2023-04-15 53:24

Vol.250: 太田健一(ラーメンコンサルタント)2/4

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日本。知れば知るほど、見れば見るほど素敵な国だなぁと今更ながらに心から感心してしまうのです。春のエネルギーを感じる山はずっと見ていられる車窓からの風景ですよね。寝不足な板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、63人目のインタビュー。
アメリカで10年ほど前から一気に盛り上がっている”ラーメン” トレンド。日本で食べるラーメンにも引けを取らない本気のこだわりラーメンをここアメリカで創り出す強者たちの筆頭。「ラーメンのことなら何でも教えます」ととても頼もしく、経験と実績に裏打ちされた自信を感じさせる太田さん。美味しいラーメンをたくさんアメリカに広めていってください!とにかく仕事を楽しむこととラーメンへの情熱と愛を感じるものがたり。

「ラッキーだった」と言えるのはやっぱりそのチャンスを掴んだ人だけで、よくよく考えるとチャンスを掴んだこと自体がその人の凄いところで、それはやっぱり「ラッキー」だけではなくその人の実力なんだなぁなんて思ったり。

投稿 Vol.250: 太田健一(ラーメンコンサルタント)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
ねえ、いろいろチャットGPTだけじゃないよみたいな話を先月したんですけど、
今日ちょっとね、チャットGPTに
1%の情熱物語というポッドキャスト番組知ってますか?
から始まる会話をしてみたんで、披露してみたいと思うんですけど、
僕がこの太字のところを読むから、
さおりちゃん、このチャットGPTが何て答えたかっていうところを読んでもらっていい?
わかりました。
じゃあ行きますね。
1%の情熱物語というポッドキャスト番組を知っていますか?
はい、私は1%の情熱物語というポッドキャスト番組を知っています。
この番組は日本のビジネスパーソンやアスリート、アーティストなど、
様々な分野で活躍する人々の成功に至るまでのストーリーや、
その人たちが持つ情熱や信念に焦点を当てたインタビュー番組です。
番組を通じてリスナーはその人たちが直面した困難や苦悩、
そして成功の秘訣を知ることができます。
また番組ホストの松岡修造さんが自身の経験や知見を用いながら、
リスナーに対して具体的なアドバイスを提供しています。
目標がキャリアアップについて考える際に参考になる番組だと思います。
番組のホストとアシスタントは誰ですか?
03:02
1%の情熱物語のホストは元テニスプレーヤーであり、
現在はビジネスマンとしても活躍する松岡修造さんです。
松岡さんは自身がテニスプレーヤーとして苦労した経験から、
人生において1%の努力を積み重ねることの大切さを説くことをモットーにしています。
番組にアシスタントという形式はありませんが、毎回ゲストが招かれ、
松岡さんとの対談が行われます。
ゲストにはビジネス界やアスリート、アーティストなど幅広い分野で活躍する人々が出演しています。
嘘を言わないでください。
お詫び申し上げます。
前回の回答において、番組にアシスタントがいると間違った情報を提供してしまいました。
事実としては、1%の情熱物語には松岡修造さんがホストとして出演し、
毎回のエピソードでゲストが登場し、対談が行われる形式となっています。
再度新しい情報を提供するよう注意いたします。
ありがとう。
どういたしまして。
もし他に質問がありましたら遠慮なくお聞きください。
お力になれるよう最善を尽くします。
知らなかった。
知らなかった。
この番組のホストって松岡修造さんだったんですね。
あらゆるよね。
嘘すぎません?
これでもね、本当にこれ出てきてね。
俺もこれテケテケテケテって文字が出てくるのを読んでて笑えてきちゃうんだけど。
またやってみると違うかもしれないんだけどね。
超嘘じゃないですか。
俺ちょっと調べたのよ、松岡修造さんはそんな番組やってるのかなと思ったら、
多分やってないんだよね、全然。
どっからこういう話になってる。
やば。
やばいよね。
嘘つきです。
嘘すぎる。
これGPT仕事で使ったりしてるんですけど嘘情報だったりしてる。
だからね、本当に気をつけた方がいいですよ。これ結構嘘つきますからね。
やばい。
結構な大嘘ですね。
まあそれぐらいにしておきますか。
そうですね。ちょっと皆さんも試してください。
ではでは本編に入りますかね。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はラーメンコンサルタントとしてご活躍されている太田健一さんのインタビューの2回目です。
先週がラーメンコンサルタント、アメリカでのラーメンコンサルティングってどんなんやっていう話をしたんですけども、
あとカンザスで新店舗を今開ける準備をしていらっしゃるということでラーメン屋さんですね。
06:06
でもカンザス州、まあいいか。
今回はそうですね、大生まれが長野県でそこからなんでアメリカに来たのか、
そしてその後のラーメンコンサルタントへの経緯をざっくり伺っております。
では早速聞いていただきましょう。
今から過去の話を伺っていきますね。
まずご出身が長野県。
そうですね。
どんな幼少期を、というかどんな子供だったですか、客観的に。
客観的に、いやーちょっと思い出すと、何ですかね。
ポンコツだった気がしますけどね。
ポンコツ。
泣き虫でエボを釣ってみたいな感覚、そんなことしてたような気がしますけどね。
泣き虫で何て言いました、その後。
エボを釣る、エボを釣るなんて言うの、フテクされるか。
エボを釣って言うんですね。
そうですね、方言ですね今はね。
フテクされる、車に構えるみたいな。
そうですね。
幼少期で言うと多分そんな感じで。
でも明るく元気な人だったと思いますけど、毎日朝起きてその瞬間から元気な感じなんで。
長野って言うとね、結構走り回れるような場所も多いようなイメージなんですけど、どんな場所だったんですか。
田舎でしたね。小学校とかは田舎だったんで、信号ないぐらいだったんですよ。
小さい学校だったんで、すごい楽しかった思い出はありますけどね。
野山を駆け回ってた感じですか。
そうですね。
ちなみに料理は子供の頃はされてたんですか。
うちの、多分これすごいいい教育だったなと思うのが、土曜日と日曜日に朝ごはんが出てこなかったんですよ。
学校がない日は。
学校がない日は。
なんでかって言うと、僕ら子供が遅くまで寝てるじゃないですか。
寝れる、11時とかまで寝てって朝起きてきて、ご飯がもう大人のご飯終わってるんですよね。
ご飯ないのって言うと、遅く起きてきたのは君なのになぜご飯を作らなきゃいけないんだって言われて、
09:02
その時にものすごく納得したんですよ、その話を聞いて。
本当だって。
そこからご飯を土日は作るみたいな、自分で作るみたいな、当たり前になって、
その辺が料理に対する最初のステップ、ファーストステップで、抵抗がなかったし、自分でやるもんだと。
ちなみに僕らってことはご兄弟らしさだったってこと?
そうです。姉がいるんで、土日はどっちか作るか、一緒に作るかみたいな。
ちなみに何を作ってたんですか、その時は。
全然大したもんじゃないです。たとえば目玉焼き、ハム下にひいて目玉焼き作ったりとか、
そういうところから、ご飯を炊いたのから、おかずを作るみたいな。
そっか。でもそれは大田さん的には楽しかったんですか?
楽しかったでしょうね。そう思いますね。
そっかそっか。なるほどなるほど。じゃあそこからも、そういう道に入って、
抵抗がなくやってきたってことですね。
そうですね。何でもかんでも与えてはいけないなという、教科をそこで得た気がしますもんね。
それでも小学校、中学校、高校ずっとそういう感じなんですか?
そうですね。なければ自分でやるのが当たり前。でもそこで擦り込まれてるから。
でもそういう時で誰か教えてくれるんですかね、料理って。
そういったような教科ないですけどね。
その時はyoutubeとか見てやるのかな。
そこないですよね。多分世を見回りでやってたんでしょうね。
わかりました。じゃあ、そこから高校までいらっしゃったのかな、中野の方に。
そうですね。大学で東京出て。
それはなんかあれですか、目的というか、もちろん大学が目的だったんですけど、
東京行きたいと思ってたんですか?
それはあったと思いますね。東京の大学行けて、
でも大学って、ザ日本の大学生をしちゃったと思うんですよね。
全然勉強とかせずに4年間遊び倒して卒業して、
卒業した後手伝いをして、
4年間遊び倒して卒業して、卒業した後って就職もちょっとしなかったんで。
それは働きたくねーと思ってたって感じですか?
本当にポンコツで、就職活動どうするんだろうぐらいな感覚で、
ゲーっとしてたら終わっちゃったっていう感じだったんですよ。
本当にそんな信じられないぐらいアホな感じだったと思うんですよね。
そうですか。
12:01
ちなみにバイトとかはしてたんですか?
バイトはしてましたね、バイトはしてて。
大学終わった後もフリーターという感じのバイトで食いつなぐみたいなことをしてて、
ちょっとアメリカに行く典型をもらったんで、それで行けたという感じですね。
ちなみにそれはどういったきっかけなんですか?
フリーター2年ぐらいしてて、一緒に大学の時遊んでた友達が先にアメリカに行ってたんですよ。
留学で?
留学というか、二次屋さん。
日系のスーパーマーケットですね。
そうです、マーケットで。
就職して。
ちょっと手伝ってて、2年して帰ってきて、僕はもうちょっとそういうことをしてたんだけど、
そこを辞めるから、そこの空いた人間を一人補充しなきゃいけないって言って、
どう?って言われて、僕は辞めるけど君どう?って言われて。
公認としてってことですね。
公認としてみたいな。
ちょうど2年もフリーターしてて、このままじゃいけないなと思ってて、
ちょっと就職しようと思ってたタイミング、絶妙にそのタイミングだったんで、
じゃあそれやる?って言って。
日本で就職は多分いつでもできるけど、アメリカで就職できる機会ってそうそうないと思ったんで、
よしやってみようって。
ちなみに二次屋さんというのはロサンゼルス拠点だと思うんですけど、何店舗がある日系のスーパーマーケットさん。
そこでビザーも出してくれたってことですね、いきなり。
それはラッキーっちゃラッキーなんですよね。
ラッキーでしたね。今だったらそんなに簡単じゃないと思うし、タイミングが良かったですね。時代が良かったというか。
そこで決断されたっていうのもチャンス掴んだってことだと思うんですけど。
そうですね。
ちなみに皆さんに聞いてるのが何か衝撃を受けた出来事、人生の転換期となったエピソードがあれば聞きたいなっていう感じなんですけど。
その就職のタイミングが人生最大の転機だったと思うんですよね。今なかったら日本にいるでしょうし、海外で暮らせなかったでしょうし。
なるほど。
そこから僕、就職と企業みたいなことをこの年までで6,7回してると思うんですよ。
転職と企業とってことですか。
その仕事を変えるタイミングが常に人生で大きなインパクトがあったと思うんで。
なるほど。
転職と移住、これが一番大きかったですよね。
15:03
今は独立でできてますし。
そうですよね。もともとでもアメリカにとか海外に興味があったんですか。
全然、日本大好きで3年で帰ろうと思って最初来ましたからね。
あーそうなんだ。
じゃあ別に英語も喋れるわけでもなく。
全然でしたしね。
別に生活はでも嫌じゃなかったんですか。
楽しかったですね。
最初はルームメイトと若かったし、毎日遊びながら仕事してみたいな感じでしたし。
気楽じゃないですか。こっちの人って自由に生きてる感じもするし、
この年になったらこうとかそういうのも全然みんな気にもしないし、人のこと気にしてないですから。
そうですね。
気楽さが多分最高に合ってる感じですね。
じゃあカリフォルニアが良かったんですかね。これがニューヨークとかだったらまた。
きつかったかもしれないですね。カリフォルニア良かったですね。
あと日本食がアクセスがあったから、
この食事がいきなり中西部来て毎日ハンバーガーってなったらもう泣いて帰ってたと思いますね。
確かにね。
食事は変えられないですね。
今でも毎日食べてますから。
ご自身で作られて?
そうですね。奥さんが作ってくれます。
奥さんもカンザスに行かれてらっしゃるんですか。
そうですね。来てます。一緒に手伝ってくれるんで。
ちなみにお子さんはいらっしゃってますか。
結構大きいんですね。
そうですね。奥さんの連れ戸というかですけど。
なるほど。
大きいんで一緒に住まなきゃいけないとかそういうことでもないんで、今は奥さんと。
そういうことですね。
子供はLAにおいて。
なるほど。そっかそっか。
何年生まれたんですかね。
20年生まれました。
20年生まれました。
20年生まれました。
20年生まれました。
そっかそっか。
なるほどですね。
じゃあちょっと話を戻させてもらって。
仕事をするまでの経緯ということで。
経歴をちょっと載せさせてもらっているかと思うんですけど。
2004年に都兵されていて、そこから二次屋さんのマーケットの後に丸海っていうね。
LAに住んでる人はみんな知ってるんですけど。
今東京セントラルっていう名前になったりしてるのかな。
であったり、セイワマーケットさんっていうね。
日系スーパーの代表的なのが4,5個あるんですけど、その3つをはしごしてらっしゃる感じなんですけど。
4つあってね、3つ行ってますからね。なかなかいないと思うんですけど。
18:00
これどういう、これはでもやっぱり条件が良くてヘッドハンティングみたいなされる感じなんですかね。
二次屋さんに最初に入れていただいて、そこで6年半くらいやって、その後に自分で一回仕事しようと思って。
独立?
独立。それはすぐダメになっちゃったんですけど。
そこで一回二次屋さん終わって独立してすぐダメになって。
それはちなみにどんな授業だったかさらっと聞いていいですか。
なんかそのコミュニティサイトを作るような感じのウェブサイトの授業だったんですけど。
それはうまくいかなくて。
それでじゃあ次どうしようかなっていう時に、その北海の当時の副社長の方とたまたまで会う機会があって。
そこで今何もしてないんだったらぜひうち来てくださいよみたいな風に誘ってもらって。
じゃあやってみようかなと思って。
そこに行って、丸海さんがドン・キホーテさんに買収されたタイミングで、その時のお社長に世話になってた御本があったんでやってましたけど。
会社も変わるし、じゃあちょっと退職しようかなって言って辞めて。
その時の社長さんの名前って何でしたっけ。
松さんですか。
松さんですね。とても私も1,2度お話しさせていただいたことあるんですけど。
オーラのある人間のデカい方ですよね。
そのタイミングで辞めて。
他のちょっとお誘い、ラーメンのイベントの事業にやるっていうのを手伝ってくれっていう話が他の方があって。
それを1,2年やって。
事業的にイベントって安定した収支じゃないし、人が来なかったら負けかないし。
安定しないからもうやめようって言って、それは解散して。
またじゃあどうしようかなっていう時に、世話さんに声かけていただいて。
世話マーケットさんですね。3つ目のスーパーマーケット。
松さんが新しくやるよっていう会社だったんで顔見知りだし、やってくれよっていう話で。
そこに参画させていただいて。
それの時に初めてラーメン屋さんを自分で考えたやつを、松さんが1箇所場所がスーパーの横にあるから。
もし何かやるならやっていいだよって言っていただいたんで。
じゃあ僕ラーメンやりたいですって言ったら、いいよやっていいよって。
思った通り全部やらせていただいて。
21:01
それが一番最初のラーメン屋さんをゼロイチでやる経験。
そうなんですね。
それ大きいですね。
材料というか食材はそこにあるわけですもんね、スーパーに。
そうですね。
ゼロイチ経験ってなかなかね、それやらないとわからないこともあって、ラーメン作るだけとは全然違うんで。
確かにそうですね、オペレーションもしないといけないわけで。
それをやった時に立ち上がったんですけど、ビザの書き換えで問題があって、日本に面接を受けた時に落ちちゃって、ちょっとダメだよって言われて。
そこで1年日本に浪人して。
ラーメン屋立ち上げた後に?
立ち上げた後に。
本当に立ち上がって、お店立ち上がってたんですけど、せっかく僕のアイデア全部立ち上げたのに帰れないってなっちゃって。
うわ辛いですねそれは。
でもボケとしててもしょうがないから、日本で何かしようと思って、そこで日本のラーメン学校に行ったんですよね。
それは生徒としてということですか?
生徒として、もっとラーメン勉強したいなと思って。
ラーメン学校行って、そこでいろんな人と知り合って、1年後ぐらいにアメリカ帰れるかなっていう目処があって、1年間何かしなきゃなって。
いろんなそこで話とかビジネスの話を聞いて、餃子屋さんを教えてくれる人がいて。
その人に教わって、じゃあ僕もそれやりますって言ったら、準備を教えてあげるよって言って教えてくれたんで、実家で餃子屋さんを開けたんですよ。
それがこの新種生餃子店?
そうですね。
これはリンク貼っておきますんで、皆さん長野に行ってください。
持ち帰り餃子専門店ですね。
それも独立2個目の?
2個目のトライアルで、それは今も会社あるんで、うまくいったらええと言えばうまくいったらええですけど、そんなでっかいネット商売したわけじゃないですけど。
そこでいろんな人に手伝ってもらって、これかっこいいなというか、こんなにいろいろやってくれて。
その人たちがめちゃくちゃかっこよく見えたんですよね。
餃子のやり方を教えてくれた人たちがってことですか?
人たちとその時に関わってくれたラーメン学校のデザインの人とか、アドバイスをくれた人が無償でというか、ボランティアみたいなのに手伝ってくれて。
これはかっこいいわと。
これやろうと思ったんですよ。
これを買えたらやろうと思って。
アメリカに戻ったらそれをやろうと。
戻ったらこういう人になるんだと。
24:00
それも結構な転機ですね。
あれは良かったですね。すごく悪いビザがダメになったというめちゃくちゃ悪い衝撃的な事実だったんですけど、振り返れば人生最大の転機ですね。
それは良い出会いですね。
それで1年後、ちゃんと予定通りに戻ってこれるようになったんで、餃子屋さんは人に任せて帰ってきて。
コンサルタントってすごくいいのが、資格も何もいらないじゃないですか。
僕がコンサルタントですって言った瞬間からコンサルタントなんで。
あとは実績を出せるか出せないかだけの問題だと思うんで。
そこからコンサルタントを独立してやろうと。
ちょうど奥さんと結婚でのグリーンカードを取得だったんですけど。
自由だし、ビザにも縛られないし、やりたいことやろうと。
そこで青和さんも辞められて。
ビザ落ちた時点でもうちょっと。
勤務はありますけど、もう勤めることができないんで。
自動退職というか。
そうですか。
でもそこでラーメンコンサルタントを名乗ろうって思ったってことですね。
そうですね。
それはヒントというかきっかけみたいなのあったんですかね。
帰ってくる前にラーメンの学校とかでお知り合いになった人たちと仲良くさせてもらってて。
ビザのことを教えてくれた小川師匠って呼んでますけど。
そろそろ帰りますと。
準備もだんだんととなったんで帰れるようになったんですよ。
帰るにあたって、帰ったらこういうコンサルタントみたいなことをやろうと思うんですよね。
こういう構想でざっくりと話したんですよね。
そしたら即答で大丈夫成功しますって言ったんですよ。
お師匠さんが。
めちゃくちゃすぐ答えるから。
ビジネスはモデルが最初だから。
ビジネスモデルとして太田さんがやろうとしてることは間違ってないし。
もうここで半分成功してるようなもんですよ。
あと太田さんがやるんでしょ。
じゃあ大丈夫よって言われて。
なるほどってそこを本当に今も思いますけど。
頭に雷落ちたと思いましたね。
めっちゃ心強いっていうか背中押してもらっててるっていうか支えてもらえてる感じしますね。
そうですね。
僕業界開けて他にもいろいろお勤めで商売は一部やらせていただいてましたけど。
自分でその位置からビジネスを作る。
そしてそれを成功させてスケールさせていくっていうことが多分めちゃくちゃ大事だと思うんですよ。
その時にそういう風に成功させるためのモデルを一番最初に考えるのが大事で。
それを渡りやるだけというかそれに対して試行錯誤があるだけなんだっていう風に逆転的に考える必要があるんだって。
27:06
ガーンって頭を打たれた感じで今もそれをやってるんですよ。
なるほど。最初のモデル01。
その1から10の方がやりやすいよってことですね。
そうですね。その01が方向的に合ってるのか。
合ってるっていうのは漠然とした感じですけど。
スケールできるものなのか、
ビジネスモデルの大事さを教えてもらいましたね。
なるほど。
で、立ち上げられたのが、
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
スケール。
で、立ち上げられたのがラーメンサポートLLCという会社。
そうですね。
ウェブサイトですかね。
それもちょっとリンク貼っとくんで皆さんも見てもらえたら。
ラーメン屋さんにしか興味向かれないサイトですけど。
いやでも本当にここ、確かにすげえいいとこ見つけられたなって思いますね。
でもそうよく言われるんですけど、
僕それによく返すんですけど、
ラーメン屋やった方が儲かりますよ。
コンサルタントより。
コンサルタントはいい感じに見えるんですけど、
僕お客さんの生徒さんとかのお店、どんどんと手伝ってるじゃないですか。
彼らの店舗開けてバーンって立つ。
その時の儲けに比べればめちゃくちゃビビったるもんですけどね。
ラーメン屋さんが人気なビジネスモデルっていうのも分かるし、
例えばアメリカでの外食がうまくいった時の破壊力とか。
確かにね。
ラーメン屋さんなかなかいい商売ですよ。
立ち上げの時の最初のところでコンサルタンティングはするけど、
その後のメンテナンスっていうか、そういうところには関わってはいかないってことですか?
一回立ち上がっちゃったらもう終わりって書いてあるんですかね?
最初いっぱい電話かかってきます。
開けた後に。
立ち上げ僕が3日4日行って、長いわけで1週間とかいますけど、
その後やっぱりその短期間では全てをね、生徒さんも分からないんで、
どんどん電話かかってきますけど、だんだんと電話が減っていって、
もううまくいってんだろうなみたいな感じの付き合い方ですけど、
でもすごくその後も何でも相談がおるし、
立ち上げにどうしたらいいかなとか、新メニューにどうしたらいいかなとか、
いろいろ話は来るんで、それに集まって、
あと何か必要なものがあれば食材をサプライズするとか、
30:04
卸売り的なこともするんで、それはケースバイケースですね。
そっかそっか。
でもその売上的に言うとそこで一旦契約は終わって、
あとはその都度都度、何か必要があれば発生するって感じになるってことですかね?
そうですね。
そうですね。
いやーでもね、大田さんが憧れたというか、かっこいいなって思われた先生たちというか、
先人たちとか、お師匠さんみたいな感じの立ち位置には今慣れてるっていうことですもんね。
そうですね。もっともっと、
お師匠さんみたいな感じの立ち位置には今慣れてるっていうことですもんね。
そうですね。
まあ今慣れてるっていうことですもんね。
そうですね。もっともっと、
生徒さんの成功率を上げるというか、
もっと成功させれるような、
もっともっと僕もバージョンアップしなきゃいけないし、
古くなっちゃいけないし、
何か変えた時に、こういう新しいのあるよとかって言えるようになってなきゃいけないし、
そこは意識してますけどね。
素晴らしい。
ありがとうございます。じゃあちょっと次のセクションにそろそろ入っていきたいと思うんですが。
日系の米国にあるスーパーは知り尽くしていらっしゃいますね。
このLA界隈では代表的なのが4つあって、そのうちの3つをもうはしごしてますから。
あとリーチなんですけど。
いく手余ったじゃないですか。
でもね、それがやっぱりね、
その経験ってだいぶ今のラーメンコンサルタントに活かされてるんだろうなって思うよね。
そうですね。
製造配送管理とかをやってらっしゃったということで、
やっぱり食材の仕入れる流通とかタイミングとか在庫の管理の仕方とかさ、
そういうのが多分全部頭の中に入ってると思うんだよね。
食材の賞味期限とかもあるだろうしね。
ラッキー、ちょっと今また改めて聞いててさ、
ラッキーってどっかで言ってたのに、アメリカに来たときのきっかけだったかな。
友達がアメリカのニジアっていうスーパーで働いてて、
33:00
その人が帰ってきて、公認として自分が行かないかってなったときもラッキーでしたって言ってたんだけど、
多分そのラッキーって言葉が他にも来週、次週からもどっかで出てくるんだけど、
よくよく聞いてるとでもそれ掴んだからラッキーって言えるわけで、そのチャンスをね。
確かに。
多分素通りしてたらそのままでもならないんですけど、
そのチャンスを掴んだのはやっぱりその太田さんであり、
ラッキーって言える人だから。
やっぱこれラッキーじゃねえんじゃねえかとか今なんかふと思ってたんだけど。
確かに。ご縁ですよね。
ご縁だったり、それをチャンスが通り過ぎるときにちゃんと掴める人っていうか、
で、ラッキーって言うんだけどさ、
それ掴んだからでしょっていう感じで今ふと思っちゃった。
確かに確かに。任せようというふうに、声をかけようというふうに思ってもらえるような。
まあそうだね、それもあるよね。
人柄だったってこともあるし。
はいはいはい。
うーん。
うーん。
うまいですなあ。
ちなみにビザ問題で日本に一旦ね、一回帰んなきゃいけなくなっちゃったってことで、
そのときの出会いが多分大きかったって言ってましたけど、ラーメン学校へ行かれて、
で、餃子屋さんをね、持ち帰り専用の餃子屋さんを開けたってことだったんですけど、
その餃子屋さんはまだ日本にあるみたいなのでね、
今日はその餃子屋さんに行ってみようかなって。
と言っても長野県の人しかちょっと厳しいのか、これは。
ああ、そっかそっか。
確かに。
持ち帰り専用らしいですけどね。
うんうんうん。
ウェブサイトのリンクを貼っておきますので。
っていう感じでね。
はい。
まあでも、やっぱりそれもビザなくなってっていうか、
問題があって、買えなきゃいけなかったけど、
そのときに出会った出会いが多分この人生の天気になってるんだって思うと、
なかなかこの、何と言うんでしょう、この人生の面白さというか。
本当ですね。
うん。
確かに。
ね、なんかあるよね、そういうのね。
ね、でロサンゼルスに来て、
まあラーメンブームっていうかちょうどここ10年、15年っていうのはものすごいそのラーメンにも勢いがあったでしょうし、
タイミングが重なってね。
うん、太田さんも言ってたけども、完全に追い風に乗ってるっていうね、感じ。
うんうん。
まあそれもだからラッキーじゃなくて自分で乗ってるんだろうな、きっと。
そうですね、確かに確かに。
掴んでるんだよね、ちゃんと。
ラーメン屋さんが儲かりますよっていうのはやっぱり気になりますね。
気になるよね。
コンサル担当よりラーメン屋の方がいいですよって。
36:02
まあでも確かに、このアメリカの市場のデカさとか、
特にこのラーメンっていうのは多分日本の方が断然研究されてるから、
それを持ってきて成功した時のインパクトがデカいなと思いますよね、本当に。
だからこれを聞いてね、挑戦したいラーメン屋の皆さんはぜひ。
ラーメン屋。
コンタクトしてね。
コンタクトしてね。
コンタクトしてね、挑戦したいラーメン屋の皆さんはぜひ。
いいですね、ラーメン屋。
コンタクトしてみてくださいという。
そして次のエピソードは。
その奥深いラーメン屋のですね、ラーメン屋って面白いね。
ラーメン屋って漢字ではなくて、ラーメンをやろうという意味のラーメン屋ですけど、
奥深さをちょっと掘り下げて聞いてみたりとか、
あと今自身のテンポ立ち上げで感じてること。
やってみたからこそ分かることとかね。
あとは、何でしょう、結婚の話とかも出てくるかな。
その辺のちょっと中に入り込んだ掘り下げ話を伺っております。
楽しみにしております。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります。
毎年、毎年じゃない、最近続けてお送りしていますおうちシリーズ。
私が買ったおうちのシリーズの続きでございます。
これまた今回続くのね、来月。
そうそう。
おかずに。
おかずに、もう忘れちゃうから。
わかりました。
ただ今回に関しては、
じゃあ前回までのあらすじはいらないね、これは。
いらない。
いらない。
今回に関しては、日本の皆さんもできることなんですけど、
なんですけど、
まずね、おうちを買って、おうちどれぐらいリフォームが必要かなって、
家の中を見ていたら、
キッチンとかすごい古いんですけど、
とりあえず最初はそのままキッチンも使おうかっていう話をしてたんですよ。
確か築何年つってたっけ?
築70年、73年ぐらいかな。
39:04
それのオリジナルのキッチンが残ってるってことなのかな?
いや、多分何回かリノベーションしてると思うんですけどね。
そうそう、すごい真っ黄色のキッチン、おばあちゃんが使ってたのがあって。
なるほど、古いということですね。
そう。
で、下を開けたらですね、水漏れがすごくて。
キッチンのシンクの。
シンクの。
木も水漏れによって駆逐してしまっており、
全然使えるものにならないとなりまして、
もう家に入った、家の鍵をゲットした翌日から、
もう全部キッチン壊そうってババババって壊したんですよ。
業者というか旦那の知り合いの大工さんみたいな人がね。
壁も壊して、で、プラミング、水道管の、
を新しいものにする工事とかもして、つなぎ直して壁を張り替えて、
っていう大工事を。
1日で?
1週間くらいかな。
翌日から開始して1週間くらいやってたってことね。
そうそう、1週間くらいやってましたと。
そうなるとキッチンを新しくしなきゃいけない。
はいはい。
キッチンを新しくするってどうするんだろうと思って、
いろいろ調べていたら、
キッチン業者さんみたいな人っているじゃないですか。
キッチン業者?
そうそう、キッチン専門で作ってる。
あれだよね、ホームデポとかね、キッチンなんつうの?
コーナーみたいな。
あるよね。
そうそう、そういうところに、
ホームインプローブメントセンター、なんて言うんだろうな。
センターでいいんじゃないの?
ホームセンターか。
ホームセンターとかに、
コンサルしてもらって、
専門の人が家に測りに行って、
それ用に、
サイズ用に作ってくれるみたいな。
なるほど。
あるんですよ。
1式のやつ。
ホームセンターはもうちょっと簡易なやつだったりするんですけど、
全部1から10までやってくれるところもある。
チンクがあって、
棚というか、
皿入れる棚か。
キャビネット。
キャビネットがあって、
テーブルがあってとかそういうこと?
そうそうそう。
そういうのを全部測って、
デザインしてくれて、
でもそれってたぶん、
100万円くらいかかるんですね。
キッチン作るだけでね、
新しい。
作るだけでね、
そうそう、1から測ってデザインして、
カスタマイズでサイズを合わせてキャビネット作って、
でもやっぱ安く押さえたいよなと思って。
うん。
そしたら、
だってキッチンのキャビネットとか売ってるの、
たぶん、
IKEA行ったことがある人は見たことあると思うんですけど、
はいはい。
あるね。
かわいいキッチンキャビネットとか、
42:01
いろいろキッチンコーナーとか売ってて、
これどうやって取り付けるんだろうみたいな。
ああ。
と思っていたら、
IKEAは、
基本自分でやってくださいなんですよ。
なるほど。
キャビネットは売るから。
で、IKEAのホームページに行くと、
できる3Dのシステムとかが用意されていて、
ああ。
はいはいはい。
自分で自分のキッチンとかを測って、
そのシステムに入れれば、
うん。
そこにぴったり当てはまるように、
IKEAの商品とかをね、
並べたりとか、
サイズを測ったりすることができて、
はい。
で、そう測ったものをそのまま、
オーダーってすると、
全商品がオーダーできて、
購入できるみたいな、
と思って、
プランニングセンターとかに行って、
自分でプランニングして、
結局全てのキャビネット揃えて、
ちっちゃいとこ、
ちっちゃいキッチンですけど、
2600ドルぐらい。
へえ。
で、新しいキッチンができました。
4分の1ぐらいね。
そうそうそう。
コストで抑えられたと。
コストで抑えられて、
で、商品が、
ウェイティングリスト、
で、翌週に全部届いて、
へえ。
で、先週末に自分で全部組み立てて、
で、1日かかりで。
で、今日、
それを壁に取り付ける作業を、
自分たちで行おう、
っていう風になってるんですよ。
そう?
そう。
そうなんだ。
よなよな。
それもでも自分たちでできるんですよ。
レールがあって、
それをちゃんと測って、
それでもキッチンができちゃうので、
これは世界共通なのですね。
なるほどね。
縁文業者に頼まなくてもできるということが判明しました。
多少知識があればね、
壁がどういう構造になっててとかね、
そうなんだね。
配管がここ通るからとかね。
そうそうそうそう。
そういう知識持ってそうだもんね、
旦那さんとその仲間たち。
そうそうそう、その友達はね。
私ちょっと切ったりとかね、
打ったりとか、
工具が必要かもしれないけどね。
工具は必要なんで、
ちょっと買ったりしてるんですけど、
壁のどこに柱があるかっていうのをね、
検知するやつとかね。
そういうのあんだ、検知するやつが。
そうそうそう。
20ドルぐらいで売ってたんですけど、
ここに柱があるよって教えてくれて。
どうやってやるの、それ。
なんかね、こういう機械を壁に当てると、
それがね、検知してくれる。
針が振れるってこと?
多分レーザー出してるのかな。
何かかわからないんですけど。
いや、マジそれ必要なんだよな、俺。
なんか壁ってさ、
本当、球技打ったらスコーンって
抜けちゃう時があるじゃんね。
抜けちゃう。
で、柱がある、どこに柱あんだよって言ってさ、
ちょっとずつ抜けて、あ、抜けた。
45:00
ずらして、取った、打って、あ、抜けた。
って測っていくと、
もう穴だらけになっちゃうんだけどさ。
そうそうそう。
それができるってことね。
すいません、話しろ。
腰折りました。
腰折りでハンドルとかでそういうの変えるので。
なるほどね。
じゃあそういうのを駆使して。
そうやっていくと、
日本のちっちゃいキッチンでもDIYが。
DIYでいけたってことね。
できるわけなんですよ。
まあ日本もね、
IKEA、IKEAあるしね。
あるから、全然どこの人でも
自分たちでできるっていう。
そんな発想が私もなかったから、
自分たちでできるんだっていうところが。
ちょっとね、
でもちょっとやっぱり詳しい人が仲間に
うちにいるとね、
やるかってなるけどね。
そうね、
カウンタートップとか切らなきゃいけなかったりするのでね。
うん、
まあその独立しているものだったらいいけど、
やっぱりそこに
その水道とかと
あと電気とかが絡んでくると
ちょっと不安になっちゃうもんね。
ちょっとね。
うん。
うん。
だから1から10までできなくても
例えばこのキャビネント頼むところまでやってとか、
で、そしたら抑えられるから
実験機とかね。
そうね。
そういう節約もできるんだなっていうのに
勉強になった。
そうだよね。
あとそういった
仲間たちに声をかけたほうが安く仕上がるっていうね。
ホームデポーの前に
うろうろしている仲間たちが
通称アミーゴっていうのがいっぱいいるからね。
アミーゴね、
アミーゴいっぱいいるんですよ。
アメリカに来ると。
ホームデポーに。
気をつけてくださいね。
クオリティーはちょっと保証できないことが
多いですからね。
ホームデポーの駐車場にいっぱいいるんでね。
いっぱいいるわ。
いろんな人がいますからね。
まあなんか物を運ぶだけとかならね
全然いいと思うけどね。
全然いい。
大きい素材ゴミを捨ててくださいとかも。
切った木を全部持ってってくださいとかね。
ああ、そうそうそう。
そういうのもいいですけど。
細かい作業になると。
新品のドアとかでも空きが悪いんだよな。
しょうがない。
もうしょうがない。
なんか反対にくっついてねえかこれみたいなね。
よくある。
そうなんでございます。
そんなこんなで、
今日も頑張ってまた
キッチンを仕上げたいと思います。
はいはい、頑張ってください。
でも楽しそうだね。
そうね、いろいろ自分だって
できるっていうのは楽しいですね。
マイホームを作り上げていく過程はね
楽しいと思います。
羨ましいです。
ということでリアルアメリカ情報でした。
はい。
48:06
ではでは締めのコーナーです。
質問。
質問をメモしておいて
答えを用意してないんですけど
質問しちゃいますね。
何か自分がいつも我慢しちゃってることってありますか?
我慢しなくてもいいのにな。
なんでこれ我慢しちゃってんだろうね。
やっぱ一個もないな。
やばい。
いや俺もこれ考え、質問はね
なんかこの質問面白いなと思って
メモってあるんだけど、だが
面白い答えというか
答えがあまり出てこない。
かかっているけど
我慢しなくていいのにな。
難しいですね。
えーなんだろう。
みつさん思いつきます?
思いつかないけど
とにかく日本にいたときは
まん延電車、まん延電車だね。
何かわからないけど
社会の圧力に
同調圧力を我慢していたなとは思うけど
最近はあまりないんだよね。
そうですね。
コロナからもあるかもしれないけど
何だろう。
なんかこの間
俺いつもハムの話多いかもしれないけど
スーパーでハムを買うんだけどさ
切ってもらうわけよ
スライスしてもらうわけだけど
何パウンドとかハーフパウンドとかつってね。
それの作業が遅そうと思って
俺の前にもう一人女の人がいてさ
明らかに待ってるなと思いながら
しょうがねえか待つかと思って
その女の人も2種類か3種類
チーズがこれでハムがこれでとか
それを待ってるのもちょっと長いと思ってたんだけど
自分の番になっても遅そうと思って
ちょっと久しぶりにイラッとしたんだけど
それでも我慢
ちょっと話違うかな
分かんないけど
とにかく遅いなと思いながらやってたんだけどね
何も言わなかったんだけど
違うけどそれで言うとこっちの人って待ちません?
すごい待ちますよね
だからその
それがちょっとそうね
そういうのある?
待った?
スタバとかでもう尋常なく待つことがあるんですけど
51:03
日本の感覚
特に東京で生きてた感覚だったときって
全然来ないし
どこにあるの私のオーダーは?とか聞く
聞いてこっちをイライラしてるけど
私よりも遥かに待ってる人とかも
あなたのオーダーだよって言われたら
Thank youとか言ってHave a good dayみたいな
分かる
やっぱ思います?
分かる
しかも俺の忘れてねえとか言っても
向こう側逆切れするみたいな
日本だったらもうすいません
申し訳ありませんって
今すぐ持ってきますみたいな感じで
エクスペクトしてるんですけど
絶対ない絶対ない
逆に怒られるもんね
なんだこの話
我慢してることが特にだから
アメリカってあんまり我慢しないことが多いのかな
そういうことか
我慢するなら言うみたいな
ことが多いのかな
なんかちょっと思いつかないけど
皆さんなんかありますかねっていうことで
皆さんはあるのかな
ちょっと気になりますね
解放していきましょうということですね
そうですね
ということで
今回お届けいたしました
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はいということで
今週も聞いてくださって
ありがとうございました
ありがとうございます
また来週お会いしましょう
じゃあね
53:24

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