パリオリンピックの閉幕と日本人選手の活躍
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、休日出勤です。さて今回はですね、パリオリンピックの話をしていきたいと思います。
皆さんは、オリンピックご覧になられましたか?
今日、パリオリンピックが閉幕、そして明日からパラリンピックが始まりますね。
僕は元アスリートでして、もともと陸上競技をやっていたので、主に陸上競技の種目を見ていました。
その中、日本人選手が多く活躍されていましたね。
北口遥香選手が、やり投げ金メダル。
マラソンでは男女共に6位入賞とか、3000m 障害では三浦隆一選手が8位入賞。
そして僕は注目していた田中臨選手は5000mでは惜しくも予選敗退。
そして1500mは準決勝進出なるも決勝には進出できず。
といった形で、それでも奮闘されたのではないかなというふうに思ってますし、
その他出られた日本人選手の方々、陸上競技に限らず全員にリスペクトをしていますし、本当にお疲れ様と言いたいなと思っております。
皆さんは何か注目される種目等ありましたでしょうか。
また注目される選手おられましたでしょうか。
今回の放送ではですね、僕が注目する選手とその選手の言葉についてお話していく中で、
アスリートがどんな心境でこのオリンピックに臨んでいたのかというところを僕なりに考えてみたいなというふうに思っています。
田中臨選手のタフさとメンタリティ
さて、では僕が注目していた選手は誰かというと、田中臨選手ですね。
女子陸上選手であり、パリオリンピックでは1500m、5000mに出場しました。
実はその前の日本選手権では800mにも出場していて、合計3種目にエントリーをしていたという形になります。
そして先ほど言った通り、パリでは1500mで惜しくも準決勝敗退、5000mは予選敗退という結果になっていますね。
とはいえ、田中臨選手、東京オリンピックでもご活躍されていました通り、
海外選手と肩を並べて走る、結果を出す、そしてコンスタントに結果を出すという意味においては、
今までの女子選手ではありえなかった形で活躍されているなというふうに考えています。
僕が取り分けすごいなと思うのはタフさですね。
コンスタントに結果を出すということの裏返しにもなるんですけれども、
海外のレース含め、いろんなレースを転戦する中で怪我なくタフにレースをこなしていく、
なおかつ高い水準の結果を出し続けている。
これは持って生まれた体の強さ、プラス日々のコンディショニングの賜物であり、
トレーナーさんの賜物でもあり、絶妙な負荷をコーチであるお父様がかけている。
そして本人もセルフケアをきっちり行っている。
そういった側面が垣間見えるのかなというふうに個人的には考えています。
通常だったら、普通の選手だったら絶対怪我しているだろうなと僕は考えていますし、
それは環境であり本人の才能であり努力の部分なんだろうなというふうに考えています。
それとやっぱりすごいなぁと思うのは彼女のメンタリティの部分ですね。
どんな大舞台でもコンスタントに結果を出し続ける。
そして表情が戦闘モードになった時の集中力というか、
そういったものは目で見ていても我々にもなんか感じ取れるような気迫がありますし、
それはなかなかすごいものだなというふうに思います。
田中臨選手の覚悟と死と生のメタファー
それを裏付けるのがですね、彼女の覚悟にあるんじゃないかなと僕は考えているんですよね。
彼女は実は読書家ということは結構有名なんですけれども、
パリオリンピックの前にご自身でコラムを書かれていたんですよね。
アンサーというウェブ媒体で6回に分けてコラムを書かれていて、
その中でパリオリンピックに向けたいろんな心の動きをセキュララに告白しているわけです。
その中身だったり、彼女自身がインスタグラムにレース前とレース後に長文でありのままの自分の感情を綴っているんですけれども、
それがまたすごくてですね。
ちょっとインスタグラムの抜粋をちょっとさせていただきながら読みますと、
目が覚めて努力と居場所を見つめ直し、自分を認められるようになった。
生まれてくる前のような安心感に頼りたい、このまま死んでもいいと思った。
その安心感を裏付けたものは自分自身と他者の存在そのものであることを忘れていた。
満足したら最後、結局自らも他者も幻のまま終わってしまう。
ちょっと分かるような分からないような哲学的な表現なので、
彼女の本当に矛盾した感情だったり、言葉にならない言葉を上手く自分の中で言語化されて、
エッセイのような形で書かれたのかなというふうに想像しますし、
何より僕は印象的だったのがですね、やっぱり生と死というメタファーを彼女はものすごく使っているんですよね。
そのパリオリンピックに出る前のコラムだったり、このインスタグラム。
レース後のインスタグラムのタイトルが死人に口なしなのになんですよ。
ものすごくないですか、この自分はもう死んでいるも同然なのだと。
なぜなら良い結果が出せなかった、自分が満足する結果が出せなかったから、
それはもう死んだも同然なのだ、戦地に赴いたのだ、私はというような覚悟を感じます。
まさに武士のようだなというふうに思うんですよね。
武士というと武士のあり方を説いた葉隠れという山本城長さんが書かれた本がありますけれども、
その中で有名な一節が、武士道とは死ぬことと見つけたりという一節がありますけれども、
それはどういう意味かというと、死を見つめることによって我々は生に執着してしまうだろうと。
楽しいこと、楽なこと、そういう方向に行きたいと思う。
それは生に行きたいという気持ちがあるということ。
それは死を見つめるから生に執着する。
その生に執着する自分を見つめた上で積極的にそれを手放して死に向かうべしという、
そういう解釈を僕はしているんですけれども、
つまりフローとしては死を見つめて生を認識して積極的にそれを手放して死に行く、
それぐらいの覚悟を持つべしみたいなことだなというふうに思っているんですけれども、
まさに田中望文選手はそういうメタファーを使いながら、
物資として死を見つめることで積極的に自分は生きるんだというところを見つめながらも、
最終的にレースの中ではそこはもう戦地にもむくような気持ちで望むんだということで、
死を選ぶというところのフローを僕は感じたという話ですね。
これはちょっと語弊がある言い方かもしれないんですけれども、
田中望文選手は言語化能力に優れているからそういうメタファーを使い、
そういう表現を使ったんですけれども、
全てのアスリートにやっぱりそういうフローを行くような心の覚悟のあり方みたいなものはあるのかなというふうに感じています。
それはコーチだったりトレーナーだったりチームの代表として行く覚悟、
日の丸を背負う覚悟、
名だたる競合、世界の競合と戦う覚悟、
そういうことをひっくるめて、やっぱり並大抵の覚悟では戦えないということなんですよね。
そしてその覚悟を持って最終的にこの舞台を楽しもうという気持ちになって、
陽気になれる、笑顔あふれる。
なんかそこのいろんな通ってきたフローがあった上での笑顔というところがあるんだろうなぁと、
元アスリートとしては想像したりします。
とても僕には想像がつかない部分ではあるんですが、きっとそうなんだろうなぁというふうに思ったりします。
だから何が言いたいかというと、やっぱりそれは本当に大変なことだと思うから、
それは本当にお疲れ様でしたと言いたいなぁと個人的には思っています。
それに加えて話すなら、この経験というのはなかなかできない経験だと思うんですよね。
日の丸を背負う経験というのは。
それを次の人生にどう活かすのか、どう活かせられるのかというところは本人にかかっているんだろうなというふうには思ったりするんですよね。
というわけで今回はパリオリンピックの話と、田中臨海選手の言葉から考えたこと、思ったことをお話していきました。
最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。