面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、今回のコメントなどなど、ご紹介しようと思います。
さっき、いいですか。
はい。
日本ポッドキャストアワードというのが開催されているらしく、一般投票ができるらしいんですね。
そこで、ここである程度集まった人たちから集まるというような感じだと思うので、
日本ポッドキャストアワードにググっていただいて、見つけたページからブックカタリストを投票していただければ嬉しいなということだけ言っておきます。
そういえば、投票したって言ってくださった方もいらっしゃいましたよね。
それで初めて行われていることを知ったんで。
何よりも、選ばれなくても、そうやって選んでいただけるというのは、最上位ポッドキャストとして選んでいただいたってことなんで、一番嬉しくやる気になることでもあるので。
そうですね。投票していただいて、報告して、ツイートしていただいてもいいですし、こそっと投票していただいてもいいですけど、面白いと思っていただけているのであれば、一票入れていただければ嬉しいなということだけ告知させていただきます。
はい。よろしくお願いします。
ということで、処理えんこ先野ミッチさん。
朝、ブックカタリストで脂肪を蓄えるサバイバルモードになるのは水分不足と聞いて、朝のコーヒーを左右にした矢印単純。
ほうきんも別に悪くはないという話でしたけど、水分をよりたくさん摂れるんであれば、お湯とか水とか、僕は最近炭酸水飲んでますけど、それでもありかなという気がしますね。
うん、ご本人もコーヒーもいいらしいよっていう感じで書いているので、多分やっぱ水分を特に外出たりすると如実に感じるんですけど、そういう時に明確に水分少なくなりがちなので。
僕逆やね、外の方がよく飲むね。
じゃあ人によるのか。
人によるけど、とりあえず自分の水分摂取状況を一回観測した方がいいですね、これはね。
俺自分の場合あれかな、例えば屋外のアクティビティみたいなもの、ちょっと外で活動的なことをしたりすると明確に摂取量が減っている感じはあって、そういうのを気をつけられたら良いですかねっていう感じですかね。
あと、コトリさん、年末だし今年読んだ本の棚下ろしでもしようかと画作中。今年はブックカタリストのおかげで例年の何倍も本が読めた。なーら全く続かなかったプリズナートレーニングがちょっと続いてるまであってブックカタリスト模様。
いやこれ様々。
様々や、本当や。
模様じゃなかった。
勘違いですよね。
とりあえずプリズナートレーニングがやっているとか続いているっていう報告を各所からイメージして、すげーなとちょっと思ってます。
これはね、自分的にもなんて言うんだろう、ある意味でもっとも多くの人にアピールするというのかな、アプローチできる。
そしてすごく良い練習法、マインドを変えるにもすごく良いんじゃないかと思って。
ハードな腕立て伏せ30回じゃなくて、すごい簡単な壁腕立てを50回ちゃんとやりましょう。
これを真面目にやるのがいかに難しいか。
腕立てがステップ3に到達したんですよね。
ステップ3は膝腕立てって言えばいいのかな、膝つける。
これもステップ4すぐいけるなって思ったら、真面目にやると15できるかできないか。
3秒で下がって、3秒で上がって、2秒2足す1か。
で、15回をきちんと丁寧にやれるかって言ったら結構できなくて。
そうか、だから不可の小さいことをやってるけど丁寧にやってるところがポイントなんだろうね、きっとね。
きちんとやれないといけない。フォームが崩れたらできないという。
それって多分あらゆる練習に同じく言えることで。
そういう意味でもいい練習じゃないかなっていうのは思いますね。
タカピさんが、今回も面白そうな本の紹介。
大部分のダイエット法は人体の機能が完全に理解されていないので科学的証明が不十分である。
その中から自分の体質や生活に合ったものを選べればいいんだろうけど。
つまりダイエット法改善っていうのがあればいいってことだよね。
そうですね、俺的には大事なので今回もっていうところですね。
持っていっていただけるということは、今までも面白そうな本の紹介だったということを限界に匂わせている。
確かに、このもーと今回はーともーの違い大きいね。
よくコメントいただいているんですが、いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
あとブルースカイでトリテンの方が好きという方が、
ブックカタリスト拝聴、今勉強していることと共通していることがあったので共有。
ミトコンドリアを活性するのに16時間の断食が有効。
これは長寿遺伝子の発現によるもので、ミトコンドリアを活性する歩行素が作られるから。
またエネルギー酸性は、もう一つ解凍系というエネルギー酸性がある。
糖の大きい食事をとると、解凍系の働きが優先されるので、エネルギーの生産はそちらに取られてしまう。
またこの解凍系は無酸素でエネルギー酸性するのに対し、ミトコンドリア系は酸素を使ってエネルギー酸性を行う。
ガチじゃないですか。
一応こんなようなことを他の本で読んだりしたなーって思ったんですけど、
俺こんな上手にまとめられることまだちゃんとわかっていない。
これ非常に綺麗にまとまった。僕も読んで分かるところと分からないところがありますけど、
いわゆる自分の言葉で説明するということがなされてますね。
そうですね。まさにそれですね。
やっぱりその分かっていることをちゃんと説明できるっていうことがいかにすごいかと、
分かっていることをちゃんと説明することで分かるようになるというのを体現されているというか。
無酸素と有酸素みたいなのとか、ATPと何たらの話とかっていうのもいろんなところで出てきて、
もうちょっとちゃんとわかるようになったら、俺ももうちょっとちゃんと説明できるかもしれないです。
あと、かずほさんが写真をあげてくれていて、分類を諦めた本棚。
写真が写って、Podcastだと見えないと思うんですけど、前後2列の本棚で、
手前に文庫本があって、奥に新書っぽいのが並んでるんですが、
普通に並べると、新書ってもう頭がちょっとだけ出るだけなんですけど、
もう本タイトルが見えるレベルに高さにあって、
下に台というかな、自作の台かな、これは。
たぶん段ボールの新聞紙で巻いて、新聞紙で巻いた木片とかかもしれないなって思ったんですけど。
後ろに置いて高さをつけることで、前後2列並べても後ろの拍子が見えるよという工夫がなされているというやつですね。
一見ちょっとしたことなんだけど、きっとすごく重要な。
これめちゃくちゃ重要だと思います。
こういうノウハウを提供してもらえるのも、まさにコロンブスの卵というか、
こんな言われたら誰でもできるわなんだけど。
ちなみにダイソーとかセリアとかの百均に行くと、こういう仕掛けになっているのがあるね。
売ってる印象はあるね。
後ろがちょっと高まっている本棚を挿すのがあって、
ストラ本棚、自分が持ってる本棚とスペースとか高さが合うかどうかの問題はあるんですけど、
最近こういうテクニックも少しずつ普及しつつあるという感じですね。
このテクニック、あと素晴らしいのが、基本見えないんで見た目が悪くてもいいっていうことじゃないかなと。
確かにその通りやな。
DIYで見た目が悪くても隠れるので基本的には。
確かにね。
そういう点でも格好良さを気にしなくていいというところも良い工夫の仕方という感じがします。
ということで、今回104回毎年恒例なんですけれども、
1年分の振り返りをしようの回全編です。
さすがに1回で全部は無理なので、前後編でお送りするという感じですね。
実は100回を数えたブックカタリストなんですけど、今年の初めはまだ80回だった。
そうですね。
まあ決まってるんですけど、毎年平均したら26回になるっていうのはわかってることなんだけど。
そうですね。
意外と回数やってるなって思いましたね。
振り返るとそういう感じがするね。
基本ブックカタリストは年末年始とか何も気にせずに決まった火曜日にずっと配信をしているので、
第1回が1月2日。
ほんまやな。
観光客の哲学と哲学の門前から考える読書について。
これは多分僕が喋って、そうやな、市民としての読書ということを考えたから。
つまり門の中に入って専門家としてじっくり学ぶんじゃなくて、
むしろ門の前を堪う、あるいは観光客のように中に入らずにただ通り過ぎていくだけの
人としての読書みたいな話をした気がします。
そうなんですよ。一番最初の頃のやつは結構忘れてるんですよね。
覚えてない。メモがなかったら喋ったか覚えてないけど。
した気がしますっていうのが、俺も聞いた気がしますっていう感じがして。
これは今現時点の僕の問題意識が通じてる話で、
本の読み方っていろいろあるわけですけど、
学者としての本の読み方ではなく、あるいはジャーナリストとしての本の読み方じゃなくて、
情報社会社会を生きる市民として本を読むっていうことを、
もっとポピュラーないしカジュアルに考えていきたいなという問題意識は
今年1年ずっと持ってた感じがしますね。
こっち語流語視点から見ても、
ちゃんと1回目のやつから今年のテーマに全部繋がっているんだなって思いますね。
このラシタさんの1個目の選択というのが。
次が81回。
ピダハンとムラブリから考える価値観への文化の影響。
ピダハンっていうのはかなり昔、
文化人類学的なところで言う古典になりかけているような有名な本と、
同じく似たような民族で日本人の方がムラブリっていうところに行って、
言語学者の観点で世界ムラブリというものを説明してくれたというか、
そういう話で。
このジャンルもね、今の今でいうとそんなに読んでいるわけではないんですけど、
一般的に自分は社会の当たり前というものが、
好きではないという言い方をしたらいいのかな。
当たり前を覆してくれるような根拠になりそうな本というのは基本的にとても好きで。
社会学のまなざしということだろうね、きっと。
そうですね、ただ社会学全部では自分はないんじゃないのかなっていう感じもしていて、
こういう、そんな常識でしょうとか、そんな当たり前でしょうとか、
そういうのがどうもすごく自分が思っている以上に自分はそういうのに反発するんだなっていうのを、
今も振り返ると思うかな。
なるほどね。だからタッカーノさんとかの本は、
まさに僕たちの当たり前を揺さぶるような、でも現代社会で同じ日本で生きている人というところで、
そういう相対感の極致みたいな感じだけど、
全般的にその辺いうところに興味があるというふうには外側から見て思いますね。
そうですね、近いうちに紹介しようと思っているその結婚の社会学とかも、
当たり前がいかに、自分もそんなつもりでいながら相当当たり前に読されている、
ということを勉強することで多少は相対感ができる。
ちなみに当たり前に読されているとおっしゃいましたが、当たり前は良くないこと?
良くない。視野が狭くなってしまうのではないか。当たり前だと思ってしまうことで。
視野が狭いことは悪いことやろうかな。
それはあれかな。そこは価値観ではないかなって思うんですけど。
なるほどね。分かりました。
多様な価値観を受け入れられる、多様な世界で生きていきたい。
そういう憧れとか格好良さがある。格好良さの憧れみたいなのがあって、視野が狭いのはそれに反するということですね。
そうですね。自分が理想とするロールモデルは視野が広い人であるみたいなイメージかな。
それは分かります。
次がBC-08に思考を耕すノートの作り方から考えるノウハウの作り方。
これ僕の本ですね。
11月に出た本ですね。去年の。
紹介するのを忘れてて、ちょっと過ぎてから紹介した本ですけど。
あんまり本の内容の話はしなかったと思うんですけど。
ノウハウって自分なりのノウハウを作ることが必要だよねということを語った回でして。
これはもうずっと数年前から僕のテーマで。
ノウハウ本を書いている人として、どんなふうに人がノウハウと付き合っていけばいいのかなということはずっと考えていて。
今回そのノート術について書く機会を得られたので。
これが俺のノート術だというような本じゃなくて、ノート術の基本みたいなものを分解して提示したという本で。
すごい売れてるわけではないですが。
ちょこちょこAmazonのKindle版とか結構動いているらしくて。
この出版社さんの電子書籍の中では結構動いている方やというような報告をいただきましたね。
基本的に古くならない本であるところがまずやっぱ強みですよね。
そうだな。何年経ってもノートの基本というのは変わらない。
人類がノートを使わなくならない限りは読まれ続ける。
あとタイトルとかキャッチーさっていうのは変わるかもしれないけども。
内容自体はプログラミング言語入門みたいなと一緒で、ずっとツールが存在し続ける限りは役立つ本なので。
紹介もしやすいね自分で。
3年経っても4年経っても別にこの本いいですよって言い続けられる気はする。
エバーノート仕事術はさすがに。
ちょっと時代遅れになっているよね。
だからそういう意味でも通年的な感じはしますね確かに。
あと思ったのが同時に最近クラシタさんが汎用的な事例ではなく、
俺はこう使っているのもという紹介も重要なのではないかっていうのを考えているような印象があるんですけど。
まさにその通り。
結局、こういう基本的な汎用的なパーツっていうのがまずあって、
それ一つの極にそれがあって、もう一つ反対に俺の仕事術ノート術があって、
そういう俺の仕事術をたくさん見ることによって人はそこから自分なりの方法を作れるのではないか。
だから辞書だけがあっても文章を書けないよねっていうことかなどっちかっていうと。
それも必要やけど、実際に人が喋っている文章から文の構成の仕方を学んでいくという感じがあって、
その二つ、すごく個人的なものとすごく一般的なものの両極端があった方がいいかなという思いがあるのと、
やっぱり人のああいうことをしてみたいっていう憧れの気持ちってやっぱり尖った使い方な気がするし、
自分でもやっぱりすげーマニアックなことしてるなっていうノウハウを読むのが楽しいのもあるから、
読み物としての楽しさっていうのを考えるとやっぱり俺俺ノウハウを開示する。
しかもそれをあたかも万人に通じるように語るんじゃなくて、
僕はこういうことやってますよどうですかみたいなそういうスタンスで提示した方が読み物として面白いし、
その二極、両極を豊かに実らせることになるんではないかなという予測みたいなところで最近動いてますね。
難しいというかバランス。一冊目だとしたらどっちがいいと思いますか?
最初に読むとしたら、ノートを使いたいという気持ちがあるんであれば取扱説明書とか細かい辞書みたいな方がいいけど、
何していいのかわからん時は他人のやり方からモチベーションを受けた方がいいんじゃないかな。
ほうほうほう。じゃあ想定読者みたいなのを想定するのが難しいか。
まあそれが答えか。
しかもそれはこういう読者がいるからこう書こうみたいなあんまり決めすぎてもなんので、
自分の出せる手札をとりあえず出しといて好きな本を読んでくださいっていう開かれたスタンスの方が、
ノートを使うならこの本を読まなきゃならないとやっぱり苦しいわけですから。
だからいろんな棚を揃えておくというのが僕のノウハウ諸戦略っていう感じかな。
そして83回、The Formula 科学が解き明かした成功の普遍的法則と残酷すぎる人間法則の2冊から考える人間関係。
ネットワーク論の話というか、人と人の繋がりって大切だよねっていう話ですよね確か。
そうですね。どっちもすごく大雑把なことを言えば、幸福に生きるためには他人が重要ですみたいな言い方になるのかな。
これは今振り返って思うことなんですけど、ちょうどこれが2024年の2月ぐらいに紹介している本で、
去年町内会の神社委員というものに当たって1年やって、
今振り返ってお金では決して得られない非常に貴重な体験をすることができたと結構心から思えるようになっていて、
やっている最中は面倒くせえなとか細かいことを言えば無数にもちろんあったんですけど、
何とも言えない表現なんだけど、他人に対する目線というか視点というか考え方みたいなのがすごく変わった印象があって。
どういう状況からどういう状況に変わったの?
基本的に他人はどうでもいいだったんですよね。大雑把な言い方をすると。
自分から見たときにモブ的に見えるってことね。
でも、もっと素直に人に親切にするということは結構心の底から単純に自分のためにも良いことなんじゃないかなと思えるようになった。
例えばなんですけど、そうやって優しくしてあげたことで自分の気分がいいですらメリットなのではないか。
っていうようなことが素で感じられるようになったのと、あとはローカルのコミュニティみたいなものがいかに強いというか重要というかでかいというか、バカにしたらいかに近いのかな。
もうちょっとそこに人が意識を向けられるようになるとちょっと世界が変わってくるのかなっていうような印象を感じたかな。
それは別に例えば仲良い人が増えたとかそういう話ではないよね。
そうですね。仲の良さで言ったら別に誰一人仲良くなってないし、今後も付き合うことがあるかって言ったら一人もいないし、たぶん別にそれが必要ではない。
そういうことではないね。
だから地元の近所の人とうまくやっていくということがいかに大事かみたいなイメージか。
近所って言って、例えば数千とかっていう規模の集落が神社の担当範囲ぐらいにはなってるんですよね。
そういう中で何十人という人と偶然ちょこっと一緒になる機会があって、地元の共同体みたいなものも悪くないのかなっていうことを結構素直に思えるようになった。
ちなみにですけど、例えば僕はゴリゴさんと接した時に、ゴリゴさんはブロガーでITに強くて音楽好きでっていう印象を持って接してるわけじゃないですか。
でも例えば地元のローカルコミュニティにいる人たちはそもそもそういうイメージ、先入観を持たずにゴリゴさんと接するわけじゃないですか。
それは違います。対人関係として自分の振る舞いが多分変わってくると思うんですけど。
それやっぱり新鮮な感じがあります?
まず少なくとも新鮮ですね。
自分の感覚としては小学校とか中学校の頃に戻ったのに近い印象を受ける。
もうちょっと開けていて、暮らすほど閉鎖的ではない。
回数とか頻度とか年齢の多様性とかがいろいろあると思うんですけど。
その距離感で、あとは前提条件なしで人付き合いをするっていうのも、これはこれでいいもんだなって感じるのかもしれない。
それはボードゲームカフェで行った時の楽しさみたいなのをどっかでしましたけど、それに近い感じですね。
コンテキストが、自分が所属するコンテキストが豊かになるという感じがするね。
そうですね。だから例えば自分の場合で言うと、あの世代の中では若い男性っていうそれだけの属性でその人付き合いができるっていうのが意外と楽というか、面白かったな、用語で言うと。
逆に言うと昔はインターネットの場に参加することがそういう感じだったじゃないですか。
そうかも。真逆になってるですね。
でも今はこっちの機関が多分長くなってきてるから、むしろローカルの方が切断になってるという感じだね、多分。
そうですね。特に俺の場合、仕事で日常的に接する人が存在していないので、余計そうかも。
そういうふうに色々コンテキストを動かしていくということの良さはありそうよね。
インターネットでの付き合い、この前のブックカタリストのオフ会とかもそうなんですけど、あれはやっぱりあらゆる前提をすっ飛ばせるから、とてつもなく楽で楽しいんですよね。
ただそればっかりに慣れてしまうと、元々の人間関係はそうではないんだろうなっていうのを思ったかも。
確かにそうだよな。この地球上に存在している人間関係の大半はそうじゃないだろうね。
原始の人間関係はその神社のそっちの方が近いので、インターネットの凄さの素晴らしさに当たり前になってしまっていて、普通を思い出したのかもしれない。
確かにね。
次が84回ゲスト回、J松崎さんと先送りゼロ。
本人に内容とかを結構厚く語っていただいた印象がありまして、確かこの回でゴリラさんが紙でやっているタスクシュートに感動されていた記憶がありますが、紙の手帳が発売されたらしく、アナログもちゃんとフォローしていかれているという後続の印象を受けてますね。
そうですね、そういえばこの後自分も紙の手帳を使うようになったりしているし、特にタスクシュートという概念をここでは詳しく説明はしないんですが、今もう一度振り返るとやっぱり相性いいんじゃないかなって思いましたね。
なるほど。
たくさん書いてあって、俺こんなにやったぞって思えるって、もうそんだけですごくいいと思うんですよね。
しかもタスクシュートって基本的に1日ごとに切り替えていくというか、新しいシートが出てくるという感じやから、紙の1ページずつめくっていくのとコンテキストは近い感じがするね。
ちょっと使い方を把握していないんですけど、1日1ページぐらい使っていくと相性がいい気がして、いわゆる別にたぶんその辺の1日1ページの日記帳みたいな手帳を使えばほぼ似たようなことはできるはずで。
そうですね。
何なら過去1週間分、うまく使えばそうですね、普通の手帳でかなり上手に運用ができる気がして、何をもってタスクシュートとするかっていう定義がこの自分の第一印象から大きく良い方向に変わっていて、面白いシステムだなぁと思いますね。
まあそうやね、だからコアの概念が取り出されたという感じがして、それは結局、例えば大橋さんがこれは私のものやから使わせへんっていうようなビジネスモデルしたら絶対生まれなかっただろう、いろんな人がここに参加したことによって逆にそこにあったコアがえぐり出された、取り出されたという感じがしますね。
多分その大橋さんが想定していないところがコアだとみんなが感じたのではないか。
感じがする、そこがやっぱ面白いし、いろんな人が一つの概念とかノウハウにコミットしてくることの他人数による想像力の高さ、面白さっていうのをこの一大プロジェクトを見てて感じますね。
歴史、もう20何年あるらしいですからね。
そうやな、確かに。
俺、アトミックシンキングって考えたんだって言ってるけど3年ぐらいなのでまだ。
まだまだ熟成がこれから始まるという感じですね。
あと20年、そういうことを続けられるかどうかっていう、その違いみたいなのはちょっと思うかも。
やっぱりいろんな人に参加してもらって概念をいろいろいじくったほうが多分面白いことではなりそうですけどね。
まだ自分が人に紹介できるレベルにそういう意味では行けていないという言い方もできるので。
なるほど。
ステップで言うと、たぶんまだ一般公開していない段階と全く同じぐらいかなっていう。
まだ整理中という感じでね。
自分で使っているみたいな感じか。
次が85回、文学のエコロジーから考える文学の向用。
87回音楽の人類史発展と伝播の8億年の物語。
これはシンセサイザーの話をしようと思っていたのになぜかそこに至るまで、シンセサイザーという道具に至るまでのいろんなことを学んでいたら8億年もあって、
そこに到達することができなかった物語。
音楽の本も真面目に探すと結構いろいろあって、
哲学的に掘り下げているものだったり、大半のやつがピタゴラスから始まっているんですよね。
でもこいつが素晴らしかったなぁと思ったのは、それよりも多分笛が最小とか、
太鼓って皮がいるから狩猟ができるように、狩猟採集よりも石器的なものがないと多分難しいとか、
その辺の4千年の歴史はよく見るけど、8億年書かれている本というのは貴重なんじゃないかなと。
今でも音楽をサイエンスな観点で見るのも面白いし、歴史の観点で見るのも面白いし、
社会学というかそういうような観点で見るのもいろいろ面白かったりもするので、
ブックカタリスト的に紹介するのが難しいっていうのはちょっとあるんですけど、
非常に興味は今でも尽きていない。
ちょうどそういえばこの前、またしてもリトルワールドに行ってきて、リアル桃鉄っていうのをやってきたんですけれども、
リアル桃鉄の話は置いておいて、リトルワールドのおすすめの建物にドイツの教会みたいなやつがあるんですよね。
本当に神への信仰心、微塵もない自分でも、あそこはすごいんですよね。
生の音響効果というものとか、その荘厳な雰囲気っていうのかな。
ステンドグラスでカラフルな光が入ってきて、
喋った声とかそういうのが、音の効果で信仰心みたいなものっていうのは芽生えうるなということをすごく強く思って。
実際キリスト教的な文脈で言うと音楽って宗教と共に発展してきたりもしているので、
やっぱそういうのは場所でしか体験できない面白さとかもあったりして、
この反響、いわゆる音楽を聞く場所とは全然違うんですよね。
基本的に音楽を聞く場所は外から音が入ってこないようにするし、
あまり反射させないようにするけれども、
その境界リバーブは生で体験するとすごいなって何回言っても思いますね。
あれは信じたくなる。
ここまでコテコテにメディアを摂取している人間ですらそう感じないから、
メディアウブな人間がそこにいたらすごい力を感じるだろうねきっと。
宗教側とかっていうのも天井にデッカイ絵も描いてあったりして、
そういうのとかでもすごいなっていうのを思い知らされる。
結局現代の文化は大半がキリスト教の影響を受けているものですからね。
西洋の影響を受けているということは。
そうですね。
そのあたりのことも、どうやってブックカタリストっぽく紹介するかっていうのは今後の課題ですかね。
そうですね。
次が88回、チェンジ・変化を起こす7つの戦略。
僕が紹介した本です。
これね、すごい面白い本ですけど、そんなに人気になってないんですが。
なんかやっぱりタイトル的にちょっと昔っぽいんじゃないかな。
そうか、そうやな。
変化っていうのはつまり、抵抗があるような大きな変化っていうのをどう起こすのかということで、
バズらせるのとは違うアプローチが必要だよということを7つの戦略として最後にまとめる形で紹介したんですが。
ある種の肌感覚としてはそうだろうなということなので、
これ普通に引き続きバズる方式が好きではないが、かといって山奥に引きこもっているのは好ましくないというか、
自分が信じていることを広めていきたいと思っている人にとっては非常に有用な視差を与えてくれる本であることは変わりないと思いますね。
あと思い出したけど、この時期ネットワークの本とか、俺もちょうどいろいろ読んでいて、
結構そういう影響もあるというか、そっち系というのも。
ここで言うと紹介しているのは、ザ・フォーミュラとかある意味ネットワークとも言えるのか。
そうやね。だから人間関係のネットワークで。
小さいネットワークから少しずつ広めていくのが良い。大量に一気にやるとあんまりうまくいかないみたいな、
その広げ方の戦略の本、考え方が書かれている本で。
だから人間というのは個別に独立した存在しているのを見るんじゃなくて、
人はネットワークの文脈の中で行動とか意思決定を行っているものとして見るという意味で、
ネットワーク精神物理学みたいな感じの捉え方ですね。
そうですね。そういえばそれを取り入れて、無意識なんだけどブックカタリストとかで、
コメントとかをちょっとずつ皆さんとやり取りできるようにしていったとかは、
思ってなかったけどそういうことを考えていたのかもしれない。
少しずつ広まるとしたらそういう形からでしょうね。
熱心にコメントしてくれる人たちとの輪を作ることで、
ちょっとずつそれを見る人がやってみようとか面白そうと思ってくれるのが、
多分一番幸運な形の広がり方っていう感じだね。
あとTwitterのコメントに対してニュアンスを含めて返信できるのはすごくいいなと思っていて。
確かに。
ただありがとうございますって返すよりも、
こっちのほうが遥かにコミュニケーションをしている感じがする。
情報的に豊かというのは確かに。
っていう意味でもありがたいですね。
はい。
次が89回。
大抵のことは20時間で習得できると成功する練習の法則から考えるスキルを獲得するというマインドの獲得。
タイトルがほとんど長くなっている。
産業でも書けるかどうかっていう。
この回が最近バズっていうのが流行っているトレーニング理論のベースになる考え方がこの辺で。
そうなんですよね。結構すごいなと思うけど、やっぱ半年かけて熟成してるんですよね。そうやって考えたら。
確かに。
これが5月でプリズナートレーニング11月ぐらいで、それぐらいの期間スキルを身につけることを結構重視して考えていて、その上でプリズナートレーニングの学んだ知識をプリズナートレーニングに生かしたら結構いろんな人がやってみようと思ってくれた。
内容自体は今までも割と自分の中で血肉になっている感覚があるので、一個一個掘り下げるっていう感じではないんですけど、やっぱできると思えることとできるようになるためにどういう練習をしたらいいかの2つがやっぱ軸なのかなと。
特にこの成功する練習の法則は、練習と本番っていうのをどのように位置づけるかっていうことは目を開かされたことがあったね。練習をどう考えたらいいのかっていう。本番っぽいことをやればいいということじゃなくて、練習は練習をちゃんとしなきゃっていうことが結構力強されてた気がするんですけど。
その観点は僕はちょっとあんまり持ってなかったんで、結構思考がレベルアップした感じがするね、この本を読んで。
たしか。よくあるので、サッカーの試合形式の練習というのは、なんならそれは指導者の逃げたぐらいな言い方をしていたりもしていて。
たしかにそうで、ただもちろんそれが不要であることはないんだけれども、少なくともその前段階をきちんとやっておかないといけないとか。
そうですね、やっぱ細かなスキルがめちゃくちゃいっぱいあって、特にこの成功する練習の法則とかはめちゃめちゃ項目数多くて、こんなん覚えられるかっていうものではあるんですけど。
一個も覚えてない。
でも何十個と目にすることでなんとなく入ってくるものがあるっていうタイプかなって。
それは間違いない。そういうタイプのものでしたね、たしかに。
あとは自分はこれの影響を受けて、やっぱり練習というものを広く考えられるようになったかなと思っていて。
一番でかいのが、例えばギターを練習することはギターを弾くことだけではない。
うんうん、なるほどね。
そのギターが弾けるような環境を作ることももちろんそうだし、なんならその弾ける時間を確保することすらも練習である。
そうするとですね、仕事をしている時間すらギターの練習になるっていう。
たしかに。
マインドの大きな転換ができて、そういうところが変わったっていうのはやっぱりでかかったかな。
相手を人として見てないというか、顔が見えてないから人間的に扱えてないってこともあって、でも何かし方法はあるだろうという希望みたいなのがあるから、その手の本は結構ずっと読んできてる感じはありますね。
その俺は観点が違うんだけど、この成功の普遍的法則とか残酷すぎる人間法則とかってやっぱ結局人間関係なんだよねっていう視点でもあったりするので、やっぱそのそうだな、インターネットの時代で結構一人でやれることが増えてしまったか、
ゆえに、人と何か一緒にできることとか会話、対話ができるだけで十分なんだけど、ということの重要さみたいなのは思い知りますな。
30代後半ぐらいからかな、ちょっとずつコミュニティ的なものとかチームとかグループで何かするっていうのを重視してきた経験があって、やっぱ難しいんですよね。機能合う人と機能合う仕事をするのは簡単やねん、簡単というかそんなに難しくないんだけど、やっぱりいろんな人が入ってくるとやっぱ難しくなってくる。当然とは言え当然だけど、こっちにスキルが多分足りないというところがあって、その辺を磨いていけたらなという感じはありますね。
そうですね、スキルが足りないなんですよね、やっぱりその辺りのことに関しても。
これもやっぱり練習の観点でどうにかしていく必要があるんでしょう、きっと。
何よりも絶対的な経験も必要だし、練習も必要だし、どっちもですね。
91回がセンスの哲学。
千葉雅也さんの本で、多分今でも普通に書店で売れてる本のところに並んでたり、今年の売上のところでも各書店で上位にランクされてる本で、すごく売れてる本だから数万部売れてると思うんですね。
もう現代で数万部やったら相当のヒットで、しかもそれが哲学系の本となればもういい絵やと思うんですね。
土著級ですからね、タイトルなんてね。センスの哲学っていう本で売れるんやっていう時点でなんかやっぱすごいですよね。
いやでも例えば冒頭の1、2ページ読んだだけで、やっぱりその一般的にイメージされる哲学の本とは違うなっていうのがビビッと。
それはもう明確に思う。
すごい本で、いまだにこの本はどうやったかは語れない、難しい。
非常にわかりやすく読める本やけど語るのが難しい本だっていう印象は毎回思いますね。
そうですね、結局そうか、今でいうと直接的な影響っていうとやっぱあのなんていうんだろう、映画の見方みたいな話しか分かるレベルで、意識できるレベルではそこだけだったけれども、なんかもっとすごいいろんなところに影響を受けている気がする。
思いますね、この全編通して読んだ時にやっぱりなんていうのかな、まず多分そのこれまでの哲学書のようなそのいわゆる千葉哲学が論じられているわけではなくて、いろんな分野にこう枝が伸びている話があって、何かどっか引っかかる。
それでいて全体が破綻していない。
だから哲学書やけど、どっちかというと小説的なある種の構造があって、構造じゃない構造があるというか、だから何回読んでも普通に面白いタイプの本だと思いますね、この本は。
そういえばそうですね、俺その1回っていうか読書メモ書いてそれ以降読んでないけれどもそういえば。
チラッとだからどっか数ページ読むだけで全然面白いタイプの本ですね、通読するというよりはきっと。
映画を撮るような人とかそっち系の人にまで届いていそうな感じで、そこがやっぱすごいなって印象かな。
基本的にこれ芸術論半分ぐらい芸術論なんですけど、特定の分野に限定されてない。美術でも絵画でも映画でも何か全般的に言えることだってセンスですからね。
それらの創作活動を支えるもの何かっていうとセンスなわけですから。
そういう意味でやっぱ広いし、もっと日常生活にそういう美術的感覚を導入するための本でもあって、見事ですね見事しか言いようがないです。
そうだな、直接的にこれも絡んでいるっていう感じなんですけど、そういえば今年から新しく始めた行為として美術館に行くっていうのがあって、
2,3回ぐらい行ってたりするんですけど、
分からんくってもいいやって思えたっていうのかな、言葉と言語化するならば。
自分が目先に感じられる意味と別の感覚で対象と接することができるようになったという感じなんでしょうね。
そうですね、あと今思い出したけど、この部分のここの色がかっこいいとか、
あと例えば直近の油絵とかで言うと、近くで見るとすごい分厚いんですよね。
この分厚さは当然デジタルでは体験できないことで、そこは生で行く面白さであり、分厚だけで面白いよなとも思うし。
そういうディティールに注目する視点が、意味とは別の面白さの回路を立ち上げるという話で、
一周回ると、例えばローカルのネットワークで変な知らないおっちゃんと喋る時も似たものがあると思うんですよきっと。
多分近いじゃないけど似たようなものがある気がする。
自分にとってこの人間はどういう有意味性を持つかみたいな観点じゃなくて、
あのおっちゃんの喋り方面白いなみたいなところでコミュニケーションの回路を開くことができたとしたら、
なんか新しい、新しいというかそれは古来のコミュニケーションかもしれないけど、回帰できる気がしますね。
そういえばそうだな、やっぱ美術館に行けるようになったじゃないな、行って、まだね楽しいと言っていいのかわからないんですけど感情としては。
ほうほうほう、なるほどなるほど。
その行く、少なくとも行ってみようと思えるようになったのは結構この本の影響があるのかもしれない。
それはでも大きいよね。別になんか上からで言う話じゃないですけど、美術館の面白さってある程度行かないと多分芽生えてこない。
3回行ったからわかったとかじゃなくて、なんかわからない期間がある程度あって、ある日突然わかるみたいな、
あー面白いみたいなことが多分発がするんで、その間そのわからなさに耐えなければならない。
耐えるってちょっと大げさか。わからないままにそこに居続けなければいけない期間があって、それをもしセンスの哲学がサポートとか支援していたとしたら、それはすごい貢献だと思いますね。
そうですね、なんかそうだな、直近で言うと大阪の中野島美術館っていうところ、一番面白かったのがね、モダンアートだったんですよね。
へーすごいね。
やっぱ思い返すと、これもね当たり前をひっくり返してくれる面白さ。
俺のものって、何をもって俺のものなの?
自分の本をラスタさんに貸したとして、この本は俺の本だと証明する手段は存在しないはずなのに。
でもやっぱりいつまでたっても多分それは俺の本で。
でも例えばじゃあ1000円で売るよって言って渡すと俺のものではなくなる。
確かに。
いや不思議だよね。そんなことをやっぱり考えたことがなかった。
そうだね今話を聞いてて思ったけどさ、例えば夜寝てる間に泥棒が入ってさ、その本を持っていたとするやん。
その泥棒が申し訳ないからって1000円置いていたとするやん。
でもそれはさ、所有権が移ったって感じはしないよね、なんとなく。
やっぱその盗まれた。
盗まれたっていう感じがするよね。
ある種の合意がそこにあることが多分大切なんだろうね、きっと。
で、所有権とは何なのか。
住んでると自分のものになるとかね、その辺の概念とかもやっぱ。
あと直感でわからん部分もやっぱあったりもするから難しい、面白い。
だからその法律、国の制度的な所有と、さっき言った僕らの実感的な所有っていうのがあって、
それが合致するところもあれば合致しないところもあって、多分現実はいろいろややこしい問題が起きるのでしょうね。
おそらく今後もずっと争いが絶えない部分にもなるだろうし。
だから所有をやめようっていう、私有財産をやめようみたいな方向も、
こういうややこしい問題を一回チャラにしようっていう、ある種革命的考え方ではあるんでしょうけどね。
あとつかみが良かったですね。
飛行機のシートを倒すということは、どっちの権利なのか。
倒せるということは、ボタンがついてるってことは倒していいってことでしょ。
でも同時に初めに会った空間に入ってくるのはお前でしょっていう。
で、悪いのは誰も航空会社が悪いと言わないっていう観点が新しかったかなと。
そうだね、確かに。その話は覚えてますわ、ちゃんと。
それも社会学になるんですかね、分野で言えば。
哲学的な論考というよりは社会学の制度とかっていう感じが。
心理学も入ってるでしょうけど、結構社会学な感じがしますね。
今年はそういう意味で言うと、社会学に意識して興味を持った。
社会学的なものに興味がちょっと広がったみたいなのがあるのかもですね。
まあそうか。自分と異なる社会への眼差しっていうのは結構前から持っておられたと思いますが、
結構社会学的な感じも今年は増えてきたのかなということかな。
っていう印象があるかな。
やっぱあれですね、2,3分語っても、十何回思い出すと2,3分では終わらず1時間になる。
まあそうね。しかも読書っていうのは続いてますしね、その後どうなったかっていう話もあるし。
まじでね、あれこれ今年あったら印象としては2年前ぐらいなんだけど。
半年前はもう2年前とか、多分感覚でわからない。僕らの時間間隔で捉えられないと思いますね、それは。
まだ後半半分は最近なんですよ。
確かに。
前半半分はこれ、そっか今年だったんだっていう感じはあるね。
もう覚えてないもん、ほとんど。
うん、読んだ本は覚えてるけど何を喋ったかは覚えてないね。
それはすごく思う。
逆にやっぱり振り返ることの重要性という、自分の記憶のネットワークを再強化するということもありますし、
聞いた人が実際同じように自分の読書を振り返る機会になったらいいかなと思うんですが、
そのためには記録を残しておくことが大切ということはいつも言えますけどね。
もしよかったら皆さんもですね、
今年一番印象に残ったブックカタリストエピソードとか覚えていたら、今回聞いた文の中からでもいいので、
コメント、ツイッターなどなどで教えていただけたらありがたいです。
はい。
はい、ということで、ブックカタリストはご意見ご感想、
ツイッターかブルースカイでハッシュタグ、カタカナのブックカタリストでお寄せいただければ、
ゴリゴクラスターが確認して番組などで紹介したいと思います。
またサポーターも募集しているので、よかったら概要欄から詳細などご覧いただければと思います。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。