バットマンキリングジョークの紹介
ポッドキャスト版アメコミ放浪記をご視聴の皆さん、こんにちは。
このポッドキャストは、アメコミ好きの会社員、私NOBBONが最近読んだコミックの紹介を中心に、アメコミ関連の話題をさせてもらうものです。
今回も引き続きBGM等なしの簡単バージョンでいかせてもらいます。
今回の内容ですが、最近ハンスのネタも無くなってきているのでよくある話ですが、
今回は、バットマンの名作、バットマンキリングジョークの内容をネタに、バットマンは本当にキリングジョークの中でジョーカーを○○したのかという、
いわゆるキリングジョークの都市伝説を改めて考えていこうかなと思います。
そもそもこのバットマンキリングジョークとは何ぞやという話なんですけれども、
これは1988年にDCが刊行したバットマンのミニシリーズでして、ライターがアラン・ムーア、アーティストがブライアンボランドの作品になっています。
このキリングジョークなんですけれども、今さら私が紹介するのも恥ずかしいくらいの名作でして、
大概アメコミの読者が選ぶ、アメコミオールタイムベストとかをwebとかでファン投票で決めた場合って、
キリングジョークが必ず5位以内に入るであろう作品になっていて、
おそらくバットマンだけじゃなくDCだけじゃなく、アメコミ全体の中でもマスターピースといわれる名作になっています。
都市伝説の考察
このバットマンキリングジョークなんですけれども、しかしこれには実はある都市伝説がついてまわっているんですね。
それは何かというと、このキリングジョークのラストでバットマンはジョーカーを殺したんじゃないかという説ですね。
今回はこの説の紹介を中心にちょっといけたらなと思っています。
まずキリングジョークのあらすじの紹介なんですけれども、
このキリングジョークの物語の構成というのは、現代と過去が交互に描かれるような感じの構成になっていて、
現代パートではジョーカーの犯した、おそらくバットマン師匠、最悪の犯罪行為が描かれていて、
一方過去編ではジョーカーの誕生秘話が描かれる。
この2つの物語がやがて1つのテーマを織りなしていくというような物語なんですけれども、
このコミックを名作をたらしめているのは、
もちろんここで描かれたジョーカーの誕生秘話というのは非常にこの物語があまりにも出来がいいので、
ある意味定番的な物語になって、最近であったらジェフ・ジョーンズの3ジョーカーズという作品であったり、
もしくは例えば直近のバットマン師のチップズ・ダスキーですね。
この人が描いているバットマン師とかでも扱われるぐらい、
ジョーカーのキャラクターを定義付けた1つのオリジン版紙なんですけれども、
もちろんこれも面白いんですけれども、
ただおそらくこのコミックを名作たらしめているのはそのラストなんじゃないかなと思います。
どんなラストかというと、物語の最後にバットマンがついにジョーカーを追い詰めるんですね。
お互い戦い合ってボロボロになって、ようやくジョーカーを捕まえたバットマン。
バットマンに対してジョーカーがあるジョークを言うんですね。
そのジョークの内容というのがちょっと後で紹介するんですけれども、
このバットマンとジョーカーの状況を暗にするようなジョークで、
2人ともその戦いでボロボロになっているんですけれども、
そのジョークの内容にバットマンもジョーカーも大受けして、
雨が降りすぎる犯罪現場の中でバットマンとジョーカーの笑い声だけがこだまして、
やがてその笑い声が闇の中に吸い込まれていくというエンディングで、
永遠に戦い続ける宿命であるライバル関係にあるこのバットマンとジョーカーが、
創作者の反応と解釈
本当に最後の最後に心を通い合わせてお互いジョークで笑い合うみたいな、
そういう非常に生きというかオシャレなエンディングなんですね。
このエンディングでこのバットマンキリングジョークという作品は、
歴史に残る名作になったと思っているんですけれども、
ここからが本題の都市伝説でして、
この最後の笑いあるジョーカーとバットマンのシーンなんですけれども、
このシーンでバットマンがジョーカーを殺しているのではないかというのが都市伝説になります。
手元にちょうどバットマンキリングジョークがあるので、
最後のページだけ一コマずつ紹介していこうと思うんですけれども、
まず最後の6コマのうちの一コマ目。
ここでジョーカーのジョークにたまらず吹き出してしまったバットマンとジョーカーが忍び笑いを始めるんですね。
2コマ目。2コマ目で忍び笑いというのがついに爆笑に変わって、
バットマンとジョーカーはお互い肩を抱きながら爆笑をし始めて、
今までは吹き出しの吹き出しにヘヘッと書かれていた笑い声が、
次に書き文字になってハハハハッという大きな笑い声に変わるんですね。
それが2コマ目。3コマ目になるとだんだんカメラがバットマンとジョーカーの足元の方に寄っていくんですね。
ここではまだバットマンとジョーカーのハハハハッという笑い声の書き文字が見えています。
問題はその次のコマ、4コマ目なんですけれども、
この4コマ目になると急にこの2人の笑い声の書き文字がパタッと消えるんですね。
この瞬間に実はバットマンはジョーカーを殺して、そのせいで2人の笑いが止まったんだというのが都市伝説の内容になっていて、
一応その根拠というのは2つあって、1つはこの瞬間に笑い声が消えているというところと、
さっきバットマンとジョーカーが肩を並べて、肩を叩き合って笑っているという風に言ったと思うんですけれども、
実は肩を叩き合っているのではなくて、よく見るとバットマンの両手がジョーカーの首元に伸びている。
という風に見えるというのが、このバットマン、ジョーカー、殺害説の根拠になったんですね。
この解釈というのは決して1人や2人のファンが言っている内容ではなくて、結構多くの人がこの読み方を主張していて、
結構長年ファンの間では論争になっていたんですね。
一方でこの作品を書いたクリエイター陣はどういうふうな反応をしていたかというと、
まだライターのアラン・ムーヴァーというのはあまり自分のヒーローコミック時代のキャリアの話はしないんですね。
おそらくアラン・ムーヴァーは自分の初期の作品であるキリングジョークであったり、もしくはウォッチンゲンであったりという作品ばかりが語られるのに嫌気をさせていて、
自分はもっともっとそれからもいろんな作品を残していて、
アラン・ムーヴァー的には後から出した作品の方がよりよくできていると思っているんだけれども、
マスコミとかから言われるのはいつまで経ってもこのキリングジョークとウォッチンゲンの話ばかりなんで、
割とここら辺の質問を飽き飽きしているというところもあるんだろうなと思っていて、
とにかくアラン・ムーヴァーはこのキリングジョークについては多くを語りませんでした。
一方、ブライアン・バランドなんですけれども、こっちの方は都市伝説を楽しんでいる節があって、
例えば自分が読んだキリングジョークのTPBだと、
ブライアン・バランドが序文を書いていて、
その序文の頭で今回はこの場を借りて、
バットマンが本当にジョーカーを殺したのかというところの真相を話そうと思うという風に文章を始めて、
そこからだーっと書いた経緯であったり、そういうのを書いた後に、
ではいよいよ読者が楽しみにしているであろうアラン・ムーヴァーから渡された原稿にどう書いてあったのかというのを紹介しようと思う。
と思ったらもうここで紙面がつけちゃったんだ、ごめんねみたいな感じで終わる文章を書いていたりというので、
結構ブライアン・バランドはこの論争自体を楽しんでいるような節がありました。
ただその後にこのブライアン・バランドもそうですし、自身も本当の真相を発表していて、
なおかつこのキリングジョークって、割と最近原稿が全文ネットに公開されたのかリリックスされたのかわからないんですけども、公開されたんですね。
ブライアン・バランドの証言においても、この流出した、公開された原稿においても、
このバットマンの手がジョーカーの首元にあるっていうようなことは全然書かれてないんですね。
なんであくまでそのアラン・ムーヴァー、ライターのアラン・ムーヴァーっていうのは、2人が笑い合うっていうことしか指定していなくて、
その互いに笑い合うっていう描写で相手の肩のあたりに手を置いたっていうのは、あくまでブライアン・バランドの創作だっていうことがわかっています。
なんで実はこの首元に伸びる手っていうところを根拠にしたジョーカー殺害説っていうのは、割と明確に否定されてるんですね。
じゃあ結局それって本当に都市伝説だったわねっていうふうになるんですけども、ただここからは私の解釈なんですけども、
私はそれを踏まえたままバットマンはジョーカーを殺したと解釈しています。
その理由っていうのは、さっき否定されたようなバットマンの手がジョーカーの首に伸びているっていうところでも、
その後で2人の笑い声が止まったっていうことでもなくて、実は別のところになって、別のところを理由にジョーカーは殺されたっていう説を私は推してるというか、私はそう解釈しています。
その根拠は何かっていうと、実はキリングジョークにはまだ2コマ残ってるんですね。
バットマンとジョーカーの笑いが消えた後も。
この2コマ残された内容っていうのが私の根拠になってます。
じゃあその最後の2コマ、本当にこれ最後の2コマなんですけども、何が書かれているかっていうと、
まず最後の2コマの1コマ目っていうのが完全にバットマンとジョーカーの足元。
スポットライトの意義
でもここはもうバットマンとジョーカーも写っていなくて、書かれているのは地面にできた水たまりとそれを打つ雨粒。
それプラス、ジョーカーを探すために警察が出したサーチライトの光が柱のように水面に反射してるんですね。
それが1コマ目で、最後のコマはその光の柱が消えて完全に暗闇の中に雨だけが降ってるっていうところが最後のコマになっています。
つまり私の主張っていうのは最後にこのスポットライトが消えたからジョーカーは殺されたっていうふうに思っています。
なんでそんな解釈になるかっていうと、このスポットライトの意味っていうのを考えていくと必然的にそういう解釈になるのかなと私は思っています。
このスポットライトの意味なんですけども、実はスポットライトの意味を考えようと思ったら最後にジョーカーがバットマンに投げかけたジョークと関係してくるんですね。
このジョークってのはどういう状況かでそもそも投げかけられたかっていうと、ジョーカーを追い詰めたバットマンが最後にジョーカーに停戦要求をするんですね。
要はこのまま2人が戦いを続けると、やがてどちらかがどちらかを殺す結果になるのは目に見えてると。
なんでもうこの憎しみ合い戦い合う関係っていうのをやめてやめないかと。
もしジョーカーに正式な治療を受ける気持ちが少しでもあるんだったらバットマンは全力でそれを支援するっていう申し出をバットマンがジョーカーにするんですね。
この申し出に対する返答としてジョーカーが発したのがその問題のジョークになっています。
ある意味このジョークのことがこの作品のタイトルであるキリングジョーク、要は死ぬほど笑えるジョークになっています。
そのジョークはどんなジョークだったかというと、ここからは私が勝手になくしたところを読み上げたいんですけども。
2人の患者が精神病院にいた。そしてある夜、2人はこれ以上こんなところにはいられるもんかと脱走を決意する。
やがて病院の屋上に上がった2人の患者は月明かりに照らされた車場の街並みを見て、あとひと飛び、目の前の段階をジャンプすれば自由に波になれるという状況まで来ます。
1人目の患者はひょいと段階を越えるんだけども、後に続く2人目の患者はどうしてもジャンプができない。落ちるのが怖い。
そこで1人目の患者は良いアイデアを思いつきます。
1人目の患者は2人目の患者に声をかけます。おい、俺が懐中電灯で光の橋を架けてある。それを渡って俺の方に来るんだと1人目の患者は言うんですね。
ここちょっと日本語だとわかりづらいんですけども、これ一応その懐中電灯から出る光、英語で言うとビームと建物の針を意味するビームをかけたダジャレになっています。
ちょっと戻って、その懐中電灯で光の橋を架けてあるという1人目の患者の申し出に対して、それを聞いた2人目の患者は怒り出します。おい、お前、俺が狂ってるので思ってるのか。お前、俺が渡っている最中に懐中電灯を消すつもりだろう。というのがジョーカーの言ったジョークになります。
これやむな解説なんですけども、一応このジョークを解説すると、つまりジョーカーに底線を持ちかけて治療の申し出をするバットマンというのは、まるでその懐中電灯で橋を架けるからこっちで来いというふうに言い出した1人目の患者だというふうに言ってるんですね。
一方で、そんなバットマンの馬鹿げた申し出を渡りたい、渡れるんじゃないか、もう一度正気になれるんじゃないかというふうに思っているジョーカーもまた狂ってるということをジョークで言いたかったんですね。
これやっぱりいいですよね。お前のことを治療する気があるなら全力で助けてやるというふうに言ったバットマンを狂人としてあざけりながらも、一方で自分の心の中にはその橋を渡れるんじゃないかというふうに思っている自分もいて、それもまた狂ってるというのをジョーカーが自覚しているというのが、
その話、直前で描かれたジョーカーのオリジンと踏まえて考えると非常にアイロニカルなジョークになってるんですね。
ただ話は戻って、これを踏まえると、このジョークの内容を踏まえると、このコミックの最後に描かれたスポットライトによって生まれた光の橋が消えるということの意味は明確だと思うんですね。
つまり、あの光の橋が消えたということは、この事件を最後にバットマンというのはジョーカーに差し出した光の橋、つまりジョーカー救済への道というのを完全に諦めたことを意味しているんですね。
そして、その橋を一瞬でも渡りかけていたジョーカーというのは、その橋が消えてしまったらジョーカーは死ぬしかない、というかバットマンにはジョーカーを殺すしか残されていないというのが暗示されています。
ジョークの解説
つまり、自分の考えをもう一度求めると、キリングジョークの中でバットマンというのはジョーカーを殺した、少なくともジョーカーを殺していないかもしれないけれども、殺すしか道がないという結論にバットマンが至ったというのが物語のオチになっていて、
それを示す証拠というのは、決してジョーカーの肩にかかった手とか笑い声が聞いたとかそういうことではなくて、物語のラストが光の橋が消えるさまで終わったことがそれを示しています。
というふうに言うと、もしかしたらちょっと考え過ぎだろうというふうに思う方もいると思うんですけども、ただこれは決してそんなことはなくて、例えば同じアラン・ムーアのウォッチメンであると思うんですけども、あれの最後のコマって皆さん覚えてますかね。
あの最後のコマって、そういうふうに言うと多分多くの人はロールシャ派の主旗、要はオジマンディアスの陰謀を全部記したロールシャ派の主旗が世間に公開されてしまうことを暗示して終わると思っている人が多いと思うんですけども、
実はそれってウォッチメンの最後のコマじゃなくて、最後から2番目のコマなんですね。
で、じゃあ最後のコマは何かって言うと、実は最後のコマっていうのはドゥームズデイクロック、週末の時計が12時になったところで終わってるんですね。
つまりウォッチメンの最後っていうのは、決してこのまま行くとロールシャ派の主旗が世の中に公開されて、また世界が核戦争の危機に、世界に核戦争が訪れるのかもしれないなっていうグレーなエンディングじゃなくて、もう既に最後の週末時計が12時になってる。
つまり核戦争が起こって世界が滅んだっていうのを暗示してるっていうのがウォッチメンのラストシーンなんですけども、それと同じことですよね。
要は最後の最後でバットマンはジョーカー殺したのかな、殺せないのかなっていう風に思うグレーな終わりではなくて、もう確実に光の柱が切れた。
バットマンはジョーカーを救うことを諦めた。
そしてその結果としてはバットマンは自分がジョーカーを殺す終わりしかない、もしくはジョーカーに自分が殺される終わりしかないっていうことを理解していたっていう終わりなんですね。
このバットマンが戦いの最後にどちらかを殺すしかないっていうのって、実はこの作品の中で2回かな3回かな、それぐらい結構に繰り返しこのままいったらお互いがお互いを殺し合うだけだっていうのをバットマンは言ってるんですね。
というわけで決してこの物語の直後で起こることではないのかもしれませんけども、少なくともこのキリングジョークの物語っていうのは最後にバットマンがジョーカーの救済を諦めてやがて殺すってしまうだろうなっていうことを暗示するっていうのがはっきりと書かれてるんですね。
それが私の解釈なんですけども、最後にこの作品のライターであるアラン・ムーアーはどう言ってるのかってところを紹介しないとフェアじゃないかなと思って最後にそれを紹介します。
さっきも言った通りムーアーってしばらくこのヒーローコミックのデザイン作品については語りたがらない。
もしくは語っても非常に魯悪的な姿勢で語ることが多かったんですけども、さすがに観念したのか、本当に割と最近になって確かコロナ以降じゃないかなと思うんですけども、
ウェブのインタビューに答えていて、読者からの。
そこではいつもの魯悪的な態度だけじゃなくて、これは記録のために言うんだけどっていう、ある意味この論争を決着付けるための前提として語っていて、
どういうことを語ってるかっていうと、キリングジョークのラストを狙いっていうのは非常にシンプルで、
バットマンとジョーカーっていう二人のキャラクターが互いに互いを殺し合う奇妙な関係の中で、
一瞬正気に戻って、自分たちの陥った地獄のような状況っていうのを完全に理解して、
その瞬間二人の間にある種の連帯が生まれて、だけどもその二人っていうのはもはや笑うしかないような状況になってるっていうことを描きたかったんだ、
っていうふうにラストのページを説明していて、なんで直接的ではないんせよ、殺害説っていうのをやんわり否定してるんですね。
でもとはいえ、これによってさっきの私の読解が否定されたかっていうと、実はこちらのほうは否定されていなくて、
このアラン・ムーガーの最後の直前の談話の中でも、改めてアラン・ムーガーっていうのはこのままいったらバットマンとジョーカーっていうのは
お互いに殺し合う運命しか待ってないですよっていう話を繰り返してるんですね。
なんでさっき私が言った、すぐにではないかもしれないけども、この物語っていうのはやがてバットマンはジョーカーを殺す運命になる、
結論の提示
そういう運命をバットマンは自ら選んだっていうのを象徴してるっていうのは決して否定されていないんですね。
というわけで長々と語ってしまいましたけども、以上がバットマンキリングジョークにまつわるジョーカー殺害説のあらましと私の読解になります。
これは繰り返し言ってますけども、あくまで私の読解なんで、そんな内容っていうのはもちろんあると思うんですけども、
こういう読み方もできるがゆえにキリングジョークっていうのは今後も残り続ける名作になったんじゃないかなと思っています。
続いては先週購入したアメコミの話をちょっとだけさせてもらいます。
先週はマーベルのアルティメイトXメンを買いました。
アルティメイトXメンは相変わらずいいですね。
日本人のピーチモンコさんが話もアートも書いている作品で、非常に日本の文化に根差した物語で読みやすいんですけども、
今回だんだん物語が進んできて、最近日本で話題になっている宗教二世、親が信仰宗教を信じていて、子供として生まれて、子供の頃はそういうのを信じていたんだけども、
だんだん親のハマっている宗教に疑問を持つようになって、宗教に絡んだ人間関係しか自分には残されていなくてみたいな、そういう宗教二世の夜目の長さというのが最近日本でも話題になっています。
おそらくアルティメイトXメンの内容も宗教二世の子供たちの行き場所のない感じが一つのテーマとして描かれるのではないかと思います。
ある意味人種差別的な話よりも、もしかしたら宗教二世の人の孤独というものの方が、今の日本人的には想像しやすいのかなと思っていて、
うまくXメンのテーマである差別の内容を日本の中で分かりやすく翻案する一つの方法として、宗教二世の話を選ぶというのは非常に納得感が高いので、なかなか面白い方法にいくのではないかと思います。
そう言いながら多少疑問もあって、日本でもたくさん人種差別というのはあって、もしも人種差別というのがあまり社会で大事になっていないことの方が問題のような気がしますけどね、ちょっと余談でした。
アルティメイトXメンは引き続き楽しいです。
アメコミの最新情報
あとは、マーベルはアンキャニXメン、こちらを読みました。
DCはアブソリュートバットマンの第2巻、こちらも相変わらず楽しいですね。
本当は今日は、先週先々週でアブソリュートユニバースのバットマン、スーパーマン、ワンダーウーマンが全部揃って、
それを読んだ中で感じてきた内容を、分断社会のヒーロー像とか、もしくはトランプ時代のヒーロー像みたいな感じで話そうかなと思ったんですけど、
最近ずっとアブソリュートユニバースの話ばかりしてますし、現実世界のあれこれがなぞられて話すのが嫌になるニュースが最近多いので、気持ちが乗らないのでやめちゃいました。
いずれにしろ、アブソリュートバットマンは第2話になって、より世界が広がってきた感じで、またテーマもだんだん分かってきて楽しいですね。
まだ2巻しか出てないので、入るなら今って感じがします。
あとはDCはアクションコミックスとグリーンランタンを読みました。
あとダークホースのヘレン・オブ・ワインドホーンを買ってます。
ヘレン・オブ・ワインドホーンって日本だと話題になってないので、押さえてない方も結構いると思うんですけど、
トム・キングが書いてる作品で非常に楽しいんですよね。
トム・キングと組んで、最近スーパーウーマン・ウーマン・オブ・トモローという非常に人気がある作品を書いたコンビが書いてる作品なんですけど、
これね、あらすじ紹介すると長くなるので割愛するんですけど、
小工場プラスコナン・ザ・バーバリアンみたいな感じの内容で、非常に面白いんですよね。
今回6巻で完結して、もう完全に終わってしまったんで、すごい短い作品なので、こちらも本当はお勧めしたいですね。
今週読んだのは以上になります。
聞いててわかってもらえると思うんですけども、だんだんこのポッドキャストもネタ切れになってますんで、
もしこんな話も取り上げてみたいみたいなことがあれば、お気軽にこのポッドキャストのコメントとして書いていただくか、
Twitterとかでつぶやいていただけると助かりますのでよろしくお願いします。
というわけで今回の話題は以上とさせてもらいますが、いかがでしたでしょうか。
感想であったり、紹介してもらいたいタイトルやアメコミに関する質問があれば、お気軽にTwitterアカウント.DMをくださるか、
ハッシュタグ、アメコミのフォローを気をつけてツイートください。
またそのTwitterだけじゃなくて、ブルース回答もこんな感じで最近日々読んだアメコミについてつぶやいてますんで、
そちらのほうもフォローしていただけたら嬉しいです。
それでは次回の更新でお会いしましょう。ご視聴ありがとうございました。