1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #91 半身と全身全霊のあいだ
2024-07-29 11:02

#91 半身と全身全霊のあいだ

なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆
物語思考/けんすう
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サマリー

この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りしています。最近の絶望は気がついたら溶けているアイスです。今回は、半身と全身全霊のあいだというお話をしています。

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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と 些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は気がついたら溶けてるアイスです。 さて今回はですね、半身と全身全霊のあいだというお話をしていきたいと思います。
半身と全身全霊の間
半身というのは、以前このスタイフや直近のブック沼ラジオでもお話した、 なぜ働いていると本が読めなくなるのか、という本に出てきた考え方です。
その半身というのは、現代の我々は働きすぎだと、 労働に対して全身全霊で挑みすぎているから、本が読めなくなっている、そういう余裕がなくなっている。
そうではなくて、労働を半身で行うことによって 余裕ができた、もう半身、もう半分の自分で、
積極的にノイズとしての読書をすることで、それが自分の人生を豊かにする。 そしてそれが回り回って自分の労働にも役に立つ。
そんな考え方があるんですけれども、その半身っていいよねっていう話を、 ブック沼ラジオでも、僕のスタイフでもしてきたわけです。
なんですけれども、僕自身ですね、コンさんやオカさんと話していく中で、 なんか僕自身がそもそも半身ではないのではないかっていう形で、
ぐるぐると考えているんですね。 つまり全身全霊人間だと、僕自身は思えてきたんですよね。
だからそこに対してちょっと改めて考えてみましたので、 今回はそのお話をしていきたいと思います。
というのもですね、僕自身のおそらく元アスリートとしての固定概念としてですね、
全身全霊で挑む中でこそ生まれ生まれる、得られるものがある。 そういうものが僕の根底にあるんだと思うんですよね。
それはコンさんやオカさんと話していく中で気づきました。 具体的に言うとですね、
労働というものが全身全霊で挑むことによって時短になるからこその残った時間で本が読める。
そして本を読むのも全身全霊で読むことによって得られるものがある。 何かを体験した時にも全身全霊で楽しんで、
全身全霊で言語化することによって何か得られるものがある。 なんかそんな考え方があるなぁと僕自身は思っています。
まあ自分で話しててものすごいマッチョなマッチョなやつだなぁと思ったりはするんですが、 でもやっぱりそれが自分だなぁというふうにも改めて思ったんですよね。
皆さんは労働に対して反味で挑まれていますか?それとも全身全霊で挑まれていますか?
これを考える時にですね、どうやったって反味と全身全霊の定義が人それぞれ違うよなっていうふうに思うんです。
それが時間なのか価値観なのか、 あるいはその集中力なのか、
まあ当事者意識みたいなものなのか。 人それぞれイメージがあるし、ケースバイケースによって違うのかなっていうふうにも思うんですよね。
考え出すとキリがないなぁって個人的には思ったりしてます。 でも今回ちょっと考えてみたんですよね。
一つの補助線として、 良い悪いという軸を引いた時にですね、
マトリックス図として良い反味、良い全身全霊、悪い反味、悪い全身全霊という4省元ができると思うんです。
で、自分がイメージする良い反味と良い全身全霊って何だろう。 悪い反味と悪い全身全霊って何だろうっていうことから考えようと思いました。
そうした時にですね、まず悪い方から考えると、悪い反味というのは、 まあ仕事に対して中途半端というか、その場にはまあ自分自身がこう
コミットしていないようなイメージなんですよね。 そして悪い全身全霊はコミットしすぎているから、
まあどこか体に、精神に異常をきたしてしまう、そんなイメージが僕の中ではありました。 一方で良い反味というのは本当に肩の力が抜けていて
本を読むような余裕もあるし、まあ仕事でも成果を出している。 そんなイメージが湧きました。
良い全身全霊というのも、 その時は血まなこで目一杯一生懸命にやっているんだけれども、
なんかどこか清々しいというか、 良い疲労感みたいなものが残る。
そんな良い全身全霊のイメージが湧きました。 ものすごく抽象的にお話していますが、これってやっぱり抽象的にしか捉えられないよなぁって思うんです。
良い反味と良い全身全霊
ある種この良い悪いを分けるのは、終わった後の自分の状態というか、結果論のような部分ってある気がするんです。
ということを考えた時に、 じゃあその良いと悪いを仮に分けるとしてどうしたらいいんだろうなぁって思っていた時にですね、
一冊の本が浮かんだんです。 それがケンスーさんが書かれた物語志向という本ですね。
この本は自分自身というキャラクターを作って、それをキャリアプランの中で自分が動かしておく。
そうすればどんな未来が来たとしても対応できるであろうというケンスーさんの提案がされているわけですね。
非常に面白かったんですけれども、 そのキャラを作っておくメリットとしてケンスーさんは客観的になれるっていうふうに言ってるんですよね。
つまり、我々のキャリアみたいなものをゲームのRPGのようなものに捉えて、
その中で動いているこのキャラクター、自分というキャラクター、例えばカフカというキャラクターが何か困難に直面した時に、カフカというキャラだったらどういうふうに動くだろうか。
こういうふうに乗り越えるだろうなということで行動する、認知をする。 そういうふうにある人事として考えるのは精神遠征上すごく楽だし、
勇気を持って行動しやすい。そんなことが書かれているわけです。 これがハンミと全身全霊にどう繋がるかというとですね、まさにこの
キャラクターの思考というのが、ハンミの考え方そのものですし、 ある種これは全身全霊でも当てはまるなというふうに思ったんですよね。
つまりこのキャラだったら全身全霊でこう動くだろうなっていうのを客観する もう一人の自分がいる状態、これが良い全身全霊なのではないかって僕は思ったんですよね。
つまりどういうことかというとですね、 カフカというアスリートがいたとしたら、この機関はアスリートとして
全身全霊で取り組むのがカフカのキャラクターなんだということを僕が思っていて そのカフカがアスリートを全身全霊でやるわけです。
そうしておけば カフカは全身全霊で取り組む存在なんだけれども、それを眺める自分は
おそらく本が読むような 余裕が出てくるし、ある種それは反味の状態になれるということなんだろうなぁと思うんですよね。
ちょっと矛盾してますけれども、良い全身全霊は良い反味であるっていうことなんですよね。
悪い全身全霊とキャラクターのアイデンティティ
だからひるがえってですね、悪い全身全霊とは何かというとですね、
自分はこの道、この物語しかないと思い込んでしまって 全身全霊で取り組んでいる状態を悪い全身全霊というのではないかなというふうに僕は解釈しました。
そうするとやっぱりノイズである読書は受け入れられなくなってくるじゃないですか。
なぜならその道しかないから。 だから僕はですね、その自分のキャラクターは全身全霊で動かしたいなっていうふうに思うんですよね。
で、その中でやっぱり得られるものっていうのはあるよなっていうふうに思うんです。 皆さんはどう思いますか?その全身全霊で動かせるキャラクターいらっしゃいますか?
これは別にビジネスに限らず、例えば何かプライベートなプロジェクトみたいなところでもいいですし、趣味でもいいですし、
そこに全身全霊で取り組むキャラクターみたいなものがあった方が僕はより豊かな人生になるんじゃないかなというふうに思うんです。
その上でやっぱそれを客観する自分自身がいる。 だから大きく捉えるとそれは半身の状態である。
なんかそれが理想的な状態なのかなっていうふうに改めて思った。 というかこの話をブックマラジオですればよかったと今は思っています。
はい。 というわけで今回は
半身と全身全霊の間というお話をしていきました。 最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。
11:02

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