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2024-01-04 18:55

#12 村上春樹の踊りのメタファーを読み解く

村上春樹が踊りのメタファーに込めた想いとは/多面性のある自分を認める/まず、ちゃんと聴く。/ダンス・ダンス・ダンス #村上春樹
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、朝ごはん射食、昼ごはん射食、夜ごはん射食、です。
さて今回はですね、村上春樹さんの小説の中に出てくる、踊りのメタファーを自分なりに読み解く、という回をしていきたいと思います。
まあ、いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれないんですけれども、僕は村上春樹さんの小説が好きでですね、
おそらく、翻訳本を除けば全ての小説は読んでいるんじゃないかなと思っています。
そして村上春樹さんの小説の中で、踊りというメタファーがたくさん出てくるんですよね。
例えば、ダンスダンスダンスという小説があります。
タイトルにもある通り、踊りが物語のキーになっていくものです。
それ以外にも、神の子供たちは皆踊るとか、踊る小人とか、そういう短編小説があったりします。
まあ、いずれもですね、現実と非現実を行き来しながら、主人公が突然踊り出すことによって何か展開が生まれたり、
あるいは主要人物から、君は踊るんだよっていうメッセージを受け取って、何か物語が展開していく。
これだけ聞くと、何のこっちゃと、読んでない方にとっては何のこっちゃと思われるかもしれないんですけれども、
とにかくその踊りっていうのが、メタファーとして機能している小説がいくつかあるんですよね。
そして僕はその小説を読んだ時に、
うまく言語化できないんだけれども、そうか、僕も踊ればいいんだっていう風に思ったことを覚えてます。
ただそこがうまく言語化できていなかったんですよね、当時は。
踊ればいいんだ。
なんか無条件にそういうふうに思ったんだけれども、
それはなんていうか、体を動かし続ければいいとか、
立ち止まらないで、物理的に行動し続けることが大事だ、
といったメッセージとはちょっと思えないかったんですよね。
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もっと心の深い部分で何か、そうですね、踊るような部分があるんじゃないかなっていうのは分かっていたんだけれども、それがうまく言語化できていない。
そして最近になってですね、とある本を読んで、この踊りっていうメタファーがどういう意味合いをもたらしているのかっていうのが、
なんとなく自分の中で理解できたような気がしていて、
それを今回は頑張ってご紹介していきたいと思います。
まずその踊りの意味がわかった、きっかけになった本というのをご紹介していきたいと思うんですけれども、
その本はですね、桜井翔さんが書かれたまずちゃんと聞くという本です。
この本はタイトルにもある通り、聞き方だったり伝え方を書かれたビジネス書です。
その本の中の一節に僕自身がハッとさせられる部分があったので、そこをまずご紹介していきたいと思います。
それはですね、平野圭一郎さんが提唱されている文人主義を桜井さんが、著者である桜井さんがですね、
さらにこういう考え方があるよっていうふうにご紹介した部分だったんですよね。
まず文人主義っていうのは、中心に一つだけ本当の自分があると認めるのではなくて、
複数の人格すべてを本当の自分だと捉えるという考え方なんですよね。
例えばダイエットをしたい自分とお菓子を食べたい自分っていうのは両方本当の自分なんだと。
例えば部下を信じて任せたい自分と細かく部下の進捗を管理したい自分っていうのもどちらも本当の自分。
あるいは我慢する自分とやりたい自分っていうのもどちらも本当の自分。
平野圭一郎さんは文人主義でそういうふうな考え方を言っているわけです。
それをですね、桜井さんはまずちゃんと聞くという本の中で、さらに展開してこんなふうに言ってます。
こういった自分の中にいる複数の自分のどちらかを悪者にするのではなく、
どちらも自分を幸せにしたい肯定的意図を持つ自分として扱う。
それが大事なんだと。
肯定的意図っていうのは、
異なる意見をぶつけ合う前にお互いの意図を交換しようっていう意思をまず持つことだっていうふうに桜井さんは言ってるんですよね。
つまりさっきの例で言うと、ダイエットをしたい自分とお菓子を食べたい自分っていうののまず意図を交換しようじゃないかと。
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ダイエットをしたい自分っていうのは、スタイルを良くしたいとか健康になりたいっていうまずそういう意図があるだろうと。
一方でお菓子を食べたい自分っていうのは日頃のストレスを発散したい自分もいるだろうと。
目の前にお菓子があってこの欲求に耐えがたい自分もいるだろうと。
つまりその自分を全部認めてあげようっていうふうに桜井さんは言ってるんですよね。
そういう意図を持つ自分として扱うと。
そういう自分の中にいる表面的に対立、葛藤、矛盾する複数の自分のことを多面性と言うと桜井さんは言ってるわけです。
自分の中にあるいろんな多面性を認めてそれぞれを大切にする。
つまりそれぞれの肯定的意図を自分自身がちゃんと聞く。
そうするとそれぞれの自分の違いを生かし合って補い合う選択ができるようになるというふうに言っておられたんです。
肯定的意図っていう言葉がちょっと難しいかもしれないんですけど、それはぜひ本を読んでいただいて。
とにかく異なる自分をまず認め合うっていうことが、その多様性を理解する上でも自分の心をコントロールする上でも大事だよというような話をされているんですよね。
なんでそれが村上春樹さんの踊りのメタファーにつながるのかっていうのは思われたかもしれないんですが、
僕自身としてはそこは点と点が線につながったように感じたんですよね。
僕自身としては村上春樹さんの小説っていうのは心を描いた作品だったり精神世界を描いた作品っていうのはほとんどだと思っていて、
つまりその小説に出てくる登場人物っていうのは、
ある種いろんな人の精神世界の中の一人を描いていると。
言ってしまえば村上春樹さんの中の文人みたいなものを描いているんだろうなと思っているわけです。
それは表面的な例えば家族に見せる顔、友達に見せる顔、上司に見せる顔といったペルソナという意味だけではなくて、
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もっとなんていうかな、ドロドロとした自分の深い部分にある動物的な感情を持つ自分。
そしてそれを抑え込もうとする理性的な自分というような、いろんな自分を含めて登場人物の中にそれを落とし込んでいるっていう側面があると思うんですよね。
そういう自分っていうのは、2、3人じゃなくて数十人かもしくは数百人いるのかもしれない。
で、それをある種人格を持たせた登場人物に落とし込んでいるっていうのがまあ小説では描かれていると僕は認識しているんですよね。
それでまずちゃんと聞くの中の一節が僕の中で繋がったわけです。
それは桜井さんは全ての文人に肯定的な意図がある。
だから自分の中の多面性をまず認めてそれぞれを大切にしてあげることが重要なんだと。
自分の中の多面性を認めてあげるから相手の中の多面性を認めることができるんだと言っておられて、
それは確かにその通りだと思うと。
でもそれって言われてもなかなか難しいことだなぁって思うんです。
まず自分の中の複数の自分っていうのもなかなかこう意識しづらい部分ではありますよね。
まあなので小説の中の登場人物に自分自身を投影することによって自分の中の自分に気づく。
まあちょっとなんかよくわからないこと言い出したぞと思われたかもしれないんですけど、
そういう側面ってあるよなって思うんです。
そこでやっと踊りに結びつくんですけれども、
この小説の中で村上春樹さんは踊りのメタファーによって
登場人物がある種何か行動をし続けるきっかけを得るんですよね。
それは何というか、ちょっとしたきっかけで、
その人物がダークサイドに落ちてしまいそうな場面で、
踊りをきっかけに現実世界に浮上していく。
あるいはちょっとチンプな言葉で言えば救いを得るみたいな描き方をされるわけです。
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そこで踊りというメタファーと一緒に必ず描かれるのが繋がりっていう部分なんですよね。
繋がりっていうのは、先ほどの多面性のある自分っていう部分と繋がるなぁと僕は思っていて、
つまりそのダークサイドに落ちそうな自分と、
そうじゃない自分をつなげてくれるのが踊りなんじゃないかなと思うんですよね。
まあちょっとよくわからないなと思われるかもしれないんですけど、
踊りっていうのは音楽に合わせて踊るじゃないですか。
なので精神世界がダンスホールなんだと。
その中でいろんな複数の自分がいて、
それぞれ勝手に行動していると。
ダークサイドに落ちそうな自分もいれば、表面的な地上に近い自分もいると。
だけれどもそこで音楽が鳴り出して、
それぞれが自由に踊り出すことによって、
踊りということを通じて精神世界の自分たちが繋がる。
そこで全員が共通認識を得るみたいな部分ってあるよなと思うんですよね。
そこでようやく自分というものが一つになって、
なんていうかな、救いを得るっていうか。
その救いがなければ、複数いる自分のうちの一人が死んでしまう。
みたいなことってあるんじゃないかなと思っていて。
だからその踊りというメタファーを通じて、
自分自身を取り戻すんだっていうのは、
ああそういうことなんだっていうことで、
僕の中では気づかされた部分だったんですよね。
まあとはいっても何というか、
抽象的な話ばっかりしているので、
最後に村上春樹さんの小説の中の、
ダンスダンスダンスの一節をご紹介して終わろうと思います。
そもそもそのダンスダンスダンスっていうのはどういう小説なのかっていうと、
初期三部作の続編にあたる小説なんですよね。
初期三部作っていうのは、
風の歌を聴け1973年のピンボール羊を巡る冒険っていう三部作。
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それを経て主人公の僕が、
昔の知り合いである女の子に会うために旅をする。
その過程で羊男という登場人物に会って、
踊るんだよ、君は踊るんだっていうメッセージを投げかけられて、
ある種こう自分を取り戻しながら、
また旅を続けるっていうような話なんですけど、
そのあらすじを聞いてもなんのこっちゃって感じですよね。
まあとにかくその羊男に踊るんだよという言葉を投げかけられて、
この物語は大きく展開していくんですよね。
その部分を、まあちょっと朗読という形でご紹介していきたいと思います。
一度足が止まったら、もうオイラには何ともしてあげられなくなってしまう。
あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。
永遠になくなってしまうんだよ。
そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。
どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。
だから足を止めちゃいけない。
どれだけバカバカしく思えてもそんなこと気にしちゃいけない。
きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。
そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。
まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。
使えるものは全部使うんだよ。
ベストを尽くすんだよ。
怖がることは何もない。
あんたは確かに疲れている。
疲れて怯えている。
誰にでもそういう時がある。
何もかもが間違っているように感じられるんだ。
だから足が止まってしまう。
でも踊るしかないんだよ。
それもとびきりうまく踊るんだ。
みんなが感心するぐらいに。
そうすればおいらもあんたのことを手伝ってあげられるかもしれない。
だから踊るんだよ。音楽の続く限り。
はい。いかがだったでしょうか。
まあつまり僕たちは異なる文人を持ちながら
ある種こうダークサイドに落ちそうになった時には
心の中でその文人たちに音楽を流してあげて
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その文人たちが心の中で踊り続ける。
それが大事なんだと。
物理的に行動し続けるっていうことではなくて
心の中で文人たちが踊り続ける。
なので僕もね
まあ踊り続けていきたいなと思います。
まあちょっとよくわからなかったと思われるかもしれないですが
まあちょっと僕の言語化能力ではちょっとこれが精一杯ということで
まあよくわからない話をしているなと思っていただければ
まあいいかなと思います。
はい。というわけで今回はありがとうございました。
ではまた。
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