2021-12-11 1:03:36

Vol.186: 八代江津子(ナンタケットバスケット協会代表) 2/4

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「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、47人目のインタビュー。
ナンタケットバスケットの職人でありながら、会社経営や驚くほど様々な組織運営をしていらっしゃるスーパーウーマン。と聞くといかにもパワフルなイメージですが、お話しぶりや佇まいがとっても柔らかく、気品と笑顔の溢れるなんとも魅力的な女性。そして一貫してそこにある大切な想い。そんな江津子さんの「大きな愛」を感じる素敵なものがたり。

山岳部や社会人ヨット部で自然からたくさんのことを学ばれたんだろうな〜と、聞いてるだけでウキウキしてしまうようなお話たち。そしていかにもアメリカっぽいドラマのような感動エピソードも!

投稿 Vol.186: 八代江津子(ナンタケットバスケット協会代表) 2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
ラジオネーム、なべじゅんさん
ありがとうございます。
毎度お世話になっております。先日はメールを読んでいただいてありがとうございました。
しかもリクエストにもお答えくださって、とても感謝しております。
ステッカーも無事に届き、早速ドローンのケースに貼っちゃいました。
ありがとうございます。
いつか紹介したやつですね。
早速、Colorsという曲を検索しました。
聴いたことのない曲を聴いたりするのは、とても刺激になっていいものだとつくづく感じました。
ありがとうございました。
ボリューム180のリアルアメリカ情報で、
沙織さんが敗者の話を話題にしてましたが、
私もアメリカで虫歯の苦い経験があります。
アメリカにお住まいの方ということですね。
アメリカに来たての頃、親知らずが虫歯になったのですが、
お金かかるぞ。
お金がなさすぎて、セイロガンを詰めていました。
やば。
痛みは収まるのですが、何を食べてもセイロガンの味。
でしょうね。
結局、親知らずを抜いて落ち着きましたが、
二度と同じ目に合わないようにクリーニングを4ヶ月に1回、
えっ、頻繁に。
歯ブラシも電動のものにして、糸用紙も欠かさず行っています。
しかし、それでも虫歯になります。
日本で生活していた時と考えると、
アメリカでは歯の手入れの意識が段違いだと思います。
日本では歯医者にかかる金額が少ないので、
日本に住んでいる人は、ぜひ虫歯になる前に歯の手入れをした方がいいと思います。
03:01
はい。
おっしゃる通り。
そうですね。
みんな通る課題なのね。
セイロガツメレートケって、なんか昔聞いたことあるな。
あ、そうなんですか。
絶対に治る気しないけど。
いや、絶対に治んないでしょ。というか、解けないの?みたいな。
セイロガって売ってるのか、こっちに。
日経の、日経の薬局屋さんで売ってる。
そう。
やばいですね。面白い。
面白い。本当にありがとうございます。毎度毎度。
ありがとうございます。
クリーニング4ヶ月に1回してるんですね。結構頻繁にしてるんだ。
ねえ、何回か前でね、サオリちゃんが虫歯、虫歯だったっけ?
歯医者に行って、偉いファイナンシャルプランナーみたいな人が出てきて、
という話をしていますので、興味ある方はチェックしてもらえると。
そうなんです。やっと歯医者終わって、あとは払うだけっていう。15万払うだけっていう。
ローンだけが残っているみたいな。
ローンだけっていうね。そうなんです。
本当、歯はちゃんとは磨こうねってことですね。
そう、でもね、磨いてもやっぱりなる人はなるんですって。
これね、でも体質っていうか、あれもあるみたいだよね。
そう、みたいなんです。
体質か。
私もいろいろやってます。歯磨いて糸用紙みたいなのして、フロスして、くちゅくちゅペして、
あとウォーターフロス、水ビーンって流す。
そんなのもあるんだね。
そんなのもやってます。
はい、歯の話でした。
じゃあ本編に入ってきますね。
では、毎回1人の方のインタビューを4回にわたってお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回は、やしいろえつこさん、タイトルがたくさんありすぎて何をご紹介すればいいかわからない。
メインはナンタケットバスケット協会の会長さんでいらっしゃいます、えつこさんのお話ですね。
ボストン在住ということですね。
第2回目です。
はい、前回はそのナンタケットバスケットって何とかね、そういう話だったんですけど、
えつこさんがどんな幼少期を過ごし、大人になり、アメリカに同胞してきて、
なんかすごいエピソードがあるんですけどね。
映画みたいなエピソードがあるんですけどね。
そんな、来てからの今のお仕事に至るまでのお話を伺ってます。
では、聞いていただきましょう。
はい。
はい、じゃあちょっと今から過去のお話ですね。
06:17
ほり、ほり、ねほり、はほり、いきたいんですけど。
まずお生まれ。
答えられるかな。
答えたくない場合は答えたくないと言ってくださいね。
はい。
お生まれから伺ってもよければ。
はい、生まれたのは、年とかじゃないよね。
場所ですよ。
場所です。
横浜です。
横浜。
かっこいいところですね。
で、どんな幼少期の子供だったかというのは客観的にもしあれば。
客観的にですね、本ばっかり読んでましたね。
で、母が厳しかったので、テレビとかもほぼ見せてもらえず。
ありゃ。
じゃあそれは勉強しなさいみたいな感じだったってことですか?
勉強しなさいっていうよりね、なんだろう、変なものに触れさせないっていう。
そういうものが大事だったんですよ。
変なものに触れさせないっていう。
そういうものが強かったような気がしますね。
本の内容的にはどういうものが多かったんですかね。
本は私はね、ちっちゃい時はもちろん本ばっかりでしたけど、
大きくなるにつれてサイエンスフィクションばっかりになりましたね。
サイファイ。
はい。
じゃあサイファイじゃねえか。サイエンスフィクション、具体的に言うとどういう。
小松左京とか、筒井康隆とか、半村涼とか、非常に時空の問題とか宇宙の問題とか。
そういうことですね。じゃあSFですよね。
はい。
え、でもそうか。へえ。そうなんだ。
そうそう。
なんかじゃあ、だからフィクションなんだから、現実の世界じゃなくて夢の世界というか、仮想の世界が好きだったんですね。
うん。なんか私は宇宙物理学者になるんだって決めてましたね。
へえ。でも今の時代結構近づいてますよね。昔のSFの世界に。
楽しいです。だから。
楽しいですよね。
そっか。でもじゃあ物理、科学者、例えば宇宙とかもね、今は発達してるけど、そっち方面に興味があったんですね。
09:05
そうですね。ちっちゃい時に本当にそればっかり考えてましたね。
へえ。じゃあそっち方向の学校に進んだりはするんですか。
いや、そっち方向の大学に入る能力に長けていないというか、受験が無理だったというか。
あ、そうなんですね。
それで、どうしようかなと思って、知らない間に社会人与党部に入っていたという感じですね。
そうなんですね。
じゃあ横浜でずっと過ごされて、そのまま。
いや、生まれは横浜なんですけれども、育ったのは江戸川区なんですね。
へえ。江戸川区って東京ですよね。
東京です。一応。辛うじて。ギリギリ。
辛うじて。なるほど。
そこで育って、高校時代は三角部に入り、なぜか三角部で。山ばっかり登ってたんですけれども。
高校2年で引退を余儀なくされ、そのまま私はうちの父に引きずられてヨット部、ヨットをすることになって。
そのままヨットの悪い先輩に誘われて、社会人ヨットをするようになったんです。
社会人ヨットっていうのは競技ですか?
レース。
レースですか。
ヨットレースですね。大きい船なんですけれども、4人5人乗れる船ですとか、10人ぐらいで送船する船ですとか。
社会人のヨットのレースに出るようになって。
それで本を使って、風を利用して進む競争ってことですか。
そうですね。
楽しそう。
すっごく楽しいんですよ。
危険というか体力もいるでしょうし、もちろん自然の中だから厳しいものだと思うんですけど。
あと知識もいりますもんね。風がこっちから吹いてきた時に。
天気図を書かなきゃいけなかったりとか、自分の位置出しを、昔は六分儀っていうのを使ったんですけど、
星の高さから計算をして自分の位置を出したりとか。
いろんな知識を必要とされて、それが面白かったですね。
めちゃくちゃ面白そう。
星を見るってことは夜中でも走ってるってこと?
12:03
そうです。レースなので、レースじゃなくても大きい船は夜中走れるんで。
何日間もかかるものなんですか。
そうですね。ヨットレースで、短いのは半日で終わっちゃうレースもあるんですけど、長いのは島回りレースとか。
いろいろ東京グアムとか、東京沖縄レースとか、沖縄東京レースがあったりとか。
これは楽しそう。
楽しいんですよ。大変ですけどね。
大変ですよね。
そうなんですね。
それで社会でやりつつも、ヨットやりつつも、ずっとそこで横浜の方で、江戸学に?
江戸学、そう。
ちょっとね、そこからアメリカに来るまでの経緯はまだいろいろあると思うんですけど、
皆さんにちょっと聞いているのは、何か衝撃を受けた出来事とか、人生の転換期となったエピソードみたいなのがあったら、お伺いしたいなと思うんですけど。
転換期ですね。
転換期は、三角部時代、お休みの時に何かしたいなと思って、
横手山山頂ヒューテっていう滋賀高原にある横手山っていうところの山頂にスキーロッチがあるんですよ。
スキーロッチ、はい。
そこはリフトでしか到達できないところなんですけど、そこで働いてみたいなと思ったんですね。
高校2年の時かな。
はい。
で、そこに電話をして、しても何もないので、とりあえず電話して行かせてくださいって言ってみようと思って電話して、
そしたらおじさんが出て、山小屋のおじさんが出て、お前スキーしたいんだろ?
でもスキーはさせないからな、スキー持ってくるなよ、それでよければ来いって言われたんですよ。
はい。
もちろんスキーしたいから行くんですよね。
そう思って、まあいいや、じゃあ一応しないという手で行こうと思ってスキーを担いで、その山に入って、
それでそこの山の上っていうのはリフトでしか行けないんで、物資もリフトで運ぶんですよ。
ああ、はい。
で、宿泊施設もあるのでお客様も泊まりに来られる。
で、スキー場でもあるのでお昼にはお食事をされるお客様もいらっしゃる。
ですからすごく大変なんですよ、朝から晩まで働かなきゃいけなくて。
15:01
でもそんなところでそこの太鼓姉さんというおばさんがいるんですけれども、おかみですね。
その人が何でもするんですよ。
で、本当にね、今日何食べたいって言われて、でもおうどんなんてないからねって言うと、
いや、じゃあおうどん作ろうっていう感じなんです。
じゃあ今日はパンが食べたいね、じゃあパンを作ろう。
で、できないことはないんですよ。
私は彼女から、諦めた時っていうのはできないって決まった時なんだな。
できないということを決める時なんだな。
自分ができないって決めた時。
そう。だから何でもやろうと思えばできるんだっていうのを彼女から、
そしてその山小屋のおじさんから学びましたね。
あれは衝撃的というか、できないことはない。
そっかじゃあその人がどうせうどんなんか食べれないんだろうなと思ってた。
そう思ってたけどうどん食べたいって言ってみたら、できちゃったってことです。
なるほどね。そっか。
そこが原点ですね。
それ結局スキーはできたんですか?
できました。
じゃあ優しい人だったんだ。
すごく優しい人で、それだけの覚悟を持ってこいってことだったんですよね。
そういうことだったんですね。
3日目くらいから。
一緒にスキーも担いでもってた。
そしたらちゃんと3日目のお昼にチケットをくれて、
1、2本滑ってこいって言われて、ああいい人だと思って。
そっか。それはそれで楽しそうだな。
でもさっきちょっとさらっと流しちゃったんですけど、
高校2年で諦めないといけない時があったっておっしゃってた。
その引退?およぎなくされてみたいな。
高校2年ってクラブ活動禁止になるじゃないですか。引退で。
受験に入るってことか。
そうそう。
なるほど。びっくりした。なんかあったのかなと思った。
いやいや、それでも私は受験は諦めていたので。
レッコーダヨットの方に行くってことですね。山から海に。
そうですね。
本当にいろんなことを学べそうですね。山で学ぶことと海で学ぶことって違いますよね。
違いますね。でも基本一緒ですね。
自然という意味では。
素敵な青春時代っていう感じなんですけど。
18:01
アメリカに来た、今ボストンに住んでらっしゃるわけなんですけど、
経緯というかきっかけというかは伺ってもいいですか?
はい。大学を中退し、その後勤めていたんですけれども、結婚という流れになり、
結婚相手の転勤先がボストンだったという。
なるほど。
はい。
それはおいくつぐらいの時だったかって聞いてもいいですか?
はい。32の時でした。
ふつうに社会生活を日本で送りつつ。
はい。大変だったんですよ、英語が。
いきなりですかそれは。
いきなりです。
どうしたんですか?英語勉強するしかないですもんね。
勉強するしかない。来てすぐ子どもが2人いたので、子どもたちを学校に行かせて、
私は何をしようかなって、どうやって勉強しようかと思ったんですけど、
これは必要に迫られた方がいいんじゃないかと思って、働いてみようと。
チャレンジャー。
スキーのインストラクターをしようかと思って、近所にスキー場があったんですよ。
山小屋で働いてたのもあり?
スキー場に行って、どんな感じかなと思ってクラスを通ってみたら、
定意よく先生が、あなた上手だからここで教えないって言ってくれたんですよ。
そんなうまくいくもんなんですね。
じゃあやりますよって言ったら、とんでもない試験があるわけですよ。
それで講習に出て、試験を受けて、英語が全然しゃべれないんで、
これダメだろうなって、合格率が30%くらいなんですよ。
これは無理だなって、ちょっと高値の花だったなって思ったのが、合格していて、
合格率が30%くらいなんですよ。
これは無理だなって、ちょっと高値の花だったなって思ったのが、合格していて、
すごいでしょ?
ちょっとうどたえるんですよ。
コミュニケーションどうしようって。
すぐ校長先生のところに行って、
21:00
どうしよう、私多分間違って受かったんだと思うんだけど、
コミュニケーションできないんだよねって。
どうやってコミュニケーションしよう。
そこのスキー場っていうのが、MITとかハーバードの学生が単位を取りに来るんですよ、スキーでの。
重要なとこですね、それ。
そうなんですよ。そんなとこでどうすんのって。
内情を見るが見るほど私ちょっと無理だわって思い始めたところに受かってしまったの。
でもそこですごかったのは、その校長先生がおっしゃったのは、
あなた英語を教えるの?って聞くんですよ。
だから、いや、英語は教えられないよね、当然って言ったら。
そうでしょって、あなたはスキーを教えるのよねって。
だとしたら、Do this, do thatでいいんじゃない?って。
体で教えるっていうこともあるのよって。
そのスタイルをあなたは確立してみたらって。
すごい、でもそうやって挑戦させてくれるっていうかね。
それもアメリカっぽいなって思うな。
やっぱりアメリカでしかないだろうなって、無理だろうなって思いました、これは。
やはり懐の大きさ?
そうですね。
それは強く感じましたね。
それはそれででも生徒さんのほうもそれを受け入れてというか、うまくいったんですか?
うまくいったんですか?
うまくいかなかったの?
いかなかった。そうは問屋がおろさないですよね。
そうなんですか。
で、初めてのクラスは小学生かな。
小学校1、2年生のクラスを、一つのクラスを3ヶ月持つんですよ。
で、まず最初に、この10人はあなた持ちなさいって言われて。
小学校1、2年生の場合は、親がね、下で見てるんですよ。
だいたい。怖い。
それは緊張する。
緊張するでしょ。
で、英語喋れないでしょ。1.1年目です。
でも本当に必死ですよ。
初めて子どもたちにスキーを履かせ。
で、そっからですからね。
で、当然、クラスが終わった後に、その親がスキースクールデスクに文句を言いに来てるところに、たまたま私は居合わせてしまったんです。
何て言ってたんでしょうかね、ちなみにね。
言葉が喋れない、あんなエイジアンな女の子に、うちの子どもを預けて大丈夫かって。
まず言葉が喋れないのよっていうことを強調してたんですよ。
で、スキースクールデスクの、そこも私はまた感動したんですけれども、スキースクールデスクの人は、2週間、1週間に2回クラスがあるんですけれども、2週間見ててくださいと。
24:04
まず、2週間後に、それでも不満があればチェンジしましょうと。
ただ、うちのインストラクターは優秀です。
言葉は喋れなくても優秀な指導者です。
なので、2週間、とりあえず見てくださいって言ったら、彼女は退いたんです、とりあえず。
でも、それを聞いてしまった私は、すごい重責ですよね。
どうするのって。
それはその方に、やっぱり返さないといけないですもんね、期待に応えないといけない。
そうなんです。だからもう、仮想空間で、自分の頭の中の仮想空間で何回も何回もクラスをしてみて。
夢トレをして。
そうなんです。それをしながら、週2回のクラスを必死でしたね。泣きたいくらい必死でやりましたね。
それはでもね、自分が追い込んだとこに、本当にそのまんまとハマっちゃった感じですね。
めちゃくちゃやらなきゃどうしようもないって。
でも、それをまた受け止めてくれるアメリカ人の懐の大きさがあったわけじゃないですか。
そうですね。
もし、日本に帰って考えてみたら、じゃあ日本人は同じことをしてくれただろうかと思ったときに、その当時もう20何年前ですよね。
いやいやいや、外国人どころか男尊女卑ですからね、まだね。
ですよね。
いろいろ排除されますよね。
その通りなんです。なので、もう必死にやりましたね。
それは期待に応えられたというか。
そうですね。3ヶ月終わって、その3ヶ月終わった卒業式に、私はみんなにディプロマを渡すわけですよ、子どもたちに。
それが終わって、じゃあバイバイねって言った後に、その文句を言った人が、私のところにつかつかってくるわけです。
そのときに、何言われるんだろうか。
でも、途中でやめなかったんだから、そんなに悪いことは言われないかなって。
本当に悪いことは言われないかな、褒めてくれたりするかなとかね、期待感も高まりつつ。
で、来たら彼女はなんと、あなたはこの春が終わったら何かすること決まってるのって言ってきたんですよ。
はい。
いや、私は何も決まってないって言ったら、じゃあ私の会社で働かないって。
マジですか、なんかドラマみたいだな。
本当に。
映画みたいだな、これ。
そうなんですよ。それでそこの会社が結局はグリーンカードをサポートしてくれたんです。
27:03
マジですか、何それ、アメリカンドリームですね、本当に。
そう、だから私はね、やっぱりこの国っていうのは懐が大きくて、やることをちゃんと見ててくれる国なんじゃないかなって感じました。
いや、本当それはそうね、見てますよね、ちゃんと。
で、その人の可能性をちゃんと、ここまで来いよっていう風にやってくれるっていうかね。
それはうまいっすよね。
それはすごく感じましたね。
え、じゃあその方は結構重役さんだったんですか?
社長さんだった。
社長さんだったの?
ほい、ほんとにドラマみたいだな。
グリーンカードまで渡すっていうのも、それもまたね、外国人にアメリカ永住権を渡す会社がサポートするっていうのも結構な話ですからね。
そうですよね、すごい書類でしたよ。こんな書類を全部彼女は用意してくれて。
どれくらいちなみにそこには勤められたんですか?
10年くらいかな、10年ですね。
すごい出会いでしたね、ほんとに。
ありがたいですよね。
チャレンジした甲斐ありましたね、本当にそれは。
でも、あの社長が文句を言わなかったら、私はあそこまで頑張らなかっただろうなって思いますね。
でもね、それもだから、いじわるしたくてそういうことを言うっていうよりも、もうちょっとだから、素直にそう思ったからそう言うっていうか、そういうとこもありますもんね。
この人をいじめたくて外に出したいからっていうわけではなかったってことですもんね。
違うと思いますね、やはり当然の権利を主張したってことだと思います。
自分の子供が、より質の良い教育を受けさせたいっていう気持ちがそのまんまってことですもんね。
そうだと思います。だからそれに見合うべく私が頑張らなければいけないシチュエーションだったんですよね。
はー、ちょっとこれは涙が出そうなエピソード。
じゃあそこでグリーンカードを取得し、今にずっとボストンにいらっしゃるわけですね。
じゃあそこを辞められた後っていうのは、今の仕事につくまでの経緯っていうのはザクッと伺ってもいいですか?
勤めた先のビタミンの会社だったんですけれども、私がそこに勤めることで日本にビタミンを輸出するというセクションを作ってくれたんですね。
30:08
サプリメントってことですか?
そうですね。そうなると私は昼間家で働けるんですよ。
日本との時差に合わせて仕事するから。
そうなんです。なので昼間は子育てに専念できるし、夜はコンピューターで働くという。
日本側が朝起きてきた時から働き始めると。
そうですね。そうなんです。そういうコンタクト、今みたいにZoomがあるという。
そういった形で働けたので、実はアメリカに行って2年目くらいからモナタケットバスケットを始めてるんですね。
ああ、そうなんですね。それは趣味としてというか。
そうですね。趣味として始めていて。
同時並行してモナタケットの技術を身につけたいなというのもありまして、両方やってましたね。
なるほど。
で、教会を立ち上げる、立ち上げることによって、
教会を立ち上げることによってモナタケットの技術を身につけたいなというのもありまして、
で、教会を立ち上げる、立ち上げることによってモナタケットの技術を身につけたいなというのもありましたね。
なるほど。
で、教会を立ち上げることによって、教会が落ち着くのを見て会社を引いていったという感じです。
じゃあ本当にその会社の後は、モナタケットバスケットにエネルギーをシフトしていったということですね。
そうですね。
そっかそっか、今っぽい働き方をその当時からされていらっしゃったというか、リモートワーク?
そうですね。時差ワークという感じですけど。
フレキシブルに働いていたということですよね。
でもそれはそれで会社の方からも信頼されていたということなんでしょうね。
明かされていたというか。
そうですね。信頼してくださったのが嬉しいですね、本当に。だからこそそれに見合う仕事をしなきゃというのはありましたけどね。
そっかでもね、やっぱり逆にその任せるからという裏側は前に期待しているよということなので、それには応えたいというパワーが湧いてくるんですよね。
いやー、それでじゃあ独立ってことですよね。
そうですね。
うん。
ちょっとその辺の話また次のセクションで伺っていこうかな。
じゃあ今から次のセクションに入りたいと思います。
こんな話あります?すごすぎません?
33:19
すごすぎません?
なんかドラマみたいだったよね、話がね。
本当。
あの人はとか言って文句を言ってきた人がスカウトをしてみたいな。
社長だったっていうね。
いやー、でもすごいな、すごい根性ですね。
いややっぱりさ、そのチャレンジャーだし、そのチャレンジのデカさに比例してその見返りっていうか、このなんか与えられるものもあるんだろうなってちょっと今改めて聞いてて思いましたね。
その逆風を力にする力はすごいですけど、絶対自分だったらできない、そんな状況。
でもそれはやっぱりアメリカっぽいなぁと思う。話にも出てたけど。
その任せてあげるっていうか。
それはまあね、過去にもこういう話したかもしれないけど、失敗が許されるというか失敗を許してくれるこの許容力というかね。
そう。
それに応えなきゃって頑張れるかどうかがあれですけどね。
いやーすごいな。
アジア人だからとか、第2言語、英語が第2言語だからっていうことで、向こうがそう思ってなくてもこっちがおじけづいちゃうことが多いじゃないですか。
こっちがそうおじけづいちゃうんだけど、こっちが気にしてるほど向こうは全然気にしてねえよっていうね。
言い方もね、そうあるのよあるのよ。
何をそんなに恥ずかしがってんのとか、何をそんなに喧騒してんのっていう風にとられる。
そうそうそうそう。ほんとそうなんですよね。
いやーでもさー、今ザーッとまた話を聞いててさー、三学部とヨットって山と海で本当にいろんなことを学んでるんだろうなーって思ったね。
インターネットがない時期で星で位置を読むとかって今もヨットの人はやってんだろうけどさ、でもGPSとか使えるわけじゃん多分。
確かに。いやーすごい。
一体その時の恐怖とか、ここからここ行ったら危険だとかさ、そういうのってさ、今より絶対にいろんな知識がないとわかんないからさ。
36:03
そうねー。
きっとお育ちも良くて、お声を聞いててもね、すごく、あのーなんて言うんでしょう。
品があるというかね。
そうそう品があるお話のされ方をするのにも関わらず、山登ったり、海で島一周したり。
めっちゃワイルドだね。
ワイルド。そうそうそう。そういうすごい魅力の奥深さがあるからですね。
いや本当になんかね魅力的なんですよね。話しぶりとか。
ですね。
笑顔とかも見ててもね。
そうなんですね。
引き込まれる感じありますよ。
ぜひちょっと本当にいつかチャンスがあるならばご挨拶にお目にかかりたいというね。純粋に思いました。
すごい人がいるのねー。
ねー。
次回はどんな話になるんですか?
はいえー、それでですねー、そんな感じでアメリカで生活を始めて、今のね、もうその数えきれないほどのタイトル、肩書きがあるわけですけど、
日本祭りをやったり、日本の映画祭をやったり、そのランタケット協会もやったり、で今回日本に帰って、そのフェデレーションですね、グローバルジャパンフェスティバルフェデレーションという団体、
ランホージンを立ち上げられてきたっていうことで、それもだから日本の祭り、世界中にある日本のお祭りを一つにつなげたいっていうような思いでそれを作ってらっしゃって、
そういう日々の活動の掘り下げですね。
えー、とかあとモチベーションって何ですかと、これもまたね面白い話が来るんですけど、はい、そんなこんなを聞いております。
楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは、拍手が出ました。嬉しい。
このコーナーではですね、最新のビジネスとか生活とかの情報をアメリカからお届けしてまいります。
恒例になっております。今回もプレミアムスポンサースカイヤス様のご提供でインターン制のインタビューをさせていただきます。
今日のゲストスピーカーはですね、ニューヨークの米系企業で短期のインターンをされていらっしゃる小山さんです。よろしくお願いします。
39:05
お願いします。
よろしくお願いします。
じゃあまず小山さんの方から簡単に自己紹介をお願いできますか。
はい、初めまして小山と言います。
僕はそうですね、10月頃からこっちのアメリカに来て、2ヶ月くらいの短期インターンをやっています。
年齢としては今22歳で、大学を休学してこっちに来ているっていう感じですね。
そういうパターンもあるんだ。
そうですね。
何ヶ月、トータルで何ヶ月のインターンなんですか?
インターンとしては2ヶ月ちょっとくらいですね。
なので12月の末に終わる形ですね。
なるほど、なるほど。
そっか、日本の場合はこの時期、特に冬休みでもないし、夏休みでもないし、休学をしなきゃいけないんですね。
そうですね。
元々別の国に行こうと思ったんですけど、ちょっと渡航ができなくて、それで今の時期になったっていう形ですね。
それはコロナのせいでってことですか?
そうですね、入国できなくてアメリカにしたっていう形ですね。
元々はどこの国に行く予定だったんですか?
元々はシンガポールでもうちょっと6ヶ月くらいのインターンしたかったなと思ってたんですけど。
ちなみに大学で学んでらっしゃるメジャーは?
経済学部ですね、経済学部です。
実際にされてらっしゃるインターンの仕事内容ってどんなものですか?
そうですね、インターンさせてもらっている企業が卸売の会社で、それ以外にもいろんな小さいビジネスもやっている企業でインターンさせてもらっているんですけど、
僕が主に担当しているのは商品の発想だったりという作業であったりとか、
あとは新しい顧客に向けてのマーケティングの業務もさせてもらっています。
マーケティングの業務って結構幅広いですけど、具体的に言うとどういう業務になるんですか?
今、日本の商品をこっちのアメリカに輸入するというプロジェクトが一つあって、
その商品がアメリカの市場にマッチするかというのを顧客側が知りたいということだったので、
42:01
こっちのアメリカで、その既にある産業にどういう競合がいるだとか、あとはどのくらいの市場のサイズなのかというのを調べているというところですね。
リサーチが主な感じですかね。
2ヶ月ちょっとのインターンでもかなり深い内容をするんですね。
そうですね、やっぱり社員の数が少ないっていうのもあるんですけど、はい、いろいろ任せてもらっています。
それはいいですよね、インターンでいろいろ見れるというのは。
ちなみにオフィスにはいけてるんですかね。
はい、行ってます。オフィスに毎日行ってますね。
実際に働く人たちっていうのもアメリカ人の方とかですか?
そうですね、社員3人いるんですけど、全員アメリカ人の方で、あともう2人一緒にインターンしてる人が日本人なんですけど、そちらで。
かなり英語を使う機会も多く。
そうですね、今日もちょっとプレゼンしなきゃいけなくなっちゃって急に、すごい緊張したんですけど、はい、なんとかできました。
すごい経験ですね、それ。
そうですね、はい。
なるほど、なるほど。
もともと、まず海外に興味を持ったきっかけっていうのはどんなところですか。
そうですね、中学校の頃、ブラジルで主要な仕事の関係で生活する機会があったので、その時から将来海外に出て働きたいっていうのがあったので、その時から海外に興味を持ってましたね。
ブラジルってことは英語ではないのかな。
そうですね、ポルトガル語ですね。
どのくらいの期間いたんですか。
中学生の3年間通ってました。
ブラジルに。
中学校時代の3年間って結構。
すごいな。
そうですね、結構いい思い出として残ってます。
すげー。
じゃあ言語としてはポルトガル語も話せるんですか。
僕、ハーフなんですよ、実は。
顔が全然ハーフに見えないですけど、それでスペイン語を話すんですけど、それとポルトガル語がちょっと似てるんで、分かる理由がありますね。
じゃあ全部で何カ国語喋れるんですか。
ちゃんと話せるのは多分スペイン語と英語と日本語ですね。
すごい。
最強だな、アメリカの。
ありがとうございます。
逆チャット、本当に多分ニューヨークもそうだと思うんですけれども、私たちのいるロサンゼルスなんて特に、20%くらいスペイン語じゃないかってくらいスペイン語使いますもんね。
45:04
ニューヨークでも結構スペイン語を街中で聞く機会ありますね。
それこそレストラン、お昼ご飯食べに行くレストランであったりとか。
それは良い強みですね。
ありがとうございます。
実際に海外生活はブラジルにされてると思うんですけど、アメリカで生活されてみて何か他の国との違いとか日本との違いとか気づいたことあります?
そうですね、すごいカルチャーショックみたいなところは今のところはないんですけど、
例えば何でしょうね、何があるかな。
メトロ一つとっても、例えば日本のメトロだと、日本の電車だと普通にネットも通じるし、すごい便利だなって感じることはあるんですけど、
こっちはやっぱりメトロに行くと全然ネットも通じないし、みたいなところで、生活の違いは感じてますね。
日本の地下鉄ってネット通路と繋がるんですね。
全然繋がりますね。
それ知らなかった。
そうなんだね。
そうなんだ、やっぱりニューヨークって日々の生活が電車、メトロ使うじゃないですか。
私たちがいるロサンゼルスって、たぶんみつさんも私も電車に一度も乗ったことがないっていう感じの生活なので。
そうだね。
たぶんね、だからやっぱりアメリカの中でもだいぶ違いますしね。
そうですね、はい。
住んでる場所はどのあたりなんですか、ニューヨークの。
今住んでるのはブルックリンですね。
じゃあマハッタンまでは電車で。
電車で、はい、毎日。
なるほど、今大学生ということですけれども、
実際に海外でインターンをしようって、結局シンガポールに行けなかったけどアメリカになったって話ですが、
アメリカにインターンが決まるまでの流れっていうのはどういう感じだったんですか。
もともとスカイアスさんの方でシンガポールのインターンに参加していて、
行くめどが立たなさそうだったので、こっちのアメリカで短期留学を考え、短期インターンを考えたっていう流れですね。
なるほど、なるほど。
ちなみにスカイアスさんとの出会いっていうのはどういう感じだったんですか。
スカイアスさんとの、それは自分でインターネットで調べて、
48:01
3つくらいエージェントの方とお話しさせてもらって一番いいなと思ったので、
利用させてもらったって感じですね。
なるほど。
皆さん自分で動いて調べて相談してって感じなんですね。
そうですね、はい。
なんかでも決め手みたいなのはあったんですか、一番いいなって思った理由。
決め手、そうですね、やっぱ費用面で、もともとシンガポールだと結構安く行けるみたいな形で、
他のエージェントさんだとシンガポールの企業がなくてアメリカであったりとか、
あとはイギリスとかでできるよみたいな形だったので、
アジアでインターンできるスカイアスさんにお願いしたっていう形ですね。
もともとシンガポールに行きたいなって思った理由は何ですか。
別にシンガポールじゃなくてもよかったんですけど、
そこで紹介してもらえた企業が面白そうだったっていうので、
それで選んだっていう形ですね。
企業先行パターンって感じなんですね。
そうです。
なるほど、なるほど。
実際にこの2ヶ月のインターン、今真ん中ぐらいですか。
そうですね、はい。
実際にされてみて、その中で学んだことってどんなことです。
そうですね、やっぱり超人数っていうのもあって、
とにかく社員同士がめちゃくちゃ話すっていうところで、
いろんなディスカッションにも参加させてもらってるんですけど、
ちょっとまだその会話についていけないっていうところもあるんですけど、
そういうところでいろいろこっちの文化であったりとか、
こっちでのビジネスの仕方であったりとかを学ばせてもらってますね。
みんなにみんな喋るんですか。
そうですね。
どうなんですかね。
他の大きい企業じゃないからかもしれないんですけど、
とにかくコミュニケーションをめちゃくちゃ取ってるっていうイメージがあります。
オフィスの中の空間はどういう感じなんですか。
みんな同じ場所にいて、向かい合って座ってるのか、
あっち向いて座ってるのかとかいろいろ。
向かい合ってはないですけど、ほぼ顔の見える範囲に全員がいるみたいな。
形なので。
そのままじゃあ喋りながら仕事しながらって感じですか。
そうですね。
企業によっていろいろカルチャーありますけどね。
確かに確かに。
喋るのがはばかられるような張り詰めた感じのとことか、
いやいやとできるか。
51:01
仕事の内容にもよると思うんですけどね。
そうですね。
なるほどね。
もうすでにブラジルにもお住まいで、アメリカでもインターンして、
しかも何カ国語も喋れる子山さんですけれども、
今後の展望とか将来の夢みたいなのを教えてもらえます?
分かりました。
そうですね。
今回インターンさせてもらって、
英語がまだまだ伸ばさなきゃいけないなっていう、
特に会話のところでっていうのがあって、
でもその一方で外国人の方といろいろ一緒に働く中で、
もっと世界を股にかけて活躍できる人材になりたいっていう目標が、
もともとあったんですけど、それがさらに強くなったかなって思いますね。
なんで、あと大学生活が1年あるんですけど、
そこにその目標を達成できるように、いろいろ頑張りたいなとは思っています。
興味のある分野とかお仕事とかって何か具体的にあったりするんですか?
今コンサルの業務にすごい興味を持っていますね。
コンサルもいろいろありますよね。
はい、いろいろあります。
何系のコンサルに興味があるんですか?
インターンとは全く関係ないんですけど、IT系のコンサルに興味があります。
IT系のコンサルってどういう感じの仕事ですか?
なんか顧客の課題をIT技術で解決するみたいなところで、
最新の技術とかに触れられるっていうところで、
面白いのかなって考えてますね。
すごくおっしゃる通りだと思います。
うちの会社はITコンサルが多いんですけど、
特に日本からアメリカに来る日系企業さんとかって、
やっぱり日本で使っているソフトウェアは使えてもアメリカで使えないとか、
アメリカの社員のカルチャーに合わないとかいろいろあるので、
そういう意味でグローバルなITコンサルってのは非常にやりがいがありますよね。
はい、そんな気がします。
ありがとうございます。
本当可能性をいっぱい秘めてスキルをいっぱい持った青年さん。
ありがとうございます。
なるほど、じゃあ最後にですね、
54:00
今からアメリカとか海外とかでインターンをされてみたい、
OPTをされてみたい、興味があるっていう方に向けて、
簡単でいいのでメッセージをお願いできますか。
はい、コロナでいろいろリモートになったりとかして、
別に海外に行かなくてもグローバルな経験とか得られると思うんですけど、
実際に僕も来てみて思ったのは、行ったら行ったでいろいろな経験ができるので、
興味がある人はぜひ挑戦してみてほしいなって思います。
ありがとうございます。
ございます。
今小山さんのようにシンガポールとかね、
他の国に行ってアメリカに行ってとかいろんなパターンもありますし、
長期の方も短期の方も大学生の方も大学卒業した方も
いろんな方がいらっしゃると思うんですけれども、
アメリカ現地にいらっしゃるOPTをすでに大学でね、
OPTをこれからやりたいとか希望されている方も
スカイアスさんご相談できるということなので、
ぜひとも簡単に相談されてみてください。
では最後にプレミアムスポンサーのご紹介です。
スカイアスは世界6カ国11都市に拠点を置くグローバルエデュケーショングランドです。
海外留学、スタディーツアー、海外インターンシップ、ジュニアキャンプ、
オンラインプログラムなど、グローバルへのきっかけを作る
多彩な教育プログラムサービスを展開されています。
詳細はwww.skyas.global.com
もしくはwww.america-intern.comにてご覧いただけます。
ということで、今日はニューヨークで短期のインターンをされている小山さんにお話を伺いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
以上、リアルアメリカ情報でした。
締めのコーナーです。質問。
質問あります。
えつこさんのナンタケットバスケット職人ということであやかって質問なんですけど、
今まで沙織ちゃんが自分で作ったもので何か使っているものとかってあったりしますか?
手作り?
57:02
そう言われると全くないかもしれない。
今はアメリカに住んでるからあれだけど日本の実家とか
はいはい。
残っているとか。
私はない。あれかな。飾ってあるのとかはありますよね。
小学校の時に、あれは図工って言うんでしたっけ?美術かな?みたいな授業で焼き物を焼いたんですよね。
なんかあるよね。
ありますよね。
拾ってきたカラービンのガラスをその焼き物の上に入れてガラスを溶かしてガラス細工を作るみたいな。
へー。
それはすごいオシャレにできたんで未だに飾ってありますけど。
どういうオブジェみたいなの?
平らなお皿?ピザみたいな感じ。
そこにいろいろ飾り?
そうそう。流し込んで、溶けるガラス細工を上に置いたら勝手に溶けて、ちょっと枠を高くしてあるからそこから先にはいかないようになっててみたいな。
顔、スマイルかなんかを作ったんですけど。
それが実家のどこかに飾ってあるんだ。
そうそう。玄関に飾ってました。
えーすごい。
えーそんぐらいかな。あります?めつさん。
いや俺もさ、その質問を考えつつさ、なんかあったっけなと思って。
まず実家にね、でもあるのが、たぶんまだあるはずなんだけど、鍋敷。
それもだから俺も同じようなもん。小学校の時の、中学校だっけな。
鍋敷の真ん中はタイルがあって、そこには中入りが書いてあって、その周りの木が四方にあって正方形。
その木を削って彫刻刀とか出してた。
でその飾りを作るみたいなので、それを作った鍋敷はずっと使われていて、買えるたびにあー俺が作ったやつだなーって思い出して。
思い出して、ちょっと嬉しくなるみたいなね。
いやーほんと言われてみたら手作りのものってないですね。
ないけど、やっぱりそれを見るとさ、思い出すしさ、嬉しくなるっていうかさ、ちょっとハッピーがちょろっとあるじゃない、そこには。
確かに。
なんかそういうのっていいよねーっていう。
メモリーとくっついてますからね。
そうそうそう。だからなんかそういうものって、そこにあるだけでさ、ちょっと微笑ましくなったりするっていうのがいいなーと思って。
1:00:01
こっちで俺はでも日曜大工とかは割とするんだけどね、棚とか。
あーなるほどなるほど。
でもそれは別になんつーんだろうな、思い入れがそんなにないっつーかさ。
必要だから作る。
そうそうそう。だからそういうものね、なんか実用的なものでなんか作れたらいいなーなんてちょっと思ったりしましたね、話を。
うちは母も祖母もよく、祖母は最近はないのかな、母もすごい編み物が好きでよく編んで。
あーはいはいはい。
なんか編んだよとか言ってくれるんですけど、手編みのやつすごいスースーするんですよね。
それは着るもの?
着るもの。なんか何でも編みたいから編むんですけど。
あー。
わかる?このザクザク。
目が粗いから空気が通りやすいってことね。
超スースーする。
すごい全然着ないの。
ちょっとそんなこと言わないでよ。
言ってもいいの?いいんですよ、本人は。
編みたいから編んでるんで。
そうだよね、そういうもんだけどね。
先に伝えてます。
伝えてます。
確かに俺もなんかいろいろおばあちゃんがなんか編んだっていうかバックを作ってたな、刺繍みたいな。
あー、とかパッチワークとかね、好きな人多いですよね。
確かに作ってる人はね、もう編みたいからやってるんで。
そうそうそうそう。
誰かにあげるって、もらった人は割と困るみたいな。
そのパターン。大体そのパターンわかる。
でも確かにね、それを見るだけでもこう思い出と繋がってます。
そうなのよ。それもだから作った人のことを絶対思い出すわけですから。
そう、それは本当そうなんですよ。
いいもんですよね。
手作りってね、なかなか確かになくなってきたけど。
さてさて、今回お届けしましたインタビューの内容とリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
podcast.086.comまたは1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、みなさんからのお便り。
今日もね、なべじゅんさんからのお便りを紹介させてもらいましたけど、
どしどしお待ちしてます。
そしてパトロンさんからのお支援も、
今ウェブサイトで、
5ドルから500円です。
月々500円からのご支援が可能となっておりますので、
そうするとね、動画が見れたりしてステッカーもらえたりしますので、
みなさんからのご支援もお待ちしております。
それでは、ご視聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
そうするとね、動画が見れたりしてステッカーもらえたりしますので、
みなさんからのご支援があると、
番組がどんどんインプルーブされるはず。
1:03:05
ちょっと何を言ってるかわからなくなってきましたけど、
そんな感じなので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。
01:03:36

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