こんにちは、トシです。ミユです。この番組は、考えたり言語化したりすることが大好きな事実婚カップルのトシとミユが、恋愛や自己肯定感などちょっと真面目なことを一緒に考えているポッドキャストです。
はい。今回は、自己肯定感向上委員会の3回目ということで、他人との比較について話をしていきたいと思います。
はい。
自己肯定感を、私の意見なんだけど、上げる上において、他人との比較をやめることって、めちゃくちゃコスパが良いというか、効果が高いと思っていて。
うん。
例えば、私だったら、今まで本当にいろんなことと比較してきたんだけど、例えば、正社員で働いてた時に、私は結構体弱いというか、体力なかったから、休日土日はソファで寝たきりになってて。
うん。
で、それをさ、アクティブな同僚とか、SNSでいろんなことを楽しんでいる友達とかを見ながら、ああ、なんて私はこんな無駄な時間を過ごしてるんだろう、みたいなことを思ってたりとか。
うん。
あとは、だんだん働けなくなった時も、私にとって働くことってすごく大切なことだと思っているから、普通の人と同じように働けさえすればいいのに、それができていない自分ということを比べてしまって、卑屈になったりとか。
うん。
あと、いくらでもちょっとこの人生で、自分が今まで比べてきたことって比較が出せるんだけど、あと、何だろうな、例えば、私は一人暮らし始めたの25歳なのね。
うん。
だから、なんかもっと早くにさ、始めてる人って、なんかもっと多くの機会を得て、もっとなんか自分より、自分の年齢だと大人びてるとか、自分より年下なのに、すごいいろんな知見を持ってるなって思うことに対して、すごい悩んだりとかさ。
へー。
いろいろ考えてきたの。
うん。
あともう一個あるけど、もう言わないね。そう。だから、なんかそういう、他人と比べること、本来だったらっていうか、なんか自分がそれによっていい効果を得られるならいい。けど、大体の場合、なんかあんまりいい効果が得られないじゃん。
うん。
だから、そういう、なんか他人と比べてしまうことっていうのを手放すためにはどうしたらいいかなと思ってるんだけどさ。
うん。
もし、なんか思ってることある?
うーん、そうだね。もう僕も結論から言うと、比べるのはしない方がいいと思っていて、しない方がいいというか。
うん。
なんて言うんだろうな。もう比べている時点で、もう多分、その自己肯定感っていうものは上がっていく方向にはならないと思うな。
うん。確かに。
うん。なんだっけ?嫌われる勇気だっけ?の本の中にも書いてあるけどさ、悩みっていうものは、本当に世界に自分一人しかボツンって存在していなかったら、悩みなんていうものは生まれることがないみたいな話があるじゃない?
うんうんうん。
それってまさにそうだなと思っていて、なんでかって言うと、人がいない時って結局全ての定義っていうものが自分の定義になるわけじゃない?
うん。
例えば、野菜が嫌いだとして、野菜が嫌いなのってさ、なんとなく、まあ、嫌いじゃない方がいいみたいな感覚あるじゃない?多分今コモンセンスとして。
うんうんうん。
現代社会においてね。
好き嫌いない方がいい。
子供にさ、食べなさいって言うわけじゃない?だから。
うん。
でもさ、本当に世界中に自分一人しかいなかったらさ、そんなことを思うこともないと思うんだよね。
うん。
別にこれは食べてみて、まずかった。これは食べない方がいいと思う。から食べない。で、いいと思うのよ。
うんうん。
そんな感じで、人と比べるってことによって、なんかいろんなこう、よくないことというか、自分を好きになる、嫌いになるみたいなものも生まれる気がする。
うんうん。
なんか、そうだね、そんな感じ。で、個人的にはさっきさ、ミユ、大体は、その良くない方に、自己肯定感下がる方にって言ってたじゃない?
うん。
そもそも、比較をすることで得られる自己肯定感は健全ではないと思うよ。
うんうん。
だから、僕はその、大体というか、ほぼ全てにおいて比べてる時点で、良くない方向に転がっているっていう風な、
うん。
ま、状態としてね。それで、自分が優越感を感じているか、こう、卑屈になっちゃってるかみたいな差はあると、
うん。
どっちも健全な状態ではないなって思ってたりするかな。
あー、確かにその、比べて自分はなんてダメなんだろうって思う場合もあるけど、なんか自分の方がこう、自分の方が優れてるのは良かったって思ったりすることも確かにあるよね。
だから、すごい素敵な生活しているあの子はりんご。
うん。
私はみかん。みたいなね。
うん。
ただ、なんかその考えに自分が至るまでに、なんかどういう風なプロセスを踏んだかっていうと、なんか私の場合はあんまり再現性がなくって。
うん。
自分は最終的に1日も働けなくなっちゃったわけよ。
うん。
で、働けなくなっちゃうとさ、なんか働いてる人がいいなぁ、うらやましいなぁって思ってたけど、それがなんかもう夢のレベルにいっちゃってるのよ。
うん。
だから、アイドルになりたいみたいな、なんかその、まあそんなに大げさだけど。
うん。
そのくらいの例になっちゃってて、なんか自分が強制的にりんごと、まあここは皮肉を込めてレモンと言っていきましょう。
うん。
レモンになったの。
うん。
だから、なんか比べようがないなっていうことに気づいたんだよね。
なるほど。
私なりに多分幸せを見つけていく必要があるだろうし、相手は私が憧れてるもの。
うん。
仕事とか、まあ恋人なのかいろいろあると思うけど、思ってる。
思ってるなりのなんか楽しさがあるだろうし、もしくは苦悩も多分あるだろうなーって、なんか全然分離して考えるようになった。
あー、なるほどね。
今の話、結構そうだなって思ったんだけど、僕の中で一個違うなって思ったところで言うと、
この人はりんごで、この人はレモンだから違うよねって話じゃないと思ってて、
青いりんごだろうが、赤いりんごだろうが、もちろん赤いりんごの方が甘い。
うん。
ただ、甘いのをいいか悪いかって解釈してるのは人間なんだよね。
あー、なるほどね。
そもそも、いい悪いみたいなものって、どんなものに対しても解釈でしかないっていう風に結構一時期心がけてる時があって、僕。
うん。
それが結構今癖づいて普通にできるようになってるっていうのがあると思うんだけど、
うん。
なんて言うんだろうな。
例えばなんだけど、今みゆさ、自分の生活をさ、他のさ、普通に働いてる人のことを夢のレベルでっていう話があったじゃない。
うん。
正直言うと、多分みゆの生活に憧れてる人もいると思うのよ。想像つかないでしょ。
うん。
僕はそういう人っていると思っていて、なんか結構さ、みゆはさ、今自分は何もできていないけど、その状態を人と比較するのをやめたっていう感じで今話してたと思うんだけど、
そもそもその感じの多分思考の中でさ、おそらく今の自分は客観的に見るとあんまりいい状態じゃないってなんとなく思っている感じはなんとなくあるのかなと思っていて、
うん。
分かんない。それが無意識的に思ってるのかどうか分かんないけど。
ただ、えっと、いやまあ今みゆ持病があったりするじゃない。
うん。
例えば、そのみゆの今の生活を見たときに、例えばそうだな、私も同じような持病を持ってるのに、なんか症状的になんか仕事ができちゃうぐらい。
うん。
仕事ができちゃうぐらいだから、なんか例えばいろいろ保障とかも、社会福祉的なところもあんまりこういろいろ受けられないし、自分でお金は稼がないといけない。
でも、普通に体はすごいしんどい。しんどいけど、なんか診断的にはなんかそういうのを言いづらいぐらいの症状しかないから言えない。
羨ましいな、ちゃんと症状が出ててって思ってる人いると思う。
うん。
例えばね。それに対して、たぶんみゆは、いや、えっと何も分かってないみたいにもしかしたら思うかもしれない。
あ、今全部推測で言ってるけど。
うん。
いやでも自分の生活の方を見たときに、でもそれってたぶん相手も自分のことがたぶん分かってないからそう思うんだろうなって思うと思うのよ。
うん。
ただ相手もそれを言ったときに、あなたこそ自分のことは理解してないって思うと思う。
うん。
だから結局全員そうなんだよね。その、周りが青く見えるんだと思う。
うんうん。
まあでも今の話は結構面白い気がする。そのなんて言うんだろう。他の人と比較しない状態でどうやって自分磨きをするかって話だよね要は。
そもそも自分磨きをするモチベーションってその理想だったり他者だったり。
うん。
こういう風になりたいなとかこういうことできるようになりたいなっていう願望があるからやるよねって話だよね。
そう。なんかそう自分の理想、他者との比較もそうだけど理想との比較でもさ落ち込むじゃん。
そうだね。
だから比べてしまうことって多分今の人類に必要ないよね。
必要ないし、なんで比べちゃうかってことだよねやっぱり。
生存みたいなところかな。
今ちょうどさ幸せになる勇気読んでる途中なんだけど、幸せになる勇気に出てくる話で言うと人間っていうのは初手自己肯定感が低い。
うん。
幼少期。
うん。
誰も、誰もが。なんでかっていうと人間ってその生物の中ではかなり珍しい体よりも心の発達の方が早い生物なんだよね。
だからさ、いろいろ言葉が喋れるようになったりさ、いろんな大人が話してることがわかるようになっていくんだけどさ、
でも自分でできる体的な力とかさ、そういうのはなかったりするじゃない。
だからみんなこういうのをやりたいとかこういう風にできるようになりたいっていう心の気持ち、それを実現したいっていう欲求に対して体がついてこないみんな。
だから幼少期はみんな自己肯定感が低いっていうふうに書いてあって。
確かにさ、小っちゃい頃って早く大人になりたかったよね。
そうそうそうそう。
やれることがたくさんあって自由に見えたから。
そうそうそうそう。だしさ、なんか、なんか親とかさ、大人の人たちに言いくるめられてる感があってさ、すごいこうやるせなさみたいなのあるじゃない、やっぱり。
うんうんうん。
なんか、うちはこう思うんだけど、それがうまく伝えられなくて、なんかこう悔しい気持ちになるみたいな。
そういうのがあって、やっぱ基本的に人間っていうものは、その、いわゆるその自己実現欲求みたいなものとか、こう逆に特別でありたいみたいな欲求を持っている。
それは何でかっていうと、やっぱ最初慣れてないからっていうのがあって。
なんか人と比べちゃうのは、やっぱある意味で当たり前量あるんだろうね。
うん。
そこをどう脱却するかっていうのは難しいよね。
脱却するかはやっぱりさっきとしが言ってたように、なんかこういう思考に陥った時にはこういう風に自分にちょっと歯止めをかけるみたいな風に決めていくっていうところ。
それをなんか続けていくことが大事なんじゃないのか。
そうだね。
あの、無最高の状態っていう本の中に書いてあるので、今思い出したので言うと、現状に降参をするって話が書いてあって。
うん。
結局さ、理想とか思っていたりするのって、今現状では自分にとっては満足いかない状態が続いていたりとか、外的要因で何かしら自分にとっては嬉しくないことが起こっている。
時にそれを何とかしたいって思うから、そこに対して何とか頑張ってみたりとか、頑張っていく結果逆に心をすり減らしちゃって、どんどんやっぱりできないみたいな自己肯定感が下がっていくみたいなのがあると思うんだけど。
無最高の状態の中には、もうそこに降参をするっていう。
その、諦めではないんだけど、それを、だから要は人間ってさ、その状態満足できないってことは、それを納得することができない、それを受け入れることができないから解放するわけじゃない。
それを受け入れようっていう風に書いてあるよね。
そう、なんかそもそも受け入れたところから、そもそもじゃあどうしていこうかって話が始まるよねみたいな。
理想と違うからこうっていうよりも、そうなった時に結構一時反応的な欲求で、こうしたい、こういうことやってみたいとか、こういうの興味があるからちょっと調べてみたいみたいなところの気持ちに耳を傾けてみる。
そうするとさっきミューが言ってたような、何かを挑戦したいっていうところに対して、そもそもマイナスからスタートみたいなのもできるだけ減らせたりするのかなって思ったりはしたかな。
うん、なるほど。
なんかその行動の動力源を、そういう興味とかそういうものに寄せていくっていうのはいいのかもしれないね。自己否定っていうよりも。
とりあえず興味があるからやってみる。やってみた結果何か変化が起こるっていうプロセスに変えると、人生気持ちちょっと楽になるのかもね。
うん、確かに。
たぶんあれなんだろうね。さっきの幼少期の話もあったけどさ、逆に、現代社会における教育とか文化の中で目標を立ててそこに対して頑張るみたいなのがあまりにもベーシックすぎるからさ、それがクソくせえづいてる感もあるよね。
クソって言っちゃった。
それがクソくせえづいてる感あるよね。
ファッキング。
ザ・ボーイズなのに。
ビンジしたからごめんね。
って思わない?なんか、それをさ、もうさ、それが当たり前の思考プロセスだみたいな感じで。
やっぱなんか、いろんなところでやらされるからさ、目標を設定してやって、で、テストとかでは結果が出て比べさせられて、みたいな。
それ悪いよね正直。
あれ本当に良くないと思う。
めっちゃ話それるんだけど、僕本当にああいう比べるものとか、僕ね、複数人で競争順位がつくものがとにかく何でも嫌いなの。
本当に何でも嫌いで、何でも嫌いだったからテストがすごい嫌いだったの。
すごいなんか、なんていうか、リスペクトがないものだなと思って、ああいうものって人に順位をつけるみたいな。
僕はそうやって順位をつけるのすごい嫌だったから、常に満点を取るっていうのを意識してた。
でも私もそうだった。だからなんか、今はそれこそ順位をつけるものってほとんどないじゃん。社会に出ちゃうと。
だからもうそこからは順位をつけるものから降りるっていうことをしている基本。
で、なんか順位をどうしてもついちゃうものに関しては死ぬほど全力出すっていう癖があって。
そうそう、だから僕は競争嫌いなんだけど、やるからにはオーバーキルが僕のモットー。
そう、だから同じ同じ。でも結果としてそれが自分を苦しめたりとかすることもあるから、
穴勝ちそれがベストのやり方かって言われると多分そうではないと思う。
それはそうだと思う。昔はそういうのすごい意識してた。
今は私は勝負ごとから上手に降りられるようになったかな。
なんか全部、例えばさ、それこそボドゲーとかもさ、もう勝ちたくてしょうがないわけ。
あと、ボーリング行きましたとかも。
へー、そういうのもなんだ。
全部、全部本当に負けず嫌いだったの。
そんな感じするね。
でしょ?だから今はもう、あ、これ得意じゃないわって思ったら負けに徹するみたいな。
で、なんかボロ負けした方が笑われたりするじゃん。
なるほどね。
なんかそういうのになったり。ただ楽しい方向に行くかな。
確かに、なんか学生の頃はある意味で僕も結果的には負けず嫌いっぽい感じになってたよね。
だからその、自分との戦いになってた。だから人じゃなくて満点取れるかはノットだから。
ゼロイチの戦いしかしてなかったからずっと。
それで、なんかすごい根詰めてたけど、なんか最近はなんかそういう何かしらランキングがつくものみたいなのいっぱいあると思うんだけど、
なんか全然気にしなくなったね。なんでなんだろうね。
それこそさ、会社ってめちゃくちゃ順位がつく組織じゃない?
いっぱいつけられるんだけどさ、いろんな流れ。評価もそうだし、あと業績みたいなのもそうだし、
いろんなところでそういう順位付けというかラベル付けってされるんだけど、全然気にしなくなったね。なんでなんだろう。
なんで?
でも感覚的には、どうでもいいって感覚に近い気がする。
なんかそこに対して、その比べるのをやめたとかそういうのじゃなくて、めっちゃどうでもいいなって気持ちになってる。
なんか基本的にさ、順位がつくものって、なんていうんだろうな。
自分自身のさ、すごいプリミティブな生活、そのアトミックなところの生活にはあんまり関係ないものが多い気がしてて。
例えば会社の評価とかもさ、もちろんお金もらえるもらえないとかに響いてくるから、そういうところに影響はもちろんあるけど、
なんかもう正直生きていくには、最初の頃からもともとなんか、例えば20数万とかでもさ、