こんにちは。にじシバラジオ第33回です。
にじシバは川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
来週水曜日配信です。
よろしくお願いします。
本日というか、今回は私・座長・ともぞーのおすすめコンテンツの紹介会ということになりまして、
前々回でですね、カラフルフェスタの話をしまして、
そこでミサンガを作るという話をしたんですね。
そのミサンガは、毛糸を使って編み物で作るというような。
若干違います。織りですね。
織りで作る。なるほど。
毛糸を使って。
そういう手芸を行うという感じになっていて、
前回のカラフルフェスタは、内輪を作ったって話ですね。
紙でね。
紙で内輪を作って。
その前々回が、レインボーフラッグを毛糸で編むという。
編むというね。大プロジェクトでしたね。
結構それなりの大きさのものができたという。
外持っていくのに非常に便利ですよね。
見栄えが良くてね。
っていうような感じのワークショップをカラフルフェスタではやっているという中で、
最近出た本でですね、編むことは力という本がありまして、
ちょっと今回はそれを紹介したいなと。
要するに編み物とかね、
そういうあるいは手芸的なものっていうのが、
単に趣味の要素に留まるんじゃなくて、
社会連帯とか、人々のつながりとかっていうのを生んできたんじゃないかっていう、
そういうことをまとめたエッセイ集。
エッセイかな。
女性は?
女性の方はですね、ロレッタ・ナポリオーニさんという。
日本の人ではないんだね。
この方は著者略歴を読みますと、
幼い頃イタリアで祖母から編み物を学ぶ、
エコノミスト・コンサルタント・コメンテーター、
ウルブライト小学生として、
ジョン・ホップキンス大学に、
ポール・H・ニッセ高等国際問題研究大学院というところに行って、
その後ロータリー質小学生としてロンドンスクールオブエコノミクスに留学し、
国際関係と経済学の修士号を取って、
経済学の博士号を取得したと。
国際金融やテロリズム、9.11以降の社会変動、
ヨーロッパや中国、北朝鮮経済に関して執筆をしていると。
法約書に人質の経済学、これは文芸春秋から出ている。
あとイスラム国はよみがえる、これは文春文広の、
そういう本があるということです。
このアンコとは力っていうのの副題がついてまして、
ひび割れた世界の中で私たちの性をつなぎ合わせるということで、
これが岩波書店から最近出た本ですね、となっています。
このタイトルを見て、うちカラフルフェスで、
そうですね。
ケイト使うし、ちょうどいいなと思って。
いいですね。
ちょっと紹介したいなと思いました。
映画でさ、ヤーンっていう映画があって、
それうちでも一回上映やった、ここしばでもやったけど、
それもやっぱりその、糸とか編んだりすることで、
社会につながっていこうっていうのかな、
変えていこうっていうのかな。
そんな感じのハンドメイドが何かを作っていくっていう、
そういう映画があって見ましたよね。
社会運動とつながってんだよね。
なんかその、ヨーロッパのね。
で、今のヤーンに関しては、このアンコとは力の中でも登場していますね。
基本的には、さっき言ったように、
基本は論文集ってよりかはエッセイ集みたいな感じなんですよ。
この女子屋のロレッタさんがですね、
長い人生を過ごす中で、祖母から編み物を教わったりとか、
いろんなアメリカ行ったりイギリス行ったりっていう中の経験を、
人生を通す中で、いろんな編む人との出会いがあったと。
そういう中で編み物っていうのが、
例えば民族によっても編み物の種類も違うし、
同じ系統編むでも、民族によって模様とかパターンとかが違ってくると。
なので編み物っていうのは、それぞれの民族が抱える歴史を紡いでいるっていう背景もありつつ、
でもそれが同じ編むっていう行為を通して、
よその民族の人とつながる要素にもなっていったりみたいな、
そういうところの経験を踏まえながら書いているという、
そういう感じの本ですよね。
一冊全部紹介するっていうのはなかなか難しいので、
ここは面白そうだなと思った章を紹介をしたいなと思ってまして、
それがですね、フェミニズムとの関係を書いている章でして、
フェミニズムと意図の愛憎関係という、これは第4章にあたるところですが、
やっぱり編み物っていうと、どうしても固定観念的に、
女性がやるものみたいな、そういうふうに思われてきたし、
まだ未だに思われているという部分があって、
それが長らく女性にとっても編み物っていうのが、
自分たちを縛りつけることだみたいに囚われてきた部分がある。
そこの部分が書かれているのがありまして、
第二次世界大戦後ですかね、
第二次世界大戦の時に、男たちが出世、あるいは兵隊として動員されていく中で、
女性たちが戦時、十五を支える労働力であるとして、
動員されていくようなことになったと。
ところが戦争が終わって、男たちが戻ってくると、平和な世の中になって、
その中で女性たちが消費者になっていくということになっていくんですね。
それで基本的には、旧来的なジェンダー役割がまた復活というか、戻っていって、
男性が外で働き、女性は主婦となるみたいな、
そういうのがヨーロッパ、アメリカでも見られていったという中で、
ロレッタさんはですね、歴史的にも大規模な政治的騒乱期の後にあってくる、
正常な時期には既に古典的なジェンダー分業の強化が続いてきた。
そして女性たちもこの意向を受け入れたというふうに書いていますね。
例えばアメリカの独立戦争の後、手芸とスキルを使って、
歴史的出来事を可能にした女性たちは、男性たちに勝利を差し出し、
進んで糸の檻の中に戻っていった。
戦時中は男性も女性も戦争のために力を尽くさなければいけないというのがあったんだけども、
戦争が終わるとまたジェンダー分業というか、
ジェンダーに基づいた性別や刈り分業が復活してきて、
その平和の中に舞い戻っていくというのがあり、
なので進んで糸の檻の中に戻っていった。
ここでロレッタさんはですね、
割と糸の檻というようなことを比喩的にたまに使うんですね。
だから糸、やっぱり編み物というのは一面ではやっぱり、
そういう分業要素を象徴するようなものだよと。
手芸好きだとね、女らしいみたいな、
そういう言説が一方では確実にあって、
自分はそこの言説にとらわれないようにしようと思うと、
そこから離れるみたいなことが、私が若い頃とかはやっぱりあったと思う。
特にですね、戦争の凶器と破壊が終わった後の1945年には、
このジェンダーのステレオタイプを経済的また社会的に再び守ることが、
そういう平和と経済的安定を保障し、
将来の世代のために社会における心地よい眉のような場所を供給することでもあったのだと。
ロレッタ・サロンで。
ところが、やがて社会が変わっていくということになりますね。
経済成長が緊密に消費と結びつけられる社会では、
人口の半分以上を占める女性たちを市場から占め出すことができなかった。
戦争が終わって、旧来的なジェンダー規範というか、
ジェンダーの性別や隔離分野が復活するんだけれども、
消費社会というのはどんどん展開していくという中で、
女性がそういう中で最も重要な消費者になっていったということですね。
編み物というのも、そういう中で社会的な位置づけを変えていくということになっていく。
編み物はこの新しい経済構造の一部になっていった。
消費を中心としたそういう経済構造の一部となっていった。
というようなことを言っています。
その結果として、静止会社というか、
意図の製造会社と書いてますけれども、
静止会社にとっても女性というのが最大の消費者として立ち上がられてくる。
そういう社会変動があるということですね。
そうなってくると、さっき冒頭に言った編み物というのが、
民族の歴史とか、民族的伝統みたいなものの中から引き継いぐ中で、
築かれていったものというのが、ちょっと変質化していって、
消費のための編み物みたいな。
なので、編み物のパターンであるとか、
そうしたものが図案みたいな、図案紙みたいな感じで売られるようになっていって、
ただ、そういう中で、今度は縦の繋がりというか、
民族的なものというよりかは、今度は編み物を通じて横に連帯するような、
繋がりみたいなものができていったよ、というようなことですね。
そういう話が述べられつつ、
結局その中で、戦後社会が進んでいくんだけども、
その中で女性の学歴、法学歴化も進んでいくと。
そうなっていって、結婚は現実的には折りであり、
どうやったら出られるのかわからない、社会的経済的な罠だった、
ということに気づいていくことになる。
大きく言ったな。
彼女たちは先人の女性たちと違って、糸の折りの壁に完全に気がついていたのだ、
60年代とかのイメージだよね。
実際日本でも、たぶんうちの親の世代だと思うんだけども、
その世代、どこで口を突っ込むかをすごい悩みながら、
もともと編み物は女性のものだったかって言われると、
もともとだって漁師が船の上で編んでたっていう話は、
わりとこの界隈では、
フェミニズムこのって言えないな。
あの界隈では、ごめんなさい。
いわゆる言われがちな、もともと女性のものなのかっていう話で、
いつの間にか女性がやるってことになったけども、
もともとは漁師が船の上で編んでたじゃないかと。
そういう話があるのと、
だから早々に日本の場合、橋本治みたいな人が、
セーターを自分で編んで着るとか、
あと編み物王子とか、
いろんな男の人で編み物をするっていうのを、
かっこよいというか、アンチで出してくる。
やっぱりアンチでっていうか、
社会批判になる形に男がやるだけになるっていう意味では、
もうすでに現代、戦後、第二次世界大戦後で言ったらば、
もうそういうふうに形作られていったっていうのは、
逆にそこからの方が大きかろうというところも強くて、
これ多分話がどうして悩んでたかというと、
ちょっと一足飛びになりすぎる気がしたんだけど、
うちの親の世代は、やっぱりそれこそ結婚。
ある程度の年になったら結婚すると。
それこそ、編み物で生計を立てられないかって考えだすんだよね。
まずはね。
それでそこに企業が生じるわけですよ。
ミシンとか編み機とか、そういったものをローンで売るようになり、
教室を作るようになり、そのシステムは今もいろんなところで、
例えば写真がこの間話聞いたら写真も同じなんだなと思ったりとか、
そういう習い事ビジネスと機械のセットの中で展開されていくっていうのは、