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2022-08-27 20:02

今日の10分de1テーマ「世紀の奇書『別れる理由』はヤバい」

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

 [beats by P.J INLAND]

00:00
コジョマの棒の魅力をお伝えします。
アメリカの小説家を学んで、日本に帰ってきました。
世代的には、第三の新人といわれる世代です。
ヤスオカ・ショウタロウ、エンド・シューサッカーなどの世代の人です。
戦後少し経って活躍した人です。
アメリカへの憧れが強い時期に、アメリカ文学を学んでいました。
コジョマの棒の特徴は、家が不良建築です。
コジョマの棒がデザイナーに任せられました。
デザインは凝っていますが、作りが不良です。
天窓がガラスになっていて、部屋の中が50℃になっていました。
家を建てられました。
その家で暮らし続けて苦労しました。
一人目の奥さんがガンと亡くなって、すぐ後にもう一人の奥さんを結婚します。
奥さんは女の子が好きです。
女の子が好きと言っても、豪快な感じではありません。
奥さんを見ているような感じです。
見た目はかっこよくて、モテそうな感じです。
吉浩樹純之介のような感じです。
03:05
自分の家族構成も一緒だし、フィクションの小説を書いています。
それを書かれた家族の気持ちを書きます。
お手伝いさんを見て、「いいなあ、あの子の手を引いて布団に引きずり込みたい」
家族を呼んでいるような気持ちを書いています。
奥さんがこう言ったのに対して、すごく忌々しく思ったような気持ちを書いています。
大丈夫な家族だと思うのですが、実際に息子さんがグレたりして、
最終的にはアル中で脳に障害を負って、ずっと入院して介護が必要な状態になりました。
晩年は老夫婦の2人で障害を持って病院に入院しっぱなしの50代くらいの息子を介護する生活でした。
そのこともセキララに小説に書いています。
セキララに書いているのですが、詩小説ではないと書いています。
自分の中の性欲などをあけっぺろげに書いています。
すべてが虚構であるということを肌身で感じていて、
虚構だと話をうまくやっていけないから、その虚構の上で上手いこと立ち振る舞おうとしている自分、
かっこ悪いなあ、馬鹿みたいだなあ、
それに付き合わされている奥さんがかわいそうだなあ、
それに思うようなことをそのまま書いてしまう。
自意識が強力すぎて、すべてが見通せてしまう。
心が小市民すぎて、だからといってすべてが虚構さ、
デカダウンな作家になるわけでもなく、
06:02
世間ではこう言っているし、こうしないとなあ、
でも自分がそれを頑張っているなあ、というのもわかる。
ギャグっぽいなあ、この漢字というのもわかって、
それもそのまま書いてしまうという、非常に厄介な、
この人が家族にいてこの小説を書き続けられたら困りますみたいな、
そういう人なんですよね。
傑作とかも多いわけですけど、分かれる理由というのは、
小島の僕は十何年間ぐらいかけて、
本当に七点抜刀しながら、
気づきかけた異様な失敗作みたいな、
超大作失敗作みたいな感じなんですよね。
小説としてはもうめちゃくちゃですからね。
なんですけど、あまりにも異様すぎて、
ある種名作とも言われているというか、
分かれる理由ね、みたいな感じの本でもあるんですよね。
それで自分の卒論を読んでいたんですけど、
すごくなんとかしっかりしていたんですけど、
読んでいて分かれる理由もない思い出して、
本当に小島の僕は怖いなと思ったんですけど、
小島の僕は全てが虚構だな、
全てが本当に、
宇宙だなというか、
自分たちを支えているかっこたるものなんて
本当はないんだろうなと思いつつも、
でもそれじゃうまく家族回らないから、
そこはあるふりしてと、みたいなことを
ひたすら書く人なんですよね。
でもそれが虚構に過ぎないことも知っているから、
それに振り回されている人が
小島の僕には全部ギャグに見えるんですよね。
それをギャグっぽく書いていく、
みたいな書き方なんですけど、
小島の僕は高度経済成長期ですよね。
マイホームを持って、
アメリカみたいな家族を築いて、
アメリカのドラマに出ているような家族を築いて、
みんなで仲良く暮らす。
これが幸せだよね。
これが家族だよねっていうことを、
本当は信じていないのに、
信じるふりをしないと回らないから、
それを信じて実行し続けるんですよね。
実生活でもそうなんです。
素敵な家を買わないと、
知り合いのすごい建築士の人にお願いして、
欠陥住宅にされて、
こんなことになるとは、
幸せになりたくて、
照明のように家を作ろうとしたのに、
09:02
こんなことになるなんて、
みたいな感じで思うし、
奥さんも、
二人目の奥さんも、
再婚するときも、
向こうも離婚しての再婚なんですよね。
離婚した向こうの旦那さんが、
すごい若くて美人な奥さんと結婚したと。
すごく仕事もうまくいっていて、
幸せそうであると。
となると、
ここで、
僕と結婚して残念な、
二人目の奥さんが、
ここで残念な目に合わせると、
なんか、
それは僕と結婚したことで不幸になったということになるから、
これは一大事だ、みたいな感じで、
なんとか幸せな家族にしなくては、みたいな感じで、
頑張るわけですよね。
なんだけど、家は欠陥住宅で、
50度くらいになる部屋をですね、
中は蚊とかはいてですね、
それの処理とか奥さんがしてるのを見ると、
こんなはずじゃなかったのに、
って思ってんのかな、とか思っちゃうし、
それをそのまま小説に書いちゃうみたいな、
それを読んだ奥さんの気持ちをとか思うんですけど、
でですね、
本当にですね、
そんな感じの悲劇としか、悲劇みたいなことが
ずっと続くわけですよね。
やっぱ家族ってこういうもんだからさ、みたいな感じで、
それを信じ込まないと、
興味に飲み込まれちゃうんだ。
なんだけど、
それはその、
一つの尺度でしかないというか、
家族がこの形に近づけているかどうか、
家が立派かどうか、
みたいなことを思って、
自分の幸せ度を測るんだけど、
その尺度が
本当に限定的なものだし、
かつ虚構に過ぎないもので、
そこからこぼれ落ちるものがいっぱいあるわけですよね。
そこのですね、
一体私は何をやっているんだろうとか、
何かこぼれ落ちているものみたいなことを
つぶさに書いていくんですよね。
でですね、
その分かれる理由が、
一部の最初の普通の場面ですね。
めちゃめちゃ怖いシーンがあって、
小島の母は、
幸せな家族というのを頑張って維持することに、
疲れ切っているんですよね。
疲れていた時に、
テレビを見ていたら、
12:02
交通事故で、奥さんと3人の子供を失って、
呆然としている男性がワイドショーに映っていた。
当時のワイドショーなんで、
レポーターとかが容赦なく
マイクを向けるわけですよね。
向けてですね、
今のお気持ちは?みたいなことを言ってですね。
その男性がですね、
ポツリポツリと言葉を出すと、
それを見て、スタジオの人たちは
なんて可哀想なみたいな感じになっているわけですけど、
それを見て、
小島信夫はですね、
小島信夫の書いてある小説の主人公はですね、
いいなって思うんですよね。
彼は今、主役だなって思うんですよね。
あれだけの悲劇、
あれだけの大きな悲劇があったら、
主役みたいにみんなが
自分の話を聞いてくれるんだ、みたいな。
あれはいいもんだなってなるんですよね。
でですね、
その後ですね、
グレダ長男と話し合う場面があってですね、
いやーって言って、
お前家出るって言ってるけどさ、
家は出ない約束だったじゃん、みたいな。
覚えてるか?ほら。
父さん、お前が自転車で転んで
大怪我したことあっただろうって。
父さんがね、その時抱き上げて
病院まで走っていったんだよな、みたいな。
ああいうこともあったじゃないか、ほら。
全部この家であったことなんだよ、みたいな感じですね。
家を出て行こうとする長男を
家族を維持するために引き留めようとするんですけど、
その時にですね、
5歳くらいの息子が自転車で転けて怪我してですね、
雨の中ですね、小島信夫が
抱きかかえてですね、
必死に走りながら
橋を渡ったことがあったなーって思い出すんですよね。
そうやって説得しながら。
思い出してですね、
必死に走りながら橋を渡っている時、
あの時の自分の高揚感っていうのは、
あのテレビの向こうで家族を失って
呆然としている
あの人にも勝るともたらぬものだった、みたいな。
で、あの、
本当に自分は
一瞬この腕の中でね、
あのいる5歳の長男を
橋を渡って川を駆けている時に
ここから川に投げ捨てようかと思ったと。
で、そしたら
そしたらそれがいいことなんだというか、
15:01
投げ捨てようかと思った。
そしたらみんな僕の話を聞いてくれるだろうか
みたいなことを書いてるんですよね。
もっともっと文章うまいんですけど。
って書いててですね、怖いですよね。
なんていうか、
実感から離れたものってですね、
自分の心の位置というか、
自分が一体何を感じているのか、
自分は何が幸せなのか
良いこととは何なのか
よく生きるとは何なのかみたいな
尺度みたいなものが
自分の実感とは別に
外部に存在するわけですよね。
それは当時だったんですね。
アメリカに近づいているアメリカっぽい生活のほど
みんながうらやむいい暮らしみたいなのが
例えばあると。
だからですね、それに近づけようと必死に
頑張っているんですけど。
ただ、やはりそれは
もちろん虚ろなものなんですよね。
そうやってですね、虚ろなものに向かって
頑張って頑張って良くなろうとしている。
良くなろうとしていると
なんていうんですかね、
何か自分の何かを無視しちゃっているんですよね。
かつ、
一人目の奥さんは
あんなアメリカみたいなかっこいい夫婦になろうな
みたいな感じで頑張っていた奥さんが
突然癌で亡くなっちゃうんですよね。
それはものすごく理不尽なことなんですよね。
なんで?ちょっと待って。
アメリカの夫婦みたいになろうみたいな風に
めっちゃ頑張っていたけど
癌で急に死ぬって何?
みたいな感じなんですよね。
その家を思い切って建てたら
それがとんでもない欠陥住宅だったっていうのも
やっぱり理不尽ですよね。不条理ですよね。
みたいな感じですね。
こうやってこの尺度の中で
良いものに近づこうとしている。
より自分たちは向上していっている
はずなんだけど
現実ってのはそういうものと関係なく別にあるってわけですよね。
あってですね。
そのギャップからですね
いろんなことが起こると。
いってなるとですね
段々とトロークしていくわけですね。
なんというか
一体
このライン上でですね
向上を望めないんだとしたら
どうやったら一体自分は上に行けるんだろうか
みたいなことを考えた時にですね
そっか、家族みんな死んだら
18:01
そういうものですよね。
そういうですね、なんというか自分の
卒論には神話家みたいなのが書いてあったんですけど
自分の神話の
自分のなんでもない
生活、なんでもない生みたいなものに
深刻化するっていうんですかね。
大きな悲劇によって
神話化することができると。
そしたらそれは幸せのことなんですよね。
めちゃくちゃ恐ろしいことが書いてあってですね。
この
たぶんですね、長男がですね
俺この家から出てくるって言って
それを必死に小説の中で
いやそれは約束違うだろうとか
説得したというのは
たぶん小島の長男の間に実際にあった出来事だと思うんですよね。
おそらく
自転車でこけて怪我した息子を
5歳くらいの息子だけ抱いて橋を
必死に渡ったっていうのも
おそらく実際にあったことなんだと思うんですよね。
それがそのまま小説に書かれてですね。
しかもその時、この時息子を川に放り投げると
俺はどんだけ幸せなんだろうなと思ってたみたいなことが
普通に書いてあって
恐ろしいなと思いましたね。
というような小説なんですよね。
でですね、それが
とんでもない展開になっていくわけですけど
そこについてですね
こんなフリートークで説明する技量は
私にはございませんので
これにて終幕とさせていただきます。
というわけでですね、小島信夫は面白いという話でした。
本日は以上です。ありがとうございました。
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