1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #66 孤独はドーナツの穴のように
2024-05-20 09:16

#66 孤独はドーナツの穴のように

経営者の孤独/土門蘭
羊をめぐる冒険/村上春樹
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サマリー

絶望カフカの何者かになりたいラジオは、元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお届けする番組です。

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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望はボキサンキューです。
ドモン・ランさんによる経営者の孤独の表現
さて今回はですね、ドモン・ランさんが書かれた、経営者の孤独についてお話していきたいと思います。
VCパーソナリティでもあるドモン・ランさん。
数々の経営者の方々にインタビューをして、
あなたにとって孤独って何ですか?
という質問を投げかけている本になります。
そしてそのインタビューをしていく中で、
ドモンさんの中で孤独って何だっけ?っていうことを言語化されている本なんですよね。
僕この本すごい好きでいいなぁと思っていて、
なんとなくこのインタビューを終えた後にドモンさんがコラム的に私はこんな風に思ったっていう文章を書かれているんですけれども、
そのインタビューを読んでいる最中にも、
このインタビューを経てドモンさんはどんなことを考えているんだろう?ということが楽しみになってくる。
なんかそんな本の作りになっていて、とっても面白かったです。
具体的にその経営者の方々が孤独をどんな風に表現されているかっていうと、
例えばある経営者は孤独を否定的には捉えていないけど寂しくなるのは嫌なんです。
だから寂しくならないように何とかやり過ごして生きている。そんな風におっしゃってます。
そしてとはいえストイックに経営をしていかなければならないというところで、
ジョギングして適当に発散をしながら悩んで疲れ続ける人生でも別に悪くなくないって思いながら経営者としてお仕事されている。
あるいは会社の飲み会で残業代を請求されてしまったっていう経験があって、
気持ちが折れちゃいそうになったけれども、そんなこんなでいろんなことがあって散々今まで気持ちが折れてきたので、
今はもうその境地を越えてこんな感じかなって思っている。
そして普段から人に期待しないようにしている。そんな境地にたどり着いているって言っている方もいらっしゃいました。
あとは孤独と引き換えに自分のアイデアを世の中へ送り出すことができているという方がいたり、
経営者というのは、社員とどんなコミュニケーションを取ったとしても、やっぱりそれはプライベートには絶対になり得ないから、
どんなことをしてもやっぱり孤独から逃れられない。そんなふうに話している方もいました。
そんな中ですね、ある一人の経営者の言葉が、なんか僕はすごく刺さったというか、あ、そうなんだと思ったんですよね。
心の穴とドーナッツの比喩
それはキャンプファイヤーという会社を経営されている家入さんなんですね。
家入さんが孤独をどんなふうに捉えられているというとですね、
家入さんは経営者に限らず全ての人は心に穴が空いているっていう表現をされていたんですよね。
その穴っていうのがいろんな形や大きさがあって、その穴を埋めてくれるんじゃないかっていうものを見つけては、
でも結局埋まらなかったなって時に人は寂しくなる。そんなふうに言ってるんですよね。
例えばパートナーであれ仕事であれ、あるいはお酒、麻薬、宗教であれ、
その穴を何かで埋めようとしている限りは寂しさを感じざるを得ない。
そして僕はその穴というのを認識しているから、なんとなく寂しさというものは感じづらいんだ、そんなふうなお話をされていたんです。
それに対してドモンさんは、その言葉にハッとしました。
数々インタビューをする中でいろんな経営者の孤独の穴を触れることによって、
なんとなく自分の孤独の穴も見えてきたような気がします。そんなふうに書かれていました。
なんかこの穴と聞いて僕はドーナッツだなって思ったんですね。
というのも村上春樹さんがですね、小説の中でドーナッツの比喩をよく使うんです。
それはまさに心の穴、穴というのは無の比喩ですよね。何もないという比喩。
それをドーナッツで表現しているんだろうなってことに僕の中では繋がったんですね。
つまり何が言いたいかというと、やっぱり我々ってそのドーナッツの穴じゃない部分ばっかりを見ようとするじゃないですか。
そしてその穴に当てはまるものは何だろうってことばっかりを考えてしまう。
さっきも言ったようにそれはパートナーだったり仕事だったり、自分に何かある役割だったり。
あるいは満たしてくれる存在ですよね。お仕方だったり、それが食べ物だったりするかもしれない。
でもやっぱりその穴っていうのも自分なんだ。
そうやってメタ認知をするっていうことがドーナッツっていう比喩を通して何となくありありとわかってくるっていうことなのかなって思ったんですよね。
村上春樹さんは羊を巡る冒険の中でこんな風に言ってます。
というか主人公がこんな風に言ってます。
ドーナッツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかはあくまで形状的な問題であって、
それでドーナッツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。
形状的というのがちょっと難しいんですけれども、感覚的と言い換えてもいいかもしれません。
なのでドーナッツの味は変わらないっていうことなんですよね。
穴がどんなに大きいと思ったとしても、
ドーナッツの味自体は変わらない。
我々の心っていうのは変わらないってことなのかなって僕は思いました。
なんかやっぱりさっきも言った通り、
ドーナッツの穴があまりにも大きい。
だからそこに入る何かっていうのを我々はどうしても探してしまう。
あるいはその穴が大きい欠損した自分っていうもの、
欠損した心の形というものを我々は認識しがち。
でもちょっと俯瞰をして自分に空いている穴の形、
まあドーナッツそのものも自分自身なんだって思える。
そうやって認識する。
そしてその穴は無理に埋めようとしなくていい。
なんならその穴から、
もしかしたら自分の何かが生まれてくるのかもしれない。
そんな風に思えるってちょっと素敵なアイディアだなっていう風に思ったんですよね。
皆さんは自分の心のドーナッツ、
心の穴どんな形をされているとイメージされますか。
というわけで今回はお聞きくださりありがとうございました。
ではまた。
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