのかっていう
そういうものについて知らない人が多くて
そういう場合ってやっぱり方針とかに迷ったりするわけですね
他人の誘惑とか欲望化にも影響されやすくなってしまうと
これはあんまりよろしくないということで
自分なりのログを取っていくということは基本的に自分のログを取っていくということですから
そこで自分に関する情報を増やしていこう
さっき言ったようにそういうことを行動改善とか考えてると
自分は仕事、現行が忙しいときに大食いするなみたいなことが分かってくる
徐々に自分の性質みたいなのが結果から分かってくるっていうところがあって
そういうのが分かってると分かってないとでは
人生の難易度というのは違うか
人生の生きやすさみたいな生きにくさが明らかに変わってくると思うんで
例えばA型は神経質かっていうしょうもないステレオタイプとは別に
それよりは100倍役に立つ
星座占いとかもうちょっと科学的なものがあったとしても
それは統計的な分類でしかなくて
その人そのものの性質を直接表してるわけじゃないじゃないですか
でも自分のログは明らかにもう具体的に自分の性質の話なわけで
頼りになるのはどっちかっていうとそっちだと思うんで
そういう統計的なものも参照しつつ
言うても僕ってどうなんだろうということ
例えば神経質っていう人が2人いても何にどう神経質かって違うと思うんですよ
表面の現れ方みたいなものは
だからそこはじゃあどう違うのかっていうのはやっぱり実際にどんなことを
どんな反応してるのかっていうところを見極めないとわからないし
対処法もやっぱりその性質を見極めてからでないと考えられないと思うんで
だから外部の情報を取り入れるっていうインプットも大切ですけど
自分のことを知るというこれ何プットっていうのかな
インインプットっていうか何かわかりませんけど
セルフ見つめるみたいななんかそういうイメージがある
その自分探しとはまた違った意味で自分研究をする
自分の性質がイメージとか理想とか頭の中にあるものじゃなくて
現実の自分がどう振る舞っているのかをリアルに追いかけていくっていうことが
多分長いスパンで考えたときにそういうの知ってると知ってないとやっぱり
個々の判断とか大きな局面でこうするっていうことを
納得感を持って選べるかどうかっていうのが変わってくると思うんですよ
なんせもう自分はこうやからもうしゃーないよな
例えば僕らっていうと会社組織で働くのはもう無理やなっていうような諦めがあるから
一つの決断をせざるを得ないみたいな
納得と諦めの切中のようなものが生まれるわけですけど
そういうのができるとなんかブレにくいとは違うけど
揺れにくいところは生まれるんじゃないかなという感じがあります
なんか悪い表現っていうかあれかもしれないですけど
思ったのがやっぱり記録によってそういう理想を諦めることができるというかね
ちょっと前にアフタートークで話していた大人の趣味理論って
ありましたね
諦めることによって幸せになれる
なんかそれに近いものがあるんじゃないかなっていう感じがして
確かに理想を切断する効果はあるね
現実に起きたリアルなことを淡々と書いていくわけだから
理想とビジョンと自分との距離をどうしても把握してしまうし
でもそれはやっぱりちょっと悔しさはあるかもしれへんけど
そんなにネガティブなことではないですよね
もうプロギタリストになれなくても別に何も悔しくないし
なりたいとも思わなくなったというか
当時思っていたとは思わないんだけれども可能性があるとは思っていた
そうでしょうね可能性っていうのはそういう意味であったと思いますけどもちろん
でも例えばそのためには自分の好きなことを全て諦めて
ギターに吸い込むという選択ができる性質でないと多分ダメだったと思うんですよ
そうそうそれは当時できなかったっていうのは自信を持って言えるんですよねやっぱ
できなかっただろうなっていう
そういうのがわかったらじゃあ自分が実際にできることを軸にしていきましょう
という前向きな諦め方ができるようになる
前向きな諦め方っていうのが英語で言うと難しそうやけど
ポジティブな諦めっていうことができるようになる
フォワーディングなんとかみたいななんかそういう感じかな
そういうことができるようになるのが自分の記録を残していくこと
だから新聞とか雑誌とかを切り抜くスクラップブックとかっていうのは非常に趣味的で楽しいんですけど
やっぱりお前は何者かっていう情報
フーに関する情報がやっぱり薄いし
そうするとやっぱり自分でも私は誰なのかって答えられないと思うんですね
そういうのを積み重ねたとしても
たぶん集めて自分はこういうものが好きだっていう
やはり書くことによって見えてくるものはあるような気がする
だからやっぱりそこは表現というか出力して初めて確認できるものであって
あれコレクトしてるだけだとある期間過ぎたら途端にさむざむしくなって虚しくなってくるところがあって
やっぱりそこには自分の思いみたいなのが欠けてる部分が多いからやるなと思うんですけど
コレクトしたものについて文章で表すと途端に血肉になるような感じがあるんですね
コレクトはあれが楽しいのはやっぱ人間が安全に生きるためには大事だったからなのかな
目の前の肉だけではやっぱ冬を越せないので
コレクトできてるってこと自体がたぶんパワー力の象徴みたいなところがあって
自分は力があるという肯定感を得られるんじゃないかなと思いますが
その意味で集めるんやったらまず自分の些細なあるいは失敗の記録を集めていくと
本章にありますが60%くらいの自信っていう
やると40%諦めた自信っていうのが手に入るんじゃないかなというところが本章のこの3つのテーマ
当たり前のこと
当たり前かつ開かれた方法
あと考えるを取り戻す
あと自分のことを知るっていうこの3つのことを背景にして書かれている本です
その本文にはほとんど出てこないですけど
そういう思いがこの本を支えております
自分のことを知るは確かに大きな意味でやっぱ10年記録をつけてわかったことかなっていう印象があるので
難しいというか
簡単ではないとは思いますけど
やっぱり僕らもブログをやってきたその何年か10何年間によって
やっぱりその自分のことがわかるようになったという感覚はあって
こればっかりはググることもできないし
インストールすることもできない