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おはようございます、ずっきーです。
今日の朝も、ローソンでホットカフェレテを買って、朝散歩しながら、スタイフの収録をしています。
今日お話しする内容は、震災ボランティアの話と、ジャガーノートのお話をしていきたいと思います。
今日は3月11日です。震災が2011年の3月11日の2時46分なので、もう13年になりましたね。
私も震災のボランティアに行きました。震災があったのは3月です。
夏の8月ぐらいにボランティアで福島県の方に行って、
それが印象的だったなーという話を思い出したというか、話したことはそんなになかったので、
自分の生理がてら2つお話しようかなと思います。
それと絡めて思い出したイメージというか、こんなことを考えていたなーというイメージが、
ヘルマンヘッセの車輪の下という小説がつながっていたので、そこの話も合わせて3点お話したいと思います。
震災ボランティアは8月ぐらいに行ったのは、主に福島県だったので、
原子力発電所の周りですね、20キロ圏内に対比して30キロ圏内にできるだけ出てみたいなのがあったので、
仮設住宅ですね、私が行ったのは中通りという福島県の真ん中で震災があった、
福島の原子力発電所の被害があったのは主に浜通りという海側なんですが、
私が行ったのは中通りのある地域の方に行って、仮設住宅が大量にできていましたね。
なぜかというと、住む人が避難して来た人が住むところがないから、
いろんなグランドとか工程が仮設住宅でバーッとできて、
グランドとかほとんどなくなっちゃったんですが、中通りら辺のところでは。
そこで住んでいる人たちに話を聞く傾聴ですね、
皆さん家を回って傾聴しましょう、お話を聞きましょうというだけのボランティアですね。
やはり環境が変わるとそんなにしんどい方とかいらっしゃるので、
お話を聞いてどんなことに困っているかとか苦労があるのか、
そこを聞くというのは内容でしたね。
ここはそんなにひとくもあるんだろうけど、
抽象的にですね、すると印象に残ったのは、
おばあちゃんですね、一人で住まれているおばあちゃん。
その人は畑をやってたんですけど、やっぱり家で畑をして、
やっぱり田舎なのでジャガイモとかいろいろ作るんですよね。
その中にトマトとかキウイとか作っていて、
そのおばあちゃんの話を聞いていて印象的だったのが、
あれだね、トマトを買うと高くて食べれないね。
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もうトマトは高いんだね。
みたいなことを言っていてすごい印象に残りましたね。
それだけでありますが、
このおばあちゃん何歳だったっけ?
60,70歳のおばあちゃんではあって、
ずっと畑仕事、夏は夏野菜、キウイとかトマトとかやってるんですが、
多分トマト買ったことないのかな?
そうなんです、田舎の人ってね、
夏になればトマト畑に行けば萌えて食べれるので、
買ったことなかったのかな?
で、トマト見るといくらか忘れちゃいましたけどね、
百数十円とか。
高くて食えねえよこんなの?みたいなのを言ってて、
この人はずっと数十年住んでたところの地盤はなくなられて、
帰れるかどうかってどこの地域か忘れちゃったんですが、
ずっと住んでた基盤って失っちゃったんだなーって。
別にその方は怒っているわけじゃなくて、
どちらかというと諦めというか、
ああもうそうなんだねーみたいな感じで、
諦めから、
がんの5段階とかあるじゃないですか、
最初に怒りがあり、需要がありとかあって、
この方はもう諦めてるというか、
何してもどうしても無駄だよなーみたいな感覚をすごい印象を受けましたね。
トマトのおばあちゃんみたいなイメージなんですが、
ああそっかーって、
そうですねーって、
別になんか訴えてくるわけじゃないんですけど、
いろんな訴えてくる方もいらっしゃったんですかね。
洗濯機がーとか、
湿気がひどいとかあったんですが、
一番印象に残ったのはそのトマトのおばあちゃんですね。
トマトたーげんだわーって言ってて、
っていうのが、
まあその震災のボランティアの傾向で印象に残ってましたね。
ああいろいろ失っちゃったんだなー、
今までやってきたものなくなっちゃったんだなーって感じですね。
それと絡めて、
まあもう一点ある、
あと印象に残ったのはボランティアで残った、
1点としては、
なんか派閥争いですね。
ああ結局こういうのも出てくるんだなーと思いましたね。
そこ仮設住宅で、
100はいなかったと思うんですけど、
一時的に退避してきた方が住んでいるような地域があって、
やっぱりゆるりとした派閥争みたいなのがあるんですね。
あっちの地域の人はまだ帰れるからいいけど、
もう落廃で帰れないからねっていう、
完全に帰れない地域ですね。
完全に管理区域になっちゃったところと、
まだ管理区域、
しっかり管理区域外より一時的に退避地域から来ている人っていう、
まあ大きく2種類いたのかな。
そういう違いがあって、
やっぱりそれを避難したりだとかですね、
避難というか、
あっちの人はこうだよねーとかね、
という方々が結構いらっしゃって、
そっか、やっぱり人って属性に違いがあると、
そこに目がついちゃうんだなーっていうね、
何でしたっけ、
本でも話題になりました、
分断志向が人にあるみたいな、
そういうのをちょっと思いましたね。
どういう年になっても、
そういう新しい環境に閉じられたら、
そういうふうに違いというか、
派閥ができちゃうんだなーって思いました。
というのが2つですね。
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トマトのおばあちゃんの話で、
当時ですね、
もう13年前からイメージしたのが、
ヘルマンヘッセっていう小説家の方の、
車輪の下って小説がありまして、
どんな小説かあらすじだけ話すと、
どっかの地域ですごい優秀な男の子がいて、
その子がね、
ドイツか、ドイツの話なんですけど、
その子がもうこういうところに行く、
ギブラジウムってすごい優秀なところに行って、
将来は進学者、
当時は進学者がすごい地位が高かったので、
それになるって頑張ってたけど、
受験はうまくいったんですね。
受験はうまくいったら、
優秀な人たちの集まり、
いろんな目事だったりとか、
挫折とか味わって、
ちょっと諦めて地元に帰ってきて、
ちょっとしんどくなっちゃう、
みたいなお話があるんですけど、
あの小説のモチーフというか題名になってる、
車輪の下ってやつですね。
あの車輪の下って何を基にしているかというと、
ヒンドゥ教か何かのお祭りで、
ジャガーノートってあって、
ちょっとあれも曲折があるみたいなんですが、
大きいダシですね、
大きなタイヤあった、
ダシというか見越しみたいなのが、
ざっと練り歩いて、
そのダシの車輪ですね、
それに飛び込むというか、
ある意味自殺ですね。
そのジャガーノートのダシですね、
車に巻き込まれると幸せになれる、
みたいなのが宗教があるみたいなんですけど、
それをモチーフにして書いたのは、
車輪の下、ヘルマン先生のお話で、
大きな大きな車輪ですね、
自分じゃどうすることもない、
自然に動いて大きな大きな車輪、
それに巻き込まれて身を投じると、
幸せになれるというか、
自分の救済を求めてそこに身を投じて、
死を選ぶみたいなのが、
車輪の下、ヘルマン先生の小説にあって、
そのイメージですね、
大きな車輪に巻き込まれて、
巻き込まれるとか、
飛び込むみたいなイメージを、
ヘルマン先生の小説に重ねて書いたんですけど、
それとトマトのおばあちゃんが、
ちょっと重なっちゃう部分があって、
大きな大きな震災があって、
福島の原子力発電所の事故があって、
自分じゃどうしようもないというか、
ああ、こうなっちゃったね、
トマトこんな高いんだよね、みたいなので、
多分あのおばあちゃんの目の前に、
ジャガーノートの大きい車輪とかあったら、
どうされるのかなという風に思っちゃうと、
思い出と繋がっちゃいますね。
やっぱりどうしようもなく、
大きい大きい車輪というのがあって、
それを見ている人だったり、
飛び込む人だったり、
いろいろあるよなというのが、
ちょっと不謹慎な内容もあるかもしれないので、
裏というかにすると思いますが、
震災、3月11日にちょっと考えたことでしたね。
トマトのおばあちゃんの話と、
あとは仮設住宅のとこでも、
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ゆるりとした派閥争いみたいなのが生まれるんだな、
本能的なものなんだなというのと、
あとはヘルマンヘッザーさんの
車輪の下という小説ですね。
意外と短かったと思いますけどね。
ちょっと大きな大きなことに
巻き込まれていく人みたいなのが書かれているので、
興味のある方は見てみてください。
今日はこんなところです。
お聞きいただきどうもありがとうございました。