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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオ。
最近の絶望は、乗ろうとしていたバスが目の前を通り過ぎたことです。
さて今回はですね、僕は対話がしたかったというお題でお話ししていきたいと思います。
皆さんは対話してますか?
いきなりそんなこと聞かれても、対話ってなんだっけって思うと思いますので、
ちょっとですね、一冊の本を取り上げて話していきたいと思います。
その本はですね、話し合いの作法という、立教大学の先生である中原純さんのご本になります。
その本の一部にですね、対話とはこういうものであって、非対話的なものというのはこういうものであるというふうに定義をされているので、
そこの部分に個人的にはハッとしたので、まずそこをご紹介していきたいと思います。
まず中原先生が言うように、対話というものはフラットな関係の下で行われる役職や立場を超えたコミュニケーションであり、
私が大切になるものと言えると言っています。
もう一度言いますね。フラットな関係の下で行われる役職や立場を超えたコミュニケーションであり、私が大切になるもの。
その上で非対話的なものは3つありますと言っています。
これも簡単にご紹介しますね。
その3つのうちの1つ目が複数の聞き手に対して話者が一方的に話す学校などの一斉授業の形式。
2つ目が部下と上司のような非対照的な関係で行われる業務報告。
3つ目が立場や役割に基づいた発言。
例えばビジネスの現場で言うと何々部としてはこうですとか、弊社としてはこうですといった言葉、つまり私という主語が排除された言葉と言っています。
つまり非対話的なものは一斉授業的なものであり、業務報告的なものであり、私という主語が排除されたものであると言っています。
そういうものがない対話が対話であると言っています。
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では対話をするにはどうすればいいんだと思われたと思いますので、中原先生はこんな風に言っています。
対話では自分を持ち寄ることが必要。
これは自分が密かに抱きしめてきた意見や価値観を他者の目の前にそっと差し出すことを指しますと言っています。
他者の目の前にそっと差し出すというのがポイントだなと思っていて、自分の意見を相手に投げつけるじゃないんですよね。
自分が密かに抱きしめてきた意見や価値観を他者の目の前にそっと差し出す。
これをお互いにできていることが話し合いの作法であると中原先生は言っています。
このお話を聞いてですね、自分は果たして対話をしてきただろうかって思ったんですよね。
皆さんはどうですか。
僕はですね、対話全然してこなかったなと思いました。
それは僕はやはり長らくスポーツの現場にいましたので、どうしたって上位形的な、非対話的なものになっていたなぁとも思いますし、
あるいはもう放任というか自分の好きなようにしたらいいじゃないかっていう形で、
なんというか対話放棄されていたなと自分の中の認識では思ったりもしたんですよ。
つまり0か100かその間の対話っていうものがなかったなぁと思ったりしてます。
チームメイトとは対話もしていたんだけれども、それは対話というよりは雑談に近いものだったかなと思います。
あとはスポーツの場面で言うと、個人競技なのか集団競技なのかにまよって対話の必要性っていうのは変わってくると思いますね。
僕の場合は個人競技だったので、正直対話はあまり必要ではなかった。
本当は必要なんですけど、あまり必要ではなかったのかなぁと思います。
あと余談なんですけど、青山学院大学の駅伝部の監督である原監督が、長距離選手は引退した後に社会人として通用しない選手が多いのはコミュ力が足りないからだみたいなことを何かの文脈でおっしゃっていたのを記憶しているんですが、
それは対話をしてこなかったというのも一つ原因としてあるのかなぁなんて今思いました。
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それはでも監督にも原因はあるんだろうなぁと思ったりはしますけれども、一般論としてね。
それで僕は本当に対話をしてこなかったのかっていうことをもう一度考えてみたんですけれども、実はしてるんですよね。
それはフライヤーブックラボというオンラインコミュニティに属していまして、僕はその中で読書会を通じて対話をしているなぁということを気づいたんですね。
そこから僕はポッドキャストの対話番組、ブック沼ラジオと学達編集部ラジオという2つを話させてもらっているんですけれども、そこでも対話はしてるなぁということに気づいたんですよね。
対話をしてこなかった経験がバネになって、今対話をしたい欲求みたいなものが増して、ポッドキャストまで始めてしまっているっていう言い方はどうなのかなと思いますけど、
そういう理由もあって、自分は対話をしたがっているんだなっていうことに気づいたんですよね。
皆さんは自分の意見をそっと差し出すような対話してますでしょうか。
もししていないなぁと思うんだったら、ぜひ対話してみるのもいいかもしれませんね。
僕ともぜひ対話してくださいということで、コメント欄にも今回の意見とか言ってくださったら嬉しいなと思いますし、ぜひ対話してくれたら僕も嬉しいなと思います。
というわけで今回も聞いてくださりありがとうございました。ではまた。