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2025-02-05 32:36

にじシバラジオ#033 編むことは力!編み物でつながるわたしとあなた

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座長・ともぞーおすすめコンテンツ / ロレッタ・ナポリオーニ 著、佐久間裕美子 訳『編むことは力 ひび割れた世界のなかで、私たちの生をつなぎあわせる』岩波書店 / 第4章「フェミニズムと糸の愛憎関係」 / 編み物と戦争・消費社会の関係 / 経済的手段としての編み物 / 編み物の普遍性・連帯 /「個人的なことは政治的なこと」というスローガンと編み物 / 編み物を通じて編み手がつながる / 「風が強く吹いている」 / ヤーン・ボミング / 川口市カラフルふぇすたで、編むことの力を実感しよう!カラフルふぇすたに来てね! /

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◆にじシバは、川口市芝にあるシェアスペース「スペースとプラン」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバ公式HPでご確認ください!

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サマリー

にじシバラジオ第33回では、編み物を通じた社会的つながりについて考察がなされています。「編むことは力」という本が紹介され、手芸が趣味にとどまらず、社会連帯やつながりを生む要素であることが論じられています。このエピソードでは、編み物が女性の経済的手段としての歴史や、フェミニズム運動との関連が探られています。また、編み物が自己表現の手段となり、男女を超えたつながりを生む力についても言及されています。編み物を通じて、個人やコミュニティがつながる力について語られています。レイキャビックのヤーンストーマーによる目を引く抗議行動や、コミュニティイベントでの編み物の持つ意味が強調され、参加した人々が共感し合う様子が描かれています。

にじシバラジオの紹介
こんにちは。にじシバラジオ第33回です。
にじシバは川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
来週水曜日配信です。
よろしくお願いします。
本日というか、今回は私・座長・ともぞーのおすすめコンテンツの紹介会ということになりまして、
前々回でですね、カラフルフェスタの話をしまして、
そこでミサンガを作るという話をしたんですね。
そのミサンガは、毛糸を使って編み物で作るというような。
若干違います。織りですね。
織りで作る。なるほど。
毛糸を使って。
そういう手芸を行うという感じになっていて、
前回のカラフルフェスタは、内輪を作ったって話ですね。
紙でね。
紙で内輪を作って。
その前々回が、レインボーフラッグを毛糸で編むという。
編むというね。大プロジェクトでしたね。
結構それなりの大きさのものができたという。
外持っていくのに非常に便利ですよね。
見栄えが良くてね。
っていうような感じのワークショップをカラフルフェスタではやっているという中で、
最近出た本でですね、編むことは力という本がありまして、
ちょっと今回はそれを紹介したいなと。
要するに編み物とかね、
そういうあるいは手芸的なものっていうのが、
単に趣味の要素に留まるんじゃなくて、
社会連帯とか、人々のつながりとかっていうのを生んできたんじゃないかっていう、
そういうことをまとめたエッセイ集。
エッセイかな。
女性は?
女性の方はですね、ロレッタ・ナポリオーニさんという。
日本の人ではないんだね。
この方は著者略歴を読みますと、
幼い頃イタリアで祖母から編み物を学ぶ、
エコノミスト・コンサルタント・コメンテーター、
ウルブライト小学生として、
ジョン・ホップキンス大学に、
ポール・H・ニッセ高等国際問題研究大学院というところに行って、
その後ロータリー質小学生としてロンドンスクールオブエコノミクスに留学し、
国際関係と経済学の修士号を取って、
経済学の博士号を取得したと。
国際金融やテロリズム、9.11以降の社会変動、
ヨーロッパや中国、北朝鮮経済に関して執筆をしていると。
法約書に人質の経済学、これは文芸春秋から出ている。
あとイスラム国はよみがえる、これは文春文広の、
そういう本があるということです。
このアンコとは力っていうのの副題がついてまして、
ひび割れた世界の中で私たちの性をつなぎ合わせるということで、
これが岩波書店から最近出た本ですね、となっています。
このタイトルを見て、うちカラフルフェスで、
そうですね。
ケイト使うし、ちょうどいいなと思って。
いいですね。
ちょっと紹介したいなと思いました。
映画でさ、ヤーンっていう映画があって、
それうちでも一回上映やった、ここしばでもやったけど、
それもやっぱりその、糸とか編んだりすることで、
社会につながっていこうっていうのかな、
変えていこうっていうのかな。
そんな感じのハンドメイドが何かを作っていくっていう、
そういう映画があって見ましたよね。
社会運動とつながってんだよね。
なんかその、ヨーロッパのね。
で、今のヤーンに関しては、このアンコとは力の中でも登場していますね。
基本的には、さっき言ったように、
基本は論文集ってよりかはエッセイ集みたいな感じなんですよ。
この女子屋のロレッタさんがですね、
長い人生を過ごす中で、祖母から編み物を教わったりとか、
いろんなアメリカ行ったりイギリス行ったりっていう中の経験を、
人生を通す中で、いろんな編む人との出会いがあったと。
そういう中で編み物っていうのが、
例えば民族によっても編み物の種類も違うし、
同じ系統編むでも、民族によって模様とかパターンとかが違ってくると。
なので編み物っていうのは、それぞれの民族が抱える歴史を紡いでいるっていう背景もありつつ、
でもそれが同じ編むっていう行為を通して、
よその民族の人とつながる要素にもなっていったりみたいな、
そういうところの経験を踏まえながら書いているという、
そういう感じの本ですよね。
フェミニズムと編み物
一冊全部紹介するっていうのはなかなか難しいので、
ここは面白そうだなと思った章を紹介をしたいなと思ってまして、
それがですね、フェミニズムとの関係を書いている章でして、
フェミニズムと意図の愛憎関係という、これは第4章にあたるところですが、
やっぱり編み物っていうと、どうしても固定観念的に、
女性がやるものみたいな、そういうふうに思われてきたし、
まだ未だに思われているという部分があって、
それが長らく女性にとっても編み物っていうのが、
自分たちを縛りつけることだみたいに囚われてきた部分がある。
そこの部分が書かれているのがありまして、
第二次世界大戦後ですかね、
第二次世界大戦の時に、男たちが出世、あるいは兵隊として動員されていく中で、
女性たちが戦時、十五を支える労働力であるとして、
動員されていくようなことになったと。
ところが戦争が終わって、男たちが戻ってくると、平和な世の中になって、
その中で女性たちが消費者になっていくということになっていくんですね。
それで基本的には、旧来的なジェンダー役割がまた復活というか、戻っていって、
男性が外で働き、女性は主婦となるみたいな、
そういうのがヨーロッパ、アメリカでも見られていったという中で、
ロレッタさんはですね、歴史的にも大規模な政治的騒乱期の後にあってくる、
正常な時期には既に古典的なジェンダー分業の強化が続いてきた。
そして女性たちもこの意向を受け入れたというふうに書いていますね。
例えばアメリカの独立戦争の後、手芸とスキルを使って、
歴史的出来事を可能にした女性たちは、男性たちに勝利を差し出し、
進んで糸の檻の中に戻っていった。
戦時中は男性も女性も戦争のために力を尽くさなければいけないというのがあったんだけども、
戦争が終わるとまたジェンダー分業というか、
ジェンダーに基づいた性別や刈り分業が復活してきて、
その平和の中に舞い戻っていくというのがあり、
なので進んで糸の檻の中に戻っていった。
ここでロレッタさんはですね、
割と糸の檻というようなことを比喩的にたまに使うんですね。
だから糸、やっぱり編み物というのは一面ではやっぱり、
そういう分業要素を象徴するようなものだよと。
手芸好きだとね、女らしいみたいな、
そういう言説が一方では確実にあって、
自分はそこの言説にとらわれないようにしようと思うと、
そこから離れるみたいなことが、私が若い頃とかはやっぱりあったと思う。
特にですね、戦争の凶器と破壊が終わった後の1945年には、
このジェンダーのステレオタイプを経済的また社会的に再び守ることが、
そういう平和と経済的安定を保障し、
将来の世代のために社会における心地よい眉のような場所を供給することでもあったのだと。
ロレッタ・サロンで。
ところが、やがて社会が変わっていくということになりますね。
経済成長が緊密に消費と結びつけられる社会では、
人口の半分以上を占める女性たちを市場から占め出すことができなかった。
戦争が終わって、旧来的なジェンダー規範というか、
ジェンダーの性別や隔離分野が復活するんだけれども、
消費社会というのはどんどん展開していくという中で、
女性がそういう中で最も重要な消費者になっていったということですね。
編み物というのも、そういう中で社会的な位置づけを変えていくということになっていく。
編み物はこの新しい経済構造の一部になっていった。
消費を中心としたそういう経済構造の一部となっていった。
というようなことを言っています。
その結果として、静止会社というか、
意図の製造会社と書いてますけれども、
静止会社にとっても女性というのが最大の消費者として立ち上がられてくる。
そういう社会変動があるということですね。
そうなってくると、さっき冒頭に言った編み物というのが、
民族の歴史とか、民族的伝統みたいなものの中から引き継いぐ中で、
築かれていったものというのが、ちょっと変質化していって、
消費のための編み物みたいな。
なので、編み物のパターンであるとか、
そうしたものが図案みたいな、図案紙みたいな感じで売られるようになっていって、
ただ、そういう中で、今度は縦の繋がりというか、
民族的なものというよりかは、今度は編み物を通じて横に連帯するような、
繋がりみたいなものができていったよ、というようなことですね。
そういう話が述べられつつ、
結局その中で、戦後社会が進んでいくんだけども、
その中で女性の学歴、法学歴化も進んでいくと。
そうなっていって、結婚は現実的には折りであり、
どうやったら出られるのかわからない、社会的経済的な罠だった、
ということに気づいていくことになる。
大きく言ったな。
彼女たちは先人の女性たちと違って、糸の折りの壁に完全に気がついていたのだ、
60年代とかのイメージだよね。
実際日本でも、たぶんうちの親の世代だと思うんだけども、
その世代、どこで口を突っ込むかをすごい悩みながら、
もともと編み物は女性のものだったかって言われると、
もともとだって漁師が船の上で編んでたっていう話は、
わりとこの界隈では、
フェミニズムこのって言えないな。
あの界隈では、ごめんなさい。
いわゆる言われがちな、もともと女性のものなのかっていう話で、
いつの間にか女性がやるってことになったけども、
もともとは漁師が船の上で編んでたじゃないかと。
そういう話があるのと、
だから早々に日本の場合、橋本治みたいな人が、
セーターを自分で編んで着るとか、
あと編み物王子とか、
いろんな男の人で編み物をするっていうのを、
かっこよいというか、アンチで出してくる。
やっぱりアンチでっていうか、
社会批判になる形に男がやるだけになるっていう意味では、
もうすでに現代、戦後、第二次世界大戦後で言ったらば、
もうそういうふうに形作られていったっていうのは、
逆にそこからの方が大きかろうというところも強くて、
これ多分話がどうして悩んでたかというと、
ちょっと一足飛びになりすぎる気がしたんだけど、
うちの親の世代は、やっぱりそれこそ結婚。
ある程度の年になったら結婚すると。
それこそ、編み物で生計を立てられないかって考えだすんだよね。
まずはね。
それでそこに企業が生じるわけですよ。
ミシンとか編み機とか、そういったものをローンで売るようになり、
教室を作るようになり、そのシステムは今もいろんなところで、
例えば写真がこの間話聞いたら写真も同じなんだなと思ったりとか、
そういう習い事ビジネスと機械のセットの中で展開されていくっていうのは、
編み物と女性の歴史
日本の中ではわりと一つ出来上がった、
その家元制度に近いような感じで、稼働を習うようにして、
彼女たちはちょっとでもそれでお金にならないかと思って、
多分高学歴女性がミシンを買ったり、
仕立てができるよとか言ったりしてたんだよね、実はね、
私の親の世代。
そういう編み物が女性の経済的な手段にもなっていた。
手段であったって話はこの本の中でも言われていて。
でも現実的には大した稼ぎにはならないんだよ。
だからおためがおかしにしかならないし、
搾取されている部分というか、
要はそういう機械やパターンを売っている人たちに
搾取されているじゃんって言うとそれ通りなんだけどさ。
そういう中でフェミニズム運動が盛り上がっていく、
60年代以降ですかね、なっていって、
そうすると今度は女性的な手芸っていうのが、
何であっても男性支配のパラダイムを強化する道具として、
広く否定されるようになった。
ところが某バリアミーやカギバリアミーに関しては、
フェミニストムーブメントの意見は別れ、
立場を決めることができなかった。
どっちでもいいよ。
だから結局その編み物っていうものを、
本当に完全に否定できるのかっていうと、
そこまで想像性がそこにはある。
なんだろうな、振り子みたいなもんでさ、
その時は否定せざるを得なかったっていう文脈だと思うんだよね。
60年代に対するそういうまた家庭会議、
男女役割分業の中が進行する中で、
ちょっと前の戦争中は、
戦時代は女の人だって力を持ってやれたのにってことの記憶がある人が、
多分その後逆ブレするわけじゃないですか。
だから今多分おそらくその歴史的文脈の中では行ったり来たりしていて、
おそらくまた欧米、
国というのは違うと思うけれども、
としてはまた逆のより戻しみたいなのがあって、
例えばこの本の主張であるところの
編むことと繋がることが一緒になってくるとか、
ヤンの映画が、あれは北欧とかがメインだけど、
そういった手仕事の最高みたいな、
文脈とフェミニズムみたいなのが、
イメージされるようになってるんじゃないかなって、
それも一つの事実だし、今非常に、
編み物って世界でちょっと違うって言うけど、
ほぼ同じだから、編むって糸を一目作って一目作っての繰り返しだから、
そんなに大きな違いはないのよ、パターン以外では。
そうすると連体しやすいって言うとおかしいけど、
例えば親教室、どういう糸でやってるか知らないけど私は、
でも例えば編むことがまず女性の糧に一つになり、
作り上げる自己表現の手段となり、
私でもできる。
編み物をしたことある人だったら親っていう黒戸の手芸も、
編み物の中立的存在
割と入りやすく、ちっちゃな編み物だから、
そうすると女性からまず繋がっていくっていうことが可能っていうのはあるかなと思うんですけどね。
このショーの中で一番面白いなと思ったところがありまして、
フェミニズムの中でも、
ボーバリアニとかカギバリアニは中立的な行為とされていくことになった。
これはロレッタさんが驚くべき事実であるって書いてあるんです。
フェミニスト運動の内部の最大のマントラは、
個人的なことは政治的なことだったから、中立は存在しなかったと。
ハメウロコ。
個人的なことは政治的なことっていうスローガンというかね。
そこから乗っ取れば、それは個人的な慰み物、手慰み物であっても、
全部政治的なことっていう風に受け取られがちなんだけど、
でも編み物はどうもそこをすり抜けていくものであった。
中立的なものだった。
編み物はどうやって中立的な存在になったのだろう。
考えられるベストな答えは、
編み物が女性たちを抑圧する手芸であるという考え方が、
擁護できないステレオタイプだったということだ。
男性たちも何世紀も編み物をしてきたし、
編み手たちは狩りや意図の奴隷にされたわけではなかった。
むしろ逆にパートナーになるためにセーターを、
または自分のためにポンチを編む能力があることは、
常に個人のスキルと想像性の表現、自由意志の行動の証明だった。
やっぱりどっちが先に喋るかを悩むやつだよね。
台本ないパターンですからね。
やっぱりそれの後に喋ってもらおうかな。
でもまあそういうことですよね。
同じ文脈をちゃんと、
2025年に出版された本のフェミニズムについても、
私ちゃんとフォローできてるんじゃねえかって、ちょっとホッとしたよ。
25年というか、24年の12月に公約が出版されています。
ヤンの話がその後出てくるんですけど、
結局フェミニズムと編み物の関係ということで、
自分が面白かった記述があって、
そこが述べますと、
フェミニスト運動は男性が行うこと、
家庭外の活動に重きを置いてきた伝統的な社会のステレオタイプを
ひっくり返したりはしなかった。
本当の社会改革は、
女性たちが常にやってきた仕事が、
文化全体から同じように評価されるときにこそやってくるのだということを書いている。
女性が男性並みになるとか、
男性がやってきたことを女性もやるようになった。
ということがフェミニズムの到達点なのではなくて、
女性が主に性別役割分野の中で営んできたことが、
男性たちがやってきたことと同等に評価されるようになる。
ということが重要なんだよ。
そういう文脈の中で、男性の編み物というのは、
男性の料理ほどはリフレーター存在ではないが、
加速度的にジェンダー、人種、社会的ステータスを超越するアクティビティになりつつある。
つながりと自己表現
運動としての編み物みたいなのを、
おそらく提唱している人たちがいるんだろうね。
ヨーロッパのヨーロッパ圏。
すごい共同組合論的な、
イタリアとかやっぱり北欧とかで出そうな話だなと思うけど。
この人はやっぱりイタリア移民の匂いがするよね。
ストーリー仕立てに。
けれど、社会の変革というのは、
一つのジェンダーに集中したり、
一つの人種またはある社会グループに限定されてはならない。
真の社会変化は常に万人に共通のもので、
無変性が反抗の原動力なのだ。
男性、クイア、トランスジェンダーによる編み物は、
特に公の場で行われるとき、
その時代に対してマスキリン・フェミニンの定義に対する疑問を促す戦闘に立ってきた。
編み物は日常生活の中で、
ジェンダーはこういうものだという社会の目線に挑戦することができる。
そして編み物をすることで、
さらなる多様性を受け入れるよう背中を押し、
私たちの魂はこのプロセスを続いて輝くことができる。
かなり壮大な話をしてますけど。
ただ言わんとしていることはよくわかるというところは思いますね。
だからさっき小倉さんが言ったように、
その編み物の原理自体は、
原理というか手法自体、技自体はあまり変わらない。
糸に目を作るだけだから、
輪っかをどう作るかってそんなに何種類もないのよね。
その何種類もない誰でもできる、
ほぼ誰でもできることを、
だったらみんなで繰り返しやること。
あるいはみんなが一緒にやること。
井戸端会議みたいな、
ノリで女の人がやってきたことの中に、
男の人が加わる。
その編み物をもってして加わる感じかな。
そうですね。
だから男性も別にその編み物を手に取ってやることは簡単なことで、
それをやることで、
同じ編み手の人たちと連帯を、
共感をしたりとか、
つながることができる。
編み物をしながら、
あんまりかっこいい話ってできないじゃない。
できないというか、どんな話でもできるんだけど、
逆にそこでみんなコツコツ同じことをしているのに、
一人だけ立って歩いて偉そうなことも言えない、
みたいなところの雰囲気っていうのは、
たぶん仕草から当然強いられる、
何かみたいなのがあるんだよね。
あとあれなんだっけ、
箱根駅伝のアニメ。
箱根駅伝のアニメ。
三浦詩音の作者。
風が強く吹いている。
見てないよね。
見てないですね。
アニメも見てないし、小説も読んでないし、
映画も見てないね。
わかったわかった。
あれにさ、
兄太の男の子が出てくるね。
一人ね。
その子も走るんだよ。
でも走るんだけど、
その子の気持ちを、
その駅伝のチームは大学の駅伝なんだけど、
箱根だから当たり前か。
一人のすごく有能な一年生が来て、
たまたま。
その子がいることで達成できた話なんだけど、
箱根駅伝に出るなんてこともね。
でも人数が足らないから、
同じ量に入っている、
走るとかと全然関係ない男の子と走らざるを得ないのよ。
だけどとにかくその子を、
その子の気持ちをさ、
走れない子の気持ちを走れる子は分かんないわけよ。
能力差が激しくて。
それはね。
僕は走れないよ。
私もそっちの側です。
その時にとにかくすごく怒らせてしまって、
傷つけてしまって。
でももう一回そこの二人が関係を作る時に、
じゃああなたが好きな漫画を紹介してくださいと。
一緒に読みましょうって言って、
同じ部屋で、
その漫画ばっかりの彼の部屋でね。
二人で一緒に読むんだけど、
一緒に本を読んでいると、
すごくページをめくるスピードが同期してきて、
ちょうど同じタイミングでめくる時があるんだと。
その時に何か通じるものがあるんだみたいな、
ちょうどそういうところがあるんだけど、
それと同じような話だよね。
編み本を同じように編んでると、
やってる行為が一緒だから、
なんかその全然、もちろん作ってるものは仮に違ったとしても、
せーのでたまたま偶然手が合う時があるとか、
呼吸が合う時がある。
シンクロするようなところがある。
動作がシンクロするとなんか、
気持ちもシンクロしたような気分になったり。
なるなったりとかね。
少なくともそこにお互い同じ目の高さとか、
頭の位置とかね。
たぶんそういう呼吸の感じとかがさ、
一致することがあって、
なんかそれってお互い、
その場所にいる人たちが通じ合える何かがある。
生まれる時があるよね、誤解かもしれないけどみたいな、
そう風が強く吹いているでした。
それはそれなんですかね。
小倉さんが言ったヤーンの話がですね、
後半、第8章とか出てくるんですけど、
ヤーンボミングっていう形で出てきますね。
ヤーンボミングはジェンダーの、
または人種の壁を破壊するためにも使われる。
イギリスではオンブレステイヘです。
編み物を通じた抗議行動
男性のニッターが、
伝統的な男性女性の固定概念を壊すために、
公共の場で編み物をしている。
アイスランドの首都レイキャビックのヤーンストーマーたちは、
毎年ゲイプライドフェスティバルに合わせて、
路上のボールや木をアンダーにじで覆い、
夜になると公共の銅像にカラフルなニットウェアを着せる、
っていうことをしてるんですね。
まあそういうふうな、
抗議としての編み物は、
三政権運動、公民権運動、女性解放運動、表現の自由運動といった伝統ある、
政治的な草の根運動の現代版である、
っていうふうに言ってますね。
なんかもう、ダサいとギリギリのところだよね。
わかる。
運動でさ、みんな一緒にやろうわ、盛り上がろうの、
ギリギリのところを攻めていく感じなので、
すごいバランス感覚が必要になる。
結構そういう、このロレッタさんが挙げている例で言うと、
オキパイウォールストリート、ウォルガイを占拠せよ、
スペインのインディグナドスムーブメント、
香港の雨傘革命は、
全てがやってきては消えていった政治的アクティビズムの爆発で、
ロウソクのように早く燃え尽きてしまったと。
けれども、ヤーンボミングはまだ恐怖に続いている、
ということを述べている。
そうだね。編み物自体の歴史が長いからね。
ちょっと考えたらやってみようかって。
だし、やっぱ女性が多く集まったときに、
じゃあこれは編み物っていう、
そういう抗議方法があるなら使ってみようかっていうふうに、
選択肢にすぐ入りやすいっていうことはあるかもしれないね。
やっぱメディアには注目されないと。
そのメディアは、
ヒッピー運動の編み物活動に興味を示さなかったように、
平和的で静かな、長期的な抗議運動、
それも主に女性たちが作り出した運動に無関心なのである。
ただ、だからこそ持続する。
微妙に注目されないからっていうね。
最終的にこの本の最後の締めの言葉が結構、
僕はいいなと思った。
私たちは繋がっている。
裕福な人も貧しい人も市民も移民も、
私たちは同じ糸と同じ編み図の一部である。
それが編み物の真のパワーであり、
究極の人生のメタファーである。
コミュニティ活動と参加
私たち一人一人がグローバルな社会の編み目であり、
共にいることで強くなる。
まあ結構ね。
時間あるよねっていうのはあるかなと思いますね。
なので、皆さんもカラフルフェスさんに来ていただいて。
そうですね。実際に。
オルもアムもね。
だからなぜさ、もともとその編み物で旗を作ろうっていう風に始めたかっていうところで、
何せ場違いなんだよね、私たちが。
隣近所のブースと。
で、この隣近所のブースの中で、
いやその同性婚がとか、あるいはパートナーシップがとか、
ジェンダー平等がとか、
みんなそのつもりのところもあって出してるんだけど、
とにかくその本当に、
ただ婦人会の園長の皆さんたちも結構いらっしゃって、
来る人も本当に、
何なノリっていうのかな、
地元の懲戒活動のノリみたいな感じで来てるじゃないですか。
多く高齢女性が中心になったりする。
その時にそこの接点を探す時に、
編み物だったら絶対あの世代はやっているっていうのがあって、
あれちょっと編んでくれませんかって言ったら、
やってくれるんじゃないかっていうところからスタートしたのにね。
今回も折も全く同じで、
ちょっとやってみたいとか、
私ちょっとやったことがあるのよとか、
そういうことで始められる。
少なくとも女の人にはね、
入り口がそこでハードルがすごく下がるっていうのを考えて、
カラフルフェスタで何かクラフト的なことっていう風なことが続いているんだけど、
これはでも方向性として承認されているというか、
メンバーの間でもいいと思っているから続いてるんだろうなとは思っているけど。
そうですね。やっぱり本当に編み物だと、
結構やっぱりカラフルフェスタは本当に地域の活動をしている、
割と中高年、高年齢の。
高校年だよね、ほんと。
高校年の女性が多いので、
あまり活動内容に関心がなくても、
編み物を捨てるっていうだけで普通に変わってくれたりっていうのはあったんでね。
なので、そうやって手を動かすことで、
気持ちが繋がるみたいな経験っていうのはそこの場ではできるんじゃないかな。
この10センチは私が編んだわっていうのはさ、
もうそれこそLGBTQのLの字も知らない人たちの10センチかもが、
私この旗のここよっていう風に思うっていうことが大きいなっていうのはありますよね。
そのわけで、もしお時間あれば、
カラフルフェスタ、2月の15日の土曜日ですね。
川口市駅前のフレンディアでやりますので。
ギリ間に合いますね、この放送ね。
来てください。
よろしくお願いします。
最後宣伝みたいな。
宣伝でいいと思いますけど。
宣伝のためにやってるんですけど、これ。
ということで、
二次芝は川口市芝のスペースとプランで月に開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、
誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについておしゃべりしています。
詳しい開催日程などは、概要欄のホームページをご覧ください。
またチャンネル登録やフォローをお願いします。
それではまた来週お会いしましょう。さよなら。
さよなら。
32:36

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