2025-09-03 52:54

#215「cas!ca=可視化で、やりたいが動き出す。」Guest: 大場 勇弥さん(cas!ca共同代表)

こんにちは、ズシレコラジオ編集長のキジママサシです。


今回のゲストは、逗子市沼間にある

「cas!ca(カシカ)」の共同代表、大場勇弥(おおばゆうや)さん。


月/水曜日はフリースクールとして、

火/木/金曜日はひるねさん @hirune_o_hirune によるカフェ営業、

金曜夜や週末は駄菓子屋やイベント、BARなど、、

曜日や時間帯によって姿を変えるその場所は、

こどもに開かれたオープンな場所でもあります。


築90年を超えるという古民家は

もともとお米屋さんとタバコ屋さんだったそう。

逗子から逗子ICに向かう道の手前、

セブンイレブンの真向かいにcas!caはあります。


カフェ時間や土曜日の駄菓子屋などに

みなさんもふらっと、訪れてみては?

いろんな大人やこどもの「やりたい」が可視化されているはずです。


今回は、そんな場所の”主(ヌシ)”でもある大場さんに

なぜこの場所を始めたのか?

このcas!caでどんなことが日々起きているのかを伺いました。

最後までお聴きください!


***


cas!ca(カシカ)

古民家を改装して、ヒトの好奇心を「可視化」する場。

神奈川県逗子市沼間3-7-10


火曜日・木曜日 8時30〜14時は @hirune_o_hirune がモーニング・ランチ

土曜日は駄菓子屋として13時〜16時OPEN

@casica01

https://www.instagram.com/casica01/

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▼GUEST

大場 勇弥さん(cas!ca共同代表)

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▼MC

來島 政史(ズシレコラジオ編集長)

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Podcast番組「ズシレコラジオ」は、

逗子出身&在住,鎌倉勤務の編集長と

葉山在住の保育士&ライターの2人が

2019年から逗子・葉山・鎌倉エリアの魅力をお伝えしている

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サマリー

大場雄也さんが運営するフリースクールカシカは、逗子・葉山で子どもたちのための居場所を提供しています。大場さんは、カシカの活動やその背景について自身の経験を交えながら述べます。可視化プロジェクトの一環として、大場さんが運営するフリースクールの特徴やその活動について解説されます。子どもたちが興味を持ちやすい環境を提供し、さまざまな体験を通じて自発的な学びを促しています。このエピソードでは、大場さんが自身の過去や教育との関わりについて話し、特にNPO活動や子どもとの接点がどのようにキャリアに影響を与えたかを探ります。また、テニスを通じた体験が彼の成長に寄与してきた過程についても触れています。このエピソードでは、大場さんがcas!caの活動とその背景について語り、特に駄菓子屋やフリースクールの取り組みを通じて地域の子どもたちとのつながりを深め、社会的問題に向き合う姿勢について掘り下げます。フリースクールの概念を超える新たな場所「可視化」について、大場さんが地域のつながりや交流の重要性を述べます。彼は、気軽に遊びに来られる場を作ることを目指し、地域の人々との連携を深めることに取り組んでいます。

00:00
こんにちは、逗子レコラジオ編集長のキジママサシです。この番組、逗子レコラジオは、神奈川県の逗子・葉山・鎌倉エリアの魅力をお伝えしている、声のローカルメディア。
毎回、ローカルで気になるゲストに来ていただいて、取り組みだったり、活動についてお話しいただいたり、メインMC2人で井戸端ローカルトークを繰り広げていたり、そんな回もあったりします。
カシカとその運営
はい、今日はですね、ちょっとロケに収録にしに来ているんですけれどもですね、逗子の沼間の方にある、カシカというフリースクール。
こちらにお邪魔して、そのカシカの主っていう、主ですかね?オーナーですか?何ですか?
主です。
主ですかね?主って決めちゃったんですけども。
カシカの主、大葉雄也さんにね、今日は出ていただくというふうな話で、いろいろお話を伺いに来ました。最後までお楽しみください。
早速ですね、このカシカの主、主って決めちゃったな。大葉雄也さんにちょっと自己紹介というか、どこ出身で、どこ在住でとか、そんなところをちょっと軽くお話を伺いますか?
はい、フリースクールカシカをやっています。大葉雄也と言います。
僕はですね、小学校2年生まで横浜に住んでいたんですけど、小学校2年生のタイミングで葉山に転校して、そこからずっと逗子とか葉山とかに住んでいるっていう感じになりますね。
じゃあ、僕の中の定義では原住民です。
原住民って言うんですか?
もうね、幼少期じゃないけども、小中とかね、そういったところを過ごされて、そのまま逗子だったり葉山で活動してるっていう人は、僕の中では原住民と呼んでるんですけど。
じゃあ原住民です。
原住民というとインディアンみたいなね、ヨーロッパの方から船でやってきた、移住してきた人とね、今共存してるって感じなんですけど。
ちょっとね、やゆーした感じで、面白おかしく原住民って言ってるんですけど、僕も原住民ですと。
はい、そんな形で、そうですね、大葉さん、大葉くん、大葉雄也さんはですね、結構長年逗子葉山で過ごされているっていう形なんですけども。
このカシカとの関係だったり、カシカでどんなことをされてたりするんですか?
そうですね、カシカっていう、そもそも場所というか、っていうのは4年前にカシカって名前で始めたんですけど、僕が大学生、今年で28なので。
28、若い。
21とか22ぐらいの時に、とあるきっかけで子どもたちのフリースペースとかをやり始めてっていうので、ずっとなんか場所を変えながら、名前も変えながらで、
気がついたら今、活動含めるとトータルで7年目とか、8年目とかになりますかね。
なるほど、逗子で7年ぐらい場作りをしたりとか、いろんな人とね、そういった集える場所を作っているっていう人は結構ね、珍しいというか貴重な人材というか人なんじゃないかなって僕は思っているんですよ、勝手に。
今日のテーマはね、ここ最近の逗子レコーラジオ、逗子のゲストの回でもね、ちょっとマイクラオカンとかね、ご紹介いただいたりしたんですけども、マイクラオカンの回ね、聞いていただいた方は、もうね、このカシカのオーバーユーヤさんの話もちょっと出てたと思うんですけども、マイクラオカンのラップの師匠であるというくだりもありましたね。
子どもの居場所の重要性
で、子どもの居場所みたいなところがちょっとテーマでね、最近続いているんですけども、逗子というと割とこう、海、山、自然みたいなところで、外で遊ぶ子どもたち、そして子育てみたいな、なんかそういった話が結構多いなというふうな中なんですけども、子どももね、親と一緒で、僕はあんまりマリンスポットしないっていうか、始めたいけどもなかなかきっかけがもう掴めてないって感じなんですけど、波に乗れてないんで。
でも、子どもの居場所についても、インドア、アウトドアっていうところで、インドアだったり、そのね、多様性みたいなところってやっぱあるよね、と。
といったところをちょっと、おばくん、あのね、ほんと今この収録の間もちょっと子どもたちの声が聞こえてますけども、子どもたちと常日頃からね、触れ合っている中でのなんか気づきだったりとか、そういったところもなんか聞いていきたいなーなんて思って、今日カシカに訪れて。
ありがとうございます。
参りました。
はい。
ということで、今日お邪魔しているのは改めまして、図志の中でも横須賀寄りの沼間エリアにある、図志インターに行く前の。
そうですね。
手前にセブンイレブンがあるんですけども、その向かいです、真向かい。
真向かいですね。
横断歩道を渡るとすぐあるカシカという。
もう本当にね、車で通っててもすぐに気が付くような佇まいでしていて。
昔ここはどういう建物だったんですか。
あとはお米屋さんとタバコ屋さんっていう物件だという風に聞いています。
はい。今収録しているところも、ザ・日本家屋、コミンカっていう形でして。
90年近いだと思いますね。
90年近い。確かにそうですね、そうですね。
それをそのまま上手い感じに活かしているなっていうような、そんな空間で撮っているんですけども。
そのカシカっていうところ、名前の由来から聞かせてもらえますか。
はい。好奇心をカシカしようっていうので。
見える化。
その見える化をするというので、カシカっていう名前と、あと入口駄菓子屋さんを作っているので、
カシ買いに行こうぜ、カシ買い行こうぜ、でカシカです。
子供たちの会話が聞こえてくるようですね。
こちらアルファベットでCASIじゃなくて、これびっくりマーク、わざとしてるって感じですね。
そうですね、人間ぽいんですけど、反対にそういうところを発見してる感じとかで、ちょっといじったらいいんじゃないっていうので。
びっくりマーク。で、カシカと。
そういったアルファベット含め、びっくりマーク含め、六文字という風な形でユニークな名前をつけるというと。
これはその7年、名前も変えながら7年間やってきたってことですけど、どれくらいのタイミングでカシカだっていう風に。
4年前にカシカされましたね。
なるほど、それは今の沼間のここの場所じゃなかったってことですか。
そうですね、以前は図志の四丁目、図志小学校の裏で、お住宅の中で3年間やっていましたね。
なるほど、図志小の近くでも活動していたという風なところで。
いろいろ事情があって、今沼間のこちらのエリアに来ているという風なところなんですけども。
平日だったり週末含めて、どんなことがされている場所なんですかね。
今この引っ越してきてからは、もともとは図志の四丁目にいたときは週2日のフリースクールとレンタルスペース、
地域との繋がり
あとはサロンを作っていたので、レンタルサロンなどをやっていたんですけど、
親さんの遺産相続があったりもして、ちょっと移転しなきゃいけないという状況になって、
今年の4月から場所を変えてやっています。
なので今は週2日のフリースクールに加えて、モーニングとランチを週2回と、
あと勤動で夜、ちょっとバーできたらなと思ったりとかしていますね、今。
なるほど、バーの方はまだこれから軌道に寄せていくというか。
実はしれっと開けてるんですけど。
なるほど、なるほど。
結構ね、僕全国いろんな地域のお仕事とかもしてたりするんですけど、
いろんな地域で場所作りとかしてたりとか。
なんかそういったところ、コミンカカフェ開いたりとかね、
そういったところを地方の方ではよく聞くんだけども、
いわゆる図志とか葉山とかで、そういうここまで開かれている場所っていうのをやっているのは、
なかなか珍しいというか貴重な場所なんじゃないかなと思っていて。
僕はもうモーニングだったりランチだったりと、
ちょっとね、この大場君にね取材を申し込むときに、
あ、そんなこともやってんの?って話をしてたので、
ちょっとこれからね、ちょっと通いたいななんて思っておりますが。
ありがとうございます。ぜひぜひ。
フリースクールだったり駄菓子屋だったりとか飲食というか、
食事もできるみたいなところも、そういったところもあると思うんですけども、
今どれくらいの人たちが関わっているんですか?
メインで運営しているメンバーとしては4人なんですけど、
あとはボランティアさんで来てくださったりっていうので、
大体10人いないぐらいですけど、7,8人、7人ぐらいですかね。
子どもたちの関わりっていうのはやっていますかね。
でも基本的には僕と共同の代表の中島っていうのがいるんですけど、
基本的には2人で運営してますね。
なるほど。中島さんとの出会いとか、僕もちゃんと聞けてなかったかなと思うんですけど、
どういった繋がりというか、どんな関係性で今共同代表されているんですかね。
もともとは僕21ぐらいのときに、
早間ファクトリーっていう早間ステーションの向かいにある場所の一部屋を借りているときに、
中島さんと出会っているんですけど、
別にすごい密な関わりをしているわけではなくてって感じだったんですけど、
可視化が始まる本当に前のちょっと前ぐらいのタイミングで、
放課後デイサービスで働いてて、そのタイミングでスタッフとして一緒にいたっていう。
なるほど。ここまで聞くと中島さん、結構同じ世代かなって思う方もリスナーさん今思うかと思うんですけども、結構年離れて。
そうですね。僕と同い年の息子がいるんで。
息子がいると。
ほぼ親。
お母さんですね。もう一人のお母さんみたいな。
なるほどね。そういった中島さんと共同代表されて、今可視化が運営されていると。
そうですね。
大人の数で言ったら大体7、8人ぐらいが。
そうですね。
その関わってるメンバー、スタッフっていうのはこの辺の人なんですか?
そうですね。みんな図師の人ですかね。
もともとどんなことされてたりとか、お仕事として子供と接したりとか、どんな属性の方々というか。
そうですね。それこそエビスでフォトスタジオされてる方であったりとか、あとは児童養護施設で働いてる人だったりとか、
あと普通に小学校2年生の、小学生のママとか。
あとは高校生の子が手伝いに来てくれたりとか。
結構ほんとジャンルは大学生もりしまばらではありますかね。
それは何かお客さんというかただ来る人じゃなくてスタッフみたいな形になるきっかけみたいなのってそれぞれあったんですか?
何かで発見されてきますね。大体。
それこそボランティア募集サイトで掲載しているものもありますけど、たまたまインスタ見てきましたとかっていうのが多いですかね。
なるほど。結構図ししない在住とかが多いんですかね。
多いですかね。
なるほど。やっぱこういう場所があるとね、そういうお問い合わせというか、そういうのあるんですね。
隣があれですよね、五稜神社。
そうです。
五稜神社の夏祭りが先日ありましたけれども、僕も家族で行ったりしてたんですけど、確かここにあったのか。
場所の地図では見てたけれど、近いじゃんって思ったのが。
その当日とかもね、何かいろいろやってたり。
そこに合わせて階層もしてたので、そこに合わせてオープンレイで人に見てもらえる状態にようやくなったので、そのタイミングで開けようということで開けてましたね。
なるほどね。
フリースクールの雰囲気
ガラス張りっていうかね、本当に窓が大きく開かれた感じのスペースなので、外から中からちょっと覗けるみたいな感じで、どんな場所かっていう雰囲気ね、ちょっと怖くないよみたいな。
本当に営業してる時とかね、インスタでいろいろ調べられる感じですかね。
そうですね、はい。
営業時間とかにね、ちょっとフラッと行ってみるといいんじゃないかなって思ったんですけど。
その平日の中で、週2日でしたっけ?
そうですね、はい。
フリースクールの中で、フリースクールって僕は学生の頃はあんまり縁がなかった感じなんですけど、今フリースクールって週2やってる時にどんな年齢層の子たちが来てどんな過ごし方をしてるんでしょうか。
一番下だと小2とかで、一番上だと中3っていう感じで、そこも結構広いですかね、来てる。
トータル10人、もうちょっといるかな、くらいな感じですかね。
9時から18時まで開けているので、学校より正直長いじゃんって感じなんですけど。
でも基本的に過ごし方は本当に自由ですかね。
動画作る子もいれば、ここでそれこそ一時ラジオやってたりとかもするし、もちろんゲームもOKだし。
あとは何ですかね、この間はSDGsの話聞くっていうので、イベントがあったりとかっていうのもありますし。
その日によってだいぶ変わりますね。その日でノリで決めてることが多いかもしれないですね。
でね、マイクラオカン。前のゲストのね、紹介いただいた。
マイクラオカンの話の中でも、その活動の中でラップをやっていたと。
ラップに何かこう、ラップを大端君がやっていたのを見て、そこが結構きっかけだったみたいな話も聞いてたりするんですけど。
大端君自身が何かいろんなものに興味を持って、いろんなことにちょっとトライしてみるって。
そういった姿を子供たちが見てるみたいな。
子供たちが興味を持つきっかけみたいなものとか、新しく何か始めるみたいなものがここにあるのかなと思ったんですけど。
そんな大層なことではない?
いやいや、僕確かに単純に興味が多いってのは、ただ単にでも、それはこそ好奇心なんですけど。
3年前M1出てみるとか。
でも今年と去年はそれこそM1出る子がいたりとか。
ラップやってたから一緒に音楽やってる子もいるし。
確かに少なからず動画作ったりとか、TikTokやったりとか、YouTube上げてるとかも少なからず見られたりとか。
影響されるものは少なからず近い人間ではあると思うので、彼らにとっては。
そこの影響される節はあるかなとは思いますかね。
なんか雰囲気が本当に、最初のテーマでも話しましたけど、
フリースクールとか、不登校とか、社会課題とか社会福祉とかそういう堅苦しいものっていうよりかは、
大童くんのまとまっている雰囲気が、もっと自然体で子供たちが本当にそこらの兄ちゃんみたいな感じで接してるんだろうなっていうのはすごい想像できていて。
先生、生徒みたいなね、そういう関係性じゃない部分がすごく出てる場だなってちょっと思ったりしてます。
営業方針と開放性
基本的にこの可視化の中で屋内で過ごすみたいな感じなんですかね。
そうですね。前の場所だったらそれこそでも焚き火地に行ったりとか、全然海行ったりとかしてたんですけど、
最近はやっぱりちょっと海遠くなっちゃったんで、っていうのはありますね。
近くに公園がいくつかあったりするので、公園行くときもあったりっていう感じでありますかね。
なるほどね。フリースクールっていうのは週2ですけども、曜日によってはランチ営業だったり、モーニングやってるってことですけど、
例えばこの近所に住んでる小学生だったり中学生が、フラッと来れる感じなんですかね。どうなんでしょう。
土曜日とかはもう完全にオープンデーにしてるので、もうずっと空いてます基本。
中入ってもいいし、駄菓子買ってもいいし、基本的にその敷居低く間口を広くするものが大事だなと思ってて、
フリースクールにしちゃうと、なんかちょっと行きにくい節ってやっぱなんかあるなと思うんですよ。
週5とか週7とかね。
そういうこと言わなくても、そういうある意味に学校に行けない子たちが来る場でしょって思われがちというか、それも嫌だなーってずっと思ってて、
なんであえて駄菓子屋にするとか、やっぱ乗れんかけてると何これってなるっていう、なんか多分違う入り口を作って僕たちと出会うとか、
そういう作り方をしないといけないなって思ってるので、週末は基本的に開けるっていう予定ではありますかね。
なるほどなるほど。
結構その近道はちょっとバーだったりみたいな、そういった構想もあるってことですけど、
この場所に移ってまだこれから始めたいみたいなことがこうあったりするわけですか、そのバーだったりとか。
バーもやりたいですし、あとはなんかそれこそVR機器あったりとか、あと大喜利大会したりとか、VR機器あるんでそのテクノロジーにちょっと触れる機会があったりとかっていうのもありますし、
あとそれこそ僕もちょっと今後ポッドキャストやっていきたいなとか思ったりとか、
いいですねいいですね。
大場勇弥の個人的背景
フリースクールっていうのにこうインプットしたものをアウトプットできる場所がないなと思ってるので、そういうのは作りたいなーっていうのはずっとちょっと思っていますね。
なるほど、ポッドキャスト始めるときには声かけてください。
ぜひよろしくお願いします。
僕は湘南BJFMのパーソナリティも実はやってるんで、
ぜひ。
何かしらこうね、発信みたいな、オンエアみたいな感じのことはちょっと相談してもらえると、
わかりました。
楽しくできるんじゃないかって思いますね。
で、まあ曜日ごとに違う感を持つね、可視化なんですけど、
スケジュールの組み方だったりっていうのは、
まあ平日と土日で結構分けたりすると思うんですけど、
何か狙いみたいなものあったりしますか。
フリースクールは月水やってるんですけど、
やっぱ土日挟んで一番大変であろう月曜日と疲れる水曜日、
中日の水曜日に明けるっていう感じで、
週2日っていう、ほんとシンプルな理由ではありますかね。
邦的でかつ社会人にとっても同じですね。
月曜と水曜も乗り越えたら、あとは流れに乗ったまま気づいたら金曜の翌午後みたいな。
ありますね。
ありますね。
じゃあ土曜日は、あれですよね、僕子供が2人いるんですけど、
10歳と8歳の男子いるんですけど、
土曜日普通に連れてきて駄菓子買いに行くんですか。
全然大丈夫です。
そういった時っては、いらっしゃいみたいな感じでおばくんが迎えてくれるんですか。
そうですね、のれん掛けてて外に、窓開けてオープンってなってる状態なんで、
そこはもう全然勝手に入ってきてっていう感じで大丈夫ですね。
なるほどなるほど。
じゃあスタッフでシフトでみたいな感じだったりするんですか、そのオープンデーは。
ずっと僕がいます。
なるほど。
会いに行ける。
ずっと僕いますね。
会いに行けるゲストですよ。
ずっといます。
皆さん土曜日に確かに行けると。
オープンデーで、例えばフリースクールに通ってはないんだけどっていう子たちが来たりして、
そのままたむろったりとか。
全然、むしろしてほしいって感じですかね。
宿題とかするとかも面白そうだなと思ってますね。
なるほど。
そういうのをやっていくと、子どもたちの溜まり場になって、子どもが子ども連れてくるみたいになってきそうじゃないですか。
そういったところも受け入れられる土壌がある感じですかね。
これでいっぱい来すぎちゃったら大変なことになるかもしれないですけど。
そうですね。
ありがとうございます。
ちょっと子ども連れて行きたいな。
ぜひぜひよろしくお願いします。
ポケカでもやりましょうって。
ポケカ?今すごい流行ってます、うちも。
本当に?
めちゃくちゃやってます、今。
本当?
今年ポケカのイベントのオーガナイザーとかジャッジとか、そういう資格を取ろうかなって思ってるくらい。
そんなに?
うちでも大会したいですね。
そうですね。うちの子もたぶん喜びます。
本当ですか?ぜひ。
ちょっとね、スマイルでやるかここでやるかみたいな選択肢が僕に生まれてきましたね。
子どもが主体で大会やったりとかね、主催する側を経験するって結構いい経験だなって思ってて。
ぜひぜひ。
やっぱり図書の子どもっていうとね、海、山ってなりますけどね。
なりがちですよ。
ポケモンカードやってる人そんなにいないなって思いつつ、実はいるんじゃないかとか、
僕が小学校のイベントでお祭りでポケカをこうするイベントをやったんですよ。
本当に何か出店みたいなやつ。
それやったらめちゃめちゃ大人気になって。
狙ってこのイベントの派遣取るぞっていう風に意気込んで看板まで作ってたんですけど、
そしたら人気になったんで、それでたぶん図書のポケカ人口増えてると思うんですよ。
じゃあちょっと大会しましょうぜひ。
やりましょうか。
ちょっとうちの子にも声かけますよ。
嬉しいです。
とりあえずそれのきっかけっていう感じでも土曜、旗揚げ屋に行ってみたいなと。
ありがとうございます。
そんな感じで思ってます。
次に大端君自身のパーソナリティーというか、聞いてみたいなと思うんですけども、
図書というか出身は横浜だけれども、葉山に引っ越したりとかっていう風な形だったんですけども、
小学校時代からの経験からこういう風な今の取り組みにつながってるんじゃないかなってちょっと話を聞いて思ったんですけど、
その辺りについてちょっと振り返ってみたり、どんな小学生だったか聞かせてもらえますか。
気がついたら横浜の多摩プラザってとこに住んで、今もだいぶ開発されてるんですけど、
そこにずっと住みながら、幼稚園とか本当お遊戯会でめっちゃ目立ちたいみたいなタイプの子どもだし、小学生でもあったんですけど、
もともとちょっとリンパ腺の病気をちょっと持ってて、ずっとわかんない病気なんですけど、
リンパ腺が耳の下が異常に腫れるみたいな、原因不明の病気にずっとなってて、
多分そういうのもあって親がこっちの方にたまに遊びに来たりしてて、引っ越すっていうのを急に言われて、入院もあったりして、
転校の時期遅れちゃうんですけど、引っ越して僕も全然いけるでしょって思ってたら、うまくいかなくて、
絵の具の混ぜる、図工の時間だったんですけど、最初の授業が。
転校したことある人ならわかるかもしれないですけど、結構学校に言うと絵の具セットちょっと違うとか、
修理セット違うとかで、結構見られる感じもあって、すごい視線だなと感じる一方で横浜だとこのやり方でやってたからやってたら、
小学校時代の挑戦
結構強みに言われて全然違うみたいな。先にある程度こういうふうにやるって言われてたら納得いったんですけど、
急にそれを言われたからびっくりしちゃって、それっていうすごいちっちゃくて些細な、今考えれば些細なんですけど、からいけなくなりましたね。
今こうやってね、この瞬間に鮮明にそれが説明できるってことは相当なインパクトになったんでしょうね、自分の中では。
それが小学何年生?
小2ですね。小2の10月でしたね。
よく覚えてる。小2の10月でちょっと学校と距離を置きたくなった。
そうですね。次の日から体調悪いって言うようになったりとか、でもあんま体調が良くない感じになっちゃって、親に言っても理解されないし、
っていう感じだったんで、半年以上は母子登校とかっていう状態でしたね。教室に母親がいないともう入れない状態になっちゃうみたいな感じの半年間を過ごしてましたね、ずっと。
そこから中学高校とかっていう風に進んでいったと思うんですが、再び学校に行ったりとかきっかけだったりとか、小学校、高学年だったりはどういう風な過ごし方だったんですか?
3年生でいけるようになるんですけど、先生がただただに変わったっていうシンプルな理由で、ちょうどなんて言うんですか、やっぱ楽器が変わるとかって、
学年とかね。
学年変わるとかっていけるタイミングじゃないですか、みんなせーので始まるから。
ちょっとしたリセットみたいな。
そのタイミングで一人でいけるかもって思うようになってからいけるようになったっていうのが、ほんとシンプルな理由でもありましたし、
でもやっぱこうどっかで行かなきゃいけないというか、それ以外のやっぱり選択肢なかったんで、当時は。
知らなかったし、たぶん親も知らなかっただろう。
古いスクールとかって言葉をね、大人になってから俺も聞いたもんね。
当時はたぶん親も知らないしっていう感じになったんで、そこしかないなみたいな感じ。もう戻るしかないっていう感じだったので、
でもなんかその今までの見られ方とかどう思われてんだろうとかをめちゃくちゃ気にするようになったんで、
あんまり小学校時代はそこでちょっとある意味自分の性格というか、今まで会ってきたものからちょっと急に変わった感じがずっとして、
中学校まで過ごすみたいな感じでしたかね。
テニスとの関係
常に気にしなきゃいけないみたいな、どう評価されるかとかどう見られてるかとかをずっと考えるみたいな、そんな感じでしたかね。
もともとは目立ちたがり屋で前に行きたいって言ったところが変化があった。
そして中学、高校っていう風な、高校時代とかはどんな感じだったんですか?
まあでも中学、高校、テニスにずっと熱中してたので、あとはなんかこう、それは一種自分の居場所であったんですけど、
なんか知らない、なんかもう1回でも全然自分のこと知らない、やっぱ図師範囲は狭いんで、同じ学区が。
学区が同じだから。
ってなると、ちょっと遠いところに行こうかなと思って、電車で3駅ぐらいとか4駅ぐらい行ったところぐらいの高校だったら全然人行かないっしょと思ってそこに行きました。
それまでの自分を知らない新しいところ。
ところにと思って、はい、行きました。
なるほどね。今では学区外の通うとかって結構当たり前というかね、普通に自由になってきたけど、
僕らって言ったら、僕も今もう41ですから、僕が中高の時は本当に学区内の選択肢、じゃあそっからどこを選ぶとか、
高校とかだったら学力によってとか、選択肢なかったな本当にって。
学区外を選んだ友達って本当に学年で1人2人とかだったなと思って。
そんな少なかったんですか。
少なかった。私立を入れると結構高校とか中学とか市外、逗子市外のいたけれどもとか、横須賀か大体図志とかそのぐらいでしたね。
で、テニスに打ち込んでたと。どれぐらい打ち込んでたんですか。
やっぱプロ目指すぐらいは打ち込んでた。部活入らないで週6回毎日2時間半とかの練習してましたね。
部活じゃなくてスクールみたいな。
そうですね。部活なかったんで、そもそも中学とかは。高校は部活入ったんですけど、やっぱりどうしてももうちょっと頑張りたいと思って部活も辞めて、もう1回テニススクール通いましたね。
NPO活動の経験
なるほど。じゃあそのテニスのプロ目指していって、その後どういう風な進路を取っていったんですか。
でもそのままみんな大学行くっていう感じだったので、ずっとテニスしかしてないんで、ちょっと一般受験は難しいなと思ってて、定期テストだけすごい頑張ってて、
推薦で大学に行くっていう、でも別にやりたいことも特にはないというか、みんながなんとなく大学に行くからっていう本当にシンプルな理由で推薦で大学に行きましたね。
なるほど。大学進学後もテニスとの付き合い方はどんな感じだったんですか。
入ってサークルとか部活とかも行こうと思ったんですけど、チャラすぎて、周りが眩しすぎて。
テニサーと言ったらチャラさの台名詞みたいなね。
ちょっと厳しいなと思って。
もちろん真面目にやってるね、サークルは。
行ったところがだいぶチャラすぎて。
なるほど。
ってなったタイミングで、もともと通ってたテニススクールからアルバイトでテニスコーチしないって言われたんで、大学1年生2年生はずっとほぼ週5日6日ぐらいはずっと子どもと大人に教えてましたテニス。
なるほど。じゃあそこで子どもとの接点というか子どもに何かを伝える、教えるみたいなのが経験として育まれたというか。
それまでは子どもとの接し方というか接することってなかったんですか?
でもいとこがいてちょっと年離れてるみたいな。遊ぶのすごい楽しくて意外と得意です。
あと弟もいて、どうやったら笑わせられるかとかすごい考えて遊んでたりとか。
なるほどね。子どもを夢中にさせることにちょっと面白いですよね。僕も結構そういうタイプなので。
どうすると面白いかなみたいな。どうすると動くかなとか。
確かに確かにね。
それ考えるのが多分好きだったのはあるかもしれないですね。
それがなんか世の中に子ども好きだったりっていうふうに表現されますけど、それを紐解くとどういうふうに笑わせられるかなとか、これやったらどういうふうになるかな、想像力だったりとか、そういうことだなと思うんですけど。
はい。
なるほどな。そこが今のこの可視化につながってるなっていうのがちょっと見えてきた感じがします。
大学時代にNPOですね。NPOで子どもと関わる活動をしていたそうなんですけども、それについてちょっと聞かせてもらえますか?
うわ、でもバイトしかしてなかったんで、当時の友達からたまにでも子どもいるとなんか気がついたら遊んでたので、お前子ども好きじゃね?みたいな。
子どもの扱いって言ったらあれですけど。
扱いというか。
子どもと過ごしてるの得意だよね。
過ごして楽しそうだし、なんか良くない?みたいな言われて、確かに何もしてないし。
知り合いでそういうNPOやってる子がいるから。大人がもちろん理事で立ってて、大学生が4年間で企画とか運営とかをするみたいなNPOがあったんですけど、そこに行くっていう感じになりましたね。
行ったら行ったで、確かになんかこうやったこともないことをいろいろさせてもらえてたので、だんだんだんだんそっちにシフトしていくみたいな感じになりましたね。
そのNPOっていうのはどこにある?どんな団体だったんですか?
鎌倉寺小屋っていうNPOを、今はもう全国に、その全国寺小屋ネットワークって名前でも、本当に広島もあるし、とかもういろんな地方にあるんですけど、メインの本拠地というか、そこはもう大船にあるんですけど。
鎌倉。
鎌倉大船にあるんですけど。
さすがNPO発祥地と言われる鎌倉。NPOがすごい多いらしいです、鎌倉。
鎌倉寺小屋でそういった関わる活動をしていたと。
なんか印象に残っているエピソードとかありますか?その時代は。
鎌倉寺っていう献陳寺が生まれたという。
禅の発祥の地と言われる献陳寺の。
あそこで学生と子供100人ずつくらい集めて、それでみんなで3泊4日、精進料理食べて座禅して、大学生が考えた企画をして過ごすみたいな。
過ごす。
ハンになって過ごすっていうのが一番やっぱ思い出に残ってますかね。
3泊4日ってすごいですね。
学生は前泊後泊があるんで、5日間はその生活みたいな。
なるほど、前半のシフトと後半のシフトみたいな。
じゃあ参加している子供たちはもう本当にぶっ続け1週間近くみたいな。
そうですね、もう始めましたの状態でみんなでそうやって過ごすって感じでしたね。
それはね、献陳寺っていうとすごい歴史のあるところですけど、子供たちが5日間一緒に共同生活していたらそれは楽しいですよね。
そうですね、でも途中で帰りたくなる子とかいるんですけど、それもどうやって学生たちと一緒に最後楽しく過ごせるかとかみたいなのを考えながら動くみたいな、そういう感じでしたね。
なるほどね、フリースクールとか習い事とかだとね、ほんと数時間みたいな話ですけど、本当に寝食共にして何日間も一緒に過ごすっていう中では、やっぱりそういったホームシックだったりとか、そういったところへどうケアするかというか、そういったところまで考えて活動してたんですね。
なるほど、そういった経験を経て大学時代アルバイトもされていたってことなんですけども、そこから確かに行き着くまでに何か他のステップというか。
そうですね、でもその寺小屋やってて、県庁寺って一番でかいお寺でする合宿で、企画を考えるっていう役職があるんですけど、全体の前で進行して企画するっていう。それが僕大学3年生の時に、なんとなく誰がやるかみたいなのがあるんですけど、それをたまたま僕がやることになって。
やったらやったで、なんかちょっと燃え尽き症候群というか、逆に言うと、俺がやりたいって思ってること本当にみんなやりたいのかなとか、すごいなんかこう、合宿中にすごい思うようになって。
なるほど。 これ、こんな大人数の人たちが動いてて、何百人が動いてるけど、それこそ班の中の関わりとか、各々の学生と子供のやり取りはまだ見えないんで、僕は全体。でもこれっていいのかなみたいなのがだんだん生まれ始めて。
で、それもあるし、っていうので、辞めますって急に。夏の合宿が終わってからそのまま辞めました。 燃え尽き症候群。 燃え尽き症候群。辞めるとかも愉快にないんですけど、なんとなくフェードアウトしていくっていう感じですかね。
なるほど、なるほど。なんかね、前半で話し聞いたときの見られ方みたいなところ、自分を俯瞰してみるみたいな。そんなふうにも捉えられたんですけども、自分の中では。なるほどね。そういったところで、テレコディアでの活動を終えて、そこからカシカの先ほどの話の繋がっていくって感じなんですかね。
そうですね。で、辞めてたら辞めてたら、でもその同期の女の子が神奈川県の企業プログラムにインターンで入ってて、で、なんか合いそうって紹介されて。で、参加したのがきっかけですね。で、なんとなくじゃあ企画書書いてって言われて。
cas!caの起源と場所の選定
でも、鎌倉にそういう場所あるけども、僕の生まれ育ったこの図書とか、葉山にじゃあそういう場所があるかって言われると、ないなあと思って。で、なんとなく作ってみるか、大学生の間くらいの最初のノリで始めて、場所がないかなと思って動いてたら、その葉山ファクトリーを見つけて、7畳の部屋3ヶ月間タダで貸すわって言ってくれる人に出会って、借りたっていうのが本当に一番最初のきっかけですね。
なるほどね。そこに繋がっていくと。
はい。
図書とか葉山でね、場所を探したりとかね、今ここにいる沼間の場所とかもかなり広いじゃないですか。
はい。
その物件っていうのはどういった出会いだったんですか。
基本紹介されます。
紹介されます。
はい。なんかここあるよって言われて、見に行って、ここいいみたいな感じですか。
なるほど。そこはやっぱりその活動してくれてるのを見てくれてる人とかいて、
そうですね。
だったらここいいよとかっていう風な話が来ると。
そうですね。
なるほど。
はい。
じゃあ今この場所っていうのは、もちろんご実家とかそういうわけではなく、
はい。全然違います。
普通に借りているみたいな話ですね。
そうですね。はい。
なるほどな。本当に図書の近くの場所も僕はね、ちょっと1回図書レコラジオのね、
はい。
オフ会というか、交流会をやらせてもらった時に使わせてもらったりとか、何度かお邪魔してるんですけども、
そこと比べると路面展っていうかね、本当に車の通っている道からすぐ見えるところだし、
入りやすそうだぞって感じのことだったり、中に入らせてね、今日もらってたら意外と広いですね、やっぱ。
キッチンとかもあって、そこでもお昼食べれる、営業している日もあるという風な形でね、
色んな呼びに行きたくなるなって思っちゃいました。
最初は短期間の予定だったという風に聞いたんですけど、続けることになった理由だったりっていうのはどんな感じだったんですか。
そう、最初誰も来なくて、大学生の時に考えた企画だったんですけど、それも企画ベースでやっぱ考えてたんですけど、
誰も来ないみたいな感じだったんですけど、なんか徐々にもう本当でも今でやってたことってこっちが考えてやってもらうみたいなことが多くて、
よりはもうちょっと幅の大きくものにしようみたいな思ってきて、部屋真っ白にしてペンキにぶちまけてみるとか、そういう感じの企画を考えてたらちょっとずつ来始めたりとか、
あとバーベキュータタタにするとか、やってたら意外と人がどんどんどんどん集まるようになってきて、最終的に週末だけしか開けてなかったんですけど、
なんかパンパンになるぐらい七畳の部屋、子供来るみたいな状態になったりもするんですけど、そんな中でやっぱその貧困とかDVとか、
シングルマザーであったりとか、いろんなそれこそ社会的な問題っていうんですかね、と結構出会うようになっていくっていうのが一番最初の始まり。
でも就活もしなきゃいけない状態だったんですけど、でも気がついたらだんだん子供も来始めてるんで、1年半ぐらい気がついたら最終的に。
やってて就職先とかも、なんかこう就活もバランスうまく取れない状態になって、でも本当に楽しいのは今やってることなんじゃない?って思って親に頭下げて、そのまま大学卒業してって感じでしたね。
地域とのつながりと参加イベント
なるほど、すごいタイミングというかね、天秤みたいな感じでかけてる。
めちゃくちゃそうですね。
そういう感じだったんだな、なるほどな。
めっちゃ悩みましたね。
そうかそうか。
僕が大葉くんを知ったのはもう確か初めてからだったので、あ、なんか実家の近くにあるぞって言ったんですけど、なんかしかも意外と若いぞって。
大学したぐらい、出たてのぐらいの子じゃんって思ってたんですけど、
そういったところがあって、じゃあ自分の就活のタイミングだったりとかと、本当に場所に来てくれる子たちとかの、なんかこう家庭の事情だったりとかっていうのを見てると。
そうですね。
これはおいそれとやめられないというか。
やめられないな。
やめないし、なんか自分としてもそっちに心が動いているとか。
そうですね。
そういったところから継続していこうというふうな感じだったんですね。
はい。
なるほど。
それで冒頭の7年目だったりとか、7年くらい、8年ですか、どれくらいですかね。
8年目じゃないですか。
8年目ですかね。
8年目に突入していくというふうな形ですね。
なるほど。
カシカのこととそして大葉くんのことがよく分かってきました。
そのカシカでいろんな取り組みされてるってところなんですけども、駄菓子屋が結構ね、リスナーの皆さんとしては入り口になるかなと思うんですけども。
はい。
駄菓子屋きっかけで何か来られた親御さんだったりとか、繋がったみたいなそんな話ってあったりしますか。
そうですね。やっぱ行く理由になるというか、フリースクールに行くよって言われても、
多分子供からしたら分からない場所だったりもすると思うんですけど、駄菓子屋に行くよとか、
あとはそれこそ今日やってるモーニングとかランチとか、ご飯旅に行くよっていうのは別の間口な気がしてるので、
それで出会うご家庭もやっぱ多いかなと思いますね。
なるほど。そこからフリースクールもやってるんだっていうふうに知っていったりとか。
で、実はみたいなお話に繋がったりとかもあった。
はい。
なるほど。この沼に映った後、映る前と映る後、通われてた人にとっては移転じゃないですか。
そうですね。
だから結構インパクトがでかいと思うんですけど、それによって来れるようになった人、もしくは来れなくなったというか遠くなったみたいな、
そういった出会い別れみたいなものってあったり。
ありますね。やっぱ少なからず。
なるほど。
はい、でもほとんどの子が来ました。
ほうほう。
まあね、言っても自転車でね、まあ10分数10分の話ですよ。
まああとは電車、まあ遠いと横浜とか、まあ京急線連れてきてる子もいるんで、電車乗り継いで来るみたいな子たちもやっぱいますね。
はい。
なるほど。もう何年間も通ってる子っていうの結構いるんですか。
もうベテランみたいな感じですよ。
ベテラン。
4年ぐらいいるそうみたいな感じですね。
なるほどね。はいはい。今ね、やっぱり確かに通ってる子たちも多分子供の頃こういうとこ行ったなとか。
はいはいはい。
なんか、ああ、おばの兄ちゃん何やってるかなみたいな。
なっていくんですかね。
なると思います。
なると思いますね。
そういった意味では人の人生にね、こう何かそういったところの思い出をね、残していってると。
なんか月並みですけど、素晴らしいですね。
ありがとうございます。
素晴らしいことを取り組まれてるななんて思います。
ちょっと最後になってきたんですけども。
はい。
これまでいろんなイベントをやってきたかと思うんですけども、どんなことをやってきたんですか。
それは絹傘のライブハウス貸し切って。
はいはいはい。
あのイベントしたりとか、アーティストさん呼んで演奏してもらう中で大喜利大会を子供たちとやったりとか。
すごい。
箱の中身なんだろうなやったりとか。
っていうもうほんと誰でも参加できるライブ。
だけど多分知らない人の曲を聴き続けるって結構大変じゃないですか。
まあ確かにね。
子供もライブ聴くよじゃなくて、やっぱ参加できるものを作ろうと思ったりとか。
あとは寿司のサザナミホール借りて、ダンパっていうタイトルでDJやりたいって言ってた子がいて。
その子がDJして、めちゃくちゃ音楽流してみんなで踊り狂うみたいな。
そういうイベントする傍ら打ち打ちだと、それこそナイトウォークやりたいって言って、
ナイトウォーク三崎まで歩いてみたりとか。
あとはキャンプしようって言ってキャンプしたりとか。
あとここもそうですね、オープンイベントがあって、バーテンダーやりたいっていう子がいたんで、
ノンアルコールのモクテルを作って出すとか、そういうのをやったりとかもしてますね。
どういった瞬間に生まれたりするんですか、そういう企画って。
ポロッと言ったこととか、あと僕が勝手にやりたいっていうのも大分正直あるところでありますけど。
結構言ってくれますね。
俺実はこういうのやりたいんだけど、みんなどう?みたいな。
もうやるって言って、俺は勝手にやるから、やるやらないは自分で選択してと言ってます。
だからイベントしたりとか、どっか出かけるにしても必ず選択してもらってますよね。
絶対みんなで行こうってあんまりなるべく作らないというか、
どっちかが、それこそ中嶋さんの方が残ってもらって僕が外出るとか、逆もありますけど。
基本的にみんなで何かするっていうのが、多分それぞれの個性がやっぱ芯が強いんで、
だったら選べるようにっていうのは基本的に意識しているところではあるかなと思いますね。
なるほど。じゃあそういったイベントだったり企画が生まれたときに、
外部との連携と協力
強制的に参加っていうのはもちろんないっていう。
ポロッと ないですね。オープンイベントのときも全員来てくださいとは一切言わなくて、
それは親御さんに対してもそうなんですけど、来れる人は来てくださいみたいな。
来たら来てくださいみたいな、そういう感じですね。
なるほどね。その余白みたいな、選べるみたいな、そういった雰囲気もあると。
なるほどな。
ゲストのこの繋がりで言うと、マイクラオカン。
マイクラオカンって言うと笑うね。パワフルなね。
すごい魅力的な人でした。
そのマイクラオカン、ココロラップっていう取り組みをやってますけれども、
そのきっかけだったりそういったところも可視化だったりとか、
そういったところからマイクラオカンの内なる情熱みたいなところを引っ張り上げてくれたみたいな話を聞いてたりするんですけども、
そういったところとのコラボみたいなところだったりとか、
もしくはフリースクールって図志の中にいくつかあるのかなってちょっと思ったりするんですけど、
外のとの繋がりみたいなところっていうのは何かあったりしますか?
そうですね。フリースクール自体だと、それこそ去年に図志フリースクール連絡協議会っていうのを作って、
図志、僕たちを含めると5団体あるんですけど、
そこの人たちと一緒にマップを作ったりとか、平日生きる習い事とか、
僕たち以外のフリースクールの掲載をできているようなサイトとか、
アナログなマップの制作であったりとかっていうのをやってたりとか、
っていうのを実際の活動としてはやっていたりとか、
去年だとオープンフリースクールって言って、図志のスマイル借りて、
地域のつながりの重要性
どんな取り組みしてますとか、こういう体験できますっていうのをイベントやったりとかもしてましたね。
個人的には外部だと図志の学童さんであったりとか、
ダンススクールさんであったりとかにお声掛けさせていただいて、
一緒にイベントしたりとか、ダンスのイベントやったりとかっていうのをちょっとやったりとかしてますね。
なるほど。そういった繋がり。
本当に僕、確かに失礼ながらまだ全然来たことがなかったんですけど、
そういった繋がりが結構生まれてるんだななんて、ちょっと今感動しております。
やっぱりこの沼間エリアってね、図志の中でも、図志はよくご存知の人だったら横須賀寄りのエリアだなとかね、
海っていうよりかは山だったりとか、本当に三浦半島の中の方に入っていくエリアなんですけども、
図志って言うとやっぱりね、海沿いが注目されるじゃないですか。
沼間って言うとね、僕も沼間は結構行ったりとかしますけども、
このエリアの特徴だったり地域性だったりとか、図志全体で見たとき、沼間ってどんなイメージあります?
ディープですね、なんか。
ディープな沼だけに。
沼だけに。でも沼りますね、ここは。
なんか前にいた場所って本当に住宅街の中だったんですけど、挨拶はそれこそするんですけど、
それだけで終わるというか、顔は知ってて挨拶さまにかわす程度だなって感じなんですけど、
こっち引っ越してきてからも、階層はずっと表立ってしてたっていうのもあるかもしれないですけど、
みんなすっごい話しかけてくれる人たちが多いですね。
物くれたりとか。
そのご近所ぞき家じゃないけど、そういったお店の数とかもやっぱり駅前とかと比べるとだんだん減ってくるじゃないですか。
そうですね。
なのでそういったところにこういった場所が生まれたりすると、結構いい意味で目立つんじゃないかなと思います。
そうですね、セブンイレブンやっぱ止められる方絶対に見るというか感じだし、
地域の世代構成
近所の人はずっと気になってたから来ましたみたいな人たちやっぱり多いですね。
なるほど。
近所でいうと、図志の中では割と地区によっては子育て世代が多く住んでる地域とか、
おじいちゃんおばあちゃんが住んでる地域とかって結構別れてるなって僕はもう30年以上住んでると見えてくるんですけど、
沼間ってどんな年代の人が多かったりとか。
でも70代80代のおじいちゃんおばあちゃん世代も多いんですけど、近くに幼稚園、かぐのみ幼稚園あるんで、
結構30代ぐらいのママさん。
子供生まれて。
子供生まれてとかの親御さん世代もすごい多いですね。
それ増えてきたって感じる?
そうですね、だしやっぱ近所の方話聞くと子供増えてきたとも言ってて、この間のそのお祭りの時は、
五稜神社のお祭りの時はこの3年ぐらいで一番子供いるみたいな状態だったり。
それはなんかスタッフの人もね聞きました。
どっから来たんだみたいな。
確かにそうですね。
やってましたね。
やっぱりコロナ禍を経て引っ越しされてる人も多いし、子育てを自然の環境でっていう人も増えてるんだろうし、
なんかその移住してきた人たちに対してのなんかキャパがだんだんこう、
いいことではあるんだけども、お店がね結構満員になったりとか、
お店の数足りてないだろうなっていう風にちょっと思う瞬間もありますね。
新たな場、可視化のビジョン
なんかそういったところはあるなぁ。
何か言い残したことというか、
ここを行っておきたいみたいなことは?
何ですかね、言いたいこと?
やっぱそのフリースクールっていう見られ方自体をやめたいとずっと思ってて、
なんで今年からもう4月の引っ越した時点でフリースクール可視化だったんですけども、
最初に僕も冒頭でフリースクール可視化って言っちゃったんですけど、
もうフリースクール取って、今も可視化って名前だけでやってて、
カテゴライズしにくい、何ここってなってる場所というか、
やっぱ一個そのフリースクールっていうのがベースにあると、
そこももちろん大事だしってなるんですけど、
本当は地域ってそうじゃなかったような気がしてて、
基本的に敷居が低く間口を広くってなった時にこそ生まれるなんか面白ってある気がしてるんで、
それが作りたくてこの路面店を借りたっていうのもあるんで、
本当に気軽に飲みに来たりとか、旅に来たりとか、
だがしを買いに来たりとか、もうただフラッと遊びに来たり、
もう宿題やる場所がないから、今日もさっきそこで宿題みんなでやってたんですけど、
知り合いたちが子供連れて、本当そういう使い方がいいなって本当に思ってるんで、
だんだんそういう砕けた場所っていうか、より砕けた場所になっていきたいなと思ってますし、
今まである皆さんが思われているフリースクールっていう概念を破壊しに来たいっていうのはすごいあるんですよ。
なるほどね、はいはいはい、そういったスクラップ&ビルじゃないけど、固定概念じゃなくて、
この場所はこれをする場所みたいなところが分離しまくってるがゆえに地域のつながりってなんか逆になってたりとか、
ここに来たらこれやらなきゃいけないとかっていう、それってあるよねってすごく今の話聞いて思いました。
だから余白のある場所が少なくなってるなとか、昔もね、本当になんだろう、ちびまる子ちゃんに出てくるような駄菓子屋とか、
駄菓子屋ってなんかすごい余白のあるよ、よくわからないおばちゃんがやってるみたいな、
別におばくんをよくわからないお兄ちゃんっていうふうに呼んでないですけど、
なんかそういう余白があるとか、なんか用事が終わったら、買い物が終わったら帰らなきゃとか、
なんかそういうんじゃなくて、ただそこにいていいみたいな、そういう空間ってなんか今の時代少なくなってるなって、
確かに。
すっごい思うんですよね。
そうですね。
セブン来て、ちらって見えたから寄るみたいな、結構言われると、いいなーって思いましたから。
なるほどね、なるほど。
で、ちょっと一杯飲んでお母さん帰るみたいな、面白いなって思いました。
めちゃめちゃいいですね。
それこそなんかいいローカルの形というか、
そういう場所がね、なんかどんどんどんどん増えていくといいなって思う、そんな感じがしますね。
はい。
ありがとうございます。
すしレコラジオ。
そしてですね、最後に番組恒例っていうふうに、ちょっとね、今台本に書いちゃってるんですけど。
いつの間にか恒例っていうふうにしちゃってるんですけど。
はい。
次のゲストをね、ちょっと紹介してもらいたいなと思ってまして。
はい。
で、早山の方では、もう一人のMCのヒカちゃん、三羽ヒカリさんが、
もうヒカちゃんのそういったゲストを呼ぶ、そのスタイルを僕が真似てるっていう、パクってるんですけど。
はいはいはい、なるほど。
はい。で、早山の方では、すっごいいい繋がりというか、
はい。
なんかこういうネットワークがあるんだっていうのが、結構それこそ可視化されてきてるんですよ、繋がりなので。
はいはい。
で、ずしでもそういった繋がりからゲスト呼んでいくと、意外とこう僕の知らない発見とかもあるなと思っていて、
文化プラザの市民交流センターの副館長の元藤太郎くんの回から、次のゲスト、次のゲストって来てるんですよね。
そうなんですね。
なので、元藤太郎くんからマイクラオカン。
そしてマイクラオカンから大場裕也くんとなってるんですけども、
ぜひ次回のゲストを紹介してほしいんですけども、どなたかこの逗子レコラジオに紹介いただけますか。
山里卓郎さんですね。
山里。
山里卓郎さんですね。
山里卓郎さん、この方はどんな方なんでしょうか。
ダンスフォレストという、ダンススクールをされている方で、
それこそカシカと何回もコラボさせていただいてたりとか、
あとはうちに来てる、中島も実はダンスフォレストで習ってるんですけど。
うちに来てる子どもたちもすごいお世話になってるんですけど、
僕も何回かワークショップ参加させていただいたりとかしてて、
すごい魅力的な方なので紹介したいですね。
ありがとうございます。
ではこの山里卓郎さん、ダンスフォレストと。
フォレストってありますか、森ですけども。
これは五感の森の、
五感の森ね、リスナーの皆さんも知ってる方いるかなと思うんですけども。
五感の森でそういった活動されているダンスフォレストの山里卓郎さんを紹介いただくというふうな形で、
次回の僕のゲスト回はこの山里卓郎さんにアプローチしてみたいなと思います。
はい。
ということで、もう本当に20分くらい話そうかって言ってたらもう1時間近くなっちゃいましたね。
いやーめちゃめちゃ楽しかったんですけど。
はい。
じゃあ最後に大葉優弥さんから、
逗子レコラジオのリスナーの皆さんに向けて何かメッセージだったりありますか。
飲みに来てください。
マイク近くなりましたね。
そこだけASMRみたいな。
飲みに来るにも良し、だがしやだがしに買いに来るも良し。
とりあえずドアを開けて。
そうですね。
遊びに来てくださいと。
ぜひ、フランクに遊びに来てほしい。
それだけですね。
はい。
土曜日のオープンデート会、行くのがいいんじゃないかと。
僕も行きますと。
はい。
なので、可視化で皆さんお会いしましょう。
よろしくお願いします。
ということで、逗子レコラジオ、もう215回目くらいかな、これ。
すごい。
なりました。
5、6年やってるんですけど。
すごいですね。
はい。
なのでちょっと今回はエンディングの使命を変えていきたいなと思うんですけど。
はい。
こんな感じでね、逗子レコラジオ、これからも続けてゲストの会。
予期せぬ良い出会いが生まれると思いますので。
はい。
ということで、今日はフリースクールという概念からはもう卒業と言うんですかね。
卒業で、はい。
はい。
可視化の主ですね。
可視化のままにある可視化の主の大葉優弥さんにご登場いただきました。
大葉さん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ではまた次回。
バイバイ。
52:54

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