1. ゼミごっこ!
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2022-10-12 45:58

020 - 海外でトラブルを呼び込む才能があるからさ (スカーレット, クマの先生)

あの二人が帰ってきた!夏に悲願のカナダ留学を果たした大学4年生のスカーレットさんが、ふたたびクマの先生と話します。番組前半はトロントに行ってきたスカーレットさん、ついついカナダでも日本語を話してしまって……と反省気味です。番組後半はクマの先生からアメリカ留学中のアラスカでのボランティア話がなかなかのスケールだったので、そちらはノーカットでお届けします。今回、センセイはディレクターやってます。番組宛のメッセージを https://marshmallow-qa.com/zemigokko から送ってもらえると、みんなで喜びます。

参考文献

トロント | Keep Exploring - カナダ観光局 https://jp-keepexploring.canada.travel/places-to-go/toronto

00:01
えっとね、前回ね、何話したかもう覚えてない。
だからね、あなたもし覚えてるんだったら、
ちょっとこう、あ、それも喋りましたとか、
あ、わかりました。
途中でこう言ってくれた方がいいかもしれないね。
つかみます、じゃあ。
ただね、えっと、前回喋ってないことは覚えてる。
おお。
だから今日はそれを喋ろうかと思ってる。
あなたが知りたいことを、なんか僕に聞いて、
で、僕は答えるっていう、こっちじゃなかったっけ?
ちがうっけ?これって。
前のコンセプトはそうでした。
おお、ということはコンセプト変わったの?
今回は普通におしゃべりできればいいかなというそうです。
じゃあ、いや、というか今回はあなたのあれだな、
カナダ留学のこととかを多少聞いちゃおうかな、じゃあ。
あ、わかりました。
その辺も含めて。
はい、まあいろいろと、あれやこれやということで。
あれやこれや。
大学初ポッドキャスト、ぜみごっこをお送りします。
おはようございます。
はい、おはようございます。
はい、今日はゲストでまた、くもの先生で大丈夫なんですか、呼び名は。
いいですよ、今で大丈夫です。
うちのゼミの先生が勝手に命名したんですけど、大丈夫でしたかね。
いやー、もういい命名だね。
ほんとですか?
うん、ほんと。
あの、ふうふうがあるなら。
光栄です。
あ、よかったです。
じゃあ今日はくもの先生をお迎えしております。よろしくお願いします。
はい、久しぶりだね。よろしく。
すごい、いっぱいオーディエンスがいる。
すごいたくさんいる。
どうでしたか、トロントは。
トロントに行ったんですね。
はい。
懐かしいな、僕トロント2回行ってるんだけど。
そうなんですね。
いいとこだよね。
トロント。
ほんとに好きだね、僕はね。
ちなみにそれはどういう目的でトロントに行ったんですか。
それはちょっと内緒ですけど。
わかりました。
ちょっといろいろ差し支えることがあるので。
わかりました。控えときます、じゃあ。
まあ、とにかくね、思い出の地です。トロント。
トロント。
でもなんか、私すごい楽しかったんですけど、わりかし問題は結構ありましたね。
トラブルは多かったです。
それを聞きたい。
何があった。
何があった。
え、でも、いろいろあったけど、一番強烈だったのは、海外で携帯をなくしました、私。
なんと。
それは痛いね。
すごい痛いんですけども、それが、トロント行ったら、かの有名なナイアガランだけ見に行くじゃないですか。
もちろん。
帰って、るんるんで。
私たちの場合は、タクシーに乗って帰ったんです。
で、タクシーに行って、駅まで乗って、駅から電車に行くんですけど、その電車の時点で、あ、やばい、携帯ないってなって。
で、まあ、あっせるじゃないですか。
03:02
でも、たぶん、タクシーの中で携帯を持ってた記憶があったんで、たぶん、タクシーの中で忘れたんだなと思って、
まず、タクシー会社に電話したんです。
で、どこの駅で降りて、どこで乗って、みたいな話を聞かれたから、全部答えて、
で、10分後に電話かけてくれって言われたんです。
で、10分後にもう一回かけてたら、見つかりませんでしたと言われて、はーってなって、終わったわーってなってたら、
私、去年あたりからiPhoneに変えたんです、携帯を。
で、今までは、まあ、Androidだったんですけど、
iPhoneってiPhoneを探すっていう能力があるじゃないですか。
ありますね。
で、友達がそれを教えてくれて、私知らなかったんですけど、探せますよと。
それで、iPhoneを探すっていう機能を使って、見つけた人に電話してもらえるように通知が出てたのかな。
それで、タクシーの運転手のおっちゃんが気づいてくれて、君の携帯は安全だよって電話かけてきてくれて。
すごいじゃん。
そうなんですよ。
なんか、僕が守ってるから、君のためにできることは何でも言ってって言われて、
わー助かったって思ったんですけど、電車の時間も結構遅かったんで、
その日はもう取りに行けないし、トロントの市内にいたんで、取りに行けないから、
次の日に乗り上がりに行く友達がいたんです。
だから、その友達が私の代わりに取りに行くから、
その日に渡してくれって言ってくださったんです。
やっぱりいいお兄ちゃんもいるもんやなって私は思ってたんですけど、
それはカナダだから、チップの文化があるじゃないですか。
一応私は、わざわざ来てもらってるから、その友達にお金を渡したんです。
もう、わりかしちょっと感謝も込めてお目に出たんですけど、
やっぱチップだから、もわもわって言われるじゃないですか。
言われたのかな?
言われたらしくて、結局その友達が、私があげたお金プラスアルファ5ドルぐらい持って渡してくれたらしくて、
携帯がね、チップ代だけで戻ってきたから、危機にもならなかったし、
情報が漏れることもなく、戻ってきたから良かったんですけど、
まあ、ちょっと怖さを感じましたよね。
それはちょっとハプニングだったよね。
うまくいって良かったね、とにかくね。
本当にそうだ、もう大体戻ってこないじゃないですか。
一応ハッピーエンドだったんだ、それ。
いい経験ですよね、正直。
すごい予想を裏切ってくれたね。
なくして欲しかったですか?
めっちゃ残念。
そんな良いエンディングだったんだ。
はい。
じゃあ次の話題行こう。
早っ!怖っ!
ゼミごっこ
06:01
どうだった?留学自体が。何週間?
3週間です。
3週間、語学スクール。
はい。
だよね。で、勉強になった?
自分が、コース的には割りかし良いコースだったんで、
その行ったクラスで、日本人は私含めて2人しかいなかったんです。
だから、どっちかというとフランス人が半分ぐらい。
で、一応いろんな文化を知れたから、すごい良かったなと思ったんですけど。
最初にクラス分けテストがあって、あなたは割と上の方のレベルに分けられたっていうことね。
それで結構良かったっていう面としては、日本人が少なかった。
そして周りが、やっぱり母国語を英語としない、フレンチが母国語の人たち。
実際フランス人だったのね。
はい。もう半分がフランスの方。
そっかそっか。良いとこ行ったよね、あなたね。ほんとね、今回ね。
良かったです。
なんかその具体的に、どうですか?そのクラスの中では、こんなことが楽しかったとかってのはありましたか?
めちゃめちゃコミュ力をがんばって発揮させて、すごいいろんな子にすごい話しかけたんです。
で、そしたら結局最終的に、自分は今回寮で泊まったんですけど、寮の中でみんなでパーティーしてみたいな感じでお友達をたくさんできたんで、それは良かったですね、すごい。
英語をしゃべるとき、外国語ってなんでもそうだと思うんだけど、頭の中でその外国語を多分日本語に訳してる暇はないと思うんだよね。
確かに。
もうどうですか?今回、スカーレットさんは。行って帰ってきて、もう頭の中で日本語に置き換えなくても大丈夫になった。
トロントに行った時点で、あんまり日本語考えてみたいな状態じゃない状態で行けた。
で、もうワンランク上にはなった気がします、頭の中の回転というか、その回転率はちょっと早くなったかなって感じはするのかな。
やっぱ慣れだよね、と思う。
でね、その慣れを僕、阻害する要因の一つが、母国語を使っちゃうことだと思う。その環境において。
つまり、もっとはっきり言うと、周りにいる日本人といかに日本語での会話を抑制していくかということだと思うんだけど、
この辺は、寮にいたっていうことも言ってたんだけど、そのクラスには日本人はあまりいなかった。寮生活を含めて、日本語はどうですか?ある程度は排除できましたか?
もう結構しゃべっちゃったんです。それっていうのが、やっぱ今回、学校のプログラムで行ってるから、どうしても他の同じ大学の子たちとコンタクトを取らないといけない場面っていうのが結構あって。
09:10
あったんだ。
そのプログラムのやり方が間違ってる。
寮の子たちとも結構あったんですけど、例えば、別に自分が英語のレベルが高いとは思ってないんです。
ただ、なんか問題が起こったときに、自分が一応最年長だったのもあって、どうしたらいい?みたいなふうに、
お姉さんだったっけね。
そうなんですよ。私、お姉さんだったんで、どうしたらいい?みたいな相談を受けることも結構あって、
なんか、結構日本語の相談を受けに行けまくっちゃった。
確かにな。
そこをね、頑張って。
排除しないといけない。
違う違う違う。いやいや、もう英語で返す。相談を受けてね。アドバイスを英語でする。
なんか、一個ちょっとつらかったのが、トロントっていろんな移民の方がいらっしゃって、
そこに来た移民の方々も、たぶん一生懸命英語を頑張って覚えた人たちだったと思うんです。
一人、英語を喋るのが本当に苦手すぎて、友達とも喋れないみたいな子が一人いて、
その子と街中で、私、日本語で喋っちゃってたんです。
で、その時に、その子は気づいてなかったけど、その街のたぶん移民の方だと思われる方がすっごいでっかい声で、
他の国の言葉喋って、英語喋らないなら帰れって言ってたの。
本当?
聞こえちゃってって。でもその子は気にせず言ってるけど、私それ聞こえたの結構ショックで。
でもやっぱ、移民の方には、移民の方のやっぱそういう思いとかいろいろあるから、
なんかそう言ってくれるのは、やっぱりカナダの方じゃないんです。どっちかというと。
でもなんか、でもやっぱ自分たちも移民だし。
なんかそういうのをちょっと聞いて、そこはちょっとだけショックでしたね。
でもなんかそれを聞いてハッとしたところもあります。
確かに、それはそうだと思って。
英語を学びに来て、そこに来たのに、確かにここで日本語喋ってるの間違ってるなってところはあったけど、ちょっと怖かったです、でも。
ちょっとそれは確かにショックだね。
僕はあんまりそういう経験したことがないから、そういう経験もししちゃったら、ちょっとショック受けるのはよくわかるね。
確かに。ただ、なんていうか、外国で自分の国の言葉を喋るっていうのは、英語を学習することとはちょっと別の次元で話をすると、
自分の国の言葉を喋ることは、僕は何ら問題ないと思うし、
それこそトロントみたいな国際的な都市だからこそ、いろんな国の人がいろんな国の言語で生活をするっていうのは、ごく当たり前だと思うし。
12:04
私も結構そのイメージだったんですよね。
結構いろんな移民の方もいらっしゃるし、結構、チャイニーズタウンとかコリアンタウンとか、結構いろいろな文化があったから、
なんか、きっと英語じゃない言葉もたくさん聞こえるんだろうな、ぐらいのイメージで、
もうその状態で行っちゃってたから、多分その街中で日本語を喋ることにあまり抵抗がなかったし、その時も。
だから僕は思うに、かなり少数派だと思う。今回あなたが出くわしたタイプの人。
そういうことを思ったり、そういうことをわざわざ口にしたりする人っていうのは、僕はどっちかっていうとちょっと少ない、少数派なんじゃないかなっていう気はするけどね。
語学スクールに行ってて、やっぱり語学の能力、自分が勉強したい外国語の能力を高めたいっていう時に、日本人であれば日本語を喋らないようにする。
僕はやっぱりそれすごく意識してた時があって、もうね、とにかく英語うまくなりたいっていう思いで、ものすごく焦ってたのよ、すごく焦ってたのよ。
それで、なんでそんな焦ってたかっていうと、周りにいる僕の知り合いの日本人とかが、どんどん学部の正規課程に入って、
アメリカ人、僕アメリカに留学してたんだけど、アメリカ人の学生と席を並べて、専門科目を勉強し始めてる。中にはもう大学院に進学してた人もいたしね。
その横でだよ、僕は語学スクールにまだ行ってたわけ。これはね、結構なやっぱり劣等感なんだよね。
それで僕はすごく焦ってた。だから、日本人と日本語で会話をするっていうのを、もう僕はほんとことさらに避けてたね。
で、面白いことに、最初からね、もう英語で会話を始めた日本人の知り合いっていうのは何人もいたんだけど、彼ら彼女らとはその後も一度も日本語をしゃべることなく、ずっと英語でしゃべり続けるこういう関係が何年も続いたというね。
それ素敵ですね。
ちょっと一見ね、風変わりに見えると思うんだけどね、周りの日本人からすると。
だけど、それをやってる本人たちにとってはいたって普通のことで、むしろね、すごく、なんだろう、学べることが多くてね。
15:06
僕が一番強烈だったのはね、都米して最初に出会った日本人の留学生で、ものすごい英語がうまい人だったね。
で、いやもうね、こんなに英語を流暢にしゃべれる人がいるんだと思って、ほんとに感動したんだよね。
で、もうまさにね、そのロールモデルだよね。
こんなふうに自分もしゃべれるようになりたいなって強く思って、で、その時ね、寮に住んでて、寮のキッチンでその人に会ったんだよね。
で、いろんなフレーズとかね、もう学んだし、とにかくすごい勉強になったね。
そういうのは一つあった。
それからあと、やっぱり日本人同士で一緒にいると、友達ができにくいっていうのもあるんですよ。
結構ね。
で、彼はいつも日本人の友達と一緒にいるからっていう目でやっぱり見られちゃう。
そういうのも結構こう、アメリカ人であろうと、あるいは他の外国人の留学生であろうと、ちょっと壁を作っちゃうようなところもあるんじゃないかなっていうのも、今思えばあるので、
やっぱり現地に行ったら、できるだけちょっと頑張って、孤独になってでも、その日本語を使うっていう、日本人を避けるんじゃないんだよね。
そうじゃなくて、日本語をしゃべるっていう機会をどうやって減らすかっていうことが、そうするとね、結局今言ったように、外国人も会話に入ってこられるわけよ。
確かに。
すごくスムーズにね。だからね、多少タドタドしくっても、ちょっとお前言ってることわけわかんないけどみたいな状態であったとしても、日本人同士で英語でしゃべっていくっていうのは、僕は大事なことだなって当時思いましたね。
確かに。
短い留学の期間であればあるほど、僕はそれを意識して取り組むことが本来できると思うので、スカーレットさん、もし今度機会があったら。
そうですね。
今回すごくラッキーだったのが、結構その、自分の日本人の一緒に行った大学の友達が、あらゆるところでクラスでお友達とか作ってたり、自分もそのクラスでお友達作ってたりみたいになって、
自分たちのメンバーの中の一人が、誕生日あったんです。その3週間の中で。その時に、でっかいパーティー開こうみたいな話になった時に、
18:07
全員その寮にいる友達が、全員その、じゃあ日本人じゃなくて違う友達を呼んでこようみたいな、違う国から来た友達を呼んでこようみたいな機会があって、
で、その時に、なんか、すごいいろんな人と知り合えたから、それはすごいラッキーだったなーとは思うんですけど、
でも、それって結構やっぱ独自じゃないですか、その大学で行ってるからみんなつながりがあるけど、本来こういう、なんだろう、日本人からそこまで他の子たちとつながるみたいなことはあんまりないと思うんで、
たしかになー、英語で返せばよかったですね。
それはね、
ちょっと後悔。
相手によるけどね、やっぱりね。
でも、もううむを言わさず、もう英語で、
もう言ってやる。
突き通す、相手が日本語で返してきても英語で攻め続けるっていうね。
たしかに、やればよかったなー。
いやいやいやいや、それはね、結構難しいと思うよ。だけどね、いつか機会があったら、ちょっとやってみるといいと思います。
例えばですが、今スカレットさんはゼミでね、先生と卒業研究の完成に向けて色々やりとりしてると思うんですが、先生から日本語で言われたら、あなたは英語で返すとかね。
最近、ちょっといいことなんですけど、トロント中に1回、先生からLINEが来て、その時に英語で来てたんですよね、気使ってくれて。
で、私が英語で返したんです。
そしたらそれ以降、ゼミの話とか全部その話が英語になっちゃって。
なるほど。
すごい良い傾向なんですけど、すぐにパンって今までレスポンスしてたのが、
あ、英語できた、後で返そうみたいな。すぐにレスポンスできなくなっちゃって。
なるほど。
まあ、そうですね、卒業するまでにはすぐレスポンスできるぐらいにはなってたいですね。
そこはね、今度はLINEとかじゃなくて、
対面ですよね。
対面でね、言葉でね、
もし、あなたの先生が非常に心が広い方だったら、おそらくあなたが英語で話し始めれば付き合ってくれるでしょう。
なんか、私たぶんいまだに、そこの線が1個越えてないなって思ってるのが、知り合いの前で英語喋るのめちゃめちゃ恥ずかしくてまだ。
なんか、トロントにいて、そこで英語話すのは別に恥ずかしくなかったんです、別に。そういう環境だし。
例えば、うちの学部にいるネイティブの人と英語で喋れるのも別に恥ずかしくはないんです。
21:07
でも、例えば、日本人の英語できる人の前で英語喋るのが一番私はすごい、ちょっと、あ、っていうのがあって。
やっぱ、たぶんそこは本当にプライドの問題なんですけど、自分ができないっていう、うまくまだ納得いくレベルまでいってないなっていうのが自分でわかってるから、すごい知り込みしちゃうところがどうしてもまだあって。
どうしたらいいんでしょう。
いや、それも仕方がないね。もう爆発を踏むしかないですよ。
そうですか。
とにかくね、そんなくだらないね、あの羞恥心はね、とにかくどっかにさっさと捨てて、できる限りどんな場でも英語で喋っていくっていうことが、僕大事だと思います。
今、卒論頑張って英語で書いてるんです。
すごいじゃん。
でも、やっぱ難しいですね。なんか、その先行研究を読むのは大丈夫なんです。読むのは大丈夫だけど、それをじゃあまた英語で書いて、自分の言葉でってなると、やっぱちょっと専門的な言葉を使うのはまたそれはそれで、日常会話でも大変だから、結構大変だなって。
ちなみに日本語で先に書いて英語にしてるってことではなくて、
書いてないです。
でも、初めから英語で書いてるの。
英語で書いてて、全部。
最初から英語で書かれたときに、それを添削する側としては苦労することが結構多いね。なぜなら何を意図して書いてるのかがわからないので、結局その人に日本語でこれ何を書いてるのか聞かなきゃいけなくなっちゃうっていうね。
そういうことはよくあるんだけれども、あなたの先生はきっと辛抱強く。
そうですね。
信じてます。
あなたにも配慮して、うまくやってくれるでしょう。
はい、お願いします。
お願いします。すごい首打ってる。
すごい首振ってますね。
今日ちょっと僕小道具持ってきたんだけど、話変わりますが、
僕がアメリカで留学してたときに、いくつかね、これはやっといてよかったっていうことがあります。
そのうちの一つがね、ボランティアね。ボランティア経験。環境ボランティアっていうのに僕は興味があって、それでいろんなボランティアを探したのね。
そしたら一つ見つかったのが、これ今もアメリカに、アメリカカナダにあるんだけど、
英語でね、ステューデントコンサベーションアソシエーションって言うんだけど、SCA。コンサベーションっていうのは保全とか保護とかっていうね、学生が環境保護に取り組むような教会、SCAっていう団体が今もあるんだけど、
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そこがね、仲介して、アメリカと主にカナダの大学生を、いろんな政府機関の研究所とか、あるいは行政機関の窓口とか、いろんなところでインターンシップみたいな意味合いも結構多くて、
そういうところで職場体験、プラスそういうボランティアをするっていう、そういう窓口になってる機関があって、そこの広告を見たのよ、学内で。そこを応募したのね。
で、僕はとにかくね、アメリカならどこでもいいって全然思ってなくて、自分が経験したいことは、かなりエクストリームなことだったんだよね。
例えば、月に行くとかさ、さすがに月とか火星に行く仕事はないわけなんだけど、で、次に行きたかったのがやっぱり、僕はアラスカに行きたかったんだよ。
いいなー。
やっぱね、実はアメリカの、アメリカ人たちから見ても、アラスカっていうのはすごく特別な場所なのね。まあ行ってみれば、ちょっと結構憧れの地なのよ。だからバケーションなんかは結構アラスカかハワイかっていうぐらいね。
みんな出かけていくことが多いんだけど、シーズンに応じて。夏はやっぱりアラスカ。で、冬はハワイに出かけるっていうね、そういうの結構多いんだけど、僕はとにかくね、アラスカの未開の地で、荒野の中に身を置いて、
で、その自然環境について研究したい。まあそういう研究をお手伝いしたいっていうね。すごいそういう希望を持ってたのよ、当時。で、応募したのね。で、結構競争率が高くて、アラスカのボランティアっていうのは。
で、アラスカにあるアメリカの内務省の政府機関の魚類野生生物局っていうところ、今も同じ役所があるんだけど、そこの生物学者の手伝いをするっていう、僕はもう願ってもないようなね、ボランティアの機会で。で、応募したら、電話でのね、面接があるのよね。
まあ今だったらそれこそさ、オンラインでね、Zoomとかでやるところなんだろうけど、当時はもう電話ですよ。で、電話がかかってきて、僕が住んでた寮にね。
で、死亡理由だとかね、それからあとは、今どんな勉強してるかとかね。それからアラスカにもしボランティアで来たら、こういうふうなセッティングなんだけど、君はそれに耐えられるかとかね。基本的にもう、なんだろうな、かなり主体性を持って動かないと、この仕事は務まりませんよ、と。
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なんかすごい危険なこともありますよ、と。クマもたくさんいますよ、とね。
クマ。
そう、もうね、いろいろなチャレンジが待ち受けてるけど、君はできるか。もう、できますよ、と言うしかないよね、これね。
ですよね。
もうすべてイエス、イエス、イエスですよ、当然。それで見事、僕は受かりました。
え、すごーい。倍率すごかったんですよね。
うん、たぶん4、5倍だと思う。ほとんどアメリカ人だよ、応募するのがね。
ですよね。
だからね、僕は本当に嬉しかったね。
先生はなんで受かったんだと思います?その倍率高いところに。
いやー、もう僕のね、やっぱりもう絶対行きたいっていう気合。これが伝わったんだと思う、本当に。
へー、すごい。
だからね、それ僕アメリカに渡ってからまだね、1年ちょっとしか経ってなかった頃だったので、そんなにね、そこまで英語もね、できる方じゃなかったしね。
それこそやっぱり前、前回にもね、スカーレットさんと話したときに言ったかもしれないけど、やっぱりその外国語って、その伝えたい内容があることが大事だと思うよね。
どれだけ上手に喋るかっていうよりは、そのコンテンツだと思うわけよ。
だから僕はそれを伝えきったんじゃないかなっていうふうにね、まあ信じてますけどね。
わかりません。でね、行きました。
はい。
アラスカ行きました。もうね、大学夏休みに入るや否や、向こうに行って、最初は2週間トレーニングがあるんですよ。
トレーニング。
要するにね、ボランティアっていうのは、ちょっと日本人っていうか、アジアの国なんかだと割とボランティアっていうのは、低のいい、安い、あるいはただの無償の労働力として見なされがちなんだけど、
まあ諸外国、欧米は結構僕は違うと思う。アメリカは少なくとも違ってて、しっかりボランティアの仕事をする前に教育をするんだよね。徹底した。
例えばアラスカの場合だと、結構ヒグマがたくさんいるので、万が一ね、自分たちのクルーがね、ヒグマにすごく至近距離で遭遇してしまって、かつ襲われかけるっていう状況に遭遇したらどうするか。
だからまずね、クマの生態学っていうのを学ぶんですよ。そのためのね、そのための先生が来るんだよね、わざわざ。半日ぐらいかけてね、いろんなビデオなんかも見ながら、その先生のレクチャーを聞いたりして、それでヒグマっていうのはとにかくものすごく好奇心が旺盛で、ものすごく気まぐれで、
そしてその人への対応っていうのはもうヒグマによってものすごく個性があるので全く違うと。つまりもう予測不可能な動物っていうのがまさにヒグマだっていうのを、もうすごい叩き込まれたね、最初に。
30:07
で、その対策としては一つは、これは本当に最終的な手段なんだけれども、鉄砲で反撃をするっていうことなのね。なので、そのファイアアームセイフティっていうんだけど、銃火器を安全に使うためのトレーニングね。
で、主にかなりの大きな弾を撃てるライフルと、ゾウを倒せるぐらいのマグナムなんだけど、ライフルとそれからショットガンね。で、これのトレーニングを受けるのね。で、ライフルはちゃんとね、これボルトアクションなんだけど、もうそのボルトを外して、綺麗にして、もうゴルゴ13の世界ほとんど。知らないだろ、ゴルゴ13。
わかりますよ。本当か。うちのお父さんの本壇とかにいます。いいな、お父さんと友達になれる、僕。で、そういうふうにね、ライフルとかショットガンをある程度ばらして、綺麗にして、つまりメンテナンスだよね。それで、それはまた元通り組み立てるっていうね、ところもトレーナーがいてね、手取り足取り教えてくれるわけよね。
で、あとそれから射撃場に行ってね、ぶっぱなすんだけど、その時もね、いろんな面白いトレーニングがあって、単に動かない標的に向かって撃つっていうだけじゃなくて、大きなダンボール箱にヒグマの大きな写真を貼り付けて、紐をつけて、45度ぐらいの角度で誰かがそれを引っ張るのよね。
で、つまりどういうシチュエーションかっていうと、ちょっと二手に分かれてて、仲間と。で、銃を持ってる人が、その襲われてる別の仲間をなんとかして助けるっていうシチュエーションね。
だからその人たちが紐を持って、ダンボール箱をすごい勢いで引っ張るんだよ。バーって。で、その動く標的を狙い撃つっていうね、そういうね、すごい際どいね、射撃訓練とかもやって、自慢じゃないけどね、僕はほんと全く当たらなかったです。
当たらなかったっすね。
当たらない、当たらないね。これはね、想像以上に難しいです。でね、ものすごいね、反動がすごいのよ。火力が大きな銃なもんだから、構え方とかからして、もう全部襲わるんだけど、襲わってもね、ちょっと前傾姿勢で引き金を絞ってドーンって撃つんだけど、すごい反動なんだよね。
まあだからもう反動で僕ね、撃ってもこれ僕、熊やる前に反動で自分死ぬわみたいな。そうそうそうそう。反動で自分気絶すんちゃうみたいなね。
そんな威力なんですね。
そんなね、そういうのも最初は思ったね。だんだん慣れてきて、少しは当たるようになるんだけど、だけどアメリカ人とかカナダ人のボランティアって結構来てたんだけど、学生ね、もう上手いんだよね、銃の扱い方、撃つのも。
33:12
なんでかっていうとね、彼らはね、もともとヨーロッパからアメリカへカナダに移民してきて、祖先がね。
やっぱり家族の中でハンティングっていうのが一つの文化になってんだよね。だからおじいちゃんから子供、そして孫へと、例えばそういうこれおじいちゃん使ってたライフルなんだよねみたいなのを、僕も以前見せられたことあるけど、
そういう感じでね、寮をする、動物の寮をするっていうのがもう12、3歳くらいから始める人多いんだよね。
そんな若い時から。
そうそうそうそう。だからね、もう20歳くらいのね、若者だったからみんなね、そこに来てたのは。もうみんなね、もう何だろう、慣れ親しんでる感じなんだよね。
すごいな。
そうだね、だからね、すごいそういうの面白かったね。だから僕は、ディジグネイティブシューターっていうんだけどさ、要するに一つのグループの中で一人か二人、銃を任される人っていうのを作るんだよね。
特にやっぱり上手な人だよね。僕は一度もそれ担当してないんです。僕はいつもちゃんと除外されてた。
でもそれありがたい。なんでかっていうと、むっちゃくちゃ重いから。
あ、そうなんですね。
ものすごく重い。もうライフルとかあんなの背負って、いつも肩にかけて持ってたらね、まあ本当にもう、すごい体力消耗しちゃうね。
へー。
まあ、そんなことがありました。あと他にもね、面白かったのはね、やっぱり水上飛行機とかセスナーに乗って移動することが多かったんだけど、そうすると不時着するような事故に遭遇するっていうことも想定しなきゃいけなくて、
あのー、その、孤立無縁の状態になった時に、あなたはどうするかみたいなね、そういうサバイバルだよね。サバイバルトレーニングっていうのがあって、そうそう。
で、実際まあその、どっかの無人島に行くわけじゃないんだよ。だけど、仮想サバイバルってことで、今も覚えてるのはね、何が一番大事かっていうとね、遊ぶ、遊びをとにかくみんなで遊ぶことだっていうのが教わったね。
2、3人のもしメンバーで、どっかに不時着をしたら、何でもいいから、とにかくゲームをするといいっていうね。
例えば、野球のバットに見立てた棒と、それからボールに見立てた、何でもいいんだけど、ゴミでも拾って、それでベースとか置いて、それで野球をやるといいとかね。
36:01
で、一見すごいバカバカしいんだけど、これがなんでそういうことをするべきかっていうと、結局、ものすごく孤独になって、孤独であるがゆえに死んじゃう、死への時間が、死を近づけちゃうっていうね、ふうに言われてるんだよね。
だから、いかにして人っていうのは、孤独を紛らわすことができるかっていうのがどうも課題らしくて、で、一つはそういうふうに、例えば仲間がいなくても、自分一人だったとしても、何か楽しいことを見つけるっていうのが、不時着、そういうふうに。
へー、面白い。
漂着したときにはすごく大事だっていうね、ことなんかは印象深かったね。
火起こしじゃないんですね。
そうね、火起こしのこともあったけど、どっちかっていうとね、そっちのほうが印象的だったね。
へー、おそ見なんだ。
だから、実際ね、僕もそれでフィールドワークで、一回ベースキャンプを出て調査行くと、一週間ぐらい帰ってこれないのね。
一週間ずっと荒野をてんてんと、ほとんど僕は川をゴムボートで下っていくっていうね。
海まで下っていって、海岸で飛行機、小型機に拾ってもらうっていうやり方だったんだけど、
アラスカ半島っていうね、あのとこにいたんだけど。
で、最後ね、その海岸に着いて、ゴムボートでずっと下っていって、ほとんど食料がなかったんだよね、そのときもうね。
で、それはね、なんていうのかな、ちょっとよくないことだった。
本当はもっとちゃんと計算して、十分な食料持っていかなきゃいけなかったんだけど、ちょっとギリギリになってたんだよね。
しかもその天候が悪くなっちゃって、2日間ぐらい迎えの飛行機が来られなくなっちゃったんだよね。
で、やっぱり一番困ったのはお腹が空いたってことだよね。
そうですよね。
で、3人仲間がいた、僕含めて3人のクルーがいたんだけど、みんなお腹が空いて、それで釣りをすればいいじゃんっていうことなんだけどもちろん、釣り道具持ってたし。
だけどそんなときに限って、全く釣れないんだよね。
なんかすごい映画の中の話聞いてるみたいな。
それであと銃もあるから、動物獲ればいいじゃんって思うじゃん。そこがね、子ネズミ一匹ないんですよ、そこがまた。
ネズミでもいいから撃ってね、焼いて食べようよみたいな話を本当にしてたんだけど、うろうろしてもね、全然。
39:04
本当はだよ、アラスカってトナカイ、野生のトナカイがいたりとかね、ヘラジカがいたりとか、そういう大型のね、本当もうおいしいステーキになるようなさ、動物っていくらでもいるんだけど、その場所に限って全くいなかった。
普段だったらだよ、僕らもう毎日のように鮭を調査でとって、それをいろいろ計測したりして、また話したりっていうのをずっと続けてきたのに、その場所に限って一匹も魚がいないんだよ。
すごいな。
つらかったね、本当に。
で、僕はそれでちょっと、なんかね、本当にフリーズドライのね、どうしようもないような食材があったので、それをちょっと日本風にアレンジ、日本食風にアレンジして、ちょっとヌードルとかもあったのよ、乾麺が。
で、燃料はあったので、また十分に。で、水はいつもそのろ過器があったので、川の水を汲んでそれをろ過するんだけど、綺麗な水が出てくるのよ。で、飲み水もあったんだからね。
そうそうそう。で、僕ちょっと日本風のね、あの料理をアレンジして作ったらね、これは激マズでさ。
めっちゃおいしいかと思った。
これがね、もうすごい不評でさ、言われたのが、二度とこれは作るな。
きつい。
言われて、あのね。
作ったのに。
それはね、やっぱね、みんなのね、四季を高めるね、あのような食べ物を作らなきゃいけないね。だから食べ物って大事だね、ほんとね、すごく大事。
本当にみんな落ち込んでたから、僕の料理でさらに落ち込んだっていうね。
面白い。そんなことある。
で、ごめんなさい、小道具っていうのは、これはですね、アメリカ政府の内務省って上に書いてあるね、United States Department of the Interiorって書いてあるんだけど、
そこのFish and Wildlife Serviceっていう、魚類野生生物局っていう、このお役所から僕に対する、ボランティアでね、当局にで献身的なね、献身的に働いてくださったことに対する、これは感謝の印ですっていう、これは症状なんでね。
で、こんな立派な木のね、こういうフレームに入って、これをね、ボランティアが2ヶ月、2ヶ月半かな、2ヶ月半のボランティアが終わった時に、各ボランティアがこれを渡されるんだよね。すごい感動なんですよ。
で、実はこれだけじゃなくて、この他にもなんかね、僕はすごいカヌーが好きだったので、自分のカヌー、実はアラスカまで持ってって、よく漕いでたんだけど。
42:03
楽しそう。
そうなんだよ。で、そしたら、あなたカヌーが好きだからって言うんで、アラスカの川とか海岸をカヌーで旅行できるガイド本みたいなのがあって、それをプレゼントしてくれた。
えー。
これに加えて。
え、そんな、なんだろう、個人に合わせてそんなのくれるんですね。
そうなんだよ。そういうところがね、なかなか憎いところだよね。
えー、すげー。
もうあまりにね、僕は楽しかったので、次の年も行っちゃいました。
次の年も、次の年は今度はね、カオパスっていうのかな、もう試験なくて。
もう君ね、みたいな。
そうそう、僕が行きたいって言ったら、もう来いってことになって。
これね、ボランティアってほんとね、すごいいいのよ。
要するに僕はコロラド州に住んでたんだけど、デンバーからアラスカのアンカレッジ、アンカレッジから小さなキングサーモンっていう村まで行くんだけど、飛行機に乗り継いで行って。
で、往復でだいたいもう1000ドル以上はするのよ。
で、それも全部向こうが持ってくれるし、それから現地の食事はもちろん全部向こう持ちだし。
その上、1日ほんのわずかなんだけど、何ドルかくれるのよ、お小遣い。
それはほんとにビビったるもんなんだよ。
このお金みたいな何使うんですか?って聞いたことあるんだけど。
そうね、あなたの歯磨き粉かしら?みたいな。
歯磨き粉を買ったりとかっていう感じのことを言われたぐらいのお金なんだけど、だけどとりあえずすごく扱いが、ボランティアに対する扱いっていうのが全然日本と違う。
トレーニングからしてもお金払いたいぐらいの内容ですもんね。
そうなんだよ、すごいね、いろいろ至れり尽くせりなんだよね。ほんとにいろんなことを学ばせてもらえて。
ちょっと僕ばっかり今しゃべっちゃったけど、今後はどうですか?スカルティさんは今後の予定っていうか、海外どうですか今後は。
今ちょうどゼミノ先生と連談みたいな話があって。
大学院進学だよね。具体的にはいつ頃から。
ストレートは普通に無理だと思ってるんで、条件付きで来年の9月ぐらいに行きたいなぐらいの気持ちです今は。
でも正直どうなるかやっぱ分かんないし、自分の英語能力との戦いでもあるんで、いろいろ調べてみてですねまだ。そんなちゃんとはまだ分かんないです。
もうこれからだよあなた。いいね。ほんとに嬉しい。
でもだいぶ心今折れそうですけどね結構。
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あなたほんといろんなことチャレンジできるわ。
頑張ります。いろいろやってみます。とりあえず。
今回のカナダの経験とかも聞いて、すごいいろんなトラブルをあなた呼び込めそうな素質があるから。
そうですね。多分持ってますいろいろ。
はいそこですよ。
今日はそんなとこでどうでしょうか。
ありがとうございます。貴重なお話をたくさん。
いえいえ。ではもしまた機会があったらよろしく。
またお願いします。
まだまだ僕喋り足りないことがあるので。
もう一回、もう一回ぐらい。
はいどうもありがとね。ありがとうございました。
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