1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #75 劣等感を原動力に。
2024-06-08 09:05

#75 劣等感を原動力に。

嫌われる勇気/古賀史健・岸見一郎
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5fc03020c646546590d81677
00:05
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望はなかなか本題に移らない学習相談会です。さて今回はですね、劣等感やコンプレックスの話をしていきたいと思います。
というのもですね、先日ボイシーパソナリティでもある大手町のランダムウォーカーさんととあることがきっかけで60分対談をしたんですよね。
まあちょっとアーカイブは残ってないんですが、僕の幻覚幻聴でなければ確かに大手町さんと60分お話ししたんですよね。
でその中で、やっぱコンプレックスって原動力になるよねっていう話を大手町さんがされていたんです。
で、まあ本当その通りだなぁと思いながら、僕はある1冊の本を思い浮かべながらその話を聞いていたんですよね。
でその話を今回はしていきたいと思います。
まずその放送というか対談で何を話したかっていうのは、それを聞いた人のお楽しみということで、その内容については細かく触れないんですけれども。
僕は1冊何の本を思い浮かべたかというとですね。
嫌われる勇気ですね。
一時期とても流行りましたよね。
岸見一郎さんと小川文武さんが書かれたアドラーの教えをわかりやすく対話形式で書かれた本になります。
アドラーっていうのは劣等感という言葉を初めて作り出したというかそういう概念を作り出した人で
心理学の三大巨頭と呼ばれるフロイトとかユングに並ぶ心理学者と言われていますね。
そしてコンプレックスっていう言葉自体はもっと昔からあった言葉だそうです。
そしてフロイトとかユングもそのコンプレックスという言葉を使って
人間の心というのはどんなに複雑なのか意識と無意識の間に複雑な要素が絡み合っているということをコンプレックスと表現したんですけれども
この3人でコンプレックスという概念の意味というのは微妙に異なっていくわけです。
そしてまあ言葉の定義とかどうでもいいんですけれどもアドラーは何を劣等感としたかというとですね
人間は無力の状態から脱したいという普遍的な欲求がある。
そして人間は優越性の欲求を自然と思っている。
それは何もおかしいことではないっていう風に言ったんですよね。
03:02
つまり他者とか理想の自分を相対的に見て
自分全然できてないじゃんとかうわぁの人と比べてこんな差あるじゃんって絶望する気持ちっていうのは普通なことだと自然の欲求として持っているとアドラーは定義したんですよね。
その上でそういう劣等感があるが故に
例えば私は学歴が低いから成功できないんだよねとか
私は器量が悪いから結婚できないんだよねとか
本来何の因果関係もないことにあたかも因果関係があるように自らを納得させて
行動しないことそこで諦めてしまうことそれが劣等コンプレックスと言ったんですよね。
劣等感っていうのは相対的なに比べてしまう欲求であって
劣等コンプレックスっていうのは
そこに何らかの因果関係を自分で勝手に作り出して何の行動もしなくなってしまう状態
だから劣等コンプレックスこそが悪いんだとアドラーは言ったわけです。
皆さんは劣等感を抱きながら劣等コンプレックスの状態になっていないでしょうか?
まあいないって完全に言い切れることは難しいんじゃないかなと個人的には思ったりしますが
アドラーが言うにはその劣等コンプレックスという状態をいかになくしていくかそれが大事
そしてそのためには
課題の分離が大事だとか
肯定的な諦めをすることが大事だとか
より大きな共同体の声を聞くことが大事とか
まあいろんな現代の自己啓発法に書かれているようなことが当時からアドラーが言っているわけです
まあちょっと本題に戻って
その劣等感を抱くのは人間にとって当たり前の欲望なんだって
なかなか肯定しづらいと思うんですよね
なんか自分はどこかちょっと宅感した状態だとか思いたいじゃないですか
でもそんなことはなくて
まあ例えばそうですね
大手松さんも言われていたんですけれども
自分よりすごいレベルの高い人に会うとすごく
劣等感を抱いて絶望する
だけどその帰り道にとぼとぼと本屋に行って
06:03
本を数冊買って面白い人間になりたい
もっとレベル高くなりたいと思える
っていうことがあるみたいなんですけれども
それって健全な劣等感だなーって思うし
ある意味結構きついことだとも思うんですけど
そうやって自分の理想の状態にちょっとずつ近づくために努力をするっていうのは
すごくいいことなんじゃないかなって個人的には思います
僕自身はどうだったかというとですね
僕はアスリートだったので
しかも陸上の長距離っていう分かりやすい結果
タイムっていう指標でレベルの高い低いっていうのが
誰の目にも明らかになるっていう種目で
やっぱり劣等感っていうのは抱かざるを得ないですよね
自分よりレベルの高い選手は大勢いる
しかも年下の選手に大勢いるっていうところに
ドロドロとした欲望を感じるところはあるんですけれども
でもそこをなんとか力に変えて努力し続けたっていうのは
一つ自分にとっては誇れることかなって思ったりします
とはいえそこを直視しすぎるとね
なんかやっぱりこう
嫌な気持ちになっちゃうなっていうところもあるので
ほどほどにその劣等感を感じるっていうことは
重要なんじゃないかなって思ったりします
あとアドラはこんな風にも言ってるんですよね
困難に直面することを教えられなかった子どもたちは
あらゆる困難を避けようとするだろう
なんかこれって
劣等感を自然と抱かなかった
そしてそこに絶望しなかった子どもっていうのは
それをずっと避け続けるっていう話だと思うんですけど
そう考えるとですね
困難だらけの人生ってある意味長所なんじゃないかな
その人にとって長所なんじゃないかなって思ったりもするんですよね
いろんな劣等感を抱えているってことは
それをまた別の形に消化し続けることができる
そのプロセスを知っているっていうのは
その人にとって非常に強みなのかもしれない
そんな風にも僕は感じたんですよね
なんかこれは自己肯定を無理矢理しているようにも思えるんですけど
だから困難だらけの人生いいじゃないかって思った
そんな話でした
ぜひ皆さん健全な劣等感を抱いていきましょう
というわけで今回は以上になります
最後までお聞きくださりありがとうございました
ではまた
09:05

コメント

スクロール