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2024-02-18 15:13

#35 愚か者の孤独の価値と、その深みについて

「スマホ時代の哲学」谷川嘉浩
「沈黙」村上春樹

我々は愚か者なのかもしれない/でも孤独に耐える時間を持つと、少しは深みを理解できるのかもしれない/
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ。この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と、些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は月曜日です。さて今回はですね、愚か者の孤独の価値と、その深みについて、というタイトルでお話していきたいと思います。
皆さんは、孤独についてどんなふうにお考えでしょうか。 また孤独を今感じていらっしゃるでしょうか。
僕はこの孤独というテーマと、孤独に伴う深みみたいなことをぐるぐると考えることがあるんですよね。
そしてこの孤独というのは、まあ一生つきまとう問題だなというふうにも思っています。 というわけで早速お話していきたいと思うんですが、まず孤独という言葉の定義について、
とある本の中の引用から補助線を引いてですね、孤独という言葉を定義していきたいなと思っています。
それは谷川よしひろさんが書かれたスマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険というご本になります。
この本僕すごい好きでですね、たまに読み返すんですけれども、その中でハンナ・アーレントという哲学者の言葉が引用されてるんですね。
アーレントは一人であることを3つの様式に分けて言っているそうなんですね。 それが孤立、孤独、寂しさの3つです。
この補助線を引けば多少孤独という言葉の解像度が上がるのかなというふうに谷川さんはおっしゃっているんですよね。
ではこの孤立、孤独、寂しさがどういう意味かをこれからご紹介していきたいなと思います。
まず、孤立というのは他の人との繋がりが絶たれた状態を孤立というと、そして孤独というのは沈黙のうちに自らと共にあるという存在のあり方とおっしゃっていると。
ちょっとわかりづらい部分はあるかなと思うんですけれども、谷川さんはそれを噛み砕いて自分に起こる全てのことについて自分と対話をする
思考そのものというふうにおっしゃっています。 つまり自分に起こることについて自己対話をする思考のことを孤独というふうに言ってるんですね。
つまり人から話しかけられたり余計な刺激が入ったりすると自己との対話をする孤独な時間が中断されてしまう。
なので孤立、一人になる時間を持ち自己との対話をする孤独の持つというふうに谷川さんおっしゃっていると。
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それと寂しさというのは別問題であるとハナーレンとは言っていると。 寂しさというのは
必ずしも孤立していなくても感じるものなんだと。 例えばSNSでつながっているのにもかかわらず寂しさを感じるということもあるのかなというふうに思います。
つまり孤立していなくても寂しさは感じるというふうに言ってるんですよね。 そして今回の主題である孤独というのは
一人で自己との対話をする時間、それが孤独であるというふうに言ってるんですよね。
一旦この補助線を引いた上で孤独の時間、皆さんはお持ちでしょうか。 僕はこの孤独の時間すごく大事だなぁと思っています。
走っている時なんかは本当に一人の時間ですし、他に何もできないというところもあって、孤独な時間を過ごしているなというふうに思ったりするんですよね。
そしてもっと深い意味での孤独という部分の時間を過ごすということが
僕らの人にとってある種深みのようなものを生み出しているんじゃないかなというふうに思うんですよね。
だからこのタイトルにもあるように孤独がある種人の深みのような部分を生み出すんじゃないかなって僕は感じています。
ではタイトルにある愚か者というのはどういう意味かというのをもうちょっと引用してお話していきたいなと思っています。
引用は同じくですね、スマホ時代の哲学から。 哲学者のオルテガはこんなふうに言ってるんですよね。
愚か者は自らを疑うことをしない。 自分を分別豊かな人間だと思っている。
己の愚かさに居直っているので羨ましいほど落ち着き払っている。 どうでしょうか。
この愚か者という自ら疑うことをしない人をとても皮肉っているんですよね。
まあそしてこの愚か者とは私たち現代人のことでもあるよなというふうに思います。
そういうふうに谷川さんもおっしゃっています。 現代社会では誰しもが迷っているはず。
だけど私たちは自分が迷っていることを認めない傾向にあるんだと。 だからまずは迷って取り乱している自分を認識することから始めなければなりません。
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と谷川さんはおっしゃっているんですよね。 なんか僕この言葉を聞いた時にすごく耳が痛いなぁと思う一方で
やっぱり本来こうあるべきだよなっていうふうに思ったことを思い出したんですよね。 だから私たちは
すぐに自己完結しようとする愚か者ではありつつも 孤独の時間を大事にして
深みを生み出していく。そんなことができたらいいのかなというふうにも思うんですよね。
皆さんはどうでしょうか。 孤独の時間、自らを疑う時間
そんな時間ってお持ちでしょうか。 なんかね僕はこう長らくスポーツの現場にいたので
自らを疑うことの重要さというのが
まあそうね、できてる人とできていない人がいるよなーっていうのは常々感じているし できていない人に対しては僕自身の認識で言うと
深みのようなものは感じないかもしれないっていうふうに思ったりするんですよね。 それをまあ具体的なエピソードは上げられないんですけれども
例えばですね 今までずっとAとBという選択肢があった時にずっとAという選択肢を信じ切っていたと
でそれでうまくいかなかった時に うん、Aはダメだ。だからBという選択肢で行こう
Bを信じ切ろう っていうふうに言い直ってまあそれを信じ切ってやる
確かにその信じ切るという気持ちは大事なんだけれども 今までずっとAという道を信じ切っていた自分は無視するのか
というと僕はちょっとそこにはハテナがあって その取り乱す自分を認めてもいいんじゃないのかなっていうふうにも思うんですよね
今までAを信じていた自分は何だったのか 何で信じていたのか
もしかしたらAとBという選択がずっとあったということを ちゃんと考えればよかったんじゃないか
そうすればあるいはCという選択肢が正しいのではないか なんかそんなことをぐるぐると考え続けることで
なんとなく深みのようなものが生まれるのかなぁと思うし やっぱりそれを考える時間っていうのは孤独な時間なんですよね
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すごく抽象的にぼやかしながらお話しているので わかりづらいお話かなぁとも思うんですけれども
この孤独と深みという言葉を考えながら僕は
ある一つの小説にまた着想的にたどり着いたんですよね それもこれからまたご紹介していきたいなと思います
それは村上春樹さんの沈黙という小説です この沈黙僕はすごく好きな小説短編小説でですね
その話もいつかどこかでしたいなぁとは思っているんですけれども 今回はまあ趣旨とずれてしまうので軽く触れる程度でご紹介していきたいなと思います
ある男が主観的なストーリーを語っていくというお話なんですね そしてその男が学生時代にいじみを受けていた経験について
告白をするというお話なんですよね その中で男はボクシングを通じて深みを理解した
もしくはボクシングを通じて深みのある人間を見分けられるようになったというような お話をしているんですよね
まあ話その小説について話すと長くなってしまうのでここであるその男のですね ある言葉をご紹介していきます
グラブをつけてリングに立っていると時々自分が深い穴の底にいるみたいな気がします ものすごい深い穴なんです
誰も見えないし誰からも見えないくらい深いんです その中で僕は暗闇を相手に戦っているんです
孤独ですでも悲しくないんです と言っているんですね
まあこの一文を読んだ時になんとなく分かるような分からないような気持ちになったのを 覚えています
僕もスポーツをやっていたのでボクシングというのもなんとなく理解できるような気がするん ですよね
まあ相手がいるスポーツではありながらもう うまくいくかわからないどうなるかわからない
その中で ただひたすら反復運動を繰り返していく
それはすごく孤独な時間であり孤立する時間である でも何かずっと自己の肉体と対話をしている
そんな 時間
よくわからない ものに向かっている時間
その混沌をずっと抱え続けている時間がある というのはなんとなく通ずる部分があるような気がしていて
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僕は理解できるような気がしました そしてその物語の後半に
いじめられた相手に対してこんな風に言葉を綴っていくんですよね 体の奥底から沸き上がってくるようなあの静かな震えを
この男はきっと死ぬまで感じることはないのだろう ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです
何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません 僕が言いたいのはその深みというものの存在を理解する能力があるかないか
ということです でも彼らにはそれさえもないのです
それは虚しい平板な人生です どれだけ他人の目を惹こうと表面で勝ち誇ろうとそこには何もありません
と言ってるんですね この一文を読んでも何かこう深みのある人と深みのない人
まあこれはね 小説の中の登場人物の一人の言葉でもあるので
くっきりと深みがある人ない人と分けられるわけではないと思います でも
何か孤独な時間を過ごすよくわからないものに向かって淡々と自分の中で 対話をする時間それは
楽しい時間とは言えないのかもしれない いやむしろ苦しくて
うーん 何て言うんだろうなぁ
虚しい結果に終わるかもしれない でも
そういう時間を過ごした人間というのは 深みがあるような気がするし
少なくとも自分が深みがあるとは言えないですが 深みがある人間がわかるという意味では
もしかしたらそこのレベルには達しているのかもしれない なんてちょっと思ったんですよね
だから我々は愚か者ではありつつも 孤独を孤独の時間を過ごすことで少しは深みを理解できるのかもしれない
まあそんなことをぐるぐる考えながら思った次第です というわけで今回は
愚か者の孤独の価値とその深みについてお話していきました 皆さんはどういうふうに思いましたか
孤独な時間 持っていきましょう
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はいというわけで今回は最後までお聞きくださりありがとうございました ではまた
15:13

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