1%の情熱ものがたり 海外に住んでいる日本人は日本人総数のわずかに1%
この番組では海外出身や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者 また各業界のプロフェッショナルな方々へ対談形式でインタビューをしていきます
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは。みつです。はるです。 1%の情熱物語418回です。みなさんお元気でしょうか。
元気でしょうか。
今日お話ししたいことがありまして、
GDPってよく聞くじゃん。
GNPとかGNIって聞いたことありますか。
全くないです。
俺もねあんまりよくわかったんですけど、最近その GDPよりGNPが大事だよねって言ってる方がいて、
GDPとは国内総生産ですよね。グロスドメスティックプロダクトの略ですと。
でGNPっていうのが国民総生産っていうことで、
グロスナショナルプロダクトの略らしいんですけど、
一人一人というかことですか。
そういうことなんですけど、ナショナルなので
海外にいる日本人が、もしくは日系企業が稼いだ
プロダクティビティもそこに入れるっていうことですね。
でそれの言語が多分今風じゃなかったのでGNIっていうのが国民総所得
グロスナショナルインカムになっていて、
だからプロダクト売ってない人もいますから多分インカムの方がしっくりくると思うんですけど、
収入ですよね。
国民、日本国民の総所得ですね。国民総所得。
でそれが今このグローバル社会なので、俺らもそうですけど、
海外で出てる日本人が稼いでる額もそこに入れるってことになる。
だから国内総生産GDPっていうのは日本国のプロダクティビティですけど、
GNI国民総所得ってなると海外に出て活躍してる日本人も入るっていう数え方、めっちゃ素敵やんと思って。
すごい考えたことの中で確かに。
そりゃそうだよなって思うよね。
アップルとかだってアメリカの製品、スターバックスとかもそうだけど日本で超稼いでるじゃん。
スターバーなんて日本が一番多分稼いでるらしいと思うんだけど。
それを数えないっていうのはそりゃおかしいわと思うので。
でその言葉を、言葉っていうかそういうのがあるんだなっていうのを知らなかったんですけど、
考え方として海外に出て稼ぐっていう意識をもっとナチュラルに持てるなぁと思ってこういう指標があるとね。
はい、確かに。
でちょっとなんか嬉しくなっちゃって話してみたかったっていう。
いやーちょっとお恥ずかしながら全く知らなかったです。
俺も知らなかったんだけど。
でも概念としてはわかるじゃん。そりゃそうだよなってなるじゃん。
ただやっぱ言葉があるとね、その認識がより広がりやすいっていうか、なんていうんだろうな、そこに肯定感が出てくるっていうか。
持続してるのはそこだというか、確かに。
だし、日本はね、少子化とか縮小とか言われてるけど、そんな海外に出て稼げばいいじゃんって思えれば、そりゃそれでいいことだと思うんでね。
結局日本の指標、数字みたいなの見られたんですか?
いや見てないですね。
この言葉自体を昨日なんかで見て、そうだね、それちょっと見てみよう、じゃあ。
ここで今調べるとあれだから。
そうですね、なんかGDPはちょっと低いけど、GNPがちょっと上がるとかってなるとそれが面白いですよね。
外に出て頑張ってる人がどれだけいるというか、なんかその差が見えてきそうですよね。
ただちょっとそのね、インカムタックスとかは、僕がアメリカで稼いだらアメリカで払ってるんで、
それ日本のためになってんのかっていう、批判的な意見もあるかもしれないんですけど。
それまた別の見方ですよね。
そうなんです、別の見方だと思うんですけど、ただ何かしらその日本を思って行動している海外在住日本人って結構多いと思うんで、
日本を良くしたいと思ってね。
なんかそういうのも、なんか一つの気づきだったなと思って、ちょっと話をしてみた。
私も新しい気づきでした。
はい、真面目な話をしてしまいました。
ちょっと見てみます、私も。
はい、そうね。お願いします。
はい、毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語、今回はKコーポレーション代表の小林圭介さんにお話を伺っています。
今回は2回目のエピソードです。
はい、ヨロシクというラーメン屋さんとシークレットフォートという焼き鳥屋さんとカリーラボ札幌というスープカレー屋さん、
そしてインディゴカウというソフトクリーム、北海道ミルクソフトクリーム屋さんですね、を経営してらっしゃる小林さんのお話。
先週は活動内容を伺ってたんですけど、
今回はおいたちからなぜシアトルまでっていうね、これもまた濃いしね、なんか面白いです。
それではお楽しみください。
はい、ちょっとじゃあ今から過去の話に入っていきますが、
はいどうぞ。
まず北海道生まれということで、どんな幼少期で、どんな子供でしたか。
いやもう普通の子供でしたね。北海道の北広島市っていうところで育ったんですけれども、
4人兄弟で、次男なんですよ。
子供の時はもうクワガタ鳥、ビックリマンシールに夢中でしたね、ザリガニとか。
めっちゃわかる。
もうそこら辺の田舎の小学生でしたね。
ど真ん中です。僕もね、僕実は今年49の年なんですけど、だから一個時代ですね。
そうですね。
いやめっちゃわかるなぁ。ザリガニも。
ファンの耳ぶら下げてよく撮ってましたね、僕も。
そうですそうです。毎日楽しかったです。どこでも自転車で行くみたいな感じでしたね。
僕もどこでもチャリで行ってた。
釣りもよく行ったし、あの6段ギアチェーンのやつですか?チャリって。
ああもう僕はあれ変えてもらえなかったんで、お下がりのままチャリみたいに乗ってましたけど。
友達も、ウインカーついてるやつ見ましたけどね。
ギアチェーン、ああそうなんですね。
超懐かしいなぁ。
あの世代です、僕は。
ビックリマンチョコもね。
お金持ってる人は箱買いしてましたけどね。
そうですね、決してできなかったですね。
でもどういう夢みたいなのはありましたか、その頃。
子供の時ですか、いやー特に特になかったですね。実家が町の電気屋さんだったので、
すごいいろんな人には可愛がっていただいて、だからこういうキャラできたのかなともちょっと今では思いますね。
とにかくいろんな人が来てて、出入りの激しい家だったので。
ああじゃあそこで家電を売ってた店ってことですか?
そうですそうです、町の電気屋さんで、うちの父親と母親と従業員はその町でビードデッキ売ったりとか、冷蔵庫納品したりとかしてましたね。
まあでも家電全盛期っていう感じですよね、たぶん。
そうですね、そうです、まさしくそうです。バブルの時で。
ですよね。
それは、町の人みんながじゃあ可愛がってくれたんですね。
そうだと思います。それでこういうキャラになったのかなともちょっと今思いますね。
そうですね。
まあじゃあ小中高までですか?
小中高、いやもう36歳ずっと、36でアメリカ来たので。
そうか。
はいずっとずっと、まあ途中1年半留学しましたけどシアトルに30歳の時に。
でも小中高、大学行かないで就職してみたいな感じですね。
でも中学生の時にやっぱりこう、今となったら天気だったのかなと思ったのがドラム始めて、
あの時バンドブームだっちゃったじゃないですか。
それでバンドブーム始まって、コピーバンド始めて。
ちなみにどういうバンドですか?
えーと、高校時代ブランキージェットシティのコピーずっとやってて。
めっちゃかっこいいな。
大会とかにも出てました、コピーバンド大会みたいな。
えー。
はい。
だからそこから。
中村達也。
そうですそうです、もう愛知県の。
さんですよね、はいはい。
で、洋楽、ブランキー、高校2年生ぐらいから洋楽の方に走って。
それでもうそっからずっと洋楽ですね。
その時ニルバーナが91年ぐらいだったんで、はい。
ニルバーナもグランジュがこうガーッと来てて。
そこでシアトルが僕つながるんですよ、実は。
あれニルバーナってシアトルでしたっけ?
ニルバーナシアトルでした。
あ、そうなんだ、へー。
それでそこの辺から、あのー、音楽で食っていきたいってなって。
おー。
18歳ですぐ就職して、まあ就職はお金を得るためみたいな感じで、
ずっとバンドをやってたんですよ、音楽やりながら仕事してみたいな。
まあでも東京に行こうとはならなかったんですか?
ならなかったですね、やっぱバンドのメンバーが北海道だったんで、そこがならなくて。
それで、えっと、20歳になる数日前に、あの、バイクの車で轢かれまして。
ありゃ!
それがまた転勤なんですけど、そこでこう、結構ひどい事故で。
あ、それで足がってこと?
そうですそうです。9ヶ月。
マジっすか?
11回の手術。
うわー。
で、社会腹筋2年かかりまして。
えぇー。
もう本当、轢かれた時、もう足の骨が飛び出ちゃって。
で、もう運ばれて、切断って言われて。
で、美容院に帰って、美容院に変えて、みたいな感じだったんですよ。
マジっすか?
えぇー。もう話したら長くなるんで、すごい短縮に言うとこう、もう。
え、それで何?ドラム叩けなくなるんですか?
いや、ドラムは叩けるんですけど、やっぱり今も右足すごい不自由なんですよね。
膝から下が動きが悪いというか。
マジですか?
そうなんですよ。そこでこう、バンドも諦めてくるし。
それが思うように叩けなくなっちゃったって感じですか?
その事故よる前と後でちょっと。
そうです。事故よる前と後はやっぱり全然違うんですよね。
はいはい。
まあその辺からもやっぱりプロとかはもう諦めるようになってきて、
バンドはずっとやってたんですけど。
で、そこで友達の働いてるガソリンスタンドの人に会って、
その人がオーストラリア一周したっていう話聞いて、
そこでこう、オーストラリア行ってみたいなってなったんですよ。
まあワーホリとかではね、行けますもんね。
そうです。それで乗ってたハーレー売ってお金に変えて、
オーストラリア行ったのが24歳の時ですね。
じゃあワーホリで1年間。
はい。11ヶ月かけてオーストラリア一周して。
何で一周したんですか?バイクで?
バイクです。250のモトクロスで。
超楽しそうですね。
いやもう二度とやんないですね。
そうなの?
いやもう修行ですよ。
楽しくないですか?
楽しい。今考えたら楽しいですけど、もう二度とやりたくないですね。
しんどい?
しんどいですもん。一日600キロとか500キロ走って。
ああそうなんですね。
でも今考えたら。でもその時にいろんな人から反対されたんですよ。
そんな1年間無駄にするんじゃないの?とか。
それ終わって何があるの?みたいなことを結構言われてて。
で、終わった時に自分の決めたことをやり遂げて、正解だったなと思ったんですよ。
それが26歳っておっしゃるんですか?
25歳ですね。25歳。
これが多分僕が今繋がるんですけど、
アメリカに来たきっかけにもなったんじゃないかなって思うんですよね。
それがじゃあその転機的なものか。
僕みなさんに衝撃的な出来事や人生の転換期っていうのを聞いてるんですけど。
はいはい。そうですね。
そこでみんなに反対されてどうなんの?とか言われつつも、
自分の中ではなんかやり切った感というか、
自分を信じてよかったみたいな感じになったってことですか?
はいはい。そこですね。
そこで何かでも何を感じたんですか?その1年間で。
その1年間でいろんなことあって、
バイク動かなくなっていろんな人助けてくれたりとか、
知らないの家に泊めてくれたりとか、
本当旅あるあるなんですけど、
恋したりとか、
すごいいろんなことあって、
本当に終わった時に自分がどう思うのかなっていうのはすごい思ってたんですけど、
特に感動もなかったんですよ。
やり遂げたとか。
じゃなくて、一番初めに思ったのがやっぱりその、
自分で決めたことをやった方がいいなっていうのが思いました。
その時は思いましたね。
だからこう、よく若い時って迷うじゃないですか。
何やりたいのかなみたいな。
その大勢いる中の僕一人だったんですよ。
それで先輩とかにもこう、
今やってること楽しいですか?とか聞くタイプだったんですよ。
でもその、それが舞台になったっていうか。
どうやってみんな人生選んでるんだろうみたいなのを、
最初は自慢わかんないから聞いてみたんですね。
そうなんです。
確かにな。
すごい良かったかなと思いますね。
じゃあ自分を信じればいいんだみたいな感じになって、
その後、
そこまで電気関係のお仕事されてた?
そうです。
それが、その前に、これだけ一つ言いたかったんですけど。
さっきおっしゃられた、衝撃的な、
はいはい、転換期。
衝撃を受けた転換期。
僕19歳、僕が事故る数ヶ月前に、半年くらい前に、
弟バイクで亡くしてるんですよ。
三男。
三男がバイクで亡くなって、その後僕事故ったんですけど。
でもそれ聞いたら、奥さんがバイク乗るなっていうのもめちゃくちゃわかるけどね。
確かにそうなんです。
で、それはまあ単独だったんですけど、
僕19歳の時で、
人生で初めての葬式が弟だったんですよ。
じいちゃん、ばあちゃんも。
で、あの時に、
まあすげえ悲しかったんですけど、
人死んだら何にもできなくなんだなって思ったんですよ。
弟を目の当たりにして、
これから未来いっぱいあったやつが、
急に死ぬ。
昨日まで元気で死んで、
で、あれはもうすごい衝撃でしたね、僕の中では。
そんな19なんてめちゃくちゃ最強にパワーある時ですよね。
なんて言うんだろうな。
なんでもできそうな。
僕19で弟16だったんで。
だからあれも、
あれがあったから僕多分オーストラリア行ったと思います。
結構石橋叩くタイプだったんで。
そうなんだ。
それで挑戦してみようって思ったのが、
多分初めてがオーストラリアじゃないかなと思うんですよね。
なるほどね。
すいません、話ちょっと。
まあやりたいことやんなきゃってその時も思ったってことですね。
じゃあちょっと次のセクションに今から入っていきます。
おいたちいろいろ伺ってきましたが、
全体を通してパッションと冷静さと真っ直ぐさ、素直さのバランス感覚が
すごく綺麗とか上手な方なのかなっていう印象を受けました。
確かにそう言われればそうかもな。
情熱は持ちつつ、だけど客観的に一つ一つ課題というか、
これが超えられなかったらいかないっていうものはあるんですけど、
最終的にはアドバイス一つでいくというか。
最初は石橋を叩く方だったって言ってたところもあったと思うんだけど、
まずは事故ったのか、こととか。
二十歳前に。
いろんな人生に起こる出来事で生き方が変わっていったのかもしれないですよね。
それはそうなんだけどね。それがストーリーの面白いところだと思うんですけど。
話に出たのは、二十歳直前でバイクで大事故、大事故で足が不自由になって、
その前にバンドやっててドラム叩いてたんだけど、足が不自由になってしまったとか。
あとオーストラリアにワホリでいろんな人に反対されたけど行って、
自分で決めたことを信じていいんだと感じたっていう話もあったけど、
その経験をしたからこそ、こういうふうな生き方になってきたわけじゃん、たぶん。
そうですよね。その変遷がすごいわかりやすいというか、感じられましたね。
人間って変わるんだよな。
すごいですよね。
もう俺めっちゃ共感しかないっていうか、クワガタザリガニ鳥びっくりマシールもそうですけど、
それもそうだし、ニルバーナに影響を受けてシアトル意識っていうのも、
僕の場合はパンクバンドに影響を受け、アメリカ、西海岸を意識してたんですけど、
最初はただ働きで仕事を覚えたって話もあったんですけど、
俺も実はバンドやってて、自分らのCD売りたくてメディアをやろうと思って、
メディアの社長と出会って、最初俺給料いらないから働かしてくれって言って入ったんだよね。
えー、そうだったんですか。
それも一緒なのよ。
花から独立するつもりで仕事を覚えたいからね。
教えてもらうんだから別に金なんかもらえないっていう考え方。
まあ、もちろん生活できないからくれましたけどね。
でもそのくらい気持ちとしては、覚えるっていうことをさせていただくならっていう。
そうそう、別にいらないですって言って入って、
いや、お前そんなんじゃ暮らせないだろって言ってもらうみたいな。
なんかめっちゃ共感するわーっていうのがいっぱいありますけど。
そうですよね。
あとなんだ、年賀のシアトルに行ったはいいが、お母さんがね、管理がわかり、
やむなく帰国っていうのもね。
この決断もすごいと思います。
そうですよね。
兄弟がいらっしゃるなら、なんかそっちに任せるっていう選択肢もないことはないかなと思う中で、
やっぱり帰るっていう選択が大きな決断だったんじゃないかなと思いますね。
ね、後で後悔したくないっていうのがね、多分多かったと思うんだけど。
まあでも一旦ね、そこは自分の夢っていうかね、諦めたっていうような状況でもあったと思うんで、
すごい決断だなって思いますけど。
まあただそこから諦めずにね、また戻ってくるっていうのがすげえけど。
そうですよね。奥様もそれに嫌だったけどついていくっていうのもすごい。
私は奥さんに話を聞いてみたいと思いました。
そうだよね。春さんもどっちかというとそっち側の立場だもんね。
いやでも、やっぱり比べ物にならないっていうか、将来どうなるかわからないっちゃわからないじゃないですか。
そうだね。
私の場合は働きに行くっていうのが目的だったので、それとはまた不安が。
駐在、そうだよね。大企業の中で何年間は不妊?
そうですね、転勤に近いので、転勤なのとまた話が違う。
違うよね。アメリカで起業するからついてきてっていうのとね。
えーまじかって、そりゃなるだろうなって。
でも最終的についていくというか、一緒にやられてたっていうのはすごいなと思いますね。
まあでもな、いろんな気持ちがあると思うんだよね。
足を不住にしたっていうのもね、俺結構めちゃくちゃでけえと思うんだよね、その若い頃。
しかもドラムを支えてて、ドラムって両足使うからね。
そうですね。
相当悔しかっただろう、つらかっただろうと思うんだけど。
いろんなものがその覚悟に変わったりとか、なんかね、そういう行動に移させるんだなーって思いますけど。
濃いインタビューの時間でしたね。
あと1ドル79円の時代っていうのも、これもすげえ。
うらやましい、うらやましいよ。
でもさ、その前はもっと300円とかでもあったしね、だから。
今、いや俺が生まれ、1970年代とかはたぶん300円とかだったと思うんだけど。
その後、バブってる時期にだいぶ円高になってきて、日本がね、バブってるときに。
で、また今円安になってますけど、だからその300円とかに比べればまだ大したことないなとか思ったりもするし。
でも79円と比べるとね、大変だなという。
すごい。
そういう意味でもね、運を持ってらっしゃるっていうかね。
本当ですね、タイミングが良かったですね。
いや、その経営者ってやっぱ運大事だよなと思うよね。
こうなんつーの、こう人任せ的な意味ではなくって、なんかその。
信じるっていうか。
タイミングつかめる運っていうか、まあそうだね、そこ行っちゃえる運なんていうか、まあそれは実力だと思うんだけど。
私もそう思うようにしてますね。
え、どういうこと?
自分は運がいいんだって思います。
そうだね、そういうのも大事だよね。
はい、まあそんな感じで、来週が、仕事の掘り下げですかね。
どういう姿勢でやってるかとか、モチベーション、ルーツみたいな話を聞いております。
はい、それでは次回も楽しみにしております。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。
はい、今回は、最近発表されて気になったニュースなんですけれど、
寿司ローがニューヨークに進出っていう。
おお。
回転寿司チェーンの寿司ローがアメリカの1号店を、
今年の10月にニューヨークでオープンするっていうのを発表されまして、
もうすでに蔵寿司とかは結構アメリカにある中で、
今回注目されたのは、アメリカでは当たり前のチップをなしで展開すると。
ああ、そうだね。
発表してましたね。
最近のアメリカではチップ疲れっていう言葉もあるぐらい、
チップを払うことに心理的な疲弊感みたいなのを感じてる人もいて、
最近は心づけのチップじゃなくて、
払わなきゃいけない義務みたいに感じてるっていうところから生まれた言葉なんですけども、
まだオープンが実際されてないので、
どんなふうにアメリカ人に利用されるかというか、
受け入れられるのかわからないですけど、
チップがなしっていうのがアメリカ国内でも結構好意的に、
発表した時点では受け入れられているなという話題なんですけれども。
それアメリカ人に?
そうです。
アメリカ人がそれを喜んでるっていうニュースをたまたま見て、
やっぱりチップがないっていう社会にしたいというか、
今のチップ文化はやりすぎだみたいな声は結構あるんだなっていうのを知りました。
どう思いますか、はるさん。
いやー、なんかこれ調べたら、
今回の寿司ローは3フロアあるらしくて、
で、開店寿司のエリアもあれば、
おまかせが食べれるエリアもあるらしいんですよ。
あー、なるほどね。
で、おまかせでもチップなしらしくて。
すごいな。
それはなんかこのチップ使いの生まれた原因とは違うんじゃないかなってはちょっと思ったんですけど、
でも私、開店寿司がチップなしっていうのはめっちゃありだと思います。
だってサービスほとんどないじゃないですか。
まあね、回ってくるだけだったらね。
そうです。
いやこれね、実はね、
それをやろうとした日本の飲食店って何個か過去に俺、実は見てまして、
ただやっぱ倒多されてしまっているんですよね。
それは、同業者から倒多されるんですか、それとも消費者が意外と選ばなくなるんですか。
いやー、やっていけないんじゃないのかな、ペイできないんじゃないのかな。
あとスタッフが多分定着しないんじゃないかな、チップもらえないっていう。
なるほど。
スタッフ、働く側からすればチップ目当てな部分も結構なパーセンテージを占めてると思うんですよね。
でもお店によっては、この人にチップを払うっていうのもあれば、
お店で稼いだチップは総割みたいなところもあったりするじゃないですか。
それとやっぱり違うんですかね。
総割にしたとしても、やっぱチップがもらえないと、最低賃金だけだとね、面白みがないとは思うけどね、普通に。
確かに。働く労働者が集められなくなるっていう。
のもあるんじゃないかなと思いますけどね。
まだオープンしてないんで、どうなるかは全然わからないんですけど、消費者としては、なんか好意的に今のところは受け入れられてるみたいです。
そうですね。いやー、どうやってそこの部分をね、カバーしていくのかっていうのが。
そうですよね。
まあその料金に最初からちょっと載せるのか、でもお任せで、そもそもチップもらえないって結構痛いよね。
いやそうなんですよ、お任せがどういうことなんだろうっていうのはちょっと、そうなんです。
一皿もだいたい5ドルぐらい?5ドルぐらいからついてました、カイペッジ氏のほうは。
倉瀬氏さんはもうちょっと安かった気もするけど、まあでも変わってるのかな。
倉瀬氏はチップなしで、あれじゃないですか、チップなしで安くて、プラスチップっていうところを見越した価格設定なんじゃないですか。
まあもちろんそうですけど、一皿5ドルか。
日本の寿司ローっていくらなの?1缶か2缶?
2缶で、100円ってまだあんのかな。
でもそんなもんなんだよね。
5ドルって言ったらだって750円だよ。
高い、高い。
でもまあアメリカで食べれると思えばって感じじゃないですか。
まあちょっと何しろ、まあでもインパクトはあるよね、話題になるってことだけでもね、やっぱいいとは思うんで、
まあ頑張ってほしいなと思いますけど、カリフォルニアは来ねえのかな。
うまくいけば来るんじゃないですか、たぶん、それこそニューヨークが成功したら次来るのはカリフォルニアじゃないですか。
まあね、倉瀬氏さんが上場しましたからね、これは俺らも行くしかねえぞってなってるわけですよね、きっとね。
たぶんそうです。
まああとさっきのGDPとかGNIの話からしても、アメリカのほうが稼げるんじゃねっていう。
いやそうですよ、全然価格違いますもん。
ね。
まあまたアップデートがあったら、教えてください。
お伝えします。
以上、リアルアメリカ情報でした。
質問コーナーです。
はい、質問します。
ちょっと話出たけど、子供の頃の、小林さんのね、お話のあやかったですけど、子供の頃の遊びってどんなのあったっていう。
まあ俺はその小林さんが言ってたような、クワガタ取り行く、ザリガニ取り行く、ビックリマンシール集める、てかビックリマンシールわかる?
なんか最近、チャットGPTでビックリマンシールを作るっていうのが流行ってたんですよ。
でもそのビックリマンシールは何なのかはわかってないんですよ。
どこから生まれた、何でもらえるものなのか。
まあそうだよな、あと俺はミニ四駆で遊ぶ、あとチャリでやっぱ釣りによく行ってたんだよな。
ザリガニですか?
いや普通の魚釣り。川とか湖とか、まあ池か湖っていうか、船釣り、鯉釣り、バス釣り。
バス釣りすご。
ルアーつけてね。
それ小学生とかですか?
まあ小中ぐらいまでやってたと思うね。
釣りが楽しかったな、とにかく。
ゲームの世界でしかやったことないかもしれない。
釣りしたことないの?
釣りしたことないです。
まじか。楽しいよ。
動物の森でしかないな。
ビクって、あの、餌食ったって時の瞬間がすごいよ。
えー、その餌も触れなくて。
あー、ミミズとか、ゴカイとかあるじゃない。
エビとかそういうのがちょっと。
エビなんてもう死んでるんじゃないの?
いや、なんか握ったりしません?なんかちっちゃいのを切って、なんかその顔、おってなるんですよ。
あ、そうなんだ。
釣りか。
え、何して遊んでたの?
私はでも、おままごと。
あれか、そうか。バービー人形的な。
あ、そうです。バービーじゃなくて、
まあ、メルちゃんとか、シルバニアファイミリーとかって分かりますか?
あー、なんとなく。
そうか。
あともう、私が大きくなった時にはもう、ゲームが結構DSとかVとかがある。
出てきちゃってたんで、
で、DSで、うちは4人兄弟なんですけど、みんな1台ずつDS持ってるんで、
それで通信して、マリオパーティーとか、マリオカートとか、そういう、結構ゲームもしてましたね。
まあ、俺らの時代も一応ファミコンはあったんだけど、
なんか俺はね、あんまりやらなかったんだよね、ゲーム。
まあ、家買ってもらえなかったってのもあるんだけど、あんまりゲームは好きじゃなくて。
だから外に出てたな、よく。
外に遊んでた記憶がほとんどないです。
全部お家の中で、お人形遊びも全部中でできるじゃないですか。
あー、でも小学校の時は、東京?
そうですね、小学校あれ、東京です。
あんまり外に、のっぱらみたいなのはないのか。
でも家の隣、大きい公園だったんですよ。
あー、でも行かなかったんだ。
なんですけど、行かないですね。
へー。
よくない子供ですよね。
いやいや、まあ、都会だとね、しょうがないってか。
だから小学校の時も、なんか20分休みとかあるじゃないですか、
その時も先生に追い出されてました。
あの、出たくなくて教室で友達と喋ってると、外行きなさいって言われて、
それでやっと外行って、なんか外でまた喋れる場所を探すみたいな。
やること一生。
これはあの、鐘が鳴った瞬間にボール持って駆け出してたタイプだけど。
いや、そうですよ。男の子はそうですよね。みんなボール持って、場所取んなきゃみたいな。
そうですか。
まあ、なんとなく。
まあ、東京の子とね、やっぱり田舎の子は違うんだろうなというのもありますけど。
まあでも性別もあるんじゃないですか、やっぱりまあ反対でしたね。
そうですか。
まあじゃあ、皆さんの子供の頃の遊びを教えてくださいっていうことで。
はい。本編とリアルアメリカ情報の詳細はブログに掲載しています。
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1%の情熱物語は日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。
ご家族、友達、同僚などへのご紹介大歓迎です。
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今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
それではまた来週。
じゃあね。