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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、早く走ることをやめたはずなのに、後輩に誘われて駅伝大会に出場し、
思ったより走れたじゃんと思って、区間5位ぐらいかなと思って結果を見たら区間13位だったことです。
さて今回はですね、最後くらいの経験値という話をさせていただければと思います。
昨日ですね、ちょっと後輩に誘われて駅伝大会に出てきまして、
そこから後輩と話をして着想的に思ったことを、
ちょっと振り返る回、内省をする回にしていきたいなというふうに思っています。
ではまずその後輩というのがどういう人物なのかっていうのを軽く紹介した上で、
どういう会話をしたのかっていうのをお伝えしていければと思っているんですけど、
まずその後輩っていうのは僕と同じく実業団選手だったんですね。
そしてもちろん今もは引退をして、
そしてフィールドを変えてセカンドキャリア、サードキャリアというのかな、を歩んでいる。
そして充実した日々を送っているという後輩だったんですね。
しかも詳しくは言わないんですが、自分でかなりの努力をして、
場所を変えて、今活躍していると。
すごい本人も日々充実しているっていうふうなことを言っていたんですよね。
その会話の中で僕はどういうことを聞いているかっていうと、聞くかというと、
実業団時代の仕事が実業団引退した後に何か役に立っているかっていうことと、
競技の経験が今の役に立っているかということを聞いてるんですよね。
2つ聞いています。
実業団時代の仕事が役に立っているか、実業団の経験が今に役に立っているか。
なんかこの問いっていうのは僕自身ずっとぐるぐる考え続けてきている問いであり、
他の人はどう考えているんだろうなっていうのを率直に聞いてみたいなというふうにずっと思っていて、
なるべく引退した友達、先輩後輩には聞くようにしてるんですよね。
そして彼がどういうふうに答えたかっていうと、
仕事、実業団時代にやっていた仕事が役に立っているかという問いに対しての答えは全くないですねという答えでした。
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そして実業団時代の選手としての経験が今に役に立っているかというと、
まあ何くそ精神と根性は尽きましたねと言ってましたね。
それがさっき言っていた相当な努力をして場所を変えたという経験につながったと彼は言っていました。
まあ僕もですね同じように思う側面はありつつ、
仕事の経験が次につながらないって言ってたのはちょっとやっぱそうなんだというのと、
彼の場合はですけど、
まあなんて言うんですかね、
その仕組み上、実業団という仕組み上しょうがない側面はあるにせよ、
ちょっと残念だなぁと思ってしまった部分はあったなぁと思います。
なんで僕がここで残念だなぁと思ったかというと、
やっぱり僕自身競技だけの人間と思われたくないという気持ちがずっとあったんですね。
だからまあ大学時代も高校時代も、
まあそして実業団時代も競技は競技、
そして勉強は勉強、仕事は仕事という形で、
それなりに自分の中では頑張ってきたんですね。
何か次のセカンドキャリアの役に立つのかもしれない、
というより今任された仕事であり勉強でありっていうのを一生懸命やることで何かが生まれるかもしれない、
何か自分の中に残るかもしれない、
そんな風に僕は考えていたんですね。
でもやっぱり現実はそうはうまくいかず、
彼の言う通り何もない、何も繋がらない、
そして繋がるのは努力と根性みたいな側面なのかなぁ、
そうなんだ、ちょっと寂しいなぁって思っちゃったんですよね。
そしてこの何者ラジオ、絶望ラジオの主眼というか、
メインイシューである何者かになりたいというところが、
僕にとっては何かこうある種コンプレックス的にもなってるなぁという風にも気づかされたんですよね。
つまりその学生時代とか社会人から何かこう着実に積み上げていって、
その人のキャリアが形成されている、その人の何て言うんですかね、
何者になっている、着実に何者になっているということが、
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自分自身、その人自身からも出ている、オーラとして出ている、
社会的認知としてそういう風になっているというところに、
僕はすごく憧れというか羨ましさみたいなのがすごいあるんですよね。
まあそれに比べて僕は積み上げてきたものが一旦ポッとなくなって空白になってしまう。
そして結局何者にもなれなかったっていう感覚みたいなものがあるんですよね。
だから別にインフルエンサーになりたいとか、社会に認知されたいというわけではなくて、
自分の中に確実に積み上がってきている何かみたいなものが欲しいだけなのかなぁなんて思ったりしました。
はい。
皆さんはどうですか?
何か積み上がってきているものありますか?
それとですね、今日の本題にも遅いんですけど、
本題にも戻りつつ話していければと思うんですが、
じゃあ本当に何も積み上がってないのかという問いにぐるぐると戻っていくとですね、
僕自身は競技の引退という経験を何度か行っているし、
それは意外と、何て言ったらいいんですかね、
他の人には経験されていない部分なのかなというふうにも思ったりしたんですよね。
例えば、高校3年間、3年生での部活動での引退、大学4年目での引退、実業団での引退というような形で、
最後の経験、自分がこれが最後だなぁと思っていて、
なおかつずっと続けてきたかけがえのないものが終わりを迎えるみたいな経験をしてきたなぁというふうに思ったんですよね。
その上で本当に最後の最後の試合、レースでいろんな葛藤だったり苦しさだったり、
それに加えてその結果に応じてどうなるのかわからないということも超えて、
最後くらい楽しもうかとか、最後くらいもう今まで積み上げてきたもの、
そうですね、それこそ積み上げてきたものは関係なしに今この場に集中しようかみたいな心境になったなぁというふうに思ったんですよね。
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例えば僕は昨年選手としての引退を迎えました。
その引退を迎えるということは、その試合で引退を迎えるということはもうわかっていて、
その過程に向かう中でいろんな葛藤があったんですよね。
本当にこれで最後でいいのかとか、やってる意味はあるのかとか、
でももうとにかく与えられた環境というか、
詳しくは言わないんですけど、結構過酷な環境でやらざるを得なくて、
でも何くそと思って頑張って、最後くらいはっていう心境になったんですよね。
それはプロセス、その大会に向かうまでのプロセスもそうだし、
その大会に臨む瞬間、走っている時も、
どこか頭の中でこれが最後なんだ、最後くらいはっていう心境になったなと思っていて、
それは長く続ければ続けるほどなんか特別な感情になるんじゃないのかなっていうふうにも思ったわけです。
その経験値、最後くらいはという心境になった経験値というのは、
きっとこれから何か本気で一生懸命取り組んだことに対して、
最後を迎えた時にまた最後の一歩を踏み出しやすくなるんじゃないのかなっていうふうにも思ったんですよね。
そういうところにもしかしたら生きるのかもしれない。
ものすごい特殊な場面、ケースでしか生きないものなのかもしれないけれども、
でも確かにそこの経験値を持っているというのは、
自分にとっては何かしら意味があるんじゃないのかなっていうふうなことを、
内省をしながらぐるぐる考えながら思ったんですよね。
あるいはそれは人生の終わりということなのかもしれないなとも思ったりしたんですよね。
最後の季節、最後の瞬間、皆さんはそういった経験をお持ちでしょうか。
もしよかったら何か思い当たることがあればコメント欄にいただければなというふうに思います。
僕にとっては競技からの引退、そうですね。
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今話しながら思ったのは、このメンバー、このチームでしかできない最後の経験、
それは思い入れがあってチーム全体が一丸となって臨んだ経験、
その最後みたいな経験もあるのかなというふうにも思いました。
駅前なんていうのも一期一会ですからね。
全く同じメンバーで臨むことっていうのはほとんどない。
特に終わりがある学生時代なんかはそうなのかなというふうに思います。
はい、というわけで取り留めもない話になってしまいましたが、
今回はちょっと僕の内省の回ということでお話していきました。
最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。